5回
2019/07 訪問
連想力を発揮し、想像力を掻き立てろ
6月に咽喉の手術、7月に鼻の手術を経てようやく咽喉鼻とも全快となり、特に咽喉のレーザーメスでの手術後の水すら染みて激痛が走る状態で殆ど飲めず、咽喉が不自然な物は一切受け付けない状態が3週間ほど続いた。
その間は食べられた物は、自分で作ったお粥、薄味の讃岐うどん等のうどん、胡麻豆腐、プリンしか咽喉が受け付けなかった。
身体は健康体なのに食えない辛さ、特に水分を摂れない辛さはかなり堪えた。
その間いつも腹の虫は鳴り止まず、空腹と渇きとの戦いであり、ボクサーの減量の苦しみの一端を身をもって分かった(術後半月運動禁止だったのでボクサーはそれ以上の苦しみだがね)。
しかしその代償として、血圧がグンと下がり、体重、腹周りだけでなく身体中の皮下脂肪が目に見えて減った事と、味覚が今まで以上に研ぎ澄まされて鋭敏になったこと等々副産物として思いもよらない神からのご褒美を戴いた。
今後は闇雲に貪食せずに、バランス、強弱を考えながら食事を愉しんでいこうと改めて決意した。
鼻の手術後の出血の心配が無く、痛みも無くなって、自分の味覚、嗅覚は一体どのような状態で、どのような位置付けなのだろうか。
治療中は自分が作る料理には一切のMSGを排除し、塩分は極力付けないで咽喉への負担を掛けぬ様にしていた事で得た鋭敏化と言うよりリフレッシュして味蕾の働きが良くなった(蘇った)舌と鼻を本物のお料理で試したいと強く思った。
その思いをぶつけられる場所は明治から茶の湯(裏千家)の精神を強く反映させた京料理で連綿と続く辻留しか当方の頭の中の様々な飲食店のデータベースは打ち出せなかった。
お食事を戴いて改めて思った事は、お料理に無駄な手数、手当、味付けは無く、外連味なく洗練された美味しさを愉しませて頂いたという思いで満ち足りた事。
気持ちを込めて、手間暇掛けてと言えども必要以上に無駄な手数を増やせば蛇足となり、行き過ぎた調理、調味は味わいや食感も損ねていく事に繋がる。
それは独り善がりの味となり、客が求めるものからあまりにも乖離しているものとなれば、即ち料理人の慢心にも繋がろう。
客側と店側(料理人)で、どの部分にベクトルを置いて味を構築し表現するかが大事なのであるが、ここ辻留ではそこら辺のバランス感覚が研ぎ澄まされ、必須要素だけの必要最小限の凄まじさだけをまじまじと感じさせてくれた。
正にそれは千利休の枯れの精神で、どれだけ無駄な物事を刮げ落とすかという点。
美味しいという事は当たり前の前提として、一言で言えば『疲れない味』『ホッとする味』なのだ。
インパクト重視で旨味一辺倒で押してくる店、美味いのだが足し算ばかりでメイン食材の本質的な良さや旨さが伝わって来ない店、白身にキャビアやトリュフなど高級食材の重ね技で値段を釣り上げるがメイン食材の本質が分かりにくくなり何を伝えたいのかわからない店、ピンの高級食材ばかりを貪り集め客の気を引く店、インスタ映えする様な見映えのモノが食べてみて大した事が無い店等々枚挙に暇が無い。
こういう美味けりゃ良い的な店の味って辟易して正直疲れてしまう。
何でもない煮物や酢の物の仕立てがしっかりとしていて、心からホッとさせてくれる味わいを醸し出せるお店って残念ながらそうは無い。
こちらのお味はそんな超力のホッとさせてくれる心の拠り処となっているのだ。
話が長くなるのでこの日戴いてきた品々を。
【令和元年如月の献立(昼)】
【日本酒】
◎呑み足りて味を知る 純米 (伏見松本酒造)
以前の辻留のラインナップには無かった新たに加わった日本酒。
旨口だが軽くてスッキリと清涼感のあるお酒で、必要以上に料理の邪魔をしないスターターとして打って付けの日本酒だ。
【造り】
◉鱧 穂紫蘇 莫大
白眉!
鱧そのものは淡いながらも旨味のポイントは抑えており、長物の臭味、小骨が障る事などは一切無く、只々美味しさを愉しませて頂いた。
器は以前2度ほど秋の無花果の炭火焼で登場した青磁の鯉の皿で、柔らかい水色が鱧の棲家の海を連想させることと、落としで〆られて引き締まった身の清涼感を演出されている意図が観える。
添えられたのは、割醤油に梅肉を裏漉して合わせたもので、尖った酸味が綺麗に除かれていて程良い酸味と香り高い梅肉の風味が鱧の根底に眠っているポテンシャルを存分に引き出し、旨味が限り無く昇華している。
梅も昔ながらの梅だと塩分濃度が強過ぎてバランスを崩すので香り高い品質の物を使って裏漉しして煮切った酒と割醤油等と合わせているのだろう。
壁掛けの絵画『梅(福田平八郎)』が部屋に入って目に入って来た際に梅肉の鱧落としでも出てくるかなとすぐに連想したが、こういった一捻りされた形で提供されるかー。
楽しい!
本当に楽しい!
この仕事は京都や東京はおろか鱧の漁れる西日本でお目にかかったことは無い、辻留唯一無二の仕事だ。
敷きツマのケンは大根と胡瓜で清涼感が演出されている。
一見ジュレの様なツマは莫大(ばくだい)という中国を起源とした乾燥果実を戻したものだ。
このツマをご存知で説明出来る人はかなり懐石料理、和食に精通している本物の食通と言えよう。
【椀】
◉鱧 鹿尾菜 柚子
超絶白眉!!
なんて気高く、眉目秀麗な誇り高き椀なのだろう。
見た目、味、風態全ての面において、この椀には絶句した。
見た目からして神々しい風態ではないか!
この椀を作り込んだ料理人達の想いを強く感じ、当方が今までありとあらゆる日本料理屋で味わってきた椀の世界観の中でも一際輝きを放つ綺羅星の如し存在。
椀はまき村のものが世界一美味いと思っていたが、この超絶椀はそれを優に飛び越えていってしまった。
正に格が違う。
鱧は淡路島産とのこと。
先程の鱧の落としでは身をプリッとさせた食感だったが、こちら葛打ちでは身はフワフワでトロリとさせた鱧の旨味を出汁との調和で昇華させた渾身の力作。
高級料理店ではもてはやされている韓国産の鱧だと脂が強過ぎてこの吸い地も強くしなければ調和が保てないだろう。
淡くも輪郭をはっきりとさせて凛とした淡路島は椀種としては韓国産の様なトロけだけで無く、身の繊維の質感も仄かだが愉しめ、連綿と続く辻留の吸い地と合うと当方は感じた。
椀種の落とし鱧は見た目からして一分の隙も無く素晴らしいの一言で、丁寧で的確な骨切りが施され、こんもりとしてふっくらと仕上がっている正に匠の技!
