31回
2023/04 訪問
肉となすのピリ辛炒め定食800円
人間という生き物は
極めて身勝手に出来ている。あなたの行動はわからない、もちろん私の事だって説明できない。だれにとってもわからない、いや理解することすら出来ないと断言してよいと思う。だからこそ、論理、哲学、法律、ルールあるいはコンプライアンスなどというものを作り上げ、縛りつけておかないと、どこに行ってしまうかわからない。昨日は◯と思っていたのが、数時間後には⬜︎となり、今朝になって△からあっという間に✖️となる。そんな事は誰にもあるし、いつでも起こり得る
感情構造
とくに好悪の識別など論理的に説明などできるはずもない。
「私はこれが好き」
「コレは嫌い」
「あれ以外考えられない」
「アイツだけは認められない」
しかもその時々でころころりと変わり果てたりする。そのような変遷を理由づけられるものがいたらぜひ紹介してもらいたいものだ。そして私が好きなもの、私自身が説明できないほど、狂おしく思い果てているものそれは
なす
煮てよし焼いてよし揚げてよし
この世で一番美味いもの
しつこいようだが何度でもいってしまおう
煮てよし焼いてよし揚げてよし。
この世で一番美味いもの
なぜ、なすの味噌汁を元旦に出さないか、と家内に言ったら本気で怒られた。そうだ、なすだ。なすしか認められないのだ
なすだ!なす!なすを持ってこい!
これまで幾度言ってきたのであろうか。いや、どれほど言っても言い足りない
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
あああ、つい5度も言い募ってしまった。しかし、これでは足らないのだ
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
しつこいものは嫌われる。それが世の常ひとの常というものだ。しかし、これは幾度申告しても足りない。忘れてしまわれてはならぬほど大事な事象だ
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
とりあえずこんなところにしておこうか。やはりなすほど美味いものはない。これは説明できない。単に理解してくれとしか表現しようがない。だから繰り返すしかないのだ
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
秋山食堂
わがホームグラウンドでの久々のランチタイム。といってもひと月半ぶりくらいだろうか。たったそれだけの時間でも、『久々』と思えるとは。そこいら辺がホームグラウンドたる所以というか。「好き」はやはり説明できるものではない。
店内には
いつもの短冊メニューが貼りめぐらされている。こちらは定番的なメニューはあるが、日替わりメニューみたいなものだ。お!カレーがあるではないか!おおお!カツカレーもある!よしコレにしようではないか!すみませーん!カツカ、……とその傍らを垣間見ると、あ!あああああああああ!アレがあった!コレを食べずしてナンとする!すみませーーンっ!これにしまーーーーすッ!
「肉となすのピリ辛炒め定食」800円
私が好きな料理はとんかつ、カレー、ラーメンとなる。そして『素材』を限定するなら『なす』これ一択となる。煮てよし焼いてよし揚げてよし!いやもうひとつ忘れていた!煮てよし!焼いてよし!揚げてよし!炒めてよし!最高最強の素材が降臨した。少々季節は早いが気になどするわけもない!
いつもの秋山食堂らしく
大量のひき肉はポロポロに仕上がり、大量の野菜ども、ピーマン、パプリカ、玉ねぎばシャキシャキと甘く仕立てられている。そして主役たる大量のなす!ナス!茄子!この素晴らしき素材を引き立てるマスターの技量たるや、信州一、いや世界一!宇宙でもっとも崇めたてられるべき存在であるといえよう
美味かった
しみじみ美味かった。カツカレーに後ろ髪を引かれっぱなしであったが、こればかりは仕方がない。秋山食堂は素晴らしい!なすは最高だ!最後にもう一度、いやもう十度言ってしまおう
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
なすだ!なす!なすを持ってこい!
2023/04/21 更新
2021/12 訪問
Wel come back Char-Siu-Egg-Don!
世の中なにが困るといって
今までそこにあったものがなくなる事ほど困ることはない。さして特別なものではなく、ごく日常的につかっていたもの、毎日何気なく手に取っていたものが、ある日突然なくなってしまった。これは困惑というより他にない。
いつも
通勤に使っている交通機関が、なんらかのトラブルで止まってしまう。なんてことにも出くわすたびに困惑の極地に放り込まれたものだし、いつぞや現場で右膝の靱帯を傷めたときもしんどかった。なにしろ痛くて足が曲がらない。自動車の運転そのものはなんとかなるが、乗り降りができないのだ。あれには往生した。
そしてわれらが秋山食堂
今年の初めから様々な事情でメニューが極端に制限されていた。秋山食堂至上主義者としてははなはだ哀切な日々を送っていた。その上とくにあれ、あれがないことには夜も昼もないのだ。
ところが
世の中上手くしたもので、この聖地がTVの全国放送で取り上げられた。「ヒューマングルメンタリー オモウマイ店」という私も大好きな番組で、このユニークすぎる存在が取り上げられたのだ。素晴らしい。そしてなにが素晴らしいといって、これを契機にあれが復活したのだ!やたーーーーッ!嬉しい!これは食べに行かねば!
「チャーシューエッグ丼」800円
刮目してみよ!このフォルムを!本来半球であるべきの丼が、そのまま球体と化しているのは、ご飯の上に千切りキャベツを押し付け、いや抑えつけその上に玉子3個と10枚のチャーシューによる『チャーシウエッグ』が鎮座する。
久しぶりに
お行き会いしたが相変わらず凄い、いや以前よりもパワーアップしたかもしれない。ようやく出会う事ができた。涙が出てきた。これは感激の涙だ。もしかしたら会えないかも知れなかった存在なのだから。
そして
食べづらいのも以前のとおり。いったいぜんたい、どのように食べろというのだ。致し方なく小皿をいただいて少しずつ具材を避難させながら食べるのだが、こぼさずに食べ切ることが出来るものがいるのだろうか。まぁそんな瑣末なことは気にせず喜びにひたろうではないか。
Wel come back Char-Siu-Egg-Don!
おかえりなさいチャーシューエッグ丼!
