「はじめ」の「はじまり」 : はじめ

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4.5

¥8,000~¥9,9991人
  • 料理・味4.5
  • サービス4.5
  • 雰囲気4.5
  • CP4.5
  • 酒・ドリンク4.5
2018/05訪問1回目

4.5

  • 料理・味4.5
  • サービス4.5
  • 雰囲気4.5
  • CP4.5
  • 酒・ドリンク4.5
¥8,000~¥9,9991人

「はじめ」の「はじまり」

「タコの唐揚げ」をいつの頃からか、「タコザンギ」と言う別の呼び方で耳にしだした。
「ザンギ」・・・なんかイイ響きだな~♡
「ザンギ」の語源は、ちょいと調べれば直ぐに分ると思うから・・・。だから「言わない」。ははっ。
「言わない」・・・とか、「教えない」とか言われると・・・「知りたくなる」。
・・・そう、思わせるのが、どんなものでも大事な「コツ」だったりする♡ ははっ。

けど、単純に「ザンギ」と耳に伝わる音は、潔いと言うか、切れ味抜群と言うか、通り良く心地よくて、好きだったりする。だから「ザンギ」と、しきりに言いながら書いたりしてみる。ははっ。 
「ザンギ、ザンギ、ザンギ・・・ザンギ!見参!」とか・・・。
・・・仕事で刀剣を擬人化した話をイロイロとなんやかんやし過ぎて・・・。
完全にソッチに引っ張られているな・・・これは。ははっ~♡


・・・。
ちょっとした会合で、絶対に忘れてはいけない懐かしいお顔に再会できて、嬉しくなって誘われるまま、麻布十番「はじめ」様におじゃまする。2年ぶりくらいかな? 美味しさは折り紙付きだから、何を頼むか悩むけど、授乳中でお酒は飲めないので、お勧め「おつまみ」をお願いして・・・止まらない懐かしい話に没頭・・・するつもり・・・だった。

「あっ、タコの唐揚げちょうだい」
半身をよじって、カウンターに並んだ隣の知らないオジサンの声を背中越しに聞いてしまった。

素早く、敏感に反応して、
『すいません。コッチにもタコの唐揚げ、お願いします』
と言い終わるタイミングで、最初に注文を言ったオジサンに振り返り、軽く微笑み小首で会釈。

オジサンが返礼にビールのジョッキを上げて挨拶を・・・してくれる♡

大人の挨拶。居酒屋さんでの大人の礼儀。礼には礼で返す。自然な行い。・・・♡~♡。
・・・。


タコの唐揚げを口に頬うばると、カリッとした壁とジュワッと滲む混合の衣が、食感の「面白さ」を歯先に伝えてくる。

・・・面白さ。食感の「面白さ」・・・。
・・・。そう言えば、
・・・。ちょっと前に、食べることに「面白さ」の要素などは「無い」と、かなり大人の意見をとっても大人の先輩作家からコンコンと説教されて・・・、「うっせー」とか言い返せない私は、曖昧にヘラヘラと何にも知らないフリで、のらりくらりとかわしながら・・・、『良いもん~♡ 金に換える原稿などいくらでも編集様に合わせて書いてやるけど、本質の大事なネタは全部「食べログ」に書き切ってやるもん~♡』とか思った・・・け♡。ははっ~♡
・・・。


で、

タコの唐揚げ、タコザンギは・・・「面白く」美味しいし存在だ♡

口に「アムッ」と入れた揚げたてバリバリの湯気出まくりタコの唐揚げは、超熱々なので、思い切って噛み込む勇気はほぼ湧かない。なので、舌先とハフハフと出し入れする呼吸の調整を使い、時計回りにタコの唐揚げを回転させる。鯉のような口使いで。この行動の時点で、揚げたてのタコの唐揚げを食べる「美味しさ」に、まさに「楽しさ」「面白さ」が加味されている証拠だと思うのだけどな~。
「ハフハフ」言いながら熱さを回転させて、息づかいで、いなす感じなんか特に・・・。ははっ。
だから、生きとし生ける者で、タコの唐揚げを頬ばれる者なら、多分、余す者なく、機関車のようなリズムで白い息と音も出ていると思う。

