とんこつラーメン発祥!!「久留米ラーメン」

とんこつラーメン発祥!!「久留米ラーメン」

久留米は、とんこつラーメン発祥の地である。昭和12年史上初のとんこつラーメンが久留米の「屋台南京千両」で誕生。当初のスープは煮沸しない清湯系のスープで白濁していなかった。発祥から10年後「屋台三九」が偶然作った煮込み過ぎの豚骨スープが、白濁系の元となり現在のとんこつラーメンのルーツとなったのである。

更新日:2024/11/13 (2015/01/06作成)

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久留米ラーメンの特徴と歴史

久留米は、とんこつラーメン発祥の地である。昭和12年史上初のとんこつラーメンが久留米の「屋台南京千両」で誕生。当初のスープは煮沸しない清湯系のスープで白濁していなかった。発祥から10年後「屋台三九」が偶然作った煮込み過ぎの豚骨スープが、白濁系の元となり現在のとんこつラーメンのルーツとなったのである。
【久留米ラーメンの特徴】
《麺》中太麺。麺の加水率が低い為、麺自体にスープが浸透しやすくなり美味しく食べられる。うどんで言うと“煮込みうどん”と同じのような感じで、本来の久留米ラーメンは、実は「柔麺(やわめん)」の文化なのだ。これは、コシのある“讃岐うどん”に対して、柔めんの“筑後うどん”にも通じるものがある。麺の硬さも久留米ラーメンはカタメン・ヤワメンはあるが、博多・長浜のようなコナオトシ・ハリガネ・バリカのような注文の呼び方はしない。
《スープ》営業で減った分だけ毎日新しいスープを継ぎ足しする。イメージで言えば長年継ぎ足す“鰻のたれ”のようなもの。これが俗にいう“呼び戻し”と呼ばれるスープの採り方。だから、久留米ラーメンのお店は50年以上の歴史があるところも多く「スープの煮込み時間は半世紀以上」と云わる所以でもある。昔からある本物の久留米ラーメンは一般的に思われているイメージとは全く違い、あっさりしたとんこつスープが特徴。決して、ギトギトでもベタベタでもないのだ。だから、巷で言われているような、「ド・とんこつ」とかいうものは、実際には久留米に存在しない。あれはマスコミが勝手に作り上げた造語であり、久留米市民に「ド・とんこつのお店はどこ?」と聞いても、そんな店は無いと言われる。
《具》チャーシュー・ネギ・キクラゲ・海苔など。海苔が入っているのは立地的に「有明海」に近いのが要因だと考えられる。
《脂》スープに足す「脂」は少ない。脂は入れない店も多い。元々、スープ自体が「継ぎ足し」で濃厚なため、脂で補う必要がない。あっさりだけど自然なコクで脂っこくないのでスープが全部飲み干せる。
《薬味》コショー・紅しょうが・すりごま・おろしニンニク・にんにく醤油・にんにくチップなど。
《替玉》 もともと替玉は、久留米ラーメンの文化ではない。替玉がある昔の久留米の店では替玉を「替麺」と呼んでいた。ほとんどの店は「替麺」ではなく、量を食べたい人には“大盛り”で対応していた。理由は、スープに脂を足さないので、替玉をするとスープが薄くなり美味しくなくなるから。その代わりにサイドメニューに「やきめし」を一緒に食べることが多い。
“久留米ラーメン”とは、濃厚でありながらも脂っこくないとんこつスープが中太麺に浸透し、麺だけでなくスープの一滴まで味わうラーメン文化なのだ。


【久留米ラーメンの歴史】
昭和12年(1937)南京千両【初代】宮本時男さん「とんこつラーメンの元祖」
“とんこつラーメンの元祖”九州初のラーメン屋台元祖『南京千両』が誕生。初代店主宮本時男さんは、当時、東京や横浜で流行していた「支那そば」と自身の出身地の名物料理「長崎ちゃんぽん」をヒントにとんこつラーメンを考案。当時は、豚骨を煮込まず、白濁しない[清湯]のとんこつスープ・自家製のちぢれ麺・短冊切りのチャーシュー・メンマという独自のスタイルだった。南京千両は現在も発祥の味をそのまま引き継いでいる。

