敷居が高そうに見えて、案外手軽に蕎麦屋酒が楽しめる : 円山町わだつみ

　この日向かったのは、渋谷の外れの円山町にある和食と蕎麦の店。
　円山町と聞けば東京人ならばまず＇ラブホテル街＇を思い浮かべるであろうが、元々は花街で今でもその名残が僅かに残っている。
　こちらはラブホが林立する中に、渋い日本家屋の佇まいを残している「三長」という由緒ある料亭の建物の一部に設けられている店。

　「三長」の立派な門構えに続く板塀の先に長屋を思わせる入口が在り、京町屋のような奥に深い造りで何軒かの店が入っているようだ。
　入口の上には看板が嵌め込まれており、此処がかつては置屋だったことを物語っている。
　狭い通路を奥に進むと傍らに石灯籠などが置かれた中庭が現れ、錦鯉が泳ぐ池には朱塗りの橋が架かっている。

　ちょっと分かり難い所にある扉を開けると、スタッフが笑顔で迎え入れてくれた。
　一瞬靴を脱がねばと思うほど磨き上げられた板の間は、華やかな雰囲気に満ち溢れている。
　客席は季節の花と御所車が大胆に描かれた壁面を前に、幾つかのテーブルが配されている。
　奥には蕎麦打ち用の小部屋も確認出来る。
　開店早々の初客であり、その中の2人掛けの卓に通された。

　メニューを開けると、こちらが元々はきちんとした和食割烹の店であることが窺える。
　単品の蕎麦も有るが、和食と蕎麦がともに楽しめるミニコース的なメニューが面白そう。
　その中から刺身や天ぷらなどが付く「蕎麦御膳」（税込み2,100円）を注文。
　
　一緒に飲み物を頼もうとするが、スタッフから＇晴れて酒が解禁になりましたのサービスさせて頂きますが、如何でしょうか＇という嬉しい申し出があり、もちろん同意。
　ビールか日本酒が選べるとのことで、ビールでお願いする。
　単純にグラスビールが一杯くらいと思っていたら、何とこだわりを感じさせる＇本日のクラフトビール＇からの3種が、脚付きの洒落たグラスに注がれて登場。
　内容は「芳醇496・ブルックリンラガー・よなよなエール」で、呑み比べるとそれぞれの味わいが楽しい。

　3種のビールをチビチビやっていると、3つの器が乗った膳が運ばれた。
　「刺身」は「中トロとイサキ」が2切れずつだが中々の上物で、包丁技の冴えが感じられ、つまものや山葵などもきちんとしている。
　「小鉢」は「鯛の南蛮漬け」で、薄切りの鯛の身を揚げて、玉葱や人参の繊切りと優しい加減の酢に浸された和風エスカベッジュの趣。
　「サラダ」はレタスを敷いた上に太めに切られた大根・人参・胡瓜が乗り、まったりとしたマヨネーズベースのドレッシングが掛かっており、味も食感も上々。

　少し間が空いて「天ぷら」が登場。
　結構大き目のため2つにカットされた海老に、野菜は小茄子としし唐で、塩が添えられている。
　海老はやや揚げ過ぎで硬かったが味は良く、扇面に細かな包丁目が入った茄子に丁寧な仕事が光る。

　酒の追加をしようと品書きを眺めるが、充実の品揃えで半合単位でも頼める。
　その中で＇本日の日本酒 飲み比べ＇が目を引き、「夏酒　飲み比べ」を選択。
　「栄光富士・大那・賀茂金秀」が3つのショットグラスで供された。
　それぞれの特性が記された、屏風状の和紙の添え書きも洒落ている。
　これらで、暫し優雅なひと時が流れる。
　
　御膳には＇本日のちょい飯＇という日替わりの「のっけ飯」が付き、この日は「叉焼丼」。
　小角切りの焼き豚がそのタレと共に、小振りの丼飯の上に盛られている。
　コースの中でも決して違和感なく、叉焼は酒の肴にもなって美味しかった。

　酒が尽きかけた頃、蕎麦をお願いする。
　浅い手桶のような器に簾を敷いた上に、中太に端正に切りそろえられた蕎麦が盛られている。
　淡い色合いの＇二八＇で、シャキッとした食感と喉越しの良さに秀でた、東京人には最も安心できるタイプ。
　コースに組み込まれているためやや盛りは少ないが、老舗系の一枚分くらいの量。

　蕎麦打ちは高橋さんの翁系の職人が担当しているようで、つゆの味にはそれが顕れている。
　出汁と返しのバランスの取れたすっきりとした味わいだが、猪口が黒釉のため色合いが楽しめないのが残念。
　蕎麦湯は口開けのため手が加わってとろみも有るが、さほど気にならなかった。

　デザートは「フルーツ盛り合わせ」で、キウイ・イチゴ・リンゴ、それに冷凍のラズベリーが盛られている。
　ひねりは無いものの、さっぱりした歯触りが良かった。
　
　
　なかなか充実した時間を過ごせた。
　盛り沢山の内容で、いずれにも水準以上の仕事ぶりが感じられ、これで税込み2,100円は極めて良心的。
　ビールの大サービスはまさにラッキーだったが、全体的に行き届いた接客ぶりも好印象。
　支払総額3,300円は、申し訳ないような安さ。

　特異な環境や敷居の高そうな店構えからそれほどの集客は見込めないように思えて、私の後からは予約客も含めて何組かが次々と入店。
　隠れ家のような場所ながら気安く寄れることが、この近辺では周知されているようだ。
　
　夜に訪れるには中々難しいが、昼に「蕎麦屋酒」を気軽に楽しむには格好の、私の嗜好に合致した店。
　これからも時々足を運びたい。