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パコ崎ミャ子
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店名 |
乃木坂 長寿庵(のぎざかちょうじゅあん)
|
---|---|
ジャンル | そば、日本酒バー、居酒屋 |
予約・ お問い合わせ |
050-5596-2211 |
予約可否 |
予約可 |
住所 | |
交通手段 |
・千代田線「乃木坂」駅 乃木坂駅から177m |
営業時間 |
|
予算 |
¥3,000~¥3,999 ¥1,000~¥1,999 |
予算(口コミ集計) |
¥1,000~¥1,999
¥1,000~¥1,999
|
支払い方法 |
カード可 (VISA、Master、JCB、AMEX、Diners) 電子マネー不可 |
サービス料・ チャージ |
なし |
席数 |
35席 |
---|---|
個室 |
無 |
貸切 |
不可 |
禁煙・喫煙 |
全席禁煙 |
駐車場 |
無 近隣にコインパーキングあり |
空間・設備 | 落ち着いた空間、カウンター席あり、無料Wi-Fiあり |
ドリンク | 日本酒あり、焼酎あり、ワインあり、日本酒にこだわる |
---|---|
料理 | 健康・美容メニューあり |
利用シーン |
こんな時によく使われます。 |
---|---|
サービス | 2時間半以上の宴会可 |
お子様連れ |
子供可(乳児可、未就学児可、小学生可)、ベビーカー入店可 |
ホームページ | |
オープン日 |
1963年2月 |
電話番号 |
03-3402-2358 |
初投稿者 |
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昨日、家でcoordinatorさんから、印刷し出来上がった私の結婚式の招待状を受け取った。
実家に、招待状を何通か持って行く。親友と二人で。妊婦二人で。
「両親が、どうしても手渡しで渡したい皆様」の分を母に渡すと、
困った風の変なつくり顔で、でも声は嬉しそうで・・・。ははっ。
【どうしても、手渡しでないとイケない人達だからね】
と、言う。
『私、暇だから言ってくれれば、自分で持って行くのに』
【えっ!駄目、ダメ、だめ! ミャコちゃんは、年寄りに混じってしまうと、馴染んでしまうから、ダメ。絶対に】
『・・・えっ、何で・・・。その強い否定は・・・何?』
【昔っから、ミャ子ちゃんに何か頼むと、対応するのが大人だったり年寄りだったすると、話がややこしくなって・・・。こないだだって、ちょっとお隣さんに旅行のお土産を持って行くだけなのに、三時間も返ってこないし、心配して迎えに行ったら、妊娠しているのにニコニコ顔で、べったら漬けの樽を台車丸ごと貰ってきてる途中で・・・】
「あっ、何か分かる。アンタは、昔っから、わらしべ長者気質がひどすぎるから、お祝いごとの連絡なんか持たせて年寄りの中に放流したら、帰る川を忘れるタイプだからネ。マジ行かせたら、釣り上げられないと返ってこなくなるから、ママ、絶対行かせてはダメ。絶対ダメ。ミャ子は、年寄りと子供には、ホントに馴染んじゃうからね~。ぎゃははっ」
親友が、いつものように、茶々を入れ、母と爆笑している・・・。
『・・・べったら漬けは、隣のオジサンが、久しぶりだからあがってお茶でも飲んで行けって言うから、ご馳走になってイロイロ話してたら、私が妊娠している話になって、そしたらオジサンが、お祝いだ~とか言いだして、・・・』
ははっ。私なんかでも、ネタにされて喜んでもらえるなら、嬉しいもんだ。ははっ。
・・・。
実家で、ひとしきり話して笑った後、親友と二人で病院での定期健診に行く。
二人とも経過は順調。そろそろ五カ月に入る。
ぶら下がっているか、引っ込んでいるかが、ここ何週間の楽しみなのだが、どちらのBabyちゃんも中々焦らしてくれる。今回もオアズケ・・・。でも、先生は、「どちらも女の子かも?」とチラッとこぼした・・・。ははっ。どっちでも嬉しいけどネ。
親友は、「つわり」らしきものが、たまにあるけど全然楽で、逆に食欲がヤバいくらい炸裂していると言う。
私は、やっと最近、温かいモノも食べれるようにはなったが、「つわり」は変わらずにある。でも、前ほどではないかも。
予定よりも、少し時間がかかったけど、逆に空腹がタイミングよく来てくれたので、ミッドタウンで遅めのランチをしようと歩き出したが、直ぐに親友が行き先変更を提案してきた。
「ねぇ、アンタはやっぱり蕎麦なんでしょ? 私は蕎麦以外のものがいいから、ソコの長寿庵さんに行こう」
おぉ~。何年ぶりだろう。多分、高校生の時以来だと思う。そうだった、子供の頃はよく来た。懐かしい~♡。
『乃木坂 長寿庵』 様で「上天ぷら蕎麦」を食べる。
なんか・・・安い。そして、美味い。マジ、これだ!
