『若冲展:《蓮池図》 「枯れた蓮」と「蕾」 蕾にはいつ気づく?』コロコロさんの日記

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若冲展において、もう一つのチェックをしたかったのが、
大阪府豊中にある西福寺の蔵にある《仙人掌群鶏図》が若冲の遺作。
唯 一の総金地で作られた襖絵です。

その裏面に描かれたのが《蓮池図》

この絵に関して、事前に放送されたNHKの若冲番組、
「若冲ミラクルワールド」の4回、いのちのミステリーにて、
妙にひっかかるお話しがありました。



『蓮池図』の解説・・・・
とても、さびしい印象絵、天明の大火で焼けてしまった京都。
意気消沈した若冲の心を描いた絵だと思ってずっと見ていた。

ところが、この絵を東北の震災のあとに見たら・・・・
荒涼とした世界が、天明の大火と、震災の状況が重なった。

そこに蓮の新たなつぼみを発見!
それまで、寂しい絵かと思っていたけども、
新たな希望の光を、若冲が描いたと気づかされた。

若冲は、京都の大火に負けるなと、励まそうとしたのではないか。
そして、私たちにも、そのメッセージを投げかけてると・・・・



という話を聞きながら、う~ん・・・・と思ってしまいました。



■蕾は、当然、描くはず
私は、この絵を見た瞬間、
「若冲は蓮の新芽を描いてる!」と思いながら見ていました。

これまでの、若冲関連の放送で、
《動植綵絵》で描かれたものを見ていたら、
若冲さん、新芽は必ず描くはず・・・・と
容易に想像できました。

美術家が、「今、私が見つけました!」
みたいに言ってましたが、
若冲の本物は、私、まだ見ていませんが、
それくらい、想像できたんですけど・・・(笑)
若冲の専門家が、これまで気づかなかったなんて、おかしくないですか?



■演出? ストーリー?
美術家って、やっぱり、自然をちゃんと見てないってことなのかな・・・
あるいは、テレビの演出上のストーリーで、そういうことにしたとか?

テレビの構成上、そうしたのか、ご本人がそういうことにされたのか・・・・
丁度、震災のあとだったということもあり、
「今、気づいた!」ってことにした方が、演出的に見る人の心を打つ
と考えたのでしょうか?


そんなことを想像しながら、この絵を実際に見て、
長年、若冲研究をしてきた人が、このつぼみに気づかないでいられるものなのか
それを自分の目で確かめたい・・・・と思ったのでした。



■実際に見て・・・・
「これ、さすがに気づくでしょ・・・・」が私の正直な感想(笑)

そして、一緒に行った友人も、
「この蓮の蕾が気づかないなんてありえないわよね・・・・
 さも、震災の時に気づいたみたいに仰々しく言ってたけど
 これは、誰でも、気づかなくちゃおかしい・・・」


「やっぱり、そうですよね・・・
 これ気づかなかったら、今まで何を見てきたの?
 って思っちゃいますよね・・・・
 あるいは、自然観に欠けてるってことなんですかね」

そんな会話を交わしていました。


著書を拝見していたら、こんな記載がありました。
『異能の画家 伊藤若冲』(p15)(狩野博幸著)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
神気なんて言うと難しいけれど、ようするに
 生き物を見ていることが好きだったんでしょうね。 
 絵にするしないは関係なく、小さいときから虫や動物をじーっと
 見ているような子供だったかもしれない。
 他になんにもできなくて、虫ばっかりみているというのも
 ずいぶん寂しい子供ですが。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

狩野氏は京都国立博物館時代に
2000年、若冲ブームの始まりとも言われている
「没後 200 年伊藤若冲展」を 企画された方です。


虫ばかりを見ているのは、寂しい子・・・・
そんなふうにとらえられていることに、ちょっとびっくりしてしまいました。

他になんにもできなくたって、好きなことがあってそれに没頭できるって、
と~っても、素晴らしい能力だと私は思うのですが・・・
しかも、その対象が「自然」「生き物」だったら、
そこから教えられるものは、はかり知れないはず。



