ぼくにはあらかじめの心の準備はなにもなかった。
そもそもぼくはただ佐野くんに誘われるままに、
六本木ヒルズのオープンエアの、
複数のバンドやミュージシャンが出演する、
無料ライヴを聴きに来ていただけだった。
ぼくはただよく晴れた5月の休日に、
気持ちのいい風に吹かれながら、
佐野くんとふたりでいろんな音楽を聴くだけで、
それだけで十分楽しかった。
実際、コンサートパンフレットに載っている、
その人の名前を見たときも、
ぼくはもちろんのこと、
音楽マニアの佐野くんでさえも言ったものだ、
「ナガオカ・リョースケ? 誰だろう?
聞いたことないな。」
それぞれおもいおもいに魅力の異なった出演者の後に、
黄色いベースボールキャップをかぶり、
白い長袖のTシャツに黒のパンツを穿いた、
痩せた、一見気の弱そうな(?)男が現れ、
言葉少なに、謙虚で、腰の低い、
ユーモラスな挨拶とともに、
薄手のアコースティックエレクトリックギターを
弾きはじめた。
抜群に正確なリズム感、
右手はピックを使わず、親指と他の指を
巧みに使った指さばきで、弾き出す。
いわゆるジャズ系の和音の流れがまた
当意即妙で、実にクールだ。
ときに甘い和音の流れで聴き手を惚れ惚れさせもすれば、
次の瞬間には、軽く苦みのある和音につなげる。
そのスタイルは、Ry cooder や、
はたまたJames Tayler、
おまけにDavid Lindley さえもを連想させもすれば、
ぼくのまったく知らないジャンルであるところの、
カントリー&ウェスタンが基本としてありそうな、
なんとも独特なもの。
そして佐野くんは気づいた、
「あ、スージーさん、この人”浮雲”さんですよ、
東京事変でギター弾いてる人ですよ!
そっか、きょうは本名で出演してるんですね。
道理で、巧いわけだ!」
しかも、かれが自作の歌を歌いはじめると、
その歌詞は、いくらか内向的で、
傷つきやすく、それでいて心優しい、
これもまたなんとも独特なもの。
ぼくは、音楽の絶妙な展開に驚くたびに、
佐野くんの腕をつつき、
ふたりで顔を見合わせ、微笑みあって、
無言でかれの才能を賞讃した。
ぼくはかれの歌を聴きながらおもった、
ぼんやりビルの隙間の空を見ながら。
孤独なギター少年が、
どんどん音楽に惑溺しながら、
なんともオリジナルな音楽スタイルを
長い時間をかけて、少しづつ作り上げ。
そして、いま、このステージに立っている。
ぼくは佐野くんに囁いた、
「どんなジャンルにせよ、
表現は巧くなくては、
おもしろくもなんともないね。
そしてまた、
どこにすごい人がいるか、
わからないもんだねぇ。」
佐野くんは言った、
「きょうは、この人を聴けただけでも、
大収穫でしたね。」
そしてぼくは例によって、
言わなきゃいいことを言い添えた。
「おれももっともっと文章を巧くならなくちゃ。」
佐野くんが苦笑したことは言うまでもない。
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なお、このコンサートは、
大橋トリオの大橋さんのダイレクションで、
大橋トリオの演奏がまた、
いかにも矢野顕子さんの好きそうな、
そして矢野さんの最良の部分を継承しつつ、
それでいて独自の発展を遂げている、
そんな素敵な音楽で、ぼくは興味を持った。
また、kitri という京都の姉妹ピアノ連弾デュオは、
ふたりおそろいのマジェンダ色のジャンパースカート姿とともに、
まるで村上春樹の小説に出てきそうな、姉妹で。
彼女たちは、まるで歌うラベック姉妹みたいだった。
ロシア系のクラシック音楽を自由に使いこなし、
彼女たちならではの幻想的な世界を描き出していた。
佐野くんは、西洋古典音楽系には無関心ゆえ、
いくらか退屈そうだったけれど、
ぼくにはけっこう魅力的だった。
5日のトリは秦基博さんで、善良そうな女性ファンたちを
たいへんに熱狂させていた。
そのモテモテぶりに、ぼくと佐野くんは軽く嫉妬した。
そしてコンサートは終わり、
とっくに夜の帳が降りていた。
ぼくらは六本木の街を歩き、
麻布十番の方まで夜の散歩を楽しんだ。