無料会員登録/ログイン
閉じる
気になるお店はこちらで保存ができます
空席確認・ネット予約
閉じる
リクエスト予約希望条件をお店に申し込み、お店からの確定の連絡をもって、予約が成立します。
1 予約の申し込み
ご希望の条件を当サイトよりご入力ください。
2 お店からのメール
ご予約が承れるか、お店からの返信メールが届きます。
3 お店へ来店
予約が確定した場合、そのままお店へお越しください。
電話なら予約できることがあります
閉じる
092-923-3792
最新の情報は直接店舗へお問い合わせください。
gozeeraさんの他のお店の口コミ
LITTLE MOTHERHOUSE CHOCOLATE FACTORY SHOP(東銀座、銀座、銀座一丁目 / チョコレート)
パティスリートレカルム(千石、巣鴨、駒込 / ケーキ、マカロン、パン)
Pizzeria LUMEN(東新宿、新宿三丁目、西武新宿 / ピザ、イタリアン、パスタ)
喫茶パステト(新宿西口、新宿、新宿三丁目 / カフェ、喫茶店、スイーツ)
炭焼うなぎ 加茂(東都筑、都筑 / うなぎ)
まるたや洋菓子店(浜松、新浜松、第一通り / スイーツ、ケーキ)
店舗情報の編集
閉じる
「みんなで作るグルメサイト」という性質上、店舗情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。 詳しくはこちら
店名 |
茶房きくち
|
---|---|
ジャンル | 和菓子、レストラン |
予約・ お問い合わせ |
092-923-3792 |
予約可否 |
予約可 太宰府天満宮参拝の際は、予約可 |
住所 | |
交通手段 |
西日本鉄道太宰府線 太宰府駅 徒歩3~4分 太宰府駅から222m |
営業時間 |
営業時間・定休日は変更となる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください。 |
予算 |
~¥999 |
予算(口コミ集計) |
~¥999
|
支払い方法 |
カード不可 電子マネー不可 QRコード決済不可 |
席数 |
(テーブル席) |
---|---|
個室 |
無 |
貸切 |
不可 |
禁煙・喫煙 |
全席禁煙 |
駐車場 |
無 近隣コインP |
利用シーン |
こんな時によく使われます。 |
---|---|
サービス | テイクアウト |
お子様連れ |
子供可 |
ホームページ | |
公式アカウント | |
オープン日 |
1951年 |
初投稿者 | |
最近の編集者 |
|
食べログの会員になるとレストラン情報を編集する事ができます!この機会に是非ご登録ください!
この店舗の関係者の方へ
食べログ店舗会員(無料)になると、自分のお店の情報を編集することができます。
店舗会員(無料)になって、お客様に直接メッセージを伝えてみませんか? 詳しくはこちら
店舗会員になると、無駄な広告費をかけずに効果的なPRができます。詳しくはこちら
紙ではできない予約管理を。いますぐ無料ではじめよう。詳しくはこちら
既に会員登録が完了している方はこちらからログインできます。ログインはこちらから
◼︎きくちの由来
きくちは、1951年、「菊地商店」として創業。
店内は細長ーくあり、行列は店内に向かって並びます(東京人形町の柳屋方式です)。
◼︎梅ヶ枝餅の由来
菅原道真公をお祀りする太宰府天満宮。
その門前町の一つの風物詩として有名な梅ヶ枝餅。
太宰府配流となり、食事にも事欠いている菅原の道真を憐み、近くの老婆(浄妙尼)が、好きだった餅を梅の枝にさして差し上げたことがその始まりと言われています。
※更に菅原道真と太宰府について、色々調べて書きました。文末載ってます。
◼︎梅ヶ枝餅 130円
生地は、国産のもち米とうるち米の粉を使用しており、
表面はパリッと餅部分も薄く、さっくりしている印象。
生地は一番薄く、香ばしい印象です。
餡は北海道十勝産の最高級の「雅(みやび)」。
餡は昔から手づくりにこだわっています。
茹であがった小豆を釜で圧力をかけずに時間をかけゆっくりと、丁寧に仕上げており、
また餡の色は赤色がかった小豆色をしています。
他店は一般的な黒あんという感じなので、これは"きくち"の特徴と言えます。
これも手がかかる技で、小豆のアク抜き作業を、時間をかけてしっかりと取っているため、小豆本来の色が出せているのだそうです。
餡は潰し気味のように感じました。そして非常に(一番)甘いですね。
キャラメルのような印象を持ちました。
ちなみに毎月25日は天神様の日(命日)として、よもぎが好きだった菅原道真にちなんで、よもぎ梅ヶ枝餅が販売されます。(他店でも売り出されます。)
御馳走様でした(≧д≦)ゝ!
