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かりい乃/Sentence spring
寒さと引きかえの抜けるような青空。
仲見世通りはもう、完全に規制前Full Powerをとり戻したかに見えている。それを見こしてのことか、ピンチはチャンスとばかりに、新型コロナ過に新装開業した飲食店がそこかしこ目につけば、一方で何故、いくつもの老舗が廃業に追い込まれなければならなかったのだろうか ……
そのことを置き去りに前進あるのみという現代社会の有り様が、まるでやぶれかぶれのめくら運転のような気がして、どうにも不安でならない
<R5.2.22>
「かりい乃」
仲見世周辺のあまりの人出に恐れおののいて食通街まで逃げてくれば、途端に落ち着きをとり戻してくれる、この浅草という町の懐の深さよ。
午前11時半のお昼の部開始数分前、いつものようにお母さんが看板を出して準備万端。その瞬間に飛び込んでいって、お店の開けるのを待っていた熱烈なファンと思われても気恥ずかしいので、わざと数分経過してから足を踏み入れてみたって一番乗り。
でも今日はすぐにおじさんが続いてくれたので、そこで客としての責任が分散されたかと、幾分気が楽になる。
ふとお水の江戸切子に浮かんだ、30年近く通った挙句黙って廃業していったどうしようもないママの面影を、せめてフェデリーニの茹であがる間くらいは恨むことを忘れ、懐かしもうと思った
“ナポリタン” @900也。
窓際に着いたおじさんの皿の中で、逆光に眩いばかりに映えているのはポークステーキだろうか。
そしてぼくのナポリタンもおっかけ舞い降りる。
お付けはワカメとお麩。フォウクしかもらえないぼくは、お麩をフォウクでやったら箸でやるよりもヤケドの確率が飛躍的に高まることは分かっていたけれど、でもそれでもいいと思った。
何故ならば、母を亡くした永遠のチョンガーの身分でお麩のお付けなんか、これからの一生で、もうなんどもやれないだろうと思ったから
お母さんのナポリタンは、最初に食べさせてもらった頃と今日も寸分違わぬ仕上がりをみせてくれている。
本場ナポリに伝わるナポリタンはスパゲッティの茹で置きで、というセオリーを易々とbreakthroughし、フェデリコ・フェデリーニの茹であげで仕上げられるお母さんのナポリタンのこの圧倒的おいしさの秘密が、溢れる母のアモーレのほかに一体何なのか ? それだけが永遠に見つけられない ……
「デパートも、100円ショップみたいになっちゃうんだね ……」
頭上のブラウン管テレビから流れてくる、都内有名百貨店の中に100円ショップが開業するというお昼のニュウスにお母さんが呼応して、こちらに向かってそんなふうにつぶやくものだから、不意を突かれてどぎまぎしていると、向かいのおじさんが流れるように極く自然に、「うん」と返してくれた。
どうやらおじさんは常連さんだったのだろう。
そんなシンプルでなんでもないやりとりが、この空間に包まれていると、まるで小津映画のように研ぎ澄まされたセンテンスに聴こえてくるから不思議である。
冷えた空気を衝く陽光の中、雷門通りを戻る。
こちらからしたら他愛ないもの、そんなもののすべてに目を輝かせる外国人観光客たち。
すぐそこにいる春を、もう探すまでもなかった
かりい乃/あるいは浅草そのもの
久々ということもないと思うけど、浅草。
未だ午前11時半に達していなく、開店しているお店が限られるので、お散歩写真しながら、喧騒復活の予兆垣間見える街をぶらぶらしている。
国際通り沿いの天ぷら屋さんの開店は正午とのことで、些か間が持たない。と、お母さんが11時半の2~3分手前でオレンヂの看板を出すのが遠巻きに見えた。お店というのはすべからくこのように、営業時間に正確であるべきだと思う。
