小言云ふ　人も默らす　神戸牛　炙りて喰はば　溶けて消えたり : 味鉄 東京赤坂店

飛鳥の御世（みよ）、帝（すめらみこと）詔（みことのり）して五畜（牛、馬、犬、猿、鶏）喰らふを禁ず。その後（のち）紆餘曲折あれど、永らく牛は專（もつぱ）らに田畑耕やすに用ゐらる。さりながら、近江彦根藩の御上に牛味醤漬け獻上したるは遍（あまね）く知らるゝところにて、「藥喰（くすりぐ）ひ」と稱（とな）ふ。

嘉永のころ、亞墨利加戎（えびす）ペルリ、不埒（ふらち）にも御法度（ごはつと）破りて浦賀沖に居坐り強談判（こはだんぱん）。餘（あまり）さへ薪水の他、牛六十頭、鶏二十羽差し出せと脅（おど）した舉句、後（のち）に書籍（しよじやく）にて「腹減りて強ひて求めし日本（やまと）牛、硬きに泣きて喰ふも叶はじ」と惡態の限り。

さるほどに、今や”Kobe Beef”は四海に冠たる名高き牛となりて、一人として讃（たゝ）へざるはなし。「神戸」を名乘るも生（む）まれは但馬。肌理（きめ）いと細かくして脂の赤身に混じるさま鹿の子に似たり。一度（ひとたび）口に含むや、深山（みやま）に降る初雪のごとく、忽（たちま）ちにして喉（のんど）の奥へと消ゆ。

獸肉（けものゝしゝ）扱ふ店溢（あふ）るゝ赤坂一ツ木通りに、味鉄なるもゝんじ屋ありて、專（もつぱ）らに極め附け神戸牛を扱ふ。丸毎仕入れ、これを捌（さば）きてさまざまに拵（こしら）へる。嘗（かつ）て晝（ひる）は木金のみ商（あきな）ひけるが、近頃は晝（ひる）どき常（つね）に暖簾を懸（か）ゝりたる氣配（けはひ）。

階（きざはし）降りるや、愛想良き若き女給罷（まか）り出（い）で奧へと誘（いざな）ふ。卓上の焜爐（こんろ）に載るは淺き中華鍋のごとき鍋。磨き込まれ銀（しろがね）の妖しき光を放つと云へど、縁（ふち）にはぬばたまの黒き脂（あぶら）凝（こ）りて固まる。前と聊（いさゝ）かも異なるところなし。この日、品書きより頼みしは、

　・「ライト」、値一千五百圓也。

女給、小鉢、香の物、吸ひ物持ち來（きた）りて去る。吸ひ物は韓國・朝鮮料理店で出る牛骨出汁の若布汁。女給、程なくして肉、御飯、など携へて戻り、焜爐（こんろ）に火を着け鍋に牛脂を引く。味調（とゝ）へるは、鹽、胡椒、卸しポン酢、味醤、山葵醤油の四種。肉は「マルサンカク」、「マルシン」なる部位から四枚づゝ。

肉は刺身ほどの大きさにて厚さ二分。「裏表十五秒ほど燒き給（たま）へ」との指南に從ひ先づは「マルサンカク」を試す。およそ「マルサンカク」なる部位の名は初耳。その姿「ミスジ」に似て、サシ細かく、柔らかなること比ぶるものなし。十五秒にては芯まで温まらざるも、三十秒も炙（あぶ）れば、ほど良き具合になる。

「マルシン」は赤身にて、恰（あたか）も「マルサンカク」を鮪中トロとするなら鮪赤身に當たる。四枚づゝの肉を各々四種のタレにて味はふ。瀬戸内産と云ふ鹽（しほ）はサラリとしてをり、胡椒は香（かをり）豊かな。よき質の肉なれば鹽（しほ）胡椒ばかりで足る。中でも岩鹽・結晶鹽の類（たぐひ）こそ相應（ふさは）しけれ。

前囘「トロ」と稱（とな）ふる肉あり。あまりに脂多きゆゑ、鹽（しほ）胡椒ばかりでは聊（いさゝ）かくどく、味醤ダレに頼る。今囘、味醤ダレ、僅（わづ）かに鹽しほ）胡椒に劣る。大根卸しを添へてポン酢に潛（くゞ）らすも惡（あ）しからず。思ふに、この山葵、チューブ入りなるか。畫龍（がりやう）點睛を缺くとは正にこのこと。

蔬菜は青椒（ピーマン）、玉葱、南瓜の三種。およそ燒肉や鐵板燒きなるもの、肉に程よき火加減は蔬菜を焦がし、蔬菜に程よき火加減なれば肉焼くを得ず。されば蔬菜を鍋の外に掻（か）き寄せ牛（うし）の脂にてゆるりと炙（あぶ）れば焦げもせず程良き具合に。齧（かぢ）りてみれば仄（ほの）かなる甘味口に中へと擴がる。

香の物（柴漬けと胡瓜）の味はひ月竝（な）み極まりなし。小鉢は蘿蔔（すゞしろ）を粗（あら）めの纖蘿蔔（せんろッぽん）。白胡麻で塗（まぶ）し和風に和（あ）へたもので、味よろしからず。若布汁は強き胡椒にたじろぎながらも辛ふじて呑み乾（ほ）すを得たり。滅法（めつぱふ）美（うま）しと覺えた飯（めし）は竝（な）み。

帖場で支拂ひせんとするや、俄（には）かに若き男（をのこ）厨房より現れ出（い）で鄭重なる挨拶をなす。設（しつら）へ、あぢきなしと云へど清く保（たもた）る。肉（しゝ）の質はよく、客あしらひまた惡（あ）しからず。されど界隈に星の數ほどあるもゝんじ屋、松阪、ざくろ、叙々苑など同じく、心ときめくものあらじ。