6回
2019/09 訪問
The Wrong Goodbye
「ギムレットの作り方を知らないんだね」
と彼は言った。
「ライムかレモンのジュースをジンとまぜて、砂糖とビターを入れれば、ギムレットが出来ると思っている。
ほんとのギムレットはジンとローズのライム・ジュースを半分づつ、他には何も入れないんだ。マティーニなんかとてもかなわない」
【長いお別れ:レイモンドチャンドラー著 清水俊二訳(早川書房)】
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あまりにも名高い「あの」小説のセリフである事はご案内の通り。
…なんですが、甘すぎるンですよね、上のレシピーだと。*1
ローズのライムジュース、正式名称はRose’s Lime Cordial(らいむ・こーでぃある)
つまり、新鮮なライムの実が手に入らない、コストがかかって使いにくい、と言ったときに用いる社会通念上の「ライム風味飲料」「ライム風の合成液」と言うべきモノ。
英国では、夏の暑い時期、炭酸で割って子供の飲み物にしたりもするらしい。
「子供も口にするもの」だから当然、「甘酸っぱく」調味されている。
これをそのまま、大人が口にするカクテルの材料に、しかも酒と同量に用いるとなれば当然、現代人の味覚には「甘々」になってしまう。
だからイマドキ、この処方をもってギムレットを精製する日本人バーテンダーは、まずいない。
しかも、そもそもローズ社の正規輸入代理店は古今、本邦に存在せず、従いコーディアル自体がナマのライムの実以上に入手困難という事もあり、ますます上記の作り方を採用する、というのは「稀有な事」となっている。
バーテンダーが用いない作法、しかも(日本では)中々手に入らない材料が必要、さらにそれがChandlersqueなんて言葉が出来るほどに著名な作家の小説由来、という事もあり、「ジンとライムコーディアル半々」は半ば「都市伝説」「バーあるある」的に酒場で語られるバカ話のひとつ、になっている。
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昨今の日本で、フレッシュライムが手に入りにくい、という事はまず、ない。
少し気の利いたバーテンダーであれば必ず開店前、搾りおきしておいたライム果汁を使うし、もっと酒の出来上がり、鮮度に着目するひとであれば、注文ごとにライムを割り、スクィーザーを用い、茶こしで搾りかすを除去して素材にする。
ただ、ライムの汁はそのままだとかなり酸味の声が「大きい」
そこで多少の甘さで「いなす」という行為もここに加わることが多い。
この際、甘味料として使われるのはカリブ・カナデューのサトウキビ液であったり、ガムシロップであったり、パウダーシュガー、凝ってくると「和三盆糖」などを持ち出してくる向きもある。
が、糖類で酸味を抑えれば、当たり前だが「お砂糖っぽい甘さ」が気になる。
お八つであればそれでもいいのだが、カウンタのある薄暗い酒場で出てくる飲み物がそれではチョイ困る。
と、こんな時、冒頭のライムコーディアルをほんのちょっと、耳かき一杯くらい加えてやると、ジンと果汁が過不足なくつながり、香り、酸味、そして甘味という面でのバランスも良くなり
…問題は解決した。
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「へえ、ローズのコーディアルなんですね、さすが。」
「はい、国産のM…さんのものや、色々な甘味も試してみたんですが、どうしても。ですので、ロンドンに出張が多いお客様に買ってきてもらっています。
ですが…」
「ですが…って、あれ?! これペコペコボトル(PET)じゃないですか?! 」
「そうなんです、昔のガラス壜いりのほうがバーのカウンターには相応しく見えるのですが、近頃は…」
「ま、確かにねえ、時代なンだろうけどねぇ。あ゛、じゃあ昔の壜に詰め替えちゃえば? 」
「そうですねぇ、でもそれもなんだか」
「確かに…なんだかなぁ」
70年近く前に書かれた文句の呪縛の重みに、ハードボイルドも楽じゃないネ、と、肩をすくめない、事もない。
*1 旧英国植民地の香港、シンガポールなどの旧いホテルのバーだと、いまだにこのレシピで、しかもオンザロックのビルドアップ・スタイルで出てくることが多い。
2019/09/05 更新
2019/03 訪問
One for the Road
こんばんは、ちょっとご無沙汰です。
ええ、近くのパブで仲間と一杯やる事になってまして、その前の時間調整…と言ったら失礼ですね、はは。マティニ目当てで来ました、お願いします。
あ、オリーブでなく、レモンツイストで。いやね、こないだカナダとアメリカ、回ってきたンですけど、ステイクハウスで勧められて、試してみたら気に入っちゃいまして。
オリーブは塩気が出てちょっと重いような気がするし、いつ食べていいかわからないし、何にも入ってないと淋しいし、で、でして、はは。
