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本日夜空席あり
050-5593-4629
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サフランの花びらは、お風呂に入れると美人の湯になります。ははっ。
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パコ崎ミャ子
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店名 |
月島スペインクラブ(ツキシマスペインクラブ)
|
---|---|
ジャンル | スペイン料理、ダイニングバー、バル |
予約・ お問い合わせ |
050-5593-4629 |
予約可否 |
予約可 |
住所 | |
交通手段 |
地下鉄月島駅7番出口から 徒歩3分 月島駅から253m |
営業時間 |
|
予算 |
¥6,000~¥7,999 ¥1,000~¥1,999 |
予算(口コミ集計) |
¥8,000~¥9,999
¥1,000~¥1,999
|
支払い方法 |
カード可 (VISA、JCB、AMEX、Master、Diners) 電子マネー可 (交通系電子マネー(Suicaなど)、iD、QUICPay) QRコード決済可 (PayPay、d払い) |
領収書(適格簡易請求書) |
適格請求書(インボイス)対応の領収書発行が可能 登録番号:T7010001114923 ※最新の登録状況は国税庁インボイス制度適格請求書発行事業者公表サイトをご確認いただくか、店舗にお問い合わせください。 |
サービス料・ チャージ |
ディナータイムはチャージ料がお一人様500円、2階席は1000円(お子様は500円) フラメンコ開催日はチャージ料が異なります。 |
席数 |
170席 (テーブル席100名 カウンター席20名) |
---|---|
最大予約可能人数 |
着席時 120人、立食時 200人 |
個室 |
無 |
貸切 |
可 (20人~50人可、50人以上可) |
禁煙・喫煙 |
全席禁煙 |
駐車場 |
無 近隣のコインパーキングをご利用ください。 |
空間・設備 | オシャレな空間、落ち着いた空間、席が広い、カウンター席あり、ソファー席あり、ライブ・生演奏あり、プロジェクターあり、車椅子で入店可 |
コース | 飲み放題 |
---|---|
ドリンク | ワインあり、カクテルあり、ワインにこだわる |
料理 | 野菜料理にこだわる、魚料理にこだわる |
利用シーン |
こんな時によく使われます。 |
---|---|
ロケーション | 隠れ家レストラン |
サービス | 2時間半以上の宴会可、お祝い・サプライズ可(バースデープレート)、ソムリエがいる |
お子様連れ |
子供可(乳児可、未就学児可、小学生可)、ベビーカー入店可 ベビーカーでの入店は可能となっておりますが、入り口には階段がございますので十分にお気をつけください。 |
ドレスコード | お気軽な服装でお越しください。 |
ホームページ | |
公式アカウント | |
電話番号 |
03-3533-5381 |
備考 | |
初投稿者 |
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「一度、京都にも顔を出してください」
単純な顔合わせで、パパっと愛想笑いの交換で済むと思った現場で、
『でも、この話の当時、竹刀は鍔元に手を揃えて握っているんですよね~。バットを振るみたいに~です~♡』
とか、言ってしまった。
別に悪気があったわけでもなく、マタニティフリフリのカッコが周りから浮きすぎて、
撮影現場のチョンマゲ姿のお侍さんの中で、何とか自分のコミュ障を隠して、
話のアクセントのつもりで、言っただけだった。
ただ皆に「へぇ~」と流してもらうつもりで、言っただけだった。マジで。
「えっ?ちょっとソレ詳しく教えてください!」
