超一流の料理人の方の修行にはそれぞれいろいろな方法があるでしょうが、よく聞くことのひとつに食べ歩きがあります。
師匠の方の教え方によりますが、とにかく若いうちに借金をしてでも世間で一流と言われているお店をジャンルを問わずに食べ歩けと仰る方が少なくないそうです。
これは、非常に理にかなった話です。
調理方法の修行自体は、ご本人が勤務しているお店でしか教えてもらえないですし(調理学校で教えてもらうのは基本のみです)、そもそも使う食材の質というものは、そのお店の料金設定に合わしたものしかありません。
もちろん、料理のジャンルが異なれば、一生使うことがない食材も出てきます。
調理方法も然りです。
築地には世界中から最高の食材が全て集まるわけですが、それを使うことができるようなお店というのは何百軒もあるわけではありません。
例えば、その日の高値(一番値段が高くついたもの)の鮪を仕入れることができる飲食店は数十軒もあるわけではありません。鮨屋さんであれば、日本国中でも数軒です。
十軒ないのです。
しかし、江戸前の鮨屋さんで鮪を置いていないお店などありません。
鮨職人や日本料理人の方々でその数軒で修行できる方は何人いらっしゃるのでしょうか。
築地で仕入れている飲食店であれば、どこの仲買さんが鮪の一番、鮑の一番、雲丹の一番を仕入れているかわかりますし、その仲買さんと取引ができる数少ない飲食店がどこなのかはわかっていますから、その飲食店に食べに行けば、普段ご本人が口にすることができない食材の質というものを知ることができますし、そのようなレヴェルの食材をどのように調理してお客さんに提供しているのかが分かります。
修行によって料理の腕を磨くためには、まずは頂点の食材や料理の技術を知らなければなにも始まらないのです。
人は経験したことがないことは絶対に練習することも出来ませんし、訓練しないで達成することはひとつもないことは料理の世界にはじまった話ではありません。
知らないことについては語ることすら不可能なのですから、商品として料理を提供することなどありえないわけです。
お客さんは違います。
お客さんは、それを食べて自分自身が美味しいと感じるか否か、その料理に対して対価としていくらまで払うか否かを自己で決定するだけですから、そんなことを分かる必要がないのです。
確かに5万円の料理を何十回か異なるお店で食べれば、5万円払う価値があると思うお店と一切価値がないと思うお店が出てきます。
舌が敏感な方であれば同じ食材を召しあがれば、食材の質の違いもはっきりとお分かりになるでしょう。
しかし、それはそのお客さんの経験と舌の敏感さによるものですので、そうならなければならないということはありません。
当然です。
お客さんは、自分が好きか嫌いかだけを判断して、自分で一生懸命稼いだお金を料理人に対して対価として渡すだけですから。
ただし、食べログの評価となると話は別です。
いろいろな方が評価をしますから、高い点数のお店の料理が本当に素晴らしいかどうかは分かりませんし、低い点数のお店が本当に料理がだめなのかもわかりません。
だから、最近の食べログのヘヴィーユーザーの方(レビューをいっぱい書かれていらっしゃるレビュアーの方ではありません。レビュアーの方々の中には料理を召し上がることよりもレビューを書くこと、写真を撮ることに重きを置いておられる方が少なくないので、食べログに対する考え方が純粋なユーザーの方々とは大きく異なりことがあります。)は、点数ではなく、ご自身と感性が合うと思われたレビュアーの評価だけを信じて、総合的な点数は全く気にされないという方が増えてきているのです。
実際に僕の経験上でもそのように仰る方が非常に多いです。
当たり前のことですが、食べログはレビュアーの方の数よりも純粋なユーザーの方の数の方が圧倒的に多いのです。