『①「オリジナリティー」「自分の視点」について』コロコロさんの日記

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コロコロ

日記詳細

琳派は私淑によって継続されてきました。
ところで、最近、話題にもなった、コピー、模倣と、芸術、デザインとの関係。

折に付けて、「オリジナリティー」とは何か ということについて、
日記でも触れてきたので、その変遷を下記にまとめました。

琳派400年、言い換えたら、コピーの根源(?)とも言えます。
オリジナル、コピー、模倣、剽窃、盗作・・・・
芸術や学術の世界で、話題になった年でした。

オリジナリティーとは何か・・・・
「自分自身の視点」にこだわることを、オリジナリティーとして、こだわってきたようです。

これまで「オリジナリティー」「自分の視点、ものの見方」について
書いてきたものを一度、集めて考えてみます。

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■■アートの中に滞在する宿 より■■

建築家が設計し、アート作品が飾られる旅館「海峯楼」その隣には、ブルーノタウトが設計した家があります。建物は、タウトに影響された部分があるのではないか?それは、模倣なのか、オマジューなのか・・自分の目で確かめてみようと思って書いたことを引き上げ。

■オリジナルのお料理 オリジナルの建築 (2010.10 宿泊)
この建築は、タウトへの反発? オマージュ? 共栄? 抽出? コンセプトのヒントは? オリジナル?まずは先入観なく自分で感じてみようが目的。お食事の時、料理長オリジナルという言葉も聞いて、そこでもいろいろ考えさせられました。

一緒に行った友人も、「オリジナルにこだわって、自分だけの視点って思ったこともあったけど、最近はそう思わなくなってきた」という会話を交わし、私も「これまでオリジナル性を求めたことあったけど、オリジナルなんて、実はないってあるときから悟った」そんな会話をしながら、宿泊を終えました。

ヒントはすべて自然の中にある・・・・  

自分の考えることなんて、他の誰かも考えている。自分で考えたつもりでも、いつかどこかで見た何かが、ヒントになっている。


■オリジナリティー(2015.11)
前回の宿泊では、オリジナリティーということについてちょっと考えさせられていました。結局、オリジナルなんてないって思っていたのですが、「プロフェッショナル仕事の流儀」で、とことん「オリジナル」にこだわり続けるデザイナー、石岡瑛子氏が紹介されていました。革新的で時代を超えるデザインを追い求め、高い理想を掲げて歩き続け、周囲を圧倒するストイックさ。

そして、「すべてのデザインには意味がある」と言う言葉も印象的で、何かを表現しようとした時に、意味のないことはないのだと言われているわけで、「夕食の滴もきっと何か意図があったはず」と思い出し、またまた気になりだしてしまいました(笑) 「オリジナル」というのは、高みにいる人にはやっぱり存在しているのかもしれないと思わされた一方で、北野武が言っていた、「オリジナルなんてもんはない」っていう言葉の持つ意味も共感できたり・・・・

「これまで、見たこともないような生命体を描け」といって人に描かせると、頭があって足がって…と、既存の形というものから抜け切れない。そういったものを一切、排除した個体を描くと、液体のようになる。でもそれはアメーバーという似たような形が存在しているわけで・・・・

ということで、「どんなにオリジナルと言っても、自分がこれまで見てきた以上のもの超えて考えることはできない」と言ってました。これにも納得させられます。北野武のオリジナルの概念からすると、石岡さんのオリジナルだって、いつかどこかで見たことのある形態を脱してはいないわけで、真のオリジナルではないのかもしれません。

何を持ってオリジナルと認めるか、感じられるかってことなのでしょうか? 

