Tabelog 일본 요리 TOKYO "Hyakumeiten" 2023 선정 가게
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"溏油(にだしゞる)" "鹽(しほ)"すら不使用(つかはず) それでゐて 一無不足(なにひとつとて たらざるはなし)
當日(このひ)は、
〔二つ目(ふたつめ)〕"春風亭一猿(しゆんぷうていゝちゑん)"の高坐(かうざ)。
"古典落語(ふるくからあるおとしばなし)"を两席(ふたつ)ほど。
彼(かれ)、生國(うまれ)は攝州(せッつ)なれど"江戸落語(えどおとしばなし)"。
偶然(たまさか)、
元(もと)『なべ家』"福田浩親方(ふくだひろしおやかた)"と同席(ゐあは)せ、
四表八表話(あれやこれや、よもやまばなし)に花(はな)。
"櫻花(さくら)"も綻(ほころ)び、寔(まこと)、愉快(こゝろよ)き哉(かな)!
そも、《江戸料理(えどれうり)》とは何哉(なんぞや)?
"鮓(すし)"、"蕎麥(楚者゛)"、"鰻鱺(むなぎ)"に"天麩羅(てんぷら)"。
これらは、現今(いま)や、東瀛食(ひのもとのたべもの)ゝ象徴(かほかたち)。
だが、"會席膳(はれのうたげめし)"ばかりは"京坂流(あちらふう)"が主流(おも)。
現在(いま)や、"江戸會席(えどくわいせき)"は「風燭(かぜのまへのともしび)」。
正(まさ)しく、"絶滅危惧種(いまにもほろびなんとするかたちあるもの)"。
實(げ)に、
"犀(さい)"、"朱鷺(とき)"、澁谷(しぶや)の"山姥(やまうば)"に同類(おなじ)。
その特徴(しるし)を一二(ひとつふたつ)舉(あ)ぐるなら、
"乾鰹溏油(かつをのにだしゞる)"に"濃口醬油(こいくちのまめびしほ)"歟(か)?
「東都(えど)の水(みづ)には"乾鰹(かつをぶし)"、
皇都(みやこ)の水(みづ)には"昆布(ひろめ、ゑびすめ)"」とも云ふ。
だが、しかし、However、
旣述(すでのべた)るが若(ごと)く、
幕末(えどのをはり)まで西京(あちら)ですら《だし》と云ふと"鰹脯(かつを)"であり、
"昆布(ゑびすめ)"は"乾瓢(ほしゆふがほ)"ともども《淨鐉(しやうじん)のだし》。
《喫素(しやうじん)のだし》を水(みづ)に抽出(ひきいだ)し、
《だし》と混合(まぜあはせ)て《あはせだし》なるもの發明考案(うみいだ)せしも、
推定(おそ)らくは明治以降(めいじのみよゟ(より)のち)。
それが、今(いま)や、《だし》と云ふと《あはせだし》を意味(さ)すまでに、、。
確實(たしか)に、これは、「人倫(ひと)の智慧(ちゑ)」であり、
「進化(しんくわ)」と喚做(よびな)すに相應(ふさは)しきもの。
《火(ひ)》、と《道具(だうぐ)》を縱(ほしいまゝ)に操(あやつ)り、
《鹹(しほけ)》、《甘(あまみ)》、《肥膩(あぶら)》を希求(おひもとむ)。
軈而(やがて)、禽獸(とりけだもの)忌避(さく)る《酸(すみ)》と《苦(にがみ)》、
のみならず、《辛(からみ)》、《澁(しぶみ)》すら自家藥籠中(そのてのうち)に、、。
《甘(あまみ)》と《旨(うまみ)》は峻別(わけ)られ、
"味精(かゝるもの)"まで發明(つくられ)、普及(よにあまねくひろまる)。
人倫(ひと)・禽獸(とりけだもの)に"鹹(しほけ)"は不可缺(かくべからざるもの)。
だが、「鹽中毒(しほちゆうどく)」と呼(よ)べるほどの過剩攝取(とりすぎ)に、、。
それは、《甘(あまみ)》や《旨(うまみ)》、
果(は)ては、《肥膩(あぶら)》や《辛(からみ)》も同樣(おなじこと)。
『江戸前芝濱』"海原親方(かいばらおやかた)"、
"菽(まめ)"煮(に)るに、
"溏油(だし)"は勿論(いふまでもなく)、"鹽(しほ)"すら不使用(つかはぬ)。
それでゐて、「一無不足(ひとつとしてたらざるものなし)」。
東都(えど)の蕎麥店(楚者゛や)は、
今猶(いまなほ)、"乾鰹(ふし)"の等類(たぐひ)を武火(つよび)に煮出(にいだ)す。
これはある意味(いみ)、原始的(ふるめかしきやりかた)。
だが、これとて、「無所不足(たらざるものなし)」。
當日(このひ)の"笋(たかむな)"も"菽(まめ)"に同(おな)じ。
「これが"江戸料理(えどれうり)"歟(か)?否(いな)歟(か)?」は保留(さておき)、
「重要(きはめておもみのあ)る試行(こゝろみ)」に他(ほか)ならぬことは、
「明若觀火(ひをみるよりもあきらか)」。
《火(ひ)》も亦(また)然(しかり)。
吾儕(わなみ)は、
"棘鬣魚(たひ)"や"鮪(しび)"などの魚(うを)ゝ《刺躬(さしみ)》で噉(くら)ふ。
宛然(あたかも)、"水果(くだもの)"をその儘(まゝ)餐(くら)ふが如(ごと)し。
何者(そのゆゑいかにとなれば)、
「それが最善(このうへなき)作法(やりかた)」と云ふを智識(しれ)ゝばなり。
《火(ひ)》を獲得(え)たりしは「人類(ひと)の進歩(あゆみ)」なれど、
これも亦(また)、濫用(みだりにつかふ)は愚昧(おろか)。
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海原親方(このひと)は 調劑(あぢつけ)なしに "菽(まめ)"を煮(に)る 「淨鐉(ほとけのみち)の 溏油(だし)」と云ふべき?
