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新潟 ケンシン
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店名 |
掲載保留
鳥料理 玉ひで(たまひで)
|
---|---|
ジャンル | 鳥料理、親子丼、鍋 |
住所 | |
交通手段 |
地下鉄日比谷線人形町駅 徒歩1分 人形町駅から132m |
営業時間 |
|
予算 |
¥10,000~¥14,999 ¥1,000~¥1,999 |
予算(口コミ集計) |
¥3,000~¥3,999
¥3,000~¥3,999
|
支払い方法 |
カード可 (JCB、AMEX、VISA、Master、Diners) 電子マネー不可 |
サービス料・ チャージ |
サービス料10%:[夜の部]、[昼の部]2階席 |
席数 |
100席 |
---|---|
個室 |
有 (2人可、30人以上可) |
貸切 |
不可 |
禁煙・喫煙 |
全席禁煙 喫煙ルーム有 |
駐車場 |
無 |
空間・設備 | 落ち着いた空間、座敷あり |
ドリンク | 日本酒あり、焼酎あり、ワインあり |
---|
利用シーン |
こんな時によく使われます。 |
---|---|
ロケーション | 一軒家レストラン |
お子様連れ |
子供可 小学生以下の際は個室へ誘導。 |
ドレスコード | なし |
ホームページ | |
オープン日 |
1760年 |
備考 |
カード払いはコース料理限定。 |
お店のPR |
秘伝の味を受け継ぎ250余年。たゆまない工夫と研鑽とで守り育てる江戸の味・東京の味
~ 創業1760年 お陰様で250余年 ~ 宝暦10年(1760年)御鷹匠(おたかじょう)として幕府に仕えていた 山田鐵右衞門(てつえもん)と妻のたまが興した軍鶏料理専門店が玉ひでのはじまり 【軍鶏鍋】 日本の「すきやき」の原型である軍鶏鍋(しゃもなべ)は 7代目が東京都と共同で開発した「東京軍鶏」を使用 契約農場直送の新鮮な東京軍鶏を、御鷹匠仕事の包丁さばきで 江戸前の風味を生かした割下で炊き上げます 伝統の味の軍鶏鍋をどうぞお愉しみ下さいませ 【親子丼】 また軍鶏鍋の残りの割下に卵をとじる召し上がり方にヒントを得て 明治24年頃五代目妻女が創案したのが親子丼です 以来親子丼発祥の店としてもその名を頂きご愛顧を賜っております |
初投稿者 |
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東京メトロ一日乗車券の旅
この日の昼食は人形町で。
2015年12月10日訪問
向かったのは玉ひでである。
ここも入ろうと思い始めてからこの日まで、四半世紀くらい経ってしまった(驚)のではなかろうか?
こちらの歴史は、ものすごい。
創業は1760(宝暦10)年なので、創業からの年数は255年を超えている!
御鷹匠仕事で家業を興した創業者・山田鐵右衛門が、人形町にて軍鶏専門店を開業したのが、現在の同店の源となった。
当時の屋号は「玉鐵」で、その後、3代目が「御鷹匠仕事」を返上し、4代目とともに軍鶏なべ専門店として歩み始めたという。
現在の店名・「玉ひで」は、5代目の秀吉に由来する。
彼が「玉鐵の秀さん」と呼ばれた事から、屋号を「玉ひで」へと変更し、現在に至っているとの事。
調べてみたら、創業年である宝暦10年というのは、9代将軍・家重が、10代将軍・家治に交替した年だった。
→この年の5月13日に、将軍が交替している。
こちらは軍鶏料理で有名な店だが、昼のメニューである親子丼が名物でもある。
本格的な料理だと敷居が高いが、ランチの親子丼なら手軽に楽しめると知り、ずっと気になっていたのである。
ランチは11:30~だが、11:45ころに店の前に到着すると、外に10人以上の行列が出来ていた。
平日だったけど、まあこんなもので済めば、御の字なんだろうね。
道をはさんで向かい側には、新福菜館 人形町店が見えた。
→実は翌日(12/11)は、京都の「新福菜館 本店」の隣りの店に行く予定だった(実際に訪問)ので、偶然ながら、何となく奇遇に思えた。
順番が来た。
くつをあずけ、番号札をもらって中へ…
するとレジがあり、そこで注文・会計を済ませるシステムだ。
親子丼・1500円の食券を購入。
人気店なので相席が基本だが、私は誰も着いていない4人かけテーブル席(10番席)に、最初に案内された。
テーブルは、いわゆる「ほりごたつ式」で、足をのばせるタイプの席だった。
客の人数によって案内する席を決めているようで、私のすぐ後に並んでいた老夫婦は、2人かけの席に案内されていた。
私の着いた席には、すぐにひとりの女性客が案内され、相席となる。
まずはコラーゲンスープとほうじ茶が出された。
ほどなく親子丼が運ばれたが、予想より浅目の丼で出されたのが印象的だった。
軍鶏肉なので、予想通り、食べ慣れている鶏肉よりはややかためだったが、歯応えが心地良いくらいだったので、食べずらい事は全くなかった。
気のきいたレビューは書けないが、食べ終わった時には、やはり感動した。
正直、費用対効果を考慮すれば、他のどの店よりもおいしかったという訳ではない。
しかし…
やはり何といっても、「親子丼発祥の店で食べているという事実」が、この上なく貴重な体験なのである。
こちらの親子丼の歴史は、店の創業からはかなり遅れるが、それでも明治20年ころにさかのぼるという。
最初は親子煮で、〆に玉子でとじた軍鶏肉を、ごはんのおかずにして提供したものらしい。
それを食べやすくするために、ごはんにのせて「親子丼」にして提供したのが、1891(明治24)年の事だったとか。
発案したのは秀吉の妻・おね(←冗談です)…ではなく(笑)、5代目秀吉の妻・とく(←この方が正解)だったとの由。
おいしかった、そして、とても貴重な体験となった。
ごちそうさま。
【蛎殻銀座について】
本来「銀座」の名称は、近世に銀貨の鋳造および銀地金の売買をになった銀座役所にちなむ。
江戸の銀座は、1611(慶長17)年、現在の銀座2丁目の場所におかれた。
しかし…
銀座制度の大改正のため、1800(寛政12)年に一旦銀座は廃止される。
これは松平定信主導の寛政改革の一環で、約半年後、この人形町の場所に、銀座を再発足させた。
当時この付近の地名が蛎殻町だったため、この銀座は人々から蛎殻銀座と呼ばれ、新政府の造幣局が設置されるまで(~1869年)存続した。
以前の銀座に比べ、蠣殻銀座は、幕府直営の度合いを強めたものであったという。
ちなみに…
江戸京橋銀座は、後に商業地として目覚しく発展し、新両替町と呼ばれたかの地は、銀座の名で親しまれるようになった。
その後 、銀座は繁華街の代名詞的存在となり、全国の繁華街に銀座と銘打たれる地名と商店街が出現するに至った。
→銀座と名のつく町が全国各地に数多あるのは、そのためである。
※参考:蛎殻銀座跡 銀座制度の大改革 | 大江戸探訪 日本橋をめぐる