今回、炭焼きに石を加えたのは、オリジナルだと思うし、するめいかをミンチにして、また成形して揚げるっていうのも、オリジナルだと思います。でも、するめいかのトッピングは、イカのハンバーグの調理法をアレンジしたものととらえると、「イカをミンチにして固めて焼く」という調理法のイカの部分を、さきいかに変えて揚げた調理法ともいえるわけで・・・・・ テレビ番組で語られた「オリジナル」という概念からいろいろ考えてしまいました。


■音楽の評価 フジコヘミング  辻井信行
借りていただいたのは、「フジコヘミング」と「辻井信行」さんのCD。初めてふふに泊まった時にも聴いたCDです。わざわざ借りてまで聴きはしないけど、話題性もあるから、気になるというミーハー心をくすぐります。

そこで初めて聴いたフジコヘミングは、よくわかりませんでした。話題になっているけど、なぜあんなに騒がれているのだろう でもそれは私が音楽を理解できないためなのだと思っていました。

ところが、実はフジコヘミングは演奏がヘタで、メディアが作り上げたピアニストらしい。クラッシック界では相手にされておらず、話題にすることすら避けられている・・・・ということを耳にしたのです。確かにポッと出の印象が強く、なぜ、急に注目されたのか不思議に思っていました。実力があれば、注目されてきたはずなのに、その噂を耳にしたことがありません。辻井さんは、子供の頃から、テレビなどに出演されています。

そんなわけで、その噂を確かめるべく、もう一度、フジコヘミングを聴いてみました。感想は、やはりよくわかりません。そして、噂を聞いてから、ラカンパネラを何人かの演奏家で聴いていました。そのこともあって、フジコヘミングのラ・カンパネラは、クラッシックとは別ものという印象でした。

辻井さんのラ・カンパネラとは明らかに違うことははっきりわかりました。他の演奏家のラ・カンパネラとも違うということも、私にもわかりました。


■他人の評価と自分の評価
辻井さんの演奏も初めて聞いた時、よくわからなかったのです。盲目が注目されているけれど、それを差し引いた時、本当にすばらしい演奏なのか、それを判断する耳が私にはないからです。今回、聴いてみてやはりよくわかりませんでした。でも音の細かさ、鐘が反響して響き渡っていくというイメージは伝わってきた気がします。(これはフジコヘミングと一緒に聞いたせいかもしれませんが)

ここで思ったのは、音楽もお料理や建物、旅館などの評価も、同じような側面があるなぁということです。すばらしい音楽、感動的な音楽という先入観を持って聴いてしまうといいと思わされてしまうことが多いのではないでしょうか? 既存の一定の評価をされたものは、そのバイアスがかかって見てしまいうような気がします。

フジコヘミングは、直感的に登場のしかたに不自然さを感じ疑問を持っていたため、初めから「?」の先入観で聴いていたかもしれません。辻井信行さんも、盲目ということを差し引いた実力面で、専門家はどう評価しているのだろう。そんなふうに見ていたので、よくわかりませんでした。

しかし、その後、専門家も絶賛している声を聞いていたことが影響したのかどうかはわかりませんが、今回は、きれいな音に聞こえた気がしました。

お料理、建築物、音楽、絵画・・・・  

これらを見てまず自分はどう感じるか。その上で他者がどのように評価しているか。そんなことを見聞きしながら、また自分の判断を見直してみる。他人の評価にまどわされない自分の見方。そんなことが大切だと感じました。


■旧日向別邸の見学
前日は、保存会主催の「色彩から読み解くタウトの魅力」と題した講演会に参加し別邸見学。2日目は、別の友人と再訪。講演会は、その前が徹夜続きだったので、ほとんど寝てしまい、内容をしっかり聴くことができませんでした。

そんな中、一番、印象に残ったのは、講演者の斉藤理先生の「なぜ、タウトを学ぶのか」というお話。「自分なりに、ものを見る眼を養う」ため。醜美を見極める「眼」こそ、新しい創造を生むということ。

タウトから何かを感じ、何かが呼び覚まされる。そこには、見る人の価値観や感性そのものが映し出されて、さらに新たなものが創造されていく。そこにとても共感する一方で、「醜美を見極める」という基準はどこにあるのだろうと考えさせられました。