昭和22年(1947)三九【初代】杉野勝美さん「白濁系とんこつラーメンの元祖」 
屋台『三九』創始者の杉野勝見さんも、元祖と同じく[清湯スープ]の豚骨ラーメンを提供していたが、ある日スープを誤って沸騰させてしまい真っ白[白湯]になってしまう。仕方なく味付けしてみると、コクと深みがあり旨い!この偶然の産物が評判となり、今日主流の[白濁系]とんこつラーメンが生まれた。三年後、常連客だった四ケ所日出光さんに店を譲渡。杉野さんは小倉に移住し、店名を新たに『来々軒』として、北九州で久留米ラーメンを広める切っ掛けを作った。【大分ラーメン】の最古と云われる、日田の『来々軒』もこの杉野さんの三九からの流れである。

昭和23年(1948)潘陽軒 「満洲生まれの久留米育ち」
屋台から発祥し、久留米に現存する店舗としては二番目に古い老舗のラーメン店。現三代目店主の祖父が満洲で習った麺料理を再現したのが始まり。潘陽軒の店舗は、久留米『大砲ラーメン』の親子愛を題材にした映画「ラーメン侍」のロケにも使用された。

昭和25年(1950)三九【二代目】四ケ所日出光さん「熊本ラーメンの元祖」
屋台『三九』を引き継いだ四ケ所日出光さんは、熊本の玉名にも支店を出した。これが【玉名ラーメン】と呼ばれる元祖。そこへ勉強に訪れた三人の若者が、それぞれ立ち上げた『こむらさき』『味千』『松葉軒』が【熊本ラーメン】のルーツとなり、鹿児島以外の九州全域に伝わって行った。三九は昭和31年(1956)佐賀市内に店を移転。四ケ所さんの手ほどきを受けた佐賀の老舗有名店『一休軒本店』が開業したのは昭和33年(1958)。その後の【佐賀ラーメン】文化にも大きな影響を与えた。

昭和27年(1952)清陽軒【初代】香月浩さん「豚背油“カリカリ”の元祖」
久留米の屋台から発祥した中で、三番目に古い歴史のある老舗ラーメン店。昭和27年に創業し、瞬く間に久留米で一番人気のラーメン屋台となる。清陽軒は『大砲ラーメン』先代の修業先としても知られ、初代の香月浩さんは、昔ながらの久留米ラーメンに入る豚背油を揚げた[カリカリ]の考案者でもある。一度は暖簾を下ろしたものの復活を望むファンたちの後押しを2009年に復活!大人気を博している。

昭和27年(1952)幸陽軒【初代】原口幸春さん「文化街ラーメンの先駆者」
『幸陽軒』は、久留米の飲み屋街「文化街」で開業し戦後の復興と共に大繁盛した。昭和40年(1965)には、佐賀県基山に支店『丸幸ラーメン』を出店し大成功。しばらくは二店舗体制での営業だったが、昭和49年(1974)に幸陽軒は閉店した。この幸陽軒で店長を務め、丸幸ラーメンを立ち上げ後に独立したのが久留米濃厚系の元祖『大龍ラーメン』の創始者黒岩文雄さんである。

昭和28年(1953)大砲ラーメン【初代】香月昇さん「“呼び戻し”の名付け親」
初代の香月昇さんが、屋台清陽軒でラーメンを学び昭和28年に独立。息子の二代目店主 香月均史さんが久留米ラーメン特有の作り方である“とんこつスープの継ぎ足しスープ”を[呼び戻し]と命名した。二代目は、平成11年から開催された「ラーメン・フェスタin久留米」の中心人物として、久留米ラーメンの知名度を全国区に押し上げ、平成24年には大砲ラーメンの親子愛を描いた映画「ラーメン侍」が全国公開された。

昭和28年(1953)満州屋【初代】田中平三郎さん「餃子屋台で創業」
初代の田中平三郎さんが久留米の餃子屋台『満洲屋』を創業。二代目の田中明さんが久留米の文化街に店舗を構え、現店主の三代目田中實さんが店名を満洲屋から『満洲屋が一番』に変更。次々に別ブランドでのラーメン店を立ち上げている。

昭和29年(1954)来福軒【初代】吉野親之さん「中華もある老舗ラーメン」
国鉄久留米駅前で屋台から創業した老舗ラーメン店。あっさりで優しい味わいのラーメンは昔ながらの屋台のラーメンを彷彿とさせる。昭和39年(1964)に店舗に移行。ラーメン専門店で店でありながら「中華メニュー」もある久留米では珍しいラーメン屋さん。現在は二代目の吉野亮さんは、飲食業組合「久留米ラーメン会」の会長を務めている。

