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宮城野/ぼくの酒速度
新宿で乗り込んだ電車が池袋に差し掛かって、ちょっと迷ったが結局飛び降りる。
目指すは野口五郎交差点ほど近くの日本そば屋。大きくカーヴする階段を上がって、立ちはだかってくる重い木の戸を腕一本ですべらせて足を踏み込めば、Weekdayの早い夕方、未だお客の姿はなく、いつも整然と落ち着き払うフロアの独り占め、という恩恵に図らずも与(あずか)ってしまって
<R5.4.19 夜の部>
「宮城野」
BGMは常にJAZZ。
茹で場を背に並ぶサイドの入口側を勧められるも、何を企ていたわけでもないが、そこでは利き腕が不自由になろうとみて奥の席を所望。
支度中の見たことのなかった若い女の子に「すみません」とやってしまってから、ああ、もしかして未だこの娘は就業時間に入っていなかったのではなかろうか ? と、快く注文を受けてもらったはいいが、ちょっぴり後ろめたさを感じてみちゃったりして
お酒とそばを揚げたおとうしを差し出してくれたその娘の手が気持ち震えているように見えて、「たしかに世の中は恐ろしい人間たちで溢れていますが、ぼくはそのような恐い人間ではありません。エリザベス女王からナイトの称号を受けた英国紳士、一介のサー・トーマス・リプトンなのです」と出自を説明しようとして、よけいに怖がられてはいけないと口を噤ぐみつつ、鮮やかなblueの徳利をglassのお猪口とkissさせ、この静謐な時間をなるたけ素直に享受、即ち、酒飲みとしての等速直線運動に入ることにする。
すぐ横で割り箸の箸袋詰め作業に没頭する女の子の、真剣に仕事に没頭する姿を感じつつの酒がうまい !
バックヤードでの男子社員とアルバイトの女の子との、注文も憚られるようなお客そっちのけの雑談を、いつの頃からか繰り返し繰り返し見せつけられているボクとしては ……
今日のおつまみ三銃士は玉子焼きと、板わさと、そして山芋の磯辺巻き。
それらの共通点は、それぞれがそれぞれに“しょう油本来の味を際立たせる”ということとなろうが、とりわけ、私はそんなもの子供の頃には興味もなかったのだけれど、磯辺巻きという日本料理(日本料理 !/笑)の魅力が尋常ではないということを、この店で初めて教わったなぁ、との感謝を籠めて、お酒のふたつ目を注文させていただく。
私のあとにお客の姿、依然として顕れず。
箸の袋詰めのはかどるほどに、女の子のcharmingが恐ろしく際立ってくることを、これは私を陥れようとしている何者かの黒魔術だ、黒魔術なのだ ! と振り払うべく必死の抵抗を試みるぼく ……
やがてお客さんがぽつりぽつりと入りはじめ、そしてお水を足してくれる彼女の手は、もう震えてはいなかった
「すみません、和風海老春巻きっていうの、もらえますか」
「かしこまりました。お酒のほうはまだ大丈夫ですか ?」
「…… 大丈夫です」
手の震えが止まったどころか、まさか女の子がぼくの酒速度を牽制してくるではないか !
これはぼくに対する静かなる威圧だろうか …… ?
瞬間そのことが測りきれずに、とりあえず一気するのはやめておいたことは、大人として彼女の挑発に呼応したくなかったということもあるが(誰もお前なんか挑発しようとしてね~わ !)、経済的な事情もあった
「わたしクロダイが海苔を食べるっていうのを見て ……」
箸の袋詰めに嫌気がさした彼女が(嫌気が差したんぢゃね~よ ! ひと段落ついたからだよ !)、厨房に回って調理の御方とクロダイの話をし始めたよう。
クロダイの話を何故おれにしてくれない !? と訝ったが、思えばおれも、メジナがサビキ仕掛けに掛かって勝手に釣れてきたことはあったものの、クロダイを釣ったことがなかったことを、残念ながら自覚しちゃう ……
―― ああ、その意味ではおれも彼女もクロダイのことを何も知らない、同じ穴のメジナなんだよ。おっさんとギャルという見た目の隔たりはあったとしても、結局は同類の ……
「すみません、つめたい金色ください !」
【本日の献立】
“お酒/文楽” @ 540 *3
“お好み三点盛り” @1,150
(玉子焼き・磯辺巻き・板わさ)
“和風海老春巻き” @580
“金色” @980
税込みで〆て4,330円也。
宮城野/逆流のサンシャイン通り
ラウラ・アントネッリのおっぱいだけを網膜に焼き付けたぼくは、なるたけほかの穢れたものを目にせぬよう、池袋の夜を彷徨わない。何故ならば、既に行先は決まっていたから ……
<R4.12.30 夜の部>
「宮城野」
実は一週間前の夜にも訪れたのだが、その夜、おすすめという“辛玉味噌うどん”というのを注文したところ、なんと予期せずもどんぶりにばら肉が入っているというカタストロフに見舞われてしまい、だからというわけではないがふたたび来店。
こちら夜の部でのいつものように、お酒とおつまみ3種盛りから入る
ぼく 「このお酒と、3天盛りのこれとこれとこれ、とりあえず」
お店の女の子 「〇〇と、〇〇と〇〇と〇〇。以上で」
―― 「以上で」、はやめて
先日は玉子焼きと板わさと、揚げ出し豆腐。
それも最高ながら、今夜は玉子焼きと板わさと、磯辺巻きを注文。その磯辺巻きというのがとろろを海苔で巻いたものだとは知っていたが、食ったら異常に美味く感じるんですけど、これってどうゆ~こと ? これが年のせいってやつ ?
―― ということは、もう「水戸黄門」観て泣けるようになったってことですか ? でも助さんが里見浩太朗のとき以外、ぼくは涙を見せることはないでしょう
「このチーズはんぺんオムレツってゆ~のください」
先日ははんぺんがなく、かに玉オムレツならできますと言われてそれにしたんだけど、今日は何も言われずに注文が通ったのでちゃんとはんぺんオムレツになるんだな、と思って楽しみ ♪
というかこの時点で、今日はお酒二つに、3点盛りとおそばをやって帰るのだ、と思っていた計画が見事失敗したけどね。
そしてこれ、でも今日もかに玉ぢゃない ? こないだ良く見なかったけどしかもそのカニも、カニかまぼこにしか見えないんですけど(笑)。
でもそば屋でオムレツっつ~のも、これがなんともうまい !
「おつゆ、ちょっと多めにつけてもらえますか」
そして〆は“金色”に決めていた !
本気と書いてマジと読むように、昆布と書いて“こぶ”と読む ! そのことだけを心で唱えながら、薬味のネギを振らせていく。
昆布、油揚げ、渦巻きかまぼこ(お前勝手に名前つけてない ?)、ふつうのかまぼこ、だし巻き卵、ワカメ、そして天かすが、まるで「七人の侍」のように、いや、「荒野の七人」のように(どっちでも同じだろ !)その個性を存分に主張する !
そこへちょっとよけいにもらったつゆを思い切り与えてやれば、そこはもう You are my heaven !