小骨など口に障るものは皆無。
寸分の狂い無く的確かつ精緻に刃を入れ、フワリと花開いた形は正にシンメトリーであり、例えるとフランスはヴェルサイユ宮殿の左右対称の寸分の狂いなく均整がとれている造園家アンドレ・ル・ノートルが考案した庭園、即ち平面幾何学式庭園の様。
吸い地の昆布、鰹節、塩等のバランスが凄まじく整い、葛打ちされた鱧からも少し旨味が滲んできて素晴らしい世界に仕立てられている。
幾分いつもより輪郭を浮き立たせた塩味だったのも奏功して、椀種の鱧の落としが引き立つ吸い地となっていた。
かの谷崎潤一郎氏もこの椀を大変高く評価し、非常に絶賛されていたという。
後程石井板長に吸い地の事を伺ったところ、淡味の鱧の旨味を引き立てるために極僅か塩をいつもより足しているとのこと。
他にも夏場で体調的にも汗を掻くシーズンなので、心持ち強弱は日々の環境で変わってくるであろう。
また、椀妻が鹿尾菜(ひじき)というから驚いた。
椀種の鱧の葛打ちと一緒に戴くと、ほんのりと潮の香りが鼻腔を擽り、磯の風味、磯うまさが引き立ってくる。
【変り鉢】
◉素麺
『島の光』という小豆島で丁寧に作られている素麺のブランドだ。
普通の何気無い素麺に見えるのだが然に非ず。
張られている出汁は薄味だが塩梅良く巧くまとまっている。
昆布と鰹節メインの出汁に薄口(濃口?)醤油と少し味醂が出されているものを、調味料の尖りが無いので加熱処理して冷やしているのかな。
素麺の風味が引き立つ。
素麺は人工的な匂い、薬臭さは微塵も感じない風味豊かなお味。
才巻きと椎茸、壬生菜を添えて戴くと味わいの幅が広がり、食欲を唆る。
椎茸が煮染めの様な強い甘辛味では無いところにプライドを感じた。
【炊合せ】
◉小茄子丸蒸き 蒸し鮑 隠元
針生姜 針柚子
白眉!
小茄子には出汁をたっぷり含ませられており、噛むとジュワッと茄子の旨味と出汁の美味しさが合わさって射出される。
茄子の色が鮮やかなので強火で炊き上げて煮立ったら消して自然に冷まして味を含めていく技法と推察する。
ヘタが付いていたので試しに噛んでみると、意外に柔らかかったのでヘタの頭も丸ごとガブリと噛み砕いて戴いた。
鮑の切り付けも角がピンと立っていて美味いぞオーラをこれでもかと放出している。
この時期の鮑だと黒だと硬いので蒸しなら目高か雌貝であるが、科学的には雌貝であろう。
鮑は柔らかく塩蒸しされており、切り身には鹿の子に隠し包丁が入れられて更に口の中で柔らかく咀嚼して味が舌にすぐ馴染むような仕掛けとなっている。
それでいてスーッと歯が入り、ムッチリとした鮑の持ち味であるムチムチモチモチ感もしっかりと堪能出来る。
恐らく晒されて棘を除去された針生姜と柚子と併せて戴くと鮑だけの独力だけでは出し得ない世界観が広がる。
【焼物】
◉美山産若鮎
超白眉!
鰭に化粧塩をしていない焼き方で、胸鰭は焦げている様に見えて焦げ寸前のギリギリの焼き加減で苦味やエグ味は無く、先ずは胸鰭と尾鰭で若鮎の風味を存分に堪能させて頂いた。
胸鰭の一部が焦げた様な感じを受けたが、よく観ると焦げではなくメイラード反応から来る色合いだった(それ以上にいくと焦げになるが)。
自分の旨味汁がメイラードの影響で黒飴のようなねっとりとしたもので覆っている様子が伺える。
焦げであれば食べた時に肝とは別の焦げの苦味が来るところが、そういった風味を損なう苦味は味蕾や鼻腔では捉えられなかった。
更によーく観てみると胸鰭下に小さな破裂穴が有るのを発見し、そこから旨味汁が射出され、炭火に当てられメイラード反応が起こったものと推察する。
それに胸鰭のすぐ横から堪らず射出された旨味汁は小さな穴を開け、そこからも同じ様なメイラード反応が見て取れることから理解した。
ギリギリ焦げには至らなかったが、もう少し遠火の炭火で焼けば胸鰭についた己の旨味汁でメイラード反応を起す⇒焦げに繋がる危険性も避けると推測する(超力私見)。
頭もカリッと香ばしく焼き上がり、身はフワフワでしっとりとして見事な火入れ。
頭も中骨も全く口に障る硬さや小骨が無くというか感じさせず、ストレスフリーで安心して鮎に齧り付ける。
若鮎の肝は苦味も柔らかく甘味も併せ持っていて素晴らしい素材。
自然の風味豊かな蓼の蓼酢も苦味と酸味の調和がビタっとハマっていて鮎の香ばしくも瓜の香りも漂う清涼感を引き立たせる。
草色に中心部は暖かなアイボリー色の器に鮎が盛られた様子をうかがっていると、何やらこの真ん中のラインは川で鮎が泳いでいるかの様に見え、川の左右岸には緑緑と生い茂っている天然の蓼畑の如し。
添えられた蓼酢を観て直感としてそう思った次第。
何故なら鮎の漁れる様な清らかな川の周辺には蓼が生い茂っており、釣り人が釣った鮎を周辺で生い茂っている柳蓼(ヤナギタデ)に包んで持ち帰ったという事、その香りが鮎の清涼感を高めて相性が良かったのが始まりという話を随分昔に小耳に挟んだことも連想させる一端となっている。
蓼自体は水辺周辺に生えている雑草の扱いだからね。
単体で噛むと本当に苦辛い!(苦笑)
自然な濃淡の付き方が玄妙で、山間の里美山の情景が目に浮かぶ様。
以前一人旅で美山に茅葺屋根の米農家の主がユースホステルが好きで開業した時に寄らせてもらっだ事がある。
自然豊かな風土、自家栽培の精米したての白米の美味しさ、どれも記憶に残るものだ。
そんな古い記憶を思い起こさせてくれたこの器は、基子女将によると父の辻義一の自作の器で、夏の時期にしか使わないもので、鮎によく合わせるのだそう。
無名であるが、当方が名付けるなら蓼畑となろうか(笑)
【酢の物】
◉蛸、胡瓜、若芽、紅蓼
酢の酸味の和らげ方が素晴らしいの一言。
清涼感を醸し出す切子細工の器が酢の物をよりエレガントに魅せる。
程良く利いた酸味が口直しとして、お食事前の整えとしての位置付けとして正に理に適ったものである。
蛸は旨味ーの強い真蛸ではなく、モチっとした歯応えとアッサリとした風味の水蛸で調和を計って来た。
所謂酢だこにはしておらず、シンプルに恐らく脚と吸盤の掃除で塩で揉み洗いしただけの水蛸の味わいをストレートに出して、他の素材との連携を計っている。
紅蓼は先程の苦味走った青々とした野草の蓼とはガラッと装いを変えて来た。
本葉が出る前の幼芽を収穫したもので、苦味は仄かで柔らかで味のアクセント的なスタンスだ。
高血圧を改善する成分も多く含まれているので、酢の酢酸の血液サラサラ成分と併せて成人病予防に打ってつけな一品でもある。
昔の人は良く考えて組合せておられ、あくまで後年の判明ではあるが、その相乗効果は健康に寄与したものである事が少なくないところは驚かされる。
【食事】
◉鱧皮丼
蓴菜と千切り麩の赤出汁
香の物は瓜、覚弥(かくや) 小茄子
白眉!
魯山人考案の丼物で義一氏が完成させた物とのこと。
薬味の紫蘇、茗荷、生姜を針状に切り、晒してピンと立たせた物を香ばしく炙った鱧皮の上に散らし、胡麻を振り完成。
鱧の皮目の美味さといったら他に例えようのないもの。
身と側の間の脂のゼラチン質が軽く炙られて旨味が活性化されており、皮のカリッと香ばしく仕上がっていて、ご飯との相性も良くて次から次へと手が止まらず口の中へ掻き込む事しか手立てが無かった。
食事といえば懐石、コースの締めなので、鯛めしや蟹めし等だと身の方が主役で、京都の和食屋でも鱧の炊き込みご飯を戴いた事があるが、やはりメインは骨切りされた身の方。
しかしここを鱧の皮だけと言うのが何とも粋であり、本当に美味い部分だけをクローズアップして、ご飯の上に乗せてしまうなどと凄い発想だなぁと素直に思う。
また、食べ進めてそこそこお腹も膨らんで来て多くは食べられなくなっても、この鱧皮ならサクサクっと箸も進めてしまえる不思議な魅力があるのだと思う(当方はガッツリでもアッサリでも両方いけるが(笑))
ここに北大路魯山人という人の心意気と為人が垣間見えたりして大変面白い!