昭和30年(1955)沖食堂 「食堂系ラーメンの元祖」
久留米で「食堂系」ラーメンの代表的存在。昔から近隣の中学や高校の生徒さんにも大人気。住宅地の中という珍しい立地にあり、学生時代に沖食堂に通った人たちが、大人になった今もあの頃を懐かしんで訪れるという。久留米焼きめし発祥の人気店『ひろせ食堂』とは親戚筋にあたる。

昭和32年(1957)ひろせ食堂【初代】廣瀬堯治さん「久留米焼めしの元祖」
食堂系ラーメンのひろせ食堂。久留米で大流行している「久留米焼きめし」をラーメンとセットにして売り出し、大ブレーク!久留米のラーメン屋で“焼きめしと言えばひろせ食堂”を指すくらいの有名店。二代目の廣瀬孝さんが父の遺志を継ぐ。久留米の有名店『沖食堂』とは親戚関係にあたる。

昭和33年(1958)丸星ラーメン【初代】星野吾三郎さん「国道系ラーメン」「替麺の元祖」
国道3号線を走る長距離トラック運転手さんたちの口コミにより全国へと広がって行った。「国道系」久留米ラーメンでは、全国的に一番知名度が高いラーメン屋さん。当時、久留米ラーメンには無かった「替麺」を採用したのは丸星ラーメンが初!

昭和38年(1963)鯉龍軒
中華料理のメニューが60種類以上もある地元で愛される「食堂系」の久留米ラーメン。毎月3が付く日はラーメンが300円になるサービスデーがある。

昭和40年(1965)竜鳳
久留米の旧花畑駅近くで開業した「食堂系」のラーメンの老舗。「ちゃんぽん」「やきそば」「やきめし」など食堂系のメニューも人気。

昭和40年(1965)丸幸ラーメン【初代】原口幸春さん ※前身は「幸陽軒」
昭和40年に久留米の文化街にあった伝説の店幸陽軒が、支店として佐賀基山へ『丸幸ラーメン』を出店。車社会の発展と共に、「国道系」大型ラーメンセンターとして急成長を遂げた。ここから独立したのが「濃厚系」久留米ラーメンの元祖として知られる『大龍ラーメン』である。

昭和42年(1967)大龍ラーメン【初代】黒岩文雄さん「濃厚系久留米ラーメンの元祖」
基山の『丸幸ラーメン』から独立後、独自に「濃厚系」久留米ラーメンを確立。久留米ラーメンの重鎮としても知られる超有名店。テレビのラーメン特番をきっかけに、初めて久留米ラーメンの存在を全国区に知らしめた。

昭和43年(1968)丸好 「ドライブイン型・久留米ラーメンの元祖」
『丸好食堂』が開店。ドライブイン型の「食堂系」のラーメン。食堂にふさわしくラーメン以外のメニューも豊富で、焼きそば・ちゃんぽん・焼きめしも人気。

昭和48年(1973)大栄ラーメン【初代】大垣武敏さん「学守ラーメンの元祖」
西鉄久留米の旧大映通りに出店し大繁盛店になる久留米「源流系」ラーメン。学生割引の「学守ラーメン」は大栄ラーメンが元祖。40年継ぎ足し豚骨スープで煮込んだ「豚足」や「ホルモン」は大栄ラーメン名物。平成4年に小頭町に店舗を移し、六ッ門六角堂を経て平成24年東町に再移転。二代目の大垣敏久さんが暖簾を引き継いでいる。

昭和48年(1973)久留米屋 「文化街〆ラーメンの一番人気」
明治通りの屋台で創業。文化街の飲み帰りの〆に食べる久留米のラーメンとしては、一番有名な「源流系」ラーメン。営業は屋台時代から夜のみ。現在は店舗営業だが、屋台当時はスープの出が気に入らないと店を出さない頑固一徹さから、まぼろしの屋台とも呼ばれた。コクがあるのに脂っぽさのない「久留米ラーメン」の王道ともいえる。