■専門家の捉え方も見る
絵を見た時の捉え方を、一般の方だけでなく、
専門家の方の評論も見て、
この方のとらえ方は、何によってもたらされているのか
を考えながら見るのも好きです。

なぜ、「はっきり描かれている蕾に気づけなかったんだろう」
と絵を見ながら考えていました。が、
この言葉を目にしてすべてを理解することができたと思いました。

ちょっとした言葉から、ご本人がとらえている自然観や、
子供の能力をどのように評価されていらっしゃるかが、読み取れると思いました。



■自然は偉大な教師
自然というのは、生きる術を教えてくれるものであり、
どんなに勉強ができたって、自然の中で学んだ人の方が
人間力があって魅力的だと私は思っていました。


レオナルドダ・ヴィンチの言葉をどうとらえていらっしゃるのか。
もしかしてご存じないのだろうか・・・

「ダメな画家は、画家に学ぶ。 優れた画家は、自然に学ぶ」

世の中で大成をした人は、自然にかかわってきた人が多い
というのが、私が感じてきたことです。
科学者も、料理人も、スポーツ選手だって、トップアスリートは、
自然との関係に言及します。

CWニコルさんは、子供の頃、字も読めない、楽譜も読めない。
しかし、いつも自然の中で戯れていた。
それが、ある時、すべてを理解して開花するように、
文字が読め、譜面も読めるようになったと聞きました。
旭山動物園の園長さんも、子供の頃、引っ越しが多くて友達がいなかったけども、
動物とばかり、遊んでいたと言います。
養老猛さんも、昆虫ばかりをとっていましたし・・・・
マラソンの有森裕子さん、シンクロスイミングの小谷 実可子さんなども、
走りながら、演技をしながら、自分をとりまく自然を感じて、
それをエネルギーに変えると言ったことを話されていました。


  自然ばかり見てる子=寂しい子


そんなふうにとらえてしまう、親、教師、大人の中で育ってしまったら・・・
自然は、偉大な教師だと思うのですが、それだけの子は、寂しい子・・・
そんな視線で見て欲しくない。って思ってしまいました。

自分の発する言葉が、人にどのような印象や感情をもたらすか。
自分自身の言葉を客観的に見つめることができる「メタ認知能力」
美術鑑賞で鍛えられると聞いたのですが・・・・

しかし、今、こうして、若冲が注目され、その素晴らしさ、
貴重な展示をされるに立役者がいたからこそ・・・です。



■シンポジウムで、語られていた蕾
そして、ちょっと興味深いシンポジウムをみつけました。
それは、蓮の新芽に、これまで触れた人が過去にいないのか・・・・
と探していてみつけたものです。

   ○若冲シンポジウム(2013)


このシンポジウムにおいて、
奥平俊六先生(大阪大学文学部教授)が、次のような発言をされています。
ーーーーーーーーーーーーー
この裏に描かれた絵は蓮池です。
仏間の内陣側に面していますから蓮池を描くということは良くあることですが、
このようなひょうひょうとした蓮池を描く。
右側から始まりで蕾が今にも開こうとしているところから、
ムコ毛がはじまっているものもあり、衰えている花々もあります。
右からずっとまるで人の一生のような
そういう感覚を持って描かれたように思えます。
天明8年の後半だからこそという気持ちがしています。
ーーーーーーーーーーーーー

この時のパネラーには下記のとおりです(敬称略)
  ○辻惟雄
  ○狩野博之
  ○奥平俊六
  ○椿昇
  ○細見良行 


テレビで、震災の時に気づいたとお話しをされてる狩野先生のお名前も。
そして、細見美術館の館長さんもいらっしゃることに注目。



■酒井抱一 《白蓮図》を思いうかべてました
細見美術館には、酒井抱一の《白蓮図》 (出典:アールプレシ)があります。
この《白連図》も、散りかけた蓮の花と
新たな芽吹きがうすいグリーンで描かれています。