東十条で早い時間はお客がこないからと開店時間を徐々に後ろに倒していったり、暇だから早仕舞いしたり、といった店ばかり見続けてきた私からしたら、それはほぼ感動と言って差し支えない光景であった
<R4.6.21>
「かりい乃」
看板の出たあと数分待ってから足を踏み込んだことは、私はけっしてお母さんの開店を待ち侘びていたわけではないですよ、という男の虚勢。もうほんとうはお母さんに縋るしかなくって、看板が出たときの救われた気持ちといったらなかったのに ……
江戸切子のこおり水に灰皿が並び、圧倒的な形式美が目の前に形成される中、だから間髪を容れずに例のものを注文する。
お母さんは今日は何故か、「ほかのものもできますよ ♪」とは言ってこなかった。私がそれしか注文しないとやっとあきらめてくれたのだろうか(笑)。お母さんのそのあきらめに殉じる為、江戸切子の心地好い表面のギザギザに指の腹を立てて、逆流性食道炎の慢性化した喉のすべりの調子を、先ずは調えておくことにした
“ナポリタン” @900也。
スパゲッティの茹で上がりを示すアラームが鳴って束の間の静寂ののち、フライパンのフィルインがふたたび立ち上がる !
ナポリタンの定義とは、即ち炒めのことか。
アラームが私のスパゲッティの茹で上がりを伝え、そして流れるように火の入る様がとつとして、最先端のドルビーアトモス音響を備える映画館以上にfreshな臨場感を持って、四方八方から襲い掛かってくる !
ストロークの深いレトロチックなソファが ! その逆にこの世のどんな物質よりも硬質な大理石のカウンターが ! すなわちそんな昭和のすべてのものたちが複雑且つ精密に作用し、上質なsoundをこの小じんまりとした空間全体に醸し出しているのだ !
骨太のお母さんの茹でるスパゲッティは、しかしいつも繊細なフェデリーニ。ナポリタンには太麺の茹で置き、というtheoryを軽くbreakthroughして尚平然と落ち着き払っている、そんな「new新橋ビル」のようなお母さんのスパゲッティが、私は好きだ
―― お前ただnew新橋ビルって言いたかっただけだろ !
伝統と革新の拮抗。
お母さんのナポリタンは、まさにこの伝統に則りつつも革新し続けることをやめない浅草の佇まいを完全に具現していると言え、そのことに一旦気付いてしまえば、巷に勃興する“昔ながらの”を名乗る付け焼刃の新興ナポリタン勢の、そのなんと片腹痛いことか
かりい乃/ただおいしい
今日は取引先様の安全衛生大会参加の為、午後いっぱい、黙って椅子に座り、ありがたい話を聞かなければならない。
機械は壊れるし、人は間違える。
安全の基本は、ただ気を付けましょう ! ということだけでは実現不可能で、人間が間違いを犯すことを前提として対策を講じていく必要がある。
私とそのお客さんとの関係は通常機器売りのみで、いっしょに現場に入って汗を流すということは実際には無いのだが、こういった危険予知というものは、日常生活を安全に過ごす為に応用できる部分が多いと実感しており、だから真剣に耳を傾けつつも、でも眠い ……
<R3.11.4>
「かりい乃」
会場入りする前に、先ずはご飯タイム。
久々にマンマのナポリタンを食べたくなってオレンヂの看板に突っ込んでみれば、珍しく先客が二人いらっしゃって、その内の一人立ち上がったと思ったらマンマだった(笑)。
カウンターの向こうには初めて見るチ~マンマらしき人が。
メニュウを差し出してくれようとするマンマに先回りして「ナポリタン !」と告げると、マンマはちょっと寂しそうな顔するんだけれど、「それ以外でもできますよ ♪」と言ってくださる元気まで感じとることが出来ず、ちょっと心配。
そしてカウンターの向こうへ「ナポリタン」と注文を通してくれるんだけど、いやいや、ぼくはマンマのナポリタン食べに来たんだから、ちゃんと作ってくださいよ ! と心で念じたらそれが通じたようで ! 仕方なさそうに(こらっ !)奥へと入っていってくれた
