『「ラファエル前派の軌跡」 @三菱一号館美術館』AI94さんの日記

AI94のレストランガイド

メッセージを送る

AI94 (女性・東京都) 認証済

日記詳細

まだ肌寒さが残るとある日、東京/有楽町から近い三菱一号館美術館で開催中の「ラファエル前派の軌跡」に行って来ました。

以下簡単な私的備忘録。

英国美術批評家ジョン・ラスキン生誕200周年を記念しての開催。
彼は生涯を通じてJ.M.W.ターナーを評価し、自らも優れた素描家でもあった。
彼の思想に感慨を受けたジョン・エヴァレット・ミレイ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ等画家たちが絵画が自然に忠実だった「ラファエル以前」の表現をめざして1848年「ラファエル前派同盟」を結成。
1853年ミレイがロイヤルアカデミー準会員に選ばれると同盟は解体。

第1章 ターナーとラスキン

ラスキンがターナーと出会ったのは1840年、21歳のとき。
ターナーの作品を買い求めてコレクションを形成。
1843年「現代画家論」の第1巻を出版し、ヴィクトリア朝きっての美術批評家とみなされた。
荒々しい筆使いの新たな表現で物議をかもしていたターナーの擁護論にあたり、1851年ラファエル前派の擁護に努めた。

ターナーによる《ナポリ湾(怒れるヴェスヴィオ山)》
ラスキンの所蔵品で1868年頃より手元に置いていた。
ラスキンが初めて見たターナー作品がこの絵の版画だったこともあり格別に嬉しかったそう。
ターナーは2年後にイタリアへ旅立った。

ラスキンとターナーの繋がりは有名ですが、まさかラファエル前派に関する展示でターナー作品に出会えるとは思ってもみず、私的に嬉しかったです。

サミュエル・ロジャースによる詩集《イタリア》は、1832年2月8日は13歳の誕生日にプレゼントされ、この詩集の第2版の挿絵によって初めてターナーを知ることになる。
これらを模写して研究に没頭した。

ラスキンによる《シックスの石灰岩層―サヴォワ地方、モン・ビュエ山麓》は、繊細で丁寧に描かれ、力強さを秘めた表現が印象的。

ラスキンによる《サン・ヴルフラン大聖堂、アブヴィル―川からの眺め》
サン・ヴルフラン大聖堂を描いたこの作品は最も完成度が高い。
教会の建築に使われている地元で採石された白亜の大聖堂が美しく、ラスキンはこの町と大聖堂を深く愛していたそう。

ラスキンによる《渦巻レリーフ―ルーアン大聖堂来たトランセプトの扉》
ラスキンは古建築の価値は経年変化にあると考えていた。
不干渉論を唱え、建築は破壊であると主張。
写真のように緻密に描かれている。

第2章 ラファエル前派

ラファエル前派同盟は、1848年秋、20歳前後の若手画家ら7名によって結成。
ロイヤルアカデミーに反旗を翻し形骸化した形式美を批判。
ラファエル以前の芸術の回帰を意味している。
創造的な形式から脱して、中世美術の簡潔で真実味にあふれる表現を蘇らせることにあった。
1857年発表の素描論では、細心な注意を払って対象の細部までを描きこむことの重要性を説き、その年若い信奉者のなかから、ラファエル前派の風景画家が登場します。

ミレイの《新約聖書よりイエスのたとえ話》他、物語調の題材が続く。

今展のポスターにもある《ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)》をはじめ、他の主要作品の写真撮影OKな部屋がありました。

ロセッティの《ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)》
右手に美の象徴であるリンゴを持った美と愛の女神ウェヌスは、右手に持ったクピドの矢で「人を心変わりさせる者」なのだろう。
ラスキンは花が雑と描き方を批判し、ロゼッティは後日全体を描き直したが、二人の関係は修復されることは無かった。

素人の私が言うのもおかしいが、ラスキンが批判したという花の描写に雑さは見られない。
ロセッティは自らの画をかなり大幅に描き直す癖があったそうで、以前のものは現在私たちが見ているものとは全く違った画であったのかもしれない。