2021/12/06 更新
2021/10 訪問
モツ味噌焼
亡くなってずいぶん経つが
どうしても会ってみたい人が3人いる。ひとりめは母親の姉で私を溺愛してくれた伯母だ。母より1歳上だから86歳になるのか。彼女に私の家族と会わせたらどのような反応をみせるであろうか。ふたりめは中学からの親友の父親だ。あのおじさんにはお世話になった。そのうち顔を見に行こう見に行こうとそのままにしていたらというパターンが悔やまれてならない。そして最後が家内の父親だ。義父とは会いたい会いたくないというよりも、もっと長く共に過ごせたのだ、という感覚の方が強い。それほどあっという間の別れであったのだ。
以上の3人となるが
中に4年ほど前に亡くなった実父が入っていないのが、われながら薄情であると思わなくもない。別に嫌いなわけでも関係が薄かったわけでもない。ただ、実父だけあって充分ご堪能させていただいたし、あの人はいろいろと面倒ところがありすぎるので、もうしばらくはいいかな、という感じか。
とはいえ
なんだかんだ言いながら、私の感性や価値観といった部分に深々と影響を与えているのも彼なのは間違いない。ここいら辺を語ると長くなりすぎてしまうのでやめておくが、観るもの、食べるもの、考え方などは彼から授かったものが多いのが、今になってよくわかる。
ここは間違いない
という部分もあれば、あのオヤジがもう少し柔軟だったらオレの人生ももっと変わっていたよな。なんてところもずいぶんある。これはごく普通のことで、どこの家庭にもあることであろうが。
朝日新聞、朝日ジャーナル
周辺にいた新左翼系文化人の物言いが好きで、斜に構えて『市井に埋もれた文化を再発掘する』みたいな有り様が大好きで、居酒屋にいってもつ煮を注文しては、
「これぞ庶民の食い物!」
といって喜んで食べていた。お前本多勝一や筑紫哲也の文章を一度でも読んだことがあるのかよ。と当時は思ってみていたが、単純シンプルで愛すべき人物であるがゆえ、なにも言わなくてよかったと思う。
「秋山食堂」
8月以来久しぶり。たった2ヶ月行かないでこんな感覚になるのだから、よほど入り浸っていたのだなぁ。このところ立ち回り先が変わってしまったから、平日にはなかなか行けずに残念でならぬ。メニューは相変わらず少ないままだが、オヤジさんは元気そうでよさそうだ。はてさて本日のご注文品はいったいどれにしたらよいのであろうか。
「モツ味噌焼定食」850円
これ以上シンプルな料理はないだろう。そんな印象の皿が目の前にある。豚の白モツを玉ねぎ、長ネギとともに味噌味で炒め焼したもの。野菜どもは甘く、長ネギの歯ごたえがとてもよい。モツは下処理がよいのでとても柔らかく、臭みなどひとつもない。
小鉢は
なんじゃらほいと覗いてみたら、刻みネギが大量に投入された納豆。この無造作な感じが本来の秋山食堂っぽい。辛子もバッチリついている。醤油をたっぷりふりかけてご飯をのせる。勢い余ってテーブルに少しこぼしてしまったが気にしない気にしない。
考えてみると
もつ焼きに納豆ご飯を喜んで食べている自分の姿は間違いなく父親の好みと同じであろう。秋山食堂だってあの人は絶対に好きなはずだから。いやはや、まだしばらく会いたくないなぁ。あちらに行ってからご挨拶という感じでよい。同じところに行けるかどうかはわからないが。
2021/10/20 更新
2021/08 訪問
ホームグラウンド
8月も終盤に差し掛かりあと少しで9月だよ、というタイミングにも関わらず暑くて暑くて。そんな事は毎度毎年のことだからあまり気にはならないが、なんとなく腹が立つのは『残暑』という感じではなく、ずーっと暑く、ずずーっと雨がふり、ずずずーっと暑くなる。そんな繰り返しではないか。
通常、今ごろの季節はひと雨ふれば段々と涼しくなっていくものだが、生憎なことに少しも涼しくならない。なぜだ?地球温暖化の影響か?いやいやいやガースーのせいだ!ジミントーなどブッとばせ!これでセイケンコータイだーーーーッ!!などと愚痴のひとつもいいたくなるような陽気だ。
嘆いていても仕方がない
そして今日も今日とて駆けずり廻る日が過ぎる。といっても屋外で作業するわけでもなし、オノレの仕事など大したものではないではないか。なる天の声はさりげなく無視して街を行く。
いくつか回ってひと段落
暑いのは変わらない。気温が高かろうが低かろうがランチタイムはやってくる。よし近くを通ったのでホームグラウンドでランチとしよう。
「秋山食堂」
ホームグラウンドとはいっても5月以来だからおよそ3ヶ月ぶり。メニューは少ないままだがグレードが少しずつ上がってきたようにも見える。大将素晴らしいぜ。
「日替定食」680円
そして本日の日替りは酢豚。素晴らしいではないか。下あげされた野菜ども。ピーマン、パプリカ、玉ねぎに豚肉。これは肩ロース肉であろうか。とろりと甘酢が絡んだシンプル酢豚。タネも仕掛けもございません。ただひたすらまっすぐな酢豚でございます。という感じの真面目な味わい。これで680円だなんて信じられない。
外に出ると相変わらずの熱風
もうなんとかならんかい、と思いながら次行程へと至るのはいつもの通り。さぁ気張ってまいろうか。
2021/08/27 更新
2021/05 訪問
肉ニラ炒め
母親の調理してくれた品、母親の手料理を食べなくなってからずいぶん長い期間を経てしまった。絶無ではない。たまに訪れたときにご馳走になることはあるが、そういう事ではなく日々の糧としての母親の手料理。私を育むために朝昼晩と作る食事を指すが、それらを定期的に摂取しなくなったのは23歳の時、ひとり暮らしを始めてからだから30年以上経過してしまったのか。そして29歳で結婚して以来25年間、ほとんど家内の手料理を食べているのだから、母親とのつきあいより長い時間が経過している。
だから何を申し上げたいかといえば、母親は私にいったいどのようなものを食べさせてくれていたのかまったく覚えていない、という事だ。いや本当に記憶がないのだ。なにが、どんな形式で食卓に並んだのか。大雑把か彼女の性格から、各人別、小分けでの登場だけはなく、基本的に大皿料理だった気がするが、覚えているのはそれだけ。
この記憶欠落ともいえる事態は私だけでなく、長兄次兄のふたりとも同様らしく、いつぞや3人で酒のみながらわが家で唐揚げなど出てきた事があるのか、ガスオーブンを買ったはよいが一度しか使ったことはないではないか、そもそも母親は料理できるのか。などと議論していたら当の母親から
「この薄情ものどもめ」
と泣かれてしまった。ひどい話ではあるが、そもそも男児なんてこんなもの。男しか産めなかったアンタが悪いのだ。
と、ここまで書いてきて思い出したことがある。母親は肉食動物なのだ。魚はサンマとアジの干物以外は面倒だと言って食べない。野菜は煮物にするもの、すなわちジャガイモ、れんこん、にんじん、ごぼうなど根菜類は別として、生野菜などもってのほか。兄ふたりが結婚してからわが家に初めてサラダなる文化がもたらされた時は、
「ああこんなものが一般家庭のメニュー登場するのか」
と感動したものだ。
ああたまぁに野菜炒めの類いなら作ってもらっていたかもしれない。土曜日半ドン早帰りの日、冷蔵庫にあるものでちゃっちゃと作った、キャベツとモヤシと豚肉少しの野菜炒め。塩胡椒と軽く醤油をたらした簡単な料理とも言えないような代物だった。わが家は商売をしていたし、週休2日なんて夢のまた夢の時代だった。なんとなく懐かしいような、そうでもないような。
「秋山食堂」
たったひと月半ほど行かないだけで『久しぶり』という感覚になってしまう。それほど通い詰めていた秋山食堂なのだが、マスターもだいぶ復調されてきたようで、短冊メニューも多くなってきた。さぁ今日のポイントな何か。冷やし中華はもう少し暑くなってから、ソース焼きそばもよいが映えがなぁ。炒め物類が多いところをみるとマスターの気分はここか。んではこれを注文しよう。
「肉ニラ炒め定食」850円
いつも通り、白い大きな丸皿にドサリと積載された肉ニラ炒め。ニラとモヤシと豚の薄切り肉だけで構成され、塩胡椒だけの味つけsimple is best の道をひたすら突き進んできたかのような、秋山食堂らしいぶっきらぼうなフォルムだ。パリパリしゃきしゃきムニュリムニュリという歯ごたえが素晴らしい。素晴らしいといえば小鉢もの。今回はなんとお刺身。キハダマグロとハマチが数切れだが、こういう繊細さがなんともいえない魅力なのだ。
久しぶりに母親に電話をした。といってもひと月は空いていないが。80すぎて気ままなひとり暮らしでけっこうけっこう。まだまだシャッキリしているからよい。とはいえコロナなどもらってきては自分はともかく周囲が大変だから、あまり出歩くなと言い置き電話を終える。薄情な息子だが、少しは優しい事を言っておかなければならぬ。
2021/05/31 更新
2021/04 訪問
変わらない秋山食堂
この世に変わらないものなどどこにもない。
「うちは創業以来300年も製法を変えていない」
「ここは出来てから200年もそのままだ」
などという話はいつも耳にすることだ。もちろんそこに関係される方々の地道な努力によって大事にされ、運営されてきているからこそ長持ちもするし長く親しまれてきてもいるのだ。
しかし、変わっているからこそ長続きしているという側面もあるのだ。意地悪を言うわけではない、人は生きている以上、時間を元に戻す事が出来ない以上、人は動き、暮らしは深まり、すべては移ろいゆく。自らの来し方きたしかたがどのようなものであろうと、周囲が変われば自らも合わせざるを得ない。時として寂しくも悲しくもあるが、仕方のないことともいえる。生きるという事はそんなものだ。
モノもコトもヒトも移ろいゆく。変わらざるを得ないのであれば、なにをもってしてアイデンティティとなすのか。それはあり方・精神性である。人材が変わろうと、運営が変わろうとあなたがあなたでありさえすればよいのだ。
「秋山食堂」
久しぶりの秋山食堂、といってもひと月程度でしかないが、それだけ空いただけでも十分「久しぶり」に感じてしまう。私にとってそれほど大きな存在なのだ。
3月11日以来の店内は少しメニューが増えたようだ。それも
「おでん定食」
「チャーシュウ煮汁炒飯 目玉焼付」
「ひじき煮 おから おひたし定食 汁付」
おおおお!
