『我的印象北京、2005年。(13)』ジュリアス・スージーさんの日記

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ジュリアス・スージー (男性・東京都)

日記詳細

万里の長城にはゴテンヨクという場所までクルマで行った。(結構遠いんだ、北京の中心部から2時間くらい、人里離れた場所にある)、そこからリフトで登ったよ。リフトの下には、栗の木、松の木、枯れた木々が寂しげに生えてる。ぎざぎざした山肌が見えて。リフトは結構地面から高い場所を移動する。ぼくは友人が言った言葉をおもいだしたよ、「中国では命が安いですからね、最高額で600万円くらいですから。」


長城の上では、城壁のあいだの階段を降りたり登ったりして、また要塞じみた囲いのなかから、四方を見渡しもした。そこではモンゴルの赤ら顔の男が、胡桃の細工ものを売ってたよ。胡桃のなかに、万里の長城が細工してある。モンゴル男は、山の向こうから丘を越えて、万里の長城まで、はるばるやって来る、この胡桃を売りに。なんという苦労、なんという小商いだろう。



ぼくは始皇帝のことを考えた。始皇帝は、最初の統治者として、廃藩置県みたいにして行政を完備し、万里の長城の建立に着手し、そして過去の文物をすべて焼き捨てた。そう、焚書である。焚書、なんと中国に似合うことだろう。始皇帝から毛沢東、そして現在。中国には、いつも現在だけがあって、過去はいつも霞のなかなのである。長城からの帰りは遊園地のボブスレーみたいなのに乗って、斜面を降りた。







故宮(紫禁城)はなにしろデカかった。漢人統治の明の時代に作られ、満洲人がこの場所を奪い取って、清の時代となった。そして20世紀後半からは、毛沢東の肖像が飾られた柿色のファサードを入ってからが長い。いくつもいくつも門が現れるのだ。でかいよ、紫禁城。でかすぎ。ガラスのショウケースのなかに金メッキの装飾時計が飾られていた。象が牽く車、そこにはラッパ吹き、旗持ち、斧を持った兵隊、そして時計を掲げる従者、武具甲冑に身を包んだ者たちが時計を抱える。歴史という名の気まぐれな象に牽かれながら? ぼくはみちるさんと一緒に、故宮(紫禁城)のなかの、博物館にいた。静まり返った館内にはさまざまな装飾時計や、からくり時計が、飾られていた。ようやくすべてを通り抜けて、外に出たら、夕方だった。故宮の外の掘りの脇を歩いた、気持ちのいい夕方の風に吹かれながら。水平に拡がる城壁。柳が風に揺れ、赤ら顔の男が力車を走らせて通り過ぎていった。




https://tabelog.com/rvwr/000436613/diarydtl/170301/へつづく

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