BGMは頭上のテレヴィジョンからの、イギリスをホスト国として各国首脳の集う「ロボコップ26」という、これは年々ハードヴァイオレンス化、そしてまたエロス&ヴァイオレンス化の一途をたどる凶悪犯罪に対し、前線にあたる警察官をすべてロボコップ化しようという流れの中で、ならば国ごとにばらばらに開発を進めるのではなく、最低限の規格統一を図ろうとするもの。
その中で岸田首相はめでたく化石の荒野賞を受賞し、ロボット先進国としての日本の面目躍如といったところか
“ナポリタン” @900也。
人が心に思うことは、誰も止めることができない。
そして願いは必ず叶う ! 現実には願いは叶わないことのほうが多いが今日は叶ったようで、チ~マンマの手に依り舞い降りた皿は、紛れもなくマンマのそれだった。
麺はフェデリコ・フェデリーニの茹で上げ。
それだけでもナポリタンの形式美からはちょっと外れる仕様だがしかし ! その茹で上げが、色合い的にはちょっと薄そうに見えるケチャップを十分に掴んでくれる為に、塩辛いもの好きの私にも過不足のないもの。且つシンプルながら、上手く言えないんだけど、味になにか奥行きのようなものすら感じられる。
そして添えられる若芽とお麩の御付けもまた、ただおいしい
しかしいつも思うことは、完全にミニスナック作りのこちらにいつきても、私一人か、先客一人or一組。そしてもう一組くらい入ってきたら、相席させなければそれで満席みたいな小じんまりとしたお店にあって、ということは元々少ないお客をベースとせざるを得ず、食材のロスという問題が生じないわけがないと思うのだけれど、いつふらりと訪れてみても付けあわせのレタスはfreshだし、安定したナポリタンを出してもらえて、且つマンマはさらに「ほかの料理もできますよ !」と豪語するのだから頭が下がる。
初めてこの店を訪れてナポリタンを注文したとき、それからやおら玉ねぎを刻み始めるパーカッシヴな音が、まさかカラオケスナックのカウンターの向こうから聞こえて来たことを、私は忘れもしない。
カラオケスナックに至宝のナポリタン。
手作りのぬくもりとマスプロダクツの生産性。
陽の当たる雷門通りに対し、日陰の浅草食通街。
そういったコントラストが縦横無尽に積み重なって、浅草という街の懐、さらに深く ……
かりい乃/女の腐ったようなオトコ心の
今日こそは例のハンバーグ屋さんふたたびを目論み、無意味に仲見世通りを抜けて雷門通りに出る。
曇天の浅草。
浅草の街は、何故か曇り空も良く似合う。「尾張屋本店」さんは、今日は定休日のよう。それは良いのだが、これすしや通りっていうの ? その中に厳然と、そして永遠に佇み続けるものと思っていた「三岩」さんがまさか廃業されているようで、シャッターに不動産屋の案内が張り付けてある !!!
―― 私のこれまでの人生、少なくとも見た目においては間違いなく最高に恰好の良い天丼を出す店であったが、こんなの残念無念じゃ済まされない !!
そのハンバーグ屋さん「モンブラン」が、もうそこに見えてくる。
しかし私の足が、何故か逸れた。人間の心というものがもしも全身に宿るものだとしたならば、私はもう、その自らの足の強烈な意志に抗うことはやめ、導かれるがままに食通街へと躍り出た
<R3.1.15>
「かりい乃」
orangeの看板が見えた。そこは本場Napoliのものと比べたら言わずもがな少々落ちるかも知れないが、間違いなく日本においては最高峰のナポリタンを出すRistorante、または昭和snack !(笑)。
そのChef de cuisine、兼ウェイトレス、兼大道具小道具担当のお母さんの安否だけを是が非でも確かめたくてやってきたが、いつも通りの小奇麗な店内に抱かれ、直ぐ様安心することが出来た。
BGMは日本のどこかでの、「イノシシ襲撃、相次ぐ !!!」 という緊急事態 !!