親友は、「カツ丼セット」。それも美味しそうだなぁ~。
二人で、モシャモシャ食べながら、昨日私の家で食べた「天ぷら」と「蕎麦」の話をしだす。
31歳・・・もうすぐ32歳。この年になると、蕎麦は、蕎麦で美味しい。
それは、間違いない。ネギだけ散らしたカケもイイし、サビの効いたモリもイイ。
でも、蕎麦に油分をちょっと加味すると、味わいが深くなる。それは、確かだ。
「天ぷら」の乗った「蕎麦」・・・「上天ぷら蕎麦」。
汁に薄く広がる油滴。曜変のキラメキは、蕎麦の入った天目をのぞく目に鋭く対峙する。味わいの優しさに、変化あるドキドキを期待させる。いつもの「蕎麦」の曖昧で香るか香らないか、そんな大人の対応ではないぜよ。天の衣を抱いた今宵のオイラは、ちょいと違うぜ。その、すぼめた唇を必ず虹色に濡らして見せる。骨にまで味わいを沁み込ませ、ふっと吐き出す吐息にも、必ず艶と色を感じせて魅せる。そんな自信を感じたり・・・なんかして。ははっ。
・・・。
「あのね。昨日さぁ、アンタん家で、やっと『天ぷら』が出てきて、マジでホッとしたんだぁ。ずっとアンタ、バカみたいに『蕎麦!蕎麦!』言って、三食、三週間くらい騒いでいたじゃない。「K」君がいよいよ愛想つかすか、切れるんじゃないかとか、結構この一週間、言い出すタイミングを見ていたんだヨ。普通の人は、食べることに対する喜びは、昨日とは違う変化の中に見出したりするから、アンタの『こだわり』を楽しめる人とか中々で中々だからネ。でも、「K」君は凄い。アレも中々で中々だネ。ぎゃははっ。昨日もニコニコして食べていたし、安心した。あっ、でも「K」君の『ご飯だけあればイイ』は、真に受けてはダメ。そんな人はいない。ご飯は『おかず』があってこそ。だって、『好きな食べ物は?』と聞かれたら、まずは『ご飯に合うおかず』を普通は一番先に考えるでしょ?そういうこと・・・」
この後も、結構、淡々とたしなめられた・・・。私のバカな『こだわり』を・・・私は、二人で生活しているのに一人暮らしの時と変わらない【振舞い】をしている。それは、第三者から見ても気が付くくらいの傍若無人のアホさ加減と言うことだった・・・反省・・・深く反省だ。マジへこむ。でも、言ってくれる親友に、超感謝・・・いつも私を見ていてくれる。
・・・。
小さい時、十代の頃、私はそんなに蕎麦は好きでは無かった。と、思う。
と、言うのも、そもそも蕎麦を単体で頼んだり食べたりしだしたのは、
二十代の後半か三十歳ちょい前になってからと、今更ながら、ちょっと気が付いたから。
ただ特に、ここ何週間の蕎麦狂いは、「つわり」とか「妊娠」の影響があるのも間違いは・・・ないのだけれど。はい。
考えると、十代の時に食べた蕎麦は正直、なんか物足りなかった。
単体の主食として、おにぎりのような胃に落ちる重量からの満足感や、バターを塗った食パンのような香りの圧倒的高揚感、ラーメンのような魔力に近い中毒的魅力を感じなかった。うどんは、うどんで、風邪の時の鍋焼きうどんに強烈な有難味が感じられたりして。
蕎麦はと言えば、年越しそばで、年末になんとなく挨拶するくらいで、十代後半になるとイベとかで街に飛び出して、ポテトとコーラの乾杯に変わってしまい、しばらくその存在の重要性すら忘れていた・・・。
蕎麦は、圧倒的にその価値を分かるのは、歳を重ねてからと、なんか思う。
食育とか言われて、日本食を見直すとか、出汁がとか日本の良さとか、イロイロ読んだり聞いたり書いたり会議に参加してきたけど、絶対的に足りないのは、大人が目を尖らせて伝えたい子供~二十代世代の「その若い年代の味覚の話」だったと、最近、蕎麦をいじりだして分かってきた。今更だけど。
