ジュリアス・スージーさんが投稿したアムダスラビー 西葛西店(東京/西葛西)の口コミ詳細

Eat for health,performance and esthetic

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ジュリアス・スージー (男性・東京都)

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アムダスラビー 西葛西店西葛西/インド料理、インドカレー、ビュッフェ

121

  • 夜の点数:-

    • ¥2,000~¥2,999 / 1人
      • 料理・味 -
      • |サービス -
      • |雰囲気 -
      • |CP -
      • |酒・ドリンク -
  • 昼の点数:-

    • ¥1,000~¥1,999 / 1人
      • 料理・味 3.8
      • |サービス 3.8
      • |雰囲気 3.8
      • |CP 5.0
      • |酒・ドリンク 3.8
121回目

2020/07 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP-
    • | 酒・ドリンク-
    ¥1,000~¥1,999
    / 1人

かつてポンディシェリ生まれで、7つの国で働いてきたシェフが働いていた。

【後註】このレヴューは過去のものであり、
ステファン・ラジはとっくにインドへ帰国しました。
また、現在のアムダスラビーについて
ぼくが語りたいことはなにもない。
しかし、かつてステファン・ラジがいて
すばらしい料理を作っていたことの記録として、
このレヴューを残しておきましょう。



ステファン・ラジ、
現在38歳ながら精悍に痩せていて青年みたいに見える。
かれがポンディシェリ生まれというだけで、耳がピクンと動く人もいるでしょう。
ポンディシェリは南インドタミルナドゥ州の、州都チェンナイから
クルマで3時間の都市であり、そしてこの都市は、
かつてフランスの植民地になっていた過去があります。
しかもその面影はいまもいたるところに残っていて、
たとえば凱旋門があったりもすれば、
フランスふうのカフェもまたあちこちにあって、
美しいビーチもあるしで、どくとくの文化を形成しています。


ステファン・ラジが作る土日ランチブッフェは、
料理ごとの色の振り分けが良く、どの料理も色あざやかで、
香り良く、野菜のカットも、温度の扱いも、煮込み時間も、
すべて的確で、たいへん優美に南インドらしく、
そしてなによりもかれの料理人としての育ちの良さを感じます。


ぼくは英語で訊ねてみた、「ねぇ、ステファン・ラジ、きみさ、もしかして、
どこかでフランス料理を学んだことがあるんじゃないの?」


するとかれは愛嬌たっぷりに笑って英語でこんなことを言った、「よくわかったね。
いやね、おれは15歳でポンディシェリのアンナプルナって店に入ったんだよ。
最初は床掃除。その後ラッサム、サンバル、Idly、ドーサ・・・
南インドのひととおりは覚えた。
ま、おれ、タミル人だからさ、最初からできたんだけどさ。
でも、ま、レストランはスピードが勝負だからね。鍛えられたよ。


次に働いたのが、Daily Bread Bakery and French Food って店でね、
そこでおれ、フレンチもイタリアンも覚えたんだよ。
ポーチド・フィッシュ・ホワイト・ワイン・ソース
チキン・ア・ラ・キング(チキンフリカッセ=鶏肉のクリーム煮)とか、
ラザニアも、カネロニも、ラビオリも、
スパゲッティもパンケーキも作ったよ。」


ぼくは感心した、「な~るほどね、どうりで、
調理のいちいちが綺麗で正確なんだね。
で、次は、どこで働いたの?」


ステファン・ラジは答えた、
「マレーシアのAjibal Ajicarna"って南インドレストラン。
次がパリのカーラクディチェティナドレストラン。
その後が、サウジアラジアのSouth Park。
次が、カタールのDoha South Corner。
それからドバイで働いて、台湾のインディアン・タウンの
India Town Hinchu ってとこで働いて、
それから日本へ来たんだよ。」


ぼくはふたたび感心した。だって、
ステファン・ラジは、母語のタミル語はともかく、
ヒンディもそれほど流暢ではないらしいし、
英語もつたないし、日本語もだめ、
どうやら他の言語もほとんどしゃべれないらしい。
にもかかわらず、このキャリアですよ。
たまにこういう人がいるんですよ、
どんな国へ行ってもなんとかなってしまう人。
ミュージシャンとか料理人に多い。
たいていこういう人は、本業の実力が高く、
しかも、愛嬌たっぷりの笑顔で、すぐにみんなに愛されて、
そしてそれでなんとかなってしまうのだ。
はたから見れば奇跡みたいだけれど、
しかし本人はむかしっからずっとそうなので、
それがあたりまえなのである。


ぼくは言った、「じゃあさ、ステファン・ラジ、
いつか機会があったらさ、
”三色パプリカのテリーヌ、ミントチャトニ添え”とか、
”白身魚のポワレ、緑豆のダルをかけて”とか、
”鴨のタンドリーロースト、オレンジチャトニ添え”とか、
そういうスモールコースを作ってよ。
おもしろそうじゃん!」
ステファン・ラジは言った、「おれはいつだって作れるよ、
オーナーのOKがでればね。」


ステファン・ラジには、まだまだ秘密の扉がいくつもありそうだ。
ぼくはたのしみながら1枚づつ開けてゆきたい。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
http://tabelog.com/rvwr/000436613/

  • ステファン・ラジ

2023/02/16 更新

120回目

2020/06 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP5.0
    • | 酒・ドリンク-
    ¥1,000~¥1,999
    / 1人

無邪気でコドモっぽく正直なタミル人たちの、土着料理の洗練。

【後註】このレヴューはすっかり過去の話になってしまった。
現在のアムダスラビーンについて、
ぼくが語りたいことはなにもない。



すでにムゲーシュ・シェフは去り、
これまで二番手だった笑顔が爽やかな37歳のステファン・ラジがシェフに昇格し、
かつまた在日25年のヴェテラン、
薄毛のマリームトゥ・オイヤンさん(以下ムトゥさん)も厨房に入った。
ステファン・ラジは、ポンディシェリの出身で、
かの地は旧フランス領だった土地で、どくとくの料理文化を持っています。
またムトゥさんは経験豊富で、デリーの市長の主催する晩餐会で、
料理長を務めたほどの一流のキャリアを持っています。
このふたりのタミル料理人のコンビが、いいんですよ。


さて、きょう6月27日(土)の1200円ランチブッフェは、
こんなメニュー。


Chettinad Nattu Kozhi Biryani。(地鶏のスパイシー釜飯、チェティナドスタイル)
Tomato Rasam。
Carrot Cabbage poriyal。
Dal Panchmahal。(白い豆、トゥール豆、ムング豆ー緑豆、マイソール豆、ウラド豆の、
スパイシーポタージュ)。
Bindi Mor Kuzhanbu。(冷製 オクラのヨーグルトシチュー)。
Karikudi Egg Curry。(ゆで卵のカレー、カライクディスタイル)。
Makkai Vadai。(とうもろこしの粒の揚げ物)。
Methi Kulcha。(ほとんどナン、香草メティ入り)。
Carrot Halwa。(ニンジンのスウィーツ、砕いたカシューナッツとレーズン乗せ)。
Pinapple Juice。


全体的に、味と香りの中間色が多彩で華やかで、
色と味の振り分けが適切です。
あぁ、これが南インド料理だなぁ、
と、うれしさが心の底からわきあがってきます。
ラッサムは綺麗に澄み渡り、
トマトとひかえめなタマリンドの酸味の二重奏と、
そして黒胡椒のキックがかっこいい。
ダルは6種の豆を煮込んであって、イモのポタージュのような趣ながら、
ただしひかえめなスパイス使いで的確に輪郭づけられていて、
たいへんすばらしい。
地鶏のビリヤニとゆで卵カレーは相性抜群。
コールスロウでさえも、キャベツ、紫キャベツ、ニンジンの
千切りがヨーグルトベースの白いソースで和えてあって、美しい。
キャロットハルワは真紅に染まって華麗な仕上がり、
砕いたカシューナッツとレーズンがアクセントです。


あるいは、ステファン・ラジ&ムトゥさんの料理は、
経堂スリ・マンガラムのマハリンガム・シェフのような、
インパクト系の料理を愛する人にはいくらかものたりないかもしれない。
また、かれらの料理は、横浜・元町INDUのようにあえてやや高値つけにして、
最高の食材を使っているかぐわしい高級料理でもない。
また、銀座アーンドラ・キッチンのラマナイア・シェフの料理のように、
どんな客にどんな料理をふるまおうとも絶対に拍手をもぎとる、
そういう種類のプロ根性があるわけでもない。
けれどもステファン・ラジ&ムトゥさんの料理には、
かれらならではのかけがえのない美質がある。


たとえば、マハリンガムをインド料理界のジミ・ヘンドリックスに喩えるならば、
ステファン・ラジ&ムトゥさんは音色のゆたかなビル・フリゼールだ。
(ごめん、この喩えは音楽マニアにしかつたわらないね。)
ラマナイアを最高のエンターテイナーという意味で、画家マティスに喩えるならば、
ステファン・ラジ&ムトゥさんは、華やかな色彩のボナールだ。
すなわち、けっして派手さもけれんもないけれど、しかし、
南インド料理を食べ込んできた人にとっては、
あぁ、いま自分はすばらしく上等な南インド料理を食べている、
そんな実感がよろこびとともに体を駆け巡る。


対照的に、下手くそな料理人は、スパイスをどかどか使ったり、
しかも、香りを立てるために塩使いを派手にしたりする。
(もっとも、塩使いは人それぞれの癖で、
料理が巧い人でも塩使いが過剰になりがちな人はいますけれど)、
下手くそな料理人は、正しいうまみの作り方を知らないがゆえ、
愚かにも安易に味の素やクノールに手を伸ばす。


しかし、ステファン・ラジ&ムトゥ・コンビは、
ベーシックな調理技術がきわめて高いゆえに、
あたりまえのことをあたりまえにおこなうだけで、
魔法のように、味と香りのゆたかな中間色を多彩に作り出し、
食べ手を魅了することができる。
もっと言えば、かれらはニンニク、生姜、タマネギ、マメとイモ、
そしてわずかな野菜を、的確な加熱とスパイス使いで、
女王陛下に捧げる料理を作ることさえもできる。
もともと南インド料理とは、そういうものだ。
最高のごちそうに、けっしてフォア・グラもキャビアも、
生後2週間の乳飲み仔羊も要らない。
ただし、そんなかれらも、鶏肉は
ブラジル産の冷凍ブロイラーでもそこそこおいしい料理はできるとはいえ、
しかし、やっぱり地鶏のうまさにはかなわないよな、
というような見識がちゃんとある。(あたりまえか。)


かれらはふたりとも南インド、タミル人だ。
たとえば、西インド、ムンバイあたりのインテリIT関係者は、
ほぼ例外なくワナビー・ヨーロピーアンか、ワナビー・アメリカンで、
しかも学校の勉強しかしてこなかったゆえ、
本人たちは知的なつもりだろうが、
しかし、本か新聞に書いてあるような凡庸なことしか話せず、
おまけにとりすましていて、建前しか口にしない。
かれらが腹のなかでいったいなにを考えているか、
それはけっして誰にもわからないところが、
まったくもって不気味である。
そんなムンバイ人にとって、タミル人など田舎者、田吾作の象徴だ。
なにしろタミル人はまったく裏表がなく、
心のなかにあることをなんでもかんでもしゃべるのだ。
タミル人がヒンディをしゃべるときには、たいていなまりがあるらしい。
タミル人は愚かにも、千葉真一と志村けんが合体したような(?)、
ラジニカントをまるで親戚のおじさんのように、慈しみ誇りにおもっている。
タミル人はどんな映画を見るときもマニアが『ロッキー・ホラー・ショー』を観るときのように、
熱狂的に参加型の鑑賞をせずにはいられない。
タミル人のあからさまなフィンガーイーティングはまったくもって上品からほど遠い。
タミル人の性格は無邪気でコドモっぽく、すぐ笑い、すぐ怒り、すぐ仲直りする。
しかし、ぼくはそんなタミル人だからこそ、愛してる。
かれらの正直さとくったくのなさは、神様の贈り物だ。
そしてステファン・ラジ&ムトゥさんの料理には、
そんなタミル人たちのソウルフードが、
最高の洗練と優美をともなって表現されている。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
http://tabelog.com/rvwr/000436613/


2023/01/19 更新

119回目

2020/06 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP-
    • | 酒・ドリンク-

ムゲーシュはすでに6月18日に離職し、新たにステファン・ラジ・シェフ体制がはじまっています。

「花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生さ」
これは唐の時代の詩を、井伏鱒二さんが日本語で歌いなおしたもの。
これをさらにまた訳しますと、
「せっかく桜が咲いたって、嵐が来ればパーなのよ、
人生に別れはしかたのないなりゆき」
というよう意味かしらん。


きょう2020年6月14日、昼下がり、
ぼくはアムダスラビーのスタッフルームで、
東日本橋店のガネーシュクマール・シェフとふたりで缶ビールを飲み、
かれが作ってくれた、厚手のアル・パロタ、
リッチなグレイヴィーの2種のチキンカレー
(トマトベースとココナツベース)など食べながら、
まったりしていたものだ。


するとガネーシュクマールが、アムダスラビースタッフ専用のLINEをぼくに見せてくれた。
そこにはムゲーシュのこんな言葉があった。
”Good morning,mom.
This month end, I will quit my job.
Sorry my decision."


ムゲーシュ、辞めるのか!??
SANTOSHが言うには、きっかけは
ムゲーシュが2番手のステファン・ラジと大喧嘩したことだそうな。
ステファン・ラジはこれまでずっとムゲーシュの独裁に我慢してきたことの、
その鬱憤がとうとう爆発したようだ。


もともとムゲーシュはお茶目で明るくガキっぽく、風呂は長いが気は短い。
そしてまたムゲーシュは無駄に大卒で、しかもハリウッド映画好きゆえ英語も流暢で、
おまけにムゲーシュは口数が多いと言うか、むしろ大阪弁で言うところの
「いらち」で「いちびり」で「要らんこと言い」である。
そのうえムゲーシュは喧嘩は弱い癖に、毒のあるユーモアを他人にぶつけるのが大好きで、
しかも誰と接するときでも、マウントを取りたがる。
「おまえよりも、おれの方が偉い」と遊び半分に見せつけたいのだろう。
こういうところにムゲーシュの自我の脆さが透けて見えもするし、
また、こういう気質によって、ムゲーシュは孤独になってもゆくのだけれど。
とはいえ、機嫌のいいときのムゲーシュには愛嬌もあるし、
経営者のゴヒル夫妻と話すときには上手な英語でちゃっかり好青年を演じもすれば、
お客さんと接するときにも愛想が良い。
ざっとそんなふうにムゲーシュはいかにもアンバランスな、
そして見るからに隙だらけの男だけれど、
しかし、もしも巧く美質を伸ばし、上手に欠点を抑えこんでゆければ、
ムゲーシュは幸福になれもしただろう。


ところがムゲーシュは、去年2019年6月半ば、
アムダスラビー東日本橋店が開店すると同時に、
ガネーシュクマールがそちらへ行き、
ムゲーシュがひとりで西葛西店のシェフになってから、
かれは「おれさま気質」丸出しのコントロールフリークになって、
ラジャ・イン・ザ・キッチン(厨房の藩王)をやるようになった。
「あれをやれ!」、「それはやるな!」、「これをやれ!」、「それはだめだ!」、
二番手も給仕も朝から晩までムゲーシュに命令されるのだ。
これはちょっとかなわない。
ほんらいレストランは「美食の工場」であって、
あらかじめ食材を買い揃え、料理の部品を作っておいて、
注文が入れば、部品を併せて仕上げ、
客の食卓に料理を届け、客が食事を終えれば、お代を頂戴する場所である。
必要最低限の言葉で、すべてが巧く回るのがあたりまえである。
もしもそのプロセスのいちいちに、料理長の趣味判断による気分次第の罵声が飛ぶならば、
それは仕組が巧くできていないのであり、
結局、それはシェフの未熟というものだ。
むろんそんなむちゃくちゃな環境では、
スタッフの心がすさむばかりで、レストランはまともに営業できるわけがない。


ムゲーシュにしてみれば、はじめてシェフになったことで、
責任感を強く感じたのだろうが、しかしその自負は(残念ながら)空回りしていた。
あるいは、ムゲーシュはディナサヤラン料理長の二番手時代に、
さんざん泣かされたそんな不遇時代の、反動が出たのかもしれない。
ディナサヤランは自分でムゲーシュを二番手に選んだにもかかわらず、
しかしかれはムゲーシュをさんざん無能呼ばわりしたものだ。
なお、ムゲーシュはこの、誰が見ても気の毒な時代に成長した、と言えないこともないけれど。
いずれにせよ、スタッフはみんなムゲーシュの幼稚な独裁を心底不快におもっていたので、
今回のふたりの喧嘩で、
SANTOSHも、ガネーシュクマールも、ステファン・ラジの味方についた。
こうしてムゲーシュは完璧に孤立し、シェフとしての指揮系統は、
まったく機能しなくなった。
自分の言うことに誰も従ってくれないならば、シェフなどできるわけがない。
こうしてムゲーシュは居場所を失った。
喩えるならば、ムゲーシュは単独シェフ体制になって丸一年めに、
クーデターを起こされて失脚したというわけだ。


関係者のあいだには、「ムゲーシュの自意識を肥大させたのは、ジュリアス・スージー、
おまえのレヴューだ」という大胆な意見もあるのだけれど、
しかし、ぼくとしてはそんなことを言われてもちょっと困っちゃう。
もしもムゲーシュがあのていどのレヴューで増長したとしたら、
それはあんなもんで舞い上がる方がアホである。
しかも、ぼくは去年の12月初旬以降ムゲーシュとつきあいはしなかったし、
とうぜんムゲーシュについて書いたこともなかった。
それどころか以来このあいだ6月21日まで、
ぼくはアムダスラビーに顔を出したこともなかった。


少し原理的に考察してみよう。
経営者は除外するとして、レストランスタッフたちのあいだには、
〈誰かが困っていれば誰かが助け、また別のときにはかつて助けられた者が、
誰かを助ける側にまわる〉、そんなgive and take の関係が成立している。
たとえば、誰かがどうしても仕事を休まなくてはならない事情があるときは、
別の誰かが自分の休日を潰して働く。
また、店を閉めた後や休日にスタッフ何人かでヤキトリ屋に飲みに行くにしても、
あるときは誰かがカネを払い、別のときはほかの誰かが払う、
そんな〈奢りの循環〉が慣例になっている。
かれらにとって異国の地で生きてゆくために有用なさまざまな情報もまた、
当然のこととしてシェアされている。
ついでながら、かれらがぼくをいわばかれらの賛助会員のように遇してくれるのも、
ひとつには、日本語ができる友達が生きてゆく上で必要だからである。
ぼくがかれらになにかしてあげると、かれらはぼくにビールや料理をふるまってくれる。
それがかれらの、(いかにも流動的で不安定な小社会における)、
相互扶助にもとづくセイフティネットなのである。
ところがムゲーシュは、職場で幼稚な独裁制を敷くことによって、
みんなから嫌われ、ムゲーシュはこの相互扶助の関係の輪から排除されてしまった。