ゴードン・ドライジンベースにチンザノ・ビアンコですか。いいですね、ウインストン・チャーチルさんはこの酒が好きすぎてミスター・ゴードン・ドライジンと、敬意を込めて呼んでたそうですね。
エヘヘ、すいません。 #知ってることを全部いう の、アタシの悪いクセです、申し訳ない。
ややや、たっぷりの氷の入ったミクシング・グラスに酒を加え、ステンレス鋼のバースプーンでかんもして(かき混ぜて:エチゴ弁)いるのに、全く音がしない。
氷や酒をいじめない、水っぽくならないマナーだ、すごいなぁ。
はい、頂きます。
うふぅ、穏やかなステアだけどキッチリ冷えてておいしい! 量も規定の2オンス半ってとこですか、丁度いい。
アメリカのステイクハウスだと3オンス、下手すると4オンスはありそうな金魚鉢みたいな奴の出て来ることが多くって、アレだと肉の前にかなりもう、ヘベ・レケになっちゃうンで、参りましたよ。
む、オレ、今、ものすごくアメ・ション*1 っぽくてヤな感じですね、イッシッシ面目無い
…と、まあ、夕方開いたばかりのバーでやる一杯目は極めて愉し。
必要以上に軽口をたたき、調子が上がり、強い酒精で胃もココロも開いた「ような気がする」から、さ、オトウサン、今晩も張り切って飲んじゃおっかな、と、勢いがつかない、事もない。
佳い店。
*1 アメリカでしょんべんしてきただけのクセに、現地にかぶれて通ぶるさま。良い子のお友だちにはもう、「死語」かしら、はは。
2019/03/29 更新
2018/12 訪問
食後酒。
久しぶりに神保町ですし。
「ここのところ、こはだのいいのが見当たらないんで四週間仕入れてないんですよ」
…という話を聞きながらも、身が厚くなり本領発揮なすみいか、脂が細かな炭酸のように舌の上で弾ける上等のぶりなどで酒二合。
海で獲れるものを相手にしてるとタイヘンだなぁ。
干瓢とおぼろの合い巻きで締めて、お世話になりました、良いお年を、と言い合い、店を出てみると口の中の調子がウヰスキーの気分。
駿河台下に向かい、パチンコ「人生劇場」の裏の路地に入り、店に至る。
こちらでも「こんぬつわ、今年もお世話に…」と、言いながら中に入っていくと、カウンタの上に置かれた「ローガン」のボトルが目に入る。
「あ、いいですか、一杯。」
「はいどうぞ」
「じゃあそのまま」
元々のホワイトホースセラーのオーナー名を冠したというこのプレミアム・ブレンド・ウヰスキー、時代を経て、会社の持ち主が変わるに至り、廃盤となって久しい。
…と、大ぶりのオールドファッションド・グラスに生(き)で注いでもらったものをゆっくり口腔に含む。
シリアルっぽい素朴な舌触りに、軽く華やかさと甘み。ピートのアクセントと、底に潜むシェリー樽特有の香り。
それらが複雑に、しかしバラバラにならず、といって飲みやすいだけのスカスカではなく、カチリとまとまっているさまに、
まさに昔のウヰスキー。旨し!
思わず唸る。
こういう味、近頃は無くなりましたよね。
ええ、近頃のブレンドウヰスキーは専らスムーズさが売りみたいですし、シングルモルトウヰスキー「だけ」をお好みになる今のひとたちは、こんなバランスのものは相手にされないようで。モルトウヰスキーは田舎農家の産品、ブレンドのウヰスキーは街の総合商社の品物、という感じでそれぞれの性格の違いを説明申し上げるんですけど、あまり分かって頂けなくて。
て、事は、よそのお客さんにはあんまり出ないね。そりゃいいや、壜の残り、これからアタシが通ってひとりで飲み干しちゃいましょう。
いや、それはちょっと…
馬鹿話をかわしながら、酒と別にとった水を交互に口に運び、あー、とか、うー、とか言っているうちにグラスが空く。
さて、もう一杯、なにか貰おうかしら? と思っていたところに三人組の新しいお客が入ってきたので、それを潮に席を立つ。
来年もよろしく
良いお年を
こんな風に、馴染みの酒場での一年は終わる。軽いものである。
軽いものだが、あと何軒に顔をだし「来年も」と、お愛想振りまくのかな? と思うと、少し気が遠くならない、事もない。
2018/12/21 更新
2018/08 訪問
今夜こ・れ・か・ら
台風が温帯性低気圧に変わった、とかで、いい風が吹いていて気持ちのいい夕方。
週末で、仕事も済んで、帰りは明日だから、解放されたような気になり、歩いていると、表題の古い、流行歌(流行らなかったけどね)がアタマの中で、繰り返し流れてくる。
今日はお寿司だ(ウナギ文)
…その前にサンダウナーの一杯目をやりたいな、と、路地に入ると、良さそうなバー。
自家製ミントのモヒート、なんて書いてあります、結構ですね。
こんぬつわ、よごさんす、と、中に入る。
スパルタンすぎず、ストイックな風でもなく、といって砕けすぎてもいない、心地よい空間。
なんというか「八十年代の神保町」っぽい。
比較的新しい店(こちらに来て二年足らずだそうです)なので、目の前のバックバーに並ぶ酒壜の構成も、無理のない感じで必要十分。
口開けの客だったらしくわたくしひとり。カウンタにはご主人と
えっ?