『あっ!いえ、アノ、その、幕末とかその江戸の後半の浮世絵とか絵とか、みんな、鍔元に手を合わせて持つ姿が、そのまま画がかれているけど、ほとんどの歴史学者は皆その意味を無視していて・・・、あっ、でもココにその「竹刀の握り」にこだわる、アホな学者もいますけど。ははっ。ははっ・・・。はっ、はぁ。アレっ?』
本当に悪気は無かった・・・。
制作の人が、そこまでこだわって取り組んでいるとは・・・知らなかった。
「ちょっと、調べます」・・・現場が浮足立ってしまった。・・・マジ、すまぬ。
『・・・コッコッ、coordinatorさーんー。へっ、ヘルプミー! 』
ウキウキ、バカンス気分で東京を旅立ち、静岡清水から京都に来たまでは良かった。楽しかった。
しかし、己の吐いた一言で、引くに引けず、その後、京都と奈良を「竹刀の握り」の意味のため、なんと5往復。
我ながらアホの極みだと自分を責めながら、なんとか結論を弾き出した。
えっと、刀の先、「切っ先」をいかに早く人体に触れるかが、昔の刀法。
相手の刀を受けたり、かわしたりは考えない、
「一発こっきりの、切り方、握りかた」
その場合、バットを振り切る握りの方が、飛んできた玉にバットをあてるバントの握りよりヘッドスピードは出る。
つまり、左右回転系の刀の進行なら、バットを握るように持って振った方がスピードは出ると言うこと・・・でいいのかな。
たぶん、剣道で今の洗練された時代の「握り方」と昔の「握り方」は、目的が違うと言うこと。
一瞬でも、一か所でも早く相手にダメージを与える目的と、
正確に、的確に狙った部分を打ち抜く違い。・・・だと、思う。・・・多分だけど。剣道とかまるっきり知らヌがぁ。ははっ。
その後、金沢から新潟、山形米沢。で、仙台まで出て、福島で一息入れて、師匠に愚痴る。
『えぇ~ん。こんな大事になるとは思ってなかったでしゅ~。私もまだ結論出てないのに、映像にするって向こうが勝手に言い出したのに~。私、悪くないモン。悪くないよネ?。えぇ~ん師匠~慰めて~♡』
「わかった、わかった、後数日で夏休みだから、東京で待ってて。直ぐ遊び行くからネ」
何か「口は災いの元」をリアルに体験して、日本の真ん中あたりから少し上の方を一周してみた2週間だった。
師匠に見送られ、東京駅に向かって走り出した電車の中。
旦那様とのlineで
「東京駅でチキン弁当を含めて、駅弁を10個買ってきて。同じのでも可」とやり取りした。
『coordinatorさん。チキン弁当とかとは、ドコぞで手に入りますか?』
「あぁ、週刊誌の影響でしょうか。総額1万円以上だと、家まで届けてくれますよ? 頼みますか?」
思わず、お願いしますと言いそうになったが、coordinatorさんに駅弁の内容を説明されたら、
チキンライスの弁当の事を知った。
・・・だったら、気分的に出来立て熱々が食べたいし、丁度月曜日ならなおさらベストなので、
『やっぱり、月島でパエリアを食べます』
とcoordinatorさんには予約をお願いして、旦那様とは東京駅から出る車で途中で拾って行くことにする。
・・・。・・・。・・・。
パエリヤの本場では、とかの話はイロイロ聞くけど。スペインとかで、バレンシアとかバルサでもとか、とか。
単純に「米」を第一の食として育った身としては、海外発信の料理でも納得できる「米料理」として、
敬意を持って接している。「パエリア」に対して。パエリアは美味しい~♡
パエリヤの起源の話はチョロっと調べれば誰でも分かる。
でもでも、バレンシアのオレンジ農園で一つの家族が中心になり、集まった人達でワイワイ味わう、
あの太陽とオレンジの香りが乗った潮風の「パエリア」の味は、中々伝わらないし味わえないし・・・。ははっ。
レンガで囲った炭の上に1メーターに迫るパエジェラを置く。
鍋底に太陽が反射する。鈍い輝きが、余計に日差しの強さを感じさせる。
深さの無いパエリア鍋を見据えて、カップになみなみと注いだオリーブオイルを何度か回し入れる。
鍋底をオイルが踊らないうちに、刻んだ香味野菜を入れ、一回し。
そして、米を入れる。米を炒めるでは無い。温まるオイルに米をまぶすとか、そんな感じで。
