各々方、討ち入りでござる!東京都内にある『忠臣蔵』にゆかりのあるお店

各々方、討ち入りでござる!東京都内にある『忠臣蔵』にゆかりのあるお店

日本の冬の風物詩といえば『忠臣蔵』 江戸時代の武家の生きざまを感じられ、多くの人を魅了しています。毎年12月になると300年以上前の話でありながら、現代でも愛される忠臣蔵にゆかりのあるお店、関連商品を扱うお店のまとめです。

記事作成日:2017/12/09

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このまとめ記事は食べログレビュアーによる1109の口コミを参考にまとめました。

各々方、討ち入りでござる!

討ち入りの日は元禄15年12月14日。それもあって、忠臣蔵は年末のドラマの定番です。また、12月初旬の土日に墨田区の両国では、吉良祭と義士祭が執り行われ、両家を供養しています。それに合わせて開催される元禄市は地元の商店や町内会がお店を出す、下町情緒あふれる賑やかなイベントです。
そんな、年末の風物詩『忠臣蔵』にまつわるお店を忠臣蔵のあらすじとともに紹介いたします。

新正堂

新橋にある和菓子店です。
お店は大正時代の創業で「新橋」で、「大正時代」に創業したため、『新正堂』といいます。

『切腹最中』が名物で、テレビにもよく取り上げられ、忠臣蔵といえば、このお店というぐらいの知名度があります。

忠臣蔵あらすじ『事件の発端』

時は元禄14年、赤穂藩主である浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、江戸城松之大廊下で、吉良上野介吉央(きらこうずけのすけよしひさ)に斬りかかる。
場所柄をわきまえず、刃傷に及んだ浅野に対し、第五代将軍徳川綱吉は激怒し、浅野内匠頭は即日切腹。浅野家は改易(とり潰し)と相成りました。
斬りかかった理由は、何らかの「遺恨」とのことで、今だにこの事件の原因は謎のままです。

忠臣蔵ゆかりの切腹最中は、もはや、東京名物

切腹最中を扱う新正堂があった場所は、浅野内匠頭の切腹した陸奥岩沼藩田村右京大夫邸があった場所であることに由来します。
そのため、こちらの名物は、この『切腹最中』です。
たっぷりとあんこが入っていて、あんこの中には求肥があります。見た目のインパクトは大きいですが、味はスタンダードで真っ当な美味しさです。
新橋のビジネスマンが謝罪に使うと紹介されますが、東京江戸土産としても優れていますね。

切腹最中が大きく取り上げられることが多いですが、忠臣蔵にちなんだ商品には、こちらの『義士ようかん』もあります。
箱には四十七士が家紋と共に描かれており、裏面のQRコードを読み取れば、義士の説明を見ることができるという、優れたようかんです。
コンプリートしたくなりますね。

元禄二八そば 玉屋

両国にある蕎麦店です。
大正8年創業ということで、さすがに江戸時代には無いお店ですが、屋号に『元禄』の文字が入り、建物も古めかしくて江戸情緒がありますね。

京葉道路を挟んで向かい側は、吉良邸のあった場所です。

後世の創作では、義士たちは蕎麦屋の2階に集合し、蕎麦をすすってから打ち入りに出発したとされることがあります。
義士たちが集まったかもしれない。そんな雰囲気を持つ蕎麦店です。

忠臣蔵あらすじ『いざ、討ち入り』

当初は浅野内匠頭の弟による御家再興を考える意見がありました。それが不可能とわかると「吉良、討つべし」という考えが主流となります。家中が混乱する中、家老の大石内蔵助は義士たちをまとめ、仇討ちの準備を始めます。義士たちは町人になりすました潜伏生活の中、吉良邸の図面を入手し、吉良の行動を把握し、討ち入りの機会をうかがっていたのです。
そして、元禄15年12月14日の夜、討ち入りを決行することとなりました。

義士の辛酸を共に味わう

こちらのお店でいただきたいのは『義士御膳』
「辛酸を舐めた」義士たちの浪人生活を蕎麦で表示したものです。
「辛」は、唐辛子を使ったピリリと辛い玉子とじの蕎麦で表現。「酸」は、柑橘で酸味と風味を加えた天丼で表現しています。

