この口コミは、帰国放送作家さんが訪問した当時の主観的なご意見・ご感想です。
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夜の点数:5.0
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料理・味 5.0
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|サービス 5.0
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|雰囲気 4.5
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|CP 4.0
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|酒・ドリンク -
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昼の点数:5.0
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~¥999 / 1人
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料理・味 5.0
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|サービス 5.0
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正しいコーヒーには、「棄てる覚悟」が必要??
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旨いコーヒーを出しているからこそ、自慢のクリームを活かす
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2016/03/13 更新
今朝のニュースで、昭和のメディア喜劇界を下から支えた放送作家の「はかま満緒」さんが亡くなられた。78歳。
氏ご自身も、画面へと登場することがあったが、やはり縁の下の力持ちへと戻り、近年はもっぱらNHK-FMの長寿番組、『日曜喫茶室』という40年も続いたお部屋で、毎週のゲストを迎え、お喋りと最近は聞かなくなった東西の名曲を流してゆったりとくつろぐ時間を提供してくださった。
その番組のオープニングは、カランコロンと、ドアベルの音がしてまるでその喫茶店に誰かがひょっこり入ってきた…という擬音的シチュエイションをこちらの耳に与えてから、
『いらっしゃいませ』とはかまさんのマスターらしき歓迎の声が出迎えてその回が始まるって寸法だった。
40年間も続いたのか…と、NHKのアナウンサーが原稿読みする声を聴き、
ひょっとして、その『架空喫茶店』(のモデル)を知っているのは、小生だけなのかもしれないと、ちょっと胸が詰まる思いがした。
バッハがもっと涙橋交差点寄りに建っていた頃から、何度も先生をこの店でお見かけしたが、いつも若い方を相手に机の上に置いた紙を指してあれこれと語りながら、茶色の液体をすすり、その指からタバコが消えたことがなかった。
先生が浅草の芸人たちを放送界へと送る架け橋役をつとめて、その出世頭は萩本欣一さんだけれども、東京ぼん太、Wけんじ、てんぷくトリオにナンセンストリオなどから、「デン助劇団」員らまで『再就職』よろしく、さびれゆく浅草から幾人も救い出して陽の目を当てる努力をしてくださった方であった。
いま考えると、現実世界の喫茶店の雄=バッハで先生はあくまでこの空間をイメージしながら、番組にやってくるゲストの立て方、その方のマスターピースとなる話の持って行き方などを、番組のDと話していたのだろう。
ちょうどその頃だったか、この泪橋一帯の労働者をカモにしてシノギを稼ぐ暴力団K一家。そして底辺労働者からの支持を得てこそ革命が語れるとする過激派の一部とが、バッハに面したこの通りで押したり引いたりの投石合戦やら、喫茶店内から相手側メンバーを拉致してリンチするなど血を血で洗う抗争が何年も続いていた。
最後は、後者のリーダー格2名が惨殺されるなどして沈静化したのだが、驚いたことがあった。
それはそうした修羅場のど真ん中(むしろ特等席)の立地にあったわがバッハだったが、それら両派の連中が偶然、この店に入ってきたらどうも一時休戦のモードに入るらしく、仮に居合わせたとしても早めにコーヒーを頂戴して、どちらかが席を立って行き、一度もここを抗争の舞台に巻き込んだことがなかったことだった。
『お酒を呑んだ方お断り』
本物のマスターである田口さんご夫妻、この地を選んだモットーがそのまま今も入り口に貼られ、酔っ払いを門前で払う。
『お酒が呑めない。でも仕事で疲れた人に美味しいコーヒーでも飲んでもらいたい。だから私はこの山谷を選んだんです。』
前身がボイラー技師だった田口さんは、開店当時、『場違いな店ですね』失礼な物言いをした小生に氏はそう語っていた。
この街の本来の主役であるプロレタリアートへの共感、こうした田口さんの揺るがぬ姿勢に、殺し合いをしていた彼らも一目置かざるを得なかったのだろう。
(6年前の書込みに帰る)
大げさなようだが、こちらの珈琲に出会って約35年。
それまでの珈琲という悪妻と別れ、こんなにつつましく、かつ華やかで可憐な自家焙煎コーヒーという人生のパートナーを知ることができ、私の人生は幸せだ。
たまたま入った珈琲屋が、そのじつ全国の喫茶店に『珈琲かくあるべき』を伝道する総本山だったとは…。
偶然こちらの店の前に私の乗った観光バスが信号待ちで停まった。
店とバス、一段高い位置からこの店内を俯瞰するように奥まで偶然眺められた。
隔てた二枚のガラスの向こう側の世界で展開している、無音の店内で働く者たちが、バカにテキパキと背筋が伸び、なのにニコやかな笑顔を振りまいて歩き回っている。
労務者があちこちにたむろし、いい意味で見慣れない光景だったので、後日あらためて店に行った。
無理もない、近隣は酒臭く歩道でも立小便はおろか、そのまま酔っ払いが横になって寝てしまい、『路上での寝込みはやめよう』との交通標語が立つような、あの山谷地区のど真ん中だったからだ。
わざわざこのような土地で、不退転の志を立てた田口オーナー夫妻。
『酒を呑めない労働者にこそ旨いコーヒーを』がモットーだった。
そんな彼らをこそ、仲間ではないかという世界観を地で行く人が夫妻であって、世界のどのような人に飲ませても旨いと言わせる志こそ『バッハのコーヒー』という名だった。
大吟醸という酒は、米粒の半分以上、時には6割削って「残った4割の『芯だけ』」で、濁りのない酒の抽出を夢見た結果のしずくだった。
輸入される珈琲の生豆を見て、100キロあればそれをそのまま100キロ、焙煎してそこから抽出される珈琲はこれで良いのか?
