『国吉康雄展:①サブタイトルはないの? と思ったら・・・』コロコロさんの日記

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「国吉康雄展」が横浜そごうで行われています。

「国吉康雄」・・・・・それって誰ですか?
そごう美術館では、以前も鈴木信太朗など、
知る人ぞ知る画家の展示が多くて(←無知さ加減を露呈してしまいますが)
この人を見たいから行くという感じではありません。

しかし、そこはパスポートを持っている者の強み。
「知らない」「よくわからない」けど、とりあえず行ってみよう・・・
という感じで足を運んでいます。

すると、知らなくても、興味がなくても、そこには、
いろいろなメッセージがあって、だんだんとそれを
読み取ることができるようになってくる面白さがあります。



■知らなくてもいろいろ考えさせられる画家たち
たとえば、先にも示したノーベル賞を受賞した大村先生がお好きだという鈴木信太郎
菱田春草はそれまで知らなかった画家なのに、いろんな興味がわきました。
院展では、絵というのは、有名な人が描いたからすごいのかという素朴な疑問。
すでに価値が定まっているから、すごいのかを考えさせられた院展。
知らない絵でも、心は動かされる・・・・ ということがわかったり。



■国吉康雄展に初めて訪れる
この企画を始めて見た日は、
山種美術館で行われた、SEEDという、
若い日本画を発掘する公募展を見た帰りでした。

SEEDでも、知らない画家でも、有名でなくても、心動かされる絵、
考えさせられるものがあって、自分が何に興味を惹かれるのかがよくわかりました。

その足で、『国吉康雄』という画家の絵を、
観たらどんなことを感じるのだろうと思いながら・・・

新人画家、自分が知らない画家でも、
あるいは、知名度の高い大家も、みんな同じ。

たとえ大家であっても、あれ? と思うようにもなってきました。
何も「知らない」ということを「好条件」ととらえて、
自分の中でフラットに平等に絵を見たら、どんなふうに見えるのか・・・・



■何がひっかかってくるのかを試す
とはいえ、閉館まで30分。
30分で何をどう見ようか・・・・・

いつも、「ざっと見る」という鑑賞をしたくても、
なかなかできないジレンマをずっと持っていました。

今回は、本当に何も知らないし予備知識もありません。
そこに、時間が制限が加われば、
何に注目し、何をスルーするかが、明確になるはず。

この展示が、何を訴えてくるのか
私の心をひきつけて足を止めさせるのはどこなのか・・・
それを確認してみようと思いました。



■パネルの案内に誘われる
最初に目についたのはパネルでした。
そこに書かれていたのは・・・・


中央にバッタ、カマキリが描かれた絵が展示されています。
そして認識できるかどうかの、存在感の薄い少女が描かれています。

そこに添えられたメッセージは、
「少女よ、お前の命のために走れ」

それはどういう意味なのか考えてみようというものでした。


◆まだ作品を観ずに、考えたことは・・・・

「人生、止まらずに走り抜けよう」

 走るというのは、言葉どうりの走る 
 ということではなくてもよくて、
 ゆっくり歩むことも走ることのうち・・・
 時に立ち止まることOK
 でも常に前を見て、進み続けなさいという意味・・・

 とは言っても、
 「常に、前だけを見る」必要もなく、寄り道をしたっていいけど、
  前に進もうという意志、気持ちを持ち続けるということ。
  それが、生きているということの証
  命を授かった者の使命なんだ・・・・・」

そんな意味かなぁ・・・・・
でも、こんなのありきたりすぎ?(笑)

もっと、何か、深い意味があるのだろうか・・・・
と思いながら、先に進みました。
時間がないので、パネルをゆっくり読む余裕はありません。



■まんまとはまった?
しかし、黒字に白抜きの文字で描かれたパネルは、
いやおうなく目に飛び込み、その文字が目に止まります
そして、黒バックのパネルに描かれている白抜きの少女。

