『「柘榴坂の仇討」浅田文学の最高峰が待望の映画化』バムセ&マイケルさんの日記

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バムセ&マイケル (男性・東京都) 認証済

日記詳細

 趣味:読書、映画鑑賞…と履歴書に書く方が多いと聞く。
当たり障りがない趣味である。面接官を務めた経験から「個性がない」「面白味を全然感じない」趣味である。(笑)
しかし事実であれば仕方がない。「…」の後には、スポーツ観戦、釣り、旅行と続き、最近は食べ歩き、街歩きなども追加し「個性がなく面白みのない初老夫婦」は今日も映画に出掛ける。

 50を越えてから夫婦割引が利用できるようになった。(通常\1800⇒割引\1100)
喜ばしいことではあるが、そもそも日本は映画が高すぎる。世界一の映画大国インドは¥30で映画が愉しめるのだ。映画産業が衰退する理由はこんな所にあるのかも知れない。

 最近気に入っている女優に”広末涼子”がいる。
若い頃は然程でもなかったが、人生経験が豊富になるにつれ演技力が増して来た。
「おくりびと」では献身的に夫を支える役をこなし、「リーガル・ハイ」では冷静無比な裁判官、また最近話題の「聖女」では汚れ役も見事にこなした。
そんな訳で今週は、その広末涼子が助演の浅田文学の最高峰「柘榴坂の仇討」を銀座に観に行った。

■物語
 「仇討ヲ禁ズ」――― その日、運命が動いた 
 彦根藩の下級武士、志村金吾(中井貴一)は剣の腕を見込まれ、主君、井伊掃部頭直弼(中村吉右衛門)の警護を務める近習役に取り立てられた。身分の低い者にも心のこもった言葉をかける直弼の人間性に魅了された金吾は、命をかけて主君を守ろうと心に決めた。

 安政7(1860)年3月3日。季節外れの雪の中、江戸城桜田門へ向かう井伊家の行列を、突然18名の暗殺者が襲った。そのとき金吾は直弼の乗る駕篭の守りを固めていた。しかし敵の一人を追って持ち場を離れた隙に、直弼は命を奪われてしまう。

 金吾の犯した罪は重く切腹さえ許されない。ひと月後、藩は金吾に命令を下す。
「逃亡した水戸浪士どもの首を一つも挙げて、直弼様の御墓前にお供えせよ」
 しかし、激しく自分を責める金吾は自らの命を絶とうとする。その金吾を支え、励まし続けたのは妻のセツ(広末涼子)だった。
「御下命を果たし、本懐を遂げてこそ武士ではありませぬか」
 セツの言葉に金吾は覚悟を決め、主君の仇討を心に誓う。逃亡した暗殺者は5名。幕府による手配書を手に金吾は仇の行方を追った。

 そして13年の歳月が流れた―――。
 時代は明治へ移り、江戸は東京と名前を変えた。武士の世は終わり、仇討を命じた彦根藩もすでにない。だが、金吾はひたすら仇を探し続けていた。逃亡者は5名のうち4名がすでに他界し、残りはただ一人となっていた。
 
 時代がどう変わろうと武士としての矜持を貫こうとする金吾に、かつての親友、内藤新之助(高嶋政宏)が救いの手を差し伸べる。新之助は、幕臣時代の上司で、司法省警部となっている秋元和衛(藤竜也)を訪ね、金吾への協力を依頼した。秋元もまた、新政府に仕えながらやはり武士の心を捨てきれずにいた。

 一方、暗殺者でただ一人生き残った男、佐橋十兵衛(阿部寛)は、名前を直吉と変え、車夫として息を潜めるように生活していた。同じ長屋に住む寡婦のマサ(真飛聖)と幼い娘チヨが心を寄せるが、十兵衛は心を固く閉ざしたままだった。

 明治6(1873)年2月7日。東京は13年前と同じように雪に覆われいた。その日、秋元から呼び出された金吾はついに佐橋十兵衛の居場所を知る。しかし皮肉にも同じ日、明治政府は「仇討禁止令」を公布した。今後仇討を行った者は政府が罰するというのだ。秋元は金吾の身を案じ、仇討を思いとどまるように説得する。しかし金吾の心が揺れ動くことはなかった。
「国がいかなる法を定めようとも、私の思いが消える訳ではございませぬ」

 雪降る柘榴坂で、金吾と十兵衛は13年のときを経て再びめぐり合う。十兵衛もまた、この日が来ることを覚悟していた。あの日、直弼の行列を襲った十兵衛は、金吾を枝道に誘い出し斬り合った。だが、銃声が轟き金吾は主君のもとへとかけ戻っていった。
 それから13年、生きていればあの男と再び剣を交え決着をつける日が来るかもしれない…十兵衛はひたすらそう思い込んで生きて来たのだ。

 激しく斬り合う金吾と十兵衛。降りしきる雪の中、二つの魂がぶつかり合う。13年の思いを込め、金吾が十兵衛の頭上に剣を振り上げた瞬間、男たちの運命は予想外の終幕へと導かれていく…
(柘榴坂の仇討パンフレットより)

■感想
 現代社会では主君といえば会社の社長(?)になるが、主君の仇討のためにここまで出来るだろうか?答はもちろんNO!だ。
そもそも会社の社長と、当時の藩主と家来の関係とは大きな違いがあるが、考えようによっては、人が一生賭けて打ち込めることがあるのか?自分自身はどうだろうか?と考えてしまった。
志村金吾も最終的には妻セツの元に帰ってゆくが、やはり一番身近なものは家族なのだろう。
企業戦士!どこまで家族を守れるか?現代社会へのメッセージも感じた作品だった。 
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