もしも新型コロナウイルスの流行がなければ、
ここまでひどいことにはならなかったかもしれない。
なぜって、売り上げが悪くなると真っ先に責められるのがシェフである。
アムダスラビー西葛西店は、
自粛が要請されるまでは通年にわたって立派な売り上げがあったものだし、
さらには、ゴヒル夫妻が燃え盛る野望とともに信じがたい大胆さを発揮して、
ろくに人もいないどころか猫一匹歩いていない東日本橋のはずれの地下に店をこしらえて、
案の定毎月毎月赤字の山をこしらえても、
しかし、それを十分補填して余りある稼ぎを西葛西店はあげていたものだ、自粛以前には。
また、西葛西店の自粛以降においては、
誰がどう見ても、最悪なのはむしろマネージメントだった。
だって、この自粛期間アムダスラビー西葛西店は、休業期間を取ったのみならず
再開後も(地下店舗ゆえ)営業しているのか休業しているのかさえほどんどわからなかったものだし、
また、あの時期の弁当販売にしても、
1000円/1500円の価格設定であり、せめて700円の弁当もまた売るべきではなかったかしら。
そしてせめて路面に、「インド弁当販売中」というようなノボリのようなものが必要でした。
まったくもってプロモーション不足で、あれで商売が成り立つはずもありません。
しかし、事情はどうあれ、経営者に責められるのはつねに現場のスタッフです。
そのうえ、もともと安い給与は、さらにいっそう無残なほどに削られるのだ。
経営者自身は、日本政府から家賃支援給付金最大600万円を貰う気まんまん。
労働者たちもまた、日本政府からの給付金10万円もあるし、
それで足りなきゃ区の特別貸付を利用しろ、数十万円は無利子で借りられる、
というわけである。
料理人のプライドは粉々である。
ムゲーシュはさぞや悔しかったろう。
こうしてスタッフの心はそれでなくても殺伐とすさみきっているところへもってきて、
ムゲーシュはその溜まりに溜まった鬱屈をステファン・ラジにぶつけまくって、
結果、とうとうステファン・ラジがキレたのだろう。


ある休みの日、ムゲーシュはひとりで臨海公園へ行き、
ひとりでダイヤと花の観覧車に乗った。
ムゲーシュは中空から、ビルの群れ、荒川放水路、スカイツリー、
アクアライン・・・を眺めた。
「おれはいったいなにを求めて東京にいるのだろう?」
と、ムゲーシュがおもったかどうかは、ぼくは知らない。


では、ムゲーシュの料理とは、どんなものだったろうか?
東京圏には、良いインドレストランがけっこうある。
たとえば銀座アーンドラキッチン、経堂スリ・マンガラム、
御茶ノ水・小川町 三塔舎、はたまたその人っ子ひとりいない場所ゆえ、
とうぜん儲かってはいないものの、しかし料理の質は高い東日本橋アムダスラビー、
そして、このごろぼくがもっとも贔屓にしている、横浜・元町INDU。
そんななかアムダスラビー西葛西店のムゲーシュの料理には、独特の若さがあった。
かれのラッサムとサンバルはなんともすばらしく南インドらしい。
Idlyも巧いもの、チャトニもビシッと決まっていた。
デザートもけっして難しいことはやらないものの、
ラヴリーでキュートだった。(後註:実はデザートは、
ステファン・ラジの仕事だったようだ。)


その反面、たとえばムゲーシュによる野菜のカットは粗っぽく、必ずサイズがまちまちだった。
またムゲーシュのチキンカレーやマトンカレーの煮込み時間は短かすぎた。
もう30分煮込めばそうとうおいしくなるのに。
おまけに、南インド料理には用いない、
もっぱら北インド料理の基本的技術ながら、
chopped masala (刻みタマネギを炒めて、刻みトマトと一緒にさらに炒めて、
グレイヴィーソースのベースを作る)のテクニックを、
けっしてムゲーシュは使えなかった。
ビリヤニは、たまにムゲーシュが本気を出したときだけ、
たいへんすばらしかった。
もっともムゲーシュが手を抜いた日のビリヤニとて、
そこそこにはおいしかったものだけれど。
ざっとそういうふうにムゲーシュは基本的技術がやや凸凹で、
しかもムゲーシュのムラッ気(capricious behavior)が
料理にもまたよく現われていた。


しかしながら、そんな弱点も含めて、ムゲーシュの料理はおもしろかった。
とくに土日のランチブッフェは毎回、どんなラインナップになるか、わくわくしたものだ。
比較するに、アーンドラキッチンやスリ・マンガラム、
そしてINDUの料理にはぼくはただただ感動するばかり、
それに対して、ムゲーシュの料理にはあれこれのツッコミどころを含めて、
いつもその日そのときならではの、小興奮をぼくにもたらした。
あるいは、もしももっぱらムゲーシュの側に立つならば、
ムゲーシュはあの信じがたい安月給でよくがんばったし、しかも多くのファンも作った、
偉いものじゃないか、と言えないこともありません。


おもえば、アムダスラビーはTMVS FOODSの経営者ピライ・マリアッパンが作ったものだ。
そしてぼくはピライの相談役であり、アドヴァイザーだった。
初代シェフは、マハリンガム(現・経堂スリ・マンガラム)、
二代目シェフは、ヴェヌゴパール(現・錦糸町ヴェヌス)
三代目シェフは、ディナサヤラン。
(ムゲーシュは2番手としてアムダスラビーで仕事をするようになった。)
やがて、経営者がゴヒル夫妻に替わり、
四代目が、ガネーシュクマールとムゲーシュの2人シェフ体制。
そして2019年夏ゴヒル夫妻が東日本橋店を作るとともに
ガネーシュクマールが東日本橋勤務になり、
同時に、西葛西店はムゲーシュ・シェフ体制となった。
ぼくはどの時期にも愛着があるけれど、
レストランが売れ出したのは、ガネーシュクマールとムゲーシュの
ふたりシェフ体制になってからのことで、
そこには根強い常連さんたちの支持があり、ファンが増え、
さらにはおもいがけない幸運が舞い込んだせいでもあったにせよ、
そこにはやはりガネーシュクマールの熟練の技術と、
そしてムゲーシュのいかにも若々しい無鉄砲な魅力が貢献しただろうことは疑い得ない。


ぼくとしては、ムゲーシュはやや不安定な基礎をいまのうちにしっかり固めて、
そして大きな料理人に育って欲しかったけれど、
残念ながらそうそう巧いことにはならなかった。
しかし、結局はそんなことなどどうでもいいことだ。
なぜって、人は誰も他人の期待に応えるために生きているわけではないし、
誰の人生とて、そうそうとんとん拍子にゆくものではないもの。
とはいえ、むろんたいへん残念な幕切れではある。


ムゲーシュがLINEに告げたメッセージ、
”Good morning,mom.
This month end, I will quit my job.
Sorry my decision."
それに対するミセス・ゴヒルの返事は、
"OK." ただ一言それだけだった。


(2020年6月14日)


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【追記】ムゲーシュは(前述の予定を早め)去る6月18日を最後に仕事を辞め、
スタッフルームからも退去していた。
いったいどうしてムゲーシュは、アムダスラビーの離職を、
せめて8月に延ばせなかったろう?
どこまで直情的な男なのか、と、ぼくは呆れてしまう。
いや、もはやアムダスラビーに自分の居場所はない、と
ムゲーシュは観念したのだろう。


それにしても、まず最初に、
今月中は成田からも羽田からもインドへの航空便はほとんど欠航中で、
わずかにある数便も直前にキャンセルされる可能性が大きい。
次に、現在インド入国者はコロナウイルス感染の有無を調べるため、
空港から直接、近郊のホテルへ護送され、
1泊12000円で10日間、計12万円払って拘束される。
もしもそのカネの持ち合せがなければ、日本で飛行機に搭乗させてさえもらえないだろう。
さらには、万が一ムゲーシュがそれらのプロセスを経て
ようやく市内へ出ることができたとしても、
現在(ムンバイ州とそして)ムゲーシュの郷里タミルナドゥ州の
州都チェンナイは6月末まで完全ロックダウン中で、
電車もバスもリクシャも使えない。移動手段は歩くしかないのだ。


「ジャニーズ系ネパール人」のSANTOSHが言うには、
どうやらムゲーシュは、西葛西ムスカンの経営者の奥さんに紹介してもらった、
彼女の親族が経営しているところの
千葉市幕張駅のネパールレストラン、ラリグラスで、
3ヶ月くらい働いてからインドへ帰るらしい。
ムゲーシュが心底困った今回、ムゲーシュを助けてくれたのが、
ふだんろくにつきあいもなかったネパール婦人だったことは感慨深い。
ラリグラスはいかにも典型的なインネパレストランで、
言うまでもなく、ムゲーシュはアムダスラビーでのように自分の料理を作れるわけもなく、
かつまた、あきらかにムゲーシュに向いているとはおもえない店ではある。
しかし、ああいうカレーはああいうカレーでそれなりのウデが要る。
まじめに取り組まなくては罰が当たるというものだ。
そもそもこの時期、雇ってくれる店があっただけでも、幸運である。
余談ながら、LALIGRASHとはネパールで有名な、大きな赤い花の名前だそうな。
(後註:2020年10月、風の噂によると、ムゲーシュはすでにLALIGRASHを辞めているそうな。
いま、どこでどうしているかはわからない。)


ぼくはムゲーシュとよく遊んだものだ。
行船公園でビールを飲んだり、一緒に古着屋を覗いたり、服を交換したりもした。
外食はサイゼリヤや格安ヤキトリ屋が多かったものの、
浦安のイタリアンレストランへ食べに行ったり、麻布のワインバーに遊びに行ったりもしたものだ。
ふたりでしこたま酔っ払って、
ぼくがギターを弾きながら、即興の歌を歌いながら、ムゲーシュが合いの手を入れながら、
ふたりで夜の西葛西を散歩したこともある。
いくら酔っ払っていたとはいえ、ムゲーシュがいなかったならば、
ぼくはけっしてそんなことはしなかったろう。
ぼくはあの夜、楽しかった。
まるで二十歳の頃に戻ったみたいだった。
それはもちろんムゲーシュのお陰だった。
結局ムゲーシュは、常連さんたちにも、そしてぼくにも、
ひとことの挨拶もなしに、消えてしまった。
ま、もともとそういう奴だということはわかっていたけれど。


他方、ステファン・ラジはおもいのほか好調なスタートを切っていて、
21日(日)のランチブッフェは、こんなメニューだった。
シンディ・マトン・ビリヤニ。
チキン・キーマ&グリンピースカレー。
ヴェジ・マッカンワラ。
発芽緑豆のドーサに、レッドチリで色づけられたココナツチャトニ、生タマネギ入りのチャトニ。
レモン・ラッサム。
オニオン・サンバル。
キャロット・ビーンズ・ポリヤル。
パルプ・ワダ。
緑豆のチャット(サラダ)。
ブレッド・プディング。
オレンジ・ジュース。

色美しく、香り良く、加熱は適切。華やかですばらしくおいしい。
たいへん良い感じのスタートだった。

(2020年6月21日)


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
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  • ぼくとムゲーシュ。

  • 新シェフ、ステファン・ラジ。

  • 現・東日本橋店の、ガネーシュクマール・シェフ

2020/10/16 更新

118回目

2019/12 訪問

  • 昼の点数:-

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手と手と手。

南インド料理に興味を持った人や、
それを愛する人にとって、
アムダスラビー西葛西店は、
かけがえのないレストランで、
とくに土日&祝日のランチブッフェ1200円は、
安くてヴァラエティに富んでいておいしいのみならず、
12品の料理のラインナップが毎回替わります。
これまでたいへん多くの種類の料理を提供し、
こんなにも南インド料理の多彩な世界を紹介してきたレストランは、
アムダスラビー西葛西店の他に、東京にほぼありません。
料理は若々しく、チャレンジングで、
スタッフはみんな楽しみながら仕事をしていて、
またお客さんたちの気も軽く、
おおげさに言えば、それはちょっと奇跡のような幸福ではないかしら。


さて、美質を褒め称えるばかりではレヴューになりません。
ここではぼくが感じる(必ずしもアムダスラビー西葛西ばかりではなく、
むしろ)東京のインドレストラン全般の、構造的な問題~課題について、
書いてみようとおもいます。


レストランビジネスに夢を持っている人は、
ジョージ・オーウェル著『パリ・ロンドン放浪記 Down and Out in Paris and London 』
(小野寺健訳・岩波文庫)を読んでみるといい。
原著1933年のこの作品は、エリート育ちで貴族的な教育を受けた著者が、
成人した後、「無謀にも」あるいは「酔狂にも」と言うべきか、
いいえ、社会の階層構造へのジャーナリスティックな考察を目的として、
パリの一流ホテルのレストランの厨房や給仕の仕事に従事し、
その苛酷な労働環境をルポルタージュしたエッセイです。
長い労働時間、戦場のような労働、安い給料・・・そんななかで、
労働者たちの精神がどんなふうに変容してゆくか。
その主題が、たいへんなまなましく、かつまた
文学的に上等な文体で描かれています。
さすがに現代ではいくらかなりとも事情は改善されてはいますけれど、
ただし、おおよそのところではそれほどには違いはありません。


しかも日本の多くのインドレストランにおいては、
「もしもインドのルピー換算ならば、
インド的にはなかなかの給料」というようなダブルスタンダードでもって、
在日インド人スタッフの給料の基準が定められ、日本円で支払われています。
なお、インドにおいては、コメ、マメ、油などの基本食材がたいへんに安く、
かつまた住居費もまた低く抑えられていますから、
たとえ給料が安くても、幸福な暮らしができるようになっています。
しかしながら、在日インド人レストランスタッフにとっては、
日本で生活しているわけですから、たとえば単身赴任で来日などしている人ならば、
家族に送金した後は、(いくら食費がかからず、住居提供があったとしても)、
残るおカネは、タバコ代・酒代で消えてゆきます。
ましてや妻帯者でスタッフルームに住めない場合は、
自腹でアパートを借りなければならず、
たとえ奥様もスーパーマーケットや
ホテルのベッドメイキングのパートタイマーで働いているとしても、
困窮は約束されています。


もしもかれの勤めるレストランの売り上げがろくにないならば、
それもいたしかたないことかもしれません。
しかし、立派な売り上げを稼ぎ出すようになってさえも、
給与事情はほぼ同じというレストランがとても多い。
これでは、料理人や給仕が休日に
ちょっと他のインドレストランや、
はたまたたまにはイタリアンやフレンチを食べに行く、
なんて贅沢もまったくままなりません。
また、そもそもさいきんの経営者の多くはIT関係者で、
かれらはコドモの頃から勉強しかしてこなかったタイプばかりで、
たとえ経営の才があったとしても、しかしレストラン遊びの愉しみを知らず、
かれらのほとんどはフレンチを食べたこともないような人たちです。
しかもかれらは監視カメラによる遠隔監督を好み、
自分のレストランの現場であるダイニングにいる時間は極端に少ない。
これでは、経営者は自分の雇っている給仕と、お客との間のやりとりもわからず、
お客がサーヴィスに満足しているか否かも、ほとんど読み取れません。
これでは、レストランを良くしてゆくことは難しく、
ましてや〈インドレストランの新しい形〉を考えることなど
できるはずもありません。


結果、日本の多くのインドレストランは、
たとえ料理がすばらしくおいしくとも、
プレゼンテーションがいささか旧態依然であったり、
はたまた給仕のサーヴィスレヴェルがほとんど例外なく低い。
かれらの多くはまともなレストランの基準を知らないのですから、
スタンダードなサーヴィスなどできるはずもありません。
(いいえ、アムダスラビー西葛西店の給仕長、
サプコタ・チャビラルの名誉のために言い添えるならば、
かれは気の毒なほど安月給でありながら、誇り高く質高く誠実に働いていて、
ネパール人の評価を高めているのだけれど。
それであってなお、ついぼくは夢想してしまう、
もしもかれが一流のサーヴィスを見知ったならば、
きっとかれは超一流のサーヴィスマンに成長するだろうに。)


すなわち、経営者はカネ儲けのことしか考えられず、
労働者はただ搾取され、カネもなく、社交もない。
それがほとんどのインドレストランの可能性の限界を決定していて、
しかも、それがこの業界の「標準」です。
かれらの視野はあまりに狭く、
たとえばあるインド人料理人は、
2年間西葛西で働きながら、
かれが体験した日本は、西葛西の行船公園と、たった1度の秋葉原観光だけで、
インドへ帰ってしまったもの。
こういう労働環境は、もうちょっと
なんとかならないものかしら。


昭和の名人落語家、古今亭志ん生は、
後輩落語家の真打襲名披露の席で、
こんな挨拶をしたもの。
「”手を取って 引き上げてゆく 山登り”、
この新しい真打を、お引き立てのほどを、
どうぞよろしくお願い申し上げます。」


日本のインドレストラン業界においても、
われわれインド料理を愛する者たちが、
みんなで手を取って、引き上げてゆくことができれば、
この世界はもっともっと幸福になるのではないかしら。


なお、このレヴューは、
ぼくが去る12月8日を最後に、5年8ヶ月続けてきた
アムダスラビーの土日&祝ランチブッフェのヴィランティアを辞めたことについて、
ご心配のメールを5人の方からいただいたことへのお返事として(も)書きました。
もっとも、とくにこれといって辞めた理由はないのですが。
しいて言えば、アムダスラビー西葛西店は、
あれだけすばらしい料理を格安価格で提供していながら、
しかし長いことお店の売り上げは吹けば飛ぶような極小利益しか稼ぎ出せず、
さすがにその状態でヴォランティアを辞めるのは屈辱的におもえたもの。
しかし、最近は立派な売り上げが立つようになったので、
(むろんそれは関係者全員の努力と、常連さんたちの根強い支持、
そしておもいがけない僥倖のたまものですが、
いずれにせよ)、さすがにもうそろそろぼくは辞めてもいいかな、とおもって。
また、「スージーはアムダスラビーに、えこ贔屓しすぎ。」
というような友情あふれる(?)批判もいくつかいただいていましたし。
そこで、先日ヴォランティアを辞めることにした次第です。


ぼくはこれまでとてもたのしかった。
インド人労働者たちは、徹底的に搾取されていながらも、
それぞれ自分の仕事にプライドを持ち、
かつまたかれらはまるで日本の落語の(愛すべき)登場人物たちのように、
過酷な境遇を笑いに変える知恵を持って、
しかも、かれらのあいだにはほどほどに友情が生きている。
ぼくもまた、過去5年8ヶ月にわたって、
「変な日本人」として、かれらのソサエティの賛助会員だった。
ぼくがこの経験から得たものはあまりに多く、
それはぼくの生涯の宝物になるでしょう。
そしてアムダスラビーをつうじて知り合えた多くの人たちに、感謝を申し上げます。
どうもありがとうございました!
これからもアムダスラビーおよびジュリアス・スージーを、
お引き立てのほど、どうぞよろしくお願い申し上げます!


