無料会員登録/ログイン
閉じる
電話なら予約できることがあります
閉じる
最新の情報は直接店舗へお問い合わせください。
超力招来さんの他のお店の口コミ
「みんなで作るグルメサイト」という性質上、店舗情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。 詳しくはこちら
店名 |
閉店
鮨 水谷(すしみずたに)
|
---|---|
受賞・選出歴 |
2017年Bronze受賞店
The Tabelog Award 2017 Bronze 受賞店 |
ジャンル | 寿司 |
住所 | |
交通手段 |
新橋駅から5分 新橋駅から343m |
営業時間 |
営業時間・定休日は変更となる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください。 |
予算(口コミ集計) |
|
サービス料・ チャージ |
なし |
席数 |
10席 |
---|---|
個室 |
無 |
貸切 |
可 (20人以下可) |
禁煙・喫煙 | 全席禁煙 |
駐車場 |
無 |
空間・設備 | 落ち着いた空間、カウンター席あり |
ドリンク | 日本酒あり、焼酎あり |
---|---|
料理 | 魚料理にこだわる |
利用シーン |
こんな時によく使われます。 |
---|---|
備考 |
おまかせ握り 18000円 |
初投稿者 | |
最近の編集者 |
|
食べログの会員になるとレストラン情報を編集する事ができます!この機会に是非ご登録ください!
店舗会員になると、無駄な広告費をかけずに効果的なPRができます。詳しくはこちら
既に会員登録が完了している方はこちらからログインできます。ログインはこちらから
10月末をもって、鮨職人としての水谷八郎は引退した。
横浜時代から俺はもう70になったら辞めるよと言っていたことが現実となった。
体調を崩され、動きに切れが無くなったと人伝に聴いて居た堪(いたたま)れなくなった。
築地市場の移転を機に引退ということも聴いていたので、丁度良い引き際であったと思う。
色々あって市場はまだ移転していないが、契約やら何やらと言うよりご自分のマイルストーンを既に置いてしまって今更もう職人人生を延長することは出来なかったのであろう。
このレビュー自体は当方の100レビューの記念で思い出話として載せたが、今回親父さんが引退されたことに当たり、チョコッとだけコメントしておきたく再度投稿をすることとなった。
また、前々身の横浜時代の外観なども記念に上げておこう。移転元店の写真を載せるのは本来は間違っているのだが閉店されたこともあり、ご容赦願いたい。
横浜最後の訪問は2004年12月の初旬だったことがメモと写真に残っていた。
この時は銀座に返り咲けるということで生き生きとしてご機嫌だったなぁ。
もう一干支前にもなるんだ。
最後にまたこの言葉を贈りたい。
いつまでもお元気で!
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
【超力招来のあの名店・迷店(1)】
【27.11.5 初稿】
今回で地味ぃ~に100レビューに到達。思い出話しでも一つ語ろうか。
銀座に移転され、更に場所を移られてからはトンとご無沙汰ではあるが、銀座に来る前、横浜で名を馳せた『次郎よこはま店』で超一流の本物の中の本物の素材を本質を見極めた職人、水谷八郎の繰り出す鮨の虜になり、3年半程毎月継続して通っていた。
98年に初訪問した時はまだまだ食べ手としての力量も知識、知見も薄かったことから捨てシャリの所作があまりにも酷く目に付いたこと、当時は喫煙OKだったことから鮨を味わうという感じを得られずにアスクユーでは2.5と低めの点数を付けていた。また当時の当方は江戸前鮨原理主義みたいなところもあり、仕事をしていなければ江戸前鮨じゃないという概念が中心にあったこともある。例えば鮪の赤身は漬け、鮃は昆布〆でなければという感じ。
その後も色んな鮨屋で食べ、行きつけの店で食べていた頃に早川光氏の『江戸前ずしの悦楽 次郎よこはま店の十二カ月』をたまたま目にし、美しい鮨の形に魅入られ購入。内容は水谷さんの為人や成育歴、鮨の道、毎月の握り等々が載っており何度も読み返した。初訪問時色々あったが再度チャレンジして本質を味わえれば良し、また駄目ならこことは縁が無いものと諦めるの二択となった。他店でも満足していたが、色々考えて一段階更なる高みにある鮨を知りたく予約を入れて二度目の訪問が2001年頃だったか。この時幸いなことに全席禁煙となっていた。一見ぶっきら棒な感じは前回と同様。捨てシャリも相変わらず。捨てシャリ後の流れるような所作は中々。ただ、鮨の味が抜群に美味かった。