お店の前の立て看板も江戸時代の『高札』風の作りで、手書きで書かれています。
古めかしいお店の雰囲気も加わって、時代を感じさせてくれますね。

大川屋 本店

創業明治2年という老舗で、外観も土壁風の外壁が、和モダンという感じで名店の風情です。
こちらのお店がある場所は、忠臣蔵で有名な吉良邸のあった場所です。実際の吉良邸は、大きな屋敷であり、まさにこのお店のあたりが吉良邸のちょうど中心にあたる場所でしょう。
近くには吉良邸跡の本所松坂町公園もあります。お店の前にはベンチも出しており、観光客の受け入れ態勢もバッチリです。

忠臣蔵あらすじ『吉良邸での戦闘』

義士は、大石内蔵助率いる表門隊と大石主税率いる裏門隊の二手に分かれて吉良邸に突入します。
表門隊は、まず、長屋の戸をふさぎます。これは長屋には中間・小者と呼ばれる武士ではない武家奉公人が100人程度住んでいました。この者たちの動きを止めるために戸をふさいだのです。
また、武器庫に侵入し、槍を折り、弓の弦を切り、戦力を奪うという大石内蔵助の作戦により、数では劣る赤穂義士は順調に建物内に侵入していきます。
吉良側の武士とも斬り合いになりますが、『一向二裏』という3対1で戦う作戦により次々と吉良側の武士を倒し吉良を探します。

敵役の吉良殿の実像は名君

討ち入りの舞台となった吉良邸跡に建つお店ということで、お店の商品は吉良上野介にちなんだものがあります。
実際の吉良上野介は三河の地元では領民から慕われる温厚な名君であったとのことです。それもあって、屋敷跡の両国の人たちにも愛されているからこそ、このような商品があるのでしょう。
『吉良まんじゅう』は、白あんにきなこが練り込まれている焼菓子で、食べるときなこの風味が広がります。きなこが入っているがためにあんこも質感がしっかりと詰まっている印象ですね。

吉良上野介が描かれたせんべい3枚組の『吉良せんべい』は、コミカルタッチに表現されています。
せんべいは、醤油・白砂糖・胡麻の3種類の味で、描かれている柄もすべて異なりす。
写真は、胡麻せんべいですが、吉良上野介が「悪役務めも一苦労・・・」と困り顔です。

両国縁処

お店のある場所は、まさに吉良邸のあった場所になります。

喫茶とお土産物のお店で、創業明治14年の佃煮屋の『小松屋』が営むお店です。そのため、江戸の味の佃煮をお土産として買い求めることができます。

忠臣蔵あらすじ『吉良を討ち取る』

物置に隠れていた吉良は、槍で突かれてその最後と遂げます。
吉良を討ち取った義士は、徒歩にて亡き主君浅野内匠頭のお墓のある泉岳寺に向かいます。吉田忠左衛門らが幕府の大目付に打ち入りの報告(幕府に対する謀反でなく、仇討ちである旨)をするために隊列を離れます。
泉岳寺へ向かう途中、義士のひとりと親交のあった味噌屋の前を通りがかった際、味噌屋の主人が甘酒を振る舞ってその労をねぎらいました。味噌屋は現代においても健在で屋号は『ちくま味噌』です。小売店はありませんが、通販と都内のいくつかのお店で、江戸の味を感じられる甘味噌を買い求めることができます。

吉良邸脇でいただく甘酒

お店の隣の本所松坂町公園は、小さいながらも吉良邸の風情を今に残した公園になっており、観光スポットとなっています。

邸内には、吉良の首を洗ったという言い伝えが残る『みしるし洗い井戸』が残っています。
また、吉良上野介の像もあり、壁には忠臣蔵にまつわる情報のパネルもあります。

こちらでいただきたいのは『甘酒』です。

赤穂義士は、泉岳寺に向かう途中に甘酒を飲んでいます。吉良邸跡の観光の後は、義士の気分で甘酒をいただきましょう。
寒いに甘く温かい甘酒は身体に染み入ります。

また、一緒に供される佃煮は、小松屋のもの。
名店の佃煮3種とともに甘酒がいただけます。

笹乃雪

鶯谷駅近く、創業元禄四年の豆富料理の老舗です。
忠臣蔵にもゆかりのあるお店ですが、明治の俳人である正岡子規もをひいきにした人のひとりです。そんな、江戸から明治の歴史を感じる名店です。