イノシシも、あの爆弾処理係の着る宇宙服みたいなのを着て一度っきりならちょっと見てみたい気持ちもあるけど、相次ぐのはヤダなと思いつつ、こおり水とグランドメニュウを持ってきてくれたシェフ兼ママに(その正体は誰なんだよ !)、そのメニュウも渡されぬまま「ナポリタンください !」 と高らかに宣言。
すると即座に、世界の料理に精通するママの、何故私が吟味に吟味を重ねてとり揃えた数々のメニュウに目を通してくれないのか、と、ちょっとさみしそうな表情が垣間見えてしまえば、不可抗力ではあるのだけれど激しい後ろめたさに苛まれるボク ……
“ナポリタン” @900也。
これほど臨場感のある魔法のような料理を、私は知らない。
どうして、そしていつから ? そこにあってもそこにいない料理、そこにあってもそこにいない人間ばかりの世の中になってしまったのかと、心底憂う。
それは“昔ながら”のナポリタンではない。
そもそもナポリタンというイタリア料理は、それまで茹で上げが当たり前であったイタリアの食卓の、その料理担当者になりがちであったマンマの負担を少しでも軽減させてあげたいという一人のイギリス人世界料理研究家、グラハム・カーが雛形をつくり、それを元に王子の「不二家」、及び「不二泉」のパーラーが切磋琢磨の上に完成させた“まったく新しい”フランス料理のことであるので(またバカなことばかり !)、まさかそれを“懐かしの”、などと良い意味として形容することが根本的な矛盾を孕むということに気付いている者は極く僅かだろう
このことは、bluesを破壊しようとしたのがrockであるのに、原点回帰でbluesy最高 ! とばかりLed ZeppelinやJimi Hendrixに、音楽的には退行してゆくミュージッシャンたちとまったく同様のことだと言えると思う。
bluesを死に物狂いで破壊しようと藻掻いたジミヘンやジミー・ペイジの精神に従ったとき、その従者たちは常に“その先”を目指さなければならず、となれば分かりやすく具体的に言えば、すべからくフルオーケストラの中心でElectric Guitarを構えて仁王立つ男、Uli Jon Rothのように、自分だけの特殊な楽器を駆使し、自分だけの音を目指していくべき、となろう
スパゲッティーニを茹で上げる“ママだけ”のナポリタンに、我を忘れて暫し微睡んだ。その触れたら切れるようなノスタルジアと先鋭の拮抗はしかし、緊張感を微塵も感じさせることはなく、寧ろLaid-backさえ覚えるほど。
千円札一枚を手渡して、ママのごつい手から100円玉ひとつ受けとり、ちょっと迷ったが、運命のメトロは今日は田原町から乗り込むことにし、国際通りを南に向けて歩きはじめた。
身体の寒さはさほど感じないが、心が冷える。
あなたかわりはないですか 日ごと寒さがつのります
いつかママと「津軽海峡冬景色」をデュエットする白昼夢を観つつ(それデュエット曲じゃないからね)、あの昭和カラオケセットのパワーアンプのフルチューブ回路は果たして未だ生きているのか ? 先ずは秋葉原にソ連製真空管を求めて彷徨うことになるのか ?