十代の時、身体を死ぬほど動かしたり、頭をフルで絞ったりしていた時期には、
「出汁」の淡さや優しさより、「油、脂」の甘さや力強さの方が、必要だった。
正直、「出汁」の効いた純和食的食事より、「油分」たっぷりの西洋食の方が美味しかった。
好みとか、好き嫌いでは無くて、確かに出されたものは食べたけど、
自分が必要だと感じ美味しいと思ったものは、目の前の大人が「美味しい」と食べている物とは違った。
生姜の味とか、ヌタの和え物とか、ワカメの酢の物とか、ほうれん草のお浸しとか、ハジカミとか、きざんだ紫蘇とか、
刺身のツマとか、セロリのスティック野菜とか、骨だらけの焼き魚とか、ゴーヤの炒めたモノとか・・・。
今は、共に生きている感じだけど、十代の時はその存在は知っているが、
道であっても、会釈だけでなるべく目を合わせないで通り過ぎていた。
蕎麦も、何でネギが乗っているの? 意味わかんねーし的な感じだった。
味覚は、小さい時の訓練で学習とか、言いたい人は言うけど、味覚は脳の判断で感覚神経の話ではない。
そもそも、神経系の成長は5歳までに80%は出来てしまう。でも、脳の成長は今だに解明できてはいない。
一生成長的変化を見せる人もいれば、衰退する人もいる。
何をもって成長とか衰退としているのか、そもそもの定義が曖昧だ。
機能低下とボケるは、一緒ではない。
味覚は、環境の変化に対応する器官と、私は考える。
誰かに強要されるものでも、教え込まれるモノでもないと考えだしている。
それは、環境で味は変わり、体調で味は変わり、感情で味が変わるから。
不変的な「味」は、時間の経過の中に存在できないから。
記憶の中の「味」もあるという人もいる。私もあると思う。
でも、目の前の「味」が記憶の中の「味」とは、まだ誰も証明できていない。それだけのこと。
知ることは、素晴らしいことだけど、知らない方が幸せなこともある。
味覚は、特に知ったことが幸せにはつながらない感じがする。
そんなに、小さい時から舌を鍛えたことが幸せかどうか。
舌を鍛える環境や体調や感情を維持できる保証が、ドコにもないから。
蕎麦は、大人が大人になる登竜門のような食べ物かなぁ~と、最近勝手に思っている。
その良さとか、味わいに到達するには、
年齢とか経験とか年輪の輪を油滴の一滴のように一輪一輪広げて刻まないといけない感じがする。
蕎麦に乗る「天ぷら」ぐらいの油で、ギシギシ言わないでスルスル回るのが大人の証・・・かも。ははっ。
私は、まだ「天ぷら」ぐらいの油ではスルスル行かないみたいだ。
浴びるくらいの油分が、まだまだ必要みたいだ。ははっ。
・・・。・・・。・・・。
チラッと、壁の時計を見る。
『ヤベっ。「K」君帰ってくる。晩御飯作んないと。一緒に食べて行くでしょ?』
「食べて行くに決まっているジャん。てっ、うぁ!こんな時間。6時間くらい喋ってたわ。マジヤバっ。ぎゃは」
家で、coordinatorさんと親友と、来月の私の結婚式、披露宴の打ち合わせ。
打ち合わせ自体は、20分くらいで終わった。
coordinatorさんが帰った後、残った親友といつものようにダラダラとバカ話。
ゲラゲラ笑っていると時間の感覚が本当に無くなる。ははっ。
こんな夕飯時。こうなると、そう別に特別では無く、ただ、いつものように、
夕飯を親友の分も入れて、三人分準備する。
『じゃ、三人分用意しなきゃ~ぁ』
と、私が重い腰をあげる合図のような、気合のような独り言を言うと、
親友は、