この少女が誘ってくるのです

   次は、ここよ・・・
       
              その次は、こっち・・・・  

   そのあとはここよ・・・って。


(主催者の術中に、しっかりはまったな・・・・と感じつつ、
 あなたたち、そごうの美術館スタッフじゃないでしょ。
 今はやりのアウトソーシングね・・・・
 でも、今まで見た委託の企画とは何か違う気がする・・・・

 だって、この黒と白の色使い。
 アイキャッチを意図して作成してるでしょ。
 そこにさらにアイコンのように添えた、女の子のキャラクター。
 誘導作戦、成功してるもの・・・・)


そんなふうにとらえている自分を、あとで分析(?)してみると、
そう考える理由(経験)が、あったのです。



■これまでの経験から観る
それは先日見た真田丸の展示です。
信繁の「赤備え」に照らし、関連グッズには「赤」の敷物が敷かれていました。
そんな、色でつなげるという作り手の意図を知ったことが影響したのだと思います。

普通、パネルに色を使ったケースはなかったような気がします。
白地に黒字が普通。 
ところが黒字に白抜きはいやおうなく目立ちます。

これは、もしかしたら、真田丸を見ていなくても、
目は誘導されていたかもしれませんが・・・・
作り手の明確な意図を感じさせられました。
狙ってるでしょ・・・・って(笑)
しかも、少女に案内役を担わせるという念の入れよう・・・・


■作り手の意図が見えてくる
最近、作り手が何を考えて、どのように演出して見せているのか
そのあたりが気になり始めていました。
そのせいもあって、この展示、ちょっと違うぞ
というアンテナが働きました。


入り口の展示の先に演出された、アトリエ風景もそうです。
こういう見せ方も、あまりしないし、考えてるわよね・・・・・

真田丸でも、初っ端に何を展示するか。
学芸員さん、頭悩ませたって言ってたもの。
見る人をどう引き付けるか・・・・
そんな視線で、この展示も見ていました。



■年表の表記
その後ろに置かれた年譜。

  おっ! この表示法、やる~

これまで、美術界の年譜って何でああいう風に、並列にだらだら表記するんだろう。
誰か、それを改革する人が出てこないのかなぁ・・・・・
と思っていました。

事象を要素分けし、列表記して、マトリックスのようにすれば、
因果関係がより明確になって、画家の人生がもっとわかりやすく
浮かび上がってくると思うんだけどな・・・
ずっと思っていました。

自分なりに作ってみたりもしているのですが、
次々にいろんな興味が押しよせてしまうので、なかなか完成には至りません。

私が、こういう年譜があったらいいな・・・・
と思う要素がこの年表には、備わっている!


でも、この年表に見入ってしまったら、時間がありません。
後回しにして先に進みました。



■岡山大学国吉康雄寄付講座
以上のような展示の状況から、
この展示は、何かが違う!  そんな空気を発していました。

一巡して、やっぱり・・・・・  私の感はやっぱり当たる(笑)


岡山大学国吉康雄寄付講座の一環だそうです。
ところで、寄付講座って何? 手弁当で、無料でこの企画を寄付しますってこと?


寄付をしてくれたのは、福武関連の2団体でした。
岡山の生んだ世界的画家である国吉康雄の作品や画業と生き方を研究し、
地域の芸術・文化資源を活かした先進的な美術鑑賞手法の開発と実践教育を実施。
岡山の子どもたちへの先進的な美術鑑賞手法を用いた教育、
地域コミュニティと地域文化に寄与する人材育成を目的に寄付をしたそう。

(この地域は、地元愛が強いのでしょうか?
 大塚美術館も地元貢献が目的だと聞きました。)



■興味を持ち始めていた美術鑑賞教育・・・・
寄付講座と聞いて、企画そのものは、寄付する代わりに
「美術鑑賞教育研究講座」・・・・と掲げていたので、
教育研究の目的でこの企画を開催し、それをまた研究に還元
していくという講座なのかな? と思っていました。