タウトの住宅建築に使われた室内の色彩。赤、青、黄の壁や床。果たしてこれが美しいと言えるのか「自分の眼」で見極めると、決して美しいとは思えないのです。斉藤先生は、これを「美しい」ものとしてお話を進めていらっしゃいましたが、その価値観は絶対的なものなのか? という疑問を持ちました。これを美しいと思える日本人はどれくらいだろうと思ったのです。

しかし、美しいと思えなくても、なぜタウトがこの色を選んだのか。を考えれば、必ず意味や意図が存在すると思います。その意図を知った時、この色彩をどう受け止めるかまた変化するのだと思うのです。(残念なことに、そこのところを寝てしまって聞き逃してしまいました・・・・) 

あの部屋に暮らしたいと思うかを聞いたら・・・今回同行した一人は、「ちょっと…」 もう一人は「ポップで元気がでそうでおもしろそう」と2分しました。タウトの住まいは「建築家が考え、主婦が操る」と言われましたが、主婦である私には操れる空間ではないと思いました。のちに建築家の知人は、あの国の太陽の光の中では、あの色は栄えると・・・


■ウォーターバルコニーは、食空間?
海峯楼という建物を、「自分なりに物を見て判断する」 多くの人が絶賛し溜息を漏らす隈研吾の贅を尽くした建築。しかしみんながみんな賞賛しているわけではないのです。

すばらしいと思う一方で、未だ、疑問を持っているのがウォーターバルコニーでのお食事です。ごく自然な感覚として、あのウォーターバルコニーで食べるお食事はおちつかないだろうし、あの場所は食事の空間ではないというのが、正直な感想です。

それを特別な空間として位置づけ演出し、優雅さと特別感をイメージづけられているから、ありがたく思えるのだと思うのです。そうしたシチュエーションに左右されているのではないかということなのです。

隈研吾氏は、ここを食事の空間として考えていたのか そこを、いつか何か機会があれば、直接、伺ってみたいと思っていました。間接的でしたが伺うことができました。やはり食の空間としては考えられてはいなかったようです。

この空間は溶け合った曖昧な状態の面白さを表しているというので、この場所で「食事をする」という行為も含め、溶け込ませようとした・・・・と考えてみたのですが、それはやはり、勝手な拡大解釈にすぎませんでした。

チェックイン直後、ウォーターバルコニーの見学をさせていただき、椅子に座らせていただきました。

椅子に座わり、意識的に視線を落とします。すると(略)これが隈研吾氏の意図した一体感の一つなのかなと思いました。しかし、ここに食事という行為が加わった時、その一体感は崩れてしまうでしょう。視線の位置を保てません。この空間は、食事の場ではなく、ここに静かに身を置いて感じる世界なのではないかというのが、タウトを通して学ぶんだ「自分なりに物を見た」感想でした。


■建築家の評価は?
同業者である建築家は、この建物に対してどのような評価をしているのか。も気になっていたことでした。以前、建築家というのは、自分の作品に関して強いプラドを持っており、どこからも、叩かれないような理論武装をして、世に作品を送りだすと聞きいていました。

一方、送り出された作品に対して、練りに練り上げた理論武装を、重箱の隅をつつくように崩そうとするのが建築家の世界だという話を聞いたことがあります。自分の作品に高いプライドを示す一方で、人の作品については認めないという世界のようなのです。

今回、別邸の見学をしながら、やはり同じような話を耳にしました。隈研吾氏のあの作品も、一般的には評価されているけれど建築家の間では不評なのだそうです。タウトの作品を見に来た建築家も、その目の前にある隈研吾の作品には、目もくれず、足を踏み入れようともしないとのことでした。