後から入れるサフランの入ったスープがビシャビシャと必要以上に米の芯に入り込まない様に、
静かにオイルをまとわせる。優しく優しく。炒めるでは無いし、米が透き通るまででも無い。
強火でやれば直ぐに米は透き通るけど、ほぼ米にヒビが入るし、割れる。それは、正直美味しくない。不味くなる。
だから、ザっザっと鍋底から米を動かす木ベラが少し粘り気ある抵抗を感じるまで、優しく動かす。
ほど良くなったら、サフランの入ったスープを入れる。20分以上少量のサフランを浸したぬるま湯でもイイけど。
それと手で握りつぶしたトマト、魚介でも海老はマストで、あとムールとアサリもだけど。
ウサギやマトンやチキン。ひき肉でもいいし、ハムでもベーコンでも自然と味が出るモノなら実は何でもイイ。
ドンドン入れる。沸騰したら弱火で。蓋はしない。これ大事。家でフライパンでやる時も、蓋はしない。
蓋をすると味が落ち着いた馴染み感じになって、パエリア独特の味の揺らぎ、
それぞれの具材の側でも味の抑揚を米から感じるアノ楽しみが薄くなってしまう。
徐々に周りの水分が蒸発し、スープに潜んで、ひしめいていた米は火が入ってくるうちに膨らんでくる。
ダンダンと米の一粒一粒に表情が出てくる。艶々でニコニコと。
米のnaturalなデンプン、具材の持っている美味しさのゼラチンが、
ホワホワと沁み出し溶け出し、米がさらに整ってくる。
表面にスーっと薄い膜を感じて、鍋の縁がチリチリと音を立てて、
米が全体として引き締まり、鍋肌から少し隙間が出来てはがれてきたら、
ちょとだけ強火にしてオコゲを作り、仕上げのアクセントにする。
オコゲの確認をするように取り皿に取り分ける楽しみをココで作っちゃう。
・・・。
広い店内。天井が高い。二階席も素敵。カウンターも悪くない。そんな雰囲気を楽しんでいると、ドラの合図。
「ご~ん」と。
大きな鍋で、みっちりもっちりと目に麗しく揃え炊かれた「パエリア」が座席まで運ばれて、披露してくれる。
運ばれて来る途中に、空間に放たれている香しき香りの波が気になって、鼻を先頭に席から尻が浮きそうになる。
「月島スペインクラブ」様。
今宵も楽しく美味しく艶やかに、私達を出迎えてくれる。お店の空間の使い方が、絶妙。
席に座った感じが、日常から上手に切り離してくれて食事の楽しみに没頭できる。
コースもアラカルトもタパスもアヒージョも、スペイン料理の魅力を存分に教えてくれる。
いつもなら、勧められるままにワインのがぶ飲みで始まり、がぶ飲みで終わるのだが、妊娠中なので我慢。
我慢と書いたが、不思議なモノで妊娠してから別にお酒とか飲まなくても平気になった。
飲まなくても全然平気のこの不思議な感覚。マジ不思議。ははっ。
「大鍋で焚き上げた特製パエリア」
パエリアは「個」の料理で、決して「和」の料理ではないと思う。
米の個性を引き立たせて、食べる者に満足感とか満腹陶酔恍惚を伝えてくる。
調和という「和」の平均的安心感では無く、米が持つ「生命の元に訴えてくる」意識の中に立ち上がる「個」とも、
「個性」として立ち上がる勇ましき姿とでも、言うべきものを感じる。
そこには、同じようなカッコをして、同じような受け答えをして、少しでも変わったモノを排除したり、無視したりする世界は無い。米と言った唯一無二の存在をひたすら輝かすために、米以外の全てが脇役に徹している。場によっては降りそそぐ太陽さえも立場をわきまえる。わきまえた存在の潔さを米は無駄にはせずに、存分に「個」を「個性」を発揮する。
具材の美味しさを米に存分に伝えるだけでは、極上のパエリアにはならないと理解する。
サフランの色だけでも足りなくて、味の揺らぎとか馴染みは最終的に丁寧で愛の有る「手仕事」と感じる。
具材を炒める。水分を入れる。鍋を回す。全部「手仕事」。愛の有る手の動きや指の働きが伝わってくる「パエリア」。
愛を知ったパエリアは、開いたヒマワリの様で、太陽の様で、何かこちら注視せざるを得ないオーラを放ってくる。
米の美味しさとか、味わいを知る者には当然、ストレートに伝わってくる。もし、米を知らぬ者であってもフォークを突き刺す行動に迷いも躊躇も無いだろう。美味しく楽しくしてくれる食べ物で、何にも間違いが無いと確信できるだろうから。
