『食文化として根づく「江戸前蕎麦」②』蓼喰人さんの日記

蓼喰人の「蕎麦屋酒」ガイド

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蓼喰人 (男性・東京都) 認証済

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 昨今はやたらと蕎麦の品種や産地に拘り、まさに「蕎麦鑑定人」と言うほどの造詣をお持ちの、所謂「蕎麦マニア」が多く出現している。
 また蕎麦好きを自認される方の中には、'蕎麦は香りが命'と豪語されたり、'十割蕎麦こそが本物で、つなぎを入れた蕎麦など邪道'と公言する輩まで居る有様である。
 しかしこれは蕎麦の歴史においては、ごく最近の傾向に過ぎず、江戸前の伝統とは相容れない考え方である。

 昔は今のように自家製粉などを行う蕎麦屋は皆無で、秋に収穫され、それを粉に挽いた蕎麦粉を一年で使い切るわけだから、香りの有る蕎麦を味わえる時期は限られていた。
 江戸の蕎麦通の間でも、新蕎麦の出回る時期に香りを愛でる習慣は有ったが、それをはずした時期では専ら、シャキッとした食感と喉越しの良さが第一であり、それほど香りには執着は無かった。

 また現在ほど挽きや打ちの技術が発達していなかった昔は、つなぎ無しの生粉打ちでは、食感の悪いぼそぼその蕎麦にしかならなかった。
 そのため蕎麦粉に小麦粉を2割ほど混ぜた、所謂「二八」の細さと滑らかさが持て囃された訳だが、ここにも江戸っ子の嗜好が顕れている。
 香りに執着しなかったことが逆に幸いし、豊富な種物や変わり蕎麦の誕生などの、華やかな蕎麦文化が開花したと言っても過言では無い。

 また近頃は満足につゆが作れなかった地方の慣習を真似て、蕎麦を水に浸したり、塩を振って悦に入っている方々も居るようだ。
 しかし幕末以降、関東近郊で醤油の醸造技術が進んだことにより、つゆ作りに手間を掛けるようになったのも、江戸前の特徴である。
 蕎麦本来の味よりも'蕎麦屋の個性はつゆに有り'という考え方も、多くの店の仕事の中に受け継がれている。
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