「私の方が、この家の滞在歴は長いし「K」君の方が後から入って来の。だから、三人分の三人目は「K」君の分ヨ~だ」
と、いつも笑いながら私に言う。ははっ。
で、今日も最近ハマっている「蕎麦」を「振舞う」準備をする。
「振舞う」と言うと大袈裟だけど、なんか蕎麦の後に「振舞う」とあえて付けて言うと、
ちょっと華やかな感じがする。ははっ。
食卓のテーブルに乗る姿が、「蕎麦」だけと想像すると、皿もザルもそこに乗る蕎麦も、色見が渋すぎ。
カラフルなロックtasteではなく、確実に尺八music的で、趣く重量感がじんわり漂う。
箸音すら、静寂に溶け込むように、腹に響く感じが勝手にする。ぶお~ンと。ははっ。
せめて「振舞う」と言葉だけは華やかにしない・・・と。
・・・そう言えば、最近、本当に「蕎麦」ばっかりだ。
旦那様の「K」君も、親友も、何にも文句を言わないことにフッと「気が付く」・・・。
何か、何か、今日は、変化を付けるかなぁ~と・・・やっと、「気が付く」ダメな・・・私。
・・・。
「ねっ、一枚食べる?」
『えっ? あっ食べる。口に入れて』
キッチンで、蕎麦を用意している私の側に、指先に一枚「つまんだ」親友が寄ってくる。
蕎麦が待ち切れず、袋を抱えてバリボリ食べている親友。ポテトチップスを。
口に入れてもらったポテトチップス。
「ほわ~ん」と、油に乗ったしょっぱさと香りが、一緒に噛み込む口の中でボワボワと膨らむ。
さっきまで鼻の二本の通り道で遊んでいた蕎麦の香りが、
ローソクを「ふっ」と吹き消すように無くなる。・・・ちょっと驚く。
蕎麦に「油」とか「脂」の馴染みとか、取り込みとか、
相性が抜群で、蕎麦の「何か」を補佐するとすっと分かった。・・・気が付いた。
頭の中で、冷蔵庫の中、貯蔵庫の中を思い出して、「天ぷら」のタネを考える。
小海老だけど冷凍は有る。かぼちゃ、アスパラ、スナップえんどう、ミニトマト。
あと、大根のひき菜炒りと、イカ人参もあった。
素材単体は、そのままで。出来てる料理は、二次使用のかき揚げを作ろう。
あれだけ暑かったのに、急に肌寒いを言い訳に、
今日は、「温かい蕎麦」にしよう。サクサク「天ぷら」も別盛にして添えよう。決定。
・・・。
『こないだね、アイちゃんが、また来てくれてネ、「そんなに、食感が好きなら『卵』をつなぎに使った食感抜群の『卵蕎麦』もあるよ?」って教えてくれたのネ。それでイロイロ試行錯誤して結構色的に食感的に、私好みにカスタム出来てきたんだ~♡』
「・・・バリ、ボリ。・・・へぇ~。スゲーじゃん。蕎麦って卵入れて、こねても旨そうだよネ・・・でも、・・・」
『えっ・・・「でも」、なに? 何?』
「いや、アンタが楽しんでいるから、・・・私も楽しいなぁ~てっ、感じ。へへっ」
『なぁ~に? 何か意味ありげに・・・』
「・・・へへっ、まぁ、いいじゃん!」
【ピンポ~ン。ピホピホ。ピンポ~ン】
「おっ、チャイム! 旦那様のご帰還ですぞい!」
『あっ、開錠お願い。動線関所4か所だから、間違えないでネ。ちょっと、モニター見てヤッテよ』
「OK~♡」
乙姫ネーさんのスタッフの「アイちゃん」に、食感のキコキコになる「卵蕎麦」の作り方を習う。
卵の黄身だけ、白身だけ、全卵とか、イロイロあるみたいだけど、
今回は「黄身」と「一番粉」をメインにして、黄色く黄金と言ってもいい色合いを目指す。
残った「白身」は無駄なく「天ぷら」の衣に使う。
白身だけの色見で、サクサクと軽く揚げてバットで油切り。
盛り付ける織部の大皿の緑に、白い薄衣の天ぷらは、
既に固めた抹茶塩に乗っているみたいで、初夏の彩にはぴったりだ。