赤出汁の千切り麩は生麩かと思わせる程モチモチでムッチリとした食感とトゥルンとしたグルテンの滑らかな口当たりと喉越しが心地よく、蓴菜のトゥルントゥルンと親和性が高い。
八丁味噌はやはり岡崎のカク九かな?
桂の親父さんが教えてくれた当方大好きな味。
季節で合わせる味噌の配合を変えられていると以前うかがった記憶がある。
夏場だと身体の負担も考えて、やや八丁を控えている様にもお見受けした。
どの味噌と合わせているのかは不明だが、麦味噌の風味は感じ取れないので西の味噌では無く、恐らく東の米麹か、他の豆味噌とかかな。
かくやの大根を干したものを千切りにして胡瓜と合わせたものはシャキシャキの食感と漬物の風味が合わさって面白い。
小茄子は辛子味噌漬で甘味と辛味のコントラストを楽しむ。
瓜は南信の茅野が田舎なので小さい頃はよく食べた馴染みある素材で、瓜の香りと歯触りが大変好み。
◉菓子
水牡丹(葛菓子)
透明感のあるギヤマンの器に盛られた水牡丹の下には取りやすい様に紫蘇の葉が敷いてある涼感溢れる一皿。
葛の生地で牡丹色に染まった小豆の濾し餡を包んでおり、紅が透けて如何にも涼しげ。
小豆餡の風味と甘味のバランスが程よく、吉野葛の生地が口内でプルプル、トゥルントゥルンとして心地良く口腔内の神経も愉しめている。
これは小豆餡より葛生地が生きていてなんぼだな。
お薄の苦味で甘味の余韻を拭い、新鮮な心持でまた対峙できる。
食事後に2代目辻嘉一氏に師事してから辻留一筋の石井板長とお話する機会を頂き、料理談義に花を咲かせて貰い感無量。
この日は育子女将が出張で不在だったが、妹さんの基子女将の暖かなおもてなしで何も申し上げる事は無い。
それでも次回は育子女将に再会すべく翌月もお邪魔させて頂く事となった。
鮎や鱧の初夏から盛夏への移ろいを辻留で愉しむのも一興だ。
◎掛軸
『辛酸鹹苦甘(しんさんかんくかん)』
五つの味を指し、鹹は塩辛いの辛さの意味
熊谷守一
◎絵画
『梅』
福田平八郎
◎生け花
梅花躑躅(ばいかつつじ)
富士袴(ふじばかま)
虎の尾
◎玄関の絵画
奥村土牛(おくむらとぎゅう)
桃
◎階段の絵画
小林東五
猪
2019/08/10 更新
2018/10 訪問
ニュートラルに戻したい時
昨今の日本料理は引き算よりも足し算が目にとまる(余る)物が多い様に感じてならない。
以前にも増して作り手も食べ手も感覚が麻痺しているとしか思えない昨今の料理の風潮。
例えば鮃にトリュフやキャビアなど繊細な身の味わいを強い風味のある素材でマスキングしてしまうかの様な組み合せ。
天ぷら屋でシャトーブリアンを揚げるとかいうのも既に驚きであるが、これに海胆やキャビアやトリュフ等客単価を吊り上げるのに打ってつけな高級素材をセットにしてお任せコース3万円からというシナリオが出来上がってくる。
結果美味いとしてもそれはメインの素材が引き立っているのであろうか?
たんなるこねくり回して高級素材をぶちかましてインスタ映えさせれば◯ほな客が勝手にネットで広めてくれて、広告代要らずで客から金も取れるし一石二鳥である。
素材の質は良いに越した事は無いが青天井では困る。
風の便りではまだ開店して3年も経たない鮨屋が3万8千円からとなると聞いて飲食バブルと言おうか何と言おうか呆れて物も言えない。
東京の和食では新規開業とともにお任せコース2万円以上の金を請求される事もしばしばで、高額料金を叩かねばまともな料理は出ないのであろうか?
ピンの素材でないとまともな物は提供されないのか?
食べ手が無尽蔵に金を出すとみえると店の料理人も麻痺したかの様にピンに手を染めていく。
様々な店がそういった金持ってそうな麻痺客をあてに他店とピン素材争奪戦を繰り広げていくうちに品薄に拍車が掛かり、値段も吊り上っていく。
そう、値札も値段も見ずに知らずに先ずは仕入れて後から裏でやりくりするのだ。
もちろんその跳ね返りは全て食べ手としての客に転嫁される。
と昨今の風潮に警鐘ともいえる愚痴を零した後はいよいよ本題に入る。
色々と疲れた時にここ辻留に伺い、静かな環境でお料理と器、器と調度品、部屋の設へ等々と向き合うと、身も心も落ち着いてくる。
食べ終えて茶の一服でも戴いた後には心はニュートラルになってスッキリとしている。
詳細は既に記したレビューを参照頂くとして、料理は無駄な物が一切無く洗練の極み。
一皿毎の素材の奥底に眠る潜在能力を引き出すためにどれだけの物を削ぎ落とし、少ない手数で最高の逸品に仕上げていくかの勝負をされているとお見受けする。
素材を切る、剥く、塩を打つ、酢で〆る、調味液に浸す
焼く、茹でる、煮る、蒸す、揚げる、干す、
素材に対してどれ程ダメージを少なくして、ストレス無く料理に仕上げるのか。
◉鮃と鰹 魯山人絵瀬戸長皿
シンプルな〆と熟成し過ぎない寝かせが鮃のポテンシャルを引き出す。
皮目がトゥルントゥルンに見える鰹は脂がくど過ぎ無いで、旨味のヘモグロビンも携えた部位で美味し!
皿はこちらで何度か逢瀬した魯山人絵瀬戸長皿で。
膝掛と同じ籠目模様をあしらった作品だ。
眼を引いたのは刺身醤油。
醤油は一種類のみとのことで煮切酒と少々の柑橘を合わせた調味醤油。
これが魚の美味さを優しくも的確に引き出している。
鮃の綺麗な身とじんわりと来る旨さ、鰹は赤身のヘモグロビンの旨味と軽やかな脂の乗りが素晴らしく、身の熟れ方もしっとりとして障る物無し。
どちらも鮮度と旨味のバランスの取れた向付であった。
◉京都丹波産松茸と鱧の土瓶蒸し
はあぁぁぁ~♡
身体に力が入らなくなって来る…
これはわかる人なら唸るしか無い。
福田平八郎の松茸の絵画が展示されていたのでもしやとおもっていたら!
なんだか旨いとか美味しいとかいうボキャブラリーだけでは完璧なる表現が難しいレベルの逸品だ。
出汁がしみじみと口から入って身体中を巡り、体内組織全てに染み渡っていく…
余分な塩味、蛇足な旨味など無い研ぎ澄まされた調味から来る身体の愉悦。
出汁良し、松茸の香り良しで一点の曇り無し。
只々清廉で、精緻な吸い地に、深淵な森の中で育まれた松茸と言う名の衣を吸い地に纏わせる。
松茸はアカマツ、いや丹波の山そのものの命を分け与えられた謂わばエージェント。
山の息吹も共に味わば、そりゃ味皇様だろうと快傑味頭巾であろうと、う、ま、い、ぞぉおおおーーー!と叫んでしまう事必定!
松茸は薄っぺらく刻むのでは無く四当分位の大きさで入っていて、張りが有ってピンと角が立っていて本物の松茸の味とはこういうものだよと教えてくれた素晴らしい逸品でもある。
鱧は韓国産の様な脂が強い種とは違う。
西の方の淡路島から瀬戸内近辺のやや淡泊な鱧の身の質と風味が似ているのでそのあたりであろうか?