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2020/01/09 更新

117回目

2019/12 訪問

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創造の自由について。--ムゲーシュが長ネギと蓮根を「発見」し、かれの南インド料理に取り入れたはなしをきっかけに。

ムゲーシュは、10月30日(土)のランチブッフェで、
「長ネギと鶏肉のカレー」を、
そして翌11月1日(日)で、
「蓮根とグリンピースのカレー」をふるまった。
ぼくはちょっとにこにこしてしまったよ、
ムゲーシュの無邪気な好奇心を感じて。
むちろんインドには、長ネギも、蓮根も存在しません。
ムゲーシュは、西葛西のスーパーマーケットで、
それらを「発見」し、おもしろがって、あれこれ実験をしてみて、
そして自分のレパートリーに加えたのだった。
いずれも、かっこよく仕上がっていて、
とくに「蓮根とグリンピースのカレー」は、
タマネギを炒めた後に、カシューナッツペーストを加えた
リッチなグレイヴィーでまとめてあって、
蓮根の食感とグリンピースの緑は、舌に、目に、
素敵なアクセントになっていた。


また、1日のブッフェには、「ボラ・ビリヤニ(ボラをスパイスでマリネして、
タンドール釜でローストした後に、コメとスパイスで炊き上げた、
ビリヤニ)」が燦然と輝いてもいて。
ボラははんなりした身の白身魚ゆえ、
スパイスでアクセントをつけて、表面をしっかり焼き固めることで、
内側のしっとりした身を包み、コメのなかに投入して、
釜飯さながらに蒸し炊き上げてあって。
上品で、リッチなおいしさで、たいへんに好評だった。


いずれの料理も、ムゲーシュにとっては、けっして
格別に野心的な試みではなく、ただのちょっとした好奇心のたまものであって、
しかもそれがオーセンティックなインド料理として仕上がっていて。
そこがまたとても良かった。





実は、東京のインド料理マニアたちには、
あるイデオロギー傾向があって、
「現地主義者」がたいへんに多く、
どちらかと言えば、ぼく自身もいくらかなりともそのひとりではあって。
そこには、できるかぎり現地インドそのままの料理を食べたい、
そんな願望と要求があります。
だからこそ、東京のインド料理マニアたちのあいだでは、
「正しい/まちがっている」の議論が絶えることがありません。
(あれはちょっと息苦しいですね。)
当然のように、「和様化、サイコー!」と言う、
そんな東京のインド料理マニアを、
ぼくは見たことがなく、会ったこともありません。


いくらか対照的に、大阪のインド料理マニアたちの多くには、
「わしがうまいとおもうもんが、サイコーじゃい!
現地的に正しいかどうか? 知るか、ボケ。
わしの舌が根拠じゃ!」という態度があって、
これはまたこれでたいへんに健全なことだとおもう。
なぜって、もしも自分という主体がはっきり確立していないままで、
現地に根拠を求めたところで、
たいへんむなしい結果が約束されていることは言うまでもありません。
すなわち、モンダイは〈東京のマニア 対 大阪のマニア〉ではなく、
料理人も、食べ手も、ひとしく
自分という主体が確立されていることこそがいちばん大事、
という(たいへん平凡な)はなしではあって。


ついでながら、ぼくをたいへんにおもしろがらせた出来事は、
(ぼくを含めた)東京のインド料理マニアたちの希望の星、
千歳船橋カルパシの黒澤シェフが、「ジャパニーズターリ」をふるまったとき、
多くの黒澤シェフファンたちが、褒め方に困っていたように見えたこと。
ぼくはその気持ちがよくわかって、おもわず笑ってしまったよ。
なぜって、東京のインド料理マニアたちにとっては、
少しでも現地の味に近づくことこそが賞讃の対象である、
と無意識におもっていて、またもちろん黒澤シェフもそのイデオロギーにのとった、
「われらが希望の星」であるとばかりおもっていたら、
ところが当の黒澤シェフは、さらに一歩先を行っていて、
なぜって、かれの作る「ジャパニーズターリ」の回の料理は、
「もしもインド人が日本料理を作ったなら、
こんなけったいでおもしろい”日本料理”を作っちゃうんじゃないの!??」
という創造の遊びを、いかにも楽しげに、実験したものだったから。
(とうぜん、これは現地主義をモノサシにして讃美できる作品ではありません。)
ぼくはかれのジャパニーズターリをいただいて、
おもしろくてたのしくて、
そのおいしさがまた魅力たっぷりにねじくれていて、
ぼくはその意匠にゲラゲラ笑いつつ
ぼくはあらためて黒澤シェフに惚れ直したもの。


ぼくはおもう、いちばん大切なことは、
現地主義でも、おれさま主義でもなく。
むしろ、きちんと主体が確立された料理人が
無邪気に愉しみながら創造を試み、
食べ手もまたしっかりした自分自身の美意識にかんがみながら、
その創造を味わい、おもいおもいの感想を投げかけ、
(稀なる僥倖にめぐまれた場合には、
両者が)生まれ変わったようなよろこびを得ることではないかしら。
おっと、ムゲーシュの長ネギと蓮根のはなしから、
えらくおおげさなはなしになってしまった。
もしもムゲーシュがこれを読んだら、きっと苦笑するだろう。


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2022/09/10 更新

116回目

2019/11 訪問

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    • | CP-
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素敵なordinary。

ムゲーシュがぼくに訊ねた、「きょうの(ブッフェの)料理、どう?」
ぼくは答えた、「いいね、どれもおいしい。
トータル・バランスがとてもいいよ。」
ムゲーシュは訊いた、「ビリヤニは?」
ぼくは答えた、「ordinary。(普通)」
ムゲーシュはゲラゲラ笑った、「お客さんはみんな、
きょうのビリヤニもおいしいおいしいって言うのに、
きみだけ、ordinary って言う!」


ムゲーシュのそのつぶやき方にはどくとくのニュアンスがあって、
ぼくは洞察した、"ムゲーシュにとっても、きょうのビリヤニは、
ordinary だったんじゃないかしらん。”
ただし、同時にぼくは公平のためにこうもおもう、
ムゲーシュの料理のアヴェレージは、
この半年ぐんぐん上がっていて、
いわゆる「普通」のレヴェルが高くなっていて。
だから、ムゲーシュのordinary なビリヤニは、
ぼくにとって、実はそうとうおいしい。


ムゲーシュのビリヤニは、シンプルなスパイス使いで、
お米のおいしさを最大限に活かした、いかにも南インドのヒンドゥーの
ビリヤニだ。しかもムゲーシュは、ビリヤニとプラオを厳しく峻別していて、
ビリヤニはあくまでもビリヤニであって、他方、
プラオを作るときは、林檎や葡萄やカシューナッツを入れて、
かろやかに華やかに仕上げる。
逆に言えば、ムゲーシュにとって、「ビリヤニなんだかプラオなんだか
わからないような炊き込みご飯」は、まったくだめなのである。
そこにムゲーシュの矜持があって、
ぼくは感心しその見識に学ぶものが大いにあった。


もっとも、ビリヤニは料理人の出身地、宗教、個性などによって、
さまざまなヴァリアントがあって。同時に、食べ手ひとりひとりにとっても、
みんなそれぞれ、「自分にとっての最高のビリヤニ」があるものだ。
ごく大雑把に言って、ムスリムの作るお肉たっぷりの豪快なビリヤニをこそ、
好む人もいるだろうし、ぼくもときどきその魅惑の世界を満喫する。
だから、ぼくはけっして「ムゲーシュのビリヤニはニッポン1」
などと言うつもりはないけれど、ただし、いつのまにかぼくにとって、
ムゲーシュのビリヤニこそがいちばんぼくにしたしいものになっていた。
そりゃあ、そうですよね、だって、
週に2回、過去3年間、食べ続けているのだもの。
しかも、実はぼくにとって、それはビリヤニだけのはなしではなく、
ラッサムもサンバルもムゲーシュが作るものこそが、いちばんしたしい。


それでもぼくは(まがりなりにも!)インドレストラン批評を書いているので、
(とくにビリヤニが格別に優れているわけではないけれど)、
内装、サーヴィス、そして料理、そのすべてが揃った、
東京最高の南インドレストランは、ラマナイヤ・シェフ率いるところの、
銀座アーンドラダイニングです、と、つねに伝えています。
だって、ぼくがどれだけアムダスラビー西葛西店を贔屓していようとも、
そんなことは読者にとっては関係のないこと。
そして、銀座アーンドラダイニングは、
これはもう南インド料理のメートル原器のような存在だもの。


ところが、人生、ときにおもいがけないことが起こることがある。
きのうの土曜日、アムダスラビーのランチブッフェのお客さんのなかに、
ヒップホップふうのファッションの青年がいらして、
かれはぼくに言った、「声、少し出るようになりましたね。
実はぼく、アーンドラの料理も好きだけど、
でも、アムダスラビーの料理の方がもっともっと好きです。」


ぼくは一瞬うろたえ、そしておもった、
”あ、この人はぼくの食べログレヴューの読者さんなんだ!
ありがとうございます、ぼくの怪しい文章を読んでくだすっていて。”
しかも、あろうことか、あの、アーンドラダイニングよりも、
アムダスラビー西葛西店の料理をこそ好きだなんて!
ぼくは心のなかで詫びた、ごめんなさい、ラマナイヤ・シェフ!!!
ぼくはわかっています、
あなたの料理には無限にすばらしい巨匠の円熟があり、
他方、ムゲーシュ率いるアムダスラビー西葛西店の料理は、
若さと情熱、ただがむしゃらに多彩な表現があって、
毎回毎回そうとうおもしろく、
たいへん南インドらしい悦楽的おいしさがあるとは言え、
ただし、けっしてあなたの料理と同列に並ぶほどの高みはたぶん、ない。
でも、ぼくはもちろんうれしかった。
うっすら涙で目頭がうるみさえした。
だって、かれは、ぼくの愛するムゲーシュの料理を、
そこまで高く評価してくだすったのだもの。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
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2022/09/10 更新

115回目

2019/11 訪問

  • 昼の点数:-

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「喉風邪には、黒胡椒が効くんだよ」と、ムゲーシュは言った。

先日月曜日の、大好きな女友達との横浜・関内~伊勢佐木町デートを、
ぼくは二週間まえからたのしみにしていたものだけれど、
当日、朝起きたら、ぼくの声はほとんど出なくなっていた。
発熱もなく、鼻水も出ないし、体がダルいこともない。
ただ、声がほぼ出ないのだ。
ぼくはうろたえた。朝食を食べたら声は戻るかな、と、おもったけれど、
しかしそれも叶わなかった。あせった。かなりあせった。
それでもぼくはデートを挙行した、
(だって、ぼくはその日を超たのしみにしていたのだもの)。
彼女はぼくと会って、ぼくのしゃがれ声を気遣いつつも、
ぼくが青江美奈の『伊勢佐木町ブルース』を歌ったりすると、
けらけら笑ったものだった。
ぼくらはデートの途中に数回、
ぼくが持参したヴィタミンCカプセルをふたりで飲み、風邪への抵抗を試みた。
むかしもいまも関内、伊勢佐木町は、デートの定番。
声はほぼ出なかったもののこの日は、とってもたのしかったものの、
しかし、日が暮れた頃に、声がまったく出なくなってしまって、
さすがに往生したものだ、それでもたのしかったけれど。
翌日おそるおそるメールで彼女に訊ねたところ、
さいわい彼女に風邪が移ることもなかった。


きのう木曜日の朝11時まえ、ムゲーシュが電話をかけてきて、
ぼくに訊ねた、「sweet cornは、日本語でなんて言う?」
ぼくは 全身全霊を振り絞ってしゃがれ声で答えた、「toumorokoshi!」
ムゲーシュはぼくの声をいぶかしがって訊ねた、「どうしたんだ?」
ぼくは答えた、「I lost my voice, because I cought a cold.」
ムゲーシュはぼくに同情しつつも、訊ねた、「それでsweet corn は、
日本語でなんて言うんだ?」
ぼくは魂を振り絞るように声を限りに叫んだ、「toumorokoshi!」
ムゲーシュは訊ねた、「え、tamarakashi?」
ぼくは叫んだ、「No, to-u-mo-ro-ko-shi!」
こういう応答を繰り返すこと数回、
ようやくムゲーシュは、toumorokoshi という日本語を理解した。
たぶんムゲーシュは、ぼくをいじって遊びたかったのだろう。


明けて翌日の、きょう金曜日の朝十時半、
ムゲーシュはまたぼくに電話をかけてきて、
「銀行から届いた書類に記入して返送しなくちゃいけないんだけど、
日本語をちょっと手伝って欲しい」と言うのだった。
ぼくはアムダスラビーに行った。
スタッフはみんなぼくのしゃがれ声に笑った。
ステファン・ラジは、いつもより摩り下ろし生姜をたくさん入れたチャイを、
ぼくにふるまってくれた。
ぼくがムゲーシュに届いた書類を片付けると、
ムゲーシュはお礼に、黒胡椒たっぷりのマトンカレーをかけた、
カレーライスをふるまってくれた。
そして食後に、ブラックペッパーをどかどか入れた、
ラッサムスープを中サイズのボウルで出してくれた。
ラッサムスープは、黒胡椒の量がものすごく、
トマトやタマリンドの酸味を覆い尽くすほど。
一口飲むと、喉に黒胡椒と赤とうがらしのキックが効いて、
喉に軽く痛みが走る。
二口飲むと、顔中の毛穴から汗が噴き出す。
いわゆる「ペッパーラッサム」ではあって、
それはアムダスラビー西葛西店の土日&祝のブッフェでもときどき出すけれど、
しかし、ここまでどかどか黒胡椒をふんだんに使ったラッサムは、
ぼくには生まれてはじめての経験だった。
ムゲーシュは言った、「ブラックペッパーは、喉風邪に良いんだよ、
抗菌作用があるからね。逆に、風邪のときにラッシーとか、レモンジュースや、
ビールなんかは飲んじゃだめ、体を冷やすからね。
きっと、あしたには、きみの声も戻ってくるよ。」


なお、ぼく自身は必ずしもアーユルヴェーダの熱烈信奉者というほどではない。
理由のひとつは、東京にはあまりにも大雑把で楽天的な、
「おもに日本人の、そして多少はインド人の、
自称アーユルヴェータ紹介者」がいて、
まじめなインド人たちを嘆かせていることを、知っているから。
かといって専門的な施設は、少なくともぼくの知るかぎり東京にはなさそうだ。
もっとも、そんなぼくであってなお、切り傷や股擦れに、
ターメリックパウダーをまぶせばたちまち治ることも知っている。
皮膚のかぶれにレモン汁を塗ることの効用も。
そういう知恵はインド人ならば誰もが持っていて、
かれらは自分たちの治療文化に自信を持っている。
インドでは、一方でいわゆる現代的な医療も先進的で、
価格が安いので外国人がインドで難しい手術を受ける流行さえあるのだけれど、
それでいて同時に、インドでは伝統医学もまたしっかり定着していて、
その共存に、ぼくはインドのゆたかさを感じる。
南インドの専門施設で、まず最初にその人の体の状態を診てもらって、
まさに自分自身の体の状態にあった施術を受けながら、
一定の時間を過ごすことは、
心にも体にも良いだろうな、ともおもっている。


もっとも、インド人料理人仲間のなかには、
こんなことを言う人もいる、
「アーユルヴェティック料理をまじめに作ると、
スパイス使いに制限がかかるから、たいしておいしくないよ。」
ぼく自身はこの話題について経験知が乏しいゆえ、
発言資格はほぼないけれど、
ムゲーシュがぼくのために作ってくれた、
マトンカレーとラッサムス-プの黒胡椒使いはめちゃめちゃ大量で、
まったくもって「スパイス使いに制限がかかる」なんてものでなく、
それどころか、まったくもってとめどない大量使いである。
ぼくはあらためて、アーユルヴェーダの奥深さを身をもって垣間見た。


ついでながら、ぼくはよくたわむれに、
ムゲーシュの頭や、上半身をツボ・マッサージしてあげる。
ぼくがマッサージすると、ムゲーシュはたちまち気持ち良くなって、
ムゲーシュの二本の腕の、柔毛がふわりふわりと立ちはじめる。
ムゲーシュは感心して、ぼくに訊ねる、
「日本人はみんな、こんなマジックができるのか?」
ぼくは答えに窮する、だって、ぼくのマッサージなんて、
庶民向けの本を三冊ばかり読んだだけの自己流だもの。
そしてぼくはおもう、
ムゲーシュとぼくは似た者同士だな、って。
いずれにせよ、黒胡椒の薬効はぼくの喉にも効いているかもしれない。
いま、ぼくの声はほんの少し、戻ってきているみたいだもの。


風邪を引き始めの人は、アムダスラビー西葛西店に、
夜いらして、なにかの料理とともに、
単品でラッサム・スープを「風邪をひいているので、
黒胡椒を効かせてください」という注文つきで、
オーダーするのも良いかもしれません。
もちろんヴィタミンCの回数を分けての大量摂取
(1日3g~9g以上)もとっても有効です。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
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2019/11/16 更新

114回目

2019/11 訪問

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ひとつの場所に、できること。

大切なことのすべてはレストランで学んだ。
いかにもどこかで聞いたことのあるような陳腐な言い方だけれど、
でも、ぼくはそんなことをつくづくおもう。


朝9時過ぎ、星の数ほどのレストランで、
誰かがモップでダイニングの床を磨き、
レジスターのなかに紙幣と小銭を準備し、
キッチンでは料理人が慣れた手つきで体を動かし、
新鮮な食材を扱い、組み合わせ、
やはていくつもの鍋が、かぐわしい香りをたてはじめる。
ナイフ、フォーク、スプーン、グラス、
皿はすべて磨き上げられている。
二時間後には数多のレストランが店を開け、
お客たちがまばらに来店したり、
あるいはいっせいに詰めかけ、
はたまた、スタッフがどれだけ待っても、
お客はひとりも来なかったりする。


かつてある歌手はこんなことを言った、
「お客様は神様でございます。」
この言葉は多くの揶揄や嘲笑に迎えられもしたものだ。
「なんて偽善的な言葉なんだ!??」
「客に媚びるのもほどほどにしろ!」
「神様からカネを取るのか!??」
けれども、それはあまりにもあさはかな理解というもので、
その言葉の真意は、お客が来てくれたり来てくれなかったり、
拍手喝采に迎えられたり、ブーイングにさらされたり、
はたまた誰にも相手にされなかったり、
そういうことは、けっしてあらかじめわかることではなく、
まったくもって不可知な事柄であって、
すなわちそれは神のみぞ知ることなのだ。
すなわち、正確に言えば、けっしてお客様が神様なのではなく、
お客さんの反応こそが、誰も知りえない運命という名の、答えなのだ。


なるほど繁盛しているレストランには、どこも理由がある。
おいしさ、驚き、おしゃれ、居心地の良さ、新奇性、値段に対する満足度・・・。
ただし、それらの要素がなにかしら実現しているかどうかを決めるのは、
個々のお客であって、店側がどれだけ訴えたところで、なんの意味もない。
なぜって、人はそれぞれ感じ方も、求めるものも違う。
たとえ、経営者がいくら成功しているレストランのスタイルをまねたところで、
しかし、「柳の下にドジョウが何匹いるか」、
そんなことはあらかじめわかりはしない。


