そのまゝに　鰒（あはび）を餐（くら）へ　何（なに）もかも　殼（から）よりほかに　捨（す）つるものなし : 赤坂 詠月

常連（なじみ）の友人（とも）に誘（さそ）はれ、當家（こちら）『詠月』に、、。
一見（みため）、舖内（なか）は狹隘（せま）く、窮屈（みうごきもまゝなら）ぬほど。
厨房（いたば）には親方（おやかた）を含（ふく）め二人（ふたり）。
御内儀（おかみ）一人（ひとり）で賓（まらうど）の管待（もてなし）に當（あ）たる。

案内（とほさ）れしは、廚房前（いたばまへ）の櫃臺（かうんた）。
そこを吾儕（わなみ）四人（よたり）で獨占（わがものがほ）。
東道（あるじ）、
傳説（かのなだか）き『あぢ花』の流（なが）れを汲（く）む凄腕（すごうで）と云ふ。

そも『あぢ花』の滋味（いつくしみあふるあぢはひ）、
今（いま）は無（な）き荒木町（あらきちやう）『八平』を生（う）み、
『八平』は『宮わき』を派生（う）み、
その名（な）を、遍（あまね）く四海（よも）に轟（とゞろ）かす。

廢業（みせじまひ）直前（まへ）の『八平』は、
小人（それがし）が味覺（した）に逆（さか）らひ、懐中（ふところ）を劫（おびやか）す。
加旃（しかのみならず）、熱源（ひ）も業務用天火（さらまんだ）。
桌上（つくゑ）の七輪（しちりん）には廉價（ねのやす）き大鋸炭（おがたん）。

對照的（それにひきか）へ『宮わき』は、
恣（ほしいまゝ）の點菜（しなえらみ）を許容（ゆる）し、價格（ね）も手頃（てごろ）。
のみならず、熱源（ひ）は土佐備長炭（とさのしろずみ）。
實（げ）に、「出藍之譽（しゆつらんのほまれ）」と賞賛（たゝ）ふべし。

當家（こちら）、
"火候（ひいれ）"絶妙（このうへな）く、
"鹵味（しほけ）"控（ひか）へめなれど適切（ほどよ）く出汁（だし）が活（い）き、
尤（いと）優（やさ）しき味（あぢはひ）。

出汁（だし）は鰹節（かつを）と眞昆布（まこんぶ）より抽出（ひく）。
とは云へ、そのどれもが明々地（あからさま）ならぬは手煆煉（てだれ）の廚藝（わざ）。
虚飾（いらぬかざりけ）を排除（しりぞ）け、
眞味（まことのあぢ）ばかりを一途（ひたすら）探求（おひもとむ）。

例（たと）へば"北寄貝（ほくきがひ）"：
何（なに）も加（くは）えず、短時間（ごくみじかく）炮（あぶ）るだけ。
その儘（まゝ）餐之（これをくら）ふに、
瑞々（みづみづ）しさ、口中（くちのなか）へと浮騰（ほとばし）る。

"鰒（あはび）"は微塵（すこし）も酒（さけ）に頼（たよ）ることなく、
只顧（ひたすら）蒸（む）すこと、一時（いつとき、≒2時間）。
柔（やは）らかく滑（なめ）らかなること、
未通女（をとめ）の口唇（くちびる）に寸毫（つゆ）異（こと）なるところなし。

鹽（しほ）は、
呉（くれ）の藻鹽（もしほ）、ボリビア岩鹽（いはじほ）などを用（つか）ひ分（わ）く。
魚介（うをかひ）には角（かど）なく旨味（うまみ）溢（あふ）るゝ藻鹽（もしほ）、
獸肉（けだもの）には臼齒（おくば）に踊（をど）る岩鹽（いはじほ）。

指身（さしみ）に松前醤油（まつまへじやうゆ）。
すなはち、醤油（しやうゆ）に眞昆布（まこんぶ）を添加（くは）へたるもの。
角（かど）を取（と）り、甘味（うまみ）を増（ま）す。
魚（うを）は鮮度（いきのよさ）を重視（おもん）じ、熟成（ねか）すを嫌（きら）ふ。

山葵（わさび）は專（もつぱ）ら御殿場（ごてんば）の眞妻種（まづま）。
生産者（つくりて）もまた然（しか）り。
糊（のり）のごとき粘（ねば）りを持（も）ち、
芳香（かぐはしきかをり）、鼻竅（はな）を穿（うが）ちて止（や）むことなし。

さはあれ、素材（もの）と烹調法（やりかた）の搭配（くみあはせ）は、
嗜好（このみ）と半點（いさゝか）相違（ことな）る點（ところ）あり。
"赤貝（あかゞひ）"に醋（す）を合（あ）はすは、
宛然（あたかも）、乙女（をとめ）に化粧（けはひ）を施（ほどこ）すに似（に）たり。

"櫻蝦（さくらえび）"、"姫玉蜀黍（ひめたうきび）"は揚物（あげもの）が好適（よい）。
唯一（たゞひとつ）醤油（しやうゆ）煩（うるさ）き燒玉蜀黍（やきたうきび）。
大（おほ）きなものならいざ知（し）らず、かゝる小（ちい）さな玉蜀黍（もの）を、
醤油（しやうゆ）に滲燒（つけや）くは、素材（もともとのもちあぢ）を毀損（そこなふ）。

加之（くはふるに）、
『八平 』を髣髴（おもは）す業務用天火（さらまんだ）。
價格（ね）の廉（やす）き『宮わき 』が"備長炭（しろずみ）"と云ふに、
實言（まこと）、惜（を）しむべきこと。

この日（ひ）の菜譜（こんだて）、こちら↓に審（つまび）らか。
https://tabelog.com/rvwr/giblets/rvwdtl/B269000593/#68187639

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