とまらない白昼夢
女の腐ったようオトコ心の未練
あなた恋しくて、津軽海峡冬景色
かりい乃/端末だけを、まだもらえない
上野松坂屋の「アルサスローレン」でミニミニパン詰合せを仕入れ、意気揚々とO嬢のところへ。
いつものように野郎二人飲み、いつものようにトラック野郎とランボルギーニ・ミウラの話題にのめり込んでいるところへ(笑)重役出勤してくるO嬢。
パンを手渡すと彼女は早速それの点検作業に入り、ミニウィンナーパンを見付けると、それがいっくら小さいからって、どうするのかなぁと思ってそれとなく見ていたら、自分の小さな顔のセンターに付いている小さな口に一気に頬張ってそれを腕力で圧入し、ひと呑みにしやがった !(笑)
先ず自分がそうやって呑んでから、それから姉妹店の中華屋含め、お店のみんなに配って回る。それこそが「O嬢の物語」!
O嬢は私のインスタを見てくれているという。
写真を一枚一枚見て一枚一枚、いいなぁ ♥ って思っているよ、って ……
「だったらなんでイイネしてくれないの ? 思ってるだけじゃなくて、イイネしてくれないと、そのいいね~って気持ちが相手に伝わらないからね」
「イイネハシナ~イ。Y~チャンイイネシテルノ ?」
「…… Y~ちゃんは、もっとイイネしてくれない ……」
<その翌日 R2.2.13>
「かりい乃」
「ナポリタンください」
「ナポリタンでいいですか ? いろいろできますよ ?」
こないだはいろいろ出来ますと言われてこのお母さんの余裕はいったい何なんだと思ったが、今日また同じことを言われると、もしやナポリタンを作るのが面倒なんじゃないかという疑念が湧きはじめる(笑)。今日は、ゆりがちょっと萎びている。
このゆりが完全に枯れたときが、お母さんが死ぬとき。そう思うと、これからやってくるナポリタンも感慨深い味となろうというもの ……
昨日も飲み過ぎた。
実は一旦「ぱいち」さんの前に立ったのだが、本日のメンチと海老フライというふだんなら私の好物を前に、でもやっぱり揚げものはキツいかなと、今日のところはただ優しさに包まれたく、こちらにやってきた次第である
“ナポリタン” @900也。
BGMは「徹子の部屋」。
今日のゲストは71歳になった ! 桂文珍さん。
なんでも、コンビニでお酒を買おうとしたらアルバイトの女の子が「年齢確認をお願いします !」と聞いてくるので、もしや自分も二十歳以下に見えるのだろうかと一瞬喜んだのだけれども、どうも全員に確認しているようで、落胆しつつ、ショックで身分証明証を出そうとして気が動転し、間違えてかかりつけの病院の診察券を出してしまったのだそう (笑/よく作るわよね~ !)
そして舞い下りる、優しさと切なさと心強さのナポリタン。
この皿はまさしく母の慈愛、強さ、そして悲哀に満ち溢れていた。味のないレタスの葉っぱをそれでも残さず食べるのは、インコの気持ちを忘れないように !(お前いつインコだったんだよ !) 短冊の薄いハムをいつまでも愛でているのは、嫌いな鯨のベーコンを無理矢理食べさせられた時に滲み着いたトラウマを振り払うため !
今日は何故か、おっかけ職人風のおじさんと、別口で、未だ若いとお見受けするが飲み屋のママ風のお姉さんが入店してきて、お母さん一人で回しているお店が図らずも超繁盛店になってしまった !(笑)
こんなとき、東十条のママならたちどころに不貞腐れるところだが、こちらのママはさすがに日本人 !(いや、東十条のママも純国産ながら、顔と喋り方がフィリピン人なだけ/笑) ほんとうに偉いと思うが淡々と料理をこなし、窓際のおじさんの料理が二皿、そのレンブラントライティングに映えているのだが、年嵩のおじさんに何故二皿なのかが意味不明 !
浅草、食通街。私は未だ認められていないようで、今日もカラオケの端末とマイクは与えられない。いったいいつになったらその資格が得られるというのか ?
フォウクを、腹を上に午前7時の位置に置いた。ゆりは、辛うじてまだもっている。お母さんがまだご健在なことを認め、急いで店を後にした (失礼な !)