「卵蕎麦」はフードプロセッサーのおかげで、全然こねるのは簡単。
「温かい蕎麦」でコシが抜けるのが嫌なので、強力粉と塩を少し入れる。
その後のパスタマシーン。ダラダラやらずに、スーッと通して、手早くパパっと切り分け仕上げる。
あと、蕎麦の食感の違いは最初の「水回し」の時の空気の含ませ方だと、やっと理解した。
無理にこねたり、力を入れてまとめない。水を蕎麦粉に混ぜる時、空気を意識して合わせていく。
空気を混ぜるとは、蕎麦粉と蕎麦粉の間に含ませる感じ。
食べ物を食べ物に例えるのは、アレだけど、私はバカだから例えるけど、
なんか、お好み焼きを混ぜる感じみたいで、サックリと混ぜる。
まぁ、最後まで、まとめるのはフードプロセッサーだけど。ははっ。
黄金の「卵蕎麦」は茹でてもしっかりで、ぬめりをとる洗いの指に伝わる感覚が、すでにコキコキ。
手早く急速に冷やした方が、温め直した時の食感がさらに引き立つ。美味しい~♡
ツヤツヤの「卵蕎麦」は、白だしベースの色の薄い汁の中に泳がすと、片栗の花の黄色に近い色だ。
京都で見た、黄金の鯉のぼり「吹き流し」が流れているようにも見えて、綺麗だ。存在感が、たまらない。
そんな綺麗な「卵蕎麦」の上には、何も乗せたくない。三つ葉もネギも、要らない。
蕎麦と汁の上に乗るのは立ち上る湯気だけで十分。
アクセントの緑は、テーブルの中心に置く、大皿の織部が担ってくれる。
・・・。
『さぁ! 出来たよ』
「うぁ! この家で、天ぷら久々~♡ しかも温かいお蕎麦~♡」
【おっ、温かいお蕎麦だ! 「つわり」大丈夫? 冷たい蕎麦でもいいよ】
『おっ、そう言えば・・・。なんか、忘れてた。平気みたい。さぁ、食べましょ。温かいうちに』
「わぁ~い! ミャ子の天ぷら久々~♡ 頂きま~す♡」
【そかそか。良かった。頂きます。】
『どう? 美味しい?』
「 (#^.^#)~♡ 」
【 (*^-^*)~! 】
・・・。
食後、台所で、親友と洗い物。
「ねぇねぇ。アンタの大事な旦那様、台所の隅で、大量の白米にトンカツソースかけて、バクバク食べているけど・・・大丈夫?」
『あぁ・・・最近、夕飯、蕎麦ばっかりでしょ、最後、〆にご飯を食べたいんだって。おかずも要らないって』
「・・・えっ? マジ・・・」
『マジ!・・・ははっ』
・・・。・・・。・・・。
天ぷらのコツで、衣の花を咲かすとワザと突起を立てるのがあるけど。
ゴツゴツと突起をまとった天ぷらは、見た目が堂々として見栄えがイイ。
突起がドンと飛び出していると、ネタから出る水蒸気の影響を受けにくいから、サクサク感が長持ちしたりするし。
贅沢に、胡麻油だけで揚げ、適温だと自然に衣の花が咲いたりもするけど、
家では普通は箸先以外にスプーンを使って、溶いた衣をタネに、垂らしながら揚げたりする。
揚げたての天ぷらは、そのままでも美味しい。
でも、蕎麦に合わせると、「油のくどさ」と「蕎麦のたんぱくさ」の程よい調和の、
「得も言われぬ美味しさ」に確実に昇格するのを感じる。
天ぷらの歴史をちょっと “かすかだって” ひも解こうと思うと、
必ず「天ぷら らしき料理を最初に食べた日本人は、徳川家康だろうと言われている」とか、
「名称で「てんふら」とい文字が文献上に初めて登場するのは1669年(寛文9年)の『料理食道記』である」とか、
読まされたり、聴かされたりする。ははっ。多分、「そうなんだ~」と、思うし、別に何の文句もない・・・けどネ。
家康が食べる前に、それを献上しよ~っと♡ 思った人や調理した人や、なんなら毒見をした人もいただろうし・・・。