「シュッシュッ」と同じ間隔で、「ハフハフ」と。

タコの唐揚げを口の中でグルグル回しているうちに、タコ本体の周りの薄衣は溶けて無くなってしまった。
溶ける先からタコのあのコキュチュクュとした、食感が現れて口全体がタコの存在を理解しだす。
まだ、噛み込んではいないのに、タコの独特の弾力と芯が折れていない密度の高い質感が、歯先に触れる感覚で伝わりだす。それが感覚的に分るだけで、これから噛み込む「楽しさ」「面白さ」が、さらに予測できる。

タコって、噛むの、「おもろい」と思うのだけどな~♡

熱の馴染みが、ハフハフとグルグルで一通り落ち着いたら、奥歯でようやく「ムギュ」っと噛み込む。
タコの繊維が跳ね返る弾力と、「ジュン」と滲み出る甘く透明な味わいが、噛み込む「ムギュ、ムギュ」のリズムに合わせて、一拍刻みの広がりで「トン、トン」と口の中で行進するように整列しだす。味わいとして。

味の整い整列の並びが舌の上に乗り切ったら、タコを飲み込む合図となる。
「ゴクリ」とドリンク飲み物でも、溢れ溜まったタコのスープでも、「えいっ」とのただの気合でも、何でもいいので、飲み込む。
自然と何となく飲み込むのではなく、「タコの唐揚げ」は、ちゃんと意識して飲み込む~♡
「ドコで飲み込んで良いのか判らな~い♡」とかの、何かのもくろみ丸出しの意見は、全て無視で「味の整いが、口の中で、ちゃんとみっちりと整列」したら、喉仏の上下スイッチで、タコを飲み込む。

そんで、もって、さらに一つまみ、タコの唐揚げを頬ばり、熱さの「楽しさ」「面白さ」をまた、味わい出す~♡


・・・。・・・。・・・。


春になり、定例の第三者委員会に参加したら、新しい委員に私の小学生時代の教頭先生が就任していた。
当然、今は教頭先生ではなく、年齢を重ねて素敵な肩書と経歴に彩られていた。
最初は、「何となく見た事ある人だなぁ~」と思っていたが、渡された書類の氏名を見ていたら・・・「あっ!」と思い出せた。・・・良かった♡マジで・・・。ははっ。

委員会終了後、帰る方向が同じということで、私の車で話ながら帰路につくことに・・・。ははっ。
でもでも、懐かしさから話が止まらなくなった私・・・教頭先生は、帰り道に行きつけの居酒屋さんがあるとのこと・・・。

麻布十番「はじめ」様にお供する~♡。ははっ。


・・・。・・・。・・・。


「そうですか。今は子育てですか、大変ですね」
『いえいえ、子育てはメインの楽しみで、合間に興味が出た仕事をボチボチこなして・・・そんな感じで許してもらっています。ははっ。』

みんな集まればワケもなく走り出して、雨が上がれば水たまりが楽しみで、毎日、明日がたまらなく楽しみで・・・。
そんな時代の恩師との話は、過去の自分と、今の自分が自由に時間を行き来して、対比出来て楽しい。

「あの頃と、顔つきは変わらないですけど、話し方はゆっくりになって、沢山学んで吸収しましたね」
『ははっ。成長と言ったらおこがましいですが・・・結婚して子供もいますから~♡』

・・・。

「パコ崎さんが卒業して、中学、高校そして大学と噂は聞こえてきて、ある時、あぁ~あの子はシャッターアイを使って多角的思考?でしたか、球に向かっての考え方をしていたのだとフッと理解した瞬間がありました・・・。仏教が肉食を禁じたのではない?ですよね? 凄い結論を持った小学生でしたね、貴方は・・・。記憶に明確に残る子供でしたね・・・」

