『禅 こころを形に 《龍虎図屏風》狩野山楽 (ブロガー内覧会後 再訪)』コロコロさんの日記

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内覧会で見た時には、よくわからなかった屏風だったのですが、
再度、訪れて見たことで、驚きの発見の数々がありました。

ちょっと見方を変えるだけで、同じ屏風とは思えないほどに変化しました。



■龍を求めて
今年の5月、京都でも「禅 こころをかたちに」が開催されていました。
その時の目的は、「龍」を見るをテーマに特別公開される京都の龍を、
バスでめぐる旅をしました。

3月に建仁寺の《雲龍図》を見た衝撃から、
「龍」をテーマに鑑賞めぐりもいいかも
「龍」と名のつくものは、とりあえず、なんでもいいから、見ておけば
それが、わかっても、わからなくても・・・・
その後、いろいろつながって理解できてくることもあるだろう・・・・と思って。

禅宗150年を記念し、京都のお寺では特別展示がされていました。
そして、京都国立博物館でも禅宗の企画展が・・・・
でも、こちらは、たまたまやってるから、行っておきますか・・・という
おまけの訪問でした。


東京にも巡回してきましたが、一度、見てるし・・・・
と思っていたら、内覧会のお知らせがあり訪れたのでした。

そこには、巨大屏風の龍が・・・・



■302《龍虎図屏風》狩野山楽妙心寺が所蔵(p288 p418)
龍を目の前にして、よくわからないなぁ・・・が第一印象。
でも、「龍」は私のテーマなので、とりあえず写真は撮っておこうかと・・・
しかし、撮影してみたもののイマイチで、よくわかりません・・・
そのまま放置、スルー状態でした。


再度、訪れることになって、見ていたら、この屏風すごくない?!
(「すごい」としか言えないのが、情けないですが・・・)


〇「龍」というモチーフの性質
龍というのは、そのキャラクター性だけで、
なんだか、すごい絵と思わせる力が備わっているように
最近、思うようになっていました。

龍が描かれていたら、この絵はすごいと
思わされてしまっていないか・・・・

ホントに、この龍は、すごいのだろうか・・・
そんなことを考えるようになりました。

というのも、建仁寺の海北友松の龍に度肝を抜かれたあとに、
法堂の双龍図を見て、恐れ多くもたいしたことない・・・
と思ってしまったのです。(←お前は何様だ! 笑)

一口に「龍」っていったってその表現は違うし重みも違う・・・・
どこがどう違うのか、そういうことも見極められるように・・・
と思うようになってきました。
それは、以前から比べると、ちょっと鑑賞のレベルが上がったのか、
単なる、ひとこと言いたい病にすぎないのか・・・・(笑)

内覧会で見た時の第一印象は、「この龍、迫力、あるのかなぁ・・・」
なんだか、目が「ひょうきん」な表情に思えて
迫力に欠けるよなぁ・・・と思って見ていました。
目がまん丸でクリクリなんです。
なんだかお茶目に感じてしまうのは私だけでしょうか?
虎に対峙する龍という設定にしては、どうなんだろう・・・・と。
(海北友松にはかなわないわね・・・・と)

〇金地に、滲みの空気はどう描く?
ただ、龍の周りの空間表現は、これまで見てきたものとは違う気がする・・・
墨画のよさというのは、この空間をどうやって表現するか、
そこにそれぞれの真骨頂があるように感じていました。

そして、金地に墨で滲ます場合の滲みの調整はどうやっているんだろう。
墨をはじいてしまいそうなんだけど・・・

先日の鈴木其一展の絹地に描かれた風神雷神の雲を見ながら、
先人たちは金地の《風神雷神図屏風》に、滲みを生かした雲を描いているけども、
それは、どうやって描いていたのか・・・・と思っていたところでした。
こちらの屏風も金地の上に、龍をとりまく空気感
これらはどう描いたのか・・・・
そんなことを気にしながら、そのあたりの表現の撮影をしていました。

特にこの渦の表現。このかすれは、偶然のものなのか・・・・
渦の中心ほど濃く、その回りがかすれています。
円もきれいなぶれのない円です。
金地は墨をはじくと思われ、そうした性質のものに、
意図して、このような表現ができるものなのか?
しかし、意図的に描こうとして、このように描けるものではないはず。
でも、これを偶然の産物としてしまうには、
あまりにできすぎているとしか思えない。
そんな堂々巡りをしていました。