同じものを見ても、「どのように見るか」ということなのだと思います。そこに何が醜で、何が美であるかの判断はそれぞれの中にあるということ。

斉藤先生のおっしゃる「自分なりにものを見る」ということに、大きくうなずかされます。専門家、権威などに惑わされず、自分の価値基準でものを見ること。しかし、その判断の基準は、その人の中にあって、絶対的なものさしはないと思うのです。

タウトをなぜ学ぶのか・・・・先生の言葉をお借りすると、それは「自分なりに、ものを見る眼を養うこと」そして、私なりに言い換えると「自分なりの醜美を見分ける眼を養うこと。そこから新しい創造を生む」(個の価値観に惑わされない判断力を養うこと)


■自分なりにモノを見る  
そんなことを、考えながら、この旧日向別邸の色使いも、美しいと思わない人もいるわけで、母はモーツァルトの部屋の壁の色を見て「日本人の好みには合わない色ね・・・・」という感想を漏らしました。起雲閣で出会ったボランティアガイドさんからも「あの建物がすばらしいとは、私には思えない」という声を耳にしております。

また、モーツァルトの部屋の階段状の上の空間から見る景色の解説を改めて聞いたのですが、このお話を聞くと先入観が入り込んでくるように思われました。あの階段の上にはこれまで見たこともない世界が広がっているという期待がふくらみます。
 
イマジネーションが広がり、いつか、この上からその景色を見てみたい・・・・ という思いに駆られました。幸いなことに、それを叶えることができました。

その場所に身を置いた時「こういうことだったのか・・・・・」と感慨深いものがある反面、「あれ? これだけのこと?」と思っている自分もいたのです。

階段が消える・・・・ それが果たしてどういうことなのか。いろいろ想像をめぐらせていたのですが、「なんだ、こういうこと? それなら単純な計算でできない?」と思ってしまったのでした。しかしこれは「コロンブスの卵」で、あとからならなら何とでも言えることなのです。

この上から景色を見る機会を得たほとんどの方は、感嘆の声を上げます。ところが、今回、同行した友人は「あれ? あれ?」と感激している様子がありません。「なんだか話で聞いたのとイメージとは違う・・・・何か不安定というか・・・・ なんというか・・・・」

「自分なりにものを見る」というのはこういうことなのだと思いました。事前に与えられた情報にはとらわれずに、自分なりに感じる・・・・・ 

その日は、旧日向別邸の隠し部屋のようなところも見ることができました。4度目にして初めて見ることができた部屋で、まだこんな場所がここにはあったのか・・・・と私にとっては驚きでした。しかし友人に言わせると「ただのお掃除道具置き場見てもねぇ・・・・・」(笑) 

初めて訪れて、通常は見ることのできない隠し部屋を見ても、ただのお掃除道具置き場になってしまうということなのです。そこに至るプロセスも、受け止め方に大きな影響を与えるようです。


■海との一体化  海峯楼 & 旧日向別邸
旧日向別邸の、宙に浮いているかのような海と一体化した空間。同じように、海峯楼の空間でも、海との一体化が再現されています。旧日向別邸のひな壇の壇上に、何も言われずに上がって景色を見たとしたら、果たしてそれを感じることはできたでしょうか

一方、海峯楼は一歩、足を踏み入れ、ウォーターバルコニーや誠波のソファーに身を置けば、何の説明の必要はなく海との一体感を誰もが無条件に感じることのできる空間に仕上がっていると思います。

この両者を同じものと見るか… 似て非なるものと見るか

隈研吾氏は、ブルーノタウトの作品の隣で、どのような思いでこの建築に携わったのでしょう。建築家としてプライドの火花を散らし、見て見ぬふりでスルーしようとしたのか?それとも建物が周囲と共生し溶け込むように、タウトの建築を意識しつつもつながりをもさせようとしたのか?あるいはリスペクトして、生かそうとしたのだろうかなどいろいろ想像をしていました。


