『「顕微鏡」「写真」「電球」の発明と美術への影響(覚書)』コロコロさんの日記

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日記詳細

近代化の波によって発明された「写真」「電球」は、
絵画や工芸作品にも影響を与えました。
また顕微鏡による観察が、植物の表現を博物学的にもしています。
時代の前後関係の覚書メモ



■顕微鏡・・・・植物学の発達と画家、工芸家に影響
◆顕微鏡の歴史
1660年代 イタリア、オランダ、イギリスでは
 以前   顕微鏡は単なる珍しい器具でしかなかった。
      イタリアの マルチェロ・マルピーギ は顕微鏡を使い、
      肺を手始めとして生物学的構造の分析を開始した。
1665年  ロバート・フックが発刊 Micrographia(顕微鏡図譜)は、
     その印象的なイラストレーションで大きな衝撃を与えた。
     
1674年 アントニ・ファン・レーウェンフックは微生物発見。
     顕微鏡による生物研究に多大な進歩
1677年 精子を発見。
     生涯を顕微鏡の改良に費やし、約300倍の倍率の顕微鏡を作る。
     ただし、これは単レンズのものであり、
     顕微鏡そのものの改良につながってはいない。


1765頃(明和 2) 日本に顕微鏡伝来

◆シーボルト日本滞在と其一
1823年 シーボルト 長崎に(27歳)・・・・・数台の顕微鏡持参
 ↓
 ↓  1823年  其一《蓮に蛙》(28歳)|
 ↓  1828年    《文を読む遊女図》(33歳)
 ↓  1829年  酒井家の一代絵師に願いでる(34歳)
 ↓
1830年 幕府から追放(33歳)

   1831年 《稲荷山図》制作(36歳)
   1833年 《癸巳西遊日記》(38歳)・・・西側のスケッチ旅行
   1854年 其一《四季花鳥図屏風》制作(59歳) 
   1858年 其一没(63歳)

1859年(安政6年)『種の起源』の出版は、 ダーウィン50歳

1859年 シーボルト再来日・・・・其一没の翌年再来日
1862年 帰国


◆日本と世界の顕微鏡と発見
1823 文政 5 日本 シーボルト訪日(6 年間)数台の顕微鏡持参 二宮敬作受領
1865 (慶応 1) オーストリア メンデル 遺伝の法則発表
1882 (明治15) ドイツ コッホ(Koch) 結核菌の発見
1883 (明治16) ドイツ コッホ(Koch) コレラ菌の発見
1887 (明治20) 日本への顕微鏡の輸入盛んになる(細菌学発達に伴い)
1894 (明治27) 日本 北里柴三郎 ペスト菌の発見
1897 (明治30) 日本 志賀潔 赤痢菌の発見
1919 (大正 8) 日本 野口英世 黄熱病原体発見


◆エミールガレと顕微鏡
1901年  エミールガレ ランなどの研究 顕微鏡を使用
      近代の自然科学の普及に応じた装飾品を創作しようとする製作者には
      生理学的な基礎知識が必要。
       



■カメラの歴史
●1826年(文政9年) フランスのニエプスが8時間もかけて1枚の写真を撮影 
           これが写真の始まりだが、実際の使用に絶えられない。
●1839年(天保10年) 公の写真技術の発明の年。
            フランスのダゲール ダゲレオタイプ(銀板写真)発売。

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【日本の写真の歴史】
●1848年(嘉永元年)カメラが日本に伝わる。( カメラが発表されて約10年後)
〇1853年(嘉永6年) ペリー浦賀来航
●1857年(安政年) 鹿児島のお殿様・島津斉彬公の銀板写真が日本に現存する最古。
●1866年(慶応2年)有名な坂本竜馬像は、(日本に入って18年後)
〇1868年 (明治元年)明治維新
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●1851年(嘉永3年) 「湿板」発明
ガラスをネガにを使用。
ガラス板の上に「コロジオン」という液体と銀化合物塗ぬり感光材料にする方法が発明されました。
湿板写真は暗室でガラス板に感光材料を塗り、乾かないうちに撮影します。
そして乾かないうちに現像を終わらせるのです。

野外撮影するときには暗室も持って行かなくてはなりません。
しかしながら光を当てる時間が数秒から1~2分と非常短くなったため、広く普及しました。


そのため当時のカメラは非常に重く、持ち運べないので固定式でした。
蛇腹のような箱で布をかぶるみたいな・・・

ネガとしてのガラスは、写真と同じ大きさのサイズが必要でした。
(ガラスは貴重でコストもかかります。再利用もされました。)
ということは、大きな写真を撮りたい時は、カメラもそのサイズが必要です。
準備、機材、撮影時間、モデルの待ち、現像設備などを考えると、
今のカメラの手軽さに慣れてしまっている私たちには、
想像ができないような手間がかかっているのでした。

キャメロンは小柄だったそうですが、がっしりとした体格だと言われています。
大がかりな機材を持って、撮影をしていたら、なるべくしてなったのだろうと


●1868年 明治維新 


日本のカラー写真の普及は、
 1965年(昭和40年)10%前後、
 1970年(昭和45年)40%を超え、
 1970年代の半ば(昭和50年)80%


◆印象派へのカメラの影響
モネ 
1826年・・・・・・・・・・カメラの発明
1840年    モネ誕生
1851年(11)・・・・・・カメラ実用化
1872年(32)印象日の出
1877年(37)サン・ラザール駅
1879年(39)・・・・・・電球発明
1888年(48)積みわら
1926年(86) 没年



■電球
1879年(明治12年)エジソン電球の発明  
     (明治は44年)

1918年(大正7年) 大観 「竹」     
          大観の住まい茨城 五浦(かな?)


1912年     電気事情 東京市内ではほぼ全域で電灯の使用が可能
大正時代、     農村部でも電気は普及していたらしい


◆エミールガレと電球 (1846– 1904) ガラスにあたる光の変化
1878年  第3回パリ万博 ガラスと陶器作品認められる  
1879年 ーーーーーーエジソン 電球発明ーーーーーーー
1879年(33) エミールガレ 伝統的な歴史継承期  初期
1885年(39) 陰の世界 もの言うガラス 悲しみのガラス

アールヌーボー アールデコの両方の時代を生きる


◆ラリックと電球(1860年 - 1945年)

1879年 ーーーーーーエジソン 電球発明ーーーーーーー
1879年(19)
1900年 (21) パリ万国博覧会では宝飾作品が大きな注目
1905年(26)ラリックのジュエリーは人気凋落
1925年 パリにおける現代装飾美術・産業美術展でラリックのために
    1つのパビリオンが与えられた。
    時流に沿って幾何学的構成の文様や器形を採用するようになり、
    アール・デコ様式の流行の一翼
1932年 旧皇族朝香宮邸 ガラスの扉やシャンデリアなどの製作を受注

アールヌーボー アールデコの両方の時代を生きる


◆ダイヤモンドのカットと電灯の発明
19世紀の末に電灯が発明されたことにより、
これまでのろうそくの灯とは違う性質の光を、
より取り込んだり反射させたりするために、
ダイヤのカットの開発がまた始まったというのは興味深い。

【関連】
生没年表:アールヌーボー・アールデコ 関連
  「アールヌーボ」と「アールデコ」
   電球の発明の時代関連

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