『・・・ははっ。よく覚えてましたね、そんな古い話・・・先生。ははっ~♡』


・・・。・・・。・・・。


タコザンギ・・・、ザンギ・・・、ははっ~♡

「散切(ザンギ)り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と「牛鍋」は、明治、文明開化の象徴的なワードとして、いまだに耳に残っていたりする。小学校の歴史の項目として「1192のイイ国つくろう~」と双璧な感じがする。勝手にね。ははっ。

小学校で「散切(ザンギ)り頭を叩いて・・・」を習った時・・・、当時の私は、担任の先生と上手く行ってなかった・・・。
・・・理由は、私の側からも言いたいことはあったけど・・・。ははっ。
今さらだけど、私に原因があったと、重々承知している。すいませんでした~♡

何となく、予測はつく人もいるとは思うが・・・ははっ。
・・・今も・・・、小学生であっても、私は、
どうしても「興味」が湧いたり、知らない分野に触れてしまった時に、上手に「疑問」に対する感情や行動が「制御」出来なくて・・・周りにイロイロと影響を与え出してしまう・・・らしい。ははっ。

で、なぜに「散切(ザンギ)り頭を叩いて・・・」が出てくるかというと・・・。

授業で、

「明治初期になると、文明開化の象徴的な出来事で、丁髷を切り落とした散切(ザンギ)り頭のヘアースタイルで「牛鍋」で肉を食べるのが流行った・・・そうです」

担任の先生が説明する。すると・・・、アホずら丸出しの私が、

『先生! どうして丁髷を切り落として牛鍋を食べるのが象徴なんですか?』

「丁髷を切り、ヘアースタイルを変えるのは、前の時代、江戸時代が終わったあらわれで、牛鍋を食べるのは肉を食べない日本人が新たな試みに挑む姿をあらわしています」

『先生! 日本人は肉を食べなかったのですか?』

「仏教の伝来と共に、昔から日本人は肉を食べなかったんですよ」
『先生! 昔と言いますが、縄文の時代は土器と一緒にイノシシやシカの骨が大量に見つかっていると習いました』
「・・・縄文時代は、仏教が伝わった時代よりも随分と前の時代です。仏教が伝わった後は、日本人は肉を食べなくなりました・・・」
『先生! 仏教が伝わってから、肉を食べなくなったのは日本人の全ての人ですか? 誰が仏教を日本中に伝えたんですか? テレビも電話も手紙も無い時代に、どうやって仏教を広めたんですか?』
「当時の・・・日本は、混乱や争いが多かったために、仏教の「殺生をしない」という殺さないと言う・・・考え方を・・・多分、聞いた人が、知らない人に伝えていったんだと・・・思います」
『先生! 聞いた人の全ての人が、それまで食べていた美味しいお肉を納得して食べなくなったんですか? それまで食べていたお肉を食べるなと言われたら、食べなくなるのですか?』
『先生!・・・』
『先生!・・・』
『先生!・・・』
・・・。

私は、私なりの、私ゆえの疑問が爆発し、授業を混乱へと・・・常に導いてしまうのだった・・・。
担任の先生に罪は無く、私の変わった性質のために湧いてくる・・・「疑問」。
かなり特異的に・・・湧いて爆発する・・・「疑問」。
「疑問」の呪縛を嫌がる事無く、逆に既に魅了されている当時の私・・・今も、何も変わらないのだが。ははっ。

・・・私は、乳児の時、離乳食より早くしゃべりだしたらしい・・・。ははっ。
しゃべりだしたら、だしたで直ぐに「どうして?」の連続の「どちて坊や」だったらしい。
そこは「らしい」と曖昧な記憶しかない・・・それに私は「坊や」ではないのだが。ははっ。