「久保田さんのおすすめ 煮かつ定食」
があった!マスター、だいぶ復調してきたようだ。そして私の注文は
「アジフライ定食」850円
いつもの丸皿にフライの山。本来ならアジフライの山であるべきと思うのだが、そこを軽々と凌駕するのが秋山食堂流。アジフライは一尾分だけにとどまり、あとはエビフライ二尾、玉ねぎフライという豪華なラインナップ。これはすごい。素晴らしい。玉ねぎフライには洋がらし、エビフライにはソースをたっぷり、そしてアジフライには醤油とバラエティ豊かに味わう。この百花繚乱状態こそ秋山食堂といえる。
あれだけの事があったのだから、すぐに戻れというのは辛いだけであろう。しかし、秋山食堂もマスターも変わらない。これからもよろしくお願い致します。またいつかチャーシュウエッグ丼を食べさせてください、
2021/04/18 更新
2021/02 訪問
ローテーション
このように日々連続して食べることに特化したブログなどを書いていると、様々な方から様々なご質問をいただく事態となる。
「いやぁよく続くねぇ」
…いやいや大した内容ではないしこれ以上テキトーな文章はありませんから
「グルメだねぇ」
…いやいや私は味の分からない人間なので。お腹いっぱいになれればよいのです。
「外食ばかりでよくお金が続くねぇ」
…そのかわり酒は飲まないしキャバクラにもゴルフにも行かないし。あとはたまに映画観るくらい。ローコストに出来てるんです。
「素晴らしいなぁ、オムライスの美味しい店を教えて下さい」
…秋山食堂もいいけどオムライスなら須坂「かねき」かな。正統派黄色いマクラが出てくるよ。
「今度ランチに連れてってください」
…いいよぉ。でもオレにつきあってると太るよ
などという常識的な質問から大きなお世話なものまで様々だが、たまーにするどいことを訊かれることがある、それは
「食べるものローテーションしてません?」
おおおおおう
よく見てるねぇ、するどいではないか。そうだ、そうなのだ。私は大好きなカレー、とんかつ、カツ丼、なすを繰り返しローテーションしているにすぎない。ただそれぞれバリエーションのある料理だし、ここに松屋すき家吉野家かつやなどのチェーン店系が入るから色とりどりに見えるだけ。うーーーむ、素晴らしい観察力である。
毎日違うものを食べる、ブログのネタになるものだけ選択する、というのはとても大変な事だし、その日の都合でどうしても狙いのものが食べられないなんて事もある。つまるところその場その時で選択できるもの、という事は好きなものがズラリ並ぶ事となり、カレー、とんかつ、カツ丼、なすがローテーションされる事になる。うひゃー
という事で、ローテーションの軛から外れてみたくなった時に向かうのがこちらだ。
「秋山食堂」
こちらのフォルム、アナーキーともいえるメニュー構成、その割に正統派の料理群。こんな店は他にない、いやどこにもない。そして本日の注文はこれだーーーーッ!
「かつ煮定食」890円
なんだ、結局ローテーションかい?との謗りを受けそうだがこの日は日替わりがなかったのと、目の前にこの短冊がバーーーっと目に入ってしまったから仕方がないのだ。いつもの丸い平皿に長ネギ玉ねぎと共にかつが2枚、行儀よく並んで玉子とじとなっている。汁だく、いわ圧倒的なほど汁じゃぶじゃぶ状態で、このまま丼メシにONしたらほぼ雑炊状態となろう。今回はセパレートで食べたかったからこれでよいのだが。かつは揚げたてなので汁に浸かった箇所とパリッとしている箇所がありコントラストが面白い。丼で登場するサラダといいぞんざいなようでもの凄く繊細に出来ている。これぞ秋山食堂という一品だ。
という事でローテーションはまだまだ続く。明日はなにを食べようか、とても楽しみだ。
2021/02/04 更新
2021/01 訪問
おばあちゃん家の玉子焼き
年始 仕事始めとなり社会復帰へのリハビリテーションに励む日を送っている。長い休みはありがたいのだが、年齢のためか、元からなのかは定かではないが本調子に戻るのに時間がかかるようになっている。このままの状態で12ヶ月かかってしまいそうなのが不安でたまらない。
年始といえば、東京の母親に電話をしていなかった。休みの間はひたすらテレビと映画とお節、惰眠に耽っていたため、コミュニケーションを疎かにしていた。マザコン親父としてあってはならない事態であると急ぎスマートフォンを取り上げる。
といっても何があるわけでなし。
年賀状は送っているし、あけましておめでとう、本年もよろしく元気にやってるかい。といった定型な会話をちょろっとして終わるわけだが、ふと気づいたことがある。母親のことを『おばあちゃん』と呼びかけているよな。
ずいぶん長い間、母親のことを『お母さん』と呼びかけていない。わが家は兄が2人とも結婚も子どもが生まれたのも早かったので、混乱を避けるために私も『おばあちゃん』と呼びかける事となったわけだが、いくら母親とはいえ48歳のマダムにおばあちゃん呼ばわりは悪かったかな、と今にして思うのだが、かれこれ30年も経過してしまったからどうする事も出来ない。
「秋山食堂」
2021年初の、というフレーズは飽きてしまったが、こちらばかりは仕方がない。いつもと変わらない、決して美しいとはいえないフォルム、油染みてどこもかしこもペトペトするインテリア。でもここほど落ち着くところはない。当初は日替わりを注文しようと思ったのだが、傍らをみると魅力的なメニューが復活していた。大将!やっぱこっちに変更して!!!
