『ラーメンに思ふこと』おばかずさんの日記

おばかずの楽しい美味しいお店紹介

メッセージを送る

日記詳細

子供の頃から大好物のラーメン。
決して裕福な家庭ではなかった。でも貧しい方でもなかった。公務員の父親は、1~2ヶ月に一回はラーメンをごちそうしてくれた。

札幌生まれ札幌育ち(今は旭川)。昭和44年生まれだった。そして、札幌とは思えないくらいのど田舎に住んでいたので家の前は原生林みたいな所。蛇を捕まえたり、キツツキを眺めたりしていた。

そんな所にあったラーメン屋は車で15分ほどいったところにあった、当時チェーン店の
えぞっこラーメンだったな~。小学低学年の時から行っていたな。

大将と小僧さんみたいな人そして、女将さんがいてラーメンを運んでいた記憶がある。

ラーメンがオーダーされる度に、大将は大きな中華鍋を振り、大きな炎が立ち上がっていたっけ。そして、炒めたもやしはそのままラーメンの上にのっけていた。

熱々の油がスープの上に乗り、スープを啜ると子供の口では毎回やけどになってしまうほどだった。
あまりにも熱くて、麺を啜るときもスープを啜るときも空気を同時にたくさんすいこんで飲み込んでしまいおなかいっぱいになってしまったっけ。

子供の頃から、
熱い
もやしはそのままのっけて香ばしい
麺は縮れた札幌麺
の三拍子が私の大事な王道ラーメン。出来れば、トロトロチャーシューではなく、赤身のかみ応えのあるチャーシューが子供の頃楽しみにしていたチャーシューだった。

いつからだったか。いろんな新しいラーメン店が出現した。「元祖札幌○○」とかいう店が、旭川でも、東京でも食べられるようなチェーン店も出現。少し興ざめ始めた。また、あまりにもはやくチェーン店展開するせいか、「料理人」を育てるというより、「バイトに如何にそつなく作らせるか」というラーメン店が多くなった気がしてきた。麺を茹でて、スープを準備して、具材をトッピングする。この流れは、私も練習したら出来そうだな~って大学生くらいの時に思った。

私の好きなラーメン屋さんは、子供の頃、親と一緒に行ったラーメン屋さんの思い出がよみがえるラーメン屋さんだ。

私は、浪人して大学に入った。その後念願かなった仕事についた訳だが、浪人して以来親の大事さをもの凄く痛感している。そして結婚し子供が生まれたら更にその気持ちは大きくなった。母親が小さい頃の私にラーメンを食べさせるときに、レンゲに少しのスープと麺を入れ、フーフー冷ましてから食べさせてくれた。子供のことを可愛いと思ったからこそやってくれた事だと思う。私も我が子にしていたことがあった。

「中華鍋を振り、そのまま炒め野菜をラーメンにのっける。熱々の油と共に」というラーメン屋さんに入ると、いつも親との事を思い出し、それが美味しいスパイスになる。

思い出って極上のスパイスだ。
ページの先頭へ