此度(こだみ)の醼(うたげ)は、
"華臍魚(あんかう)"に、名殘(なごり)の"鳧(まがも)"、"野豬(くさゐなき)"。
加旃(しかのみならず)、"獨活(うど)"、"芹菜(せり)"、"油菜(なばな)"など、
盛時(いまをさかりといちばにあふる)ゝ蔬菜(あをもの)も、、。
それぞれ、素材(もと)の特性(もちあぢ)が生(い)かされ、
海原親方(かいばらおやかた)固有(ならでは)の調劑(あぢつけ)が顯著(きはだつ)。
就中(わきても)、"煮荳(にまめ)"は白眉(なにより)。
"溏油(にだしゞる)"は勿論(いふまでもなく)、"鹽(しほ)"すら不使用(つかはぬ)。
否(いな)!
往古(そのかみ)、"大菽(まめ)"は「淨鐉(ほとけのみち)の溏油(だし)」なりき。
そもそも"だし"とは、
「にだし(【日葡辭書】)」、「にだしゞる(【大言海】)」の意(こゝろ)。
【日葡辭書】、慶長八~九年(1603~04)
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> 《Nidaxi(にだし)、Daxi(だし)》
> "鰹"のやうな物を、その"精"と"味"とを抽出するために煮る。
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【(大)言海】、明治二十二年(1889)~昭和七年(1932)
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> 《にだしゞる》
> "鰹節"を削りて、其味を湯に煮出して、其滓を去れるもの。
=========================================
つまり嘗(かつ)ては、
「だし」と云ふと"鰹脯(かつをぶし)"を煮沸(にいだし)たるものを意味(さ)し、
"乾瓢(ほしたるゆふがほ)"、"昆布(ひろめ)"、"菽(まめ)"など、
「淨鐉(ほとけのみち)の"だし"」とは儼然(きびし)く辯別(わいだめ)。
【料理物語】、寛永廿年(1643)、(11/34)
=========================================
> 《"だし"は》
> "かつほ"のよきところをかきて、一升あらば、水一升五合入、
> せんじ、あぢをすひみ候。
> "あまみ"よきほどに、あけて吉。
> 過(すぎ)候もあしく候。
> 二晩(はん)もせんじつかひ候。
>
> 《精進(しやうじん)のだしは》
> "かんへう"、"昆布(こんぶ)"、やきても入、ほしたて、
> "もちごめ"、ふくろに入に候。
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【料理綱目調味抄】、享保十三年(1728)、洛西、卷三(12~13/19)
=========================================
> "甘湯"
> "煮出し"也。
> 一書に"下地"と云へり。
> "たし"は料理の元也。
> 心を附へし。
> 物により合不合あり。
> 常の"たし"は、先、"かつほ"以て味すへし。
> 眞(芯?)を可用。
>
> "たし"多用時は、上皮をけつり、眞はかなつちにて打くたくべし。
> "だし"を大分拵●て、茹物も"だし"にて茹でよし。
>
> "豉だし"は"うすたれ"也。
> ・・・(中畧)・・・
> "昆布たし"、"干瓢たし"、"昆布の甘鹽"、"めうがたけ"、"枾の皮"、
> 其外、"精進のだし"、品々あり。
=========================================
【料理早指南】、享和元年(1801)、(128/140)
=========================================
> 《かつをだし》
> "かつほぶし"かきて、一升に水一升五合入、せんじ、あぢをすひて、
> "あまみ"よきほとにあげてよし。
>
> 《精進のだし》
> "いせかんぴやう"、"こんぶ"、"白まめ"、"もちごめ"、右、水にてに出し用ふ。
=========================================
【新撰庖丁梯】、享和三年(1803)、大坂、(15~16/94)
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>《調烹(りやうり)諸(もろもろ)煮汁(たし)法(しやう)》
> 古へは、"下地(したぢ)"・"甘湯(あまゆ)"なとの名を呼(よべ)り。
> 今は、"だし"とのみいふ。
> 諸煮汁(しよだし)を製(せい)するには、
> 先、淸水二斗を鐵釜(かま)に入て煮(に)、
> 三歩一を減(げん)じて、水嚢(すいのう)にて漉(こ)し、よく冷(すま)し、
> 澄(すま)せ、後、ふたゝひ、煮(に)、よくよく沸(わか)し、その中●、
> 乾鰹(かつほ)、乾瓢(かんへう)、昆布(こんぶ)、椎茸(しひたけ)の類、
> 好ミに隨て、水量(みつもり)に應し、投(いれ)て煮(に)、
> 湯たぎりたる時、四歩一を減(げん)じ、投品(だしがら)をとりあげ、、、
=========================================
と總論(まとむる)も、直後(そのすぐあと)に、
《乾鰹(かつを)たしの法》、《干瓢(かんへう)たしの法》、
《椎茸(しひたけ)たしの法》、《昆布(こんぶ)たしの法》の各論(くだり)があり、
所謂(いはゆる)「あはせだし」とは異(こと)なることは灼然(いやちこ)。
【會席料理祕嚢抄】、嘉永六年(1853)、皇都、(55/59)
=========================================
> 《甘湯(だし)の事》
>
> 一、"だし"は"煮出(にだ)し"の畧言(りやくげん)なり。
> 又、"下地(したぢ)"ともいへり。