〇見る方向 動線の流れで右中心に
最初、この龍は、右から見ていました。

5章のブースを順番に見ていくと、周回する動線からは、
自然な流れとして、右から見るように誘導されます。

 ⇒展示室の様子出典:禅展、後期スタート!)PEN ONELINEより

  このような会場の順路に沿って見ていくと、
  右の等伯《竹林猿猴図屏風》を見たらその流れで
  狩野山楽《龍虎図屏風》は右から見てしまうのが、
  自然な流れではないでしょうか?

屏風は右から見ることを基本としているという話も、確認したところだったので、
何の疑いもなく右から見ていました。

しかし、屏風は必ず左右両方から見みることにしています。
ただ、内覧会という限られた時間で、たくさんの作品を見ると、
一つ一つを丁寧に見ることはできません。
ざっと、左からのアングルでも見ましたが、
龍の表情が一番よくわかるポジションで撮影をしました。
渦が気になったこともあり、手元にある写真は、右側から撮影したものばかりになっていました。


〇左から見た時の変わりよう
ところが、再度訪れ、会場の解説をみてじっくり左から見ていきました。
すると、これまで見ていた龍はいったいなんだったのか!
と思うくらいの迫力を持った龍が現れたのです。
くねらせた体が周りの空気をゆり動かして起こしたと思われる
たたきつけるような風は、笹をなびかせ梅の枝までしならせるほどの勢い。
ひょうきんに見えていた龍の豹変しました。
龍が発する風圧を私の体にも感じられました。

そのすさまじい勢いの風を受けてたつかのように、
睨みつけて、跳ね返そうとする虎の表情
左から右に歩きながら鑑賞していたのですが、突然、
私に向かって虎が襲いかかりながら迫ってきました
それでいて、しっかり龍の方に向かっているのです。

龍の周りから吹き付けてくる激しい風、その風をえいや~! と
そっくりそのまま、逆風に変えてしまいそうな鬼気迫る虎の表情。

ぶつかり合って火花を散らしているようなとんでもないエネルギー。
そんな力が、炸裂していて圧倒されてしまいました。

見る方向でこんなにも印象が変わるものなのか・・・・

再度、右から見ると、その場面はとてもやさしく感じられました。
風の勢いも弱まり、雌虎(豹)の表情も、柔らかで
「静と動」が左右で表わされているようでした。

初めて見た時は、右から見た方が、迫力があると感じて、
右隻側ばかりを撮影していました。
(とは言っても、撮影角度は左から見上げた角度というのは面白い・・・)


■図録より(p418)、
これほどの迫力と存在感を放つ猛獣の絵は、
狩野永徳の「唐獅子図」くらいしかない。とのこと。
私は、「唐獅子図」以上に感じられました。

天空から風雨を巻き起こしおりくる龍
竹林を駆け巡る雌雄の虎  龍虎の対決
ムチのようにしなり鋭く伸びる枝
切れるようになびく隈笹や薄の動静
舞い降りる龍のスピード感と風の強さを増幅
風は左端の竹葉までなびかせる
しかしその動静は、振り返る雄虎の迫力によって一挙に跳ね返される。
大地をゆらす虎の咆哮は、喝! と共鳴するかのよう。

(↑ この勢いを感じるためには、左隻から眺めるという
   注釈が必要だなと思いました。
   家に帰ってから読んでも、「そんなだったかな?」
   大げさすぎ? よく見てなかったかな? と思って見ていました (笑)


〇半端ない風の勢い
再度見て、やっと「そう、そう・・・・」って思いました。
龍側から吹きつけてくる風が半端ないんです。
手前で、無骨な梅までしならせてしまってます。
右隻を正面で見ていても、そのしなりの本当の意味はわかりません。
手前の笹をあおっているだけでなく、
その先の虎側の岩陰に生えてる草もたなびかせて、
その勢いのすさまじさを表現しています。
右隻からは、風になびいている程度にしか感じられなかったのです。

左隻の屏風で虎と対峙して見ていた時は、
虎に吸い寄せられてしまい気づきませんでしたが、
虎の背後の竹林の笹までも、風の勢いを届かせていたのです!