「おばあちゃん家の厚焼玉子定食」650円
久しぶりに登場の厚焼き玉子定食。今回は甘口のおばあちゃん、辛口のおじいちゃんという2バージョンが用意されている。私は断然甘い派なのだ。甘くない玉子焼きなどこの世に存在してよいわけがない。
メイン、ご飯、お麩の入った味噌汁、たくあん、冷奴といういつも通り、ぶっきらぼうとさえ思える定食セットだ。まずは冷奴から。ここは北信流に洋がらしがついているのがよい。お麩の味噌汁は優しい味わい。たくあんつまんでご飯ひと口食べてから、いざ玉子焼きへ。甘口、とはいうものの砂糖は抑制され、ほどよい甘さといった感じ。几帳面に長方形に成形された玉子焼きは熱々ふわふわでよい。これがもう少し、いやもっと甘々が好みなのだ。次回は甘味大量投入バージョンでお願いしよう。
「おばあちゃん家の」と冠されてはいるが、甘い玉子焼きを作ったのは母親なのである。次回行った時は「お母さん家の甘々玉子焼き」を作ってもらおうか。といってもコロナが収まってからだから、いつになるかわからないが。
2021/01/09 更新
2020/12 訪問
名もなく映えよく美しく
年末休み前最後の定休日(変な言い方だな)、ダラダラするはずがいつも通り、公私ともにいろいろあって外出。長野市内から千曲市、飯綱と行って帰って1日が終わる。とはいえ、いつもよりは少し早く帰宅できたので本来予定であったダラダラ事業を敢行する。
先だって購入した本の続き(これがまたなかなか進まないのだ。老眼ってやだね)を読みながら、テレビを観る、という高等遊民的な時間を過ごす。これがまた具合がよいのだが、YouTubeもよい時面白くない時の波が激しいので何かないかとAmazon primeを探したら懐かしいものをみつけた。
「三大怪獣 地球最大の決戦」
三大怪獣とはゴジラ、ラドン、モスラのこと。『◯◯対△△』なる対決もののネタが尽きた東宝が始めた複数怪獣によるプロレスものの第一号だ。ストーリーはいつも通り『もう少しなんとかせいや!』というものだが、「日本空飛ぶ円盤研究会」(1955年に創立された日本初のUFO研究団体。詳細はWikipediaで調べてね♡)の様子が描かれたり、外国の王女が謎の声に導かれる場面は「幻魔大戦」の元ネタだよね。とか、若林英子の謎っぽい顔つき、若い若い夏木陽介と星由里子の溌剌とした動きや、昭和39年の街並み、とくに松本の風景など現在の視点から楽しめる場面が盛り沢山なのだ。
そして何よりキングギドラが初登場した作品でもある。これがまたデザインが素晴らしい。3本の長い首、金色のウロコに包まれたボディのおっかない怪獣が何度夢に出てきたことか。安部公房はナチスの制服ほど完成されたデザインはない、と言い切っていたが、私はキングギドラほど恐ろしく「映え」のよいデザインはないと断言する。
「秋山食堂」
長野のレジェンド。今年はずいぶんお邪魔したと思っていたが、トータルで14回というのは多いのか少ないのか。統計はともかく、恐らくこちらでの今年最後のランチとなる。せっかくだから映えよく美しくいきたいと仔細に検討した結果こちらとした。
「野菜味噌ラーメン」850円
といってもどのようなものが登場するかは分からないが、そこはそれさすが秋山の大将。濃褐色に薄緑、濃緑に白、オレンジと見事な配色だ。
もやし、ピーマン、キャベツ、にんじん、キクラゲ、しいたけといったゆで野菜。これだけでも旨味たっぷりなのに、味しみしみのチャーシューふた切れ、トロトロの味玉、こりこりのメンマに木綿豆腐がレベルを幾段も上げている。そして白ゴマたっぷりの濃厚味噌味に細い細い中華麺という構成が素晴らしすぎる、美しすぎる。
もう少しで年末休み、たぶん今年最後のはずなので大将にご挨拶したら、はいよー!またよろしくね!と威勢の良い答えが返ってきた。また来年も美味いものを食べさせてください。
2020/12/24 更新
2020/12 訪問
玉子どん
飲食店でのオーダーとはアラカルト、すなわち前菜、副菜、主菜、デザート、第一おやつ、第二おやつとその日の体調や気分よって注文するものなのだという。優雅な食事のひと時は、自ら構築するもの。考えてみれば当然のことであって、それ以外であってはならないはず。
ところが、世知辛さというのはいつの時代にもつきまとうもの。世の中、時間やお金に余裕のある人などそうはいない。私のような最下層庶民などは常にあちらへこちらへと右往左往するのが日常であり、優雅なランチタイムなど望むべくもない。そこで登場したのがプリフィクスメニュー、すなわち定食ものとなる。前菜、副菜、主菜が決まっているか多少の選択肢がある程度決まっていて、いちいち選ぶ必要もない、厨房も合理化できるというじつに優れたシステムなのだ。
となれば、丼ものはもっと素晴らしくシステマティックに完成されたものなのかもしれない。定食は盆の上に置かれている関係上、ある程度の面積が必要だが、丼ものは文字通り丼ひとつで済んでしまう。ご飯の上に惣菜を乗せるだけ、場合によっては別に漬け物や汁物が搭載されるが、それでも相当な合理化が成されている。丼ものが成立したのは明治維新前後というから、革命は食卓にも起きていたのだ。
合理的かつ革新的な私は当然丼ものを好んで食す。そんな私の統計を取ってみると、もっとも多いのがカツ丼だ。豚肉、鶏肉、牛肉など素材の別。玉子とじ、ソースがけなど調理法の別はあるが、衣をつけ油で揚げた肉を米飯の上に載せる、という形式のものと接する率が高い。それからずいぶん下がって親子丼、天丼という順になろうがひとつ確実につきあいの少ないジャンルがある、それは玉子丼。カツも鶏肉も豚肉も牛肉も天ぷらも入っていない、背骨のないようなもののどこが美味いのか。と、思っていたが、どんなものであろうか。
「秋山食堂」
いつものレジェンド食堂。いつもの日替りを狙ってお邪魔したのだが、少し時間が遅かったためか品切れとの事。それは残念だが、ここは何を食べても美味いから問題はない。壁に掲げられた黄色い短冊を仔細に検討したどり着いたのがこれだ。
「ニラ玉子どんとラーメン」780円
セットメニューとは大抵の場合、どちらかがミニサイズになるのが普通であろうが、天下の秋山食堂はそんなヤワなものではないく、きちんと一人前サイズが登場する。
煮干しの香り高いさっぱり醤油ラーメン。ネギ、メンマ、チャーシュー1枚にナルトの桃色がレジェンドの気高さを表現しているようだ。
そして主役の玉子どん。玉ねぎと大量のナルトさえあれば肉など不要だ。甘いのは昔ながらの味わい、とろとろは近年の流行と今昔のハイブリッドといえる玉子どんだ。そういえばニラが入っていないけど、まぁ気にしない気にしない。
玉子丼を自分の意志で注文し食べるという経験は初めてだ。これはこれで美味いものだ。これからはカツ丼玉子丼半々くらいで食べるようにしてみるか。
2020/12/10 更新
2020/11 訪問
ウインナーエッグ
常識にとらわれることほど悪いものはない
とはよく言われる事であるし、自らもよく使う言葉である。ひとつの事に拘泥するのは悪くはないが、こだわり過ぎは決してよい事ではない。なににせよ、残すべきは残し変えるべきはすっぱり変える。これがあるべき姿であろう。
とはいうものの、常識とはいったい何なのか?
常識は、社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。
とはWikipediaの引用でしかないが、そもそも「社会を構成する上で当たり前」のものってなんだ?よそ様に嫌なことをしたり、迷惑をかけてはならないという事はわかるし、だいたい何をしてはいけないという事もわかる。
まぁよいだろう。
話を広げすぎてしまった。私が言いたいのは目玉焼きになにをかけて食べるのが正統、常識といえるのか、という事だ。なにを下らん事を言うのか、という向きはあるだろうがこれほど重要な話題はないではないか。目玉焼きほどつきあいの長い食べ物はないではないか!!