> "精進(せうしん)"・"魚類(きよるい)"とも料理(れうり)のもとなり。
>
> 心(こゝろ)を用ゆべき事也。
> "鰹(かつほ)だし"は、"松魚(かつを)"を吟味(きんみ)し、
> 眞(しん、芯?)を用べし。
>
> 尤(もつとも)、"出し(だし)"多(おほ)く入ときは、
> 上皮(うはかは)をけづり除(のけ)、鐵(かな)づちにてうちくだくべし。
>
> 精進(せうじん)には、"昆布(こんぶ)"、"かんぴやう"、"しゐたけ"、
> "めうがだけ"、"柿(かき)の皮(かは)"など用ゆへし。
=========================================
【守貞謾稿】、幕末
=========================================
> 京坂は美食と雖ども"鰹節"の"煮だし"にて、
> 是に"諸白酒"を加へ、"醤油"の"鹽味"を加減する也。
> 故に、淡薄の中に其物の味ありて是を好とす。
=========================================
【素人料理年中惣菜の仕方】、明治二十六年(1893)、(13/145)
=========================================
> "淸汁(すましゞる)"
> "淸汁(すましゞる)"は、精進料理には、"椎茸"、又は"昆布だし"を用う。
> 其"だし汁"に醬油を淡(うす)く加ふるのみ。
>
> 其"だし"の仕方は、"椎茸のだし"は椎茸を滲し置きたる水を沸へ立てるのみ。
>
> "昆布だし"は、"菓子昆布"を水に滲し置き、その水を沸へ立つれば泡多く浮く。
> その泡を掬ひ去りて用う。
> 若し昆布を水に滲さずして直(たゞち)に沸湯(にえゆ)に入れて煎じるときは、
> 其汁滑りて宜しからず。
> 水に滲して沸へ立つれば其滑り無し。
>
> 又通常の料理の"淸汁(すましゞる)"は"鰹だし"を用う。
> 若し上等にするときは、"鰹だし"と"昆布だし"を半割にして
> 淡(うす)く醬油を加ふる也。
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これを要約(まと)むるに、
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■「だし」とは「煮出汁(にだしゞる)」の意(こと)。
■昆布(ゑびすめ)など「淨鐉(ほとけのみち)の"だし"」を、
煮沸(にいだ)すことなく水(みづ)に滲(ひた)すは、
最早(はやくとも)德川後期(とくがはのみよのなかばよりのち)、
ことによらば、明治中期以降(めいじのなかごろよりのち)。
■幕末(とくがはのみよのをはりにいたる)まで、
・「だし」と「精進(しやうじん)のだし」は嚴密(きびし)く別(わか)れ、
・京坂(けいはん)でも、「だし」とは何(なに)より"鰹脯(かつをぶし)"。
■「あはせだし」発明(あみいだされし)は、明治中期以降(めいじのなかばよりのち)?
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渦卷(うづをま)く 激流(はげしきながれ) 現代(いまのよ)は 流(ながさ)れもせず 逆(さか)らひもせず
久方(ひさかた)ぶりの『江戸前芝濱』。
此度(こだみ)の集(つど)ひ、
"鰒(あはび)"を饕(くら)ひ、"星鳗(あなご)"餮(むさぼ)るにあり。
冢中枯骨以外(それがしをのぞ)き、稀有(まれにみ)る"饕餮(たべて)"揃(ぞろ)ひ。
幹事(まとめやく)に依據(よる)なら、
「招牌(かんばん)も碟(さら)も『なべ家』の福田浩親方(ふくだおやかた)ゟ(より)」
との説明(よし)。
親方(かれ)こそ"江戸料理(えどれうり)"で馳名(なをはせ)たる名庖人(たくみ)。
"江戸料理(えどれうり)"と聞(き)ゝて想起(おもひうかぶ)は、
市井(ちまた)の食(たべもの)、
"鮓(すし)"、"天麩羅(てんぷら)"、"蕎麪(楚者゛)"、"鰻鱺(むなぎ)"。
しかし、嘗(かつ)ては家屋(いへ)を構(かま)ふる"料理茶屋(れうりぢャや)"も、、。
否(いな)、『八百善』のごときは現代(いま)に存續(つゞ)き、
明治以降(めいじのみよゝりのち)は、
"料亭(れうてい)"として、赤坂(あかさか)、向島(むかふじま)が繁盛(さかゆ)。
新橋(しん者゛し)、柳橋(やなぎ者゛し)は勿論(いふもさらなり)。
德川後期(とくがはのみよのなかばよりのち)、
"本膳料理(ほんぜんれうり)"を簡略化(いらぬところをはぶき、よきところをのこ)し、
"會席・懐石(くわいせき)"にその名(な)借用(かり)たる、
"會席料理(くわいせきれうり)"が一世風靡(よをなびかす)。
"會席"歟(か)?、將又(はたまた)"懐石(くわいせき)"歟(か)?
【大言海】(明治中期~昭和初期)に、
=========================================
> 《くわいせき("懐石"、"會席")》
> "懐石"ハ、禪家ノ語、
> 小食、夜食ノコト、聊カ腹ニ滿タスヲ、温石ヲ懐ニ入ルル意トシテ、"懐石"ト稱ス。
> 茶會ノ客モ、初ハ、割子ヲ懐ニシテ、各、食物ヲ持寄リタルニ因リテ、此稱アリト云フ。
> 茶道ハ禪ヨリ出ヅ、サモアルベシ、"會席"ハ、當字ナリ、
> 茶會ノ席上ノ料理ノ意ニ移シタルベシ]
>
> 茶會ニ、茶ヨリ前ニ出ス膳部獻立ノ稱。
> 初ハ一汁二菜ヲ限リ、
> 食物ハ、銘銘盛ニシテ、華美ヲ避ケテ、味ハヒヲ本意ヲシタリトイフ。
> "會席料理"トイフモノ起リテヨリ、却テ、茶會ノ料理ヲ"茶會席"ナドト云フ。
>
> 《くわいせきれうり(會席料理)》
> 料理茶屋ノ一種ニ、飯肴ヲ、茶道の"くわいせき料理"ニ倣ヒテ調ズルモノ。
> 寛政、文化ノ頃ヨリ始マルト云フ、
> 今ノ東京ノ"料理茶屋"ト云フモノ、大抵、此風ノ料理ナリ。