この絵を見た瞬間、ガレと同じ、生き物の輪廻転生
再生を描いたのだと理解しました。
琳派展で見た中で、一番、好きな絵でした。
  
  ○④琳派400年 細見美術館 第3章  新たなる展開  抱一と江戸琳派
                         (2015/06/02)


◎若冲・抱一・ガレ 作成年
  若冲   《蓮池図》 1789年  大阪・西福寺(もっと知りたい伊藤若冲)より
  酒井抱一 《白蓮図》 1815~1823年の間 酒井抱一筆《白蓮図》に関する一試論 p38
  エミールガレ     1846~1904(生没)


細見美術館の館長さんは、この絵を、
抱一の育ちのよさを感じさせる作品。
抱一の目というのは、生まれてから汚いものを見たことがないのでは・・・
常にきれいなものばかりしか見ていないから、
このような絵を描けるのではないか・・・
確か、足元に咲く、小さなつぼみのことにも触れていたと記憶しています。



そして、細見美術館 琳派のきらめき 図録(p66)には
ーーーーーーーーーーーーーー
散り際の花弁を大きく広げた白蓮。
下方には薄緑色の蕾が入れ替わるかのように頭をのぞかせている
(略)
琳派では宗達以来、蓮図の作例が知られるが、仏画を多く描いた抱一にとって
本図は、草花図というより、鎮魂、再生を願う祈りの花といえよう
ーーーーーーーーーーーーーー
        (細見美術館 学芸部)


上記のような記載がされています。


このシンポジウムには、細見美術館の館長さんも参加され、
シンポジウムの司会は、細見美術館の上席学芸員さんでした。

館長さん、学芸員さんが、若冲の《蓮池図》をご覧になったら、
きっと、つぼみは気づいて、目を向けられるはず
そしてその意味も、理解されるはずだと思いました。

震災の時に気づいた・・・・
あの一連の番組、「若冲ワールド」は、細見美術館の館長さんも、
ご覧になっていらっしゃると思います。

このようにおっしゃったことに対して、
どのように思われたのかなぁ・・・・と想像しつつ、
あの襖絵を思い起こしながら、図録を見直したり、
借りてきた本を見たりしていました。




■美的感受性に関する科学的な基準
アビゲイル・ハウゼンは、美的感受性を科学的に評価するため、
美的感受性の発達を 次のような5 つの段階に分類しました。


◎第 1 段階は「説明の段階」(Accountive Stage)
 鑑賞者は物語の語り手となり、具体的観察や作品との個人的な結びつき
 自分の感覚を使って物語を創作する。

◎第 2 段階は「構成の段階」(Constructive Stage)
 鑑賞者は自身の知覚、自然界についての知識社会的及び道徳的価値観
 一般的世界観で枠組みをつくり、作品を鑑賞する。

◎第3 段階「分類の段階」(Classifying Stage)、
◎第 4 段階「解釈の段階」(Interpretive Stage)

◎第 5 段階「再創造の段階」(Re-creative Stage)
  「みる」ことの創造性――批判的メディアリテラシーの視座

メディアリテラシーは、作品というメディアが伝達する情報を読み解くだけでなく、
メディアを能動的に活用し自らを表現する表現者としての覚醒をも意図するものであり、
メディアリテラシーはある意味で、受け手の批判性・創造性に注目している。

ということで、メディアで伝えられていることをそのまま鵜呑みにせず、
批判性と、創造性を持って見てみました。



■絵の見方・・・・・
まずは、何が描かれているか、詳細の「観察」をする。
どれだけの情報を、絵の中からキャッチできるか。
それが「観察力」だと理解しています。
それは、目に見えるもの、細部に描かれているものもあり、
いかに多くのものを、引き出すか・・・・

蕾が描かれていることは、それほど、詳細な観察がなくても、
誰でも気づけるような描かれ方でした。
それに気づかなかったというのは、観察が甘いということにならないでしょうか?

