八丁畷駅から北東に約200mの川崎警察の裏手には、痛ましい火災で世間の耳目を集めた簡易宿泊施設(吉田屋、よしの)があった。報道での印象から、界隈に簡易宿泊施設が集積していると思い込んでいたが、実際には、周囲は築年数の浅いマンションが立ち並んでいて、簡易宿泊施設はこの2棟のみ。少し離れた京急とJRの間に簡易宿泊施設の集積地があるよう。5月24日時点では、黄色のテープが張られ、現場の前は通行止め。隣の駐車場の車は延焼で焼け焦げ、フロントガラスが割れていた。30日になると現場保存はもはや必要ないとの判断からか、既に封鎖はとかれ、敷地内には重機が入り、撤去作業が開始されていた。
・界隈の災害時の避難場所は川崎小学校。1985年8月12日に御巣鷹山で事故に遭われた歌手の坂本九氏は1954年3月の卒業生。
・1694年松尾芭蕉は江戸から故郷伊賀上野へ向かう旅に出る。芭蕉は見送りに来た弟子たちとの名残を惜しみ、この界隈で「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」と詠んだとの逸話があるそう。その句にちなみ、界隈は「麦の郷」と自称されている。