昭和52年(1978)丸福ラーメン 「筑後丸福」「本田商店」「丸福ラーメン大刀洗店」   「花畑丸福」の源流。かつてラーメン激戦区だった花畑で、ライバルとして大龍ラーメンとしのぎを削った丸福ラーメン。国分町に移転後の2012年、惜しまれつつも閉店したが、同年12月に篠山町で『花畑丸福』として現店主の石橋頼朝さんが暖簾を引き継いだ。『筑後丸福』・『本田商店』・『丸福大刀洗』の源流の店でもある。

昭和60年(1985)くるめラーメン 「ファミレス型久留米ラーメンの元祖」
大龍ラーメンから指導を受け、『くるめラーメン』の屋号で開店。当時、久留米には無かったファミレス型のラーメン店というスタイルで、家族連れや女性客も気軽に入れるラーメン店として大人気店になった。

平成9年(1997)南京千両マリン 【初代】高輪タヅ子さん
とんこつラーメン発祥の店『屋台 南京千両』の創業者である宮本時男さんの長女高輪タヅ子さんと娘の恵子さんが営んでいる。南京千両系のお店の中で唯一、居酒屋メニューもある久留米には珍しいラーメン店。

平成11年(1999)龍の家【店主】梶原龍太さん「史上初!ネオ久留米ラーメン」 
全国的に有名なラーメン店『博多一風堂』で修業した店主が営む店で、現在福岡県内外に9店舗を展開。“博多生まれの久留米育ちのラーメン”という史上初の「ネオ久留米ラーメン」を確立。抜群の店舗センスと接客で若年層を中心に大ブレーク!別ブランドで展開中の「らーめん息吹」の四店舗を含めると13店舗になり、久留米発のラーメンチェーンとして最大となる。

平成11年(1999)ラーメンルネッサンス委員会発足
「第一回ラーメンフェスタin久留米」開催
久留米がとんこつラーメンの発祥の地であることを全国に発信し、元気な街にしていくことを目的に「久留米・ラーメンルネッサンス委員会」が発足し「第一回ラーメンフェスタin久留米」を開催、久留米ラーメンが注目を浴びた。

平成12年(2000)モヒカンらーめん【店主】於保貴久さん 
[薬味系]ラーメンの有名店で店長を務めたあと、独立して『味壱屋』を創業。数年間の苦労時代を経て、自らの頭を広告塔で[モヒカン]に刈り上げ心機一転!店名も改め『モヒカンらーめん』とした。一味唐辛子の薬味「モヒカンレッド」のラーメンが評判となり、苦節10年目で大ブレーク!!笑い溢れる店内と明るく丁寧な接客も手伝い久留米の大繁盛店となる。

平成15年(2003)梁山泊【店主】池末栄一さん
大龍ラーメンで修業後の平成12年八女黒木で「ラーメン龍月」として創業。3年後の平成15年に念願の久留米の花畑に梁山泊を開業し、濃厚系ラーメンと焼きめしのセットで一気にブレーク。
平成18年(2006)麺屋 中る【店主】久間高弘さん
化学調味料に頼らない自然派のとんこつラーメンを目指している店。久留米には珍しい醤油ラーメンもあり女性客に人気。

平成21年(2009)久留米ラーメン会発足
「九州B-1グランプリ」第三位獲得!
『来福軒』『南京千両』『ひろせ食堂』『清陽軒』の4店で久留米ラーメン会が発
足。「九州B-1グランプリ」に出場し第三位獲得。

平成22年(2010年)拉麺 久留米 本田商店【店主】本田眞一さん
筑後市の「筑後丸福」のセカンドブランドとして平成22年(2010)久留米市南町にオープン!瞬く間に久留米の有名店に仲間入りした。ラーメンは長年継ぎ足し続けるスープに国産のとんこつを使ったスープをさらに継ぎ足す「呼び戻し製法」。豚骨のうまみが溶け出したスープは濃厚でコクが深く美味しい。2号店となる「本田商店 キャナルシティ博多店」は、海外からの観光客も多く訪れて大評判となっている。

平成23年(2011)「久留米ラーメン会」加盟12店に
久留米ラーメン会が12店に拡大。『来福軒』『南京千両』『ひろせ食堂』『清陽軒』『大砲ラーメン』『南京千両マリン』『大栄ラーメン』『モヒカンらーめん』『本田商店』『梁山泊』『麺屋中る』『龍の家』