握り具合、種とシャリとのバランス、口の中での解け具合、喉を通る時の喉越し…本を熟読していたからではないが、水谷の親父さんの繰り出す握りに対して正に悦に入っていたのだ。提供される順番も見事であった。これはすきやばしの小野二郎氏も同様だがお任せという一つの流れのなかで上手い具合に強弱織り交ぜて提供されるため飽きが来ないし変に疲れないのだ。これは凄いと思った。初訪問の際には単なる鮃の刺身握りかと思ったが、様々な場所で研鑽と味覚を高め、鮨本を読み捲り、自分なりに基盤が出来上がりつつあった時に食べた親父さんの鮃の握りはとてつもなく美味かった。クリアで澱み無く、余分な物を排除し、初めから旨ければ余計な事(味付け)はしないという強い信念を感じ取れた気がした。小鰭はやや強めの〆であるが軽く芝海老の朧を噛ませて握られていたのも嬉しいかった。これは紛うこと無き江戸前の仕事だと。朧の仄かな甘味が〆た小鰭の旨味を感じ取り易くするためのかすがいになっていた。
鮪のことは親父さんから色々教えてもらえたし、今でも自分の礎である。鮪は130〜150kgの物が一番美味いというフレーズは水谷の親父さんが一番初めに発したものだ。最高の物を戴き、味わえた。親父さんと藤田さんのストーリーは省くとして、藤田水産のおとした鮪の一番良い部位は親父さんが持っていっていたからその時その時の最高に美味い部位を色々味わえた。お任せの鮪は基本、赤身→中トロ→大トロで終わるがカマ下のトロが有る時はたまに流れに入ってきて4貫になったりして。鮪が良い時は親父さんの機嫌も頗る良かったなぁ。『これは美味いよ!』なんて殆ど言わないが、稀にみる鮪を仕入れた時などはこんなお言葉も聞けたりした。ここ数年の鮪は以前と比べると心の底から満足の出来る一本はあるのかなぁと思ってしまう。
季節限定で本当に食べられなかったのが鰹。この当時は初鰹しか握られていなかった。ただしお眼鏡にかかった鰹は最高に美味かった。次郎直伝の藁で燻した物で、脂の旨味より身の爽やかな血の酸味の香りを愉しむ一貫で鮪よりも大好物であった。それは今でも変わらないかも。また蛸も春先で大変手間のかかる一品のため殆どお目にかからなかった。春の小柴の蝦蛄は途轍も無い美味さで必ずカツブシ有り(雌)無し(雄)を両方食べさせてもらっていた。初手はツメでは無く煮切で供されていた。お代わりは『ツメにする?』と好みを聞いてくれたり、意外に優しかったり。車海老は当時は茹で置きだが、味噌が香ばしく身も甘く一口で全てを味わえるサイズであった。また、貴重な種は縞鰺で、これも親父さんの眼鏡にかなわなければ絶対出てこなかった。夏場の鯵は淡路島だったが今は淡路は駄目だと某親方が言っていた。今は何処のを使っているのだろうか。
鮑は目高鮑で最高級品は大原。それも1kgを超えた物は"枇杷っ貝"と呼ばれるが、正に枇杷色なのだ。握りには枇杷っ貝は適さないので大体つまみで提供。ブツ切りでゴロンと出された時には嬉しくて堪らなかった。鮑を切り付けている際には鮑の力強い香りが漂い涎が増幅して出てくる。シャリとあわさった鮑の握りは本当に天下無双の味。馥郁たる香りが口いっぱいに広がり、鼻腔をかすめ通り過ぎていく心地よさ。
鯵は酢で〆たりはせずそのまま握られた。穴子は親父さんのこだわりとして150gが最適で30分以上は煮ない。それ以上煮たら後は旨味が汁に逃げてしまい、代わりに甘辛の汁が入ってきてしまうからと教えてくれた。ツメはよく他店で継ぎ足しで数十年というものであるが、親父さんは衛生的な面からその日その日で煮詰めて残さないタイプであった。なのでツメはアッサリタイプ。しかしコクも深みも無いのかといえばそれはノー。キチンと旨味があり奥深いのだ。ここの穴子の握りは天下一品だった。もちろんしみづをはじめ鶴八系の大好きな穴子と双璧であった。
最後は銀座へ帰りたいと常々仰っていた夢が実現し、銀座へ移転されたのが2005年1月。もちろん両親連れて初訪問をし、親父さんの銀座での鮨を味わった。当時は移転しても値段は上げないとのことで15,000円であったがその後18,000円となり今は20,000円か…横浜ではお好みにも対応していたが、ミシュラン以降はお任せのみの堅苦しい店になってしまった。その頃は予約を退店時にすることをしなくなったことと、ミシュラン三ツ星を獲得したことによる予約困難で足が遠のいた。また、横浜での雰囲気が大好きだった当方は銀座ではどこかしっくりと馴染めなかったこともあり現在に至る。
風の噂で最近親父さんの体調が芳しくなく動きも辛そうと聞いた。横浜の最後の時に60歳になっていたからもう70か。小野二郎さんはかなり丈夫な方であるが…もう忘れ去られているかもしれないが、予約がとれて機会があったら親父さんの顔を見にうかがいたいものである。