■ウォーターバルコニーと桂離宮
旧日向別邸は、タウトの桂離宮へのオマージュであり、ウォーターバルコニーもまた、桂離宮へのオマージュだと耳にしました。タウト自身は「桂離宮を模写していない」と言っているそうですが、その構造を見比べれば類似点は明確で、明らかに影響を受けていると推察されるようです。

隈研吾氏が、ウォーターバルコニーに、桂離宮へのオマージュを込めたかについては、それらしい情報にたどり着くことはできませんでした。隈研吾氏を知る方に、そのことを伺ってみたところ、きっぱりそれはありません。と否定されていらっしゃいましたが・・・・

ここで思ったのは、プライド高き建築家が、タウト自身もそうであったように、「〇〇を参考にしている」ということをやすやすとは言わないだろうということでした。

作品については、自身の言葉、書かれたものから伺い知ることができるとこれまで思っていました。それが強力な情報源だと。しかし真実は、建築家の胸の中にあって、もしかすると、書かれたもの、話した言葉は、何かオブラートに包まれたものがあるかもしれないと思うようになりました。時代の流れ、環境、周囲の状況が、それを言わせていたのかもしれなくて、真意は別のところにあるのかもしれないのです。

ブルーノタウトが書き残したと言われる日記も、果たして真実なのか・・・・とふと思ったことから、海峯楼を建てた隈研吾氏の話されたこと、書かれたものを目にすることもできる世の中ではありますが、もしかするとその裏に別の真実があるのかもしれないとも思うのでした。

モーツァルトの部屋から見る海の景色が、「宇宙」をも想像させると言います。そのキーワードがウォーターバルコニーでの食事に、何か別の価値を見いだせる、一つのキーワードのように思えました。



■■○ボストン美術館浮世絵名品展 北斎(上野の森美術館) (2015/01/04)■■

画家の技法、モチーフが何によってもたらされたのか。着想の元はどこにあったのか・・・・北斎が版画に用いた遠近法は、自ら編み出したのか、何かを参考に取り入れたのか・・・・ということが執拗に気になっていました。

そして何を見て、参考にしていのか、それによってインスパイアされたのか。
逆に、他者へに影響を与えたのか。創作の直接的なきっかけとなったのか。
そんなあたりにも注目していました。


■北斎は、西洋の遠近法を知っていたのか
MOA美術館の北斎展を見たときに、
北斎の版画の構図は、独自の手法を駆使しているということを知りました。

その構図には、西洋の遠近法も取り入れられているといます。
北斎は独自の技法を駆使し、新たな構図に作り上げているとのこと。

西洋の遠近法という表現技術を、どうやって取得したのか
  試行錯誤の中で、北斎自信が、たどりついた表現法だったのか・・・
  あるいは、西洋の絵画を見たり学んだりする機会があって、取得したものなのか。

MOA美術館の展示では、そこの部分がわかりませんでしたが、
今回は、遠近法に関する展示があり、
その手法を学んだことによって身につけたという記載を見ました。

消失点などの解説もされており、北斎自身が、この構図を考えたということではなかったことはわかりました。が、具体的にどのような解説だったか記憶になく、ネット内の情報を元に下記にまとめました。

18歳の時に、勝川春章の門下となり「春朗」を名乗り役者絵を発表。

その一方、向上心、好奇心に富む北斎は、司馬江漢の洋画も学んだ。それによって、西洋画風の遠近法を駆使した「浮絵(うきえ)」のシリーズを描く。しかしながら、他派の絵を真似たとして破門。

北斎の遠近法は、自らたどり着いたものではなく、司馬江漢によって学んだものらしい。

さらに、描くことにおける探究心は、人の構造、解剖学にまでおよびました。



■MOA美術館 北斎「冨嶽三十六景」より

「神奈川沖浪裏」の解説に次のようなことが書かれていました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本シリーズの高い芸術性は、モネなどヨーロッパの印象派の画家たちにも大きな影響を与えました。音楽の分野では、フランスの作曲家ドビュッシーが「神奈川沖浪裏」に魅了され、1905年に交響詩「海」のスコアの表紙に北斎画のイメージを採用しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