そば屋でうどんを注文するという罪を犯してしまったぼくが受けた罰はばら肉。そば屋でそばを注文したぼくが受けるご褒美は、昆布。
「よいお年を ♥」といって送り出してくれる女の子に、「明日また来るかも知れないでしょ !」とも言えぬまま、弧を描く階段を恍惚状態で下りていく。
サンシャインの暮れたサンシャイン通り
人通りはいつもより疎らな気もするが、でもさみしいほどじゃない
げっぷをしたらそのままそばつゆが逆流してきそうな、そんな満たされた夜です
宮城野/再開の夏
新文芸坐で映画を観終えてYちゃんにLINEすれば、はっきりと時間なんか伝えていなかったのに、この電車に乗っていきますから ! と、ちょっと慌てるように律儀な返事が返ってくるので、ぼくはもう堪らずに頭上、西武百貨店の婦人雑貨売り場に上ってっちゃう !
というか、上っていかざるを得なくなった。
人間として間違ったことは何一つしていない。ただ人間として当然のことをしているまでだ。そしてこのことは、私の数年ぶりに訪れた夏の再開の儀式でもあった
―― はじまってもいない夏を終えるばかりの数年だったけど、ぼくの冒険の夏が、今ふたたびはじまった !
<R4.7.18 夜の部>
「宮城野」
暖簾に邪魔されつつ大きく重い単板の戸を引いたとき、九州は久留米出身のYちゃんは何か高級店を連想したようだが、そんなことはないと受け流す。
いつもどおりに(客足的に/笑)落ち着き払った店内。四人掛けのテーブルを広々と二人使いさせてもらうことが赦されて気分も上場 ! ならばおつまみ3点セットをぼくは日本酒、Yちゃんは生ビールで、ぼくたち二十歳(はたち)と54歳の冒険の夏を、厳かにスタートさせる。
陶器のグラスに注がれた生ビールで白い髭を生やした少女が目の前で揺らめいてる。その像はすぐ手が届くようでもあり、一方、何億光年も離れているようにも思えた
茄子が好きだという少女に、忘れないうちにと西武百貨店で調達したタオルハンカチを手渡した。
一つは鮮やかなredで、モデル志望の彼女がいかにも好きだろうと即座に判断したもの。もう一つは白地にLANBIN BLUEのラインがあしらわれた、清涼感に溢れるもの。それを見た彼女の破顔に思わずたじろいでしまったことを覚られぬよう、茄子という食べ物には栄養も何もないんだよ ! と、今は亡き上野のお好み焼き屋さんのママの言葉を苦し紛れに受け売ってみたりして ……
彼女は茄子、タコ、そして本日のお造り。ぼくは板わさと玉子焼きと、そして揚げ出し豆腐。
猛暑でも厳冬でも、そして北極にいたって南極にいたって、自分を見失わずに常に自分の好みを注文していける、そんな人間に私はなりたかった。
幼気(いたいけ)な少女に揚げ出し豆腐をとられたって決して動揺することなく、大人として冷静に、その娘の成長を見守っていけるような ……
「せいろって何ですか ?」
「わたし、とろろせいろにしようかなぁ …… ?」
揚げ出し茄子、そして野菜天ぷらの盛り合わせとレガートに料理を繋げていくのは、これは私の計算ではなく彼女のリクエスト。
しかしそれでもふたりの夏物語は、主食であるおそばへと自動的にクレッシェンドしていく ! 彼女とご飯するのはこれで三度目。いつもばくばくと容赦なく食べてく姿が非常にチャーミングだと思っていたが、今夜もまさに !
そのチャーミングに心を乱されて、一瞬、季節ものの明太子としらすかなぁ ? そんな冷やぶっかけを注文しかけてしまったがしかし !
「金色、冷たいのください」
何時如何なる時にでも、男たるもの決して自分を見失ってはならないとは、さっき決意したばかり !
わたしはもはや自分のアイデンティティと言っても過言ではない(アイデンティティ/笑)「金色」を辛くも注文することに成功 ! 彼女はふつうのせいろうを、海苔かけで注文した。
そのとき私たちは、どんな話題を語り合っていたのだろう ? 会話が途切れることはなかったと思うが、その内容を覚えていない。
ただお小皿で別に供されるこちらの海苔を、これはおつゆに入れるのではなくおそばに直接かけたほうが風味が良いよ、とか、一旦引っ掛けたおそばは箸から離さずに、おつゆにぜんぶ落とすと辛くなっちゃうからほどほどに引き上げて、連続動作で啜り切ってしまうのだ、とか(自分が一番忌み嫌っている強制、及び束縛を)やってしまったということを鑑みたとき、おっさんとして幾ばくかは、少女との会話に行き詰っていたことは間違いないと思う(笑)
「これなんですか ?」
めくるめく時間をあまりにも軽快に流し、これはそば食いとしては当然のことながらおそばを一瞬で啜り切ったぼくら。
彼女は最初っから決めていたディザート、“白玉ぜんざい”的なものを注文し、ぼくは最初っからは決めてはいなかった“つぶつぶチョコアイスクリーム”的なものを注文した。
と、もうつゆの猪口も持ってかれてしまっている状態から、そば湯と、そして新しい猪口二つが届けられ、久留米出身の(どちらかと言えばうどん文化の)彼女が不思議そうな顔して、「これなんですか ?」 と見入ってる ……
―― (笑) これ女の子とおっさんがどうせだらだらとやるんだろうと思っていたホールの彼の予想に反し、おれらが一気におそばやっつけちゃったものだから、そば湯を出すタイミングを逸して困った彼の、完全なるエクスキューズだよ ……(笑)
やっぱり女の子は彼女のように、好き嫌いなくがんがん食べて頑丈な娘が良い。男よりもか弱い女の子など、韓国ドラマ以外、現実世界には不要なのだ ! そして腕力も、ある程度はあったほうが良い。家が火事になったときなんかに、引き摺ってでも助け出してくれそうだから。
そう考えると理論上、私とてこの結論には達したくないのだけれど、やっぱり女性としては、あき竹城さんが一番チャーミングだということになろう(笑/間違いない !)。
こちらのおそば、料理はことごとく美味しく、我々奇妙な凸凹コンビの夏の始まりにこの上なき花を添えてくださってもう大満足 !
気分上々弧を描く階段を下りてゆくのだが ……
「わたし、まだぜんぜん時間平気ですよ ♪」
―― え゛っ !
