ライスには塩を。 : 銀座ブラジル 浅草支店

「可哀想なオフィーリア」

「惨めなニジンスキー」

…と、言ってもわからん人には全くわからなかろうが、表題含め、江國香織著の小説

「抱擁、或いはライスには塩を」

に描かれる「浮世離れ三兄妹」が用いる、合言葉ないし常套句。

こちらの店で名物の「フライチキン・バスケット」を頼んだ際、お運びの女将さんから

「塩とレモンだけでね、熱いから紙ナプキンに包んで召し上がり下さい」

と、言われた時、つい思い出した。

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土曜日、夕方からオトナの事情なレセプションに招待され、上京。

せっかくだから、スタートレックのカーク船長が、英国諜報部に雇われ、イスラエル軍上がりのコスプレマニアな女傑が刀振り回してドイツ軍と戦うのに付き合う映画を観ることにして、朝早い新幹線を使う。

1000時過ぎにノガミ着。映画は昼前から。

朝食を食べずに出てきたので、朝昼兼用の食事をとろうと思うが、いわゆるモーニング・タイムからは外れており、ランチには早い。

と、なると、朝から終日、シッカリしたモノを出している店、という事になり、思いついたのが浅草は観音裏のココとこちら。

観音様の裏側などフラフラしていると、

「日の出から営業」

な店から出てきたところ？ と、勘違いされてもこっぱずかしいので、新仲見世に向かい、唐辛子屋に程近い階段を上がり、店に入る。

数年ぶりの訪問であるが、経営側は商いの存続、おタナの後継なんてことはカケラも考えていないらしく、前回もけっこう凄かったが、店内は当時そのまま、というより草臥れるに任されていて、床なんか斜めに傾いでいて、低いテーブルに備え付けの椅子に座っているだけで、なんだか三半規管が鍛えられているような気になる。

フラフラする店では、アイス・コールド・バッドワイザーに決めている。

決めているのに理由はない、あったとしても忘れてしまった。

もしあるとすれば、ツイッターのタイムラインで、

"I like Bud."

と呟いた途端、アンハイザーブッシュ社オフィシャル・アカウントが

"Ice cold"

と、QTしてくるから、とは、いい年こいてソーシャルネットワークシステムに脳がヤラれすぎ、と、お叱りを頂戴しそうだから、黙っている。

そう思いながら、ご案内のフライチキン・バスケットが出来上がる頃合いに合わせ、運ばれてきた小壜から、盛大な泡を立てつつグラスに注ぎ、泡が鼻に付くのも構わずまずはガブリ！ とやると、朝から何も容れていない胃袋がブルッと震えるや、猛烈に腹が動き出し、食欲が増進され、しかし慌てず騒がず、女将の指示に従い、「フライチキン」に塩を振り、レモンを絞り、紙ナプキンで包むようにしながら口に運ぶと、揚げ油のラードの芳香がぷわんと来て食う前に鼻腔を喜ばし、咥え、噛み切ると衣の脆、肉身（ささみです）のみっしりとしながら滋味深い、仄かな旨味が浮かび上がり、ここに塩味と酸味が追いかけるように広がるのはなるほど結構な出来栄えで、ビールをごくり、ささみをがぶっ、の動作を繰り返すうち調子が上がり、揚げ物がなくなると底に厚めのバタートーストが敷かれており、これを咀嚼してみると、麦の風味が凝縮しており、む、コリャ多分、ペリカンだな、オゴってるね、と気分が良くなり、店がボロくたって御菜が良けりゃ #いんだよ細けえ事は！ と、嘯かない、事もない。

Dを亡くした丁度四十九日にあたる日、彼を共通の友人とする人々が集まる。

表参道、地下のワインバー

ひるの非営業時間に特別に場所だけを貸してもらい、酒と肴は持ち寄り。

彼の通った店の主人が贔屓にしていたというシャンペーンを開き、

彼の提案による

「ヴァイキング料理の原型スモルガスボードの主体はニシン、イワシの酢じめ（マリネ）であり、これに合わせるのは、北欧の火酒アクアヴィットである。さすれば本邦の鮨にも合うのではないか？ 」

という掛け声で、これも以前、酒場を借り切って行った

「江戸前の光り物をホワイト・スピリッツで愉しむ夕べ」

を懐かしむひとは、神田志乃多寿司のさばの押し寿司を持ってくる。

「しかしアイツ、耶蘇だったよな、四十九日だの閻魔様だの持ち出してどーなんだろ？ 」

「ま、生前のヤツはコワモテのクセに甘えん坊でさ、なんのかんの言って俺たち集めちゃ憎まれ口きいてさ、それでも賑やかにやってるのが好きだったから、いんじゃね、細けえ事は？ 」

「うんうん、そーだよな、バカヤロー」

「そう、バカヤロー…」

「死んじまいやがって、バカヤロー」

黙っているとしんみりしそうだから、全員ムキになって、明るく振る舞い、悪態を吐く。

悪態を吐くときは、カツサンドに決めている。

決めているのに理由はない、あったとしても忘れてしまった。

もしあるとすれば、ヤツは、酒場とバーフードをこよなく愛していたが、拡張型心筋症末期となった頃には

「水分ならびにエネルギー摂取に伴う代謝、心臓の活性化」

が、禁止され、大好きだった飲み食いも制限され、それでも酒場と我々とつるむ事を好み、しかも自分は食わないクセにアレも頼め、これも食え、と、次々に注文しては目の前を酒とツマミでいっぱいにしたがり、目で見る事でやるせなさを晴らしていた様子だったのを思い出し、そーすれば、陰膳はバーの王道「カツサンド」に決まってらあ！

とは、益々、ヤツが隣で傍若無人に振る舞っては暗い笑いを浮かべているような錯覚を覚えるから黙っている。

そう思いながら、食通で、じしん飲食店ライターをしているJ姐さんが仕込んできた包み紙を開き、毎度お馴染み

「浅草の新仲見世で銀座でブラジルたあ、どーゆーこった？！ 」

という店名由来のツッコミを入れつつ、ケチャップで暗い店内の灯りでも紅が鮮やかな断面を見せるそれに齧り付くと、分厚く、一部二枚重ねになっているカツには丁寧に包丁が入っており、柔らかく歯切れよく、ご案内のようにソースではなく、ケチャップで決めた、お砂糖の声が大きな調味の具合は、なんとも下町浅草的で、あぁ、若い頃彼と経巡った、蛇骨湯裏のものすごいリーゼント頭の店主のいるウヰスキー・バーNや、そこの流れのO、駒形橋に近い、浅草にいながらNBA新宿支部重鎮だったG店主のdにも、報告に行かなきゃいけないかぁ

… と、かつてハシゴを繰り返し、入り浸り、とぐろを巻き、くだらない事で笑い、怒り、ときに取っ組み合いになりながら彼と飲んだ日々を思い出し、改めて自分の雌伏期の酒は、ヤツとともにあったんだよな、と、ケチャップの酸っぱさが、口の中でやや、強くなったような気がしない、事もない。