あるいは、目に入っているのだけども、見えて見ていなかった。
その蕾に意味付けができないから存在を意識できなかった。
何を意味をしているのかという「想像力」「創造性」に欠けていたのではないか。
と思ってしまったのでした。


琳派の酒井抱一も同じ、テーマで描いていたことが、すぐに頭に浮びました。
そこから、「想像」「創造」される、生と死再生輪廻転生

それは、日本の影響を受けていた、西洋のガレの作品も、想起されました。
作品の中に込めた芸術家のある種の到達点であり普遍性のテーマだと
理解をしました。

私は若冲を今回、初めてまともに見ました。
琳派を知ったのも昨年の今頃でした。
そんな私でも、琳派の酒井抱一が浮かび、その描いたテーマと関連付けて
「想像」することができました。
若冲研究者が気づかないんだ・・・・・

という批判精神を持って見ています(笑)


メディアリテラシーの視座で見ている私は、
アビゲイル・ハウゼンが提唱する美的感受性の発達段階、
最終の、第 5 段階「再創造の段階」に
達することができたと思ってもいいでしょうか? (笑)



[b:■図録の見方

友人から教えてもらったこと。

「図録などを見ていても、自分の感性にしっくりいくコメント
 そうじゃないコメントがある。
 しっくりいくコメントの時は、どなたが書かれたものかを確認しておく。
 そして、その方の著書を参考にすると、自分の求める情報がある」

今回の若冲展の図録は、執筆者が、アルファベットで記されています。
しかし、その対象表がありませんでした。
どうやら、抜けてしまったようです。

チェック力、観察力、散漫ではないですか?・・・・(笑)
図録の解説も、誰が書かれているのかを気にしながら見る人もいます。
若冲展は見る側の意識も、変えてくれています。

若冲を研究する人たちの人間ウォッチング「人間学」
しながら見ています。




■『異能の画家 伊藤若冲』狩野博幸 森村泰昌著
著者のお二人の自然観、感性はよく似ている・・・・
そこの部分は共感しないけども、参考になる情報はいろいろありました。



■狩野博幸氏 人間学
wiki pedhia
変化と普遍 時を遡り、“人間”を問い続ける
      同志社大学  文化情報学部 より

>文学研究もそうですが、美術史学も要するに「人間学」にほかなりません。
自然科学も人文学も「人間」のための学問ですから、
>私の答えはどんな分野にも役に立たないわけはないと考えています。

人間学・・・・

自然科学も人文学も「人間」のための学問

ということは、
「自然は、人間のためにある」ということにならないでしょうか?

  ♪ 牛や鳥やおさかなも人間のためにあるのよ ♪

  イルカの ↑ このフレーズと同じに私は聞こえてしまいました。


「人間」は「自然の一部」 自然科学の中にあると思うのです。

狩野氏が、震災をきっかけ、蓮のつぼみに気づかれました。
それは、被害を受けた「人間」に注目していて、
「人間」が立ち上がるには・・・・という「人間」側から見る思考によって、
若冲が描いた小さなつぼみに気づかれた。
「人間」に着目して見るという習慣がきっかけとなったのだと理解しました。

自然を優先して目を向けている人たちは・・・
「枯れたもの」が目の前にあれば、その裏には「再生」が表裏一体として、
存在していることを瞬間的に見ていると感じています。
そうした思考の違いを感じました。
   
  自然ばかり見てる子=寂しい子

私が自分なりにこれまで人間ウォッチングしてきた経験による人間学によれば、
この言葉の中に、その方の「本質」が見えたと感じてしまうのでした。

どんなに素晴らしい、人間観察をして
様々な画家に光をあてる業績を残されたとしても、
この一言の裏に隠された視線に対して、
私には受け入れがたいものとしてとらえてしまうのでした。