米の美味しさは、地球規模で人々に馴染んでいるんだなぁと、勝手に納得する。
強引に美味しさを積み上げたり、うつむいた人の顔を覗き込むように「美味しい?」と聞くような、微妙な美味しさでは無い。ポンと「美味しい」と素直に言える美味しさ、愛あるパエリア。炊き込みご飯やピラフは、その美味しさが結構伝わっている感じがするが、パエリアの如実なクオリティーが日本では、いまいち伝わっていない気がする。勝手にだけど。
白いお皿に盛られた、黄金の米。白米が「すっぴん」で、パエリアが「どぎついメイク顔」とは思ってはいない。
パエリアは、白肌だからこそ映える「naturalメイク顔」。みんな好きでしょ。そんなメイクは。ははっ。
具材の楽しみもあるけど、黄金色の米の味わいにどうしても惹かれてしまう。具材の美味しさも米に入っている。
白い米も美味しいけど、彩溢れる黄金の米も美味しい。「和」の様で、実は「個」の味わい。
パエリアは美味しい。
それぞれの地域性とか、イロイロな材料を組み合わせたり、作る人の感性で多彩な味わいに変化するパエリヤ。
100人居たら、パエリアのレシピは300通りは有ると言われている。
作る本人。作る本人のママ。作る本人のママのママのレシピも伝わっているはずだから・・・だって~♡
「個」の味わいがこちらに伝わってくる。作る人の「個」が伝わってくる。
それを食べる人の中では、「和」が広がっていく。
それが「パエリア」を食べることかなぁ~♡とか思ったりしてりして。ははっ。
・・・。
「手の動き」も、人を表していると思う。
「目は口程に物を言う」とあるけど、
「手の動きは、気持ちの在り様を表している」と思ったりする。
文章で人を描く時、所作の綺麗さとか身のこなしとか、一連の動きとかを
何故か「手の動き」を中心にイメージしてしまう。
「食べる」話であっても、目に飛び込む彩を迎えに行く箸を持つ手の動きだったり、
皿に、うっとり混じりのため息も一緒に盛り付け料理してくれた人の、手のぬくもりとか。
その「作る」だったり「食べる」だったり、その動作が作り生み出す空間の出来事を
その場にある、「手」を「手の動き」を中心に据えて、表現の核として意識してしまう。
文章で、手の動き、感触、質感を書くのは、それ程難しくはない。
「お米の一粒一粒を意識せずにはいられない。ただ、握りしめられた塩むすび。持った指の平と手の感触から食べる人に美味しさを伝えるために、優しく何度も回転させながら形が整って出来たのが分かる。持った感触が見た目より軽いから。お米、お塩、それと、空気が程よく握られているのが伝わるから・・・」的にナンヤカンヤと思ったまんまに記せばいいだけ。難しい事ではない。
でも、その癖の様な、こだわりの様な「手の動き」を文章では無く、
「映像」で表す時、画面の中で手の位置、手の動きをどうするかをいつも悩む。マジ悩む。
台本やシナリオに「手の動き」を書ける時は書くけど、
大体は、表情とか大まかな演技とかの一部だから、
演者様に丸投げでお願いするのだけど・・・。
文章で、「慣れた」「鮮やかな」「器用な」とか、あと「優しい」「柔らかな」「おだやかな」とかの、
「うっとり系手つき」の話を自分で書いておいて、
『さて、この演者様はどんな手の動きを見せてくれるのかなぁ~』とか楽しみにしてしまう~♡ははっ。
ズルい話なのだが、会話している時の「目線」より「手の置き場」は演者様の個性と言うか、質感が伝わってきて面白い。新人さんでも、年季の入ったベテランさんでも、私が最初に注目するのは「手の動き」だったりする。
・・・。・・・。・・・。
いつものことで・・・アレなのだが・・・。ははっ。
一つの事が気になり出すと、他がドウでもよくなって、気になったことだけにとらわれる、何かが丸出しの私。
ネガティブ指摘が評価と勘違いしている人、多いなぁ~。
ポップなのに、「何にも残らない話」の面白さは伝わりづらいんだろーなぁー。ははっ。
人の不幸は何の味? じゃ、人のhappy話はさらにsweetな味かもヨ?