『料理食道記』1669)も本文中の記載には「てんふら 小鳥たたきて鎌倉、えび、くるみ、くずたまり」とは書いてあるが、それは皿の上の、出来上がった料理の説明部分の解説で「西の てんぷら」つまりは、食材をすり潰して揚げたもので、 「さつま揚げ」と前後の文章から推察されるのだけれでも。だから、家康の食べたものも、そんな感じの書物に出てくるものも、どちらも「さつま揚げ」みたいな物を書いていると・・・私は勝手に思っている。
えっと、あのー、つまり、歴史の中で「天ぷら」は、
東の「衣をつけた」天ぷらと、西の「さつま揚げ」の天ぷらを混同して話している。と、私は思うと言うこと。
「じゃ、お前はドコに『てんぷら』を見出すんだ!」と言われると、逆にてんぷらとは言ってないが、やっぱり、『料理献立集』(1671)」が最初の様な気がしまする~。「どじょうくだのごとくきり、くずのこたまこを入、くるみ・あふらにてあげる」が、衣の付いた物を揚げた記載だと思うのですが・・・。
まぁ、と言うか、私が言いたいのは、「天ぷら」の起源をドコにするかとかでは無くて、ましてや江戸時代に「天ぷら」が確立したとかでも無くて・・・、つまりは、中々難しいな・・・。話の持って行きかたが・・・。ははっ。
私は「天ぷら」は既に、「奈良時代には宮中料理としては確立し、その後庶民へと伝わっていた」と思っている。
ちょいと後の平安時代、紀貫之の「土佐日記」の中に、「2月16日 『まがり』 と書いてある看板」を京への帰り道、山崎あたりで見たと書いてある。
それは『唐菓子』の『まがり』を庶民に売っている看板を見て、京を感じる・・・みたいな記述~♡
『まがり』を含めた『唐菓子』は、「米や麦を粉にして、こねて形を作り、『油』で揚げたもの」でやんす。
『油』で揚げたものっス。
「延喜式」(927年)巻42 「東西市司という京内の市に関する規則の中に、索餅(さくへい・さくべい)という『揚げ』菓子の専門店が存在したことが書かれている。
「今昔物語集」巻19・第22 (1120頃)に出てくる「麦縄」も「米粉・小麦粉・塩で作る生地を縄の形に成形し、油で『揚げ』た菓子」とある。
「厨事類記」(1295)には、米粉を練り、油で『揚げる』という唐菓子の製造方法が詳細に記述されている。
鎌倉末期には唐菓子は廃れると、多くの現代書では書かれているが、いやいや、そうではなくて、現存する書物の中に出てくる回数が減るだけで、普通に残っている。
だって、今世に一部でも唐菓子が、そのままの形で残って伝わっているのだから。
鎌倉時代の末期頃から、日本と言うかアジア全体が寒冷期に入って作物不良も多かったり、当然、食糧難だと争いも増えたり。戦国時代に突入すると、平和な時代の生活書籍や文化書よりも、争いや管理する側の書物は増える。当然、一般庶民の生活の書は少なくなる。当然の事だと思うんだけどなぁ~。
・・・。
「揚げる」と言う調理方法、料理方法はどんな本を読んでも、
「日本では奈良時代には、この調理法が知られていた」と書かれているし、その痕跡が当時の書物に多々みられる。
だから、
ゴマ油がどんなに貴重でも、小麦粉や卵が既に存在して、
食材がそこにあって、調理方法も知っているのに、
「揚げない」方が難しいと・・・思う。
いかにボケーっとしている私でも、
そこまで、揃っていたら「揚げる」と思います~けど。「食材に衣をつけて」ネ。ははっ。
食用油の商取引が「座」に仕切られ、関所による通行税の課税により流通コストが高かった。
まるで、見てきたようなことを言われるが。どの時代のどの道のどの関所のことを言っているのだろう?