=========================================
とあるも、
それより三百年前(みもゝとせまへ)の【日葡辭書】(安土桃山~江戸初期)には、
=========================================
> 《Quaixeqi(くわいせき)》
> 「多くの人々が集會をし、遊び事をする家。」
> 「茶を飮むとか、歌を作るためにこのやうな集會をする。」
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とあり、
「温石ヲ懐ニ入ルル」"懐石"ならで、"會席(くわいせき)"と解釋(とらふ)べき。
假令(たとひ)、"懐石(くわいせき)"が語源(ことばのみなもと)であらうとも、
「此風ノ料理」は"會席料理(くわいせきれうり)"と號(よびな)すが適切(よい)。
ま、それはともかく、
東都(えど)では、京坂(にしのくにぐに)を凌駕(しのぐ)ほどに、
外食(そとでのめしぐひ)が發達(すゝみ)、爛熟(このよのはるとさきほこりき)。
大坂生(おほさかむま)れ"喜田川守貞(きたがはもりさだ)"もそれを記述(しるす)。
とは云へ、やはり、そこはそれ、
「一千年有餘(ちとせあまり)」を誇(ほこ)る山州(やましろのくに)の華洛(みやこ)。
"提供法(いだしかた)"など東都(えど)の流儀(やりかた)も採用(とりい)れ、
一子相傳(おやからこ、こからまごへとつたは)る祕儀(ひめわざ)あり。
"鮓(すし)"、"天麩羅(てんぷら)"、"蕎麪(楚者゛)"、"鱣魚(むなぎ)"こそ、
東都(えど)の烹調法(やりかた)が擴大普及(よにあまねくひろがるところとなれ)ど、
"京會席(あれ)"は、"料理茶屋(れうりぢャや)"→"料亭(れうてい)"から、
巷(ちまた)の"宴席(うたげ)"までをも席捲(おほひつくす)。
その容(さま)、實(げ)に、「燎原之火(のはらをやきつくすひのごとし)」。
精髄(なによりよきところ)は、
一)、"溏油(にだしゞる)"に"昆布(ゑびすめ)"を用(つか)ふ
一)、素材(もとのもの)ゝ色(いろ)と味(あぢ)を生(い)かす調劑(あぢつけ)
東都(えど)の"溏油(にだしゞる)"は"鰹脯(かつをぶし)"。
凡(およ)そ"海帶乾(ひろめ)"なるもの、
「皇都(みやこ)の"超軟水(いとやはらかきみづ)"に調和(あ)ひ、
東都(えど)の"水(みづ)"に不適(あはぬ)」が定説(うごかしがたきところ)。
但(たゞ)し、山州(やましろ)の洛(みやこ)でも、
嘗(かつ)ては"鰹脯(かつをぶし)"の"溏油(にだしゞる)"が主體(おも)。
「"海帶乾(ひろめ)"+"鰹魚乾(かつをぶし)"による相乘效果(たかめあひ)」、
なる知惠(ちゑ)を獲得(え)、"京料理(けうれうり)"を確固(たしか)なものに、、。
"鮮(うまみ)"を持(も)ちながらも"淡麗(あはくきよらか)"なる醢醯(あぢつけ)。
それは"霽(はれ)"の食(うけ)として東都(えど)で歡迎(むかへ)られ、
"鮓(すし)"、"天麩羅(てんぷら)"、"鰻鱺(むなぎ)"、"蕎麪(楚者゛)"は、
"褻(け)"の食(うけ)として今猶(いまなほ)盛況(にぎはひがつゞく)。
とは云へ、"河漏(楚者゛きり)"除外(のぞ)かば、
何(いづ)れも高級化(たかねのはなとな)り、不能制禦(とゞまることをしらず)。
"霽(はれ)"の食(うけ)なりし"東都會席(えどくわいせき)"はと云ふと、
「釜底游魚(かまぞこのうを)」、「風前之燈(かぜのまへのともしび)」。
その特徴(きはだちたるしるし)は、
一)、"下總(しもつふさ)最上漿油(いとよきしやうゆ)"
一)、"鰹脯(かつをぶし)"の溏油(にだしゞる)
一)、"美淋酎(みりんちう)"の活用(いかしつかふわざ)
現在(いま)でこそ京坂(あちら)でも"美淋酎(みりんちう)"を用(つか)ふも、
嘗(かつ)ては「たるし」とて、これを忌避(いみきらふ)。
【守貞謾稿】(幕末)
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> 京坂は美食と雖ども"鰹節"の"煮だし"にて是に"諸白酒"を加へ、
> "醤油"の"鹽味"を加減する也。
> 故に、淡薄の中に其物の味ありて是を好とす。
>
> 江戸は"鰹節"に"美淋酒"を加へ、或は"砂糖"を以て代之、"醤油"を以て"鹽味"を付る。
> 故に、口に甘く旨しと雖ども、其物の味を損すに似たり。
> 然れども、從來の習風となり、今は"味りん"或は"さとう"の味を加へざるを好まず。
> 必ず用之て京坂の食類更に美ならずと云。
>
> 京坂の人は江戸にて甘味を用ふを"たるし"と云て、忌之て美食とせず。
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"海原親方(おやかた)"が"菜(めし)"、
"醤油(まめむぎびしほ)"、"溏油(にだしゞる)"、"美淋酎(みりんちう)"などは、
無所懐疑(まがふかたなき)"東都割烹法(えどのやりかた)"なれど、
"調劑(あぢつけ)"そのものは淡麗(あはくきよらか)。
その典型例(さいたるもの)が"煮荳(にまめ)"。
鹽(しほ)すら不使用(つかは)で、"菽(まめ)"の個性(もちあぢ)を生(い)かし、
「たるし」とは秋毫無緣(つゆゝかりなし)。
劈頭(いやさき)の"叩蚫(たゝきあはび)"からして"淡薄(うすあぢ)"。
然而(しかはあれど)、
掉尾(いやはて)の"利休雞蛋(りきうたまご)"にはそれなりの"甜(あまみ)"。
天明五乙巳歳(てんめいごきのとみどし、=1785)、
花洛(やましろのくにのみやこ)にて上梓(よにいで)たる【萬寳料理祕密箱】には、
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> 《利休卵の仕方》
> 一、是は、白胡麻一合を、油をとり、よくすりて、さて、古酒五才(≒9cc)ほどいれ、