アムダスラビーはTMVS FOODSのピライ・マリアッパンが創設した。
かれの志はたいへんに高かった。
リアル・タミルナドゥ料理を格安に提供すること。
とくに土日&祝日のランチブッフェはたいへんに本格的で、
かぐわしく、すばらしいものだった。
ただし、すでに南インド料理をよく知っていて、愛している人にこそ
アピールするものの、しかし、少なからずのビギナーたちには、
「酸っぱい料理が多く、多くのカレーにコクがない」
などと批判にもさらされもした。
そんなわけでアムダスラビー西葛西店は、創立から3年間ほど、
吹けば飛ぶような極小利益しかあげられなかった。
初代料理長は、あの、マハリンガム。
二代目は、2ヶ月間の契約だったものの、(現ヴェヌスの)ヴェヌゴパール。
3代目は、ディナサヤラン。
いずれも一流の料理人たちである。
場所は駅近。味は本格、値段は格安であるというのに、
土日のランチブッフェでさえも、当時は30人を少し越える程度。
しかも、平日ランチも20人を越える日は少なく、
ディナータイムにいたっては、いつも閑散としていた。
スタッフはみんな、不思議がり、はかなんだものだ。
なぜだ!?? どうしてだ? こんな理不尽があっていいのか!??
けれども、現実は現実である。
いまにしておもえば、当時のアムダスラビーは、
店側が発する商品メッセ-ジが、十分な数のお客(および潜在お客)に、
うまく伝達されていなかった。店がいったいなにをやっていて、
なにを目指しているのか、それがけっして十分に伝わってはいなかった。
おまけに利益が極小ゆえ、トイレットの便座は壊れたままで、
あろうことか、ボルトを通してなんとか利用に耐えるようにしたままだった。
(この状態で、美女客を呼ぼうとしても、それは無理というものである)。
そもそも南インド料理は、マスコミでこそ話題になりやすいものの、
しかし、いまだにそれほどポピュラーなものではない。
あるロンドン育ちの英国人は言った、「わたしは東京へ移住して、
アムダスラビーへ来て、はじめて南インド料理を知りました。」
エー・ラージ、ダバ・インディア、アーンドラキッチン、
ダルマサーガラ、ニルヴァナム、ケララの風・・・
それら00年代の先駆的レストランの成功の影には、
すさまじい奮闘があったことだろう。
だって、インド人タウンと呼ばれもする西葛西で、
しかも2010年代半ばの創業でありながら、
アムダスラビーは、たいへんに苦労をしたものだもの。


開店3年を経て、マリアッパンはやむなく経営を手放し、
IT関係のキャリアのご主人とインターナショナルスクールを経営する奥様の、
ゴヒル夫妻が、新たに経営者になった。
かれらは内装もいくらか綺麗にして、トイレットを改善し、
換気を改良し、ダスキンと契約し徹底防虫をおこなうようにした。
やがて、おもいがけず風向きが変わった。
いくつかの幸運があった。
食べログがカレー百名店に選んでくれたり、
HiHi Jets が来店してくれたり、
『モヤモヤさまぁ~ず』が放送で採り上げてくれたり・・・。
料理人は、ムゲーシュとクマールのふたりシェフ体制になっていた。
(その後、東日本橋店が開業するとともに、クマールはそちらに転籍し、
西葛西店はムゲーシュひとりでヘッドシェフを務めるようになった。)


それからというもの、
土日のランチブッフェには開店まえから数人の待ち客が出る。
閉店まで、ほぼ満席が続く日も少なくない。
平日のランチのお客さんも増え、
ディナーは基本的にはやや寂しいとはいえ、
それでも週末にはスタッフを披露困憊させるほどの客入りの日も、
ぼちぼちある。
それでも桜が咲けば桜に負け、台風が来襲すれば、
たちまち客は減るとはいえ、それはどこの店も同じだろう。


まず、スタッフ自身がとまどい、不思議がった。
「ウケてんじゃん、アムダスラビー!??
おれたち、稼いでるじゃん! 
(おれたちの給料は安いけど。)」
ついでながら、週末ランチ限定の準スタッフの某は、
まったくのヴィランティアである。
お客さんの入りが良くなると、
スタッフも自信を持つようになるもの。
とくにムゲーシュは、ひとりで料理長を務めるようになってから、
最初の1ヶ月こそ努力が空回りして同僚に煙がられたものだけれど、
しかし、あっというまに見る見るウデを上げていった。
いまではムゲーシュは堂々たる一流の料理人であり、しかも若さがあって、
新しいレパートリーを増やす遊び心と冒険心がある。
おまけに、このごろはダイニングにも出て、
カタコトの怪しい日本語を駆使して、
お客に笑顔で挨拶もするようになった。
ぼくはつくづくおもった、ウケるということは、
人を、ひいてはレストランを、成長させるものなんだなぁ。


また、アムダスラビーのお客さんも、
なんとなく、アムダスラビー好きらしいキャラクターがある。
構成は日本人客6割で、インド人客3割、その他・外国人1割。
日本人のお客さんたちも、外国滞在経験があったり、
旅行好きだったり、はたまたなにかしら異文化好きの人が多い。
年齢の幅も広く、美女客もやや増え、カップルも、
そしてコドモ連れのお客さんも多い。
ダイニングに、いろんな言語が飛び交い、
日本人とインド人が、同じ料理を食べている光景は、
親日派のインド人たちをよろこばせている。
また、好奇心旺盛な日本人客のなかには、
インド人の盛り方・食べ方を興味深そうに、ちら見したりしている人も。
また、常連さんたちの多くはムゲーシュや給仕長のチャビラルと挨拶を交わし、
かれらを微笑ませる。
さらには、アムダスラビーをつうじて、インドの食や、
ひいてはインドの社会システムや重層的な文化に関心を持ちはじめる人もいる。
むろんそれはけっしてアムダスラビーに限ったことではないけれど。


そしてぼくは知る、レストランは ひとつの場所 であり、
その場所の可能性を生かすも殺すも、スタッフと客の相互作用であり、
さらに言えば、おたがいの(いくらかなりともの)意志疎通が
叶うか叶わないか次第であって。
けっきょくそれは最終的には、神のみぞ知ることなのである。


2019年11月2日(土)のランチブッフェは、
第2期、すなわち経営者がゴヒル夫妻になってから、
3周年記念のスペシャルブッフェだった。
小エビのビリヤニ、ハイデラバードスタイル。
チキン・スッカ・ワルワル。
(黒胡椒の効いた、すばらしいグレイヴィーが
骨つきチキンに染み渡ったドライなカレー。すばらしかった!)
マンタカイ・カーラ・カレー。
(上品でひかえめな酸味のグレイヴィーのなかに、
苦みスパイスのマンタカイがミステリアスな香りを放っています。)
チャナ・マサラ。
ダイコンとグリンピースのスパイシー炒め、ココナツの香り。
チキン・ラッサム。
インドコーヤドーフのてんぷら(=ボンダ)。
マラバール・パロタ(=薄く仕上げたうずまきパン)
蝶ネクタイパスタのサラダ。
クッキー・ハルワ。(デザート;クッキーをスウィートミルクで煮つめたもの。)
グレープジュース。


たいへん力のこもった優美な内容で、お客さんの入りも上々。
ぼくは、この日やむなく来れなかった常連さんたち数人の残念顔が浮かんだものだ。
なお、西葛西店は、3日(日)も、4日(祝)も、ランチブッフェをやります。
理想の来店時刻は、11時です。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
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2022/09/10 更新

113回目

2019/10 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP5.0
    • | 酒・ドリンク-
    ¥1,000~¥1,999
    / 1人

Happy Diwali!

インドでは、祭りが生きている。
たんに季節の風物詩ではまったくなく、むしろ人びとをむすびつけ、
熱狂させ、陶酔させ、それまでの単調だった時間を生ていた自分が死に、
新しい自分がおもいおもいに甦り、世界は圧倒的な活気に包まれる。
去る10月27日(日)、ランチブッフェは、
光の祭りディワリを祝したスペシャルメニューだった。


開店直前、ムゲーシュはすべての料理を作り終えて、
スマートフォンの画面を見せながら、
いたずらっぽく、ぼくに言った。
「見ろよ、東日本橋店のきょうのブッフェは、オムレツビリヤニだぜ!??」
ぼくは言った「Feeling of rivalry?(対抗意識、丸出しじゃん!)
でも、東日本橋店も、Idlyもあるし、ペッパーチキンもあるし、
おいしそうじゃん!」
ムゲーシュは言った、「まあな。でも、ディワリの日に、
オムレツビリヤニはないだろ?」
ぼくは笑って言った、”I know,I know, competition is important.”
ぼくはわかってる、
ムゲーシュはきょうの自分の料理に自信まんまんなのである。


なるほど、ムゲーシュが自慢したくなるのも無理はない。
骨つき羊のビリヤニは、香り良く、食べ応え十分。
骨つき羊のスープ(パヤ)は、澄んだスープでありながら、
うまみが深い。
カンチープラムIdly+ミントチャトニは、
ふかふかの蒸しパンに食感のアクセントが楽しく、
美しく明るい緑色のチャトニがアクセントを添える。
トマトラッサムは、いかにもラッサムらしい澄んだうまみがあり、
じゃがいもとピーマンのサンバルは、サンバルらしい香りを立てる。
スタッフド・マサラ・ボンダは、内側のじゃがいもがユーモラスで、
ルシアンサラダは、じゃがいやニンジンを優美なドレッシングでまとめてある。
セミヤ・サブダナ・キール(ヴァーミセリとタピオカのミルク煮)は、
上品な甘さで、いかにも南インドらしい趣がある。
ミックスフルーツジュースは、南国タミルの涼風を感じさせてくれる。
いかにもディワリらしい華やかさだ。


ぼくはかつてちょうどこのディワリの時期にインドを訪ねたものだ。
ぼくがデリーに降り立ったときが、ちょうどディワリの
(メインの日から遡って)十日ほどまえで、
その頃からもう街行くインド人たちは
キラキラのパッケージに包んだプレゼントを抱え、
いかにも幸福そうに街を歩いていたものだ。
テレビをつけても、”Happy Diwali!”と挨拶のように繰り返す。
ぼくは訪ねた、デリー、アグラ、ジャイプール、デリー、チャンディガール、デリー。
そしてデリーから南インドのチェンナイ行きの飛行機に乗って、
チェンナイに着陸したのが、ディワリ当日の夜8時。
ぼくを乗せた飛行機がチェンナイ上空にさしかかると、
夜空にはいくつもの花火が次々に打ち上げられ、
まるで、ぼく自身が祝福されているかにおもえたものだった。


インドは州ごとに言語は違うし、人それぞれの郷土愛も深く、
宗教も多様で、貧富の差も大きい。
人口の8割を占めるヒンドゥー教徒の社会にはカーストもあって、
それは法律上は過去のものであるとはいえ、事実上、
結婚を同じカースト同士でおこなうことを好む傾向などによって、
いくらかなりとも生きている。
すなわち、インド社会は縦にも横にもこまかく細分化されている。
結果、インド人が「インド人」としてのアイデンティティを強烈に感じるのは、
全インド 対 パキスタンの クリケット試合のときくらいではないかしらん?
むろん試合が終れば、ふたたび人びとの心はバラバラになる。
しかしそんなインドは、祭りの盛り上がりもまたすごいものがある。
春のホーリー、そして秋のディワリ。
いずれもヒンドゥー教徒の祭りだけれど、
それはほとんど全インド的な祭りになっている。
それはもう筆舌に尽くし難い、熱狂だ。
(インドのムスリムの人たちは、その時期、複雑な心境かもしれないけれど?)


なお、この日10月27日の西葛西店のランチブッフェは、お客さまも満席つづきで、
たいへんな盛り上がりだったし、しかもこの日はディナーもまた、
たくさんのインド人たちが食べにいらしたそうな。
むろんインド人にとっては、ディワリの日にどこのレストランで食べるか、
それはたいへん重要な事柄である。むろんアムダシラビーのスタッフたちもまた、
それは重々承知していて。スタッフはみんなプライドを大いに満足させつつ、
くたくたになるまで働いていた。


給仕長のサプコタ・チャビラルは感心したものだ、
「うちの、日本人のお客さんはみんなすごいね、
インドの祭りのことまで知ってる。」


余談ながら、日本は徳川幕府が宗教を警戒するあまり骨抜きにして、
さらには明治維新以降の近代化のなかで、宗教をかんぜんに過去のものにした。
以降、日本人にとって宗教は、一方で葬式ビジネスになりさがり、
他方で、知識人たちが戯れる教養の披露の対象になり果てた。
高度成長期にはカイシャが信仰の対象に見えさえした。
そんな堕落の果てに、1995年にはさるカルト教団による大規模犯罪まで生まれ、
結果、日本人は宗教に対する恐怖心まで植えつけられた。
それでも日本人にはちゃんと仏教意識が内面化されているゆえ、
ちゃんと道徳心もあって、宗教が形骸化されていても、
たいていの場合は困ることもなく、これはこれで見事なものだとはおもう。
他方、なるほど西側諸国では、宗教は前近代にこそ心の法であったものの、
近代においてその役割を近代法に譲り渡してはいる。
けれども、そんな欧米であってなお、
信仰は(その重要性を弱めながらも)いまだにしっかり生きていて。
たとえば、ロックンロールには、
土曜の夜のらんちき騒ぎを讃美する歌が数々あるけれど、
しかし、あれだって実は、日曜の朝には教会へ行く、
という暗黙の前提がひそんでいる。
さて、そんな日本では、(当然のように)ほとんどの祭りもまた形骸化されていて。
インド人の祭りへの熱狂は、ぼくにそんなことを考えさせてくれる。


ヒンドゥー教にはたくさんの神様がいて、
どの神様もまたキャラが濃く、途方もないことを平然とおこなう。
インド文化のゆたかさの由縁はあきらかにここにある。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
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2022/09/10 更新

112回目

2019/10 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス3.8
    • | 雰囲気-
    • | CP-
    • | 酒・ドリンク-
    ~¥999
    / 1人

最良のインド料理にはシティライフの刺激と、田舎暮らしの幸福の、共存があります。

先日、むかしよく一緒に遊んでいたフレンチレストランのソムリエさんから、
8年ぶりくらいに電話がかかってきた。
かれは挨拶がわりにぼくに言った、「いつのまにかスージーさんたら、
インド料理に、”ドはまり”しちゃって。知りませんでしたよ、
スージーさんがそこまでそんなことになっちゃっていたなんて!」
かれはひさしぶりにぼくの食べログを読んで、
かるく呆れるとともに、びっくりして、
そしてさいきんのぼくに興味をもって、
ぼくに電話をくれたようだった。


なるほど、かれが呆れるのももっともで、
実はぼくはインド料理は十代の頃から大好きだったものの、
ただし、00年代の後半ぼくは、むしろフランス・レストラン料理の探求にこそ夢中で、
そんなさなかに、ぼくはかれのおにいさん(シェフ)と出会って、
ひいてはソムリエのかれとも知り合って、
数年間たいへんしたしく遊んでいたものだ。
当時、ぼくがもっとも感心したことは、
フランス料理は、料理を「食材/加熱法/ソース」の構造で考えること。
しかも、その加熱法は、ソテー、ロティ(=ロースト)、グリエ(=グリル)、
ブレゼ、ラグー、ポワレ・・・など厳密に峻別されているのだ。
なんて合理的な分類だろう!
さすが、デカルトの国である。
ぼくは、料理における『方法序説』を学び、それはいまでも、
ぼくが料理について考えるときの考え方の基本のひとつになっている。
(文体が偉そうで、ごめん。)


もっとも、その後ぼくの住んでいる西葛西に、
インド人が増加し、それにともなったインドレストランの発展などもあって、
しかも、いつのまにかぼくはインド人レストラン関係者たちと
多く知り合ったこともあって、
ぼくはどんどんリアルインド料理の世界に惑溺していった。
さらに付け加えるならば、ぼくがいくらか貧乏になったことなどもあって、
結果、いつのまにかぼくはフランス料理からかなり離れていた。


ぼくはかれに訊ねた、「さいきん、どうですか?」
かれは言った、「いやぁ、けっこうたいへんですよ。」
ぼくは言った、「景気、悪いですものね。でも、
そうは言ってもカネ持ちは一定数いるし、
一定数のカネ持ちはむかし以上にカネ持ちだから、
そこのパイを獲ってゆけば、なんとかなるでしょ。
極上ワインを最良の状態でふるまって、
おいしいフレンチとともに提供する。
人生、最良の幸福のプレゼントじゃないですか。」
かれは言った、「まぁ、そうなんですけどね。
さいきんはなかなか高いワインも売れないですよ。
そもそもこのごろはフレンチじたいが話題が少ないですもん。」
ぼくはちょっぴり不意を突かれた、「そういえば、そうですかね。
ぼくのイメージでは、王道フレンチのアラジン、
マノワールダスティン。たまたまコンテンポラリーフレンチの、
カンテサンス、レフェルヴェソンス、ハジメ。
低価格ビストロのラミティエ。
そんな感じ。ぼくが知ってるくらいだから、
いまもどこもご繁盛でしょうけれど、でも、その後現れた
ニューカマーって、あんまり聞きませんね。
もっとも、ぼくの耳に入って来ないのは、
このごろのぼくがフレンチに怠惰なだけでしょうけど。」
とかなんとかしばらく話して、どちらからともなく、
「ひさしぶりに会いましょうよ」というような挨拶で、電話は終った。


その後、ぼくはひさしぶりにフランス料理について考えた。
おもえばフランス料理って、なんとも独特な歴史をたどったものだ。
ルイ王朝の時代、テーブルの上には豪華絢爛な料理が並んだものだけれど、
ただし、あの時代にはまだソースは独立していない。
ソースの独立はナポレオンの没後で、
赤いソース・アメリケーヌと白いベシャメルソースが生まれ、
エッフェル塔の頃に(半量に煮詰めてコクを出した)デミグラスが生まれた。
ただし、この時代にはまだフランス料理は
けっして世界1の美食の座は獲得していなくって、
むしろロシア料理が燦然と輝いていたし、
はたまたウィーンの料理をはじめ、ハンガリー料理など、
多くの欧州料理が競いあっていたものだ。
さて、そのフランス料理が世界1の美食の座を獲得したのは、
20世紀初頭に、ホテル王リッツの要請で、
料理人エスコフィエが各地方料理を体系化し、
厨房のフォーメーションの基礎を築いてからのこと。
1973年にその名をつけられたヌーヴェルキュイジーヌが、
それまで薄暗い地下厨房の親方仕事だった料理人の地位を、
芸術家の位置にまで高めた。ポール・ボキューズが、
フランス料理の親善大使だった頃のこと。
さて、こうして料理を芸術化したフランス料理は、
それぞれの料理人がおもいおもいに自分にとってのアートを追及するあまり
結果、フランス料理がフランスの料理である必然性が薄れていった。
実際、00年代話題になったエルブリは、スペイン料理を刷新したとはいえ、
それはフランス料理の手法を極限まで使った、
(しかもおいしさよりも驚きを追求する)ユーモアだった。
はたまたフランス料理好きのあいだで近年話題のNoma もまた、
コペンハーゲンのレストランである。
すなわち、いまやフランス料理は、
フランス料理の技術と歴史を知った料理人が、
自分の創造性を示すものであり、
逆に言えば、どこの国の料理人が、
どういう世界を描いてもまったくかまわないのである。
おもえば、これはかなり奇妙なことではある。