北斎の作品は、海外の画家に影響を与えたことは有名でしたが、
音楽の世界にまで、その力が及んでいたとは、驚きでした。

ドビュッシーの「海」の作曲にも影響を与えていた・・・・


このことは、ウィリアムテルで有名なロッシーニが美食家で、
トリュフを捜すために豚を飼っていたと聞いた時と同ような驚きでした。
音楽家が料理界という別世界とのかかわりを持っていた。

それと同じように、北斎という版画家は、音楽界へも影響を与えていた
才能ある人物は、同じ土俵に留まっていないということなのかもしれません。

ネット内にも、「海」という作品にインスピレーションを受けたといった記載が、反乱しています。

しかし、改めて解説を読み直してみると、

ドビュッシーが「神奈川沖浪裏」に魅了され、
1905年に交響詩「海」のスコアの表紙に北斎画のイメージを採用しています。

魅了されて、スコアにイメージを採用というのは、
(魅了された=ひきつけられた )
(魅了された=ひきつけられて、作品にも影響を与えた ことを意味するか)


この表現は、影響を与えられたと言うようにも解釈されそうです。


■国立音楽大学附属図書館のレファレンス共同データベースより

La Mer(ドビュッシー-海)は、葛飾北斎の木版画「冨嶽三十六景-神奈川沖波裏」から曲想を得たか?

このような質問に対する詳細の解答が書かれていました。

結論から言えば、
Debussyの研究書(論文)でも、「曲想を得た」という記述(表現)は見つけられなかった。とのこと。

さらに、ネットの内の情報に関するコメントもありました。

●ネット情報の中には、「インスピレーションを受けた」と断言しているものもある(2013.6現在)が、
典拠は示されていなかった

  結局、情報は何でもここの部分の確認が大事だということです。
  出典、根拠の提示がなく、情報が伝聞となって一人歩きしているのが現状です。
  ブログなどは、ちょっと聞きかじったことを、事実のように書かれていることが
  多いと感じさせられます。

  今回の美術館の展示の解説も、読み間違えやすい表現だと思いました。
  こうした解説を見た人たちが、インスピレーションを得たと、
  広げて行くことは、十分考えられまし、私自身も、そのように理解していました。
  確かに、インスピレーションを得たらしいという、似たような表現をいくつか見ました。


●その中で、音楽教科書で習ったという記事があったそう。
 そこで、当館所蔵の中学校、高校の音楽教科書及びその(指導用、教師用、教授)資料を調べても
 「曲想を得た」という記述のあるものはなし

●特に、最も詳細・丁寧に書かれている『高校音楽. 1 Music view』(教育出版 2013) も、
“万国博覧会とジャポニズム(日本趣味)”(p.87)というの囲み記事の中で、
「…ドビュッシーも 『海』の初版の楽譜で、葛飾北斎の「富嶽三十六景」を表紙に使っている
 とだけ書き、曲想については明言していなかった

●しかしながら、この文章は、初版譜が直接的に北斎の版画を使用しているかのように受け取れるため、
 誤解を招きやすい記述と言えよう。

   ⇒譜面に使用されたのは、北斎画そのものではなかった。
   
   ⇒北斎の「富嶽三十六景」とよく似た絵が使われたということが、
    海の作曲のインスピレーションとなったと解釈されて、
    伝わる原因になったことが想像される。


●"「音楽は絵のごとく-ドビュッシーと美術/ドビュッシーと日本 / 新畑泰秀」『音楽と美術 : 印象派と象徴派のあいだで / 石橋財団ブリヂストン美術館,日本経済新聞社文化事業部編』 p.61 