私はこれまで、生まれてこの方50数年の間ずーーーーーーーっと醤油であると思ってきた。たまぁにとんかつソースあるいはトマトケチャップを用いる事もあった。双方ともに大好きな調味料ではあるが、目玉焼きに限っては妙に甘たるくなるのが今ひとつ気に入らない。
まぁそれはよいだろう。時と場合により、体調により気分により変わる事もある。それよりも深刻な問題は目玉焼きには何を添えるべきなのか、なにが正統、常識なのか、という事なのである。ハムか?ベーコンか?ここで興味深いのは長野レジェンド秋山食堂だ。ここではいったいどのような答えを出されているであろうか。
「ウインナーエッグ定食」680円
3個の目玉焼きに粗挽きウインナー5本。こんもりしているのは下に千切りキャベツが敷き込まれているからだ。傍らの洋ガラシはウインナー用で、目玉焼きにはたっぷりの塩とブラックペッパー。なかなかハードボイルドな展開といえる。目玉焼きは言わずもがな。ただ、私は完璧な醤油派なのでここにじゃばじゃばとかけてしまう。塩辛くなっても仕方がない。ウインナーは皮がパリッとして美味い。そして何より千切りキャベツが素晴らしい。目玉焼きの温度でほんのりと蒸されたキャベツは甘味をまして、一層美味くなる。
さすが秋山食堂だ。
正統、常識などひょいと飛び越えて新しい世界へと導いてくれた。レジェンドからはまだまだ目が離せない。
2020/11/21 更新
2020/10 訪問
パリパリ焼きそば、しっとりおにぎり
おにぎりとは日本本来のものなのであろうか。民俗学を学んだわけでもないし、調べたこともないからよくはわからない。よそ様はともかく、日本人とはよほど長いつきあいとみえ、弥生時代遺跡から出土された例もあるという。もっともこれは状況からして祭司に用いられたもののようだが。しかし、文献に登場するのは奈良時代というから間違いなく1200年以上のおつきあいとなる。
元はといえば残ったご飯を保存するための手法だったり、お弁当用の携行食として発達したものなのだろうが、そこはそれ母親や配偶者といった特別な存在が調じてくれることが多いものであるだけに反射的にもの凄く神聖な、尊いものと思えてしまうのは私だけであろうか。だからつい、コンビニで昼食を買う時(あまりないけど)におにぎりを手に取ってしまうのは仕方のないことだし、それ以外のところで出会ったりすると、逆上するほど嬉しくなってしまうのも、受容するしかないことでもある。
「秋山食堂」
いつものレジェンド食堂だ。このところ、日曜日に開いていることがなくて残念でしかなかったのだが、この日はたまたま前を通りかかったら【営業中】の札がかかっていた。おおおお!これはいくしかない。お!今日はすごいものがある。カウンター上にある黒板、すごいものからは凄まじいばかりの光彩を放たれている。
「鮭おにぎり」150円
おおおおおおおおお!おにぎりだァァァァァァァァ!!これは注文するしかなかろう。いや注文させてください!食べさせていただきたいのです!大将!鮭おにぎりひとつお造りいただけませんか?
小皿にコロンと無造作に置かれたおにぎりひとつ。ほぼ全面が海苔に覆われ、つやつやと美しい黒い光を放っている。昔のセブンイレブン風にいえば『直巻きおにぎり』となるであろう。そんな名称が出来たから、なにか特別なものに感じられるようになってしまったが、昔はご家庭おにぎりなんてこれが当たり前だった。お母さんが手早くにぎり、海苔をまきアルミホイルでぱぱっと包んでくれるおにぎりはしっとりペタァとしていたものだ。パリパリ海苔のおにぎりなんてコンビニあってのもの、これもコンビニが変えた歴史の一コマだ。
秋山食堂の丸いおにぎりはデカいデカい。ご飯茶碗で2杯分くらいはありはしないだろうか。にぎりが少し甘くてふた口くらい食べると崩壊してしまう。にぎってからいくらも経っていないから海苔が締まらない。まぁこれも『らしさ』という事でよいだろう。最後は小皿にのせて箸で喰らう。鮭がデカくてよろしい。
しかし、これだけでは寂しいのだ。黒板の隣には『半ラーメン』なる記載もあったが、ラーメンも今ひとつ。あ、そうだ。あれがあった。いつもはあまり注文しないものだからちょうどよい。
「パリパリあんかけ焼そば」780円
いわゆるかた焼きそばだ。パリパリがあんで次第にしっとりとしてくる過程がよいのだが、時間がかかるのと食べづらいのが閉口であまり注文しない類のものではある。秋山食堂のかた焼きそばはいったいどんなものであろうか。
まず登場するのは小皿にのった洋がらしの山。卓上の酢を加えて好みの味わいにせよ、という事らしい。酸っぱいもの好きな私は、大量に酢を加えひたすらクリクリとかき回す。そうしているうちに本隊がやってくる。ああああ、秋山食堂こういうタイプなのか。通常とは違い、麺と具が別になったセパレートタイプ。これは冷やし中華と同じ手法だが、焼そばの方が効果的といえる。
大量のキャベツ、にんじん、もやしが入ったとろりとしたあんの上にはメンマ、ゆで玉子、チャーシューが積載されている。これを麺にかけて食すのだが、この麺がハイグレードなのだ。
私がかた焼きそばを好まないのが、麺のあり方による。大概は太くて『パリパリ』ではなく『バリバリ』に仕上がっているのが嫌でたまらない。食べづらくて面倒だ。その点こちらのはじつに軽くおさまっている。使用する麺にもよるのだろうが、揚げ方がまた絶妙なのだ。あんと麺とをサクサクと混ぜ合わせる過程がまた素晴らしく心地よい。
というわけで、レジェンドでおにぎりランチを堪能した。やはりここには何かがある。秋山食堂通いがやめられない止まらない。
2020/10/29 更新
2020/10 訪問
冬のはじまりに
大型といわれた台風も上陸することもなく過ぎ去り、心配したほどの騒ぎに至らずひと安心したものの、今度は雨がやまず、やんでも厚い雲に覆われいつまでもはっきりしない陽気となった。そして、なんと11月になってしまった。
となれば、今度は晴れ上がっても気温が上がらない。たまにほっかりする事はあっても、少しでも日がかげると一気に冷えてくる。ああもう夏は終わったのだな、本格的に冬がやってくるのだ。四季はめぐる、致し方ない事であるのはわかってはいるが、どことなく寂しい気がする。ああ春よ来い早く来い。
とかなんとか
今からそんな事いっていてはいられない。もっと前向きに突き進んで行こうではないか。前向きに進むにはまず身を暖めよう。そーだ!鍋がよい!鍋を食べたい!鍋はないか!と訪れたのがこちらである。
「秋山食堂」
Legend of Nagano、リアル深夜食堂たる偉大な存在。ここに来れば常に何かがある。先だってはイナダと甘エビの刺身があった。そして今日もあるに違いない。身も心も暖めてくれる鍋料理が。…あった!これはよい!これをお願いしまーーーーすッ!