もっとも、国土としてのフランスは農業国であり、
人気のプロヴァンス地方のみならず、田舎暮らしのゆたかさもまた潤沢にある。
むろん各地にはゆたかな田舎料理がさまざまに存在している。
しかし、どういうわけか、フランスレストラン料理は、
どんどん都市的(=大脳的)な方向を推し進めていったあげく、
田舎料理のゆたかさと縁を切っていった。
レフェルヴェソンスにせよ、ハジメにせよ、
はたまたエルブリにせよ、Nomaにせよ。
ぼくはおもう、この傾向は(おもしろいとはいえ、
やってる方は)苦しいだろうなぁ。
だって、実験につぐ実験では、心の休まるときがない。
音楽だって、ブーレーズやクセナキスばかりではくたびれてしまう。
ときには街角のミュゼットアコーディオンが恋しくもなるだろう。
小説だって、ジェイムス・ジョイズの『ユリシーズ』や、
ウィリアム・バロウズみたいな方向では、
そういうご趣味のマイノリティ以外は離れてゆくだろう。
文学だって、たとえば西加奈子さんの『漁港の肉子ちゃん』みたいな、
誰もが読んで楽しい作品があってこそ、シーンも盛り上がるというもの。


ぼくはおもう、もしかしたら近年のフランス料理界には、
バランスの良いナヴィゲーターがいないんじゃないかしらん。
『ミシュランTOKYO』も影響力ないし。
もしそうだとしたら、それはたいへんにもったいないことだ。





そんなことをつらつら考えるに、
ひるがえってインド料理には、まったくもってそんな分裂は存在しない。
いくらインドの十大都市が世界の都会と遜色がなくなったとはいえ、
しかしながら、つい三十年まえまでは、都市を象が歩いていたような国である。
しかも、インド人はみんなおもっている、ほんとうにおいしいインド料理は、
田舎にこそ息づいている。
なお、歴史を振り返れば、
インドは大英帝国に殖民されたことによって、
アジアのなかでもっともヨーロッパの影響を受けた国である。
しかも、その過酷な150年~200年を体験してなお、
インド人たちは誇りとプライドを捨てなかった。


インド料理と欧州料理を比較すると、興味深いことが多々ある。
たとえば、インド料理におけるソースの独立は、
ひかえめに言っても(インドの江戸時代)ムガル帝国の御世であって、
これはフランス料理よりも2世紀ほど早い。
したがって、インド料理が欧州料理に与えた影響もまた、
あながち無視できない可能性がある。
逆に(?)、たとえばインド料理のコルマは、おそらくは、
英国人が持ち込んだシチューのインドアレンジだろう。
はたまた、英国人が大好きな紅茶をインド人もまた飲み始めたら、
インド人はスパイシーチャイを作った。
同様の話題では、インド食材店に行けばラスクや、
スナック菓子としてのパイも売っていて、
それはあきらかに英国の影響ながら、ただし、そこにはクミンを混ぜ込んで、
風味をつけたりして、ちゃんとしっかりインド化がなされている。
そう、インド人は自分たちの伝統的な食に、圧倒的な自信を持っていて、
どんな境遇にあっても、そしてたとえ異国の料理の影響を受けるときでさえも、
それをしっかりインド化せずにはいられない。
そこに息づいているものは、土着文化への誇りである。
たとえば、タンドール釜のような、あんな危険で原始的なものを、
いまだにかれらが使っていることもまた、
あれを使ってこそ味わえる風味とおいしさを
けっしてかれらが手放さないからだ。
ぼくはそれをとても素敵におもう。


南インド料理の中心には、
ごはん、ラッサム(酸っぱい胡椒汁)、
サンバル(けんちん汁?)、
ポリヤル(野菜炒めココナツ風味)の、
黄金の基本形がある。
そこには質素で伝統的な、かぐわしいおいしさがある。
これだけで十分、ひなびたおいしさが味わえるのだけれど、
たとえば、アムダスラビーの土日ランチブッフェでは、
贅沢にビリヤニをこしらえ、ダル(豆のスパイシーポタージュ)や、
アヴィヤル(野菜のヨーグルトシチュー)や、
肉や魚のカレー、はたまたワダなどの揚げ物、サラダ、
そしてデザートにケサリ(きんとん)や、
パヤサム(タピオカのミルク煮、ドライフルーツとナッツ入り)などを添え、
マンゴージュースや、薔薇の香りのミルクなどをつける。


ムゲーシュ料理長は、ハリウッド映画大好きの都会っ子なので、
たとえば、ときどきビリヤニを炊くにあたって、
肉の脂身の水煮ダシを用いることもあって、
これは伝統的な調理法にはない新機軸だ。
はたまたムゲーシュは、サラダを英国風にアレンジしたり、
デザートに、キャラメルカスタード(=プリン)をこしらえたりする。
と同時に、ムゲーシュは、ラッサムとサンバルが惚れぼれするほど巧い。
そう、南インド料理の土着的伝統への誇りと自負がそこにある。


ムゲーシュ料理長による、アムダスラビーの土日ランチブッフェは、
たんに毎回毎回ラインナップが変化するのみならず、
実は、毎回、新しい「南インド料理の世界」を提示していて。
ムゲーシュは料理を通じて、毎回、お客さんに語りかける。
「どうですか? こういう南インド料理の世界もなかなか良いでしょ?」
これがぼくにとっても、常連さんにとっても、
おもしろくてたまらない。


もしもこのレヴューを読んでおもしろがった方は、
たとえフランス料理好きであっても、良かったら、
アムダスラビーの土日ブッフェにいらしてください。
魅惑のインド土着文化と、ちょっぴりの創造性が、
なかなかにどくとくで、おそらく他に類を見ません。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
http://tabelog.com/rvwr/000436613/


2022/09/10 更新

111回目

2019/10 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP-
    • | 酒・ドリンク-

台風ランチブッフェ営業、2019年10月12日(土)の記録。

ゆうべから大型台風19号の関東上陸が予測されていたので、
「きょうの営業をどうするのか?」について、
経営者のゴヒルさんとスタッフのあいだでいろいろ議論があった。
臨時休業するか? 営業するか?
仮に店を開けるとして、
ア・ラ・カルトのみで営業するか?
はたまた、いつものようにブッフェ営業するか?


いくら Super Typhoon Hagibis の上陸とはいえ、
12日ランチのタイミングではまだ名古屋である。
また、スタッフはみんな職住接近なので、
(電気、水道、ガスの供給さえ通常どおりならば)、
レストランを開けることじたいはたやすい。
ただし、営業しても利益は出ない。
そもそもアムダスラビーの土日の1200円ランチブッフェは、
アムダスラビーの広報的性格のあるサーヴィスで、
アムダスラビーの「顔」である。
ただし、食材原価をそうとう使っている関係上、
お客さん40人が、損益分岐ラインである。
さすがに台風の日に40人以上ものお客さんが来てくれるとは、
おもえない。けれども、せっかく台風のなか来てくださったお客さんにとって、
店が閉まっていたならば、そうとうショックだろう。
逆に、営業していればお客さんもまたうれしいだろうし、
こういう日の食事はいつもにも増して記憶にも残るのではないかしら。
また、店の都合で土日のブッフェをやったりやめたりしては、
お客さんの印象も悪くなる。それは避けたい。


けっきょく、ムゲーシュ料理長の意向で、
通常ブッフェ営業で、ただし初回調理のみの、追加調理なし。
料理がはけた時点で、早仕舞いという仕様となった。





ブッフェの内容は、ざっと以下のとおり。


Navaratan Pulao
果実とナッツ入り炊き込みご飯、「7つの宝石」
(ビリヤニとは違う、プラオならではのかろやかさ、華やかさがすばらしい!)
Chennnai Saba Fish Korma
鯖のリッチでゴージャスなシチュー。(グレイヴィーの奥行感が高級!)
Channa Masala
ひよこ豆のカレー
Keeala Avial
冷製 野菜のヨーグルトシチュー(エレガント!)
Keerai Bonda
ほうれんそう入りひよこ豆のコロッケ
Potato Podimas
じゃがいものスオアイシー炒め
Pepper Rasam
ラッサムスープ胡椒風味
Methi Kulcha
ほとんどナン、メティの香り
Macaroni Salad
マカロニサラダ
Rava Bulfi
セモリナ小麦のスウィーツ(上品!)
Rose Milk
薔薇の香りのミルク

総じて、たいへんに華やかで、
レヴェルの高いおいしさだった。

さて。お客さんの入りはどうだろう?
この日、餃子の大阪王将も、牛丼の松屋も、
ドトールコーヒーも、はたまた
K's Martもフジマートも、
そして噂では、西葛西のインドレストランも、
アムダスラビー以外はすべて臨時休業らしい。
アムダスラビー以外のお店で営業しているのは、
ご近所ではお隣のLOWSONさんくらいだ。
もっとも、いまのところ風こそそうとう強いものの、
その風とてけっして
木々の小枝という小枝を折りまくって吹き荒れるというほどではなく、
せいぜい街行く人たちの開いた傘の形を
逆さにしてしまうほどの、強風である。
ましてや雨はそれほどではない。
ぼくは瀬戸内育ちなのでガキの頃から台風には慣れていて、
このていどならば屁でもない。
(きょうの夜にはどうなるかわからないけれど。)


それでも用心深い行政は、万が一の高潮を警戒して、
朝10時半にこの地域に避難勧告まで出しているのだ。
なるほど、この台風は発達が速いらしく、
それゆえの警戒警報ではあるらしい。
もっとも、堤防が決壊するか、
あるいは堤防を上回る高潮が来ない限り、
こちら江戸川区や江東区、ひいては隅田区、葛飾区は安全であり、
逆にもしもそんな高潮が訪れたなら、この地域はほぼ全滅に近い?
(後註:この日の夜までに江戸川区では、
3万人以上の人たちが、指定の十箇所の公共施設に避難したそうな。)


スタッフはみんな口々に言った、
「きょうはお客さん、何人くらい来てくれるかね?」
「3人とかだったら寂しいね。」


開店まえに来てくれたのは埼玉在住の常連さんだった。
われわれは拍手喝采でかれを迎えた。
つづいて11時5分に、西葛西在住の男性客。
11時20分、ご夫婦に赤ちゃん連れ。
11時50分、日本人男性おひとりさま。
12時2分、日本人男性おふたりさま。
12時5分、インド人客15人様!
12時15分、日本人男女おふたりさま。
そして12時20分に、ムンバイパレス&ムンバイキッチンの
owner chef の「リッチマン」バサント。
(先々週の週末、アムダスラビーのランチブッフェに、
マサラドーサをご所望のお客さまが遠方からいらして、
しかしその時間にアムダスラビーではマサラドーサをご提供できないので、
ぼくは彼女らをムンバイパレスにご案内したのだった。
バサント・シェフは、そのときのお礼も兼ねて、
ライバル店たるアムダスラビーの最近の味を視察に、来店なさったようだ。
バサント・シェフは、あれこれ口にして、OK、OK、うんうん、
OK、いいね、と笑顔で召し上がっていた。)
午後1時まえに、ネパール男性客3人さま。
1時5分に、インド人男性おひとり。
計 29人の来店で、初回の調理も売り切れ、
きょうだけは午後2時に臨時早仕舞いとあいなった。
気がついたら、東京メトロ東西線も、
東陽町ー西船橋、終日運休になっていたことだし。
なお、この日首都圏の鉄道のほとんどは終日運休したようだ。
他方、都バスはしっかり運行していて、頼もしかった、


いつもの半分ほどのお客さんの入りとはいえ、
台風の日だもの、たいへんありがたい上出来の入りではないかしら。
スタッフは全員、満足そうに後片付けをした。


給仕長のサプコタ・チャビラルが、驚いた顔で、
携帯電話に流れてきたニュース映像を見せてくれた。
暴風で電柱が倒壊し、屋根瓦が吹き飛ばされたり、
はたまた全壊し、クルマが横転している。
どうやら竜巻が起こったらしい。
千葉県市原市の映像だった。
つづいて、八王子市の道路のマンホールからは
勢いよく水が噴き出し、
渋谷駅前のスクランブル交差点には強風が吹き荒れ、
人影もほとんどなかった。


さて、あした13日(日)のランチブッフェは、
開催できるかしらん? 
むろんこれは現時点ではなんとも言えません。
どうぞ、アムダスラビーのツイッターアカウントなどで、
最新情報をご確認ください。





後記) アムダスラビー西葛西店は、けっきょく、
10月12日(土)のディナーは臨時休業した。
西葛西の(ぼくの住居を含む)一部地域では、
12日夜から13日朝4時頃まで、停電&断水した。
ぼくはアホなので水の買い置きもしてなくて、
結果、真夜中に暗闇のなかウィスキーを舐めて、一夜をしのいだ。


明けて13日(日)は、台風一過、からりと晴れ渡った秋晴れ。
ふだんのブッフェは前日夜にけっこう仕込みをして、
翌日朝、すべての料理を仕上げる。
ところがきょう13日は、前日夜臨時休業したため、
仕込みがまったくできていない。
そんなかなムゲーシュ料理長は、13日朝、即興で以下のメニューを決め、
2番手のステファン・ラジとともに一気呵成に調理にとりかかった。

Kusuka Biryani(Simple Biryani)
Kai Kari Mandi
Onion Bonda
Dal Tadka
Chettinad Chicken Curry
Tomato Rasam
Carrot Potato & Channa Poryal
Green Salad
Lemon Juice
Sabu Dana Payasam

こういういかにもタミル州のスタンダードなメニュー構成が、
実は、とっても素敵なんですよ。
メニュー上は、なんにも特別なものがないのだけれど、
でも、食べるとおいしい。
とってもあたりまえな、それでいて素敵な、
タミルのブッフェがここにある。
アムダスラビー公式ツイッターにきょうのブッフェの告知が遅れたこともあり、
(なんと告知はきょうの朝11時頃だった)、
開店からしばらくのお客様の入りはそこそこだったものの、
12時過ぎからは続々と入って、
最終的には、ほぼ標準的な売り上げとなった。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
http://tabelog.com/rvwr/000436613/

2022/09/10 更新

110回目

2019/10 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP5.0
    • | 酒・ドリンク-
    ¥1,000~¥1,999
    / 1人

南インド発、世界行き。

インド料理好きの人のなかには、
異文化好きの人が多い。
われわれは(!)、他人の文化に関心をもち、
後先考えず、よそんちの世界に首をつっこんでみることが
好きなのだ。
とうぜんのことながら、そんなわれわれは、
浅草でヘソを出してサンバを踊る日本人のおばちゃんや、
横浜市金沢区六浦でフラダンスを踊る日本人のマダムを、
いくらかなりとも、他人とはおもえない。
いや、あけすけに言えば、「彼女たち」は「われわれ」であり、
「われわれ」は、「彼女たち」なのだ。


アムダスラビーの土日&ときどきの祝日
ランチブッフェは、南インドへの入口であり、
かつまた世界の縮図です。
まず最初に、料理についてかんたんに触れておくと・・・。
10月6日(日)の、ボラ・フィッシュ・ビリヤニがどれだけ優美においしかったか。
チェティナド・チキン・カレーのグレイヴィーがいかに深みをそなえてすばらしかったか。
マラバールパロタが、はかないココナツの香りを放ちながら、
素敵に薄く、それでいてエッジはブリオッシュのようにクリスピーで素敵だったか。
しかもブッフェの全体がクオリオティ高く、このところの、
アムダスラビーのレヴェルの高さを見せつけていた。
お客さんも開店から閉店まで満席続きで、
しかもこのごろぼくは、アムダスラビーのお客さんの多彩さについて、
ちょっぴり得意におもう。


ぼくは日本育ちの日本人で、ずっと日本に暮らしてきたものの、
これまでおりおりにソウル、シンガポール、マレーシア、
香港、北京、ロンドン、
アムステルダム、マラケシュ、フェズ、カサブランカ、
ニューヨ-ク、ソウル、
ローマ、フィレンツェ、ニューデリー、ジャイプール、
チャンディーガル、チェンナイを訪ねたものだ。
外国を旅した後で東京へ戻って来ると、
ぼくは少しの寂しさを感じつつも、同時に、
かすかに醤油の臭いの混じった懐かしさと安心感を感じる。
好きだよ、日本、とおもう。
それでいて、長いこと日本に暮らしていると、
日本の社会システムに息苦しさを感じてしまう。
かといって、いまのぼくには外国へ行くカネもない。
そんなぼくは、インド料理好きであることと関係して、
気がついたら友達は、ほとんど外国人だらけになっていた。


アムダスラビーのお客さんは、だいたい6割くらいが日本人で、
あとの4割はインド人を中心にいろんな国の人がいます。
日本人のお客さんにしても、異文化に関心が高い人が多く、
また人生のどこかでインド滞在経験がある人も多い。
はたまたたとえば先日は、カザフスタンに数年滞在した日本人ご夫妻が、
アムダスラビーのブッフェを召し上がって、
「アルマトイという街の、タンドールという名の高級レストランで
食べた味をおもいだす」と、感慨深げにおっしゃったりしたものだ。
また、さまざまな外国人たちは、それぞれが関係を持った都市で、
インド料理好きになった人たちが多い。
たとえば英国ロンドンで、はたまたマンチェスターの「カレー屋通り」たるカレーロードで。
あるいはアメリカ、ニューヨーク州ブロンクスのインドレストラン群で。
そのほか、パリだったり、オーストラリアの都市だったり、カナダのトロントだったり・・・。
そしてぼくは知る、外国人のなかにも異文化好きが多いということを。





アムダスラビーの常連さんのなかに、
HUQさんという中年バングラデシュ人男性がいて、
いつもにこやかに微笑みながら、
おいしいおいしい、とブッフェの料理群を召し上がる。
しかもかれは、土日のブッフェでヴォランティアで
サーヴィスをしているぼくを、
「変な日本人として」おもしろがって、
興味を持っているようだった。
聞けばかれは湯島で、フィリピンパブ「バナナボート」と、
インターナショナルパブ「HOT LEGS」の
2軒を経営しているそうな。
かれは言う、「こんど遊びに来てくださいよ、
いつもぼくはあなたにサーヴィスしてもらってるから、
こんどはぼくがあなたをサーヴィスしますよ。」


ぼくは驚き、かすかな不安を覚えたものの、
しかしハックさんの人懐こい笑顔と、
そしてぼくのなかから湧き上がる好奇心が、
そのかすかな不安をあっというまに打ち負かした。
白状するならば、ぼくはこういう遊びの経験が、
ほぼ、ない。そもそも近年のぼくは
酒と本と月に数えるほどの外食以外には
ほとんどカネを使わない。


さて、この夜のぼくのコーディネートは・・・。
GUの黒のポリエステルの中折れ帽をかぶり、
ユニクロのピンストライプのドレスシャツに、
古着屋で買ったシャネルのタイを結び、モンディーンの腕時計をして、
鳥井ユキのキャメル色のジャケットをはおり、
カーキー色の細身のコットンパンツに、アディダスの赤のソックス、
そしてRomaniのブラウンカラーの革靴。
ぼくとしては一応、かるくおしゃれをしてみた。
多少なりともカネ持ちふうに偽装することが
こういう場所でのマナーかな、と、おもって。
(もっとも、われながらそこはかとなく、
いんちき臭い格好だけどな。
喩えるならば、ルキノ・ヴィスコンティ監督による脚本を、
ジョン・ウォーターズ監督が映画化したようなものか。)