そのため美術鑑賞の方法論なども紹介されていました。
実践の様子のパネル展示もありました。

2人組になって片方は絵を説明、もう一人は絵を見ずに想像したり、
対話式鑑賞法などの紹介があって、最後に次のようなまとめがありました。



■この展示の目的
ーーーーーーーーーーーーーー
この展示は、絵の解説をしていない
国吉はもともと、絵については語っていない
研究者はいるけども、それぞれがそれぞれの見方、考え方、感じ方
国吉の作品と向き合う場を作るのが目的。
絵から感じた気持ちを共有し、そこうから交流する。
ーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーー
情報はあふれているけども、受け取るだけでなく
自らそれを集めて選ばなければならない。
過去の歴史から学び、未来を創造できる。

戦争・貧困・人種・信仰が原因でたくさんの人がつらい思いをした。
そんな時代に生きたかつての16歳の少年の異国で歩く道のりを
今日、発見しました。

少女はなぜ走らなくてはいけないのか。
今は、走らなくていいのか。
まだ、走る必要があるのか。

この問いは先を生きるヒント。未来を子供にどう託すのか。
答えはみんなと作っていく。絵の意味を自ら考える。
ーーーーーーーーーーーーー

まさに、絵画の鑑賞を通して、同じこと感じていたところでした。
専門家の解説があっても、自分の感じ方というものがあるわけです。
感じ方はみんな違います。
自分の感じ方、自分の答えをみつけることが大事・・・・


■自分の受け取り方を大切に
最近で言うと、雪舟の《慧可断臂図》の文化庁の解説は、
「達磨と慧可との激しい精神の交流」でした。

でも、私はそうは思えず、
引いては、禅宗の教えに対する疑問まで感じていました。


表向きのことだけを見て判断しない
本質と言われるものは、もっともっと奥深くて、すぐにわかるものではない。
だから禅の心として何千年も伝えられてきているらしい・・・
ということが見えてきたところに今います。


■翌日、何かに引き寄せられて
まだ、国吉のことは詳しく調べてはいないけど、今日は、私の目はどこに着目するのでしょうか。
そんなことを思いながら、翌日、導かれるようにまた訪れました。

別の用件をすまそうかと思っていたのですが、
何かこの展示が気にかかっていました。それは、たぶん

「鑑賞者が考えるための展示」

という、目的をしっかり掲げられていたことが影響していたかもしれません。

これまでも、自分の目で、自分の感じたことを大切にして、自分で考える
ということをしてきたつもりです。
でも、「あなたはどれだけ、考えたの?」と、
何か挑戦状のようなものを突き付けられたような気がしていました。
ちょっとの時間でもいいから、行ってみよう・・・と、
翌日も、連続で訪れたのでした。
こういう美術館の利用をできるのが、パスポートを持つメリットです。



■スタッフさんに声をかけられ
鑑賞をしていると、「写真を撮影できますので・・・・」と声をかけられました。

明らかにそごうのスタッフさんではないと思われる方でした。
おそらくこの展示を企画した、岡山大学の関係者・・・・・


これは、チャンス!  とばかり声をかけました。

「この企画をされた方ですか・・・・?」
「企画した者は別で、そのお手伝いをしているものです」
とお話しをしていたら、なんと、企画をされた方が登場

やっぱり、私には引きがある・・・・ と自画自賛(笑)



■本丸との出会い
昨日の展示で、岡山大学の方たちのプロジェクトは、
瀬戸内国際芸術祭にかかわっていることが、
展示からわかりました。
私も行ったことのある直島も展示会場になっています。

私が直島を知ったのは、栗林公園でメンテナンス作業をしている方に
お声をかけたら、立ち話になって・・・・ 
そのうち、公園管理責任者だったことがわかりました。
庭作業をされているのに、海外にもでかけていていろいろな有名人の庭も見ていたり、
イサムノグチの庭園美術館ともご縁があったり、
海外でも講演会をされているような方でした。