 【参考】
  ○『江戸絵画の不都合な真実』狩野博幸  筑摩書房



変化と普遍 時を遡り、“人間”を問い続ける
先生からひとこと より

>ともかく人間に関心を持ってください。人間の考え方、存在の仕方、そのことをいつも考えてください。文化を持つ動物としての人間に関心を持たなくなる時、人間は本質的に滅びるのではないでしょうか。


これを私流に言い換えたら・・・

ともかく小さな生き物自然に関心を持って下さい。
人間の考え方、存在の仕方だけでなく、小さな生き物や自然、
宇宙のことについてもいつも考えて下さい。
文化を持つ動物としての人間だけにしか関心を持たなくなる時
人間は本質的に滅びるのではないでしょうか?


『文化の担い手は、人間だけはないと思う』
というのが、私が考える人間学です。


  【参考】○宇宙を感じたモネの庭 (2015/12/25)


■メディアリテラシーの視座で見る
第 5 段階「再創造の段階」で見てみました。
このような考えの元に学んだ学生さんたちが、世の中に輩出されていくことに、
危機感を覚えてしまいました。

人間が一番、偉いんじゃないんですよ!
ここ、おさえておかないとダメでしょ・・・・

教授の言うことは正しいのか・・・という目で見ることも必要。


ただ、教授の考えに従わないと、アカデミックな世界では生きていけない
ということが、あるとは思うのですが、
「本当なんだろうか・・・」と考え選択する力。
世の中に出て、いかに生きていくか・・・・


私が狩野先生か学んだこと
■人間自体に関心を持つ
狩野先生の言葉に対して、どうして、このような言葉を発したのか。
それの背景となる考えはどういうものなのかを知りたいと思ったこと



■“後出しジャンケン”は厳に慎むべし
現代の感覚で作品や画家を律しないということです。
その作品が生まれた以後の新しい知識を用いることは厳に慎まなければなりません。
その時代のモノの考え方を文学や演劇などの中から掴みとり
>その眼で常に画家や作品を鑑賞(研究)することがとても重要


絵を見ていて、これは、○○を表しているのかも・・・・
たとえば、
「ビックバン」かも・・・・
「ブラックホール」かも・・・・
「進化論、自然淘汰を意味しているのでは?」
「あのカエルは変態かも・・・・」

しかし、その時代、そういう概念が存在していたのか。
そういう視点で見るようになり、調べるようになりました。

しかし、1000年先を見越してていた若冲です。
そういうことを考えていたっておかしくないのではないか?

レオナルドダ・ヴィンチだって何百年も先の技術を見越して残しています。
それは、自然観察をしているから、そこに「世の理、原理」が見え
ヒントにして、その知見に達することができたわけです。

すぐれた一人の画家が、自然観察を元に、その時代の知見をとおりこして、
真理や本質を、見抜くことというのは、充分あると思うのです。
若冲は、そういう存在だったのだと思っています。

後出しジャンケンをしてもいい画家もいる


それは私がこれまで、自然観察に基づく人間観察の結果
導き出した結果です。


人間学だけで、答えを出される先生の答えは、
私が思考する世界では、役に立ちませんでした(笑)



■自然観察に基づく人間観察
美術にも、それぞれにご専門があるはず。
琳派は、ご専門外なのかしら?  と思っていました。

豆知識 の中で

日本の文化を極東の小さな島国の文化と捉えるのではなく、
広く世界性を持っていることをぜひ知っておいてください。
今では、ヨーロッパの印象派に与えた日本美術の影響を疑う人は、
少なくとも海外にはいません。
浮世絵が印象派の画家たちに大きな影響を与えたことはあまりにも有名ですが、
浮世絵ばかりではなく、琳派や蒔絵なども同様に、彼らに強いショックを与えたのです。