いちいち鱧までの産地は聞いていないので不明であるが、そんなところであろう。
鱧強過ぎるとこの張り詰めたバランスの出汁との調和が瓦解してしまうし、主役の松茸も掠れてしまう。
あくまでも1つの完成品として店の料理人の目指すべきTo beへ向けてどう素材通しを組み合わせ、調味していくかだ。
余談だが、終盤で酢橘を少しかけて食べたり吸ったりするとまた美味しい。
色々な和食屋で鱧松はこの時期の定番で提供されている事であろうが、こちらのモノは紛れも無く超力が世界一美味い松茸の土瓶蒸しである。
◉無花果 炭火焼 胡麻味噌掛
これこそ無駄な調理が一切無い、シンプルに無花果の美味さを味あわせてくれる一品。
熱々トロリとした無花果は旨味のジュースが溢れ、糖度も風味も増している。
邪魔せずさり気無く纏った胡麻味噌が無花果の甘さと香りをより際立たせ、円やかさを与えて味のある助演を繰り広げている。
遠火の炭火でじっくりと火を入れていき、中心部の組織が活性化して甘味、即ち旨味が開いて来たところで火から下ろし、串を抜く。
青磁の皿に無花果を盛り付け、白味噌と合わせたものと思われる胡麻ダレをサッと掛けて完成。
皿も一見何の絵柄も無く無駄無きシンプルなもので更に鋭利な刃物の様な斬れ味を増すが如く様相。
食べ終えると皿から泳いでいる鯉が現れる。
一昨年も無花果の焼物は提供されていて青磁の鯉の皿も同じ物であるが、無花果に纏わせている衣が違う。
今回は黒胡麻では無く白胡麻。
味噌は前回の桜味噌とはまた違った様相で、さらにアッサリとしたタイプで更に無花果の個性を引き立てる脇役に徹している。
前回のはまだ脇役が我を張っているベテラン俳優みたいな嫌いはややあったのだが、今回はさり気無く主役をサポートする。
胡麻は軽くは煎っているのかな?
あまり香ばしくなるとタレにインパクトが強く出過ぎてしまうため、無花果とのバランスの均衡が崩れかねない。
何でも程々が一番、丁度良いと思わせてくれた一皿。
◉鰊と茄子 加藤伸也(作助)の黄瀬戸かぶと鉢
超白眉!!!
これは凄い!
鰊は身欠にしんであるが、これ程柔らかく、悪い要素を全て除去して味わいを損なわない身欠にしんのお料理は未だかつて食べたことが無い!
京都で有名ないもぼう平野屋が、乾物の棒鱈の戻しに相当な工夫と創意を凝らしている事を何かの雑誌で目にしたのだが、これはそれを遥かに凌駕した出来栄え。
前回にも戴いた身欠き鰊だが、これ程ほっこり柔らかく、エグ味が取れたふくよかな味わいだったかなと思い起こす。
今回ほどの強い印象が無いからだ。
当方の食べ手としての成長か?味覚の変化か?
それとも店の料理人の精進か?
何れにしても秋の季節で再開して"男子三日会わざれば刮目して見よ!"であればこれ程嬉しい事は無い!
◉梭子魚(かます)の酒焼 魯山人の黄瀬戸皿
何という気高く孤高な勇姿なのだろう。
見た目、調理技術、味付けは実にシンプルで、これぞ和食料理の極み!
質素な風態の梭子魚に無骨で質素な魯山人の黄瀬戸を纏った出で立ち。
直に触れ合った黄瀬戸は胡麻塩の様な模様を呈し、梭子魚の焼かれた銀皮の色合いと釣り合い、調和が見事に取れている。
特に銘は無いとの事なので、当方はこの黄瀬戸を観た瞬間胡麻塩と閃いた事も有り、次回出逢う事があれば『胡麻塩』と勝手に呼ばせて貰おう。
話は逸れたが、見た目はただ焼かれただけの焼魚にしか見えない質素なものだが、そんな単純なものではない。
炭火で焼きながら酒を振り掛け振り掛け、焦げ付かぬ様丁寧かつ慎重に火を入れていく。
調味地は塩分濃度を抑えてシンプルだが、梭子魚の風味とマッチして香り高い味わいに仕立てている。
火入れはややミディアムウェルダンな身の具合ではあったがギリギリの線でジューシーさを保っていた。
◉ほうれん草と舞茸のお浸し 四方鉢 辻かんじ
浸し地の塩梅が最高過ぎるドンピシャな味わい。
酸味があってサッパリしつつも割られている出汁との調合が完璧で、素晴らしい箸休め、口直しとなった。
◉丹波産栗のおこわ
赤出汁は滑子と湯葉
香の物 沢庵、柴漬、奈良漬
栗には身がふっくらとするまで火を入れて、殻から取り出して糯米と共に蒸らす。
糯米に香ばしく仕上がった栗の風味を纏わせて完成。
モチモチとした食感にご機嫌に仕上がった丹波産の栗が絶妙にマッチ。
普段なら見向きもしない栗おこわだが、一流料亭で味わう栗おこわは一味も二味も違う。
◉赤坂塩野 山の幸きんとん
栗をイメージして作られた お菓子とのこと。
大納言小豆に内包している栗と求肥とのコントラストが絶妙で素晴らしい味のハーモニーを奏でる。
◉お薄
◎入江相政(すけまさ) 元侍従長の書
あきばれの (ものを、くずして)
ひさのやすみに (の乃 み美)
いえにおりて
みそらながるる
くもをみて
おり(城里)
2018/11/08 更新
2017/03 訪問
魯山人の心
今回は春の訪れの料理を器と空間、サービスを交えて愉しむべく辻留へ。
今回は器や書画等を含めた総合芸術を理解し、愉しむことが出来る方々を招いての辻留でのお昼。
どのように春のお料理に器という着物を着せて装いを見せてくるのか、それにどう料理が盛り付けられているのか、料理が器に馴染んで調和しているか、食材同士の相性や引き立て方等々を留意して愉しませてもらったが、コースを通して春の息吹を感じさせるウキウキさせてくれるお料理の数々であった。
どれも器の品格に負けていない、器に寄り添う料理で器が更に活き活きと本来の役割を全うしている歓びを客に投げかけているかの如し映りであった。
それは本質的な味を追求し、素材の持ち味を存分に活かした調理技術に、味醂や砂糖は殆ど使われていない甘味で誤魔化しの無いクリアーな調味でこれ程まで輪郭もしっかりとしたお料理は他にはお目にかかれない。
こういう料理と器からの訴えをスルーしちゃわない様に日々美的センスを磨いていきたいものだ。
何よりも育子女将を始めスタッフの方々皆温かみのあるおもてなしで、心和む空間を産出している。
今回は北大路魯山人(以下"魯山人")の作品をはじめ、様々な器や絵画、書を差配頂き、魯山人好きには垂涎モノである。
魯山人は色々な作品に挑戦されており、無骨な作品もあれば優しく繊細なフォルムの作品もあって幅の広い作風である。
器が料理を美しく、美味しそうに魅せ、また料理によって器も映え、料理と馴染んで生き生きとしてくる。
正にお互いを高め合い、昇華していくことこそ懐石、和食の真髄である。
酒は本日寒かったので燗酒で菊正宗の樽詰を頂戴した。
アッサリとした中に旨味があり、樽香が鼻腔と心を擽る(くすぐる)。
【弥生の料理】
【向付】鮃昆布〆
鮃、山芋、アオサ、山葵
加減醤油(醤油 煮切り酒 柑橘)
一皿目から魯山人作の皿で戴いた。
絵瀬戸長皿(北大路魯山人)で、この籠目の絵文様は魯山人が発明した様で、筋を引いたところにテン、テンと碁石を置くが如くの文様。
膝掛けも同じ文様の物で、それと合わせて来たところが心憎い演出だ。
これ、魯山人好きな人には堪らないだろう。
何より本日の料理と器の中で当方的に一番ピタっと合っていた好みの組合せ、語らいであった。
鮃の細造りは立体的な盛付けにおいても芸術的で絵瀬戸の真ん中よりやや前寄りに配置されているところもセンスがある。
料理の盛り付け位置から器の余白を上手く使って器自体の見せ方も心得られており、より素敵に映る様に仕向けているかの如しだ。
籠目文様が鮃の造りと交差し、黒点も不思議と邪魔をしないでアクセントになっているのだ。
これ程までに眼を釘付けにさせる向付はそうそう無い。