平成24年(2012)「九州B-1フェスタin久留米2012」
「九州B-1フェスタin久留米2012」に、久留米ラーメン会から『本田商店』『梁山泊』『モヒカンらーめん』が3店合同で作った、豚骨ラーメン史上初の“コラボラーメン”を出品した。

平成24年(2012)来雷軒【店主】半田治さん
久留米に突如として現れた新星。あっさりなのにコクがあるスタンダードな昔風久留米ラーメンを踏まえつつも、現代風な雰囲気を感じさせる。食べログの久留米ラーメンで1位を獲得する実力派だ。

平成24年(2012)花畑丸福【店主】石橋頼朝さん
かつてラーメン激戦区だった花畑で、大龍ラーメンのライバルとしてしのぎを削った丸福ラーメン。国分町に移転後に惜しまれつつも閉店したが、暖簾を引き継いだ現店主の石橋頼朝さんが2012年12月に篠山町で『花畑丸福』としてオープン!あっさりした豚骨ラーメンには丸福特有のニンニクチップが入る。ラーメンのスープで作る豚骨ちゃんぽんや丸福名物の「餃子」「焼きめし」の他「骨付きカルビ」も好評だ。平成28年(2016)2月、久留米市六ツ門町に移転し、夜はお酒も飲めるラーメン居酒屋としても大人気となっている。

平成25年(2013)「ありがとう六角堂!」イベント初の「久留米焼きめし」
「ありがとう六角堂!」ありがとう六角堂限定、久留米の有名店『本田商店』×『モヒカン』×『龍の家』がコラボしたラーメンを出品。同時に「久留米焼きめし」を初出店し話題を集める。

平成25年(2013)「日中食の祭典」3つのコラボ創作ラーメン
「日中食の祭典」にて、本田商店・龍の家・モヒカンらーめんのコラボラーメン。日中合作の南京双門楼とんこつ担担麺。筑後うどんとコラボした和風ラーメンという三つの創作ラーメンを出品し大好評を得た。

平成25年(2013)「東京ラーメンショー2013」で東京初参戦!
日本最大のラーメンイベント「東京ラーメンショー2013」に、とんこつ発祥!久留米の有名4店『本田商店』×『モヒカン』×『龍の家』×『清陽軒』による、夢のコラボラーメンが初参加!!ラーメンショーを大いに盛り上げた。

平成25年(2013)「ラーメンEXPO2013in万博公園」大阪に初出店!
西日本最大級のラーメンイベント『ラーメンEXPO 2013 in 万博公園』が開催!!拉麺 久留米 本田商店×久留米ラーメン清陽軒がコラボラーメンで出店。大阪に久留米ラーメン旋風を巻き起こした。

平成25年(2013)「福岡ラーメンショー2013」出店!
「福岡ラーメンショーラーメン戦国絵巻~博多の陣」に、『本田商店』と『清陽軒』が共同出店。2店の味を融合させたコラボ麺を売り出し「豚骨ラーメン発祥の地・久留米」をPRした。

南京千両 屋台

南京千両 屋台 - とんこつラーメン発祥の味

昭和12年(1937)南京千両【初代】宮本時男さん「とんこつラーメンの元祖」
“とんこつラーメンの元祖”九州初のラーメン屋台元祖『南京千両』が誕生。初代店主宮本時男さんは、当時、東京や横浜で流行していた「支那そば」と自身の出身地の名物料理「長崎ちゃんぽん」をヒントにとんこつラーメンを考案。当時は、豚骨を煮込まず、白濁しない[清湯]のとんこつスープ・自家製のちぢれ麺・短冊切りのチャーシュー・メンマという独自のスタイルだった。南京千両は現在も発祥の味をそのまま引き継いでいる。

潘陽軒本店

潘陽軒本店

昭和23年(1948)潘陽軒「満洲生まれの久留米育ち」屋台から発祥し、久留米に現存する店舗としては二番目に古い老舗のラーメン店。現三代目店主の祖父が満洲で習った麺料理を再現したのが始まり。潘陽軒の店舗は、久留米『大砲ラーメン』の親子愛を題材にした映画「ラーメン侍」のロケにも使用された。