宮城野/ファンタスティック野郎と野口五郎の秘密
人間というものは誰でも程度の差こそあれ、心の奥底に獣性というものを抱え込んでいて、それを理性で押し殺して日常生活を送っているのだと思う。
つまり人間というものは誰でも幾ばくかビーストであって、そこから逃れることの出来ない生きものであるならば、それならばなるたけファンタスティックなビーストでありたい。
そういった願いを込めて、今日は「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」の切符を、日本最高峰のスクリーンであるグランドシネマサンシャイン、“IMAXレーザー/グランド・ツーリング・テクノロジー”にとって来た。
久々の再会のようにも思える快晴、ながら涼しげな風が吹いていた。
GW二日目の池袋の街の人出も、とりわけ賑わいを見せている。こんなとき、私は逃げ込むべきところをひとつ知っていた。それは野口五郎交差点からほど近い一角。
若者たちの街には似つかわしくないかも知れないが、しかしその若者たちのハートをも余裕で鷲掴む、伝統的日本料理の店だった
<R4.4.30>
「宮城野」
クレオパトラはこの黄金週間を利用して、故郷エジプトの黄金郷へと帰省したのであろうか姿が見えず、失ってみて初めて覚えた心細さに心打ち震えるばかり。
代わりにホールは若くチャーミングな女の子が守っているのだが、残念ながら、私のアクアチェック・マシンは未だ完成していない ……
「お決まりですか ?」
「いえ ……」
しかも自分で品書きを差し出しておいて、未だそれを広げてもいないぼくに何故 ! 間髪を容れずお決まりですか ? と聞くのだろう。よほど気が短いのだろうか(笑)。
―― いや、違うな。実は心の中でもう注文を決めているおれの心が、何らかの拍子に(彼女の心と)シンクロしてしまったんだろうね ……
“金色” @935
“セット野菜天丼” @330
〆て1,265円也。
鳴り物入りで始めたこの店初の“ご飯もの”には、もう3度失敗している私であったが、最後の注文から少なくとも数ヶ月は経過していることで、もしかしたら改善が図られているかも知れないと思って再注文。
してみたのだがしかし !(笑)
―― ご飯の炊き方は完全にぶよぶよではなくなったけど、まだ柔らかく、丼つゆももっと甘く、辛くして、そして天ぷらも揚げた瞬間にはカラっと花揚げさせておいてくれてから、それからつゆにくぐらせるなりなんなりしないと。それってぜんぶダメなの ? って言われたら、そう、かもね~
ご飯は炊き方というよりも、あの丼もの屋さん御用達の小粒でぱらっとしたやつにすれば、一発解決すると思うのだけれど。でもあのご飯って何なんだろ ? ちゃんとした天ぷら屋さんの天どんのご飯として、よく見かけるんだけどなぁ
そんなことでおそば大盛りとこのミニ天丼が同じ330円ということを鑑みたとき、今はまだ、おそば大盛りでいったほうがいいかも。
しかしそんなことまるで意に介さぬように、今日もぼくの“きんいろ”の調子はすこぶる良い ! ただでさえ比較的(甘さとして)甘いつゆを昆布(こぶ)や揚げの甘さがさらに補強し、そのことに通の御方は一言抱かれるかも知れないが、でも私にとってはこの甘さがうれしい ♪
12時40分過ぎ。客足はこちらにしては珍しくひっきりなしに続いており、とうとう満員御礼を迎えたよう。
そんな中、向こうのアベックの女の子がどこを押さえたらよいのか分からないようで、蒸籠の上でそばをひっくり返しつつ、いろいろな角度から箸を入れつつ難儀している様が、まるで猫がネズミをもてあそんでいるように見えてしまってとても居たたまれない ……
(居ても立っても居られない/笑)
もしもぼくが彼女の彼氏であったなら、もりそばは盛りのてっぺんから摘んでくように(それでうまく食べられるように)出来ているのだと、すぐ教えてあげられるのに ! こっちはそんなこと、もう子供の頃から身についてるわよ !
今すぐそんな彼とは別れてぼくと結婚しよう ! とプロポーズしに立ち上がろうとする自分を、ここはフランス映画の中でも韓流ドラマの中でもないんだから ! と、もう一人の自分が必死に諫めていた
宮城野/ひやとぬるとあつについて
新橋駅の国鉄高架下で、凍えながらコドナを待った。
こちらのほうが少しばかり早く着いたので、その辺りをちらりと徘徊。もうここでいいかと、外から見ても見るからにお客の入りが悪いお店に半信半疑で突っ込んでお酒出していますか ? と問うてみたところ、「お酒は出しているのですが、この雪なもので、7時までの営業となります」と返って来て、ああ、そっちか ! と腑に落ちて ……
しかし夜空に雪が降ったなら、もうどうしたって真っ直ぐ家に帰れないというのが酒飲みの本能 ! その強い情念にまったく気付かずか、或いは分かっていながら知らんぷりするというこの飲食店群のサーヴィス精神、及び公共精神の崩壊っぷりに先ず腹が立つ。
そんな店、片っ端から看板剥奪しちゃえばいいのに ……
―― ちょっと雨、雪が降ったら休む店。半年前のおとうしを解凍しながらちびちび出し続けてるお店。新型ウィルス過の時短営業協力金をぎりぎりまで貰い切ったら廃業しようとタイミングを計っているお店。もうそうとう前から営業実績の無いくせ、朽ち果てたお店のドアに“コロナ対策協力店”のステッカー張り付けて協力金受けとってるワーゲンかぶと虫のお店、横に着いて飲むくせこれっぽっちも触らせないスナックの女の子。そのすべてがダメだ ……
しかし戻り道、ガード下のいくつかのお店の歩を通過してみれば、その繁盛っぷりから、これならどこでも時短営業のリミットまでは飲めるだろうと踏み、へたに動かずにコドナを待つことにする
「そっちの日高屋か王将なら飲めそうなんだけど ……」
合流して、そんな私の苦労の事前調査を無視するように、コドナはすぐそこにあった「一軒目飲み屋」とかいうふざけた名前のお店に引き寄せられていく。
すぐそこにある倖せに安易に縋ろうとしたとき、人間は大抵の場合ろくな目にあわないのだということを、彼女の誕生日に22本のロウソクを立ててあげたこともないコドナは、未だ気付いていないのだろう。
しかし私は今はその否定はやめ、友のその無垢なる無知に殉じてやろうと黙ってその背を追った ……
<その翌日 R4.2.11>
「宮城野」
いよいよおっさん一人が安心して直ぐにお昼ご飯が食べられる場所が壊滅した池袋。
午後1時をかるく超えているというのに、サンシャインシティのレストラン街は軒並み待ち客を抱えているようですごすごと退散。
ならば大通りを今は亡き東急ハンズ側に戻って来てもう一直線、野口五郎交差点手前のこちらへの階段を上るしかなくなった。
例の重い戸を引いて、クレオパトラを今年はじめて見たような気がする。
思ったとおりに一撃で座れればlucky ! あとは半ば決めていた注文を、初めて見る若い女の子に告げればそれですべてがこと足りた
“金色” @935也。
「ひやこんで~す ♪」
ひやこんとぬるこんとあつこんとある中の、今日はひやこんを注文。
“ひや”というと飲食業界においてふつうは常温を指す日本語だが、こちらのそれは常温よりも冷たく引き締まっており、いきなりおいしい。
味もみずに徳利のつゆをすべてぶちまけてしまうことこそが、東京の形式美。そうしておきながら、先ずは蒲鉾に山葵をなすり、それ単体の、即ち蒲鉾本来のうま味を堪能するということは儀式。そのうえでコブの佃煮と、手打ちで粒状感に溢れるいつものfreshな細身のおそばを計量しつつあわせていくことは、これは科学。
お揚げはリーダーシップ、蒲鉾は孤高、コブは協調、そして天かすは食いしん坊で力持ち ! ということをそれぞれ意味していた。
―― それってゴレンジャーに無理矢理こじつけてない !? だったらミドレンジャーの立ち位置って、いったいなんだったの ?