「豚汁鍋定食 なっとう付」800円
あった、私が求めていたものはこれなのだ。ぐらぐらと沸き立つ1人用の土鍋。ふたをとるとふわりと水蒸気があがる。大根、にんじん、白菜、なめこ、一丁まるまるの豆腐、ねぎ、玉子、豚肉は豚丼が一人前出来そうなほどの量が入っている。壮観という言葉はこの風景のためにあるのではないか。
備えつけのレンゲを用いてひとすすり。見た目と違って薄めの味つけだ。とはいえこれくらいが丁度よいともいえる。よし、これはおかずかけご飯といこう。
と思ったのだが、この定食にはもうひとつ重要はオプションがあったのだ。なっとう、納豆が標準装備されているのだ。こ、これはすごい素晴らしい。通常のご飯茶碗と同程度のサイズの丼に、ひとパック分の小粒納豆。ここに大量のネギと練りがらし。これはサービスか?というほどの量だ。せっかくなのですべて投入してまぜまぜする。納豆は混ぜれば混ぜるほど深く美味くなると確信する。そしてご飯にとろーーーっ。美味い!美味いがとてつもなく辛い!ガツっと鼻腔の奥を衝撃が走る。これは納豆という名の凶器だ。素晴らしすぎる。
食後はほかほか、というよりも汗だく状態であった。よし、本日の気温はこれで凌ぐことができた。明日からはまた、別の暖気を確保していかねばならぬ。春が訪れるまで今は遠くないはず春よ来い春よ来い春よ来い春よ来い春よ来い春よ来い
2020/11/01 更新
2020/10 訪問
something in 秋山食堂
まだ若い頃のことだが、ほんの一時ではあるがジャズにハマっていたことがある。高校の友人がジョン・コルトレーンがよいよいと「至上の愛」や「アフリカ・ブラス」を貸してくれたり聴かせてくれたりしたので、すでにメタル小僧であった私も、いつまでも無茶はしてらんねぁな少し聴いてみるかと考えたのが発端である。
だからといって、現在と違ってサブスクやYouTubeなどあるわけもない。聴くとなれば買わなければならない。CD化された時代ではあったが、お金のない若僧にはこれがキツい。視聴という方法もあったが、すべては聴かせてもらえないし面倒でもある。メタルやハードロックならだいたい予測はつくからジャケ買いしてもほぼ間違う事はなかったが、ジャズはまるっきりなのだ。とっかかりなしに買う勇気はない。
となれば重要となるのは情報収集だ。
先輩から聞いたり雑誌を買い込んだり。スイングジャーナルなんて雑誌は定期購読とまではいかなかったが、3ヶ月に一度ほどのペースでチェックしていた。ウィントン、ブランフォードのマルサリス兄弟や、ミシェル・ペトルチアーニなんて名前を覚えたのはこの時だ。もっとも覚えただけでほとんど忘れてしまったが。
あの雑誌はインタビューがよかった。とにかくフレーズがかっこいい。ジャズミュージシャンはずいぶん知的なんだな、と思い込んでいたが、今にしてみればものすごく気取った訳文だっただけなのだがそんなことは当時は知るよしもない。
ある時のインタビューでこんな件があった。誰のかは忘れてしまったが、その中で
「ジョー・ザヴィヌルから誘われたんだ。君の力でバンドにsomethingを与えてほしいって。ただ、彼のいうsomethingとはイメージが違っていて断ってしまった」
おいおい。ジャコ・パストリアス脱退後とはいえ、ウェイン・ショーターも健在な時期のウェザー・リポート入りを断った?くーーッ!かっこいい!おれも誰かから
「君にsomethingを与えてほしい」
なんて誘われてみたいーーーーーーーッ!なんて思いながらただの一度も言われた事がない。求められなければ求めるしかないではないか。よしsomethingを求めに行こうではないか。そして長野でsomethingとなればまずはこちらであろう。
「秋山食堂」
古ぶるしい外観、内部は火を近づければ発火するのではないかと思われるほどペタペタ油染みている。衛生的という概念からは程遠い有り様ではあるが伊達に長野のレジェンドとは言われていない。ここに来れば必ずsomethingと出会うことが出来る。そして平日のこの日もあった。あったのだ、somethingが。
なにが登場しても驚かない準備はあった。今まで伊達に「うな丼とラーメン」や「イカ煮その他」と出会ってはいない。だから少々のことがあっても問題はないし、動転することもないはずだが、今回は驚いた。
「イナダと甘エビ刺身定食」650円
いやはや、まさか刺身が出てくるとは思わなかった。それも秋山食堂らしくボリュームたっぷりだ。イナダは分厚くころころと切り分けられている。脂たっぷりでひと口が食べ応え充分。甘エビは蒼い玉子をたくさん抱いている。そしてイカ。ねっとりとした舌ざわりと濃厚な味わいが素晴らしい。
…と、ごく普通にレポートしているがここは山国 長野の地。しかも海鮮を扱う店でもなんでもない食堂でのこと。これは驚いた。やはり秋山食堂には常にsomethingがある。これだから秋山食堂チェックはやめられない止まらない。
2020/10/17 更新
2020/09 訪問
夏の冷中華つけめん
艱難汝を玉にす
というくらいだからある程度プレッシャーがあった方が成長することができる。もちろん成長とは私のように横幅だけのものではなく、精神的なものである事を申し添えておくが、あまりにも過度なそれは受け手を押しつぶしてしまうだけ、という事にもなりかねない。もちろん壁は高ければ高いほど、荷重は多ければ多いほど成長できるというのは理解しているが、それは送り手も真面目に真摯に取り組んでこそのもの。数合わせだけで「これやっとけ」と押しつけられては成長どころかモチベーションに関わるというものだ。わかってるかい?Sさん、あんたの事だよ。
もっともそのSさんに言われた事だが、プレッシャーとは期待の裏返しでもある。
「人間、期待されてナンボだでぇ」
たしかにその通り。人と関わり、人のためにどれほど尽くせるか、そして人からの期待にどれほど応えられるかでその者の価値も決まる。という言葉は深く腑に落ちたのは、同時にだからこそあんだ真面目にやれよ、と思ったからに他ならない。
愚痴はさておき、期待されるような人間にならねば、期待に応えるように精進せねば。とやってきたつもりだが、なかなかそのようになれていないというのは、単に私でがロクデナシであるからに過ぎない。嗚呼
だからせめて
期待する時は、プレッシャーを与えるときは気持ちよく真面目に真摯に考えてあげよう。あなたの仕事がなす事がすべてがみんなのためになる。責任はすべて私にある。さぁともに頑張ろうではないか。というくらい言ってあげるのが当たり前であろう。
「秋山食堂」
長野のレジェンド、昼食に何を求めればよいのか迷ったときに、ここに来ればなにかがある。今回はなにがあるかと楽しみに来たのだが、週末のためか日替わりの用意がないという。少し残念な気持ちになったが、壁の短冊メニューをみるとおおおお!あれがあった!季節メニューの代表格のあれだ!
「冷中華つけめん」780円
この夏は幾度となくお邪魔したはずだが、これには気がつかなかった。これを食さずして夏も秋も迎えられるはずがない。こちらの冷やし中華が特殊なのはセパレートタイプ、すなわちつけめん状となっている。艶やかに茹で上げられ、キリリと締め上げられた中華麺を迎え打つは、漆黒のつけ汁。醤油ベースの強い酸味の汁の中にはトマト、キュウリ、メンマ、味玉、大量のチャーシューに刻み生姜が添えられている。じつにカラフルな湖だ。細身、ツルツル、シコシコ麺をつけ汁にジャブンと投入、いやぁすっぱい!しかし美味い!大量の具材が麺にまとわりつき凄まじいばかりの旨味を発する。素晴らしい。
いつも通り、期待に違わず素晴らしい技量を見せてもらった。さぁ次はなにを食べさせてくれるのか、どのように魅了してくれるのか。楽しみでしかない。
2020/09/18 更新
2020/08 訪問
密かなふるさと
そうでなくとも暑くてたまらないのに、なかなか減っていかない感染者と、不安を煽り立てるだけのマスコミのあり方にイラつかされる日々を送っている。そしてブレっぱなしの上つ方には怒りよりも呆れの気持ちが増えてきて、これがいつしか諦めに変わってしまうのではないかと、ビクビクすらしている。
このところ思うのだが、安倍首相にしても西村経済再生担当大臣(長いな)にしても、言葉ひとつひとつは決して間違ってはいない。このようにしか出来ないよな、こんな言葉しか言えないなぁ。まして史上災厄と言われる事態なのだ。ある程度のブレは仕方ねぇべ?と、思わなくもないのだが、いかんせん信憑性に欠ける、いくら間違っていなくともお前の言葉だけは信じてやれねーよ。と思ってしまうのは、やはり人望の有無に関わるというものであろう。
それにしても
片や
「盆休みは外に出るな、周りから来るな」
と言い片や
「帰省はしてもらってもよいけど大人しめに、各都道府県知事の言うこと。よく聞いて判断しなががら行くか行かないか決めてね」