忠臣蔵あらすじ『泉岳寺への引き上げの後、赤穂義士はお預け』

そして、泉岳寺に眠る主君の墓前に報告をしました。その後、幕府の命により、義士たちは4つの大名屋敷に預かりの身となりました。
当時の江戸では、義士たちは英雄扱いされ称賛されました。そのため、大名屋敷においても罪人ではなく客人のような扱いだったようです。

現代に残る、大石内蔵助も食べた豆富の味

義士たちが江戸で潜伏生活を送っていた頃、笹乃雪の娘が、ある日、雪道で足を滑らせたところを赤穂義士のひとり磯貝十郎左衛門に助けられ、恋に落ちたようです。
その時は、何者かわからなかったようですが、その後、磯貝十郎左衛門はお店を訪れて、再会を果たします。
その後、討ち入りに成功し、磯貝十郎左衛門は大石内蔵助などと共に熊本藩主細川越中守綱利下屋敷にお預けの身となります。
これを知った上野の宮様が、磯貝十郎左衛門の預けられている細川家の屋敷にこちらのお店の豆富を届けるように命じたとのいわれがあります。

江戸時代、幕府の意向により、上野の寛永寺の貫主を皇族がつとめています。
そのため、上野の山に皇族が住むことになり、それを庶民は、『上野の宮様』と親しみを込めて呼んでいました。
その宮様が「大変美味しいので、2椀提供するように」とおっしゃられたからとのことで、あんかけ豆富は1人前2椀がならわしとなっていて、お店の名物です。

玉川屋 惣八

港区高輪にある和菓子店です。

お店は、旧東海道にあり、現代は『二本榎通り』と呼ばれています。その名が示すとおり、江戸時代には2本の榎があったとのこと。
周辺は寺町で、浅野内匠頭や赤穂義士が眠る泉岳寺の裏手にあたります。
また、通り沿いにある都営住宅は大石内蔵助らを預かった細川家の屋敷があった場所です。

忠臣蔵あらすじ『切腹』

幕府は、義士たちの討ち入りが「武士道に基づく行動」なのか「徒党を組んだ押し込み」なのかの判断に悩みます。結果、犯罪として裁かれますが、懲罰的な死刑である「打首」ではなく、武士の体面を重んじた「切腹」という処分となりました。
赤穂義士の遺骸は、主君の浅野内匠頭と同じ泉岳寺に埋葬され、眠ることとなりました。

こちらのお店で買い求めたいのは、『討入り蕎麦まんじゅう』です。
大石家の家紋の「二つ巴」の焼き印がしてあります。
生地は薄手で、大和芋を混ぜているのが特徴で、それもあってか、表面は少ししっとりしている印象です。
あんは、こし餡で非常に滑らかな食感です。小豆の風味と甘さが純粋に伝わってくる感じの味わいのまんじゅうですね。
シンプルかつ高品質なまんじゅうは江戸時代のものもこうであったのではないかと思ったりもしますね。

討ち入り蕎麦まんじゅうは、5個買うと箱入りとなります。贈答用にぴったりですね。
箱には「泉岳寺参拝記念」とあり、「風さそう 花よりも猶 我はまた 春の名残を いかにとかせん」と浅野内匠頭の辞世の句があります。
他にも、「丸に違い鷹の羽」の家紋は浅野家、「二つ巴」の家紋は大石家と忠臣蔵ムード一色の箱になっています。
歴史好きにはたまらないお土産でしょう。

※本記事は、2017/12/09に作成されています。内容、金額、メニュー等が現在と異なる場合がありますので、訪問の際は必ず事前に電話等でご確認ください。

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