かりい乃/さざれ石の巌となりて
朝方都内でも随分と深い霧が出て、一部電車の遅れも発生したとのこと。
私の住む場所がもう少し情緒的な街並みであれば、そこに幾ばくかの幻想的な風景が広がるのかも知れないが、足立区なのでそれは無理 !
国鉄王子駅に着くと京浜東北線の場合はまた別の理由、日暮里かどこかでの人身事故に依り電車が止まっており、運命のメトロ南北線により駒込から山手線での迂回を試みるのだが、思いのほかスムーズに振り替えが成ってしまい、寧ろあっけないくらいであった
<R1.10.30>
「かりい乃」
午後1時半。久しぶりに寄ってみることにした。
カウンターの大きなユリは(と思うんだけど、花の名を知らない私なので断言出来ず)今日もフレッシュ。極く少ない訪問頻度の中で毎回見かける気がするが、これはお母さんがいつも差しかえているのであろうか。
店内は完全にスナックながら、飾り付けられているお花同様萎れた感は微塵もなく、掃除も行き届いており、そこら辺の場末スナックとは完全に一線を画するお店である。なんて言っちゃってるけど、こちらがスナックとして夜の顔を見せてくれるかどうかを私は知らない。
そしてまた、夜になったらこの整然感、清潔感は、恐らく逆作用してスナックとしての魅力を落すと思う。“何も起こりそうもない店”にみえちゃうからね ♪
で、こちらのお店のお母さんの作ってくれるナポリタンが、もしかしたら私は一番好きかも知れない。
今日は珍しく先客がお一人おり、お母さんがその料理にとり掛かっているようであったので、席から「ナポリタン」とお願いすると、他にもいろいろ出来ますからとメニュウを持ってきて下さるような素振りを見せてくれるので、慌ててナポリタンで良いですからと繰り返した。
―― いや、ナポリタンが食べたいということも勿論あるのだが、二人重なった注文をこなせるのかと心配し、段取りがスムーズにいくように早めに注文を告げさていただいたのだが、当のお母さんのこの妙は余裕はいったい ?(笑)
“ナポリタン” @900也。
若芽の御付けが美味しく、まさに家庭の味。
ナポリタンも、なんでもないふつうの家庭のお母さんの料理だと思うんだけど、このしっとり感というかケチャップ感というか、それがいつも安定しているということがお母さんの腕の確かさを感じさせる。
タバスコだけでチーズをくれないところがちょっと寂しくもあるが、ナポリタンに在りがちな一本調子の味に途中で厭きてしまうこと防ぐ為の“仕掛け”としてのそれとしてはまったく不要なことで、そのままでも最後まで夢中でフォウクをスピンさせ続けることができる仕上りである。
マッシュルームがいないことだけが不満だが、それは人という生き物だけが持つ特異な特性、“完全に満たされてしまったことによる絶望”を避ける為のこと。
所謂喫茶店仕様の太麺ではなく、スパゲッティーニを茹で上げて作ってくださる至宝のナポリタン。ただただ美味い !! 付け合わせに添えられた何も味付けされていないレタスを噛み締めれば、気分はもうインコ !!