・上記記述を紹介され考えようによっては、「着想」と言えなくもないが、この記述自体、疑問形、あるいは推測文と思われる。


【結論】
 よって、2013年現在、少なくとも音楽研究書の範囲では、
 「曲想を得た」とまでを認知する段階に至っていないと判断し、
 本件回答は、冒頭に述べた結論と、調査で知りえた確認事項に尽きるものとする。
ーーーーーーーーーーー
美術展など展示や、しかるべきところで、しかるべき人物によって
まとめられた記載も、紐解いてみると、推測文の域で、疑問も残されている場合があるということ。

美術館の展示といえども、そのまま鵜呑みにしてはいけないということが、
最近になってわかってきました。

というか、表現によって、ちょっとのニュアンスの違いが、
異なる解釈を産み、現代のネットの仕組みを通して、
さらに広がっていくという構造があることが見えたように思います。

美術館の展示は、キュレーター、学芸員の一つの解釈にすぎない

美術の世界では、常識的な話なのかもしれませんが、
一般人にとっては、美術館の展示は、絶対的なものと思っていたので、
これまでの認識を改めることになりました。



■■○カルティエの3連リング(トリニティー)の秘密」(2014/12/15)より■■

指輪のデザインの着想はどこにあったのか? そしてそれを形に作り上げたのは誰なのか。世間はデザインした人に注目するけども、私はそれを形にして作り上げる人の方に興味があります。日陰になりがちな、その技術者が気になります。


■あの3連をつけてみた
あれから、うん十年の時がたちました。あの、有名なカルティエの三連と言われるリングを、始めて指に通す機会に遭遇しました。

今さら、カルティエの3連リングをするなんて恥ずかしい。買う人なんているのかしら?が私の偽ざる受け止め方。

ところが・・・・

指にしてみると・・・・・3つの重なりあうリングが、スルスルスルと回転しながら、指元にまで降りてきて、ぴったりと納まるのです。その動きのなめらかさは、金属と金属が擦れ合う摩擦は一切感じさせず、3つの輪が同時に動く仕組みに、もう、びっくり、びっくり。カルチャーショックでした。

これまで小馬鹿にしてきた3連リングって、こんなにすごいものだったの!?

と思うと同時に、あのバブルで持ち上げられてしまったが故に、ミーハーの象徴の品みたいに見られるようになってしまった三連リングが、気の毒でなりません。

日本人のブームに乗せられて、それが過ぎ去ると、過去の産物として、見向きもされなくなる風潮。ああ、あの時の○○ね・・・・と、消費され尽くして価値を下げてしまうのは、罪作りなことだと思いました。

バブルの遺構と言っては語弊がありますが、そんな指輪が、こんな見事な構造だったというのは、無知でした。今になってカルティエの技術力の高さに見入ってしまったのでした。

だからと言ってこの指輪を欲しいとは思いませんが、素晴らしい技術を持った職人に支えられたブランドなのだと認識を新たにしたのでした。



■3連の由来 原点は?
となると、この指輪、いかにして、このようなデザインを思いつき、このような構造を作り上げることができたのか。どんな計算をすれば、このような動きが可能となるのか。カルティエの職人の技術や、そして発想力に、今更ながら、感じ入るとともに、もっと詳しく知りたくなりました。

カルティエの方から伺いました。ジャンコクトーから「この世にないものを作ってくれ」という依頼があり、そこから発想されたものだという話を伺いました。

ジャンコクトーは、詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であり、その才能は、とどまることなく、画家、映画監督、脚本家としも発揮されていました。
そんなコクトーですから、「イメージはこんな感じ・・・」とラフ図とともに、依頼していたのかしら?

