『生没年表:幕末「鈴木其一」「小田野直武」』コロコロさんの日記

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先日、サントリー美術館の「小田野直武と秋田蘭画」を見てきました。

幕末に西洋絵画が輸入され、明治維新に向かう時期、
前回の其一と同じぐらいの時代の人かな?
と思っていたのですが、それよりも、前の人のようです。
1750年代生まれ・・・・ 其一は1796年
ほぼ50年ぐらい前の時代になるのですが、その周辺の人物との
関連性が今一つよくわかりません。

「解体新書」の挿絵をいて、プルシアンブルーの絵具も使って描いていたとのこと。
となると、若冲や北斎なども、プルシアンブルーを利用して描いていました。
どのあたりで、重なっているのでしょう。
長崎の出島から入手していたと言います。
みんなで取り合いしていたとか?(笑)

希少と言われたプルシアンブルーですが、以外にもいろいろな絵師が、
使っているようです。
プルシアンブルーの輸入状況とそのあたりの時代性の関係は
どうなっているのでしょう・・・・と思ったので、
さっそく、生没年表に入れてみました。


以前、鈴木其一の時代の人物関係を、破線を使って、イメージ的にとらえて
下記のようなものを、作ってみたのですが・・・・

葛飾北斎  1760-----------------------------1849
酒井抱一  1761--------------------1829
鈴木其一     1796-----------------------------1858(コレラ)
歌川広重      1797-------------------------------1858 (コレラ)
歌川国芳      1798---------------------------------- 1861

伊藤若冲 1716-----------1800
円山応挙 1733--------1795
喜多川 歌麿 1753-------------1806


北斎と抱一は、ほぼ同級生
そして、其一、広重、国吉もほぼ同級生で同じ頃に亡くなっています。

そして、影響を受けた若冲や応挙との関係が、どの程度、離れているのか、
スケールが正確でないのでイマイチよくわかりません。

そして、この時代における「プルシアンブルー」は、
絵師にとってどのような存在だったのか・・・・
プルシアンブルーは、いつ頃から長崎に入ってきたのでしょうか?

そして、解体新書シーボルトの来日といった新しい医学の流入との関係。
顕微鏡が持ち込まれるたことによる医学の発展。
さらに博物学的な植物学や薬草学が、どのように影響を受けたのか。
また絵画においても、顕微鏡は何か影響を与えているのか・・・・

若冲の目は、顕微鏡のような観察眼ではあったけども、
顕微鏡はなかったのね。

そんな一覧ができたら・・・・と。


プルシアンブルーについては、下記を参考にしました。
■プルシアンブルーの輸入
青へのあこがれ
1704年にベルリンで初めて合成された合成顔料「プルシアンブルー」
鎖国中の日本にも輸入され、浮世絵など日本の絵画作品に大きな影響

1747年、初めて輸入の記録あり
1830年、中国より大量輸入 価格安価に

第28代武雄領主鍋島茂義は、皆春齋と号し、絵画にも優れた才能を発揮。
茂義の長崎での物品購入記録「長崎方控」の中に、絵具や画材を購入した記録あり。
絵具の袋の情報から、入手経路が明らかであることや、量・種類とも充実。


特別展 西洋の青-プルシアンブルーをめぐって-
1704年ベルリンにおいて合成顔料のプルシアンブルーが偶然発見
西洋の画家たちは、合成の化学顔料によって青を表現する自由 を手に入れる。

江戸時代、日本に舶載(はくさい)されたプルシアンブルーは、洋風画法とともに伝えられ、
謎に包まれた新しい青として注目され、蘭画(らんが)を象徴する青色の地位を確立します。
北斎など浮世絵版画や、当時実際に使われていた絵具や道具類、輸入の実態を知る貿易関係の資料も出品。


■解体新書の人物相関
解体新書に絡む人物もいろいろ登場します。
そのあたりも加えていくと、また何かが見えてきそうです。

 〇「うさぎや」のどら焼き「解体新書」

■シーボルトの人物相関
先日のシ―ボルト展で、人物相関図も入手しました。
機会があればくわえて行くと面白い相関図が見えてきそうです。

■博物学相関
サントリーの小田野展でも、博物学的な相関図が示されていたので、
これらもうまくからめることができると、当時の壮大な人間関係が見えてきそうな気がします。

■江戸の想像力
興味のあるところを部分的に読んでいるのですが、本草学の発展。
平賀源内がいかに現場主義的な本草学を普及させたか・・・
そのあたりが、興味深い。

そして、初めて訪れた庭園美術館の企画が「庭園植物記」( 2005年9月3日-11月6日)
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本展は、あらためて日本における植物表現に焦点を絞り、
自然観察と写生態度に基づき、描き出された幕末期の植物画から、
植物をとらえた現代の写真作品までを展示。
そこには芸術性を追求した作品だけではなく
植物の真の姿(本質)に迫ろうとした植物学研究のために制作されたものも。
また、展覧会会期にあわせ、美術館の庭園では珍しい「変化朝顔」を栽培。
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「本草学」「変化朝顔」と今につながていました。



■遠近法の歴史
日本に遠近法がどうやって入ってきたのか。
浮世絵の解説で、藤間紫先生に「眼鏡絵」というヒントをいただき、
今回、それに関するコメントが随所にありました。

遠近法がいかに普及し、広がっていったか。
小田野直武は、蘭画の遠近法の走りだった!
北斎は、遠近法にコンパスを使ったというけれど、
それらの道具はいつ頃発明されいつ頃、日本に入ってきたのか。

そんな多角的な表もできそう・・・・
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