自殺用にキングコブラを襟巻代わりに首に巻き付けているクレオパトラがお茶をすすめてくれたが、お腹がたぷたぷになるので丁重にお断りさせていただいた。
そんなことよりも冷血動物を身に着けることが、冬温かくて夏涼しいというのはほんとうだろうか ? なんて思いを馳せつつふたたび螺旋を堕ちる。
池袋の喧騒は、これでもふつうからやや少なめだろう。
そばはうまかったし、そして天気も上々 !
それだけでもう、「ゴーストバスターズ」最新作を鑑賞するにすべての条件が整ってしまう自分が堪らなく愛おしい ……♪
宮城野/蕎麦 fantasy
珍しくぶ厚い雲に覆われた東京だったが、日中はときおり陽が射してくるとのこと。
今日は成人の日ということで、晴れ着姿の若い女の子たちがそこかしこ見受けられるが、この付近で豊島区の成人式が開催されているのであろうか。明治通り沿いにあった区役所は現在TOHOシネマズになっているが、その移転先を、私は知らなかった。
―― まあべつに豊島区役所なんか無くなったって足立区役所だけあれば、足立区民のおれは何も困ることないけど ♪
<R4.1.10>
「宮城野」
年末から来れていなかったぼくのおそば屋さん。
昨日のお昼ご飯は素うどん。だからというわけではないがいつもの“きんいろ”(具だくさんの冷やぶっかけ)は今日は封印。そして昨日はそのボリウムだけに満足がいかなかったもので、今日はその教訓を活かして素直に大盛りとやっていく。
素うどんと素のそば。それだけで十分に人間は生きていける。
よく食べものはヴァランス良く、一日20種もの品目を摂らなければならないと真顔で宣う方々を、私は心底片腹痛いと思っていて、何故ならば私がこうしてうどんだけ、そばだけ、なんて食事を永年続けて尚、人間ドックで示される数値のいくつかが最悪を示しているにも関らず日々健康、無遅刻無欠席を続けているということもあるんだけどその前に !
その前に牛だって馬だって、草だけ食べてあんなに立派に育つんだから。パンダだって笹かまだけだし(笹かまではないでしょ ?)、ミミズだってオケラだってアメンボだって、そんな何十種類の食べもの食べてるわけないのに、みんなみんな生きているし、みんな友達なんだよ !
―― しまいには冬にトマトを食べたら死ぬ ! って言い出した料理研究家のおばちゃんもいたけど、トマト食って死ぬやつはいるかも知れないけど、そ~ゆ~やつは豆腐の角に頭ぶつけても絶対死ぬんだから、そんなの気にしたってしょうがないのよ ……
“せいろ” @770
“お蕎麦大盛り” @330
この三段重ねが、おれにとってはどんな活き鮑の丸焼きよりも、どんな松坂牛の活け造りよりも一番のごちそう !
お店のマスコットキャラクターの兎跳ねる蒸籠三段のtowerが映える ! 一杯800円の水を有り難がるへんな世界のへんな住民には永久に醸せぬ美というものが、ここにはあった。
ならば丸断面のバンブーの割り箸だけがやや不服だったがそこは気にせず抜刀し、その鞘を潔く捨て去り、蕎麦盆の縁(へり)に蒸籠の底の向こう側だけをのせてこちら側へやや傾ける恰好をつくるのは、真剣に茹でられた蕎麦と真剣に向き合う必要が生じたときだけに用いる、私だけの作法
おそばは“ざる”ではなく“もり”。
ならば箸の切っ先は自動的に頂点へと向かい、そばの尾が次々と、まるで別の生き物のように猪口に吸い込まれていくfantasyを、ただ茫然と眺めていれば、それでよかった
宮城野/同じ道をたどって
<R3.11.6>
「宮城野」
先週よりもさらに激しさを増す池袋の喧騒。
東急ハンズ亡きあとの人流の変化を読んでサンシャインシティのレストラン街に突っ込んでみるも、憐れ「マイアミガーデン」さえも記帳して待たねばならぬ状態では、もはやzombieに似た名前の洋食屋さんの店頭は当然それ以上の人だかりとなっており、すみやかにそのエリアを離脱。
こうなっては先週と同じ道をたどってしまうこととなろうがサンシャイン通りを戻り、いつ入っていっても必ずや受け入れてくれるであろう、ぼくの日本そば屋への階段を上っていくしかなかった。
と言いつつそうはいっても懐疑的だったんだけど、まさかここでもスムースな入店が叶ってしまう !(笑) が、やはり卓に空きがあってもマンパワーが完全に不足しているのかな ……
“金色” @935
“おそば大盛り” @330
もう小さいTempura-bowlは注文できない(笑)。まあ、半年おきくらいに試してみる必要があろうが、今日はもう。
よっておそばを大盛りに。
お隣は高校生くらいの男子と父親のコンビ。
その息子さんに三段重ねの立派なせいろうが舞い降りれば、いつもの“ぜんぶのっけ”的冷やぶっかけにしがみつくことしか出来ない私は、いい年ぶっこいてそれでいいのか ? というラウドな耳鳴りに襲われるのだが、でも、これでいいのだぁ~ ! とばかりに徳利のつゆをすべてぶちまけてしまえば不思議と気分は落ち着いた
そして目の前の卓には母娘。
ふたりして玉子焼きを仲睦まじく突いているのだが、お母さんにお酒をやっている気配はなく、そば屋の玉子焼きをお酒のあてではなくただのごはんのおかず使いするという ! そのなんとも贅沢な風景をただうっとりと眺めていた。
その辺りでお店のほうはまさか !