> よくすり、此中へ卵を、十ヲわりこみ、よくよくとき合セ、
> 是も箱か鉢に入レて、蒸へし。
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とあり、
元來(もともと)、"甘味(あまみ)"不使用(つかはぬ)が灼然(いやちこ、あきらか)。
だが、"大福餈(だいふくもちひ)"に"甜(あまみ)"無(な)き、"はらぶともちひ"、
"鶉餈(うづらもちひ)"、"鹽あんびん"の等類(たぐひ)は不味(あぢよろしからず)。
「何(なに)を彫(ほ)り、何(なに)を琢(みが)くべき歟(か)?」
時代(よ)に連(つ)れ、風土(ところ)に隨(したが)ひ千變萬化(おほいにかはる)も、
庖人(くりやびと)の創造性(つくりだすちから)が第一(なにより)。
"海原親方(おやかた)"、時流(ながれ)に阿(おもね)るでも逆(さか)らふでもなし。
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【暗匣】:富士膠片(Fujifilm)X-T4 無反光鏡可換鏡頭照相機(みらーれす)
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安徽長庚光學(Venus Optics)老蛙(LAOWA)2.8/9 ZERO-D @F8
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【鏡珠】:福倫達(Voigtländer)APO-LANTHAR 2/50 Asph. @F2 ※2021-07
"鹽(しほ)"すらも 不使用(つかはで)鮮美(うま)き この"煮荳(にまめ)" 技倆(うで)を上(あ)げたの あかし×志賀之助(しがのすけ)〇なりけり
『太華』"海原大親方(かいばらひろしおやかた)"ゟ(より)、
「屋號一新(なをあらため)、移轉(ところをかへ、ふたゝびのみせびらき)に附(つき)、
宜敷(よろしく)御來訪被下度(おこしくだされたく)、、云々」との案内狀(しらせ)。
《料理物語》、《四季漬物鹽嘉言》の好(よしみ)にて快諾之(こゝろよくこれをうく)。
かくて、有一日(あるひ)、"食通(ひいでたるたべて)"两箇(ふたり)と訪問(たづぬ)。
輒(すなは)ち、
"味神樣(あぢがみさま)"と若(わか)き"雞群靏立(ひとなみはづれたるつはもの)"。
「血沸(ちわ)き肉躍(にくをど)る」とは正(まさ)にこのこと。
莞忝(につか)と歡迎(むかふ)る"海原大親方(おやかた)"、
以前(まへ)にも彌増(いやま)す、精悍(するどくたくまし)き表情(つらがまへ)。
正面(いりぐちまむかひ)には、
《日々德用儉約料理角力取組(ひゞとくやうけんやくれうりすまふとりくみ)》が、、。
《日々德用儉約料理角力取組(ひゞとくやうけんやくれうりすまふとりくみ)》:
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>【精進方(しやうじんがた)】
> 大關 八者(は)いどう婦(ふ)
> 關脇 古(こ)ぶあふらげ
> 小結 きんひらご不゛(ぼ)う
> 前頭 にまめ
> 前頭 燒たうふ吸志(し)多(た)じ
> 前頭 ひじき白あひ
> 前頭 切不゛(ぼ)し煮徒(つ)け
> 前頭 いもがらあぶらげ
> 前頭 あぶらげつけ燒
> 前頭 小松なひ多(た)しもの
>
>【魚類方(ぎよるいがた)】
> 大關 めざしい王(わ)し
> 關脇 むきみ切不゛(ぼ)し
> 小結 芝ゑび可(か)らいり
> 前頭 まくろ可(か)ら志゛(じ)る
> 前頭 古(こ)者(は)多゛(だ)大こん
> 前頭 たゝみい王(わ)し
> 前頭 い王(わ)し志(し)不(ほ)や起(き)
> 前頭 まぐろ春(す)起(き)ミ
> 前頭 志(し)不(ほ)かつを
> 前頭 鰊志(し)不(ほ)び起(き)
=========================================
「さぞや、これを活學活用(まなびていか)す獻立(こんだて)なるべし。」
と、大(おほ)いに亢進(むねをたかぶらす)。
因(ちな)みに、【精進方(しやうじんがた)】大關(おほぜき)は
《豆腐百珍(とうふひやくちん)》でも高名(なだか)き"八杯豆腐(はちはいどうふ)"。
劈頭(いやさき)に"煮荳(にまめ)"+"越瓜(しろうり)"。
これぞ、【精進方(しやうじんがた)】前頭筆頭(まへがしらひつとう)"にまめ"。
巷(ちまた)に溢(あふ)るゝ"煮荳(にまめ)"とは異質(こと)なり、
「"大菽(まめ)"を水(みづ)ばかりにて煮(に)まして、、。」と説明(いふ)。
「"溏油(だし)"は勿論(いふまでもなく)、"鹽(しほ)"すら不使用(つかひませぬ)」、
と云ふ"根源追究努力(ねもとをつきつめんとするひたむきさ)"。
能(よ)く"大菽(まめ)"の風味(あぢとかをり)が辯別(わか)り、
一無不足(ひとつとしてたらざるものな)きに驚愕(おどろく)。
惟(おもんみ)るに、
"大菽(まめ)"の若(わか)きは"毛荳(えだまめ)"で、調劑(あぢつけ)は"鹽(しほ)"。
"淨鐉(しやうじん)"の"溏油(だし)"として"昆布(ゑびすめ)"、"香茹 (しいたけ)"、
"乾瓢(かんぺう)"、そして、この"大菽(まめ)"も、、。
換言(いひかへる)なら、
「"大菽(まめ)"には"溏油(だし)"となるべき"旨味(うまみ)"あり」と云ふこと。
"菽乳(とうふ)"も"腐皮(とうふのうば)"も"豆漿(とうにゆう)"も、
固有(そのもの)ゝ風味(あぢとかをり)を有(も)つことが周知(あまねくしらる)。
"蛤仔剥身(あさりのむきみ)"に"蘿蔔干絲(きりぼしおほね)"を烹(に)て、
【魚類方(ぎよるいがた)】關脇(せきわけ)"むきみ切不゛(ぼ)し"と做(な)す。
"蛤仔(あさり)"由來(よりきた)る、この滋味(いつくしみあるあぢはひ)!