あれ?
ややや、久しぶりですね、な、湯島の名店EST! で、修行してたバーテンダーさん。
では、系統? に敬意を表してギムレットから。あゝ、カチリとしてていい調子。
それから…
お、フローズン・ミント・ダイキリとな!? これもお願いします。
へえ、これだけ暑くて雨も少ないと、水はけが良くてミントの出来がいい? ふむ、ご自身で育てられているんですか。なるほど爽やかで結構。
酒自体の出来上がりも、ちゃんとしているんだけど、なんというかリゾートっぽく仕上がっていて、週末の気分に調和する。
勘定を済ませ、ふと振り返ると、角に置かれた棚には、「分かる人にはわかる」酒。ほうほう。
こりゃ通うことになりそう、久しぶりに「肌に合う」店を見つけたな、と、嬉しくならない、事もない。
2018/08/25 更新
こんばんは、ジャックローズを。
すみません、フレッシュじゃないですけど
ええ、シロップでけっこう。それにしてもナマざくろ、使う店、増えましたよね。
ええ、当店でも年末までは使っていましたが、さすがに年を越しますと。冬場に旬の果物って少ないですから、どちらのお店でも使うようになったのではないでしょうか?
あ、なるほどね。今の時代、季節に関係なくなんでも出てくるけど、確かに息が白い外から店に入って、ギムレットもないものねえ。
それに、フレッシュのざくろを使ったときの、紅色って、鮮やかで綺麗ですしね。さ、どうぞ、ジャックローズです。
…掌に合わせた小さなシェイカーの構え方、振り方、振っている音が、「湯島の御大」にますますソックリになったなぁ、と目を細め、グラスのなかみをすする。
カルバドスとグレナデンを合わせた酒の底から、どことなく「血の味」じみた風味を覚えるところにも、なんというか「冬の飲み物」といった趣きをかぎとる。旨し。
つぎはブランデー、おいしいのなにか。あんまり高くないのでね、はは。
それではコチラなんかどうでしょう。ドイツ製、だそうです。
ん? ドイツの? リンゴですか?
いえ、葡萄だそうです。アゥバッハといいます。ドイツのヒトは生真面目だからか、キャラメルで色を調整するとかしないんでしょうか、自然な色ですし、過剰さがなく、くどくなくいいですよ。
ふぅん、むむ、確かに素直でいいですね。
はい、「湯島の店」で志ん朝師匠が贔屓にされていました。師匠、シャレていてドイツのあれこれがお好きだったんだそうです。
…と、たまに思い出したように訪問し、舌に四方山話を乗せ、のんびりと時間を「切り取る」のはまこと、気持ちが救われる思いがする。
あ、そういえばMSSBさんが通われている、近くのおすし屋さんに伺いました。いいですね、ああいう古くから、に「手を加えないでいる」店。
ええ、アタシはあそこのすし飯の調子が好きで。
はい、おいしいですね、先日たまたま飛び込みで行ったら入ることが出来まして…でも、すぐ後に雑誌に載ってしまったから、これからは予約、しなくちゃいけなくなりそうですね。
そうかもしれませんね。でも、ついこないだ、「直前一時間前の電話」でフツーに入れましたし、お客さんも以前同様、老若のご夫婦、それからアタシ含めて社交性が「あんまり」なさそうなひとり客ば…あ、こりゃ失礼か、はは。
ははは。
こんなどうでも良い事を話しながら、神保町の夜は更けていかない、事もない。