清陽軒

昭和27年(1952)清陽軒【初代】香月浩さん「豚背油“カリカリ”の元祖」
久留米の屋台から発祥した中で、三番目に古い歴史のある老舗ラーメン店。昭和27年に創業し、瞬く間に久留米で一番人気のラーメン屋台となる。清陽軒は『大砲ラーメン』先代の修業先としても知られ、初代の香月浩さんは、昔ながらの久留米ラーメンに入る豚背油を揚げた[カリカリ]の考案者でもある。一度は暖簾を下ろしたものの復活を望むファンたちの後押しで2009年に復活!大人気を博している。

久留米ラーメン清陽軒 諏訪野町本店 - 2014.7.18撮影

大砲ラーメン 本店

大砲ラーメン 本店 - 昔ラーメン(並)500円

昭和28年(1953)大砲ラーメン【初代】香月昇さん「“呼び戻し”の名付け親」
初代の香月昇さんが、屋台清陽軒でラーメンを学び昭和28年に独立。息子の二代目店主 香月均史さんが久留米ラーメン特有の作り方である“とんこつスープの継ぎ足しスープ”を[呼び戻し]と命名した。二代目は、平成11年から開催された「ラーメン・フェスタin久留米」の中心人物として、久留米ラーメンの知名度を全国区に押し上げ、平成24年には大砲ラーメンの親子愛を描いた映画「ラーメン侍」が全国公開された。

満洲屋が一番 久留米総本店

満洲屋が一番  久留米総本店 - ラーメン

昭和28年(1953)満州屋【初代】田中平三郎「餃子屋台で創業」初代の田中平三郎さんが久留米の餃子屋台『満洲屋』を創業。二代目の田中明が久留米の文化街に店舗を構え、現店主の三代目田中實が店名を満洲屋から『満洲屋が一番』に変更。次々に別ブランドでのラーメン店を立ち上げている。

満洲屋が一番  久留米総本店 - 外観

来福軒

来福軒 - 2012.11.27

昭和29年(1954)来福軒【初代】吉野親之さん「中華もある老舗ラーメン」国鉄久留米駅前で屋台から創業した老舗ラーメン店。あっさりで優しい味わいのラーメンは昔ながらの屋台のラーメンを彷彿とさせる。昭和39年(1964)に店舗に移行。ラーメン専門店で店でありながら「中華メニュー」もある久留米では珍しいラーメン屋さん。現在は二代目の吉野亮さんは、飲食業組合「久留米ラーメン会」の会長を務めている。

来福軒

沖食堂

沖食堂 - 久しぶりの沖食堂(o^^o)

昭和30年(1955)沖食堂【初代】「食堂系ラーメンの元祖」久留米で「食堂系」ラーメンの代表的存在。昔から近隣の中学や高校の生徒さんにも大人気。住宅地の中という珍しい立地にあり、学生時代に沖食堂に通った人たちが、大人になった今もあの頃を懐かしんで訪れるという。久留米焼きめし発祥の人気店『ひろせ食堂』とは親戚筋にあたる。

ひろせ食堂

ひろせ食堂

昭和32年(1957)ひろせ食堂【初代】廣瀬堯治さん「久留米焼めしの元祖」食堂系ラーメンのひろせ食堂。久留米で大流行している「久留米焼きめし」をラーメンとセットにして売り出し、大ブレーク!久留米のラーメン屋で“焼きめしと言えばひろせ食堂”を指すくらいの有名店。二代目の廣瀬孝さんが父の遺志を継ぐ。久留米の有名店『沖食堂』とは親戚関係にあたる。

ひろせ食堂 - 満車!

丸星ラーメン

丸星ラーメン

昭和33年(1958)丸星ラーメン「国道系ラーメン」「替麺の元祖」国道3号線を走る長距離トラック運転手さんたちの口コミにより全国へと広がって行った。「国道系」久留米ラーメンでは、全国的に一番知名度が高いラーメン屋さん。当時、久留米ラーメンには無かった「替麺」を採用したのは丸星ラーメンが初!

