『カート・ヴォネガット作品』dontentouristさんの日記

食べログに翻弄される毎日

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アメリカの小説家であるカート・ヴォネガット。
爆笑問題太田が以前ラジオで紹介していたことで知る。
爆笑問題の事務所、タイタンは『タイタンの妖女』が元になっているとか。
同書と、同じく初期の名作と言われている『スローターハウス5』はかつて読み、翻訳ではあるもののその独特の人を喰ったような文体と世界観になじめない所もありながら、全体的にはかなり面白かった記憶がある。

4月から図書館で借りられる作品をコツコツ読んだので、忘れないうちに感想を簡単に書いてみようと思う。

『プレイヤー・ピアノ』(1952)
おそらく長編デビュー作。学生運動やヒッピーにシンパシーのある当時のインテリ学生の考えた「ディストピア」という感じの世界観で、現在からみるとかなりローテクな機械に支配された巨大な官僚機構と化した「未来の国家」をシニカルに描く様は映画『未来世紀ブラジル』のような感じ。あそこまで切れ味が良いわけではなく、話運びは相当冗長。続く作品で繰り返されるテーマが多く入っている。後期作品の『ホーカス・ポーカス』がこの続編というか、本作で描き切れなかった「革命」の「顛末」を扱っている。

『デッドアイ・ディック』(1982)
何もない地方都市に残った人、残らざるを得なかった人達の物語。
客と強盗の割合がほぼ同数である24時間営業のドラッグストアで夜勤をしながら上演未定の戯曲を書き続ける主人公が住む北部の街のイメージとしては、『ファーゴ』でしょうか。
過大な夢、中途半端な才能を持った主人公の悲劇は本作、そして『青ひげ』で詳述されるのだが、晩年の『タイムクエイク』では結局のところ「田舎にいなさい!」と上京をたしなめられるのが切ない。そして、田舎にいたらいたで小市民的な幸せを容易に得られるわけではないのは本作を読むと痛いほど分かるのが二度辛い。

『ガラパゴスの箱舟』(1985)
これは壮大な物語だ。『タイタンの妖女』を思い出させるような宇宙のはじまり、そして人類史に関わる物語。それを地球の、人間の、あまりに人間的な選択のみで描いている。人間が大好きな自分には極めて皮肉な話運びで憂鬱な結末であると感じたが、これが一種の「解放」に感じられる人もいそう。
すべてが終わった地点からの語りと予め終わる者を予告する文体もそれらが「元祖そういうものだ作家」と響き合って面白い。
※村上春樹の初期作品を読む前にヴォネガットを読んではならない。
もし、読んでしまうと、太田光の様に村上春樹を素直に楽しめない読者ばかりになってしまうだろうから。だって『1973年のピンボール』の一番かっこよかった部分、すなわち構成が思いっ切りオマージュ。


『青ひげ』(1987)
ヴォネガットの「芸術残酷物語」という感じの作品。
北野武なら『アキレスと亀』あたりの芸術三部作の趣。
或いはヴォネガットの「ウディ・アレン」もの。
要するにひねくれインテリおじいさんと、彼を癒す小悪魔系女子の「奇妙な共同生活」。

どこかの初期作品でチョイ役で登場していた架空の芸術家、ラボー・カラベキアンの生涯を描く。日本の作品では読むことが稀であるという意味においてアメリカの作品で必ず面白い、「祖先がアメリカに移民してきた=上陸物語」を描いた冒頭は動きがあって面白いが、カラベキアンが偉くなって無能な大家となってからの残り8割は要するに「普通以上には才能のある金持ちの道楽」という気もする。

『ホーカス・ポーカス』(1990)
これは非常に面白かった!
SF感は完全に影を潜めほとんどエッセイのような引き締まった文体であり、それでいて『タイムクエイク』のようなあからさまな破綻もない。
『プレイヤーピアノ』が描いたアメリカの近未来はどれだけ明るいものだったのか。そして、21世紀の今も世界の中心であり続けている現実のアメリカはなんと偉大であることか。

『タイムクエイク』(1997)
図らずも、或いは未必の故意的に「9.11」を予言してしまった書。
こうやって発売順に内容を思い出してみると、ヴォネガットは本気で病んでいるのではないかと勝手に心配してしまう。
善悪が分かりにくいヴォネガット作品で分かりやすい善人として唯一描かれる
「消防士=災害救助」がここでも活躍するところにも「9.11」を感じる。
「さあ、真面目に働こう」というメッセージも極めて明るく、元気がでるような気もするが、やはりヴォネガットは太田光や例えば町山とも似た「古き良きアメリカ」な人なんだなと思ったりも。「古き良きアメリカ」をうまいこと利用したトランプと「古き良きアメリカ」をおそらくヴォネガット的に復活させようとしたサンダース(準決勝敗退だが)が大統領を争った9.11後の現在のアメリカにも、ヴォネガット的な感覚が生き続けている。
本書は自らの作品群とキャリアの意図的な破壊行為にも見え、筆者やファンには意味のある作品なのかもしれないが、小説やエッセイとしては残念ながらあまり面白くなかった。



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