鮃への昆布の当て方がややアグレッシブで、細造りをそのまま食べてみると鮃のお味もしっかりとするが昆布の風味も訴え掛ける。
そのままでも美味しいお向なのだが、加減醤油に浸して食べると昆布の風味が潜まり、其々の味わいは収斂して行き、旨味を増していく。
煮切った酒が醤油の角を取って極少量の柑橘(酢橘?)で味を引き締めている。
些かの甘味を感じ、煮切った味醂も使われているのかと思いきや否とのこと。
アオサも鮮烈で潮の香り豊かで旨味が濃い。
京都の澤井醤油をメインに濃口は多数揃えて使っている。
【椀】伊勢海老真薯
伊勢海老、椎茸、嫁菜、吸い口は木の芽
うすびき椀
先ずは卓越した椀の吸い地に瞠目。玄妙にして深淵。
そして椀種との対比で味わう小宇宙の様な世界観。
利尻昆布に鰹の本枯節の旨味がフォンと乗ったモノだが、昆布や節のエグ味無く、塩分は必要最小限と余計な物は削ぎ落とされて出汁の本質だけを味わうイメージ。
一言で言えば枯れた味で、"淡"。
椀種の伊勢海老真薯からは甘味が絶えず、甘味を引き立てる塩加減は吸い地と比べると少々強目の"濃"。
伊勢海老は完全に擂り鉢で当てた擂り身に、ブリっとした粗目に叩いた活の身を合わせてありコントラストを愉しむ。
擂り身の食感はフワフワでもあり、軽くムッチリとした海老の歯応えと弾力ある粗目の身も愉しめる面白い感覚。
嫁菜の葉の上の極々僅かな産毛が春の息吹を感じさせてくれる。
木の芽は香りは椀蓋を開けた瞬間は立ち込めるのだが、味わいうと柔らかい苦味は伊勢海老の香りを邪魔せず旨味を引き上げる。
【焚合(煮合せ)】福岡合馬産筍、鯛の子、蕗、木の芽
古伊万里大聖寺焼(奇玉宝鼎之珍作) 獲麟
100年前の作品とのこと。
当方はこういう焚合や煮物を日本酒でキュッとやりたかったんだ。
本来なら京都の筍での提供時期だが、筍がまだ辻留で出せる状態ではないと山林の管理人から連絡があり、本日は福岡は合馬の筍となったとのこと。
当方も今年は年明けからすぐに鹿児島は蒲生の筍から毎月戴いてきて香りや旨味の成熟度を愉しんでいる。
香りも強くなり筍らしい旨味が出てきており、歯触りもサックリと成熟し出した繊維質であった。
煮汁はあっさりとしつつも野菜と鯛の子を美味しく繋ぎ合わせる鎹(かすがい)。
ホンの少しの生姜の絞り汁がアクセントであるが邪魔をしない利かせ方が巧みだ。
合わせの鯛の子の出汁の含ませ方が超絶的で鯛の子の風味が素晴らしく引き立っている。
蕗も素晴らしい煮上げ。
【焼物】若狭グジの幽庵焼
シックな色合いの魯山人の器がグジをドレスアップさせている。
火入れが絶妙でシットリフワフワな身の瑞々しさが堪らない。
炭は京都の初代から付き合いのある炭屋から仕入れた物を使っているとのこと。
醤油ベースの焼き地の濃過ぎない、砂糖や味醂は使ってい無い香ばしい焼き上がりも見事でグジの旨味が引き立っていた。
ちなみにグジの鱗は焼物の場合は口に障り調和のバランスを崩すため取り除かれている。揚物の際には鱗も提供することもあるそうだ。
【揚物】白魚霰揚げ 蕗の薹
これも魯山人の器で安定感の無い無骨な趣きだが何とも言えない味がある。
これにピンと張った揚がり方の白魚を立てて盛付けられているのを観ると不思議と落ち着いた様相となるのだ。
微細な霰が白魚をコーティングし、カリっと香ばしい揚げ上がりは白魚の甘味が際立つ。
蕗の薹も良き苦味で油が苦味を良き方向へ導く。
【進肴】浜防風と笹身の胡麻和え
福森雅武作の伊賀焼の丸皿は、皿の色が赤茶と言うよりやや桜色掛かっており温かみのある様相で浜防風の緑が一際映える。
浜防風の仄かな苦味と鶏笹身の旨味を胡麻の浸し地の取持ちで口直し程度に思っていた料理が見事な逸品に昇華。
【食事】弥生御飯 香の物
鯛のそぼろ、車海老の朧(田麩)、錦糸玉子、椎茸旨煮、木の芽。
お出汁の加減も良くサラサラと淀みなく胃の腑へ入っていく。
出汁は薄口醤油と塩のみで調味されている様に思われ、御飯の旨味を存分に引き出しており箸が止まらない。
御飯の炊き加減も絶妙で、汁を掛けてもベチャっとならない粒の張りが保たれた塩梅な点は当方好み。
当方は京都の割烹や料亭でも和食をこよなく愛し、戴いてきているが関東と比べると総じて柔らか目。
京都が源流の辻留も同じ感じかと思いきや、上手くお江戸ナイズされていて結構結構!
【菓子】赤坂塩野 春の野邊(のべ)
程良き甘さにほんの少しの塩気がベストマッチ
【茶】お薄
辻義一主人作の椀
茶碗は現主人の義一氏や祖父の嘉一氏が自ら焼いた作品でも供される。
1人のみ小林東五の作品。
お茶菓子が食べ終わるタイミングで提供されるお薄は、女将さん曰くシンプルに味わって貰いたいとのこと。
菓子と交互に戴くのは通常流儀に反するのだ。
理由は最後に述べる。
抹茶と湯が円やかに攪拌されており、鮮やかな緑色に薄らと泡立つ風態。
これは裏千家の流儀で最後に泡立てて仕上げるのだそうだ。
表千家と武者小路千家は泡立て無い仕様。
当方は泡立てタイプの方が好みでカプチーノ仕立ての様で苦味が和らいで円味が出て旨味を感じやすくさせているので飲み易い。
今までは無頓着に茶を戴いてきたが、ちょっとした流派の違いなどを感じながら戴くのも面白い。
殊の外お薄が美味しく自然に流れる水の如しで喉から胃の腑へ馴染んでいく。
正にこの茶の一杯をどうやって美味しく召し上がっていただくかによる懐石料理の組み立てなのだなと熟く思う。
極言すると懐石料理とは、茶へ到達するまでのプロローグであり、茶はエピローグなのだ。
なので〆の茶が格好だけ真似ている(そんな店が多い)だけであったり、イマイチだったり不味かったりするのは論外なのだ。
そして強過ぎる一皿、一品も懐石料理としては的を外しており論外なのだ。
(例えば向付の巨大シビの大トロや強肴の牛肉等の脂っこい物、味の濃い物等)。
出しゃばり過ぎず、抑えどころは抑えて抑揚を利かせ客を愉しませつつ、エピローグまでに胃の腑が茶を受け容れられる程良き状態になる様に仕向けていくことが主人の務めであろうと思わせてくれた仕立てであった。
他にも小林東五との関係や、そこから生まれた酒→鄙願の事(鄙願の字は小林東五の揮毫)、魯山人の処での主人の修行のお話など拝聴し、楽しい時間はあっという間に経過した。
ちなみに義一氏は魯山人の処に10代後半から魯山人の賄処で三食作るための修行に出られている。
料理はお買い物から始まっていると魯山人から厳しく教えられたという。
次回は初夏の鱧を戴きに再訪したい。
仕入れは京都からの物と築地の物とのダブルスタンダード。
松茸の時もそうであったが、鱧も仕入時期が現地(京都が主)とのやり取りで決定するため相場とは違う時期の入荷になるためお問い合わせくださいと。
勿論美味しい物を食べる為の労力は惜しみませんよ~。
最後に一つ面白いエピソードを紹介したい。
部屋に飾られていた赤絵の鉢の話だ。
あの傲岸不遜を絵に描いたような御仁であった魯山人も、実は謙虚な面を持ち合わせ、己を省みる人物であったことが観て取れるのだ。
『赤絵の鉢の絵』
絵、書とも北大路魯山人
赤絵の鉢(明代呉須赤絵)の写しが上手くいかない、本物には勝てないと言った珍しく弱気になっている添え書きが記されているそうだ。
「この鉢の 赤と墨線の流れ 稍々(やや)わが意を得たり
形は柔らかみ乏しく まねても~~駄目也」
「魯 十六年十一月十八日朝」
【花器】備前花器 北大路魯山人
【3月の花】
・椿
・木五倍子(きぶし)
2017/04/14 更新
2016/09 訪問
美的センスを総動員して辻留の総合芸術を味わい尽くせ!