"鹹(しほけ)"も"甜(あまみ)"も、そして"顏色(いろ)"までもが控(ひか)へめ。
"芝鰕糝薯(しばえびしんじよ)":
三年前(みとせまへ)にも供(いださ)れし"海原大親方(おやかた)"が十八番(おはこ)。
"糝薯(しんじよ)"の烹調法(こしらへかた)として、江戸(えど)に限定(かぎり)ても、
《料理早指南》、《江戸流行料理通》などがある。
享和元年(=1801)醍醐散人(だいごさんじん)《料理早指南》:
=========================================
>■卽席料理の部
> ・"しんじよ"
> 身をおろし、"はうてう"にてこそげて、"玉子の白ミ"ばかり入、よくすりて、
> 湯にとうする也。
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文政五年(=1822)~天保十一年(=1834)、
『八百善』四代目(よだいめ)栗山善四郎(くりやまぜんしらう)、《江戸流行料理通》。
《江戸流行料理通》:
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>■極祕傳之部(ごくひでんのぶ)
> ・"しんぢよ"の傳
> 一、鴨、鯛、きす、あまだい、ひらめ、の類、魚の上身かき、鯛のごとく、
> 庖丁にて取、摺鉢にて能々すり、
> 薯蕷(やまのいも)、鶏卵(たまこ)の"白ミ"を入、
> 水に鰹節(かつほふし)をかきて入、能滲し置、
> 其"水だし"にて身をのばし、甘みは"みりん酒"を煮かへしてさまし、
> "鹽"にてあんばい致し、茶碗の蓋にて形取(かたどり)こしらへ、
> 大鍋へ湯を澤山に入て、仕上げる也。
=========================================
これに先行(さきだ)ち大坂(おほさか)では、
延享二年(=1745)以前に、諸星吮潮齋《傳演味玄集(でんえんみげんしゆう)》なるもの。
《傳演味玄集(でんえんみげんしゆう)》:
=========================================
>■"糝薯蕷(シンジョ)"
> "かまほこ"に用候所の魚よし。
> "半弁(=半餠、はんぺん)"のことくすりて、食の取湯にて延、
> "長いも"をすりて、魚の五倍入て、能摺るなり。
> 下地、鹽湯仕立。
> 至極煮立たるを、火をおろし、"しんじよ"を入、炭火にかけて煮なり。
=========================================
明治二十二年(=1899) 大槻文彦(おほつきふみひこ)《言海》には、、
《言海》:
=========================================
>■"糝薯(しんじョ)"
> 魚肉、又ハ、鳥肉ヲ摺リテ、薯蕷(ヤマノイモ)、鶏卵ノ蛋白(シロミ)を入レ、
> 煮出汁、味醂、鹽ヲ加へ、程好ク堅メテ、更ニ、汁ニテ煮タルモノ。
=========================================
"糝薯or眞薯(しんじよ)"の意味(こゝろ)からして、
"薯蕷(やまのいも)"は不可缺(かくべからざるもの)歟(か)?、と思(おも)へど、
"薯蕷(やまのいも)"、or(または)、"蛋白(とりのこのしろみ)"を入(い)れ、
軈而(やがて)、その兩方(and、どちらも)入(い)るゝやう變貌(さまがはり)か?
これ、宛然(あたかも)、
鮓店(すしや)"鶏卵炙(とりのこやき)"の變遷(うつりかはり)に似(に)たり。
のみならず、近會(ちかごろ)の若手(わかて)は"蛋白(しろみ)"を泡立(あはだ)て、
食感(はごたへ・したざはり)の良(よ)さの極限(きはみ)を追求(おひもとむ)。
"椀(わん)"の"吸地(すひぢ)"は、
「"堅魚(かつを)"の"本枯節(ほんがれぶし)"+"荒節(あらぶし)"」とのよし。
"江戸割烹(えどかつぱう)"では"昆布(ひろめ)"不使用(つかはぬ)が傳統(ならひ)。
"溏油(だし)"こそ、東西(ひがしとにし)に大差(おほきなるたがひ)ある點(ところ)。
熟々(つらつら)、それら古文書(ふるきふみ)の幾(いく)つかを繙(ひもと)くに、
寛永十三年(=1636?)《料理物語》には、
《料理物語》:
====================================
>【"だし"は】、
> "かつほ"のよきところをかきて、一升あらば、水一升五合入、
> せんじ、あぢをすひみ候。
> "あまみ"よきほどに、あけてよし。
> 過(すぎ)候もあしく候。
> 二晩(はん)もせんじつかひ候。
>
>【精進(しやうじん)の"だし"は】、
> "かんへう"、"昆布(こんふ)"、やきても入、ほしたて、
> もちごめ、ふくろに入に候。
> ほしかぶら、干大根(だいこん)、右の内取合(とりあはせ)よし。
====================================
大坂、天明二年(=1782)《豆腐百珍》では、
《豆腐百珍》:
====================================
>【妙品】
> ■(八十六)、"煮熟とうふ"
> "鰹脯(かつほ)"の"だし汁"にて、
> 尤、炭火(すみびの)文武火(つよからぬひ)を用ひ、
> 終日(いちにち)あさよりくれまで煮(に)る。
> 豆腐すだつ也(なり)。
>
> ■(八十七)、"喫素(しやうじん)のにぬき豆乳(とうふ)"
> 右の煮調(にかげん)に同じく、"昆布(こんぶ)"の達失汁(だしゞる)に、
> "秦椒(さんしやう)"を加へ終日煮(に)る。
> "秦椒"を加ふること、决(くでん)也。
> "昆布"をだす先(はじめ)より入るべし。
====================================
寛政十一年(=1799)大坂、《日本山海名産圖繪》を閲覽(み)るに、
《日本山海名産圖繪》:
====================================
>■"堅魚(かつを)"
> ...(前畧)...
