孤軍奮闘のご主人。こだわりは感じられるがやや空回りな部分も : 手打ちそば処 柳屋

　清々しく晴れ渡った10月最後の土曜日、向かったのはいつもお世話になっているマイフォロアーのkanamilkさんご推奨のひばりが丘の蕎麦屋。
　場所は駅の南口から4.5分の新しい建物が目立つ住宅街の中だが、こちらは植栽に覆われた趣ある一軒家で、長年地元の皆さんに親しまれている雰囲気を醸し出している。

　11時開店でそれより15分ほど経った頃に入店。
　一番客であり、40歳代と思われる愛想の良いご主人に迎え入れられる。

　民芸調の店内はかなり年季が入っており、やや雑然としているが不潔感は無い。
　土間のようなフロアーに、巨大な自然木を分厚く輪切りにした複雑な形の大テーブルが3つ設えられ、その周囲に6.7個ほどずつ置かれた高さが微妙に違う腰掛も、切り株を利用したもの。
　襖の向こうに小上がりの座敷も見えるが、普段は使われていない様子。
　左手奥の石灯籠が望める、窓際の席を選ぶ。
　
　入ってすぐ気が付いたのは、灯油の燃える臭い。
　店内には早くも石油ストーブが灯されており、その隣には換気と空気循環のためと思われる扇風機が廻っている。
　決して良い臭いでは無いが、子供の頃が思い出され何故かホッとするような気分になる。
　
　まずはビールをもらうが、キリンとサッポロが用意されており前者を選択。
　「クラシックラガー」が小さな角盆で運ばれ、お通しには「昆布煮」が少量付いた。

　メニューは資料ファイルのような冊子に纏められており、豊富な蕎麦の種類には季節感が盛り込まれ、ご主人の意欲的な姿勢が感じられる。
　肴類も結構な品数が並んでいるが、＇小鉢が5品で何が出るかは台所次第＇の文言に魅かれて「おつまみセット」（1,100円）を注文。
　繁忙時では出来ないことも有るようだが、まだ後客も居ない早い時間帯なので快く受けてくれた。

　少し時間が掛かったが、横長の角盆が登場。
　内容は「豚肉と牛蒡の金平風・板わさ・冷奴・温泉玉子・長芋摺り下ろし」の5品で、温かい状態で出された金平以外は手の込んだものは無く、個々の内容も少々期待はずれ。
　蒲鉾の質は良いが、たっぷり添えられた山葵は粉山葵。
　ピリ辛の金平の味付けは良かったが、温泉玉子は生卵と大差は無く、長芋もただ摺り下ろしただけと言ったもので、冷奴にも何のひねりもない。
　
　ビールはすでに空になり、酒に「黒龍」を一合追加。
　おつまみセットのボリュームは有ったので、暫しのんびりとした時間を過ごす。
　後客はいずれもご近所の常連さんのようだ。

　そろそろ蕎麦にしようと、メニューをにらむ。
　季節のきのこ関係の種物にもそそられるが、気になったのは「天ざる」とは別に載っている「もりそば天つき」。
　写真を見ると笊に盛られた蕎麦の上に、天ぷらが放射状に置かれたユニークなスタイルで、面白そうなのでこれにしてみる。

　蕎麦に先立ち直径2㎝ほどの岩塩がおろし金と共に出され、ご主人は＇こちらを削ってお待ちください＇の言葉を添える。
　天ぷらを出す際には全てこれが付くようだが、岩塩がかなり堅くおろし金がステンレス製の薄手で、しかもあまり目が立っていないので頑張って手を動かしても削れる量は僅か。
　おろす音も耳触りなので、他の客にも気を使ってしまう。

　少量の塩がやっと削れた頃に、蕎麦一式が登場。
　写真通りに大き目の竹笊に盛られた蕎麦の上に、小海老5尾と野菜3種（茄子・椎茸・ピーマン）の揚げ立て天ぷらが並べられており、酢橘と白髪ねぎがあしらわれている。

　つゆは徳利で供され、空の蕎麦猪口が添えられている。
　先に少し含んでみると濃い目でやや返しが強いが、円やかさもあり悪くない。

　まず小海老と言っても結構な大きさの海老天を塩で試すと、衣厚めでややぽてっとした揚げ上がりだが油切れは良く、素材の旨味も感じられる。
　つゆに浸してみるが、衣がしっかりしているのでこちらの方が合う。
　3種の野菜はそれぞれの持ち味が生きており、子供の頃に祖母が作ったお惣菜的な「精進揚げ」が思い出され、海老よりもむしろ美味しく感じる。

　蕎麦は自家製粉の手打ちで、やや太めで綺麗に揃ってはいないが適度な歯応えで、香りも感じられる。
　色はやや白っぽく配合は＇二八＇くらいと思われ、挽きはやや粗いがざらつきは無い。
　濃い目のつゆにも良く合い、つゆに浸した天ぷらと絡めても美味しかった。

　蕎麦湯は釜湯のままの自然体で、口開けのためほとんど白湯状態だが問題なく、これをとやかく言うのは見当違い。
　しかし湯桶が蕎麦と一緒に出されるは困りもので、やはり食べ終わりを見計らって熱いものを出して欲しい。

　蕎麦前についての物足りなさは有ったが、蕎麦の仕上がりや天ぷらの出来は悪くない。
　細かな点で不満は有るものの、トータルの評価はまずまずと言ったところ。
　勘定も税込みで4,000円弱なので、CP面でも納得。

　しかしながらワンオペの状況は、やはり忙しない。
　随所にご主人のこだわりが感じられ、創意やアイデアには見るべきものが有るが、ご主人一人で全てを賄うには無理があり、もどかしさは否めない。
　今回は早めの時間帯でそれほどでは無かったが、客が立て込むと豊富で複雑なメニューがかえって災いして、待たされるケースもあると思われる。

　こちらは創業50年でご主人は2代目とのこと。
　営業時間は一応11時から夜までの通し営業になっているが、実際には一旦閉めて夜は17時からと言うのが実情のようだ。
　古くからの常連さんに支えられて商売を続けているようだが、ご主人の孤軍奮闘ぶりがやや空回り気味に見えるのが気がかりである。

　
　ちなみにここから住宅地に少し入り込んだ所には、2年前まで「たなかhttps://tabelog.com/tokyo/A1328/A132801/13005968/dtlrvwlst/B121054005/」が在った。
　かつて隆盛を極めた「練馬田中屋」の御大「田中國安」さんが引退後、自宅を改造して設けていた蕎麦屋だが、2年前に93歳の天寿を全うされて間もなく閉店。
　帰りに記憶を辿って行って見ると全くの普通の住宅となっており、表札も別の方の名前に変わっていた。
　往年の「練馬田中屋」の面影が完全に消滅したことに、寂しさは禁じ得なかった。