あるいは、単に、「この世にないもの」というコクトーの言葉だけで、カルティエの職人、デザイナーが考え抜いて、作り上げたものなのか。その指輪の大元の形、発想がどこにあったのかがとても気になり出しました。


■「橋本コレクション 指輪 神々の時代から現代まで - 時を超える輝き」
そんなある日、国立西洋美術館で指輪展が行われていました。

古今東西の華麗な指輪「橋本コレクション 指輪」展
  - 古代のものからカルティエティファニーまで
と題され、ブルガリなども展示されていました。


そんなことなど知らず、なんとなくぶらりと訪れたのです。すると、気にかかっていたカルティエの3連リングも展示されていたのです。

そして、そこには、3連リングは土星の輪を表しており、ジャンコクトーがデザインをして、カルティエに作らせたと解説されていたのでした。


  えっ?  私がカルティエで聞いた話と違うんですけど・・・


コクトーは、漠然と「この世にないもの」というオーダーをして、カルティエが作ったと聞いたはずなのに、指輪展では、コクトーがデザインしたとなっているのです。

  カルティエの言ってることが正しいのか、
  指輪展で言ってることが正しいのか・・・・


■コクトーにデザインができるのか
コクトーがデザインしたとしても、あの構造まで考えることができるとは思いません。多岐に渡る才能を発揮したコクトーですから、こんな感じをイメージしているというラフ図を描くことはできるかもしれませんが、あの構造まで、考えることはできないはず。最終的には、カルティエの職人が仕上げているはず。

さしい引いて考えて、
3つのリングが重なりあうようなイメージスケッチを描いてこんな感じ・・・と手渡したということはあるかもしれないと思いました。
しかし、あの最終形まで、考えることができるとは、思えないというのが、私の推察でもありました。

個人的に、この「ラフ イメージを作る人」「作り上げる人」それぞれの部分を誰が担ったのかということに、強い興味があったのでした。


■ラフを作る人 作り上げる人
建築の世界の話ですが、安藤忠雄は、自分の思いついた建築のイメージを、喫茶店のナプキンのようなものに、フリーハンドで、ささとミミズが這ったような状態の絵を描きそのよくわからない状態のスケッチのようなものから、お弟子さんたちは、図面を興すと聞きました。

素人が見ると、よくわからないラフスケッチなのですが、その縮尺などは、きっちりと描かれているのだそうです。そして、設計図が出来上がります。

あるいは、ファッションデザイナーが描くデザイン画も、なんだかよくわからないものが、どうしてあのデザインのお洋服になるのかと思うことがあります。車のデザイン画も、あくまで車のデザイン画で、それを形にして動くものにするのは、技術者たちです。全体像の概要を思いつく人がいて、その人が、チャチャチャと描いたラフ図から、描いいた人の意向をしっかり汲み取って形にしてしまう人がいる。

そして、世の中に新しいものが生み出されています。どちらかというと、世間一般的には、原画を描いた人が注目を浴びる傾向があるのですが、私は、それを形にしていく技術者の方に興味があります。

そんなこともあって、コクトーが依頼したということが、注目されて、まるで、コクトーが作ったみたいなことも言われたりしていますが、コクトーは、設計図を描いた人にすぎないのか、はたまた、設計図も描いておらず、「この世にないもの」という言葉だけの設計図を渡しただけなのか。

そのあたりを、分けてとらえたかったのでした。


「この世にないもの」というオーダーは、結局のところ、誰にも言える言葉です。ところが、この言葉を、コクトーが言うからこそ、カルティエは、何かをインスパイアーされて、あの形を作り出すことができたと思うのです。

しかしながら、なんにもないところから、「この世にないもの」という言葉だけで、どうして、「三位一体」にたどり着き、あの形になったのか。そこのところを知りたかったのでした。

3つの輪というヒントぐらい、コクトーから差し出されていたのか・・・・

それをカルティエ、実現可能ながデザインとして昇華させ、さらに技術的なところ、構造は職人の経験や勘によって、作られていったのか・・・・

最終的には、指輪というものに、あのような機能を加えたということの技術に対する、リスペクトみたいな気持ちから、それを形にしたのは、誰?
を知りたかったのでした。

以下、その真相をあちこちから探っています。 

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