これは創業以来初めてのことであろうか(いや、それはない !)、満卓で新規のお客様に待っていただくという珍現象が発生しているようだが、お店の人もこんなことはかつて経験したことがないだろうから(こらっ !)、如何せんそのあしらいが、ちょっとぎこちないように見えるのは気のせいだろうか ……
【以下映画の話/久々ノーカット版で】
監督:原田真人
2021年 148分 日本
「燃えよ剣」
ご飯のあと、今日は幕末の新選組の活躍を、その副長であった土方歳三中心に描かれた「燃えよ剣」という作品を鑑賞。
監督は「クライマーズ・ハイ」の原田真人さん。私にとっては永らく注目の日本人監督ではあるのだが、ぜんぶがぜんぶ、私にとって興味をそそられる内容の作品が続いたわけではなかったので、実際にはそれほどの本数は観ていないと思う。
また原作は司馬遼太郎とクレジットされていたので、ある程度、またはそれ相当のフィクションを伴うものであろうが、彼らの誕生から終焉までが正々堂々と画かれた、最近の邦画にしては稀有な、貧乏くささを感じさせることなき力作であったと思う。
とりわけ興味の惹かれた部分は、多くの人たちと同様、剣劇は「水戸黄門」のチャンバラから入っている私だが、その後に知った黒澤映画や座頭市などでの“一撃”というのが、現実の斬り合いでは画的にリアルなんじゃないかな、と思っていたのだが ……
有名な池田屋事件で、たむろう尊王攘夷派の長州藩士たちに、隊長近藤勇が少人数で奇襲をかけざるを得なくなったとき、こういった閉所での多人数の斬り合いがそうさせたのかも知れないが、追い詰められた長州藩士たちが、自分たちの隊長をおしくらまんじゅうのようにとり囲んで守り、また責めるほうもひと塊、お互いに刀を相手に突き出して見合うという膠着状態が、実際の斬り合いの現場では案外ほんとうに生じていたのかも知れないな、ということ。
(近藤勇を演じた鈴木亮平さんのそのときの鬼気迫る殺気には、ただならぬものがあった)
というのはこのお団子陣形を私は以前どこかで見たことがあって、ちょっと考えて思い出してみれば、それはヴィゴ・モーテンセン主演「アラトリステ」というスペイン映画でのこと。
それは17世紀のスペイン軍対フランス軍を描いた作品だが、やはり剣vs剣の闘い主体となったとき、お団子陣形でゆっくりと進みながら斬りこんでいく姿が強く頭に印象していたもので
誰が正義で誰が悪か、という整理はもはや無意味。
というか理性的な専門家の手に委ねることが賢明だと思うが、こうした命のやりとりを現世よりもはるかに身近とする世界において、だからこそ人間という命を宿した生きものの輝きが圧倒的に際立つものなのだとしたならば ! 現代を生きる我々の幸不幸を、果たしてどのように判定すればよいものか ……
これまで私の目にはそれほど魅力的に映ることのなかった柴咲コウさんが、何故かきれいに見えたということも、なんでだろう ?(笑/戦場でのナイチンゲールみたいな役をなさっていた)
近藤勇/鈴木亮平さんの計算されたおとぼけとpower !、それもナンバ歩きの一種なのであろうか、土方歳三/岡田准一さんのどたばたの田舎歩きと、凄みある殺陣との華麗なコントラスト。沖田総司/山田涼介さんの、飄々と病に伏せゆく滅びのエロス etc.
幕末という混沌だからこそ、男たちの淡々としているようでいて、しかしときに熱い友情のcrossがとりわけ映える !
たとえ次の瞬間、生きもののように蠢く時代そのものに、その熱き友情もろともあっさりと見放されたとて ……
Fine
宮城野/もはや事件です ♪
一時引っ張りだこであったコロナの女王なる御方を最近テレヴィジョンの中にお見掛けしなくなったと思うが、一方ホラーの女王、ジェイミー・リー・カーチス復活第二弾の「ハロウィン」を観にやって来た池袋の街は、なんだか知らないけれどめちゃくちゃ凄い人出となっており、私にとっては非常にストレスフル。
最初野口五郎交差点の南側を責めるも、外装工事中でお客さんたちからは死角となるから有利だろうと目を付けた「びっくりドンキー」さんさえも、野郎独りの入り込む隙も無し ……
交差点に戻ったところでぼくの「銀座ライオン」は既に閉店してしまっているし。となればここは、直ちに席に着けるということでは私が絶大なる信頼を置く日本蕎麦屋にescapeするしかなかった ……
<R3.10.30>
「宮城野」
店内は案の定、外の喧騒が嘘のように落ち着き払っていた。
これを日本そば屋の裕度と言ったら恰好が良いが、ここまでの安定性を魅せつけられると、ただ集客に失敗しているだけのお店じゃなかろうかと(こらっ !)心配になってくる ……
今日はクレオパトラ嬢の姿がなく、若く可愛らしい女の子と男性がホールを切り盛りされているよう。
早速品書きに目を通し始めるものの、こちらでは八割方私は同じおそばしかやらなく、それを大盛りにしようか迷って、前回自分の中ではいまいち納得のいかなかった小さなbowlに、あのときは悪い夢を見ただけなのだと信じたく、再トライをかけてみることにした
“金色” @935
“セット野菜天丼” @330
しかしゲゲッ !
やはり天丼が、どんつゆにまったく締まりがないし、ご飯もべちょべちょで、これではダメだとふたたび思う。品書きにはフルサイズの天どんさえ垣間見えたような気がするが、おそばメインで小さいbowlをちょこっとの私はまだ救われているものの、このご飯で一人前まるまるの天どんというのは、ちょっといまいちだよね、という以上に事件になるんじゃない ! って、こちらが不安になってくるほどに ……
一方のきんいろは、お揚げ、こぶの炊き方とも相まって、今日はちょっと甘いかな、と思わせるものの、いつもの素晴らしききんいろのまんま。
そばなのに多少噛んで飲みこむことは(足立区民は皆、生まれながらにしてそばを噛んで食べることを禁じられている)、この甘辛さが疲れた胃に優しく滲みわたるように、ということも無論あるが、もしもブギーマンに襲われてお腹を切り裂かれたとしても、それをちゃんとしたそば切りとしてブギーマンに横どりされないように、という意味も兼ねる
※ 食べものはよく噛んで食べないと、お侍さんがおにぎりをよく噛まずに食べているところを見られてしまい、山賊にお腹を裂かれておりぎりを横どりされてしまったんだよ ! という話をお婆ちゃんから繰り返し聞かされていた為
「食べものは、よく噛めばぜんぶ栄養になります !」
―― 七曲署のロッキー刑事 談 ――
その「ハロウィン」だが、てっきり私はジェイミー・リー・カーチスが「ターミネーター」のサラ・コナー化して、あの最悪のkillerに立ち向かうのかな ? と期待していたのだけれど、物語が前回の死闘が終わった直後、ブギーマンにお腹を刺されて病院で辛うじて命をとり留めるところからリアルタイムで進行するので、気持ちはあるんだけど、傷口が開いちゃって闘うまでには至れない、ところが、ちょっと不服 ……
ところでおそば屋の通りの向こうの東急ハンズなんだけど、こないだから閉店セールをやっているとおもったら、10月31日で閉店ということを知る。
「ポストコロナを見据えた事業改革の一環」というのは、要は新型コロナの煽りを受けての閉店ってことなのかな ……
当時私はブラックマス釣り用の疑似餌、所謂ルアーというのを自作することにのめり込んでいた時期があり、プロが使っているという材料(塗料・構造線・エポキシ系接着剤・ポリカーボネイト板 etc.)の調達に四苦八苦していたところを、この池袋の東急ハンズがほぼ一発解決してくれたことが強く印象として残っている。
池袋という街は一方で、明治通り側のTOHOシネマズからシネマサンシャインの集合映画館、というよりも、その区画全体の再開発も目立っており、これは街の衰退とはまったく違うのだろうけれど、でも東急ハンズがなくなるのは寂しいよね ……
それもわけの分からない弱っちい風邪の流行で、ということがとりわけ虚しいわよ ……
宮城野/無駄について
昨日に引き続き、折り畳み傘を鞄に忍ぶ忍ばせ無縁坂。
昨日に引き続き、池袋の、今度は東口。
実は昨日の夕方、ちびっこパソコン用に、Wi-Fi接続できるもっとしっかりとしたキーボードがあればと、量販店で兎も角入手したそれを試したかったということもあるんだけど、せっかくの池袋から未だ早い時間に離脱(直帰)してしまったことをひどく無念に思っていて、夜飲めそうな店を当たりながらお昼ご飯処を物色。
TVを見ると飲食店の多くがお酒の提供停止を既に守っていないような雰囲気で語られているがしかし、実際にはそんなことはなく、今日もさして収穫を得られぬままに一周回り切ってしまい ……
先ずはご飯と、夜お酒をやっていないことが分かっているそば屋に向けて、ビューティ―サンシャイン通りを野口五郎交差点に向けて往った
「宮城野」
店先のショーケースにはやはりお酒の提供自粛の張り紙があったが、腰を据えてみればお疲れ様セット的品書きが、あきらかにお客に向いて訴えかけて来るではないか !
