Restaurant name |
掲載保留Kafe berudan
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Categories | Cafe |
Address |
新潟県長岡市千秋1-253-3 |
Transportation |
2,726 meters from Nagaoka. |
Opening hours |
Business hours and holidays are subject to change, so please check with the restaurant before visiting. |
Budget(Aggregate of reviews) |
¥1,000~¥1,999
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Method of payment |
Credit Cards Accepted (JCB、AMEX、Diners) |
Non-smoking/smoking |
No smoking at all tables |
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Parking lot |
OK |
Occasion |
This occasion is recommended by many people. |
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何となく気になっていた店だが、ワンコインのメニューがあるようなので(笑)、ためしに入ってみた。
2013年12月3日訪問
店内は広く、大きなテレビやモニター、カラオケの機械や演奏スペースなどがあり、パーティー会場のようになっていたので、何となく場違い感が漂っていた。
私はテーブル席に着いたが、カベ側がソファ席になっていたので、そちらに着席。
(通路側にはイスが2つおかれていた)
正面には大きなテレビがあり、私から見て左側に大きなモニターが設置されていた。
→この時点では、何に使うのかな?カラオケ用?などと思っていた。
しかし…
後日調べてみたら、「本格シュミレーションゴルフを楽しめるカフェが長岡に初登場」(→情報源は、Komachi Web)と書かれたサイトを見つけた。
店内が広く、大きなスクリーンがあったのは、そこでゴルフの練習をするためだったようだ。
シュミレーションゴルフが出来るとはいえ、ゴルフの練習場の雰囲気はまるでなく、レストランそのものである。
→だからこそ、この大きなスクリーンが、何のためにあるか?…わからなかったのだ。
ちなみに店名は、「ゴルフカフェ ベルダン」として紹介されていた。
自家製こだわりカレーライス・500円を注文。
丸皿に盛られたカレーは、ルーがかなり濃く見えた。
照明のせい?…ではないと思うんだけどね。
500円なのにサラダもついていたのは、うれしい誤算だった。
量は少な目に感じられたが…
ナスと、長目に切られた(サイコロを縦長にしたような形状)豚肉が、印象的だった。
後は…
ルーにアーモンド?をスライスしたやつが数枚パラパラとしてあったのを、覚えている。
量は少な目…←あ!これ、さっきも書いたよね?。。。(笑)
そのつもりはなかったのだが、食後のコーヒーが100円でつけられるというので、コーヒーをお願いした。
→実は店を出ようとした時、若くてかわいい(笑)女性スタッフが、週刊現代の最新号を持って、新聞雑誌類の定位置に向かっていたので、それを読んでから店を出ようと考えたのだった。
この日は火曜日で、週刊現代の発売日だったのだ。
…なぜか新潟県では、週刊誌の発売日が1日遅れになる。
→新幹線も通っているし、首都圏からはそんなに遠くはないと思うんだけど、理解に苦しむところである。
従って、本来月曜日発売の週刊現代も、新潟県では火曜日の発売になるのだ。
ともあれランチタイムは、この値段、この雰囲気なので、おすすめだね。
他には、温玉焼きカレー・580円や、とろとろオムライス・580円などのメニューがあった。
おいしかった、ごちそうさま。
【長岡藩上席家老・山本帯刀と、八重との不思議な関係】
長岡藩上席家老・山本帯刀と八重(旧姓は同じ山本)とは、直接的な関係はない。
山本帯刀の山本氏は、後に藩主と仰ぐ事になる牧野氏を誘って、三河時代に徳川家康に恭順し、代々仕えた家だった。
将軍家からの信頼も篤く、征夷大将軍に謁見の資格を持ち、将軍家直参の身分を兼帯していたという名門である。
これに対し、八重の実家の山本家は、砲術師範という役目だったため、城の近くに屋敷をたまわってはいたものの、微禄であった。
しかし…
いずれも武田信玄に仕えた軍師・山本勘助の末裔を称しているという共通点があるのだ。
砲術師範の八重の山本氏は、代々兵学をもって藩に仕えた…
そのあたりが、遠祖は(甲州流軍学の祖とされる)山本勘助とする所以なのだろう。
→ただこれは、自分の家に箔をつけたいがために、自称したという説もある。
八重の山本家に限らず、そもそも徳川家康が源氏の末裔であるというのさえ、自称の可能性が高いといわれているほどだ。
それはともかく…「山本帯刀と、八重との不思議な関係」とは?
この2人、実は同じ年に生まれているのだ。
ともに1845(弘化2)年生まれで、帯刀の方が、約半年早くこの世に生を受けている。
帯刀が新政府軍に捕まって処刑されたのは、会津の地…
そのころ八重は、会津若松城内の籠城戦にあって、鉄砲を持って戦っていた事になる。
偶然なんだけど、不思議な縁というか、つながりを感じてしまう。