親や周りの大人達は、最初は、面白がって「楽しい答え」で対応していたらしいが、当然だんだん面倒くさくなって、母が「知りたいことは、まず本や辞書で調べましょう」と字を教えてくれた。

ほどなく、「本」を読むようになった。幼稚園に上がる前に。

「本」は、良いこともあったが、一人よがりの理解に終始すると、思考の流れがスキップし、「質問」の質が変わり過ぎて、当然、常識ある人達から「変わっている」とか「おかしい人」とか「○○○イ」とか言われてしまう・・・。

『どうして空は青いの?』
「神様が、青く塗ったんだね」
『違うヨ、大気の層と太陽光の反射と光の進入角度で色は変わるの。その中で青色はどの要素が一番強いの?』
「・・・なにそれ?」
みたいな感じになっていったようだ・・・。ははっ。

あんまり疑問、質問が多い私に、困った大人達は、「本」を与える以外に、
「小学校に行ったら、何でも先生が教えてくれるよ」
と、「知りたい」欲求を抑えられないで、癇癪を起す哀れな私に、よくなだめて言ってくれた。ははっ。

楽しみにしていた・・・小学校。
私的には・・・「そりゃ、当然、炸裂するだろ~なぁ・・・。ははっ~♡」な感じだ。マジで、ははっ~♡


・・・。

小学生に入り、「疑問」炸裂とイロイロな問題を起こす私に、ある時、見かねた「教頭先生」が声をかけてくれた。

私立で、それなりの寄付金も払うし、成人後の付き合いも続く学校だったから・・・父兄会とかナントか会からも「授業を惑わす」と苦情があったのかもしれない・・・今考えると、小さい頃から両親は、学校に呼ばれていた・・・。あぁ~なんか・・・申し訳ない。子を持つ身になって初めて感じ入ることも・・・多いです・・・。はい。

ある時から、そんな私の対応窓口・・・は、背が高くスラーっと背筋の伸びが良く、少し額の広い「教頭先生」が引き受けてくれることになった。

「パコ崎さん。どんな疑問でも、私に言って下さい。直ぐには答えられなくて解らなくても、必ず私が答えを見つけるお手伝いします。あくまでも見つけるのはパコ崎さんがメインです。私は助手です。パコ崎さんは、シャーロックホームズで、私はワトソンです。一緒に考えますから。私と一緒に疑問を解決しましょう」と・・・とても優しく言ってくれた。

私は・・・沢山、イロイロと感じて思うことも言いたいことも上手に表現は出来なかったけど、素直に炸裂して噴き出した喜びを感謝を込めて、教頭先生に「ありがとうございます」と言ったことを覚えている。

さらに、教頭先生は
「探索クラブとか、探求クラブとか名前を決めて、放課後の時間やクラブ活動の時間を使って、興味のある人にも声をかけて集めてみましょう。パコ崎さんの様に、疑問があって調べてみたいけど、一人でどうしたらイイのか困っている人がいるかもしれませんから」
と、一人で孤立しがちな私に・・・一歩進んで、沢山の仲間を見つける「世界」を作ってくれた。

募集してみると、結構、大人数のクラブになった。
「テーマ」をみんなで決めて、調べ合う、不思議なクラブで「秘密の研究会」のような変なドキドキ感があった。
学校だけではなく、街々の図書館を教頭先生の引率で周るのは、毎回、遠足のようなウキウキ感があった・・・。
そして、意外と「明確な資料の厳選」が各地の図書館に特徴としてあったりして、その後の大学での研究でも「そう言えば、あそこにあの資料があったなぁ・・・」とか、いまだに役に立っていたりする。ははっ~♡