301レビュー目は気持ちも新たにこちらの店を愉しんだ記録を紹介したい。前提として今回は先入観を排除したいため他人のレビューは一切見ずに固定概念を取り外し、店の位置だけの情報を得て確認した。
長年の宿題店であった辻留へようやく赴くことになった。来ようと思えば20年前でもいつでも来れたのだが、己の力量も測れない時分に来るべき場所でも無いと悟っていた。そんな軽々しい存念で此方へ来たくなかったからだ。ここは飲食以外も含めて自分が今まで培って来た様々な感性を総合的多角的に試される聖域である。清濁併せて様々な経験をして己を高めてきた頃合いとして今ならこの巨大な存在であった辻留でも心から愉しめる気がしたこと、タイミング良く平日のお昼に単身で予約が取れたこともあり縁を感じながら有難く満を持しての初訪と相成った。
店の由来は老舗弁当の回で語っているため割愛する。本来であれば険しい北アルプス北部は劒岳及び剣沢雪渓のトレイルを楽しみ秘境池の平から秘湯仙人温泉で疲れを癒し、山の中の不自由な環境に身を置いて身体を鍛え清め、心から感謝の念を以ってからこちらのお料理を戴く予定だった。しかし天候不良で登山を中止し急遽京都で行きつけの割烹店で鱈腹美味い物を食べてしまったことから食べ比べの形になってしまった。
こちら赤坂店はビル(虎屋の工場)の地下に有るが、階段を降りて行くに従い、徐々に世界観が変わって行く。蹲踞(つくばい)と灯籠(とうろう)が見えたらエントランスから玄関となる。ここからも裏千家との繋がり、茶の湯との深き縁を感じ得る。4部屋ある中で襖戸の6畳の掘り炬燵の部屋に案内された。こちらはお一人様でも快く予約を受けて頂ける懐の深さを感じ得た。お茶室のような空間で照明は落とし目である。引き戸に向かって右手に女性的で優しい筆跡の奥村土牛の書、左手の軸は柔らかなタッチの福田平八郎の絵が飾られていた。福田氏の絵が正に茶室の物なので調和が取れた構成になっている。柾目の杉材の柱、聚楽の京壁、入口とは別に茶室扉の障子戸が仕立ててあり趣のある造り。生け花については後述したい。花器、水差しは無名だがしっとりとした味のある作品。煎茶を戴きながら、この空間に居るだけでも癒される。女将さん次女さんはじめ、店のスタッフの応対も付かず離れずだが丁寧で心温まる接客も見逃せない。
日本酒の冷で鄙願(新潟)を頂戴しつつ、以下の通り長月も終盤の料理を愉しんだ。
【向付】真鯛
菊菜、茗荷、寿海苔、浜防風、山葵
何の衒いも無いただの真鯛の刺身だが、この時期にしては旨味に伸びのある力強い味わい。身質や風味、皮目の色合いから推測するに淡路や鳴門等の西では無く、駿河湾や相模湾、房総等の東の物と思われる。削ぎ切りされた刺身の切り付けも冴えており断面が滑らかで舌触りが良い。寝かせも精々朝締めか1日位のフレッシュな物と思われモチっとした弾力が心地良い。合わせる醤油は生醤油で鯛の美味さをダイレクトに味わえる。旨味成分が強いため鄙願のフルーティだがキリリとした切れのある味わいとも良く合っていた。ちなみに寿海苔とはは水前寺海苔を水で戻して固めたものとのこと。
【椀代り】松茸と鱧の土瓶蒸し
恍惚とし、悦に入るというのは正にこの事か!?
これが辻留のお出汁を味わっての率直な感想である。身体中に染み渡る美味と言おうか、些か緊張気味だったのがこの出汁を戴いたとたんみるみる副交感神経の方が前面に出だし、具も汁も戴き終えた頃には光悦感溢れて惚けてしまうこの感覚は。また、松茸は本日から登場したという初物(何というラッキーなw)。当方のコースのチョイスの割には松茸の量が多目に入っていて、初物ゆえの大盤振る舞いかと思わせる。
出汁は初めは淡味だが滋味で深淵、徐々に松茸と鱧から力を得、旨味が滲み出て後半から終盤で幾重にも折り重なる濃密な味わいに変貌する姿を時間軸で味わえる塩分だけに頼らない秀逸な汁物。店側が表現したい旨味の着地点を何処に定めて味を決めるかが大事な要素で、そこを食べ手もキチンと観て、味わい、体感して理解出来るかが店との相性を図るバロメーターでもある。当方はかなりこちらの着地点の美味さの持って行き方に感銘を受けた。今回は椀では無いが、これが土瓶蒸しの醍醐味であることを改めて感じた次第だ。
小さめだが熱を加えてもピンと張りのある適度な弾力と歯応え。あまりにも松茸の高貴な薫りと鮮烈さ、グアニル酸の王者の風格を纏った旨味に溢れた味わいが気になり女将さんにどこの国産かをお聴きしたところ、京都丹波の物とのことで、これだけは長年決まっている所からこの時期に拘って入れておりますと。祇園の端々で松茸の時期について遅いことを聴いていたが、辻留では例年この時期に松茸料理のため特に遅いという感は無いとのこと。確かに坂川さんが仰っていた通り、国産松茸の中でも別格でレベルが違うという言も素直に頷けた。当方は丹波産は初めてで大変貴重な体験をさせて戴いた。
京都の阪川で戴けなかった鱧松鍋の仇はお江戸の辻留で討たせていただいて感無量だ。
【進肴】無花果の焼物 黒胡麻と桜味噌掛け
炭火で丁寧に火入れされた無花果はジューシーで甘味が最高潮。箸を入れるとトロリとした甘味汁がゆるりと流れ出てくる。枡井ドーフィンと推察するが、大きく膨よかで丸々と張りのある無花果から自分自身が持てる全ての甘味が引き出されている。砂糖など無い時代に果物は唯一の甘味を楽しむ食べ物であり、菓子の原点でもある。そこに調味した味噌ダレと合わせて甘塩合間見えて、単体では感じ得ない無花果の奥深さを、自分自身でも気付いていない個性を引き出している。
ちなみに桜味噌は馬肉をいただく時に使われる調味味噌だそう。鯉の青磁の皿も風格有り。
【焚合】鰊と茄子 おろし生姜
身欠き鰊の戻し→灰汁、癖抜き→味付けが見事!ふっくら柔らかく戻され、あっさりとした煮汁で煮含められた身は脂の旨味がジュワッと出て来、鰊独特の香ばしさも併せ持つ。茄子は香ばしく炭火で炙られた風味が漂い食欲を増す。茄子からの旨味成分が堪らナス♡茄子好きのナスラーには堪えられないマストアイテムではなかろうか。鰊とのマリアージュも完璧だ。煮汁は出汁、醤油、酒、味醂等々かなりシンプルな仕立で薄味ではあるが、素材の旨味を引き上げるのに丁度良き塩梅。生姜も不要な程完成度が高い。盛り付けの永楽鉢皿も味わいをグッと深めるギア(装置)である。
ただ、身欠き鰊という物は鰊独特の強い風味が有り、野菜は焼き茄子だったこともあり、精緻で玄妙な根菜の煮物の粋技を味わいたかった気持ちも正直隠しきれない。次回以降の楽しみとして宿題としよう。
【焼物】甘鯛 振り柚子皮
やや塩分が強目だが許容範囲か。盛り付けは甘鯛の焼物に振り青柚子が少々散らされているだけの大変シンプルでお飾り的な要素は皆無。ふっくらと火入れされた焼き上がりは見事。ジューシーさが半端なく、口に入れた瞬間閉じ込められた旨味が溢れ出す。下手な店は下卑た炭薫を纏わすが、こちらはサラリとした軽いタッチでの薫香で良い炭の風味が加味されている。ほんの少々の青柚子の香りが脂の乗った甘鯛の味を引き締める。器の魚は神格化された鯉か?