関所は、通行の要所に設置された料金所のようなもので、どの時代でも今で言う「高速道路」のようなもの。
道には必ず、抜け道、脇道、それ道、けもの道と、必ず一般道のような庶民道があった。
それこそ、本能寺の変で、徳川家康が明智光秀の軍や混乱に乗じた落ち武者狩りなどとの遭遇を回避するために、堺からわずかの供回りを連れて、関所を避けて山城国宇治田原、近江国甲賀小川村から山道を経て加太峠を越え、伊勢国からのどこぞの港から領国の三河国へ帰還した。「道なき道」と言う名の道を通って。ははっ。
油の原料が胡麻で生産量が少なく高価であったとするのも、事実ではあるが、植物油の知識は縄文時代にエゴマの栽培。ハシバミの実から絞った記述が日本書紀の中にもあり、それなりに身近な存在だったと推察される。何よりも、大化の改新のちょっと前には、既に税金の代わりに「油」と「脂」を分けて納めていた。仏教伝来の後に「獣肉」を食べることの制限が必要以上に誤解され認識されているが、事実は異なり、「完全禁止」ではなく、季節や月による「種目別制限」で、別に食すことがダメではなかった。また「脂」をとり、生産することに特には制限はなかった。表向きは「医療用」「料理用」みたいだったけど。
話の時代背景の範囲が縄文から江戸まで広げすぎですね~♡ははっ。
とりあえず、「衣をまとった天ぷら」にしぼりま~す。
ただ、「小麦粉、卵、水」での調理方法として天ぷらの普及は、
安土桃山時代よりは、古いと思う。多分、全然余裕で鎌倉時代までは、さかのぼれると思う。
書物の中の厳密な文字としての「天ぷら」の登場が、「天ぷら」の起源ではないと考えるから。
この時代、「油で揚げたもの」と言う意味で、「南蛮料理」という言葉が生まれたし。
まぁ、「揚げる」を突き詰め出すと、「中華料理」に行かないとイケなくなるけど。ははっ。
豆腐がヒントになる。多分。
中華料理の中に炒め物等の素材をあらかじめ下揚げすることは油通しと言ういい、基本的な技法である。
あらかじめ素揚げで火を通すことで、炒めるより短時間かつ均一に食材に火を通すことができる。
しかし、豆腐や肉や魚は、そのまま油に入れると、水分の蒸発が早く、素材の変化が大きすぎる。
豆腐は、油揚げになる。
豆腐の素材感を残すには? 何かで覆う。何かで保護する。何かで守った方が・・・と考える人がいてもイイのでは?
豆腐が伝わるより先に「揚げる」料理技法は伝わっているのになぁ~。
油揚げ、稲荷神社、仏教・・・ワードがドンドン広がりだす~♡ マジ楽しすぎる。
・・・。・・・。・・・。
蕎麦に乗る揚げ物は 蕎麦に馴染む感じがする。
色見からのイメージでしかないが。
深い蕎麦の味は油の馴染みが強く。
逆に白いうどんは弾く感じがする。
そう、感じる。私が勝手に。
さっき、家に帰ってきた旦那様の「K」君に、バカみたいに蕎麦ばかり作って食べさせたことを謝った。
ご飯も「沢山炊いておけばOK~」の話を真に受けて、そのまま、そうしていたことを謝った。
家にいて、好きな仕事だけ選んでヤレテいるのは、「K」君のおかげなのに。
私のバカな「こだわり」の勘違いで、愚かな思い上がりを謝った。
私の話を最後まで聞いて、
「K」君が、
「こだわり」はね、磨いてあげると「才能」になるんだよと、笑いながら言ってくれた。
私のくだらない「こだわり」を「才能」と認めてくれる人の奥さんに成れる幸せを、
爪先から頭の天辺に向けてしっかりと感じた。
うん。私は「K」君の【側】に居られるだけで、十分だ。何にも不満も不安がない。幸せだ。
私は、「K」君の【蕎麦】に添えられる「天ぷら」に成る気持ちが、やっと固まった気がする。
だったら、蕎麦を引き立てる、バリバリに衣の花が咲いた天ぷらになろう~♡ははっ。
そう、思った話。ははっ。