別れ際、見ておくといい場所を伺った時に教えていただいたのが「直島」でした。
それがきっかけで訪れたわけですが・・・・

今、またここで直島にゆかりのある方と出会い、
しかもこの企画の本丸と出会えてしまったのです・・・・


開催中は、いつもいらっしゃるのか・・・・・
と思っていたら、その日は、特別だったようです。



■いろいろな角度から見る  企画の立場からも
絵を見るようになって、いろんな立場から見ることが大事だよな・・・・
と思うようになってきました。
画家の立場はもちろんですが、その家族、まわりの人、パトロン。

そして、今度は、展示する側の人
それは学芸員さんだったり、照明の方だったり、
展示にかかわる人だったり・・・・・

つい先日、その企画をした学芸員さんのお話を聞くことができたのですが、
それを実際に形にしていく実務の人たちの話を、直接、聞いてみたいと
思っていたのでした。

念ずれば通ず・・・・・・です。


この企画を、昨日は、こんなふうに見ていました・・・・
という話から、今回の展示、何かが違う気がした・・・という話を経て、
しばし自分の鑑賞時間に・・・・・

本丸がいるんだから、聞きたいこと、聞いておかなくちゃ・・・・
しかし、何か聞きたいと思ったことがあったはずなのに、忘れてしまってます。




■昨日、今日で変化した考え
結局、まだ、私には知識が足りない・・・・
国吉の生きた時代。その苦悩・・・・・・
それを、「今日の私」に、理解することは無理。

敵国の日本人がアメリカに暮らすということ。
そして、自分の好きな(?)絵画を描きながら、
祖国を貶める絵を描かねばならない現実。
描いたからと言って、アメリカの信頼を得ることなんて
できないことも、わかりきっている。
それでも描かねば生きていけない究極の選択

昨日、なんとなく感じてはいたことでしたが、
今日はより具体的に、その現実が身に迫って見えてきたと思いました。


しかし、それはまだ上辺だけの理解にすぎない・・・・
きっと、筆舌に尽くしがたいようなことが、国吉の身にふりかかっていた
想像されました。その苦しみが、絵の中に込められている。
そういう深いところまで理解しないと、この西瓜の本当の意味は理解できない・・・・

「それ以上の何か」って何だ・・・・
それを知りたい・・・・
そのパネルを作った人が、目の前、手の届くところで、動いている。
それを拾ってみたくなるのは当然の成り行き・・・・(笑)



■新たな疑問・・・・・

国吉は何も語っていない。語らない人・・・
ってことはよ、おかしいじゃない。


「少女よ、お前の命のために走れ」

それって、一体、誰が言ったの?
国吉は、語らないんでしょ・・・・

もしかして、語ったというように、展示で誘導されてしまった?


最後に、また、スタートラインに戻ってみました。
確かに語ってはいませんでした。でも、この絵のタイトルは・・・・


   「少女よ、お前の命のために走れ」


何にも、見てない・・・・
そんなことも理解せず、私は少女に誘われ、
この会場を走っていたのでした。


「国吉は語らなかったけども、タイトルは哲学的・・・」と言われていました。
その時、意味がわからりませんでしたが、そういうことかぁ・・・・

   
    タイトルは、語らない国吉の代弁者


■2回見て思ったことは
今日、私はこのタイトル、言葉の意味を、次のように理解しました。


「少女よ、お前の命のために走れ」


これは、少女に向けた言葉ではなく、
国吉自身、自分自信に語りかけた言葉ではないでしょうか。


  お前の命のために走れ・・・・


自分がこの地で生き抜くためには、走りつづけなければならない。
自分自信を奮い立たせるため、客観的な視点から自分への応援メッセージ。
そして、同胞的な意味で、励ましあいながら、ともに駆け抜けよう・・・
という寄り添う存在として少女・・・・

そして、それを見て受け止めた私たちへのメッセージ。


■妙にひっかかった映像
会場で流されている映像が、妙に気になってしかたがありませんでした。
この映像はなに?  対話式鑑賞の実録?  映画?