ゲーテの「ファウスト」から引用したロセッティの《「夜が明けて」―ファウストの宝石を見つけるグレートヒェン》は、戯曲に登場するグレートヒェンが主人公で、ファウストが誘惑するために差し出した宝石を見やる姿が描かれている。
柔らかい茶色を基調とした背景に首飾りを見つめる女性の表情が美しい。
モデルはウィリアム・モリスの妻で、ロセッティの愛人でもあったジェーン・モリス(ジェーン・バーデン)。

ロセッティの《祝福されし乙女》は、ラファエル前派同盟機関紙「The Germ」で自身が発表した詩を絵画化したもの。
若くしてこの世を去り天国で恋人と再会する瞬間を心待ちしている乙女を描いた。
死んだ恋人は下部に描かれ、恋人を思い天を見上げている。

ロセッティの《ムネーモシューネー(記憶の女神)》
ムネーモシューネーはギリシャ神話の記憶の女神。
下に描かれているパンジーは記憶の暗示、右手の容器には飲むと過去を完全に思い出せる水が入っている。
こちらのモデルもジェーン・モリス(ジェーン・バーデン)。

ハントの《「甘美なる無為」》
1860年頃着手したモデルと破局し制作は一時中断したが、モデルを妻となる女性に変えて完成。
手には結婚指輪が描かれている。
題名は仮で名付けられた。

ヒューズの《リュートのひび》は、小川のほとりの草地に物思いに沈んだ表情で寝そべる女性が描かれている。
そばにリュートが置かれ、弦の上に摘み立てのブルーベルがかぶせてある。
夜の森のように暗めだが異彩を放つ。

第3章 ラファエル前派周縁

ラファエル前派同盟が提唱した緻密な自然観察、そして主題の誠実な描写という大原則は、1850年代初頭には人々から多くの支持を得る。
ラスキンは英国画壇に多大なる影響力を放っていて、細部まで細心の注意を払って絵画、素描に描き込むよう説き、若手画家に信奉者を増やした。

第4章 バーン=ジョーンズ

1850年代末創設メンバーのうち最も影響力を持つようになったロセッティ。
彼の指示下でバーン=ジョーンズはロマン主義的で中世的な主題を感情に強く訴える超俗的な形式で描き始める。
ラスキンも彼を見込んで指示、教育、自分の使命であると考えた。

バーン=ジョーンズによる《受胎告知》
伝説的な場面と異なる蛇とリンゴの木を描き込んでいることは異例。
旧約聖書の説話を融合させるアイディアで、おそらくロセッティから受け継いだと思われる。

バーン=ジョーンズの《金魚の池》はフレスコ画にありそうな画風。
陰影が濃いめで、無表情で一点を凝視する女性像。

バーン=ジョーンズの《赦しの樹》
トラキア王女ピュリスは愛するデモポーンに捨てられ絶望し自死するも哀れに思った神がアーモンドの木に姿を変えた。
心から後悔したデモポーンがその木を抱きしめると幹からピュリスが姿を現し、愛情深い赦しを与えて彼を腕に包み込んだ。
1800年酷評され7年間公的展示から身を引く原因となった《ピュリスとデモポーン》の再制作である。
背景のアーモンドの花の白さが浮き立ち、愁いを含んだ表情で見つめ合い、身を絡め合うピュリスとデモポーンが肉感的に描かれていて非常に印象深かった。

第5章 ウイリアム・モリスと装飾芸術

19世紀英国を襲った産業化の波により人々の生活や自然が汚されることをラスキンは嫌った。
1851~53年に発表された「ヴェネツィアの石造建築」は次世代を担う若者に決定的影響を与えた。
19世紀紛争のアーツ・アンド・クラフツ運動はラスキンの新奉者によって主導された。


美術批評家ジョン・ラスキンとJ.M.W.ターナーの絡みに始まり、ラスキン自身による素描画の紹介、ラファエル前派との関係からその派生という流れで展示されていました。

まさかこちらで大好きなターナーの作品に遭遇できるとは思っておらず嬉しかったです。
ポスターにも使われているロセッティの《ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)》が展示された部屋を写真撮影可能にしていたのは大サービスだったと評価したいと思います。

数年前に開催された「テート美術館の至宝 ラファエル前派展」に比べてやや偏った作品が集まっていた印象を持ちましたが、十分楽しめました。
長い冬が終わり、花々が咲き匂う英国の春を思い出しつつ絵画鑑賞に耽るのも良いものです。


【6月9日(日)まで開催中】
ページの先頭へ