最近読んでいる本に「昭和30年代の路地裏」を書いたものがあって、著者はその頃幼少期で、江東区らしいが下町の生活を思い出と共に懐かしく書き出している。そう、あの「三丁目の夕日」の世界である。
少し時代は違うが、私もその頃はまだ下町と言っていいような港区の麻布霞町で生まれ育った。
その本にある如く隣近所の付き合いは色濃く、呼ばれもしないのに平気で他人の家に上がりこんだり、しなくてもよい喧嘩をわざとの如く繰り返し、翌日は何もなかったかのように友達に戻る。
「ぶたれる」と言う言葉があるが、今では死語になったかのように使われることはない。要するに人に頭を「叩かれる」ことを言うのだが、久しぶりにその言葉を聞いた。
よく子供たちでは相手を「ぶつ」ことがよくあった。今もしそんなこと普通にやっていたら、親同士がそれこそ本気で相手をののしり、場合によっては裁判沙汰になるかもしれない。
けれど、誰もが貧しい中にも元気で、行き来していたように思う。
親たちも勢いがあった。年に2・3回しかない「店屋物」をとるくらいが贅沢で、それも食べた後きれいに洗い流して回収を待つ。それが自然でどの家も当たり前のように暮らしていた。
いつの頃からなのだろう。
飽食が始まり、子供たちは親の見栄を満たすかのように学習塾に通いだし、街にはどう見ても不必要としか思えない贅沢な食事を提供する店がはびこりだし、それこそ数万円が当たり前のように請求する店が人の口に上り繁盛する。
それと共に人の付き合いが希薄になり、空々しい生活ばかりの世の中になった。
けれど、それでも築地や月島、江東区あたりには昔ながらの生活を維持している街並みもある。そんな街の片隅でそれこそ数十年も同じ営業を繰り返す古びれた居酒屋、そういった店が好きなのだからしょうがない。
客単価を先に決めて、立地やメニューを決める店が多いと聞く。それはおかしいんじゃない?そんな店に足を運ぶグルメなんている方がほとんどの場合間違っていると断言したい。
寿司屋では評判の店は一回\15,000が相場らしくレビューもその値段を示している。またこれまた流行りのダイニングバーも\10,000以下での利用は難しい。昔はどんなに贅沢でも店屋物で千円以上使うことは稀であった。多分今だったらやはり\3,000程度の相場であろう。
私が値段設定が高い店を嫌うのは、そんな過去の刷り込みがあるからかもしれない。
でもそんなに間違ってはいないのじゃぁない?