―― お酒をやっていると見せかけて客を招き入れてから「やっぱりお酒はできません !」ならば商売的に分かるけど、お酒をやっていないとあらかじめ宣言しておきながら、席に着いたお客をそこから再度悩ますというこの心理戦は、いったい何の為 …… ?(笑)
私は昼間からお酒はやらないので、いつものものを、そして新たに“どんぶりもの、はじめました !”的な確固たる意志を品書きの中に読みとってしまったので、それと一緒にクレオパトラに滞りなく注文してみる
“金色/冷やし” @935
“ランチ野菜天どん” @330
〆て1,265円也。
九割九分別々に来ると思っていたが、意外にも揃って到着。
こちらで初めての天丼は、見るからに ! それほど美味そうではない(笑)。いや、私は夜にこちらの天ぷら盛り合わせは注文したことあるのだが、そば屋のものとして、それはふつうに美味しい天ぷらだったはず。
ご飯が柔らかめなのもそうだけれど、丼つゆが、そばとの協調を意識し過ぎたのかあっさり、且つ突き出し用のそこらへんの器に(こらっ !)ささやかに盛られているので、ボリウム的にも心に響いてくるものがないからかなぁ ……
先ずはかぼちゃの天ぷらからいく。
と、まるで甘みもないし、かぼちゃにしては少々歯ごたえがあり過ぎて、これはハズレだなと思ったら、よく見たら人参の天ぷらだった(笑)。
野菜天どんはそれと、ほんとのかぼちゃと、茄子。
これは料理からいったものではなく、値段先行で考えたものだと思われるが、それはそれで、勝間和代さん理論が忠実に守られている。
但し成功するかは知んないけどね ……
※ というのは、飲食店を出店するのに先ずは料理の質や味を決めるのではなく、値段から決めれば自ずとすべてが決まり、そういう考え方が出来れば必ずや経営は成功するのだ ! という勝間理論だが、それが間違いないのであれば、そんなこと人に教えないで自分で密かに商売して儲けるでしょ。
だから営業セミナーとか、いまいち信用出来ないんだよなぁ ……
こうこうこうやれば必ず問題解決して商談をクロージングさせることが出来る ! なんて能力を持ったなら、絶対人になんか教えずに自分で商売するでしょ ! だって、そのほうが儲かるもん ……
(“年収一千万円可能 !” ってフランチャイズの店長募集する本社だって、それが確実だったら直営店でやりますよね ?)
そういう真剣勝負からドロップアウトしてしまって且つ、口だけ達者なヤツがやるんじゃないの ? セミナー講師なんて
で、そんなことがもうどうでも良くなるくらい、無駄にそばがうまい !!!!
もう昔っから食べてるのに、啜って都度うまい ! というのは、いったいどんな魔法がかかっているのだろうか !
こういった“冷やかけ”のスタイルは本陣坊さんグループも得意とするところだが、それを2段階は完全に跳び越えてると思う。
パッと思いつきだが、「小松庵」最高峰と言われる(正確にはぼくが言った)駒込は六義園の隣の「小松庵」さんが本気出せばこれに匹敵する冷やかけを作ることが出来るかも知れないけど、そこは素の“もりそば”で既にこの値段だから、この内容だと1,700円くらいになっちゃうかも。
それだったらおれはそこでは、“鍋焼きそば”食べるわよ ♪
(笑/鍋焼きをそばでやるのは、ママんとこの用心棒のおじさんの十八番 !)
で、おそばが無駄にうまい !
(二度言ったな !)
もしも食事というものがあなた方の言うように(あなた方って誰 ?)、ただ生きる為に必要なエネルギーを接種する為だけの行為だとしたならば、このおそばは、それを促す為に必要なうまさというものを、明らかに逸脱していると思う。
このことは、日本国内においてはどうやっても最高100km/hまでしか認められていないオートバイの制限速度に対し、果たして150馬力が必要か ? ということに似ている。
それらは何事も合理的に考える方々の目からすれば、きっと大橋巨泉さんのように、「こんなものいらない !」となるのだろうけれど ……
でも俺はそんな大橋巨泉さんに対しては、こう言いたいのだ !
「やめるのをやめてください !」 ってね ……
―― お前結局、それが言いたかっただけだろ !
【epilogue】
その昔、イタリア車屋さんで(当時はイタ車はアンダーパワーで、シャシーの良さのほうがエンヂンに勝っていた)、ヤマハのV-maxという莫大なエンジンパワーを持ちながら、か弱いフロントフォーク、シャシーがそれに追いつかずに有り余るpowerを活かし切ることが出来ないバイクを、更にパワーアップしていきたいのだと自分の欲望を吐露するお客さんに、バイク屋の社長がぽつり、「(どうせ使い切れないのだから)もうそれ以上パワーいらないでしょ ?」と呟いた光景を、今でも鮮明に思い出す。
V-maxのおじさんは、そのとき敢然とこう言い放ったのだ !
「そ~ゆ~問題じゃないから」
宮城野/黄金と黄金の出逢い
「博士、人間って何ですか ?」
「私たちの創造主。ある意味、神のような存在 ……」
新宿南口、甲州街道にぶっつけの改札を出て、髙島屋へ渡るべく赤信号を待っていた。
と、信号機の袂で一人の男性が熱弁を奮っている。耳を澄ませてみると、それはCOVID-19の虚像を暴かなければ、という内容。見ればその方は自身の主張に行動をマッチさせるべく、マスクをすることなしに、この新型ウィルスは果たして脅威なのか ? 雰囲気や噂を先行させているだけで実体が無いではないか ! そのことを厚労省に何度も問い合わせているが、答えをいっこうに得ることが出来きていない ! と宣い、私は不覚にも、そこで無意識に頷いてしまう(笑)。
すると声が明らかに方向性を持って私に向き直ったような気がしたので(笑)、もう目を合わせないように、早く信号が変わってくれないかと心の中でひたすらに願うばかり ……
「実はこのことに気づいている人々は、一定の割合でいらっしゃるのです。しかしそういった人たちも皆マスクを外すことが出来ません ! 何故でしょうか ? 同調圧力に負けているからです ! そこのあなた ! もうお気づきのあなた ! 勇気を出して今すぐにマスクを外しましょう !」
青信号に変わり一目散に逃げ出す“そこのあなた”であるボクに(笑)、「今すぐにマスクを外すのだ !」という声がドルビーサラウンドで追いかけてくるものだから堪らない !