今考えると、それは、私の人生にとってもしかすると・・・一番大事な時間だったかもしれない~♡

一人で「疑問」に突き進むのも大事だけど、「テーマ」を決めて誰かと共有する「知る楽しさ」は、教頭先生がクラブとしての組織化を提案してくれたのが始まりで、それにより私に人集めの方法や組織運営として多人数の仕切り方をアドバイスしてくれなかったら、私は・・・今、一人ぽっちだったかもしれない・・・。

「知る」「学ぶ」「理解」するは、得てして、「独りよがり」に陥りやすい。

・・・科研費をえる時、自分の興味が前面に立ち「人々のためになる」の大前提が抜け落ちているモノが多々ある。
「その研究は、人々のこれからに、どのようにつながりますか?」
「どのようにもつながりません」
と、重鎮の先生は若い審議官に向かって薄ら笑いで言う。

・・・科研費は、もらって、当然と言わんばかりに。

「疑問」の解決は、ある知識を共有する中にあって、初めて価値が出たり理解が深まったりする。
「自分はコウ思う」は大事だけど、「私は違うと思う」と言う意見にどれだけ耳を傾けることができるか。
その方が大事だったりする。意識や意義の部分では。
「正しい」は常に一つではなく、それを「正しい」と認める人達の中にあって、初めて「正しい」に・・・なる。
「知りたい」「疑問」「学ぶ」ことは、あくまでも自分の「知識欲」を満たすモノで、誰かを言い負かしたり、屈服させるモノでもない。本音と建て前の狭間があるとすると、私はいつも「疑問」がそこにあると思っている。

「疑問」は、建て前の引いたライン。そのラインを超えた「解答」が、本音。

「疑問」が忽然と湧いてくると、安心する。
・・・生きていると実感できるから。


・・・。・・・。・・・。


教頭先生は、よく「探求クラブ」のみんなをイロイロな図書館に連れて行ってくれた。

・・・私は・・・その頃には、すでに、ほぼシャッターアイの素養も使いこなせていたし、記憶の世界で発揮出来る、軽度な自閉症スペクトラムの特徴も・・・自覚して使っていた。
当然、知ることによる先回りの感覚で、周りとの軋轢は多少はあったが、小学生と言えども高学年となると「女」の意識も目覚めていたので、世間に合わせて大げさな行いは隠し、「空気を読む 忖度」術も身に着けていた。
そして、当時一番力を注いで身に着けようとしていたのが、「大人の喜ぶ」感情の表現力と・・・笑顔・・・。ははっ。

当時、一度観て記憶した事柄を忘れることはない・・・だとすると、ドコまで記憶が出来るのか、次第に図書館に入り浸りになった。誰に話しても多分誰も信じないから、そのことは誰にも話さない・・・。でも、私の成長と共に、進学、経歴、収入は隠せるわけもなく・・・バレていき・・・私を使いたい人達が言葉巧みに近寄って・・・。ははっ。・・・今がある。

「そんな嘘なんか信じない」と言われ笑われた方が、幸せな世界も後々知る事にはなるのだが、当時は、「疑問」に向かって一歩進むと・・・とっさに次の一歩が出てしまい、踏みとどまることなどなく・・・突っ走ってしまう。

・・・学生時代の授業は、ほぼ全て「疑問」しか・・・湧かなかった。

そして、段々と、その授業ですら「本音と建て前」で行われている・・・と。

試験勉強など、記憶の世界でどうとでもなった。小論文や作文など、最も著明に記憶の世界の話・・・。


大事なのは、「正しい」とされている決めつけに対する「疑問」。
なにも「疑問」が湧かないのは、それはそれで、別にイイ。

ただ、「疑問」を探求する精神は、誰かにへし折られることも、誰かに育ててもらえることも・・・ある。

・・・。

小学生の時の私は・・・「授業を混乱させる・・・」と言う、超問題児だった。
「だった」と言うのは、当時、その意識が自分にもあったから。ははっ。


・・・。・・・。・・・。


「探求クラブ」で調べた、
「日本人は、仏教が伝わると、なぜかその時まで食べていた美味しいお肉を食べなくなった」
のテーマに対して当時調べたことは・・・と言うと。ははっ。