鯉龍軒

昭和38年(1963)鯉龍軒
中華料理のメニューが60種類以上もある地元で愛される「食堂系」の久留米ラーメン。毎月3が付く日はラーメンが300円になるサービスデーがある。

鯉龍軒

竜鳳

竜鳳 - あっさり系豚骨ラーメン

昭和40年(1965)竜鳳
久留米の旧花畑駅近くで開業した「食堂系」のラーメンの老舗。「ちゃんぽん」「やきそば」「やきめし」など食堂系のメニューも人気。

竜鳳

丸幸ラーメンセンター 基山本店

丸幸ラーメンセンター 基山本店 - 丸幸ラーメン

昭和40年(1965)丸幸ラーメン【初代】原口幸春さん※前身は「幸陽軒」昭和40年に久留米の文化街にあった伝説の店幸陽軒が、支店として鳥栖基山へ『丸幸ラーメン』を出店。車社会の発展と共に、「国道系」大型ラーメンセンターとして急成長を遂げた。ここから独立したのが「濃厚系」久留米ラーメンの元祖として知られる『大龍ラーメン』である。

丸幸ラーメンセンター 基山本店 - 外観

丸好

丸好食堂

昭和43年(1968)丸好「ドライブイン型・久留米ラーメンの元祖」ドライブイン型の「食堂系」のラーメン。食堂にふさわしくラーメン以外のメニューも豊富で、焼きそば・ちゃんぽん・焼きめしも人気。

丸好食堂 - 外観

大栄ラーメン

大栄ラーメン 本店 - ラーメン(2014.10)

昭和48年(1973)大栄ラーメン【初代】大垣武敏さん「学守ラーメンの元祖」
西鉄久留米の旧大映通りに出店し大繁盛店になる久留米「源流系」ラーメン。学生割引の「学守ラーメン」は大栄ラーメンが元祖。40年継ぎ足し豚骨スープで煮込んだ「豚足」や「ホルモン」は大栄ラーメン名物。平成4年に小頭町に店舗を移し、六ッ門六角堂を経て平成24年東町に再移転。二代目の大垣敏久さんが暖簾を引き継いでいる。

久留米屋ラーメン

久留米屋ラーメン

昭和48年(1973)久留米屋「文化街〆ラーメンの一番人気」明治通りの屋台で創業。文化街の飲み帰りの〆に食べる久留米のラーメンとしては、一番有名な「源流系」ラーメン。営業は屋台時代から夜のみ。現在は店舗営業だが、屋台当時はスープの出が気に入らないと店を出さない頑固一徹さから、まぼろしの屋台とも呼ばれた。コクがあるのに脂っぽさのない「久留米ラーメン」の王道ともいえる。

久留米屋ラーメン - 外観

くるめラーメン 津福店

くるめラーメン 津福店 - 味は大龍系

昭和60年(1985)くるめラーメン「ファミレス型久留米ラーメンの元祖」大龍ラーメンから指導を受け、『くるめラーメン』の屋号で開店。当時、久留米には無かったファミレス型のラーメン店というスタイルで、家族連れや女性客も気軽に入れるラーメン店として大人気店になった。

くるめラーメン 津福店

南京千両  マリン店

南京千両  マリン店

平成9年(1997)南京千両マリン【初代】高輪タヅ子さん
とんこつラーメン発祥の店『屋台 南京千両』の創業者である宮本時男さんの長女高輪タヅ子さんと娘の恵子さんが営んでいる。南京千両系のお店の中で唯一、居酒屋メニューもある久留米には珍しいラーメン店。

南京千両  マリン店

丸福ラーメン

丸福ラーメン - ラーメン

平成10年(1998)創業。かつて久留米にあった有名店「丸福ラーメン」で修行された夫妻が経営。大刀洗の地元で評判のラーメン店だ。「筑後丸福」「本田商店」は兄弟弟子になる。

丸福ラーメン - 外観

龍の家 上津店

ラーメン龍の家 上津店 - とんこつ 純味

平成11年(1999)龍の家【店主】梶原龍太さん「史上初!ネオ久留米ラーメン」全国的に有名なラーメン店『博多一風堂』で修業した店主が営む店で、現在福岡県内外に9店舗を展開。“博多生まれの久留米育ちのラーメン”という史上初の「ネオ久留米ラーメン」を確立。抜群の店舗センスと接客で若年層を中心に大ブレーク!別ブランドで展開中の「らーめん息吹」の四店舗を含めると13店舗になり、久留米発のラーメンチェーンとして最大となる。

ラーメン龍の家 上津店 - 深夜2:00まで営業

味壱家

モヒカンらーめん - 2012.11.10

平成12年(2000)モヒカンらーめん【店主】於保貴久さん [薬味系]ラーメンの有名店で店長を務めたあと、独立して『味壱屋』を創業。数年間の苦労時代を経て、自らの頭を広告塔で[モヒカン]に刈り上げ心機一転!店名も改め『モヒカンらーめん』とした。一味唐辛子の薬味「モヒカンレッド」のラーメンが評判となり、苦節10年目で大ブレーク!!笑い溢れる店内と明るく丁寧な接客も手伝い久留米の大繁盛店となる。