最初に伺ったのは、春日通り沿いのビルのなかに入っている、
フィリピンパブのバナナボートで、
ぼくについてくれたフィリピーナは、
BIANCA さんとRAINさんで、ミニスカート姿の彼女たちは、
ぼくにタガログ語を教えてくれた。
「ありがとう」は「サラマッポ」。
「あなたは綺麗」は「イッカオ・マガンダ」。
「おっぱい大きい」は「マティッティ、ソーソー」。
ぼくはRAINさんと”My Endless Love”をカラオケでデュエットした。


つづいて春日通りを渡ってお向かいのビルのなかに入っている
「HOT LEGS」に移ります。
こちらの女の子たちは、ロシア、ウクライナ、イギリス、ブラジル、
ルーマニア、フィリピン、リトアニア、ドイツ、
フランス、ガーナ、ペルーなどなどのご出身だそうな。
ぼくのテーブルに最初についてくれたのは、
カザフスタン出身のArisaさんとウクライナ出身のTannaさん。
Tannaさんは、神保町の ろしあ亭 を高評価してらして、
彼女は言った、「日本人のシェフだけれど、
20年ロシアに住んでた人なの。ほんとのロシア料理を出してるよ。」


その後、女の子がチェンジして、コロンビア人の、
大柄で黒髪でおっぱいの大きいPatriciaさんと、
いかにもロシア美女という感じの金髪碧眼のMonaさんが現れた。
ぼくはPatricaに熱弁した、
ガルシア・マルケスの小説『百年の孤独』がいかにすばらしいか。
そして晩年にかれが、日本人の作家カワバタの作品にインスパイアされて書いた、
老人男性が眠れる少女と関係を持つエロい小説をいくらか苦笑しつつ話題にした。
もっとも、Patriciaは、ガブリエル・ガルシア・マルケスの名前こそ知っていたが、
しかし、文学に関心はなさそうだった。
他方、ロシア人のMonaは大の小説読みで、
トルストイこそ嫌いなものの、ドストエフスキーを讃美し、
プーシキンを愛し、Bunin(というぼくの知らない作家)の贔屓だ。
ぼくらはミハエル・ブルガーコフによる、
あろうことかスターリンの恐怖政治のなかでひそかに書かれ、
著者の没後四半世紀経ってはじめて出版された、
恐怖と笑いに満ち満ちた奇想天外な小説『巨匠とマルガリータ』を熱弁しあった。
しかも、Monaは、ナボコフについての感想は(礼儀正しく?)述べなかったけれど、
それでも、なんと『プニン』を読んでいた。
実はBunin という作家の話題が出たとき、ぼくは言ったのだ、
「知らないなぁ、ナボコフの書いた Punin なら読んだけれど。」
するとMonaは言ったのだ、「それはわたしも読んだ。」
ぼくは彼女にナボコフの『記憶よ、語れ』を強く推薦した。
そのうえ、ぼくらはスクリャービンについてまで語り合った。
(ぼくはミステリアスなピアノ曲が好きで、
彼女は『ファンタジア』が大のお気に入りだ。)
さらには、ショスタコーヴィチの交響曲群に見られる深く絶望的な苦悩についても。
おっぱいの大きいPatriciaは呆れ顔で、Monaに言った、
「話の合うお友達ができて、良かったわね。」
ぼくはMonaをアムダスラビーのブッフェに誘いたかったけれど、
しかし、(なんということだろう!)
彼女はインド料理にまったく関心がないのだった。


奥のテーブルでは日本人のサラリーマン男性が、
タガログ語でフィリピンの歌を歌っていた。
ハックさんは約束どおり、この夜の全額をもてなしてくれて、
人懐こい笑顔で、ぼくを送り出してくれた。
ぼくはすっかりたのしい夜を堪能して、そして
上野広小路駅から終電間際の地下鉄に乗り込んだのだった。
HUQさん、ありがとう!


なお、バナナボートは、60分4000円、延長30分2000円、
ホットレッグスは、60分5000円、延長30分2000円、
両店ともに、指名料2000円。
サーヴィス+税金が20パーセント。
そのほか女の子の飲み物一杯1000円が客負担になっています。
こういう世界がお好きで、しかもおカネに余裕のある男性は、どうぞ。


そしてぼくはおもう、「南インド発、世界行き」、
いつのまにかぼくはその列車に乗ってしまったようだ。
アムダスラビーの土日&ときどき祝日のランチブッフェで、
あなたもこの列車に、乗りませんか?
その列車にはきっとサンバやフラダンスを踊る
陽気な日本女性たちもまた、
さらには場合によっては世界中の美女たちもまた、
同乗しているに違いありません。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
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2022/09/10 更新

109回目

2019/09 訪問

  • 夜の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP-
    • | 酒・ドリンク-

どのインドレストランが、街中華を越えて、中国料理店に相当するレヴェルへ行けるだろう?

土日&ときどきの祝日のランチブッフェが人気の、
アムダスラビー西葛西店は、
さて、ディナータイムにはなにを頼めばいいの?
マナガツオのフライセット 1700円
(ただし、品切れの日がやや多いのは憂慮すべきこと。)
チェティナドクラブセット(=蟹づくしミールス) 1700円
(チェティナドクラブセットはインド料理好きならば、
一度は食べるべき圧倒的名品ながら、
ただし、基本的にはハサミも提供される仕様ながら、
給仕担当者によっては忘れることもあって、
そういうときはがぜん食べにくい。)
南インディアンセット(いわゆるミールス) 1700円
そして、サウスインディアン・ノン・ヴェジ・ターリ1850円、
マトンビリヤニ 1250円・・・。
(このあたりはすべて文句なくおいしい!)
ざっとこんなところかしら?


総じて、素敵な花園になっているとはおもう。
ムゲーシュ料理長の日がおいしいのはもちろんのこと、
かれの休日であってなお、二番手のステファン・ラジ&SANTOSHが、
しっかりクオリティを守っていて、
しかも、値つけも標準的で、ぼくは自信(他信?)をもって、
お薦めできます。
ただし、現状のメニュー構成に対して、
ぼくには少しだけちいさな不満(ないものねだり)もまたあって。
きょうはそのあたりについて書いてみましょう。





近年の東京のインド料理の本格化は、
なかなかなものですよ。
だってひとむかしまえまではインド料理と言えば、
サモサ、ナン、タンドリーチキン、
バターチキンカレーだったけれど、
しかし、いまではそこに、
ミールス、ビリヤニ、マサラドーサが加わった。


なるほど、これはたいへんよろこばしいことだけれど、
ただし、一回の食事で、
ミールスとビリヤニを注文する人はいないし、
同様に、ビリヤニとマサラドーサを同時に食べる人もいません。
だって、相撲の力士でもない限り、
一皿完結で食欲は充分満たされますから。


すなわち、いまのところ広い世間では、
インド料理は一皿完結があたりまえです、
(インドであっても事情はそれほどには変わりないとはいえ、
ただし、インドのテーブルクロスのかかったレストランには、
もう少し多皿構成での楽しみ方もまた、あります。)
それに対して東京のインドレストランでは、
スモールコースを組んでディナーを愉しむ、
そんな食べ方をするお客さんはとても少なく、
また、コースを前提にメニューを作っているインドレストランもまた、
東京では数えるほどです。


つまり、現状ではほとんどの東京のインドレストランは、
街中華と同じステージに立っています。
むろん佳良な街中華には安くておいしい楽しみがあるとはいえ、
ただし、メニューは、餃子、春巻、ラーメン、焼き蕎麦、
酢豚、エビチリ、カニタマ、レバニラ炒め、中華丼・・・
ざっとこのくらいに限られていて。
しかも、せいぜい注文は、ビールと餃子と料理1品ていどで、
けっしてコースを組んで愉しむようにはできてはいません。
いいえ、もちろんべつにいつもいつも
コースを組んで食事をする必要などまったくありませんし、
そんな食事がしたければ、格式ある中国料理店へ行けばいい、
それだけのこと。
しかし、他方、東京のインドレストランには、
この、格式ある中国料理店に相当するインドレストランが、
あまりに少ない。
銀座アーンドラダイニング、バンゲラズ各店舗、
御茶ノ水小川町 三燈舎、浅草サウスパーク、
はたまた(ぼくは食べたことがないけれど)
渋谷エリックサウスマサラダイナー・・・
あと他にどのくらいあるかしらん?
なお、アムダスラビー西葛西店は、
土日&ときどきの祝日ランチブッフェに限っては、
立派に格式ある中国料理店の域に達しているとはおもうけれど、
他方、平日&全日ディナーメニューは味はちゃんとおいしいのだけれど、
しかし、メニュー構成の見地において、必ずしもそうなってはいない。
ぼくはそれをとてももったいないとおもう。





ぼくはいくらかそんなことをおもいつつ、
夜のアムダスラビーに、ふらりとひとりで出かけていっては、
たとえば、ペルノーのロック(400円)を飲み、
レモンライス(750円)と、
野菜カレー”ヴェジタブルコーラプリ”(800円)を食べたりする。
レモンライスをアルパロタ(450円)に替えたりもする。


この夜は、給仕長のサプコタ・チャビラルに強く勧められて、
サウス・インディアン・ノン・ヴェジ・ターリ 1850円に誘導された。
それはこんな構成のワンディッシュプレートです。


マトン・カレー。
チキン・チェティナド・カレー。
チキン65。
ラッサム。
プーリ×2。
バスマティライス。
サラダ。
パパド。
ピクルス。


とくにマトン・カレーとチキンチェティナドのグレイヴィーが
たいへん完成度が高く、官能的で、
かつまた全体の構成もとても良い。
そんなわけでぼくはいまのアムダスラビーがディナーで提供している料理の値段と味は、
たいへん優れているとおもうものの、
ただし、それであってなお、ちょっぴりないものねだりもしてしまう。
そう、コースで食べる楽しみをもまた、提供して欲しいのだ。
だって、そうすれば、ディナーに女友達を誘いやすくもなるでしょ。
良いレストランは、客の恋愛を支援するもの。
惜しむべきは、アムダスラビーには、そこがちょっと足りない。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
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2022/09/10 更新

108回目

2019/09 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP-
    • | 酒・ドリンク-

ランチブッフェが教えてくれる、「インド料理的思考、その4つの原理。」

たわむれに数学についての啓蒙的文章を読んでいたら、
おもいがけずおもしろかったので、
ぼくは以下に、そのパロディとして、
そのインド料理版を書くことにした。
文体がいつもよりいっそう偉そうなのは、そのためです。
では、興味のある方は、以下の本文をどうぞ。





日本料理にせよ、中国料理にせよ、
フランス料理にせよ、インド料理にせよ、
なにかのジャンルに精通するためには、
多くのストランで食事経験を積むのみならず、
同時に、そのジャンルの良店のいくつかに徹底的にリピートして、
食事回数を重ねる必要があります。
すなわち、「広く、かつまた深い」経験が必須です。


なぜならば、まずはその料理世界の全体像を知る必要があり、
次に、そのジャンル特有の「料理における思考の手法群」を学び、
分類することによって、明快な理解が生まれ、
鑑賞のよろこびもまた増すものだからです。
優れた料理人は、必要な手法をすべて熟知し、
明快に使い分けることができます。


他のジャンルに喩えるならば、
ロックミュージックで言えば、Char さんのギタープレイを飽きるほど聴けば、
ロックギターに必要な表現方法はすべて最高の水準で理解できます。
落語ならば、古今亭志ん朝を聴けば、落語とはこういうものなんだ、
と、最高の粋を感じることができます。
マンガで言えば、偉大なるイノヴェーター手塚治虫。


さて、同様のことを東京のインド料理界で言えば、
アーンドラのラマナイヤ、
経堂フードタイムのモルゲシュ、
吉祥寺かぶとのマハリンガム・・・
そしてアムダスラビー西葛西店の
土日&ときどきの祝日のランチブッフェにおける、
ムゲーシュ・シェフ。
かれらの料理を徹底的に食べこめば、
南インド料理の原理が最高水準で理解できます。


では、インド料理的思考とは、いったいどのようなものなのでしょう?





1)分類の原理。

中学校で勉強する初等幾何学では、三角形(と円)について、
しつこく勉強させられますね。そこで学ぶことは、
世の中にありとあらゆる三角形があるにせよ、
しかし、辺の数が3つなら、そのすべては等しく「三角形」です。
次に、すべての多角形はいずれも「三角形の集まりとして」、
とらえることができるからです。


たとえば、ラッサムとは、
濃度のない黒胡椒のスープに、
タマリンドとトマトの酸味、そして煮込んだ豆を少量、加えたもの。
なお、このスープの、トマトを強調すればトマトラッサム、
胡椒を強調すればペッパーラッサム、
ニンニクを強めに効かせればガーリックラッサムであり、
豆のうまみを強調すればダルラッサムです。
その他、ワタリガニを加えたり、鶏挽肉を加えたり、
マイソール地方の名を冠したものなど、
さまざまな種類のラッサムがありますが、
しかし、それらはあくまでもヴァリエーションであって、
基本はひとつです。


同様のことはサンバルにも言えますし、
多かれ少なかれ他の料理にも言えます。
そう、ひとつの基本に多彩なヴェリエーションがあります。


なお、南インド料理には以下のような分類があって。
ラッサム。
サンバル。
ポリヤル(野菜のスパイシー炒め、ココナツの香り)。
ダル(豆のポタージュのカテゴリー)。
コロンブ(カレーという語に近く、複数の味型を持っています)。
ワダ(揚げ物)カテゴリー。
ワルワル(ドライカレー)。
ビリヤニ/プラオ。
パン類。
ラッシーに代表される飲み物カテゴリー。
デザート類。


日本ではときどきサンバルを「野菜カレー」と表記したり、
ダルを「豆カレー」と書いたりするレストランを見かけますが、
しかし、啓蒙的見地から言えば、あまり良いことではありません。
なぜなら、サンバルには固有の香りと味型があります。
同様にダルは、けっしてカレーではなく、
しいて別の言い方をするならば「スパイシーポタージュ」と呼びたいもの。
と言うか、ダルはやはりダルなんです。


2)各部分と全体の関係の原理。


南インドのワンディッシュプレートたるミールスをイメージしてください。
ごはんに、ラッサム、サンバル、ポリヤル(野菜のスパイシー炒め、ココナツの香り)、
コルマ(ミルキーポタージュ)、コロンブ(ほぼカレーと理解してかまいません)、
そしてチャトニと称するピクルスが添えてあるようなスタイルが基本です。


ミールスは、けっしていろんなカレーを盛り合わせたものではなく、
むしろトマト~タマリンド系の酸味、胡椒の清涼感、ココナツの甘い香り、
ミルクのリッチなまったり感、
チキンカレーやマトンカレーの表現力あふれるグレイヴィー、
そしてデザートの優美な甘さ・・・。
それらは必ずしも、ひとつひとつの料理で独立しているわけではなく、
むしろ、酸っぱさ、(たとえばVathalなどの苦み)、ココナツの甘み、
ミルキーさ、赤とうがらしとグリーンチリの違った刺激・・・などなど、
それぞれの方向をそなえた料理が、おのおのはやや部品としてあって。
そしてそれぞれの味の料理を、あれ食べて、これ食べて・・・
と、ひと口ごとに違った味を舌に響かせる。
そんな悦楽に、それぞれの料理(部品)は奉仕しています。


したがって、たとえばサンバルにタマリンドを入れない場合もあれば、
入れる場合もあって。それをどちらが正しいとか、主流派だとか、
はたまた地域差があるのか・・・
などと考えたり議論をふっかけたりすることは、
愚考=ナンセンスというもの。むしろ、
全体を構成する料理群のなかに(たとえばラッサムがないなどの理由で)
酸味が足りないとおもえば、サンバルで酸味を補っても良く、
はたまた別の料理で補っても良い、ただそれだけのことです。
そう、さまざまな味のふりわけ。
それがもっとも大事な原理のひとつなんです。


3)よりシンプルなスパイス使いで、より大きな効果を上げることが偉いという原理。


日本人の西アジア料理マニアのなかには、
インド料理よりもタイ料理の方がだんぜん好きな人たちが一定数います。
(ぼく自身はインド料理こそを熱愛していますが、
しかし、かれらの趣味もたいへん理解できます。
なぜって、タイ料理のスパイス使いはシンプルで、
わかりすく、しかも派手だもの。
インド料理好きのぼくでさえも、そこに最良のPOPさを感じます。)


また、同様に、インド料理よりもむしろ
ネパール料理の方が好きな人たちもまた一定数いて、
かれらもまた(ぼくの趣味とは違いますが)たいへん筋のとおった人たちです。
しかもサンサール各店、プルジャダイニング、タカリバンチャ、
そしてナングロなどのファンのなかには、
インド料理なんてものには、ハナもひっかけないような、
激烈なネパール料理原理主義者さえもがいます。


なお、タイ料理とネパール料理のスパイス使いはまったく違いますが、
両者ともども、スパイス使いがシンプルで、
たいへんにわかりやすく、しかも前述の店みせの超絶料理人が作れば、
迫力満点。たとえばネパール料理に使うスパイスは、
ニンニク、生姜、グリーンチリ、ターメリック、ついでに紫タマネギ、
(田舎住まいのネパール人はたいていそれらを家の庭で育てています)、
外で買うのはクミンホールくらいなもの。


対照的に、インド料理は、とくに高級レストランにおいては、
シナモンだの、クローヴだの、アジョワンだの、ガラムマサラだの、
ありとあらゆるスパイスを使います。
ネパール料理的美意識から言えば、はなはだしい無駄使いです。
しかし、インド料理を愛する者にしてみれば、
たとえいかに多種類のスパイスを使おうとも、
その料理に対してそれが必要不可欠ならば、まったく問題ありません。
それだけのスパイスをふんだんに使うからこそすばらしい魅力を放つもの。
そしてそういったゴージャスなスパイス使いをもときには味わうこともまた、
インド料理を愛する者にとって、人生の最良のよろこびです。


余談ながら、世の中には、
タイ料理もインド料理もついでにネパール料理も、
「どれも同じくらい同じほど好き」と主張するような人物がいますが、
しかし、こういう人は、もうちょっとまじめに自分の舌と向き合って欲しい、
と、ぼくは個人的にはおもいます。
なぜって、どんな料理であっても、それが理解できる舌を作るには、
時間がかかるもの。そしてまた同じスパイス料理といえども、
人にはそれぞれ自分の舌に合った世界があるもので、
自分の舌の好みをはっきりさせてこそ、
食の話はおもしろいもの。
なんでもかんでもいいですね、というわけにはゆきません


4)香りの運動法則の原理。

たとえば、花火をイメージしてみましょう。
花火は写真に撮ってもけっしてその本質はとらえられません、
むしろ花火はムーヴィーで撮ってこそ、
他ならない「その花火」ならではの魅力がわかるもの。
なぜって、ムーヴィーでなければ、経時変化がとらえられないから。


同じことは、インド料理でも言えます。
たとえばビリヤニをイメージしてみましょう。
一般に、ビリヤニの基本スパイスは、
グリーンカルダモン、シナモン、クローヴで、
そこに加えてシェフ秘伝のマサラが加わりもすれば、
場合によっては(スパイスではないものの、うまみを足すために)
スープストックさえもが加わります。


最良の料理人が作った、作りたてのビリヤニを、
皿に盛って、食べ始めるとき、
香りの経時変化を感じることができます。
これがまさにインド料理の官能であって。
これほど魅惑的な体験はそうそうありません。
最初に皿から立ち上る香り。
そして口のなかから喉に上がってゆく香り。
そして味と溶け合って、もはや香りとも味とも言えない、
なんとも言えない香り。
そして最初にふわっと立ち上った香りが消えた後でも、
シナモンのミステリアスに甘い香りはしっかり残っていて。
しかもときおり、ごはんに混じったグリーンカルダモンを噛んだときなど、
あらためてその清楚な香りが生まれてきて。
まさに、食事そのもののが香りの万華鏡体験です。
悪いけれど、この官能は、けっしてタイ料理や
ネパール料理ではほとんど味わえません。
いいえ、たいていの国の料理は、極めれば無限におもしろいもの。
ぼくの意見とまったく違うタイ料理絶讃の見解や、
ネパール料理ブラボーな意見もまたあるでしょう。
そしてかれらにおいては、インド料理など
無駄に複雑でめんどくさいだけのしろものであることでしょう。
ぼくはただ、南インド料理に惑溺している自分の意見を述べたに過ぎません。


いずれにせよ、ざっと以上のように、
インド料理にはどくとくの思考と原理があります。
アムダスラビーのランチブッフェには、そのすべてがあります。
興味のある人はどうぞ、ぼくと一緒に探求してゆきましょう。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
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2022/09/10 更新

107回目

2019/09 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP-
    • | 酒・ドリンク-
    ¥1,000~¥1,999
    / 1人

南インド美食工房の(帳簿の)秘密。-South Indian Restaurant mahange hai.

