「自家製粉十割の手打ち」ながら、町場の蕎麦屋のスタイルも残す : 中村屋

　定期的に診察に赴く東京女子医大病院。
　午前中に診療や調剤もすべて終わり、その後の食事処を思案。
　病院の近所にはランチ向きの店が数多く点在しており、診察の後に寄った処の何軒かは書き込みしてる。

　世間は＇盆休み＇と称して休んでいる店も多いこの時期、開いていることを確認の上向かったのは、やや距離のあるこちらの蕎麦屋。
　場所は若松町の交差点から早稲田方向に下る「夏目坂」の途中の喜久井町。
　途中には天ぷらの「高七」が在るが、いつも賑わうこちらも夏休み中で閉めていた。
　
　結構目立つ場所の一軒家で趣ある店構えながら、なぜか話題に上ることの無かった蕎麦屋。
　しかし創業は明治の末まで遡る老舗で、当然ながら初めは機械打ちだったと思われるが、現在は手打ちに切り替えて＇自家製粉の十割＇を標榜している。
　半年ほど前に寄って蕎麦の出来は確認済みで、「蕎麦屋酒」目的で再訪する機会を窺っていた。

　店内はすべてテーブル席で3つのスペースに分かれており、合わせて20席ほど。
　入店したのは12時少し前だが、すでに家族連れなど2組が居る状況。
　店はどなたがご主人かは分からないが、年配の男性3人で営まれている。
　前回は女将さんが居たが、今回は姿が見えなかった。
　一番奥の2人掛けの卓を選ぶ。

　まずはビール（キリンラガー中瓶）をもらう。
　お通しには「枝豆」が小皿で出されたが、色はやや悪いものの冷凍では無く生から茹でたもの。

　肴は蕎麦屋の定番ものが品書きに並ぶ。
　一品目に頼んだのは「いたわさ」で、カットされた蒲鉾に本山葵の摺りおろしと少量の海苔の佃煮が添えられ、玉子焼きも盛り合されている。
　蒲鉾は最上級では無いが、まずまずの味と歯応え。
　自家製の玉子焼きは甘辛い味付けで、焦げ目を付けてしっかりと巻き上げた江戸前流が嬉しい。

　酒については＇カップ地酒各種：570円＇が気になる。
　銘柄を問えば、多数用意されているとのこと。
　希望を訊かれたが、忙しい最中に並べてもらうのも気が引けるため＇すっきり辛口＇と伝えてお任せする。

　選ばれたのは、山口萩の「長陽福娘」。
　文字通りのカップ入りで、グラスや漏斗も用意されるがそのままでもらい自分で開栓し、コップ酒状態でちびちびやる。
　爽やかな口当たりながら、しっかりとした旨味の余韻が好ましい。

　肴の追加は、姿かたちに特徴があると聞いている「天ぷら盛り合わせ」。
　運ばれた大皿には、普段あまりお目に掛かれない光景が広がっている。
　衣は厚くは無いが、油の温度が高めのため揚げ色は濃く食感も硬め。
　油切れがやや悪いため、敷き紙の油染みが大きいのも気になる。
　一見失敗作のように思えるが、他の方の書き込みや写真を見ると同じスタイルなので、これが昔からのこちらの手法のようだ。

　内容は大海老一尾・帆立一片に、野菜は茄子・オクラ・茗荷・南瓜・ズッキーニ・インゲン・エノキ・大葉など。
　海老は大振りのブラックタイガーと思われ、高温でじっくりと揚げられているためかなりの歯応えだが、旨味はきちんと感じられる。
　野菜類もやや揚げ過ぎの感はあり、エノキなどは干乾びた煎餅状態。
　しかしパリパリの食感のため、もたれることが無いため結構なボリュームながら、塩と天つゆを交互に使いながら飽きずに食べ進められたのはむしろ意外だった。

　蕎麦は＇辛味大根＇が付記された「おろしせいろ」を選択。
　一式が大き目の角盆で登場。
　辛味大根おろしが盛られた蕎麦猪口に、徳利のつゆを注いで味を調整するタイプ。
　その際につゆの味を確認するが、辛めながらバランスの取れた江戸前伝統の味わい。

　＇音威子府産＇を自家製粉し十割で打たれた蕎麦は、切りがやや不揃いでエッジが立つシャープさは感じられない。
　まずそのままを手繰ってみるが、歯応えの強さには欠けるが香りや舌に伝わる旨味はしっかりで、決して悪い出来ではない。

　大根おろしの辛味は程よく、絡めた蕎麦を気持ちよく啜れる。
　こちらにも本山葵のおろしが付き、葱の切り方も丁寧。
　別に揚げ玉が小鉢で出されるが、油が高温のため針状に仕上がった揚げ玉の食感と味がなかなか面白く、これを加えることで変化を楽しむ。

　蕎麦湯は時流に迎合しない、釜湯のままの自然体。
　気持ち良く伸びるため、徳利のつゆも余さず割って全てを飲み干す。

　なかなか快適な蕎麦屋酒が楽しめた。
　天ぷらのユニークさなども有ったが、トータルするとまずまずの満足感が支配的。
　お勘定は4,000円弱のため、内容からすればリーズナブル。

　
　こちらは100年以上の歴史があるが、開業した地は外神田でこちらに移転してからもすでに60年とのこと。
　その昔4年ほどこの辺りには縁があったが、こちらの存在を知っていれば通っていたかもしれない。
　尤も手打ちを始めたのはそれほど古いことでは無く、以前は普通の町場の蕎麦だったと思われる。
　現在もその頃の仕事の面影は感じられ、丼物が品書きに載せたり、ランチ時にご飯をサービスで付けることにそれが現れている。

　こちらの営業は通常は昼から夕方までで、夜は予約のみの営業。
　理由はご主人はじめとする面々が、高齢のためと思われる。
　その割には立派なHPは、専門家に頼んで作成されたのだろう。

　後継者が居ないようなのは残念。
　しかしこの場所で、ご近所の常連さん主体に穏やかに商売を続けられることも悪くない。
　病院通い以外でわざわざ出掛けることも無いが、これからも時々寄ってみたい。