そして、最後の頃になって、ずっと空間表現かと思っていた部分が、
巨大な爪だったことに気づき、また驚かされました。
(この感覚は、海北友松の《雲龍図》を見た時と同じでした)


〇虎と豹? 豹は雌の虎?
ところで、寄り添っているのは斑模様だけどこれなの? じゃない?

当時、虎は日本に生息しておらず、豹は雌の虎と思われていました。
 (⇒【禅展】研究員のおすすめ 「山楽の吼えるトラ」 出典:1089ブログ]))
という話もあるのですが、
虎と豹がペアで描かれていることがよくある。という解説が
2013年 京都国立博物館「狩野山楽・山雪 」展でされているもよう。
 (⇒京狩野 ~ 狩野山楽・山雪

虎の威嚇に対して、豹(?) 雌虎(?)の表情がなんとも勢いがない・・・
雌だからなのかなぁ・・・と思っていましたが、
これが豹だとすると、どうとらえればいいのか・・・・・

そして、この豹のような動物、右隻から見るとまた違って見えるのです。



◆山楽(図録p418より)
永徳の門人
生命観あふれる永徳の画風を唯一引き継いだ絵師。
江戸時代、狩野派は江戸に本拠地。
山楽は京都に留まり京都で独特の画風を継承。
江戸狩野に対し、京狩野


〇京都会場で見ていたのに
この屏風について調べてみると、京都会場の外のパネルになっていたもよう。
  ⇒会場パネル
そのパネルの記憶もなく、この屏風を見た記憶もありません。

ところが、鑑賞メモを見ると、この絵について書かれていました。
「圧倒的迫力」の文字に「?????」の文字。
きっと、迫力あるという解説がされていたけど、全然感じなかった・・・
と思ったようです。

3度目にしてやっとこの屏風の迫力を見いだせたようです。


屏風の鑑賞の基本は右から・・・・
展示状況を確認してみると、作品解説は、左側のみにプレートがありました。
つまり、「そこから見てね」というサインだったとも言えます。
解説を読んでから、右に進むと虎の大迫力と、そこに吹き付ける風が、
鑑賞者の体全体に感じられるのでした。

解説サインの掲示方法にも、絵の見方の指南が隠されているた?
ということでしょうか?
順路の矢印はない場所での、解説サインの表示方法も要チェック! かな?



〇金地に墨で描く技法の秘密
  ⇒【禅展】研究員のおすすめ 「山楽の吼えるトラ」 出典:1089ブログ]))
  上記野中に、金に墨で描く方法の解説がありました。


金箔地に水墨、墨の濃淡を透して金地の輝きをみせる手法。
金箔地水墨のかなり早い例で実験的な手法がとられているとあります。

単純に金箔地の上で水墨の偶然の効果をねらい筆を走らせたのではなく
かなり手の込んだ描き方。

金箔地の上に濃墨線で龍の輪郭をつくる。
その内側に薄く胡粉地を置いてごく淡い墨の面を重ねる。
その上に濃墨で目鼻口の線を引き、ザラザラした皮膚を表わし、
かすれぎみの短い中墨・淡墨線を無数にほどこし、
金泥や胡粉を処々に置いてハイライトに。
ハイライトとなる金泥は、顔にかなり多用。
暗雲部にも、渦巻をしめすように金泥を用いる。

「胡粉」の塗り重ね方・・・・
それによって墨の濃淡をコントロールできる
渦の輪郭を濃墨線で縁取りをして、ブレのない円に近い状態を描いていた?
暗曇部の渦巻きは、金泥とのことなので、やはり直接、一発勝負なのか・・・

なんだか渦一つ描くにも技がある・・・・・
風神雷神図の雲もそうやって、濃淡をコントロールしていたということなのか・・・
最初は、この屏風の迫力がよくわからない・・・・と思いながらも、
この渦に着目していたということは、
見るべきところをちゃんとチェックできていたのだと、自画自賛・・・・(曝)


最初に感じさせられる何か・・・・の裏には、
きっと、何かが潜んでいる。


虎が大口をあけて吠える、口の内部、歯の一つ一つ、
毛並みの繊細な一本、一本。双眼鏡を使ってつぶさに観察しました。
若冲のユーモラスな虎とは全く違う山楽の虎。
この時代、想像だけでここまで描く、そのイマジネーションたるやいかに!