ジャニーズ系ネパール人のSANTOSHが、
店の前で、道行く人にチラシを渡しながら、客引きをしている。
ぼくはその隣に立って、SANTOSHに教わった、
ヒンディー映画の歌を口づさんでいる。


paisa, paisa, karti ho kyu
paise pe marti ho.


ぼくの歌を聴いたインド人の家族連れが、
くすくす笑いを堪えきれない感じで通り過ぎてゆく。
インド人のコドモが振り返って、苦笑しながらぼくに手を振る。
なお、それは映画”Chandani Chowk to China" のなかの歌だそうで、
訳詞すれば、こんな感じらしい。


「カネ、カネ、カネって、なんなんだよ!??
カネなんかでは死にはしないってば!」


ぼくはコメディアンに憧れを持っているので、
ウケるとちいさくうれしいのだけれど、
それはそれとして、現実は、Paisa jindagi hai.
まずは、カネこそである。
たとえば、レストランの場合は、
いくらおいしい本格料理を格安価格で出していようとも、
しかし、お客が少ししか来てくれなければ、
やがてレストランはつぶれてしまう。


しかも、南インド料理店の場合は、
北インド料理店に比してざっと4割は多く原価がかかる。
そのうえ、南インド料理は、原価がかかるわりには、
南インド人たちと日本人のマニアたちにはウケるものの、
しかし、一般客のなかには「なんだ、こりゃ!??」という反応も多く、
なかなか繁盛店になりあがることは難しい。
アムダスラビー西葛西店とて、ここ1年こそ小繁盛店ながら、
しかし、開店から4年間はずっと、
高額原価のブッフェを安価(最初のしばらくは1400円だったけれど、
その後1200円に下げた)で提供しながら、
しかし、吹けば飛ぶような極小利益しか稼ぎ出せず、
同業者たちに笑われていたものだ。





たしかに南インドレストランは出費が多い。
30席のアムダスラビーの、
一週間の出費が、以下のとおりである。


骨なしマトン 5kg
鶏肉 2kg
ほうれんそう 2kg
グリンピース 1kg
カリフラワー1.5kg
インゲン 1kg
オクラ 4kg
マイダ(中力粉)25kg
塩 25kg
サラダオイル 16リットル
色粉(赤)てのひらサイズのちいさい1缶
レモン汁 1ボトル
ヨーロピアンマシュルーム缶 1缶
ベーキングパウダー 


しかもその他にスーパーマーケットで買うものがあって。
毎日、スーパーマーケットから買うものはーー。
牛乳 10パック。
(各種カレーのデコレーション用の)生クリーム2パック。


ちょこまか買うものを1週間分で換算するとーー。
キャベツ 20kg
ニンジン 10kg
ナス 2~3kg
じゃがいも ?kg
ニンニク&生姜が各2kg


生ビール&各種瓶ビールは1ヶ月単位の注文ながら、
1週間換算するなら、生ビール1.5リットル、
瓶ビール2ケース弱(60本弱)・・・
もちろん各種の豆とスパイス代が1ヶ月でかるく10万円は越える。


その他、タンドール釜用の炭、伝票、ペーパーナプキン、つまようじ、
トイレットペーパー、芳香剤、
消毒用アルコール、各種掃除用リキット、
店舗全体の殺虫にダスキンに払うカネが1か月1回5400円、
おしぼり代金1ヶ月2万円~2万4000円、
毎日のゴミ収集代、1ヶ月2万2000円・・・。
出費はひじょうに多い。





こうして考えると、南インドレストランは、
けっして賢い商売とは言えない。
いいえ、都心部にでっかい資本を投下して、
でっかく儲けている南インドレストランもあるにはある。
ただし、それらはどこも大資本を持っている経営者の特権である。
小資本でかんたんに儲けたいなら、どう考えても、
北インドレストランである。


アムダスラビー西葛西店にしても、
たとえば土日&ときどきの祝日のランチで、
たったの1200円で、あんなゴージャスな
ヴァラエティメニューが食べられるのは、
経営者もスタッフも全員が南インド料理を愛していて、
しかも、スタッフの給料が安く、
しいて言えば、とある酔狂なヴォランティアが、
土日ブッフェで、ただ働きしているからである。
ここ1年のアムダスラビーは小繁盛店になって、
いまの1200円の値段でもちゃんとしっかり儲かっているので、
もう少しスタッフの給与を上げるべきだとおもう。
なお、ぼくは個人的には、アムダスラビーのランチブッフェは、
勇気をもって1500円くらいつけるべきだともおもう。





ここ数ヶ月のアムダスラビーは、
かつて1年ちょっと続いた、
ガネーシュ・クマールームゲーシュふたり体制だった頃の
黄金時代と闘っている。
実は去る6月中旬、東日本橋店開店以降、
ガネーシュ・クマールはそちらのヘッド・シェフになり、
他方、ムゲーシュは単独で西葛西店の料理長になった。
あまりにもふたりがコンビだった時代が良かったので、
ぼくはその後のアムダスラビー両店を、はかなんだ。
おまけに、西葛西店の土日ランチブッフェが、
毎回毎回ナンしか出さなくなったことも、
ぼくをがっかりさせるに十分だった。


しかしながら、その後のムゲーシュの努力と達成は、
なかなかにたいしたもので、
そしてまた、さいきんは日曜日のランチブッフェに、
ドーサ~Idly系の充実が戻って来て、
ぼくはこの傾向をよろこんでいます。


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2022/09/10 更新

106回目

2019/09 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP-
    • | 酒・ドリンク-

啓蒙について。--「なんだ、こりゃ!??」からはじまる味覚の旅がある。

女の行動は正直なものだ。
あの人たちは好奇心と実感にしたがって生きているから。
(対照的に、男は頭でっかちで、
この世界をまるごと把握しようとがんばるあまり、
結果、好みや実感が追いつかない人たちが多い。)
いや、別の意味では、女は嘘つきでもあって。
女が嘘をつくときは、
(こう言えば相手がよろこぶかな)という計算のゆえである。
女の社交性のベースは、上手に嘘をつくことにある。
つまり、女は行動において正直で、言葉において嘘つきだ。
もっとも、必ずしもそうともかぎらない、
ときには女も正直そうなことを言う。


ぼくはアムダスラビーの土日ランチブッフェで、
ヴォランティアで、
黒板書きや料理に添えるプレートに料理名を書いたり、
開店からしばらくは給仕をやったりしていて。
こないだの日曜日ぼくは、食事を終えたある若い女性客に訊ねた、
「お味はいかがでした?」
すると彼女は答えた、「おいしかったです!」
ぼくは訊ねた、「なかには”なんだこりゃ!??”って料理も、
混じってませんでした?」
すると彼女は微笑んで言った、「全部の料理が、”なんだこりゃ”でした!」
ぼくは内心爆笑した、正直な女、発見!


彼女の感想はこういうことである。
よくわからないけれど、おいしい。
実は、こういう正直な感想を口にできるのはほとんど女で、
ぼくは女のそういうところが大好きだ。
男でこういうことが言えるのは、中小企業の社長さんくらいのもので、
たいていの男は、観念先行型ゆえに、
わからないものはおいしくないのである。
しかも、男の厄介なところは、
たとえ自分にとってちっともおいしくなくとも、
社会の秩序と価値体系に鑑みて(!)
ここは「おいしい」と言っておかなくてはいけないのではないか、
とかなんとか煩悶し、しかしおいしいという実感はないゆえに、
結局、小声でごにょごにょつぶやいたりするのである。


さて、西葛西アムダスラビーは
「本気の南インドレストラン」を標榜しています。
なお、いくら南インド料理がさいきん小ブームだとはいえ、
それはたいへんマイナーな話題で。
多数派の日本人は、
ナンも、サモサ、ケバブも、バターチキンカレーも召し上がっていて、
(それらはすべて北インド、パンジャビ料理なのですが)、
かれらは自分はインド料理によくしたしんでいるとおもっています。
ところがですよ、アムダスラビーのこの日のブッフェを食べてみたら、
どうですか?
マンゴーシューズがある。
鶏釜飯がある。
酸っぱくて胡椒の効いたえたいの知れない汁がある。
けんちん汁みたいなものがある。
ココナツの甘い香りを放つダイコンとニンジンの炒め物がある。
ぜんざいをカレーにしたような、アズキのカレーがある。
もちもち食感の小さなクレープがあって、
内側にじゃがいものスパイシー炒めが潜んでる。


はじめてこれらを召し上がって
「なんだ、こりゃ!??」
と、驚かない方がおかしい。
実は、それらはひじょうにまっとうな南インド料理なんですけれど。
もっともかれら彼女らのその反応にも3種類あって、
「なんだ、こりゃ (怒)」ばかりではなく、
「なんだ、こりゃ(判断保留)」や、
「なんだ、こりゃ❤(ハート)」までのニュアンスが
さまざまにあるところが、このはなしのおもしろさです。


いずれにせよ、東京のような大都会であってなお、
南インドレストランというビジネスは、
けっこう割りに合いません。
なぜって、食材原価が北インドレストランのそれよりも、
かるく4割は高い。しかも、
まじめに作れば作るほど、日本人のお客様に「なんだこりゃ!??」
と言われる確率も高くなる。
たとえばアムダスラビーが、ランチブッフェでたまたまナンを出さない日なんて、
ときにはお客様にボロカスにののしられることさえあって。
「舐めとんのか!
おまえんとこは、酢飯の準備のない鮨屋と同じやんけ。
そんな鮨屋、どこにあんねん! ふざけんなー、ボケッ!」
いいえ、さすがにそこまであけすけにおっしゃる人はいなかったけれど、
しなしながら表情でそう言っておられる人はそこそこいらしたもので、
今後も同様であることでしょう。
そんなときレストランのスタッフは、心のなかで小声でつぶやく、
「ご縁がありませんでしたね。」


さらには、世の中にはインド家庭料理に忠実なレストランもあって、
そもそもタンドリー釜を持たず、とうぜん
ナンを出すなんてことはまったく眼中にないお店もあって。
そういうレストランは例外なく誇り高いものだけれど、
しかし、世の中、誇りでなんとかなる場合ばかりではありません。
案の定、「ナン、出しません派」のお店と、
「ナン大好き派」のお客の conflict(対立)が日常化する。
「ナン大好き派」のお客はナンがないならば、2度と食べには来ません。
しかも、次から次に新しいお客が現れて、
口ぐちに困惑と失意をスタッフに告げるのだ。
いつしかお店側のスタッフは説明に疲れ果てて、
「毎日毎日こんなことやってられるか!」と怒り心頭、
そして店頭に張り紙を貼る、「ナン、ありません!」
同業者なら誰だってその気持ちはよくわかります、
実はあれは「悪霊退散」のお札なのだ。
なんと痛ましいボタンのかけまちがいであることでしょう。
店主も客も、両者ともどもインド料理が大好きなのに。


もっとも、いまだに南インド料理には新奇性があるゆえ、
メディアに採り上げられる機会は多いけれど、
しかしながらだからといって
繁盛店になれるかどうかはまったくわからない。
経営者は自分の店がろくすっぽ売れてないときに、
たまたま「ターリー屋」さんの前など通ったりすると、
その大繁盛ぶりに、心が揺れます。
悪魔の囁きが聞こえてきます。
しかしながら、だからといって、
南インドレストランが過度に北インド料理にすり寄ってゆけば、
結果、アイデンティティを失ってしまいます。


ましてやアムダスラビー西葛西店は4年間の苦節を経て、
ようやくこの1年半、小繁盛店になれたのだから、
これからも、もっとも多くのヴァリエーションで
南インド料理を提供してきたことに誇りを持って、
ひきつづき南インド料理の愉しさ、ゆたかさを
啓蒙し続けていって欲しいもの。


このところの土日ランチブッフェは、
日曜がよりいっそうマニア度が高い傾向にあります。
ラッサム、サンバルがともにあって、
パン系は日によって、
idly や小マサラドーサなどがふるまわれています。


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2022/09/10 更新

105回目

2019/09 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP-
    • | 酒・ドリンク-

おなかのなかから美しく、HAPPYに。

9月1日(日)のランチブッフェでは、
ナンのみならず、Idly(米粉と豆粉の蒸しパン。
かるかんまんじゅうあんこ抜き?)と、
ミントチャトニ(ミントのディップ)もまたふるまわれました。
ぼくは声を大にして言いますよ、
すばらしい! こうでなくてはいけません。
これこれこれこれ、これですよ。これでこそアムダスラビー。
なぜって、これは、ここ半年近くつづいていた、
パンはもっぱら、ナンもしくは「ほとんどナン」であるところのクルチャしか
出さなくなっていた、そんな流れを止めて、それに先立つ1年間ほどの、
アムダスラビー西葛西店の「本気の南インド料理」、その黄金時代、
すなわちガネーシュ・クマール&ムゲーシュ、2人シェフ時代の姿勢に、
一歩、回帰したことを意味しています。
ぼくはこの小英断に拍手を送ります。





レストランは営利事業ですから、
どこを見るかによって、評価は揺れ動くもの。
売れてない店は、いくら料理がおいしく本格的であろうとも、肩身が狭いもの。
(アムダスラビーも開店以来4年間は、そうでした。)
他方、いったん売れてしまうと、たいていは評価も安定し、経営もやりやすくなるもの。
けれども、あえてそういうことを括弧に括って、内容や方向性についての批評はあって良く。
アムダスラビーのここ半年は、
経営的にも料理のクオリティ的にもとても良いのだけれど、
ただし、もしも純粋な南インド料理マニアとして言うならば、
むしろ2017年の秋あたりから2019年の2月初旬あたりまでの、
アムダスラビーのブッフェこそが、サイコーにおもしろく、
毎回毎回が、まったくもって目の離せないものでした。
顕著に、パンのヴァラエティがとてもゆたかだった。


当時はパロタ(うずまきパン)を基本としつつも、
そのパロタも、ときにはBun Parotta(スポンジブレッドスタイル)や、
Tawa Aloo Parotta(内側にじゃがいものスパイシー炒めをひそませたパロタ)も
出したもの。
Viru Dhungar Parottaもまた。


Idly(かるかんまんじゅうあんこ抜き)だってメニューに載った。
Kanchpuram Idly さえも。

Dosaだって、Moong Dal Dosa も、Adai Dosaも出した。

パンケーキ、Uttapamも、Onion Uttapam、Masara Uttapam、
はたまたVegetable Uttapam とヴァリエーションがあった。

Pesarattu(ムング豆とチャナ豆のパンケーキ)もまた。

ディップだって、レッドチリやミントのそればかりでなく、
ピーナツ、キャロット、ピーマン、オニオン、ビーツと自由自在でした。


こういう世界があってこその、「本気の南インドレストラン」であり、
いまふたたびアムダスラビーがこの世界へ回帰したならば、
こんなすばらしいことはありません。





もう少し全体的に紹介するならば、
2019年9月1日(日)のランチブッフェはこんな構成でした。

Andra Mutton Biryani & Onion Raita
羊ビリヤニ&ヨーグルトサラダ、タマネギ入り

Egg Bhrji Curry
カキタマカレー

Navratan Kurma
「9つの宝石」という名のカレー、
リンゴ、パイナップル、グレープ、ニンジン、グリンピース、
スウィートコーン、ビーツ、マッシュルーム、パニール入り。

Idly & Mint Chutney
かるかんまんじゅうあんこ抜きとミントのディップ

Keerai Medu Vada
揚げたてふかふかがんもどき、小松菜入り

Dal Rasam
ラッサムスープ、豆のうまみを効かせて

Kadamba Sambhar
具だくさんの、南インド、けんちん汁?