授業では、「仏教は、争いや混乱を納めるために、広めた・・・」と、言って、その結果「動物を殺して食べてはいけない」につながったと説明だったけど・・・。

私が読んだ「釈迦 ブッダ」の遺言集である経典「涅槃経(ねはんぎょう)」の中で、チュンダという鍛冶屋さんの家に招かれたブッタは、食事で出された「スーカラ・マッダヴァ」という食べ物を食べた後、苦しみだして最後を迎えたと書かれていた。その食事が原因で食中毒を引き起こしたかは、曖昧に書かれていた・・・が、それよりも何よりも、この「スーカラ・マッダヴァ」なるものが、どんな食品であったに興味は当然のように移っていく。
「スーカラ」は豚で「マッダヴァ」は「柔らかい」という意味で、訳せば「柔らかい豚」の料理となるのだが、「スーカラ・マッダヴァ」が正しく、これだと言うには諸説が沢山あり過ぎ・・・で。はい。

ただ、ちょっと当時の私。小学生の私が・・・乱暴にまとめると、

「ブッダ、豚食って、死ぬ」

と、なったっけ。ははっ。

「仏教が伝わったから、肉を食べてはいけない」は、違うのでは? の疑問の解決にはなってはいないけど・・・。
私が学校、市、都、国立、身近な図書館で当時片っ端から読んだ、研究的な「仏教」関連の本には、ドコにも「肉食」を禁じていなかった。専門職が強くなればなるほど・・・。「肉を食べなくなった」と言える時期は・・・ずっと後、「大乗仏教」になってからの話で、ブッダの時代は「肉」でも「魚」でも、何でもパクパク食べていた。
もちろん現代の今でも、「釈迦 ブッダの仏教」を受け継ぐ南方仏教国のお坊さん達は、何変わること無く普通に「肉」を食べている。もちろん、現代においては、「肉を食べない」派のお坊さんも沢山います。

ただ、日本に仏教が伝わった時に、「肉は食べてはいけない」とは伝わっていない・・・と考えられます。

「仏教の影響で、動物の殺生や肉食がたびたび禁じられるようになった」が出てくるのは、「日本書紀」の記述の解釈によると調べた当初は考えました。「日本書記」には675年、天武天皇は仏教の立場から狩猟を禁じ、また、農耕期間でもある4月から9月の間、牛、馬、犬、サル、鶏を食することを禁止した。が話の始まりと考えました。そして、一般的な獣肉であった鹿と猪は禁じられていないのが、「日本的な本音と建て前」のラインで、本当は食べていたけど、対外的に「食べていない」と言っていた・・・との結論だったと・・・。ははっ。

当時は、イロイロと資料がドンドンと読み込みをするにはするけど、「まとめる力」が、それほどでもなかったから、そんな感じの結論だったと思う。ははっ~♡

今は、ちょっとイロイロとアップデートしていて、根本的古代日本史の流れの中で、「神事」「神への捧げもの」・・・そう、「生贄」の要素が抜けていると考えている。天武天皇の時代にすでに「畜産」は行われていた。ただ、それに「牛」よりも「猪(豚)と鹿」がメインで繁殖されていた。「神への捧げもの」と「食料」としての位置は時々によってふり幅があったが、「穢れ」という建て前により、本音を隠したゆえに、「仏教の影響で、動物の殺生や肉食がたびたび禁じられるようになった」になると、今は結論を少し持っている。

天武天皇以降の天皇が、何回も代が変わる度に、「動物の殺生や肉食を禁じる」令を出すのだが、
内容は、

「最近、米の収穫が悪いです。神様に稲作作業の4月から9月の間に「捧げもの、生贄の動物」を添えるので、その間だけでイイので、皆も、牛、馬、犬、サル、鶏の肉は食べないでね。でも、普段通りの鹿と猪は食べてもいいよ」
と、言っている・・・。

何百年単位で、何度も何度もそんな命令を出すのはどうしてか?