先客が帰った後片付けを終えたお母さんは、こちら側にまわってきてカウンターの椅子に着いて一休み。
ああ、そこはお母さんの席だったのかと納得するとともに、このボックス席でやおら私の横に着いてこなくて良かったなと、そこはかとなく安堵する。「私も一杯いただいちゃおうかな ?」なんてね ……
そしてお皿に残った薄切りハムと玉葱と人参とケチャップの渾然一体。
まるでさざれ石が巌となるように、それらがカポナータとなるまで(ならねえよ !)、いつまでもいつまでも愛で続ける俺 ……
かりい乃/BABY FACE
<H27.2.6 浅草>
冷えた空気。裏腹、力強い陽射し。
陽にあたっていれば比較的気持ちがよいが、日陰に入るとそれなりに堪える。いつものように、食通街を国際通りから東へと進んでいた。そうしてこれまたいつものように目に飛び込んできた、いつもは素通りしていたランチの看板を掲げる喫茶店のオレンヂ色の庇に何故だか今日はやけに幻惑されて、ちょっとだけ覗いてみることにした
「なぜ今、喫茶店なのでしょうか !?」
by 土井たか子
「かりい乃」
外観は喫茶店だったが、中身はスナックだった。
弧を描く、椅子ふたつだけをしつらえたカウンターに、今の私は着く資格はなかったし、着きたくもなかった。むかって右にでっかいユリ、左に胡蝶蘭、ともに真っ白。私の顔面に内蔵された二つの眼球が、自動的にカラオケセットを探した。あのドアの付近に巧妙に仕込まれた“UGA”とロゴの入ったオレンヂのケーシングのやつがそれだろうか。
ママはお昼のメニュウを持ってきてくれたが、例の選曲するリモコン端末とマイクは持ってきてくれなかった。
―― 歌わせないということなのか ……
仕方がないので心の中で、私がカラオケで初っ端やることの多い二曲のうちから一曲、研ナオコの「ひとりぽっちで踊らせて」を、イントロから歌いはじめた。中島みゆきは、別に好きではない。研ナオコの歌いあげる中島みゆきが好きなだけだ。
途中からママの、玉葱を刻む小気味よい包丁の音とフライパンの炒めサウンドの伴奏が加わって、俄然、熱唱した。
心の中で……
“ナポリタン” @900也。
けっこう時間がかかったような気がする。
ママ完全手作りの、まるで降旗康男の描いた昭和のような、臨場感迸(ほとばし)る料理だった。茹で時間短縮を図ったのだろうか、スパゲッティはスパゲッティーニを採用。それ以外は何の奇を衒うところのない、且つすべての役者が揃った教科書どおりのナポリタン。ケチャップもびちょびちょでもカサカサでもなく、うまい具合に仕上がっており、さらにレタスが添えられて、若芽と麩の御付けも。出汁は煮干しだろうか。途轍もなく懐かしい風味がした。
頭上のテレヴィジョンの中では、歯切れの良い言葉を巧みに紡ぎだす年齢不詳の玉葱ヘアのおばちゃん。本日のゲストは、懐かしのあの萩本欣ちゃんである。
絶頂期からの人気翳りゆく中、“毒舌”や“お下劣”や“喧嘩腰”や“絶叫”に、あくまでもベビーフェイスとして、真っ向ストロングスタイルで立ち向かい続けた欣ちゃんのコメディアンとしての生き様には確かに心を打たれるものがあるが、同時に、ある時点から痛々しくも感じた理由について、私は未だその考察を保留している
ママが差し出してくれたカフィカップのソーサーの上。
ビスケットではなくおかきが添えられていたことが、溜まらなく浅草を証明していた。他の番組がとことん駄目になってきたからかは知らないが、「徹子の部屋」は数少ない見るに耐える番組だと、最近特に感心し直しはじめている。
立ち上がってママに代金を支払うとき、小柄な体格から伸びてきた、しかし意外なほどに無骨な手のひらから、母の力強さのようなものがひしひしと伝わってきた。
―― そういえば今度の日曜、うちのお母さんの一周忌だったな ……
そんなことをふと脈絡もなく思い出してしまうほどに
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Jackie_m
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店名 |
かりい乃
|
---|---|
ジャンル | 喫茶店 |
予約・ お問い合わせ |
03-3843-3233 |
予約可否 |
予約可 |
住所 | |
交通手段 |
浅草駅(つくばEXP)から280m |