> "乾魚(かつを)"は本邦(ほんはう)日用(にちやう)の物(もの)にして、
> "五味(ごみ)"の偏(へん)を調和(てうわ)し、
> 物(もの)を鹽梅(あんばい)するの主(しゆ)なり。
====================================
さらに、杦野駁華(世簡、すぎのばくゝわ)、
大坂、享和三年(=1803)《新撰庖丁梯(しんせんほうちやうかけはし)》に據(よ)ると、
《新撰庖丁梯》:
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>■調烹(りやうり)諸(もろもろ)煮汁(たし)法(しやう)
> 古へは、"下地(したぢ)"・"甘湯(あまゆ)"なとの名を呼(よべ)り。
> 今は、"だし"とのみいふ。
> 諸煮汁(しよだし)を製(せい)するには、
> 先、淸水二斗を鐵釜(かま)に入て煮(に)、
> 三歩一を減(げん)じて、水嚢(すいのう)にて漉(こ)し、よく冷(すま)し、
> 澄(すま)せ、後、ふたゝひ、煮(に)、よくよく沸(わか)し、その中●、
> 乾鰹(かつほ)、乾瓢(かんへう)、昆布(こんぶ)、椎茸(しひたけ)の類、
> 好ミに隨て、水量(みつもり)に應し、投(いれ)て煮(に)、
> 湯たぎりたる時、四歩一を減(げん)じ、投品(だしがら)をとりあげ、、、
>
>■乾鰹(かつほ)たしの法
> "かつほ煮汁(たし)"を製(せい)するには、
> 先、"乾鰹(かつほ)"を撰(えら)ぶへし。
> "かつほ"を製するの地おほしといへと、"土佐"を最上とし、"薩摩"これに續(つ)ぎ、
> "紀州(きしう)"のもの是につぐ。
> 三州ともおのおの善惡ありといへど、
> 精饌(ごちさう)には、必、"土州"のものにかぎるべし。
> ...(中畧)...
> 乾鰹一箇(み)よく洗(あら)ひ、上皮を去り、淡紅色(もゝいろ)なる所はかりを、
> 削(けづ)り、細(こま)かにして前の煎水一升をもて煮(に)、
> 四歩を減(げん)じて用に充(あ)つ。
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從(したが)ひ、往古(そのかみ)、江戸(えど)は勿論(いふまでもなく)、
京坂(あちら)でも"溏油(だし)"と云ふと先(ま)づは"堅魚乾(かつをぶし)"。
就中(わきても)、土州(とさ)の産(もの)を最上(いたゞき)とせしは明(あき)らか。
その緣由 (ことのよし)、下段(のち)に述(の)ぶべし。
で、その"鰹脯(かつをぶし)"はと云ふと、、
寛政十一年(=1799)大坂、《日本山海名産圖繪》を閲覽(み)るに、
《日本山海名産圖繪》:
====================================
>■"堅魚(かつを)"
> 土佐(とさ)、阿波(あは)、紀州(きしう)、伊豫(いよ)、
> 駿河(するが)、伊豆(いづ)、相模(さがみ)、
> 安房(あわ)、上總(かずさ)、陸奧(むつ)、薩摩(さつま)、、
>
> ・行廚蒸乾制鯫(りやうりして、むしほし、かつをにつくる)
> ...(前畧)...
> 形樣(かたち)を能程(よきほど)に造(つく)り、籠(かご)にならべ、
> 幾重(いくゑ)にもかさねて、大釜(おほかま)の沸湯(にへゆ)に蒸(む)して、
> ...(中畧)...
> 小骨(こぼね)を去(さ)り、よく洗滌(あら)ひ、又、
> 長五尺許(ばかり)の底(そこ)は竹簀(たけす)の蒸籠(むしかご)にならべ、
> 大抵(たいてい)三十日許(ばかり)乾(ほ)し暴(さら)し、
> 鮫(さめ)をもつて又削作(けつりつく)り、
> 繩(なわ)にて磨(みが)くと成就(しやうしゆ)とす。
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とあり、"焙乾(ばいかん)"・"黴附(かびづ)け"の氣配(けはひ)皆無(なし)。
しかはれど、"維基百科(あれ)"に依據(よる)と、
「紀州印南浦"角屋甚太郎"といふ人物が、
燻製で魚肉中の水分を除去する燻乾法(別名焙乾法)を考案。」
「"焙乾法"で作られた鰹節は"熊野節(くまのぶし)"として人氣、、。
1674年(延寶2年)には角屋甚太郎によつて土佐の宇佐浦に燻製法が傳へられた。」
「大坂・江戸などの鰹節の消費地から遠い土佐ではカビの發生に惱まされたが、
逆にカビを利用して乾燥させる方法が考案され...(中畧)...土佐藩の祕傳とされた。」
「しかし、寶永年間(=1704〜1711)には紀州の森彌兵衞によつて枕嵜に、云々、、」
とあるから、
《日本山海名産圖繪》の著者(かきて)もこの祕技(ひめわざ)を不知(しらざ)りしか?
眞言(まこと)、「土佐藩祕傳(とさはんのひめた)る技術(わざ)」なるべし。
他方(かたや)、
"淨鐉(しやうじん)"溏油(だし)の皇(すべらき)たる"昆布(ひろめ)は"と云ふと、
これ亦(また)、寛政十一年(=1799)《日本山海名産圖繪》に、
《日本山海名産圖繪》:
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>■"昆布(こんぶ)" 和名(わめう)"ヒロメ"
> 是(これ) は、六月土用中(どようちゆう)にして、
> 常(つね)に採(と)ることなく、同(おな)じく、蝦夷(えぞ)、
> 松前(まつまへ)、江刺(えさし)、箱館(はこだて)なとにも採(と)れり。
> ...(中畧)...