原作でもシナリオでもイイのだけど、歴史モノでも現代モノでもSFとかホラーでも、何でもイイのだけど、何かのパクリとか明らかな真似とか、ドコかで聞いたことのあるストーリーはマジで書きたくない。当然だけどオリジナリティの無いモノなど自分の名のもとに世に出したくないし、報酬も頂く気にもなれない。一番メンドクサイ、金以外の目的で仕事をするタイプだしマジで。ははっ。歴史検証も時代考証も出来れば自分でやりたい。誰かの歴史的価値観とか意見とか自分の作品に入った瞬間に、純粋に作品に対する愛が薄まる。味わいが弱くなる感じだ。目の前の食べ物に誰かが齧りとった歯形が残っているみたいで、手に取った箸をソッと置いてしまう。私は自分で書いたもの何度も読み返す方では無いけど、それでも続篇物とかなどだと、一通り自分が何を書いていたのか忘れていることは無かったか、目を通さないワケにもいかない。誰かの書いた文章を参考文献の名目であっても、文中の引用でもなるべく書きたくない。自分の書いた内容に価値や箔を付けるとか、信用性を持たせるにしても、頻繁に「何々に書かれている」とか「誰かが言っている」とか示しても、所詮他人様の言葉で、その効力も限界限度があるものだ。他人の意見をさんざん乗っけて、最後に自分の意見なのか考えなのか、上手くまとめている風の書き方をしても、誰かの書いたモノ、誰かが言った事の引用が全ての発信元である以上、説得力も推しも弱い。オリジナルと思って書いていても、ホントのゼロから話など中々生まれるモノでもない。つまりは、簡単にオリジナルの作品を早々と求められても、チョット迷惑なんですけど・・・という話。
・・・。・・・。・・・。
浮世絵で有名な、「葛飾北斎」の話は、1891年に飯島虚心が記した「葛飾北斎伝」(蓬枢閣)の物が全ての起こりで、その後別段新発見も無く話は終わっている。と、思っている。現在は、「葛飾北斎伝」(岩波文庫1999) で読める。浮世絵研究の先覚者として知られる「飯島虚心」(1840-1910)が,直接北斎を知る人からの聞書きや北斎自身の書簡などを素材にし、極貧の中で生き抜いた画狂人の生涯を浮きぼりにした伝記。北斎に関する基本中の基本文献といわれている貴重な書。なことに、何の文句もありません。はい。全くもって、その通りでありんス~。
江戸の文化を知る方法に浮世絵を見てとかあるのだが、実は、よく見る浮世絵は、江戸時代の結構後半の部分の話だったりする。浮世絵などの技術がより庶民に近くなる瓦版とか刷り物になると、ほぼ江戸時代の終わり5年位の話で、明治に入ってからの話もだいぶ入ってくる。江戸文化満載と言うよりも、明治に移り変わる時代の狭間の方がより感じられたりする。
浮世絵の話を紐解くと、語りたい事目白押しだけど、今回は葛飾北斎とか歌川国芳とかのソノ人物では無く、描かれた絵の中の人の「手の動き」の話。
浮世絵を見る時、その平面の中のドコに焦点をあててイイのか、慣れないと分からない事が多い。
絵の勉強とか、絵の見方とか嬉々として唱えて説明を押し付けてくる人もこの世界には多いので余計に混乱する。ははっ。
構図とか色合いとか、絵を書いた本人じゃなく、時代を超えた第三者の意見とか、本当に必要か?とか思うこともあったりして。
北斎漫画でも、他の浮世絵でも刀を持った人の「手の動き」が気なる。
刀を握る手が、「鍔にピッタリと右手が着いていて、ソコにまたピッタリと左手が着いている」。
串刺しの団子の様に。串団子は間が開いてませんよね? ははっ。
そんな感じ。うんと~。そう。野球のバットを握るように。右手と左手の間隔がピッタリと着いている。
剣道とか居合を少し知っているでも、チャンバラが好きで何となく知っているでもいいけど。
現代の刀とか竹刀の持ち方って、知っています?