◼︎他店比較
かさの家(総合3.7点)
餅:厚め、ビニール包装してるので、柔らかくなってる。粘り強く、よく伸びる。餅も甘め。
小豆:粒が細かく、綺麗に残っている。
甘さは一番控えめ、上品。
やす武(総合3.6点)
餅:表面はパリッとして香ばしく、
餅は柔らかいく、伸びる、一番バランスが良い。
餡:小豆粒大きく、甘め。
きくち(総合3.6点)
餅:餅は薄く、表面も内側もパリッとしており、非常に香ばしい印象。
餡:赤い小豆色が特徴、つぶし気味、キャラメルのような、かなりの甘さ
◼︎菅原道真と太宰府と"梅"
「天満宮」は、学問の神様である菅原道真を御祭神とする神社の ことで「天神社」とも呼ばれ、全国約 12,000 社あるとされ、京都府の北野天満宮と福岡県の太宰府天満宮が総本社です。平安時代の貴族であり、優れた学者だった道真は、仕事がとてもできたので、異例のスピードで(右大臣にまで)出世していました。
そのことを良く思わなかった人たち(左大臣の藤原時平)によって901年に京(現在の 京都)から太宰府(現在の福岡県)へ左遷され、903 年に亡くなってしまいます。道真が亡くなった後、天変地異が相次ぎ、左遷に関わったとされる人々が次々に亡くなったため、左遷されたことを恨む道真の祟りだと考えられました。そして919 年、道真の祟りを鎮めるために、道真の墓所だった場所に神社を作ったのが太宰府天満宮の始まりです。(道真を天を司る天神(雷神)として祀るようになったとか)
その後も祟りは収まらず、947 年に京都 に北野天満宮を建立し、それ以降、大災害が起こるたびに日本各地に道真を信仰する神社が建立されたと言われています。最初は道真の祟りを鎮めるために建立された「天満宮」ですが、道真が優れた学者であった(わずか5歳で和歌を詠んだ事から「神童」と称された)ことから、現在は「学問の神様」「受験の神様」として信仰を集めています。
天満宮に梅の木がたくさんあるのは、菅原道真が子どもの頃から梅が好きだったからだと言われ、 自宅周辺にもたくさんの梅の木を自分で植えていたそうです。道真は、大宰府へ左遷され、京を去 る前に自宅の梅の木に対して歌を詠みました。
「 東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ 」
東風(こち)とは、東から西に吹く風のことで、日本では春に吹きます。「あるじ(主)」とは、 梅の木の主人である道真のことです。「春風が吹いたら、香しく美しい花を咲かせておくれ、梅の花 よ。主人がいなくても春に咲くことを忘れてはいけないよ」という意味です。この歌を聞いた梅の 木が、慕っていた道真が太宰府に到着した日、一夜にうちに京から太宰府へ飛んで来たというのが 「飛梅伝説」です。京から太宰府へ飛んで来た梅の木はそのまま根付き、現在も太宰府天満宮で御 神木として大切にされています。天満宮に梅がたくさん植えられているのは、道真公が梅を愛していたからなのです。
◼︎菅原道真の偉業
894年には、唐の国情不安と衰退を理由に「遣唐使」を廃止させました。
これが、のち日本独自の平安文化「国風文化」を生むことになり、独特な服装である十二単 (じゅうにひとえ)や、 日本独自の文字となる「かな文字」の発明に至ります。
◼︎菅原道真と雷神
上記がが北野天満宮創建の由来のひとつですが、道真公の死と日本の民間信仰に存在した雷神が結び付いていたことがわかります。
ちなみに、雷が鳴った時に「くわばら くわばら」とよく雷除けの呪文を唱えますが、道真公の所領だった「桑原」にだけは雷が一度も落ちなかったという言い伝えから、この呪文を唱えるようになったといわれています。
◼︎菅原道真と梅干
ところで、梅干の種の中心部分を「天神様」と呼ぶようになったのはいつごろなのであろうか。江戸時代の半ば、「梅をくふとも種食ふな 中に天神寝てござる」という歌が庶民に語られるようになった。梅の種は食べ過ぎるとお腹によくないと考えられていたため、例えば子ども等が誤って食べてしまわないように、人々は知恵を絞ってこのような歌をつくったのかもしれない。
人々の天神信仰もあって、道真が愛した梅の種の中に「天神様が宿っている」という伝えは素直に受け入れられたのだろう。
梅の種を粗末に扱うことのないように、太宰府天満宮には江戸時代に「梅の種納め所」が設けられた。この種納め所は、現在も残っている。