> 昔(むかし)は、越前敦賀(ゑちぜんつるが)に傳送(てんさう)して、
> 若州(じやくしう)に傳(つたふ)。
> 小濱(こばま)の市人(いちびと)、
> 是(これ)を制(せい)して、"若狹昆布(わかさこんぶ)"と號(がう)す。
> 若狹(わかさ)より京師(けいし)に傳送(てんさう)して、
> 京師(けいし)、亦(また)是(これ)を制(せい)して、
> "京昆布(きやうこんぶ)"と號(がう)す。
> 味(あぢ)、最(もつ)とも勝(まさ)れり。
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"松前(まつまへ)"、"江刺(えさし)"、"箱館(はこだて)"なる地(ところ)、
何(いづ)れも、松前藩(まつまへはん)統治下(おさむるところ)の、
蝦夷地(えぞち)の最南端(みなみのはじ)and/or陸州(むつ)の最北端(きたのはじ)。
輒(すなは)ち、現今(いま)で言(い)ふ"眞昆布(まこんぶ)"の等類(たぐひ)*)。
京坂(けいはん)では、德川末期(とくがはのよのをはり)以降(よりこのかた)、
イ)、"昆布(ひろめ)"と"鰹脯(かつをぶし)"の"併(あは)せ溏油(だし)"、
i.e.,(すなはち)、"葷(なまぐさ)"と"素(しやうじん)"の合力(ちからあはせ)。
ロ)、"利尻(りしり)"など、"海帶(ゑびすめ)"そのものゝ擴充(ひろがり)。
と云ふ廚藝(くりやわざ)の革新(あらたなるこゝろみ)が進展(すゝ)み、
『八百善』など"江戸會席料理(えどくわいせきれうり)"を睥睨(しりめに)、
普(あまね)く津々浦々(よのすみずみにいたるまで)席捲(それになびかざるものなし)。
、、と云ふが、老骨(それがし)が假説(かりそめのおもひつき)**)。
"煎酒(いりざけ)"に"古酒(ひねざけ)"用(つか)ふべきは、
旣述(すでにのべた)るが如(ごと)し。
"鰹(かつを)"、"越瓜(しろうり)"、"寺島茄子(てらしまなすび)"、"小鰶(こはだ)"、
語(かた)るべきこと居多(あまた)あれど、長文(なが)くなるので割愛(はぶく)。
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*)松前(まつまへ)を經由(へ)て蝦夷(えぞ)の昆布(ひろめ)も少許(すこしばかり)
**)"關東大地震(あのおほなゐ)"の影向(えうがう)亦(また)不少(すくなからず)
【暗匣】:東京通信工業 索尼(Sony)α7 III 無反光鏡可換鏡頭照相機(みらーれす)
【鏡珠】:福倫達(Voigtlaender)Apo-Lanter 2/50 Asph. @F2~F5.6
福倫達(Voigtlaender)Super Wide-Heliar 4.5/15 Asph. III @F8~F11
점포명 |
Edomae Shibahama
|
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수상 및 선정 이력 |
Tabelog 일본 요리 TOKYO "Hyakumeiten" 2023 선정 가게
Tabelog 일본 요리 TOKYO "Hyakumeiten" 2023 선정 가게 受賞・選出歴 閉じる
百名店 選出歴
日本料理 百名店 2023 選出店
食べログ 日本料理 TOKYO 百名店 2023 選出店 |
종류 | 일본 요리 |
예약・문의하기 |
03-3453-6888 |
예약 가능 여부 |
예약 가능 |
주소 |
東京都港区芝2-22-23 |
교통수단 |
시바코엔 역에서 274 미터 |
영업시간 |
|
가격대 |
JPY 15,000~JPY 19,999 |
가격대(리뷰 집계) |
JPY 15,000~JPY 19,999
|
지불 방법 |
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서비스 요금 및 추가 요금 |
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좌석 수 |
15 Seats |
---|---|
연회 최대 접수 인원 | 8명 (착석) |
개별룸 |
불가 (없음) |
카시키리(기간을 정하여 빌려줌) |
가능 (있음) 20인 이하 가능 |
금연・흡연 |
금연 |
주차장 |
불가 (없음) |
공간 및 설비 |
세련된 공간,차분한 공간,자리가 넓은,카운터석 |
음료 |
일본 청주(사케) 있음,외인이 있음,일본 청주(사케)에 고집 |
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요리 |
생선 음식을 고집함 |
이럴 때 추천 |
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위치 |
숨겨진 레스토랑 |
오픈일 |
2021.6.28 |
去年七月以來(こぞのしちがつより)再度(ふたゝび)の、
元(もと)『なべ家』亭主(あるじ)、"福田浩親方(ふくだひろしおやかた)"との醼(うたげ)。
懐舊談(むかしばなし)から、世相批判(よのみだれをなげき、のゝしり、そしりまくり)、
と、「放言高論(はにきぬきせぬ、からくちぶり)」。
常態(つね)の若(ごと)く、"煮荳(にまめ)"の【坐附(ざつき)】。
此度(こだみ)は、"江戸甘未醤(えどあまみそ)"添(ぞ)へ。
"蚶(きさ)"、"江珧柱(たひらぎ)"、"油菜(なばな)"、"膾殘魚(しらうを)"、"文蛤(はまぐり)"、
"櫻鱒(さくらます)"、"笋(たかむな)"、"鱵(さより)"、"馬珂蛤閉殼筋(こばしら)"、、。
、、と、靑陽(はる)固有(ならでは)の華美三昧(よきあぢづくし)。
"獨活(うど)"、"花山椒(なるはじかみのはな)"、"和蘭芥子(ヲランダがらし)"、"豬牙花(かたくり)"、
亦(また)同樣(しかり)。
"蔥鮪(ねぎまなべ)"、"玲瓏豆腐(こほりどうふ)"は、當家(こちら)名物(ほこりのひとしな)。
爰(こゝ)に、"玲瓏豆腐(こほりどうふ)"とは、
かの【豆腐百珍(とうふひやくちん)】に、"奇品(きひん)"五十八、《玲瓏(こほり)とうふ》とある。
"福田浩親方(ふくだおやかた)"、
大商談(おほきなるあきなひ)になり損(そこ)ねたる故事(むかしばなし)も、、。
【豆腐百珍(25/44)】:
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> 《玲瓏(こほり)とうふ》
>
> "干凝菜(かんてん)"を煮(に)ぬき、其湯(ゆ)にて"豆腐"を烹(たき)しめ、さまし、つかふ。
> 調味(てうみ)このみ隨(しだ)ひ。
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【暗匣】:日本光學工業 尼康(Nikon)Zf 無反光鏡可換鏡頭照相機(MILC、みらーれす)
【鏡珠】:福倫達(Voigtländer)APO-LANTHAR 2/50 @F2~F2.8
福倫達(Voigtländer)Super Wide-Heliar 4.5/15 Asph. III @F11
* * * * * * * *
【照相機】:東京通信工業 索尼(Sony)α7 III 無反光鏡可換鏡頭照相機(MILC、みらーれす)
【鏡頭】 :東蔡(Carl Zeiss Jena)紅 MC Pancolar 1.8/50 @F2.4 ※2018-05