【酢物】北寄貝と菊菜 胡麻 酢橘
本日一番瞠目し、強く印象に残った逸品。こんなに美味い酢物は食べた事が無い、生涯一と言っても過言では無い程感銘を受けた美味さ。片口の器で供された。誰の作かは不明だが何かこう温かみの有る土の色合いと柔らかな肌触りがこの酢物の緑とほんのり赤紫の袖を見せる淡い色の北寄貝と妙にマッチしており魅入ってしまう。
酸味は酢橘がベースだと思うが旨味がやや強目の出汁との合わせ加減の土佐酢が計り知れない美味さで、胡麻か菱の実の擦ったものかと思った物は芥子の実(あんぱんの上に塗してあるやつ)で、芥子のコクが融合し酢味を円やかにして調和をはかり、口当りを柔らかくしている。北寄は軽く湯通しされており甘味と歯応えを引き出し、菊菜のソフトな苦味の効いたテイストと合わさり爽やかさの中に奥深い複合された旨味の結合の極みである。これだけ戴けただけでもこちらに来た甲斐が十二分にあったと思わせてくれる逸品だった。
【食事】松茸御飯、留椀に蓬麩と滑子の赤出汁、香の物(沢庵、奈良漬、柴漬)
松茸の香りがを邪魔しない淡味な味付。
具材は松茸のみで、同じ丹波産。松茸からは強い個性が引き立ち、食べる者を魅了する。米の硬さや弾力も最後の食事というシチュエーションでは的確な炊き上がりと言えよう。
留椀の赤出汁は八丁味噌と出汁の調和具合は好みの味わい。生麩は蓬麩で八丁味噌のコクのある味わいに負けない香り良きモチモチとした食感。滑子は出しゃばらず小振りサイズ。
香の物の沢庵はこの日一番の塩っぱさで唯一眉を顰(ひそ)めたが、古来本来の漬物の風味は存分に出ている。塩分濃度だけはこの日唯一いただけなかった。奈良漬は普通だが、柴漬は漬け具合からやや酸味強目の当方大好きな味。
【菓子】赤坂塩野の栗きんとん
これも京都の仇を江戸で討つだ。
しょうげつで食べられなかった栗きんとんをこちらで戴いたとはなんたる縁だ。
【茶】
お薄の香り高い抹茶の旨味といったら何と言って良いのか言葉にならなかった。
抹茶の含有量から言ったらネットリとしたお濃とまでは行かないがシャバシャバでも無く、お薄とお濃のややお薄寄りと言った具合か。
京都でも飲食後に茶を点ててもらうことしばしば有るが、器から抹茶の芳醇な香り、提供される温度といい、抹茶の含有量の適量といい、円やかな点て具合といい、本日のお薄はトップクラスだ。点てた茶を美味しく飲める様なコースの組み立て、内容だったのだなと熟思う。それは創業以来裏千家より手ほどきを受け、お茶事をお預かりしている事により食の最後のお薄を美味しく飲んで頂くことに粉骨砕身していると。
お茶事の席でお茶を美味しく飲んで頂くためのプロローグとして茶懐石が誕生したが、それは空腹のまま茶を召し上がるには茶の刺激が強過ぎ、茶を美味しく受け入れるためのお腹の調子が整っていないため、空腹時お腹を温める→石を懐(だ)くが如しで、亭主の心ばかりの馳走を少し摘むところから懐石料理としての本分がある。そんな基本的なことが頭を過ぎった。女将さんも当方の思っていたことを仰っられており、外した考えでは無くて良かったと少々安堵した。
◎祇園辻利の冷緑茶(お味見)
水は茨城から自然水を取り寄せており、椀と茶では必須アイテムとのこと。また、今年の夏は例年以上に暑かったので例緑茶を仕立ててみたとのことで、先程水出しの技法で淹れたものが完成したので如何ですかと女将さんに仰って頂いたのでご相伴に預かることに。
祇園辻利と以前より馴染みがあるとのことで、冷茶様に仕入れた物を戴いた。茨城の水で抽出された緑茶成分からは華やかな香りと味の膨らみがあり、温茶ではわからない別の側面からの旨味成分が感じ取れた。茨城の自然水の力が緑茶成分を引き出し、円やかで滑らかな粘りのある舌触り。喉を通る清廉な旨味に快感を覚える。やはり美味さの根源は水に有りと強く感じ得た。何故東京の日本料理より京都の料理屋が美味く感じるか、特に椀物の切れと円やかな舌触りの違いは間違いなく水である。水の力は偉大で通常の浄水器やアルカリイオン整水器では引き出し切れない奥底の個性→旨味を湧き水はいとも容易く引き上げてくれるのだ。女将さんも水の力を強く認識されており、京都の飲食店は羨ましいと(笑)。
蕎麦屋やラーメン屋でも水にこだわり引っ越してしまった店、良き水が手に入る場所で開業する店がある位だから。
長くなったが、こちらの店は自分が今まで食べて来た経験、知見、美的センスを総動員して飲食だけでなく日本の伝統美、美術的観点として部屋の設え、飾られている絵画や書、花器等の調度品、女将さんをはじめとする店側の立居振舞、着物の着こなし、サービス等々全てを味わえないと、ただ単に食事にだけに評価がクローズアップされ、高いだけの食事となってしまうだろう。食材がピンで無いとか材料ばかりに拘泥したりと飲食だけで無く、総合芸術として店の全てを味わい尽くせるだけの境地に辿り着いた方なら価値を理解し、心の底から辻留という店を愉しむことが出来るであろう。
ただ、おしぼりは初手と途中で代えて頂いたが、食事後の最後も代えて頂ければ申し分無かった。
ちなみに生け花であるが次女さんが営業直前に生けたものとの由。
【花器】無名だがシックで落ち着く色合いとスリムな出で立ち。
【花】
・吾木香(ワレモコウ)
・角虎ノ尾
・竜胆(青い空)
・水引草
こちらに寄せて戴いた総合的な感想として、まだまだ当方は修行不足な面を感じること有り。部屋の設えや書画、調度品、生け花等から店側からのメッセージ、おもてなしの心を頓珍漢に外さぬ様に感じ得るだけの力量と美的センス、鋭敏な感受性をまだまだ育んで行かねばならぬと強く思った次第である。
次回は椀と根菜の煮物を楽しみに冬に再訪したい。
2016/10/10 更新
酷暑も盛りな真夏の炎天下、涼を求めて辻留へ。
先月に引き続き、盛夏の料理を愉しんだ。
【令和元年葉月の献立(昼)】
【日本酒】
◎呑み足りて味を知る 純米 (伏見松本酒造)
【向付】
◉鱧、福子
先ずは福子からそのまま戴いてみる。
ジンワリとイノシン酸の優しい旨味が舌を包み込んでいく。
鱧落としも先ずはそのまま。
先月より鱧の旨味が増して来ている。
次に梅肉入りの割醤油に付けて戴くと、これまたビックリ!