もっと美味しくなるはずではないか、そう田口さんに疑問符が浮かんだ。
たしかにナマの豆(生豆)を袋から出すと、中にはひしゃげた豆・シロアリの虫が食ったような孔の開いているもの。
さらに、割れて内側がゼロで殻だけのもの。それは凄まじく、私たちのように「優等生しかいないような野菜畑」に慣れ親しんだ日本人にはその現状はあまりに野蛮で刺激的だった。
これを「まともな豆」を焙煎する温度設定をスタンダードにして煎ったらどうなるか。
それらの正常豆はいい、「殻だけ」とか、「穴があき空洞となったもの」…などウゾウムゾウがその温度にさらされたら最後、ただただコゲるだけ。
また、病気や変質・カビ喰いなどとなった豆は、おかしな酸味がひねり出たり、薬草のような苦味などなどそりゃ悲惨なものである。
これを何も考えずについ最近まで、袋を破ったらあとはオートメイションの缶詰め作業までやっつけてしまうのが、大手の飲料メーカーが送り出す缶入りコーヒーの実態であった。
『全体とか見ればそんなもの、たいした量ではないだろう』とタカをくくるのはなんともシアワセな御仁だ。
赤道直下の後進国でほとんど放置のまま、大雑把に作られるコーヒー豆(モカ・マンデリンなどが代表例)などとなると、
『使えるまともな豆は全体の4割にすぎない(バッハの店員)』
つまり後の6割はというと、そうした問題ありのクズ豆で占められる。これが現実だ。
さらにいえば、『6割は捨ててしまうもの』と覚悟して仕入れる。そういうことだ。
ここが大切な行程だ。
この選別は機械では出来ない。『ハンドピック』というこの行程で人件費をがかかり、材料費が大幅にかさむわけだ。
資本主義の象徴である、大手コーヒーチェーンが押しなべて酸っぱく、後味が悪いのはこの『利益の宝庫』を捨てることなく、人手もかけないから巨大資本となって時にはクーデターまで背後で仕掛けてコーヒー豆の独占を計る仕組みなのだ。
私は住んでいたハワイで最近売り出した
『ハワイコナゴールデンプレミアムロースト』という焙煎済みの豆を買って帰国し、封を切って『バッハ流ハンドピック選定』をやってみた。
そうしたら驚くなかれ、25~30%がワケあり豆が占め(笑)、残り七割だけしか戦力にならないという体たらく。
これは『コーヒー業界では、「世界一の人件費」をかけて栽培収穫したコナコーヒー』でコレモン。
あとは推して知るべし・・・ではなかろうか。(どうもその数値は素晴らしく良いほう・・・なのだそうだ。)
目の前の茶褐色の豆を眺めて、「7割が歩留まり」というのにそれに頬かむりして、いっそ100%を客に出してしまえば判りゃあしないのである(たぶん)。
だから、小生が80年代初め、正義を気取る日本一有名なグルメ漫画編集者らに、「バッハの商法」を伝え、取り上げるように願った提案は簡単に却下される。
超大手出版社から発行されたその作品のムック特別版を手に取り、その連載雑誌の裏表紙を見て納得がいった。
いままで縁のなかった日本を代表するコーヒー商社製の缶コーヒーの全面広告が、そこにデンと占めていたのである。
コーヒー以外の食材でも多くのものがこうした「広告主への自主規制」に、当方らは涙を呑んで正論を引っ込めさせられてきた。
バッハは、『正しい珈琲道』に憧れ、将来はバッハ発の豆を扱う喫茶店経営者を目指すためにこちらへワラジを脱ぎ、店員として、滴下の注ぎ手として、経営者としての修行のあとに提携店としてはじめて独立を許される。
話は前後したが、先出の『ハンドピック』とは、生豆をテーブル上で並べては『問題アリ』を目と指で除外する。これが第一段階。
この予選を通過したものに火を加えてゆくうち、中に本性を現す豆が出てくる。
これを冷ましてからまた同じ様に、目の近くにズラリ並べて悪い豆をはじき出す。
これが「決勝」段階。
ここを通過した豆だけがミルで挽かれ、晴れて紙製のフィルター漏斗の内側へと入り、バッハ製のコーヒーとなって白い器に注がれるのである。
除外した3割とか4割というワケあり豆はどうするのか、ブルーマウンテンなんか勿体ないじゃないか、
『どうしてそんなこと訊くの?』と問い返す若き頃の田口さんにカウンター越しに、
『できればウチで呑みたい』といったら
『とんでもない、あんたナニ言ってるの?!』と手を止めて凄い剣幕になった。