彼の言っていることは図星で、私はマスクの装着には現時点で二重に意味無しと思っているので、正直後ろめたかった。勇気がないからマスクを外せないのだろう ! と言われたら、そのとおりとしか言いようがなかったから ……
二重といった意味のひとつは彼の言うとおり、今回の新型ウィルスは、専門家たちが算出した超過死亡率(という素人が踏み込まないほうが良いと言われている複雑な計算を要する統計)をとってみても、こと日本においてはその流行により、平年と比較し“寿命に達していないまだ死ななくてよかったはずの死亡者数”の、とりわけの増加傾向は見られない。どころか、人によっては2万人くらいキャリーオーバーしているくらいだ ! とも言われる結果があり、新型コロナウィルスの疾病としての実態が希薄ということ。
もう一つは、ウィルスのサイズとマスクのきめ細かさという点で、マスクをしていてもウィルスは食い止められない、ということ。
いや、ウィルス自身の粒々が単体で飛んでくるわけではなく飛沫に乗ってくるわけであって、それはキャッチ出来るだろう ! というのは仰るとおり。
しかしそこからどうなりますか ? その飛沫はマスク上で乾燥することになると思いますが、そしたらどうなるんでしょうね
<その翌日 R3.4.4/池袋>
「宮城野」
駅とは逆の東急ハンズ側から歩いてきて、野口五郎交差点を渡ってしまおうとしてしかし、踵を返していつもの階段を上った。
換気の為か厚く重い引き戸が解放されていたことは、ラクチンだと思った反面、そうなってみればいつもの“儀式”ができなくて物足りなくもある。今日のホールは男性一人。時刻はちょうど正午あたりか。こちらの店としては異例に混み合っていたが(池袋の街自体がたいへん賑わっていた)、野郎一人着席することに何ら問題はなかった。
隣には小学校低学年くらいの女の子とお父さんのペア。
お母さんはどうしたのだろうか ? 八百屋に行くと家を出ていったっきり2年くらい戻ってこないのか。親子は二人揃ってマスクをしており、大人として小学生の模範となるべく、私もそれに倣ったほうが良いだろうとお茶を飲むのに外したマスクをふたたび装着[注]。
その状態から確信的に、グランド品書きという禁断のラビリンスに果敢に迷い込んでいくのであった ……
“野菜皿 (野菜天ぷら)” @1,080
“おそば大盛り” @330
〆て1,410円也。
「この野菜皿っていうのもおそばですよね ?」
「はい。冷やしのぶっかけスタイルになりますね」
こちらのおそばのネーミングがいつもセンスが良いと思ってるんだけど、仙台ではこういった言い方をするのか、それともこちらのお店のオリヂナルなのか、よく分からない。
先ず隣の親子に重ねの蒸籠と、如何にも冷やしのぶっかけと思しき浅いどんぶりが運ばれてきたのだが、まさか重ねの蒸籠が女の子の前に着陸したことには驚いた。
子供へのお店の気遣いか知らないが、つゆ徳利が鮮やかな緑の発色を存分に振りまいており、私には今までその徳利が出てきたことがなかったと思ったので、ちょっと羨ましい。
「よく考えたら昨日も天ぷらだったよなぁ。あっ ! 椎茸の天ぷらうまい !」
とのお父さんのつぶやきに、ああ、おれの注文したのと同じもののようだけど、(苦手な)椎茸の天ぷら入ってたか …… と、ちょっと警戒。
したところへ、私の“野菜天ぷら”が到着 !
―― うん ! 見た目は良いね ♪ つゆ徳利は緑じゃないけど(笑)
徳利のつゆを先ずは少し残してやり始めたが、すぐにすべてぶちまけてしまうことは、それが私の冷たいぶっかけをやるときの常套 !
今日はおそばの装飾は天ぷらということで、そこに永遠のテーマである“そばつゆと天つゆとの互換”という問題が直ぐ様立ちはだかってくることになる。
それは円周率のように、永遠に割り切れぬものでもないと思うがしかし、世の中には答えを求めにいかない美学というものがあると思って今は唯、この美しきGolden Pondに同じく黄金色のポルトガル料理を泳がせるボク。
そばと揚げものの、この言わばジャンクなコントラストがどうやって日本人の市民権を得たのか、思えば不思議なんだけど、今は唯何も考えず、このカボチャとさつまいもの甘さに微睡んでいようと決め込んだ ……
注)
何故マスクを信用していない私が女の子の前でマスクをし直すのか ? 女の子にマスク着用が無意味だとの馬鹿げた持論を展開すれば良いではないか ! と言われてしまいそうだが、私はそんなことはしない。
私自身小学校低学年の頃、うさぎを一匹二匹と数え始めた先生にうさぎというのは一羽二羽と数えるものだと指摘し、クラス全体から激しく嘲笑されてしまったというほろ苦い経験がある。
その経験を振り返ったとき、人間社会というものはいくら正しいことを主張しても、大勢のバカに囲まれたが最後、一瞬でこっちが変人になってしまうということを学んだのだ。さらに恐ろしいことは、そこで奪われた名誉が簡単には回復できないということ。
そんなときにもしも出来ることがあるとしたならば、胸の中で「E pur si muove ! (それでも地球は動く !)」と唱えることくらいであり、そんな大人でも辛い思いを、まさか子供になんか絶対にさせるわけにはいかないと考えているので
【以下映画の話】
2017年 99分 日本
「JUNK HEAD」
これはストップモーションアニメというのであろうか。
技術的には古くからあると思うが、フィギュアを少しずつ動かしながらスチル撮影したものを連続送りさせて、映像に動きを与えるというもの。
本職が内装業だという堀貴秀さんという監督は、それまで映像制作の経験がなかったらしいが、フィギュア、セットの製作、撮影からなんからをほとんど一人でこなし(原案、脚本、絵コンテ、編集、撮影、演出、演出、照明、アニメーター、デザイン、人形、セット、衣装、映像効果、音響、声優など、一人18役 !)、実に7年の歳月をかけて完成させた作品であるといい、それを世界のどこで上映していたんだか知らないけど、どっか海外で(調べて言えよ !)カルト的好評を博しての、凱旋上映だという。
そんなこんな前評判の非常に高い作品ではあったものの、そんな人形劇みたいなのにロードショーの金額をまるまる支払うのはどう考えても馬鹿馬鹿しく(笑)、だから今日やってきたのも、この引き続きのコロナ過での現象で他に面白そうな作品の上映がなかったことに依る、というのが正直なところ
が、結論的なことになるのだが、観たらビビった ! ただならぬ重量感を湛えた力作ということが、そこに犇々と伝わってきたのだ
―― ここではここまででやめときます
宮城野/そばにまみれて
午後7時を過ぎていた。