と矛盾の引っ張り合いをしているが、いったいどっちなんだい?と理解に苦しむ事態ではあるが困っちゃうよね。
そうなのだ、そんな季節になってしまったのだ。
年に一度あるいは二度、長い休みに生まれ育った地でゆっくり養生する。親兄弟や地元の友人と過ごす。これを楽しみに、張り合いにしているものも多いだろう。岩手の父親から『絶対に帰るな』と言われた若者がいたが、気の毒なことだ。
私のように故郷あるいは地元のないものには関係のないことだが。帰るところがある、そこには自分を知るものがいる、という事に羨ましさを感ずる時もあるが、あればあったで面倒なこともなくはないだろう。だが、私には密かに故郷と思っている場所がある。ここはすぐ近くだから折にふれて訪れることができる。なんて幸せなことだろう。
「秋山食堂」
15回目のレポートである。ここまでくれば故郷といって何の支障もないだろう。合理性とかけ離れたフォルムであればあるほど懐かしさを感ずる空間。ここだ、ここが私の帰る場所なのだ。
「日替定食 ホルモンみそ焼定食」680円
こちらに来たらまずチェックするべきはカウンター上の黒板であろう。そうでなくともここの大将は変幻自在なのだ。なにが出てくるかわからないことほど心湧き立つものはあるまい。今回はホルモン焼きだ。豚もつと玉ねぎにみそをたっぷり加え、ぎゅーっと炒めあげた料理はとてもボリューミィで午後からの活力を与えてくれる。ああ、ここはまさしくオレの実家だ。
中には
「おれは実家などに帰らない」
と言い張るものもいる。世の中いろいろあって当たり前だ
「ふるさとは遠きにありて想うもの、近くばよって目にものみよ」
と大 筒井康隆も言っている。故郷があるのとないのと、どちらがよいのであろうか。
2020/08/08 更新
2020/07 訪問
14回目はうな丼とラーメン
先からあった予定が変更された。そのまま自宅でゴロゴロしていてもよかったのだが、夜の外出機会そのものが少ないので出かけることとした。もちろんひとりで酒を飲みに行くなどという事はあり得ないし、他にすることなどあろうわけもない。私の行く場所といえば映画館くらいなものだ。ちょうど観逃していた作品がかかっていたのでロキシーへ向かう。
土砂降りとまではいかないが、間段なく高密度に降り続ける雨足はまるで竹林の中にいる様だ。まさしく篠突く雨という状況だ。権堂の有料駐車場から濡れながらロキシーに到着。そもそも傘を持たずに出る者が悪い。悪いといえば、目指す作品の上映時間を間違える者はもっと悪い。おっとっと。仕方がないので20分ほど時間をつぶし別の作品とする。
結局のところ
「私の知らないわたしの素顔」
という作品を観たのだが、これが予想以上によかったのだ。『ほんの出来心で足を踏み入れたSNSの世界は、二転三転のジェットコースターだった』なるポスターの知識から、サスペンスものと想像していたのだが、これがなんと純愛もので、純正フランス映画という風のしっとりした作品であった。常ならば絶対に選択しない類のものだから、じつに嬉しかった。
映画が終わればメシだメシだ。
権堂でなにかを、と思ったのだが夜は飲み屋だらけとなってしまう、当たり前のことだが。井之頭五郎のように居酒屋メシもよいのだが、気遅れしてならないので、ここはやめて夜のレジェンドへ行こう。
「秋山食堂」
夜のこちらにお邪魔するのは久しぶり、3年ぶりくらいか。基本昼と変わらないが、夜は常連さんの居酒屋と化すので別の楽しみがある。おじちゃんどもの酒飲み話を聞きながらの食事も悪いものではない。
そして何より黒板メニューが多くなる。今回も『ゆでイカ 生姜醤油付』『オクラヤッコ』『まぐろヌルヌル定食』『焼鳥塩ダレ定食』なる魅力的なメニューで溢れていたが、今回はこれ一択であろう。
「うな丼とラーメン定食」990円
今年はシラスウナギが豊漁とのことで、夏くらいから価格が下がる、というウワサは聞いていたがこれもその影響だろうか。レンジの音が聞こえたから冷凍ものには違いないだろうが。いつもの醤油ラーメンは安定的な存在。メンマ、チャーシューとナルト1枚ずつ、ネギ少しに細麺というシンプルすぎる構成は『輝ける安心感』と呼ぶにふさわしい。
いつもの丼に無造作に盛り込まれた飯の上に、これまたトロリとおかれた蒲焼き、というより冷凍だから『蒲煮』に近いがこれもまたよし。市内某鰻屋のように関西風蒸しなしでパリッとした、タレのかかりの少ない端の方が塩焼きっぽい仕上がりの蒲焼きも美味いが、関東ふわふわで育った身としては、この方が相性がよいかもしれない。値段も合っているし。添えられた2枚の大葉も食堂らしさを醸し出していてじつによい。
秋山食堂は調べてみたら食レポだけで14回目だという。レポートしていないものまで含めれば数えきれないほどだろう。それだけここにはsomethingがあるという事だ。もっと近くにあれば毎日通ってしまうのだが。
2020/07/19 更新
2020/06 訪問
話題の『その他』
話題に事欠かない存在がある。
例えば三島由紀夫だ。流行作家として傑作を連発し、雑誌のグラビアや映画に主演しと、常に人々の言の葉に上り精悍な容貌と隆々たる肉体は、ひいき目でなくとも素直にかっこいい。
先だって「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」という映画を観た。1969年5月に行われた作家 三島由紀夫と東大全共闘1000人との討論会の模様を新発見のフィルムや関係者のインタビューで再構成した作品だが、三島の魅力が圧倒的なのだ。体制側 三島を揶揄し挑発するものがいたり、もっと直接的に「おれは三島を殴りにきた!」と叫ぶ学生たちへ決して威圧的でもない、バカにするでもない、あくまでも真摯に丁寧に相対する。時に笑い、時に睥睨する。とにかくかっこいい、惚れ惚れするほど美しさを感ずる三島の姿はそちらの趣味がなくとも、いつまでも愛でていたい気にされられる。
「秋山食堂」
先ほど調べてみたのだが、秋山食堂についてレポートするのはこれで13回目だという。常連、というほど通い詰めているわけではないのだが、やはりここには何かがある、常に話題に事欠かない。そして今日もあったのだ『その他』が。
「日替定食 煮イカその他」680円
昼を少しまわったところだったのでテーブルはいっぱい、小上がりも片づいていない状態だったので必然的にカウンター席へ。ここは狭いのが難ではあるのだが、そのかわり厨房内がみえてとてもよいのだ。さぁなににするか。チキンライス親子丼は食べたばかりだが惹かれてならない、オムライスか炒飯かと検討かつ逡巡していたら眼前の黒板に
『日替定食 煮イカその他』
とある。そうでなくとも日替りは楽しみなのだ、わくわくするのだ。しかもメインは煮イカだなんて、山国信州の定食屋で滅多やたらと出会えるものではない。そこにもってきて『その他』だなんて、身悶えするほど魅力的な響きがある。よしこれだ。
うしろのテーブル席はサラリーマンらしい6人組で、新しく赴任してきたらしい若者にすげーのを喰わせてやると連れてきたらしい。チャーシュウエッグ10枚丼と煮カツなんてパワハラだよな、とじつに微笑ましい。厨房ではマスターが手際よくカツを揚げ玉ねぎを切りそしてキャベツを盛り上げる。そうだ、チャーシュウエッグ10枚丼は山なのだ。ちゃっちゃかと作業が進むうちに『その他』の様子がわかってくる、薄いベージュ色の惣菜は何かの煮物らしい。2種の煮物定食なんて素敵すぎる。
しばらくして本体の登場。煮イカは予想通りのフォルムだ。醤油でまっくろに煮つけられたイカはとても柔らかく箸でホロリと崩れていく。ああ美味い。そして『その他』はなにか。
『その他』とはなんと高野豆腐と牡蠣の煮物であった。双方を薄口でさっと煮つけただけの、ごくシンプルなもの。煮すぎた牡蠣ほどみっともないものはないが、これはまったく問題なし。ふっくらと、かつ磯の香りをピッと残した上々の仕上がりであった。
さすが秋山食堂。いつ来ても何回来ても話題が尽きない。三島由紀夫のように、50年たっても言の葉に上るような存在となるように、これからも幾度となく語っていく所存である。
2020/07/02 更新
2020/06 訪問
失われたカツカレーを求めて
プルーストは菩提樹の下で紅茶にひたしたプティット・マドレーヌを口にした瞬間、様々なことを思い出した。稀代の作家と同様の繊細さを持つ私はカツカレーを食べながら、いろいろと思い出すこともあるのだ。
20歳くらいの時だから、30年をゆうに超えた太古の時代のこと。当時勤務していた会社で、なにをしていたのかまったく覚えがないのだが、事務所をとことこ歩いていたら、社長からいきなり声をかけられたのだ。
「お前、彼女いるのか?」
突然のことで、おっさん何言ってをるのだ?とドギマギしたが、そんなよい存在いなかったので
「いないですよ」
と、ごくシンプルにお答えして終了。という事があった。
いったいなんなんだ?