営業時間 | |
予算(口コミ集計) |
¥1,000~¥1,999
|
支払い方法 |
カード不可 電子マネー不可 |
個室 |
無 |
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貸切 |
可 |
駐車場 |
無 |
利用シーン |
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初投稿者 | |
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頭上の夏は最後の足掻き、というよりも寧ろ全盛。
ならば目の保養の為に、浅草寺の境内から仲見世通りを抜けてみようと目論んだ。中国の古い諺に“ピンチはチャンス”という言葉があるが、機知に富んだホモサピエンスならば、ただ暑さに見悶えているだけではダメで、このような過酷な自然環境を寧ろ積極利用して夏のVenusを狙っていくということが、ほんとうの生活の知恵というものであろう
<R5.9.13>
「かりい乃」
先日のこと、伝統のナポリ郷土料理を穢すような“生”でやらされてアンガーコントロールに苦戦したボクだが、その反動か、今日は足が自動的に、日本でのその最高峰をやるお店へと向いた。
スナックに擬態したこの店のいったいどこに、その最高峰を実現させるITALYの鼓動が脈付いているというのであろうか ? しかしこちらのマンマの骨格がITALYのマンマの武骨と同様、イタリアンプレイボーイ、及び日本男児の無尽蔵なマザコンを堂々受け止めるだけの強度を十分に備えていることに気付いてさえしまえば、浅草での本格ナポリという意外も、案外素直に腑に落ちようというもの
注文を入れると同時にお母さんが、昭和時代には必ず一家に一人はいたお家のお母さんのように(お家にお母さんは、ふつう何人もいないよ !)、お湯こそ予め沸いていたかも知れないのだけれど、無垢の食材を分解するところから入ることこそがこちらの真骨頂であって、今となってはそんな店は、藤原伊織さんの小説の中以外にはあまり見られないだろう。
「てめぇ、なめてんのかこの野郎 !」
西新宿で老夫婦からBarを受け継いだ主人公は、その夫婦に教わったことしか出来ないから、しかしその教わったことを忠実に守り続けているからこそ、店を訪れたヤクザ二人につまみはホットドッグしか出来ないと言い放ち、そして注文を受けてから、教わったとおりにキャベツを刻み始めるのだが、そのやり方は、こちらのお母さんのやり方と同じである
すると激高する子分に対し、一方黙ってそのホットドッグを頬張った若頭は、「これは、よく出来ている !」と感心するのである。
ここで我々が着目しなければならないことは、仕込み置きしておいた食材をアッセンブルするだけの即席料理に対し、最初からやり始めるfreshで真っ当な料理を正当評価出来るだけの力量を、我々は日頃から備えていなければならない、ということ。
このことは、リン酸塩水加水の熱を通して身が透明なままの海老を“プリプリの海老”、また茹で時間短縮でコストダウンを図っただけの生パスタを“もちもちの生パスタ”、と有難がるばかりで疑わない人たちには、一生理解出来ないことだろう
“ナポリタン” @1,000也。
無垢の玉から今まさに分解されたfreshなレタスは、去年のトマトのように、些か表皮に近すぎ青くて固かったが(笑)、しかし温もりがあった。一方のナポリタンは今年のトマトケチャップを使ってくれたのか、もう赤くて、くちびるとろけさせられる。
茹であげのフェデリコ・フェデリーニに気持ちシャキっとした玉ねぎが絡み、ピーマンのgreenがやおらスキップし始めたなら、ふとカウンターの向こうで、お母さんが得意げに指をはじきながら、素肌を熱くして、「この夏はおまかせなの ♪」と歌っているような気がした ……
やけどしないよう最後まで残しておいたお麩を噛めば、まるで生き物のようにカツブシがジュワ~と滲み出してくる。
日本のお店であるにも関わらず、お付けがおいしくないお店は多いが、そういう店はきっと、お母さんが一軒に一人いないお店なのだろうと憂いつつ、そのお椀にもはや自然にfolkを突き立てることが出来るようになった、即(すなわ)ち完全にイタリア人と化した自分の滑稽を、今しばらくは愛おしんでいようと思った