鱧の香りが一段と際立ち、身の風味とほんのりと乗った脂がそのままよりも舌が感じ取り易くなって、美味しさが増していく。
福子にもチョット付けて戴いてみたところ、これも凄く美味い!
鱸の強い癖のある臭いは無く、清らかな棲家で生育していたのがよくわかる味わいを魅せてくれる。
産地は聞かずとも、淡水に近い綺麗な水域で生息していたものであることが、食べてみてよーく分かる。
また莫大(ばくだい)自体に強い風味や味わいは無く、どちらかと言えば無味無臭なのだが、鱧、福子に莫大を添えで戴いてみると、こちらの割醤油と魚との間の鎹(かすがい)としての役割を見出した。
醤油が莫大に馴染んで魚に優しくアタックしてくる。
それも魚の身に醤油を付けても莫大が上手く塩味を和らげて美味しさだけを舌に届けてくれるかの様。
山葵の質もかなり上質なものを使用されているものと見受けられ、ネットリとして辛味成分だけで無く旨味成分も豊富で魚達の旨味を引き出して素材の本質的な面を魅せてくれるマストアイテムだ。
【椀】
◉鰻と素麺 椎茸 青柚子
茹だる酷暑の中、こういった一品は口に入れやすくとても馴染んでくる。
素麺自体大変吟味されたものであり、あっさりとしつつも麺からの小麦の香りも嫋(たお)やかに愉しめる。
そこに炭火で焼かれた鰻の濃厚だがキレの有る味わいを合わせて濃淡を演出している。
厚みのある椎茸(どんこ?)も香り高い仕上がり。
吸い地は変幻自在に椀種の個性に合わせて来ており、それぞれの素材が個々に自分だけの事を考えて己を強く主張するのでは無く、自分の担う役割=良い面を引き出された中で、他の素材との組合せを繋ぎわせる鎹(かすがい)となっている。
鮮烈で清涼な妻の青柚子がベストマッチで暑さで参っている身体へ爽やかに入り食欲を唆る。
【凌ぎ】
◉鱧の子 塩辛仕立て
鱧の子はたいたんでは戴いたことがあるが、塩辛仕立は初めて。
今まで戴いてきた辻留のお料理の中では一番塩分の強い肴だが、過ぎた塩分では無いところは流石。
鱧の子の皮は柔らかくしっとりとしており、塩漬によって引き出される子の旨味がキッチリと輪郭を表しており、コクのある美味しい佳肴へと変貌を遂げる。
煮物より卵本来の風味が立ち、円やかな旨味がジンワリとだが舌を席捲していく。
これにやや辛の日本酒と合わせると得も云われぬ美味さ。
【炊合せ】
◉鯒、小芋、南京、おくら
これこれ!
こういう煮物が食べたかったのだ。
小芋とオクラは力強く当方に訴え掛けて来て及第点だが、この日の南京(=南瓜)はやや水っぽくほっくりとした身の締まり、詰りが弱く素材の土うまさが薄かったのは残念だ。
当方は南瓜生産量日本第2位と言われている名寄の南瓜を一時期旬の美味しい季節にしこたま名寄産の南瓜を食べて良い悪いは教えて貰っているので申し訳無いが厳しい評点となってしまう。
野菜に纏わせている煮汁の調味加減は大変素晴らしく、野菜の風味を存分に引き出している。
5月に旅してきた信州上田は塩田平の精進料理の煮物よりは輪郭を出して来ており、ここら辺が和食というカテゴリーの中でも僧侶が摂取する事を念頭に置いて一般客にも提供されている精進料理と、茶の湯の前に空腹のまま胃に強い茶のカテキンを入れぬ様少し胃にたまるものを入れて腹具合を整えていく事を主眼として発した懐石料理との違いを感じた。
簡単に言えばグルタミン酸だけ(昆布や干椎茸等の野菜=精進料理)で無くイノシン酸の旨味(鰹節や鮪節)と仲良く調和させ発展させた美味さと言おうか。
話が脱線したが、その禅寺で戴いた南瓜の煮物の南瓜の甘味と身の詰まり具合が素晴らしかったので、こちらの南瓜を戴いていて自然と頭に浮かんで来てしまったのだった。
鯒の仕事が凄く気になり一口。
シャクっとした繊維質を愉しみ、ふっくらとした煮上がりに鯒本来の旨味が溢れててくる。
仄かな生姜の絞り汁の風味が京都の味を彷彿とさせる。
【焼物】
◉美山産鮎の塩焼
先月と同じ産地の鮎だが、その成長具合や味わいの移ろいを愉しんだ。
ちなみに器も先月とは違っており、素材と器の妙も愉しめた。
【酢の物】
◉白瓜雷干し、鮑の酢の物、
魯山人の器 備前
やはり辻留の酢の物の調味は超絶的である事を今回改めて舌で確認させてもらった。
柑橘の酸味と少し千鳥酢であろうか。
そこに出汁を割っており、その割加減、匙加減が絶妙過ぎて凄い!
味醂も少し入って三杯酢なのかなぁ。酸味の角や棘を巧みに除去して大変円やか、しかししっかりと美味しい酸味も味合わせてくれる正に秀逸な一品。
また盛り付けが素晴らしい!
白瓜、鮑、紅蓼を和えて堆く盛られている。
散らしているのは寿海苔(水前寺海苔)を細切りにして散らしているのかな。
しかもただ無造作に堆く盛られているだけではなく、白瓜と鮑が適度な間隔で交差して盛り込まれており盛り付けの偏りが無い。
先ずは一品一品味わうのも良し、次に白瓜と鮑を一緒に摘んで戴いてみるも良し。
そう、客としての食べ手に如何様にも食べ易く盛られている事を見逃してはならない。
雷干しにされた瓜は適度に脱水されており、加減良く塩分も入って適度な歯応えもあり、瓜の風味が引き立つ。
瓜の芯をくり抜いて螺旋状に切っていくのが雷干しのネーミングの由来で、連なる太鼓が雷神を彷彿とさせるからだと。
その後立塩の調味液に浸けてしんなりとして来たら日陰で陰干しするのだという。
鮑はムッチリと蒸し上げられており、馥郁たる磯の香りも運んでくる。
盛夏に差し掛かる磯の物と山の物の出逢いの一品は自然界だけの力では味わえない、人間の手による奇跡と言えよう。
そういった山海のメンバーが魯山人の素朴な備前焼の中に集い、調味地の装いで単体での活躍では無くメンバー全員が揃って更に素晴らしい味わいの世界が広がっていく。
そう、添え物の代表格の紅蓼は仄かな苦味が酢の物の酸とコクにアクセントと爽やかさを与えてくれており、細切りされた寿海苔は軽やかな磯の風味を与えてくれる。
この添え物同士でも山海の棲み分けで、自然界だけでは成し得ない、人の手による奇跡のコラボなのである。
【食事】
◉鰻飯、生麩の赤出汁、香の物
香の物は覚弥、奈良漬、葉唐辛子で魯山人(備前?)の器に供されて来た。
ひつまぶしとはひと味違った鰻のご飯。
これもまた美味しい。
【菓子】
◉水羊羹
◉薄茶
◎軸(絵画)
『水鳥と蓮』 棟方志功(直筆)
これには超力、魅入ってしまった!
この絵の由来として女将に伺ったところ、先代の嘉一氏の時の料理本の挿画、装画を棟方志功氏が描いてくださった時のご縁ですとのこと。
蓮の葉と花の舞台なので盛夏の折としてはこの絵の季節としては終盤なのだろうが、当方鶴岡八幡宮で丁度この8月上旬ではまだ蓮の花が綺麗に咲いていたので軸の掲出時期として理に適っていると観る。
力強い筆跡としなやかなラインを魅せてくれ、蓮の葉の配置、蓮の花をちらっと一輪だけ見せる憎い演出。
水鳥の静かなる佇まいと静から動へと移る一瞬を見事に捉えた真に心和むここ辻留でしか見れない直筆の絵画だ。
◎生け花
竜胆
石芋(いしいも)⇒キクイモモドキ(菊芋擬き)