単純に、誰も命令を守らないから。

美味しいと知っている物を食べない理由は・・・ない。

だから、
「仏教の影響で、動物の殺生や肉食がたびたび禁じられるようになった」って・・・多分、イロイロと、

「忖度」

した結果だと思う。だって、日本人・・・ずーっと「肉」食べているし。

「牛」は、今ほどは食べていない。確かに。
でも、「豚」も「鳥」も「肉」の一種とするなら、日本人は、ずーっと「肉」を食べている。

・・・魏志倭人伝にも・・・倭人の「肉」食の話が出てくる。
「近親者や縁者の死を迎えた時、人々は喪に付し、肉を食べない期間がある」と。

・・・。

実は、「仏教と言えば、禁肉食で、精進料理を食べる」というのは、仏教世界のごく一部でしか通用しない特殊なケース・・・だったりする。

だから、文明開化の「牛鍋」・・・、流行するのはイイのだけど、もし、日本人が突然そんなに「牛」とか鍋にして「肉」を食べるとするなら、「その肉は、どこから持ってきたの?」と単純な「疑問」が湧いてくる・・・。ははっ。

「肉」普通に食べていたし。日本人。ははっ~♡


・・・。・・・。・・・。


沢山、お話をして・・・麻布十番「はじめ」様からの帰りに、教頭先生に

『・・・先生。小学校の卒業式の時に、「疑問がある限り、探求し続けなさい。貴方が結婚して子供が出来るまでは、後ろナンカ振り返ること無く突き進みなさい。沢山の結果が着いてきますから。ただ、もし、子供が生まれたら、その時は子供の手をしっかりつないで、子供の歩みに合わせて、来た道を振り返りながら進みなさい。過去に必ず解決の糸口がありますから」・・・そんな言葉を私は頂きました。今、子供が生まれて、また、先生に出会うなんて・・・感謝です!』

「パコ崎さん。人の歩みはつながっています。過去を未来に伝えるのが、人の本当の使命です」

・・・私は、誰かに認めてもらって・・・初めて力を発揮している・・・。
私は幸せだ。
独りよがりは、つまらない。

環境があってこその自分だと自覚し、与えられた物事に、感謝を持って日々過ごしたい~♡ははっ。


・・・。・・・。・・・。

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店舗情報(詳細)

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店舗基本情報

店名
掲載保留 はじめ

このお店は休業期間が未確定、移転・閉店の事実確認が出来ないなど、店舗の運営状況の確認が出来ておらず、掲載保留しております。店舗の掲載情報に関して

ジャンル 居酒屋、海鮮、揚げ物
住所

東京都港区麻布十番1-5-4 藤田ビル 1F

交通手段

麻布十番駅徒歩4分
六本木駅徒歩9分

麻布十番駅から306m

営業時間
  • ■営業時間
    [月~金] 17:00~24:00(L.O.23:30)
    [土] 17:00~23:00(L.O.22:30)

    ■定休日
    日曜・祝日
予算

¥5,000~¥5,999

予算(口コミ集計)
¥6,000~¥7,999

利用金額分布を見る

支払い方法

カード可

(VISA、Master)

席・設備

席数

28席

個室

貸切

不可

禁煙・喫煙

全席喫煙可

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駐車場

空間・設備

カウンター席あり、スポーツ観戦可

メニュー

ドリンク

日本酒あり、焼酎あり、ワインあり

料理

魚料理にこだわる

特徴・関連情報

利用シーン

知人・友人と

こんな時によく使われます。

ロケーション

隠れ家レストラン

サービス

お祝い・サプライズ可、ドリンク持込可

ホームページ

http://azabujubanhajime.com/

オープン日

1964年

お店のPR

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初投稿者

PriPriGoPriPriGo(424)

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