高校の教室で板書された国吉の対話式鑑賞の一コマの写真
ここに何が書かれているんだろう。
じっと見たけど、すべては読み取れない。
気になる、気になる・・・・



いろいろな映像がフラッシュバックしながら、
国吉はどう生きたのか・・・・・  に思いをはせていました。
それは、「どう死んだのか」ということでもあります。

国吉の最期はどんなだったんだろう?   




■映画の視聴
気になっていた、映像は、映画でした。
その映画の視聴ができます。

  ○国吉康雄顕彰短編映画「国吉康雄を探して」


この動画、見ました。


エンディング・・・・・・
ゾゾゾとしました。


「国吉の最晩年の絵」・・・・・気になります。


また、足を運びたくなっていました。


まるでロールプレイングゲームのように・・・・
私、くるくる回らされてる? 走らされてる?(笑)
また術中にはまった?


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【追記】
ネット上で見る画像の小さなアイコン。
小さな画像は、時としてその絵の本質を凝縮して表すことがある。
ということを最近、感じてます。

実物を見ていて、見えなかったことが小さなアイコンから見えてくる・・・


《少女よ、お前の命のために走れ》もそうでした。
当初、バッタ、カマキリ、少女。
その向きがバラバラ・・・・  
なんとも、方向性がなく、とりとめなくて、バラバラな方向を向いている。
まとまりがない・・・・って思っていました。

今見ると・・・・

カマキリに追われて逃げる少女。
そのカマキリをブロックしているバッタ・・・の図に見えてきました。
もしかして、カマキリをブロックしているのは、国吉?

さあ、早く! お前の命のために走れ!
私がい盾になるから・・・・
いつも、見守っているから・・・・

そんなふうにも見えてきました。



◆よく言えばシンプル 悪くいえばひねりのないタイトル
今時、めずらしい・・・  こんなシンプルなタイトルの美術展。
キャッチ―な、ちょっと狙いすぎ、あざとさも見えてしまうような
タイトルが多い中、面白味のないタイトル。

これだと、国吉のなんにも伝わらないじゃない。
ただでさえ、認知度の低い画家なんだから、
タイトルで引っ張らないと、人は興味、持たないでしょ・・・・
行きたいと思わないんじゃない?

もしかして、手を抜いちゃったとか・・・・
なんてことを思っていました。

一巡して、このシンプルなタイトルの意味が分かった気がしまいた。

それは・・・・・
サブタイトルをつけることで、先入観を持ってしまうから。
何も情報のない素の状態から鑑賞する。
キャッチ―なサブタイトルで誘導しないってことだったんだ・・・
と思ったのですが・・・・


あれ? サブタイトル、もしかして
少女よ、お前の命のために走れ・・・・ だったのかな?
と思ったらそのようでした(笑)



■真実はどこ?( 2016/06/09)
でも、美術鑑賞をしてきてわかったこと。
画家の言葉も、時として真実でないこもある。
本人の言葉だからと言って、それを信んじちゃいけない。

(どこまで、疑り深いんだ・・・・私は 笑)

国吉、こんなこと言ってるけど、本当は緻密にいろんなこと
考えているて、それを見せなかっただけじゃない?


■ざっと2回見ての感想・・・・

国吉、やっぱりよくわからない。
好きか嫌いかと言われたら、好きじゃない。

その理由もわかります。
人物から読み取る情報をまだまだ、キャッチできないから。
そして、私がまず反応するのは、学術的な価値があるくらいの形態学的な模写。
そこからの発展、展開。

それは、山種美術館 SEEDの作品を見ても同じ反応でした。
大賞の人を描いたものには反応が鈍く、
審査員特別賞の若干、21歳の作品に、目が釘付けに・・・
緻密に描かれた蛾、デッサンの蝶。これはすごいわ・・・・
でも、そこで留まらない素材への着目と組合わせ。
「時の流れ」や「生」が見えた時、大きくうごかされるのでした。