梁山泊

梁山泊 - 【2013.05.15】復活!梁山泊

平成15年(2003)梁山泊 【店主】池末栄一さん 大龍ラーメンで修業後の平成12年八女黒木で「ラーメン龍月」として創業。3年後の平成15年に念願の久留米の花畑に梁山泊を開業し、濃厚系ラーメンと焼きめしのセットで一気にブレーク。

梁山泊 - 店舗

麺屋 中る

麺屋 中る - 「らーめん」(530円)+「肉増し」(200円)。大きいチャーシューだけじゃなく煮卵まで入っていて豪華。

平成18年(2006)麺屋 中る【店主】久間高弘さん 化学調味料に頼らない自然派のとんこつラーメンを目指している店。久留米には珍しい醤油ラーメンもあり女性客に人気。

麺屋 中る

本田商店

本田商店 久留米本店 - 拉麺 久留米 本田商店のラーメン

平成22年(2010年)拉麺 久留米 本田商店【店主】本田眞一さん
筑後市の「筑後丸福」のセカンドブランドとして平成22年(2010)久留米市南町にオープン!瞬く間に久留米の有名店に仲間入りした。ラーメンは長年継ぎ足し続けるスープに国産のとんこつを使ったスープをさらに継ぎ足す「呼び戻し製法」。豚骨のうまみが溶け出したスープは濃厚でコクが深く美味しい。2号店となる「本田商店 キャナルシティ博多店」は、海外からの観光客も多く訪れて大評判となっている。

本田商店 久留米本店

ヒカリヤ

平成23年(2011)創業。毎日取りきりのスープで作る臭みのないとんこつスープに細麺。一味系の薬味が入るラーメン。夜は居酒屋メニューもありご近所さんで賑わっている。

来雷軒

来雷軒 - 2013.04.23

平成24年(2012)来雷軒 あっさりなのにコクがあるスタンダードな昔風久留米ラーメンを踏まえつつも、現代風な雰囲気を感じさせる。辛子高菜も人気だ。

花畑丸福ラーメン

花畑丸福 - ラーメン

平成24年(2012)花畑丸福
かつてラーメン激戦区だった花畑で、大龍ラーメンのライバルとしてしのぎを削った丸福ラーメン。国分町に移転後に惜しまれつつも閉店したが、暖簾を引き継いだ現店主の石橋頼朝さんが2012年12月に篠山町で『花畑丸福』としてオープン!あっさりした豚骨ラーメンには丸福特有のニンニクチップが入る。ラーメンのスープで作る豚骨ちゃんぽんや丸福名物の「餃子」「焼きめし」の他「骨付きカルビ」も好評だ。平成28年(2016)2月、久留米市六ツ門町に移転し、夜はお酒も飲めるラーメン居酒屋としても大人気となっている。

花畑丸福

久留米ラーメンまんてん

久留米ラーメンまんてん

平成25年(2013)創業。久留米焼きめしの元祖「ひろせ食堂」の弟子として注目のこの店。ならば、おすすめメニューも当然のごとく「焼きめしセット」だ。

久留米ラーメンまんてん - 池町川沿い。東町公園横

久留米ラーメン清陽軒 ライフガーデン鳥栖店

久留米ラーメン清陽軒 ライフガーデン鳥栖店 - 昭和二十七年創業以来の伝統の味に忠実な『屋台仕込みラーメン』。背脂を揚げたクルトンのようなものが入ってます。

とんこつラーメン発祥の久留米で超有名店の清陽軒。昭和27年に屋台から創業し戦後から現存する店の中では3番目に歴史のあるラーメン店だ。一度は暖簾を下すも熱烈なファン達の要望を受け2009年に復活!!今では久留米を代表するラーメン店となった。その清陽軒の4号店が、2016年2月佐賀県にある商業施設ライフガーデン鳥栖に初出店を果たした。

久留米ラーメン清陽軒 ライフガーデン鳥栖店

※本記事は、2024/11/13に更新されています。内容、金額、メニュー等が現在と異なる場合がありますので、訪問の際は必ず事前に電話等でご確認ください。

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