右手と左手を離して持つのが普通なのです。多分だけど。ははっ。
浮世絵で有名どころの描くチャンバラの絵とか剣のせめぎ合いとか、
皆、右手と左手の間隔がピッタリと着いている。
絶妙な線画の妙技で、ダビンチに並び称しても違和感のない北斎の書く絵でも、「鍔にピッタリと右手が着いていて、ソコにまたピッタリと左手が着いている」。観察眼の鋭さから、武道の手の極め技、倒し技まで詳細に書き残している北斎が、そう描いているとなると、実はその時代の刀の持ち方は、「鍔にピッタリと右手が着いていて、ソコにまたピッタリと左手が着いている」持ち方だったと勝手に推察してしまう。。
・・・。・・・。・・・。
北斎には、シーボルトとの逸話が沢山ある。でも、それらは明治に入ってから言われ出したものも多い。
シーボルト自身も、実は来歴が明らかの様に見えて、実は謎が沢山ある人だ。だから面白いのだけど。
シーボルトはドイツ人であったが、オランダ商館医師のためオランダ人を自称していた。
そして、スペイン人の噂の有るお抱え料理人を帯同させていた。不思議なことに。
ある時、シーボルトから北斎の家に、
「五合の米と、針一本の半分の少量を入れて炊くと黄金の飯になる」と
何かの糸くずのような物が入った包み紙が、届いたそうな。
早速、娘のお栄に言われたように米を炊かせてみたら、驚くような「黄金」色の米が炊きあがった。
弟子や皆がビックリして、食べて歓喜とも絶賛ともつかぬ驚きを上げている中、
北斎は、
「この黄色は、風の色だ。突風の黄色だ」と叫んだ。
北斎には、砂や土の風の色は「黄色」に見えたようだ。
北斎の書いた肉筆画の何枚かに、風を表す部分に「サフランの黄色」が使われている。
北斎は、水、空気、湯、風を表す天才。
それは、構図や点や線だけでは無く、ストレートな色遣いにも表れている。
おいそれと、「卍」を使うことなと出来ない。
少しでも、北斎に敬意があるのなら、北斎が「卍」に向かっての名の連なりに震えが来る。
日本に「パエリア」を持ち込んだのは、実はシーボルト何では? とか思っている。
当時の食べ物とかをシーボルトを中心にポップに書けたら面白いかな~とか新たな構想は、ひたすら膨らむ。ははっ。
・・・。・・・。・・・。
久しぶりのお家。
「パエリア」とBabyで膨らんだお腹をこなすため、coordinatorさんが準備してくれた、剣道の竹刀を振り回す。
剣道とかチャンバラとか、ちゃんとヤッたことは無いから旦那様の「K」君の指導の下で、
妊娠5カ月の身体に負担にならない様に、遊びの範疇で振りりまわす。
『なんか・・・何か、アレですネ~・・・』
「何? でも、何か言わなくても分かるような気がするけど・・・、言ってみて」
『・・・竹刀を握って・・・振り回すと・・・なぜか人を、何か人を叩きたくなるのは・・・何で?でしょう。ははっ』
「はいはい、おしまい。終わり。速やかに竹刀を渡しなさい」
『へへっ・・・え~い。メーン! ドウー! お尻―! 足―! スネ―!』
「痛い、イタイ、痛! お尻とか無いし、足とかスネとか本当に痛いから止めて。ホントに もう!」
チョットだけ突き出てきたお腹の妊婦が竹刀を振り回して、
これまた出っぷりとお腹の出た旦那様を冗談で追いかけまわす。ははっ。何か、楽し~い♡