そういう意味で、まだ国吉に動かされてはいません。

でも、なんとなく興味はある。
晩年の作品が見たい。その作品、どこにあるんだろう・・・・

国吉よりこの企画をプロデュースされた方の方に興味が・・・・(笑)
あの映画も、その方が監修されていたことにびっくり。

この映画、すごいです。
2度見たららさらに・・・  
映画の中にいろんな仕掛けがちりばめられています。

まだ、国吉への興味はないけど、
国吉の絵って、こんなふうに描かれているのだろうなと、想像されました。



■映画より ( 2016/06/13)

「私は、そもそも国吉の絵ってすきじゃない」
「なんか怖いし、絵の感じに統一感、ポリシーがない」
「そもそも、わかんないし!」


そうなんです。これなんです。
いろいろ、解釈されているみたいだけど、

よくわかんない・・・・・

それが、正直な感想。
でも、それでいいんだよ・・・って言ってくれてるような気がしました。



■解説なし?(2016/06/13)
今回の展示には、解説がない・・・と言われて、
「あれ? なかったけ?」  って思ってました。
解説がないことに気づいていなかった・・・・

解説を見ないで見る習慣がついたのかな?
と思ったら、単に、時間がなっかったから、
はなから解説見る気もなかったので、「ある・なし」にも気づいてなかったことに気づく(笑)

見えるもの、目に止まるものをキャッチ・・・

と思っていたので、タイトルも見ていない状態。
だから、途中、「少女よ、お前の命のために走れ」なんて、
誰が言ってるんだ? なんてことに・・・・

この絵のタブタイトルも、「少女よ、お前の命のために走れ」だったことに、
あとで気づくという状況。

今回は、本当に「0」からのスタートで、どう変化していくのかを
ウォッチするのはおもしろそう。

国吉について語られる何を知ると、どういう感想に変わるのでしょうか・・・


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【追記】2016.7.11 最終日、ギャラリートークより
■口コミ拡散の撮影だとばかり思っていたら・・・
冒頭のコーナーの写真撮影。とっても好評のようでした。

最近、美術展は、ブロガー内覧会を開催して、写真撮影を許可。
それをブログや、SNSにアップすることで、拡散を狙い広報につなげる。
ということが行われています。

こちらも、その一環で、内覧会を開催しないかわりに、
一部だけ、だれにでも撮影OKのコーナーを設置し、
それを拡散させて、広報活動を狙っているのだとばかり思っていました。

限られた人だけに撮影の機会を与えるのではなく、
訪れた人、全員にその機会が均等に与えられて、
不特定多数の人が、自由に撮影し、自由にアップする。
ひょっとしたら、この方法の方、あたらしい広報手段になるのかも?
なんて思うようになっていました。

以前、別のデパートで行われた写真家の展示では、全作品、撮影OKでした。
しかし、その時は、どこかあざとさを感じてしまったのです。
その時と何が違うのか・・・・と考えると、
主催者の意気込みというか、見学者にここまで、降りてきて
会話をする主催者というのを始めて見ました。

美術館に訪れていろいろな疑問がおきます。
その疑問を聞きたくなりますが、何らかの形で答えていただける
存在として近くにいらしたというのは、とても、貴重な体験でした。

現に、国吉プロジェクトのtwitterは、日に日に投稿が増えて、
口コミが口コミを呼んで、どんどん、広がっていくという様相を呈していました。
  ○Yasuo Kuniyoshi Pj

一部の限られた人を招待して行う内覧会よりも、
このスタイルは、とっても効果的かも・・・・なんて思っていました。



■展示のしかけ
ところが、それは、浅はかな邪推でした。
この展示会には、いろいろな仕掛けがされていたのですが、
見てすぐわかるしかけ、そして最後の最後に知ったこと。
さらに、知らないまま終わってしまったのだろうことも、
たくさんあったのだろうな・・・・と想像されます。