琳派も研究対象。しかし、
>狩野派・長谷川派・琳派・18世紀京都画派、
>つまり狩野永徳・長谷川等伯・俵屋宗達・尾形光琳・伊藤若冲・曾我蕭白
>・長沢芦雪・葛飾北斎・歌川広重らの作品と伝記を研究しています。

と書かれていたので、酒井抱一の、あの睡蓮は、ご覧になられていないのかしら?
と思っていました。

琳派400年記念講座 琳派の魅力 という講演会の解説に、

琳派400年を記念して琳派絵画の愉しさや斬新性について考えます。
俵屋宗達・尾形光琳・酒井抱一らが切り拓いた新鮮な画風によって、
日本絵画の表現の可能性が極めて大きくなりました。
琳派とは無縁と思われがちな円山応挙や伊藤若冲の絵画にも、
琳派の表現感覚の影響は脈々と受け継がれているのです。
この講座では、琳派が日本絵画にどのような刺激を与えてきたか、
その斬新性とは何かについて考えます。


ということは、酒井抱一は、研究対象ということが伺えます。
あの睡蓮を見ていたら、気づくと思うんだけどな・・・・
謎だ・・・・(笑)


美術史学を研究する人の、人間学につても、
スポットを当てて、研究(?)してみるのも面白いかも・・・・



そういえば、美術ではなく、別のジャンルですが、
あの先生が考えることは、何によってもたらされているのか・・・・
ということが以前からも気になってました。
その業界の他の方たちとは違って、着眼点も、思考速度も驚異的に、
頭の回転がとっても早い。
いつものスローペースですすむその業界の講演会とは、全く違うと感じていて、
それがなぜなのかを、その思考はどこからもたらせるのかを知りたくて、
わたわざ新幹線で講演会に行ったことがありました。

人間に興味を持つ・・・・・
前から、実践してたかも・・・・(笑)


【参考】
『江戸絵画の不都合な真実』狩野博幸  筑摩書房
「若冲画の魅力」狩野博幸先生・辻 惟雄先生 ひぶりおてかより
狩野 博幸ほか『異能の画家 伊藤若冲』 いつも心に?マーク より

以前も感じたことですが、美術界の「本質」私が考える「本質」は、
違うのかもしれない・・・・ということが、次第に明らかになってきた気がする。




【参考】
◎『水墨画の巨匠』[第九巻]講談社 1994年 第一刷 (p96)
75才の時の西福寺襖絵「仙人掌群鶏図」の裏に「蓮地図」を描いた。
これは「石燈篭図屏風」を思わす人気のない物寂しさを漂わす空間に、
石摺のようだ、と評された、没骨描による蓮の葉がが奇妙な表情を見せている。
(辻惟雄)

上記の解説でも、蕾のことについては、触れられていませんでした。


◎生誕300年記念 若冲 図録(p289)
画面の右三面には、つぼみや満開の花が描かれる一方
左三面には、敗荷(はいか)や散りゆく花が描かれており、
時間の循環が意識されている。
(F)○福士雄也(京都国立博物館研究員)

こちらでは、蕾に関する記載がされていました。



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■若冲展関連
若冲展:⑦「池辺群虫図」 なぜそう感じるのか 直観の理由を考える (2016/05/06)
若冲展:⑥「池辺群虫図」 若冲が込めたメッセージは人間社会への示唆? (2016/05/05)
 ↑若冲のテーマ・普遍性がこれ?
若冲展:⑤「池辺群虫図」 この絵の中で若冲はどれ? そして自分の姿はどれ? (2016/05/05)
若冲展:④「池辺群虫図」 ここで何を描こうとしたのか (2016/05/04)
若冲展:③「池辺群虫図」 ここには何が描かれている? (2016/05/03)
若冲展:②「池辺群虫図」~若冲 いのちのミステリー~ より (2016/05/02)
若冲展:①「池辺群虫図」~若冲 ミラクルワールド~ より (2016/05/01)
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