この絵を見た半年前の京都では、
迫力なんて感じない・・・と思っていたのに。
そして見たことすらも忘れていた屏風だったのに・・・

つい先日の内覧会でも、お茶目な龍だなぁ・・・
威厳に欠けてません?  なんて思っていたのに・・・・

今はとてつもない迫力を感じている。
だから、絵の鑑賞は面白い!

(サントリー美術館の秋田蘭画で、ライオンが描かれていました。
 その歯を見て、山楽の虎を見てしまったばっかりに、
 確かにすごいけど、室町時代の山楽の方が、想像であれだけの虎を
 描いていたぞ~ 毛並みだって山楽はもっとすごかったぞ~って
 思ってしまったのでした。)


■内覧会の写真撮影
作品の写真撮影は、どんな絵に興味を持っているのか。
自分が絵のどこを見ているいるのか。
何に着目しているか。

そんなことを表わすものだとある展示会で企画者が言われていました。
今回、この撮影を通して、まさに「自分が何を見ているのか」
ということを確認することができました。

内覧会の写真撮影・・・・・
それは、主催者側は、告知をしてもらうために許可していることなのだと思いますが、
私は、自分が撮影を通して、その時、その場所で何に着目したかの記録として
利用していきたいと思いました。

そこで見つけた自分なりの絵の見方を紹介するというのも、
美術展の告知の一つの形ではないかと思うのでした。


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【展覧会情報】
■展覧会名:特別展『禅―心をかたちに―』
■会期:2016年10月18日(火)~11月27日(日
  前期展示=10月18日(火)-11月6日(日)
  後期展示=11月8日(火)-11月27日(日)
■会場:東京国立博物館 平成館


*写真については、チームラボ新作発表@禅展・夜間特別内覧にて撮影したものです。
 撮影は、美術館より許可をいただいております。
 作品の単独撮影、ズーム撮影については、美術館事務局にて確認了解済み。




【追記】大きさ  作者について
■九州国立博物館 京都妙心寺 禅の至宝より
妙心寺に伝わる桃山時代の屏風はなぜか特大サイズです。
いずれも縦178センチ、横360センチ
通常サイズは縦155センチ、横360センチ
このよううな巨大さに加え金地濃彩の豪華な屏風であることから、
「妙心寺屏風」と通称されています。

■wiki phedhiaより
これら屏風は、同じく妙心寺にある海北友松の屏風と一括して、
通称「妙心寺屏風」と呼ばれる。
一般的な屏風絵と比べて縦に25cm弱ほど大きいのが特徴。
これらは落款がなく、寺伝では友松筆とされていたが、
土居次義の研究により山楽筆だと明らかにされた。


■1089ブログより
裂・縁ふくめて天地は約2メートル

なぜゆえ、こんな違いが?


また、寺伝では友松筆だったとのこと・・・・
私が「龍」を見る時の基準となっているのが建仁寺の友松の《雲龍図》です。
友松の「龍」と比べてどうか・・・・ で判断するのですが、
この龍を見ながら、友松の龍とは、各段の違いがあると思って見ていました。
それに空間表現が全く違う・・・・と思いながら・・・

そんな絵が、かつては友松伝だったと聞いて、びっくり。
「友松筆」が改められる前に、見ていたらどう思ったのでしょうか?

絵師は、作風を変えます。
若冲などは、晩年になってこんな絵も描いていたのか! ぐらいに変わりました。
これ、若冲? 嘘でしょ・・・・ 
でも、こんなふうに変化した、チャレンジしたの一言で納得させられてしまいます。
そこに、それでいいの? と抵抗を感じていたわけですが。
そう考えると、友松もこういう龍も描いたのね。
作風が広かったんだ・・・と受け止め直したのだろうか・・・・と。
理解できたかに思った画風も、作風の変化ということで、
スルリと抜けていく感じがしてしまうのでした。

どんな絵でも「作風の変化」

その一言で、その人に絵にしてしまおうとすれば、できてしまうような・・・
違いの中に見る同一性は、どうやって判断をしているのでしょう?

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