この写真撮影の意味

口コミ効果を狙ったのだとばかり思いきや・・・・

写真撮影を許可することの裏にあった意味・・・・

「見ることに対して研ぎ澄ます。とんがらせる」

何を見るのか・・・・  
どう見るのか・・・・・


「写真を撮影する」ということは、フレーミングをすることで、
これらの展示の中から、何をとりたいのか
それをどう切り取るのか・・・・・

それによって、ただ、眺めるのではなく、
意識的に視ることで、国吉により近づくことができる・・・・・


というお話しを伺った時に、作り手の志の高さのようなものを感じさせられました。
そして、口コミを増やすため、なんて、下世話な見方をしてしまったなぁ・・・と、
反省させられました(笑)


確かに、この撮影可能エリアから、どこに注目して、
どんな写真を切り抜くか。
それによって、自分のものの見方が見えてきます。
撮影データの中には、掲載していない写真がいっぱいありますが、
最初は、見向きもしなかった絵を、最後の方で、
何枚も部分アップして撮影していました。
一方、最後まで一度も、目もくれず、撮影していない絵や写真も・・・・・


最後の方で、気づかされたこと。国吉は「色に命を与えた」
その色を、いかに重ねたのか・・・・を知りたくなりました。
「少女よ、お前の命のため走れ」の絵を、パートにわけて撮影しました。

原画、作成過程の絵、そして、エントランスの巨大なパネルも・・・・

それぞれの部分を突き合わせて、何かを読み取ろうとしてみたのですが、
途中で挫折してしまいました・・・・・(笑)


◆展示の意味
そして、年譜に挟まれた両サイドの絵
「二人の赤ちゃん」と「通りの向こう側」
初期に描いていた絵と、晩年のこんなにカラフルになった絵で、年譜を挟む。
こんなに変化したんですよ・・・・・
そんな意味のある展示だったことを、最後になって知りました。

最初に見た時は、「通りの向こう側」・・・
晩年の作品を、スタートのここに飾られても、前後関係がぐちゃぐちゃになっちゃう・・・
なんて思っていたし、小さい絵だと、あまり目にも留まらず
絵の価値もよくわからず、撮影もすることなくスルーしていました。

ところが、この絵がある時から、自分の中で
大きな意味を持つように変化したのでした。


◆年譜が人気
何度か訪れて、その都度、何を撮影しているのか・・・・
それを振り返ってみることで、自分の目が、何を見ていたのか。
そんな変遷としてとらえることができるということも、面白いです。


それと、年譜の前で、たたずみながら見ている人が意外にも多かったのは驚き。
年譜を自分なりにまとめ直したのですが、
あまり、この内容を見て、ああ、これね・・・・と思うことがなく、
この年譜に立ちどまって、見入っている人が多かったのは、
見学者のレベルが高いのかなと感じました。




写真を撮る・・・・・
そこには、その人が
「何に興味を持ち」「どこにスポットをあて」「どう写すか・・・」

そんな意志が及ぶのだということ。
そんな狙いがあるとは、つゆ知らず・・・・・

国吉康雄展・そごう美術館・撮影」で検索結果
   いろんな切り取り方が・・・・


そういえば、10年前、直島に行った時、あの草間彌生の有名な南瓜。
ぜ~ったいに、人が撮影しないアングルで、この一枚を撮るぞ! 
アート島に来たのだから・・・と意気込んで、撮影していました。

が、結局、あとで見ると、同じアングル、構図で
撮影する人は、いるものなんですよね。
人と違うもの、オリジナルってやっぱり難しいって思いました。
自分が考えることは、他の人も考える・・・・(笑)


今回の国吉の写真は、そういう気負いのようなものは全くなく、
撮影したい部分を写したいように撮影していました。
その自然発生的な撮影は、自分の興味の対象がどう変化をしていったかを、
追う記録となりました。

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【関連】
国吉康雄展:⑥巡り巡って国吉に漂着? (2016/06/18)
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