と思いはしたものの、その後なにも言われなかったのでそのまま現在に至るわけだが、よく考えれば、いや考えずともあれば絶対に娘を私と結びつけるか、という構想があったのだ。
九州から裸一貫、身ひとつで東京に出てきた彼は、高度経済成長に上手く乗って建設会社を立ち上げた。小心者でケチで頑固なオヤジだったが、商売はうまかった。しかし誠に生憎なことに後継者がいなかった。いや、いないわけではない。長女、長男、次男、次女と4人の子どもがいたが、長男次男ともに人のよいアッパラパァで単純作業はともかく、経営などできるタイプではない。私も決して優秀ではないが、あいつらよりは…、と考えてもおかしくはない。長女はすでに嫁入りしていたから、次女をと考えていたのだと思う。ただ、先方は私より3歳ほど上だったからそれ以上発展させなかっただけだろう。
その場私が別のアプローチをとっていたら。社長、娘さんとつきあわせてください。とまで言わずとも、もう少し態度で示していれば、面白がって社長に合わせていれば、間違いなくあの会社は私のものとなっていた。
とはいえ、そんな大人の思考にも髪の毛ひと筋ほども気づかず、へらへら怠惰に過ごしていた私も十分アッパラパァであったから、継がせなくてよかったかもしれない。
なんでそんな事を思い出したかといえば、大した理由ではない。単に昼になにを食べるかをシミュレーションしていたときに、という事でしかないのがわれながら情けない。秋山食堂にて「夏野菜カツカレー」なる魅力的なメニューがあると聞き、お邪魔したはよいが本日用意がなく、他のものにするか、あるいは単なるカレーにするかと悩んだ数分の逡巡の間、今日カレーを食べなかったらいったいどうなってしまうのであろうか。そんな事を考えた結果であるから、あまり気にしなんでいただきたい。
秋山食堂「カツカレー」850円
いつもの日替わり黒板には「カレー 650円」との表記しかない。それだけでも十分美味しいのだろうが、それでは少し弱いかな。と思ってアドリブでカツカレーをお願いした。ジャガイモ、にんじんゴロゴロのスパイシーカレーだ。濃褐色なドロドロの下には熱々ご飯、そしてとんかつがどん。通常はソースをたっぷりかけてしまうのだが、カレーの濃厚さ加減がちょうどよくそのまま食べてしまう。美味い美味い美味い。
例の事件(というほどでもないが)の後数年後、いろいろあって退職してしまったのだが、別にケンカしたわけでもないので、数年は年賀状だしたり、たまに顔を出したりといった関係は続いていたのだが、こちらが引っ越してしまったり、先方み多忙だったりとそれきりになってしまった。その後10年ほどしてから、会社をたたんで隠居されたと聞いたが、現在はなにをされているだろうか。父親より少し歳上だったがお元気でいられるだろうか。確認したくともしようがない。
2020/06/20 更新
子どものころから
見知っているもの、つきあいも長い、というか常にすぐそこにあるものが、本当は少し違うものであった。なんて事はよくあるものだ。友人がじつはすごい実績の持ち主でとてつもない有名人だったとか、仲の良い同僚が影では…。身近になるものほど片面しか見ていないものなのかもしれない
カレー
などというメニューは、他国の出身であるに関わらず、ご飯にかけ、パンに合わせ、ナンと一緒にちょっとシャレオツ(なのか?)にいただいてみたり。君はぼくのアニキだよね、兄弟・姉妹だよね?そんな存在ではあるが、かつては少しちがう姿であったようだ
ライスカレー
という呼称はたまぁに接する。どこの田舎もの(私も含まれるが)がカッコつけて言っているのか!と思っていたが、じつはこちらが先行してつけられた名前だったのだとか。明治から大正期にかけてカレーが一般化されたころは、もともとご飯にかけて供されるタイプを『ライスカレー』、別々になっているタイプを『カレーライス』と呼んでいたのだとか。少しだけだがびっくりぽん
「秋山食堂」
さてオモウマイ店、わがホームグラウンドたる秋山食堂。先月も訪れているのに『久しぶり』と感ずるのは、反対に一時ほどきていないからに相違ない。一昨年あたりは週に1〜3回ペースでお邪魔していたしねぇ。それが月に1回となれば、ご無沙汰に感じてしまうはなぁ
そしていつも通りの
黄色い短冊メニューの確認業務となるが、見ていて飽きないのもいつものこと
『ベトナム炒飯』
『煮かつ定食』
『焼豚エッグ丼』
なる、ほぼレギュラーメニューと接すると深い安心感に浸ることができる。おおおお!
『かつどん』
があるではないか!いつぞや大盛りを注文したら、重箱がふたつ登場して、片や煮カツご飯、片や玉子とじご飯、なんてものが登場してエラい目にあったものだ。あれは絶対に面白がってやられたものだと思う。オヤジさんその節はありがとうございました
『モツ焼定食』
『冷しつけめん』
『オムライス』
なる魅力的なメニューもあるが、ここはやはり
「カツカレー」880円
普通のカレーライスが780円でこちらが880円という事はトンカツひとつが100円なんかい?などの疑問はさておき登場したのは大丸皿ひとつ、器ひとつ、スープひとつという面妖なる構成。大丸皿には千切りキャベツ、水菜といった生野菜。ご飯、その上にトンカツ一枚。器には濃褐色でどろどろのカレーがなみなみと注がれている。おおお!これはセパレートタイプ!本寸法の
カツ・カレーライス!!
カレーとご飯は別になってるし。あと載せ、別添えという経験はあるが、カツライスに別カレーは人生初だ。鯛茶漬けはまず鯛の刺身でご飯をいただいたのち出汁をかけてさらさらと。というのが正当なる接し方である。となればこのセパレートタイプ・カツカレーも同様にするのが作法であろう
卓上のソース!
これはもちろんびしゃびしゃと参る。カツには大量のソース!私に楚々としてなる概念はない、あるはずもない。まずは揚げたて熱々のさくさく、脂っこさ、肉の味わい、旨み、ご飯によってふやけた衣の感触、ソースのコク、酸味を楽しむ。よし、野菜にもソースかけちゃえ
カレーに
醤油またはソースを加えるとコクが増す、というのはふた昔前のおじいちゃんのようだが、私も年寄りだからよいのだ。ソースカツの上にスプーンでひとすくいひとすくいかけまわしていく。清楚な感じがして美味が増していくようだが、だんだん面倒になってきて、上からだばだばとやってしまう。あああ、楽で美味くて素晴らしい。
本日も
秋山食堂の魅力にやられてしまった。どーもここのオヤジさんの発想力には感服する以外にはない。次回はナニを食べされてくれるか。楽しみだ