そもそも『一度生豆を煎ってしまったら、1週間を超えると酸化が始まる』ので健康な飲料ではなくなるんだと、解説が始まった。
またそうした豆だけで淹れたコーヒーなどひどい酸性のはずで、下痢や吐き気までもよおすと叱られた。
世に言う「コーヒーを飲みすぎると腹をこわす」その原因は(酸性に転じたり、ワケありの)豆の変性によるものであり、
『バッハのものならば腹などこわさない』とまで田口さんが言い切っていたが、自分の場合、確かに本当だった。
ともあれ氏によって、私は多くのコーヒーについての常識が壊され、今では氏の啓蒙活動もあって、私だけでなく珈琲業界全体が方向性を改めていった。
『コーヒー豆も生鮮食品』(として保管収納すべき)といった、バッハの基本的呼びかけが近年主流を占めるようになったなんて、隔世の感がある。
ここのカウンター外で眺めている小生の目の前を、多くのキリッとした男女がテキパキと働き、しばらくの時を経てカウンターの内側に立ち、いつの間にか卒業をしてゆく姿を見送ってきた。
さて(写真の)ケーキだが、夫人の担当である。
コーヒーに凝る以上、そこにたらすクリーム(通称「ミルク」)にもこだわった。
これを利用しない手はないとケーキ作りに、いつも控え目な夫人が乗り出した。
その真骨頂は入手したクリームを活用したホイップクリームと、シュークリームに入れるカスタードであろう。
そしてチーズケーキである。
「逆」だと思われがちだが、極上のクリームの乳脂肪はサッパリしていながら、滑らかに尾を引く性質がある。
『「良いクリームの仕入先」を確保している洋食のシェフに、喰いっパクぐれはない』のが斯界の常識。
夫人が作るシュークリームをテーブルでほおばるヒゲにメガネの男性に憶えがあった。
『ありゃ、大宮さん』
そう、浅草で地元ダンナ衆から人気の名門洋食屋「大宮」のオーナーシェフ(ストーブ料理やダッチオーブン調理では日本随一)が、お独り、テーブルの客の海におられるではないか。
たったいま、ランチタイムを仕舞って自分への「おやつ」に、バッハで供する冬の期間だけのシュークリーム、これが楽しみで浅草から食しにやってきているのだと笑った。
だが考えてみれば、大宮さんの手になるお料理へのクリームの質の高さでは、氏の浅草のお店で私の舌などもうとっくに丸まってしまっているわけだった、まるでブラインドみたいに(笑)。
一説には『シェフというもの、上質なクリームの調達先を確保しておけば喰いっぱぐれはないもの』だそうだ。
だがあのムッシュ大宮をして、思わず脚を運ばせ、舌で転がしたい衝動を抑えられないほどのクリームベースを、バッハは確保しているのかも知れない。
フレンチからイタリアン、氏の手になるディッシュは多くのメディアでも取り上げられ賞揚されている。
そのお方が、バッハの店内でここのクリームベースに舌鼓を打っている。
中身のとろりとしたカスタード。それは「白」ではなく、うっすらとアイボリーの黄身がかかって別の色へと移行しており、そこに黒いケシの種よりも小さな粒が混じって見える。
そう、クリームを練る直前に、バニラビーンを細かくすり潰したうえ混ぜるのだろう。
チーズケーキにしても、そうした”良家の血筋”に変わりはなく、スゥイーツでありながら甘みが勝つことなく、強く主張する部分があるとすれば柑橘系と思われるサッパリした酸味だ。
おそらくケーキ素材のたんぱく質をこうして程よく固化させ、そこへクエン酸をほとばしり出させる手間は、どうもレモンだけではないさそうだ。
噛みしめたあとの余韻の高貴さなど、もはやいうまでもなかろう。
長くなったが、超自然派を人生の基本とした田口さんご夫妻にはいくらでもエピソードはある。
幸い、氏自身が文章家であり、いくつもの本を上梓されており、今や例の商社系コーヒーチェーンでも、氏の著作ムック『珈琲百科』など客が閲覧できるように置いてあり、私もビックリしたものだ。
ともあれ田口さんの『地球の歩き方』によって、産業もなく、野生のような珈琲の木から収入を得た名も知れぬ部落や部族は数え切れない。
何しろ『日本国の旅券よりも、「田口氏のカオ」のほうが最貧国などではハバがきく』と思わず外務官僚が洩らしたことがあると聞いて、その話、痛快でならなかった。
『こうした人にも国民栄誉賞を』といった声が、他の国に先がけて私たちの国内から声を上げてほしいとそう思う。