Naan
ナン

Japanese Rice
多産地混合日本米

Vegetable Juice
野菜ジュース

Carrot Halwa
ニンジンのミルク煮


ムゲーシュ・シェフによる
メニュー構成もたいへんリッチで、ゴージャスなもの。
マトンビリヤニがたいへんおいしいのは言うまでもありません。
ナブラタンコルマは、まさに「9つの宝石」という名にふさわしい、
優美な仕上がり。
サンバルとラッサムが揃っているのも良い。
また、全体的に味の振り分けが良く、
いずれもおいしく華やかなのはもちろんのこと、
そのうえ、たいへん多彩な食材が用いられているがゆえ、
腸内細菌叢をよろこばせる内容になっています。


そしてこの日はじめての試みはVegetable Juice で、
これは「ジャニーズ系ネパール人」の
Santosh が担当しました。この野菜ジュースは、
ニンジン、キューリ、トマト、ジャックフルーツ、
キャベツ、リンゴ、パイナップル、そして、
けっして血糖値を上げず、しかも腸内細菌のエサになる「オリゴ糖」を
少々加えて構成されています。
色は、キャロットオレンジに仕上がっていながらも、
味は、おだやかなニンジンベースの甘みのなかに、
林檎の優しい甘みと酸味が加わり、
しかもそこにグリーン系の野菜の立体感さえも加わって、
キュートで、素敵においしく、しかも腸内細菌たちもよろこぶ仕上がり。
ぼくは何杯もおかわりしたもの。


このヴェジタブルジュースには、インドレストランのひとつの未来が感じられます。
なぜって、そもそも南インド料理には豆や野菜のメニューが多く、
ヴェジタリアンにとってほんらい夢の楽園です。
いいえ、肉好きにとっても、野菜をたくさん食べることは、
とても大事なこと。
そして南インド料理は、肉好きをも野菜好きをも大満足させるゆたかな世界があります。
しかしながら、上手に食べてこそそのメリットを享受できるもので、
逆に、下手に食べると、炭水化物過多と油の摂取量が多いゆえ、
太ってしまう可能性もまたあって。
それはひとえに、レストラン側のプレゼンテーションと、
食べ手のリテラシーにかかっています。


南インド料理は、もしも上手に食べるならば、
地中海ダイエットと同じメリットを受け取ることができます。
レストラン側も、もっともっと強くハッキリ野菜のおいしさをアピールしてゆくと、
南インド料理の新しい扉が開かれることでしょう。
今回の野菜ジュースには、そんな可能性を感じることができました。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
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2022/09/10 更新

104回目

2019/08 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP-
    • | 酒・ドリンク-
    ¥1,000~¥1,999
    / 1人

ミッションをおもいだす。

アムダスラビーのミッションは、
「Serve the real south Indian food.--本気の南インド料理をふるまうこと」です。
そして、このごろのアムダスラビー西葛西店は全体的にはとてもいい。
少なくとも、とくに土日&(ときどきの)国民の祝日の、
ランチブッフェ 税込1200円は、
たいへんにおいしいし、野菜も豆も豊富で、高い原価によく耐えていて。
またムゲーシュ料理長の成長も著しく、
インド人にも日本人にもおおむね笑顔で迎えられ、
お客さんの美女率も高く、集客も上々。
ただし、このエントリーは、
「それはそうなんだけれど・・・」というはなしではあって。


なるほど、東京にインド料理の名店は他にもあって。
銀座アーンドラ・ダイニングの、
ラマナイヤ・シェフの巨匠の円熟。
吉祥寺かぶと の、マハリンガムおまかせコースの、
優美で凶暴なとてつもない表現力。
経堂フードタイムのモルゲシュ・シェフの超絶名人芸。
小川町 三燈舎のおしゃれな内装とリアル南インド料理のマリアージュ。
千歳船橋カルパシの日本人、黒澤シェフのなにものをも恐れない創造性・・・。
けれども、もしもこのリストのなかに、
アムダスラビー西葛西店が入っていなかったならば、
信憑性はすべてなくなってしまうでしょう。
なぜって、アムダスラビーの土日&ときどきの祝日ブッフェほどに、
南インド、タミル料理に本気のレストランは、ありません。
なにしろラッサムにせよ、サンバルにせよ、ポリヤルにせよ、
アヴィヤル、クートゥー、ワダ~ボンダにせよ、
はたまたビリヤニ~プラオにせよ、
ありとあらゆるヴァリエーションを出ふるまってきたのだもの。
こんな南インドレストランは、実際に東京に、他にひとつもありません。


ただし、それはそうなんだけれど、
でも、気がついたら、
アムダスラビーのミッション、
「本気の南インド料理」が、
いくらかなりとも薄まってやしないかしらん???
ぼくはこれを危惧しています。
実はこれが、このエントリーの主題なんです。


アムダスラビーの土日&祝日ブッフェは気がついたら、
ラッサムこそ必ず出しているものの、
しかしいつのまにかサンバルは日曜日しか出さなくなっていて。
はまたパンも、さいきんはナンか、
「ほとんどナン」であるところのクルチャしか出していない。
かつては長いこと、断固、パロタ(うずまきパン)しか出さなかったもの。
その後、ガネーシュ・クマール&ムゲーシュのふたりシェフ体制になってからは、
パロタのみならず、その日ごとに、たとえばスモールドーサや、
idly(かるかん饅頭、あんこ抜き)をも出してきたもの。
ついでに言えば、ポンガル(お粥)を出したことも数回ある。
しかし、さいきんはそういうおたのしみがなくなってしまった。
ぼくはそれをとっても残念におもう。


いいえ、ぼくだって知っている。
西葛西であってなお、けっしてナンがなくては
ゼッタイに許してくれないお客さんはそこそこいらっしゃる。
「え? ナンないの??? じゃ、食べません、帰ります。」
そんなお客さんは、一定数いらして、
ぼくはかれらの素直さが(実は)好きではあるけれど。
また、「南インドレストランでありながら、
やむなくナンをも提供する」ことは、
日本のほとんどの南インドレストランが採用していることで、
レストランは営利事業なので、それじたいは当然の選択だとはおもう。


でも、だからといって、レストランがみんなに好かれようとすると、
結果、誰にも好かれなくおそれもまたあって。
しかも、ナンがきっかけとなって、レストラン全体の方針が揺らいでゆく、
そんな可能性だってなきにしもあらずです。
また、この現在を是とするならば、ミッションもまた変えなくてはならないでしょう。
たとえば、「だいぶ折衷的ながら、それでも
南インド料理にそこそこには本気のレストラン」とかね。
あるいは、「ムンバイのタミルレストランのように」とかね。
いずれにせよ、ミッションと現実はしっかり一致していて欲しい。
なぜなら、もしも両者がズレてしまうと、
そしてそのズレをそのままにしておくと、
いつのまにかレストランは指針を見失い、
提供するサーヴィスは、右顧左眄を繰り返し、
結果、客側のそのレストランへの関心も支持も不安定になって、
いつしか薄らいでゆくでしょう。


そんなふうにおもうぼくは、
アムダスラビー西葛西店がここ1年、小繁盛店であることをよろこびつつも、
パンケージ・ゴヒルさん(だんなさんの方)に以下のようアドヴァイスをしたのだった。
もしもこのまま「本気の南インド料理店」のミッションでいくのだったら、
ときどきは、パンにしても、
ナンばかりじゃなく、パロタ、idly、スモールドーサなど出しましょうよ。
そしてラッサムのみならず、サンバルだって、もっと出しましょうよ。


そんなぼくの意見に、ゴヒルさんは、答えた、
I agree with you.


ゴヒルさんのこの答えには、この件についての善処が期待されます。





この日8月24日(土)ラストオーダーぎりぎりにいらしたのは、
タミルナドゥ州の最南端ティルネルヴェリご出身のご夫妻と、
3歳のお嬢さんSherylさん。彼女は大きな黒い瞳をして、
ブラウンカラーの肌に黒髪のショートヘア、
オレンジ色の地に切ったスイカの絵柄のノースリーブのワンピースを着ている。
Sheryl はえらくぼくになついて、閉店間際に他のお客さんも少ないダイニングで、
彼女に乞われるままにぼくは、彼女の両脇を持って、
高い高い(”Lift me up!"ー”Up, up, high!”)を、
なんと十数回も繰り返したのだった。
Sherylもそうだったろうが、ぼくも夢のようにしあわせだった。




ハンサム白人給仕長のGyan Dev が西葛西へ戻ってきました。
かれは去年2018年9月3日に、ネパールへ戻って、
1年間家族としあわせな時間を過ごしていたもの。
(もっとも、そのかんかれはバイク事故で右肩の鎖骨骨折などもしたけれど。
それでも)、1年間の休暇はかれの笑顔をいっそう爽やかにしていました。
今後かれがどこのレストランで働くことになるか、
それはいまのところ未定。わかり次第、お伝えします。





8月25日(日)のランチブッフェ1200円は、
ハイデラバディ野菜ビリヤニ、
チキンペッパーマサラ、
ペッパーラッサム、
オクラとナスのサンバル、
冷菜 モールコロンブ(ヨーグルトシチュー)など、
素敵においしい南インド料理が12種類。
パンはナンだけですが、かなりたのしいとおもいますよ。


理想の来店時刻は、11時です。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
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2022/09/10 更新

103回目

2019/08 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP-
    • | 酒・ドリンク-

花と卵。

開店まえの朝10時20分、
いつものようにぼくは表通りの脇のエントランスで、
黒板にチョークで花の絵を描いていた。
きょうは右上に白いアマリリス、左下にマジェンタ色のアリウム・ギガンチウム。
そして空いているスペースに、白いチョークで料理名を書いてゆく。


ジャニーズ系ネパール人のSANTOSHが掃き掃除の手を休めて言った、
「hana ですね。」
SANTOSHは、日本語をちょっぴり知っていることが得意なのだ。
ぼくは答えた、「そう、hana。そしてhana にはもうひとつ別の意味もあるよ。」
そしてぼくは自分の顔のまんなかにある突起物を指差した。
SANTOSHは感心しつつ訊ねた、「どうやって使い分けますか?」
ぼくは答えた、「 depend on context.(文脈に応じて)。」
SANTOSHは言った、「そういうことは、ネパール語にもあります。
ネパール語で flower は phool。そしてphool にはまた eggという意味もあります。」
ぼくは言った、「ネパールでは花も、チキンのエッグも、同じ言葉、phoolなんだ?」
SANTOSHは言った、「そう。」





2019年8月17日(土)のランチブッフェは以下のメニューだった。


Amboor Chicken Dum Biryani (鶏釜飯、アムブール・スタイル)
Keema Egg Korma(鶏挽肉とスクランブルドエッグのシチュー)
Yellow Dal Masala(黄色い豆のカレー)
Kerala Lobia Curry(ロビア豆のカレー、ケーララスタイル)
Cabbage Poryal(キャベツのスパイシー炒め、ココナツの香り)
Keerai Bonda(コロッケ、ほうれんそう入り)
Sakura Ebby Rasam(ラッサムスープ、サクラエビ入り)
Veg Kulcha(ほとんどナン、あれこれ野菜入り)
Japanese Rice(おコメのプロがブレンドした多産地混合日本米)
Green Moong Sprouts Salad(3日かけて発芽させた緑豆のサラダ)
Aval Kheer(ライスフレーク”ポハ”のミルク煮)
Mango Juice(マンゴージュース)


料理長は、南インド、タミルナド州出身のムゲーシュ。
総じて、たいへんおいしく、食べていて、とっても楽しい。
ぼくはアムダスラビーのランチブッフェが世界でいちばん好きだ。
ただし、しいて言えば、この日の構成は、豆のポタージュ系が2品あって、
どちらか1品はサンバル(けんちん汁のようなもの)に替えればいいのに、
と、ぼくは感想を述べた。
するとムゲーシュは言った、「サンバルは日曜だけに出すって、決めてんだよ。」
なるほど、ラッサムと並んでサンバルもまた、
南インド料理の魂ではあるものの、
ただし、お客さんによって、好き/嫌いが分かれるゆえ、
ムゲーシュも用心深い。ムゲーシュもプロらしくなったものだ。
発芽緑豆のサラダは、発芽させることによって栄養価を高めるもので、
インドの家庭ではよくやるものの、しかし、レストランでは
やる店はたいへん少ない。おもしろい試みだとおもった。
ただし、なんとも味がなく、そっけない。
ぼくは言った、「ヴィネグレットソース(フレンチドレッシング)かなにか
かければいいのに。」
すると、給仕長のサプコタ・チャビラルは笑って言った、
「インドではそんなことしないよ。でも、あなたの好みを考慮すると、
タマネギのスライスとトマトのスライスを入れて、
チリペッパーを振れば、完璧ね。」
ぼくは感心した、サプコタ・チャビラルは、
ちゃんと、”ぼくの好みのインドスタイル”を教えてくれる。」





この日、SANTOSHは、洗いあがった皿を次から次に乾いた布で拭きながら、
ダイニングの一角を見つめ、ぼくに耳打ちした、
「わたしの好みは、あの女の人です。」
それは、いかにも明るく楽しげに召し上がっている、
ふたりの日本女子の片方の人だった。
彼女たちはちょうど料理を食べ終わるタイミング。
ぼくは言った、「じゃ、SANTOSH、きみがデザートのキールをふたつ、
彼女たちにサーヴしてあげたら?」
SANTOSH はものすごくためらったものの、
結局、ぼくに背中を押されて、
たいへんにおずおずと、ものすごく照れくさそうに、
緊張しながら、彼女たちにキールをふるまっていた。




さて、きょう8月18日(日)のランチブッフェは-----。
Mutton Biryani(骨つき羊釜飯。)
Chettinad Fish Curry(魚がなにかはいまのところ不明--後註:ブリでした。)
Vegetable Jalfrezi(タマネギ、ピーマン、パニール・・・)
Palak White Chana Dry (白い豆のドライなカレー、ほうれんそう入り。)
Poosanikai Sambhar(カボチャのけんちん汁)
Milagu Medu Vada(揚げたてふかふかがんもどき、胡椒風味)
Corriander Rasam(ラッサムスープ、コリアンダーリーフを効かせて)
Boondi Raita(ヨーグルトサラダ、てんかす風のベサン粉の小ボールを具材に。)
Naan
Fruit Burfi(スウィーツ:あれこれ果実のバルフィ)
Ice Lemon Tea

お薦めの来店時刻は、11時です。

後記:たいへん充実した内容で、バランス良く、
さいきんのアムダスラビーの ランチブッフェの
水準の高さを見せつけるものでした。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
http://tabelog.com/rvwr/000436613/

2022/09/10 更新

102回目

2019/08 訪問

  • 昼の点数:-

    • [ 料理・味-
    • | サービス-
    • | 雰囲気-
    • | CP-
    • | 酒・ドリンク-

もしもサンバルライスがランチメニューにあったなら、ヴェジタリアンたちは、もっとうれしいんじゃないかしら。

このごろのぼくの食生活はかなりヴェジタリアン寄りで、
毎朝、数種の葉野菜のグリーンジュース
(いまっぽく言えばGreen Smoothie)を作って飲んでいるし、
週4日か5日はアルコール、果物、ナッツ、野菜、豆、豆腐で過ごしています。
(逆に言えば、週に2日か3日は、ぼくは肉や魚も少し食べる。)
各種乳酸菌錠剤も毎日飲みはじめた。
実はぼくは帝王切開で生まれてきたらしく、
おそらくそのことに由来してコドモの頃から肌が弱く、
幼稚園の頃はありとあらゆる病気にかかったものだ。
(その後、たいへん健康になって、
中年半ばまでは不自由なくやりすごしたものの、
ただし、長年のアル中そのほか不摂生がたたって)、
いままた皮膚科のお世話になっていて。
そこでぼくは、まずは、腸から健康になろう、と考え、
食事は自分の愉しみのためのみならず、
腸内細菌たちにエサを与えるものでもある、という考えに至った。


ヴェジタリアン生活の向き/不向きは、
その人の腸内細菌叢がヴェジタリアン仕様に変化できるか否か、
に、かかっていて。
もしもその人の腸内細菌叢が肉食時代のままでは、
ヴェジタリアン寄りの生活はただただ苦しく、
場合によっては、体が衰弱してしまうでしょう。
大事なことは、自分の体を改造してゆくのだ、という意志をもって、
ヴィタミン&ミネラル錠剤で栄養を補いながら、
あるていど徹底的にやること。
いずれにせよ、ぼくの体はここ二ヶ月で
あるていどヴェジタリアン寄りになったようで。
体も軽くなった。肌の脂っぽさも消えた。思考も冴える。
睡眠時間もやや短くなった。ただし、すぐ腹が減る。
こうしてぼくはヴェジタリアン寄りの食生活の効用を知った。
ヴェジタリアンライフ、けっこう、おもしろいね!





アムダスラビー西葛西店のランチブッフェ(1200円税込)は、
豚組しゃぶ庵のランチブッフェ(1000円税込)や、
焼肉の名門 天壇 銀座店のランチブッフェ(1500円~)などと並んで、
たいへんに野菜が豊富ゆえ、腸内細菌叢の健康を考える人たちにとって、
ひじょうにありがたいもの。
そうです、いまや、しゃぶしゃぶ屋や焼肉屋でさえも、
豊富な野菜を提供してこそ美女たちが集まる、
そんなご時勢です。


さて、そんなアムダスラビー西葛西店ながら、
しかし、ウィークデイランチになにを食べようかしらん?
と、考えたとき、ざんねんながら、食物繊維豊富なメニューの、選択肢はやや少ない。
サウス・インディアン・ターリ(いわゆるミールスです) 1100円。
あとは、マサラドーサセット 1000円、
プレーンドーサ 900円くらいです。
ドーサは米粉と豆粉からできていますから、
そこそこ食物繊維が摂れます。マサラドーサは、
内側にじゃがいものスパイシー炒めもひそんでいます。


この話題においては、もしもナンを全粒粉の小麦粉(ATTA)で作れば、
食物繊維も豊富に摂れてたいへんに良いのだけれど。
しかし、そういうことはインド人はあまりやりたがらない。
なぜってナンは、MAIDA(中力粉。日本では日清製粉のカメリカ小麦粉)で作るもの。
ナンは卵を混ぜいれるゆえ、タンパク質が摂れるというメリットはあるけれど、
しかし、腸内細菌叢的には魅力がない。


もしも全粒粉(ATTA)のパンが食べたければ、
パロタ、チャパティ、プーリを食べれば良い。
腸内細菌叢的には、こちらの方が歓迎です。
ただし、卵は使わず、粉の他は塩と水だけ。





きょう、朝11時頃、ぼくは、ムゲーシュとサプコタ・チャビラルに呼ばれて、
ちょっとした日本語関係のヤボ用をかたづけた。
お礼に、かれらはぼくに まかない料理を、ふるまってくれた。
(なお、アムダスラビーのスタッフは、だいたいの日は、
店でお客さんに出している料理を食べるのだけれど、
ときどき、メニュー外の、まかない料理を食べる。)
この日は、こんな構成。

1)マンゴージュース。
2)ミニサラダ(キャベツの千切り、サウザンアイランドドレッシング)。
3)サンバルライス。
白ごはん(多産地混合日本米)に、オクラとニンジンのサンバル(けんちん汁のようなもの)を
かけたもの。いわゆる南インド猫飯のひとつ。
4)インディアン・チャイ。


南インド人にとっては、たいへんにあたりまえな、
なんのヘンテツもない家庭料理なのだけれど、でも、ぼくはとてもうれしかった。
なぜって、サンバルは、いつもアムダスラビーの土日ランチブッフェや、
他店のミールスでしょっちゅう食べているけれど、
でも、こうして皿いっぱいのごはんの上に、
なみなみとサンバルをかけて食べる機会はそうそうない。
そのおいしさは地味なものだし、
良く言って、「滋味ゆたか」な「ひなびたおいしさ」、
悪く言えば、「ばばあくさく」、「貧乏くさい」。
なお、ぼくにとっては、しみじみおいしく、
(だって、ムゲーシュのサンバルとラッサム、
そして本気のときのビリヤニは最高においしい)。
しかもごはんと野菜が腸内細菌たちのエサになる。
ぼくもうれしく、しかもぼくの腸内細菌たちもおおよろこびである。


スタッフにとっては、サンバルは、ミールスやドーサセット用に作るのだから、
サンバルライスをメニューに載せることはかんたんである。
しかし、インド人経営者や料理人たちは、
きっと恥ずかしがって、サンバルライスをメニューに載せることをためらうでしょう。
かれらはきっとこう考える、
こういうものはあくまでも家庭で食べるものであって、
けっしてレストランにふさわしい料理ではない。


ぼくはかれらがそう考える事情もわかりはするものの、
しかし、いくらかそれを残念におもう。
なぜって、もう少し、腸内細菌叢を気遣う人や、
ひいてはヴェジタリアンの側に立って、
メニューを考えるならば、必ずや、集客に貢献できるだろうに。


ぼくはおもう、
ランチのサンバルライスが人気のインドレストラン。
そんなレストランはありえる。


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
http://tabelog.com/rvwr/000436613/

2019/08/19 更新

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