夜ご飯を食べに来たつもりだったのに方向性が逸れきた感もあるが泣いても笑っても大晦日、「このまま帰ったら俺の負けになる !」[注]ぞとばかりに、おれのそば屋に移動
注) このまま帰ったら俺の負けになる !:
世界のどこに出しても恥ずかしい、俺らの仲間内にいる日本を“制覇”したと自ら豪語するオトコの、数ある名台詞の中でも最高峰クラスの格言。
うまくいかないとき、自分の思い通りにならないとき、それを引き摺りたくなるのが人間の性(さが)。例えば酒の席でそうなったら堪らぬ不安にもう帰るに帰れず、居座りがちになるのが人間というものだが、ご存じの通り、そうすることに依って大抵の事態は更に悪化する
<R2.12.31>
「宮城野」
「このお酒ください」
「燗つけますか ?」
「冷たいので。冷酒ありますか」
「はい、できますよ」
お兄さん、厨房へ、
「ご新規さ~ん ! 板わさと文楽“冷や”で~」
―― と聞こえたんだけど、こちらのお店では伝統的に(笑)“冷や”といったら冷酒のことだと私は分かっているので、別段焦りはしない
目の前に向こうを向いて着いた茶色いとっくりセーターの、魅せつけるようなbrownのポニーテイルをその術中にまんまと嵌まって鑑賞しつつ、ホッと一息店内を見回せば、如何にも池袋らしく、美人のお一人様が目立っている。
が、そうではないそれなりの人と目が合ってしまい、どきりとして直ちに目線をポニーテイルに戻すボク。
その人はサウスポーのようだが、恐らくミーにもケイにも似ていないだろう。席に着く前にちらりと顔が見えたはずなんだけどその像が浮かんでこず、勝手に若い頃の山本陽子似だろうと思い込むことにした
“文楽/冷や (冷酒)”
隣の、本人よりかなり若い女の人連れのロマンスグレーが、おそばはもう少しお待ちしましょうか ? というお店の人の心遣いをひっくり返して「もうやっちゃっていいよ !」 とやっているのが聞こえる。
が、女性の前で恰好つけようと気負ったか、その女の人から今の言い方、偉そうだったんじゃない ? と窘められ、ざま~みろと心でほくそ笑みつつ醤油に山葵をとくボク。
板わさだけは山葵を醤油にといてしまったほうが美味しい、というそのメカニズムの解明にはまだとり掛かっていないが、料理が科学である以上、こういったことは後付けにせよ、必ず理論付けできることだと思っている。
と、今まさに最奥に着く女性が山本美月似ということを、私の持つ高度な顔認証システムがとらまえた ! が、直後マスクを外したら、薬師丸ひろ子風になった ……
―― やっぱマスクは人の印象変えるなあ ! 居酒屋の女の子たちとも、顔半分分からなぬままにどこまで距離を詰めていって良いものか ……
「(お酒)もうひとつください」
「冷やでいいですか ?」
「はい」
もう面倒なので「はい」と言った。どこかで妥協しなければ、そのまま疲労となって自分に還ってくるからだ。
気付けばおそばを持ってきてと言った隣のおじさんは、せっかくの蒸籠に一切手を付けずに延々と女性との会話を続けているよう。その様を見ていったい何をしているのだ ! と、結局そこでまた精神が疲労させられるんだけど ……(笑)
“金色”
そして例のものが舞い降りる !
元々そばにまみれた人生を送っているので、“年越しそば”に捉われる私ではないが(寧ろ大晦日一斉にそばに群がる輩たちを軽蔑している。あたかも、閉館の決まった映画館に最後だけやってきて涙を流す馬鹿者たちのように。だったら普段から利用してれば、劇場も閉館には追い込まれなかったかも知れないんだよ)、この多彩な表情を魅せつける器には完全に満足 !
そしてポニーテールがマスクを付けた状態でこちらをすり抜けるように去ってゆき、そのマスク越しにも山本陽子ではなかったということがはっきりしたとき、私の一年もそこで終わりを告げて、今年一年間ありがとうと、池袋の街に「さようなら」しながら駅へと向かった
Fine
大林宣彦フェスティバル/草の想い
わたしの足音をきいてね
たしかな眉をみてね
池袋、野口五郎交差点近くのおそば屋の席に腰を据えて、未だ午後5時にも達していないということに気付いたのは、品書きにいつものつまみのセットが見あたらなくいつものお姉さんに訪ねてみたところ、お酒のおつまみは午後5時以降となる、との説明を受けてのこと。
要はそのくらい魂抜かれていたということだろう。1990年代の魔法のような映画を、しかも二本立てで観てしまったら ……
<R2.9.13 池袋>
「宮城野」
いつものように冷酒と、おつまみ3点盛りを注文。
ほんとうは手の込んだつまみ系は午後5時からとのことだが、未だこの時間の店内が伽藍堂だったこととは無関係だとは思うが、お姉さんが厨房と話をつけてくれたようで事なきを得た。
板わさと玉子焼きを、LEDの直火に浮かび上がる限りなく透明に近いliquidとシンクロさせつつ、気持ちがゆっくりと調ってきたなら、あらためて、日本最高峰の名画座での宝物のような“dream”を振り返ってみたりして ……
「新文芸坐」
二本立ての合間の休憩時間のこと。マスクを席に忘れてお手洗いに並んでしまい、マスク警察の攻撃を受けてしまわないかとちょっと焦る。
助かったのは、この劇場は非常に気の利く人たちで運営されているので、「最近お客様間のマスク着用におけるトラブルが多くなっております。お気づきのことがありましたら、お客様同士で直接注意しあうのではなく、お近くのスタッフまでお声をおかけ下さい」との、先回りのアナウンスをくださっていたということがあったのかも知れない ……
おつまみのセンターに鎮座まします“揚げ出汁豆腐”に手をつけた。
東京のおそば屋さんだけにやはり出汁が十分に辛くておいしい。時刻は5時を軽々と置き去り、となれば酒をやっている後ろめたさも、緩やかに減衰してゆくというもの。
限りなく透明に近いliquidの喉のつたいはすこぶる良く、私はさらに魔法の回想に耽った ……
故大林宣彦監督作品、「あした」と「ふたり」。
それぞれ1995年と、1991年の作品。
その2作をとりわけ通しで観たとき、大林監督の一貫して描こうとしていたものは、実はそれは、私がこれまで結論付けていたロリコンなどではなく、まあそれも無論あるが(笑)、それはもしかしたら死生だったのではなかろうか、ということにあらためて気付かされた。私は今まで大きな勘違いを犯していた。またそれを見透かされながら放置されていたのかも知れない、という思いが募り、心の継ぎ目からそこはかとなく恥じらいが滲み出てくる ……
生きることに疲れ果てた生者と、死して尚活き活きとしたヴァイタルに溢れる亡者とが織りなす、その何とも言えないノスタルジックな情景に、底知れぬ魅力を放つ少女たちの、とりわけ裸身という強力なプアゾンを注入し、幻惑し、かき乱し、さらに十分に生者を意気消沈させておいてから、やおら久石譲さんの荘厳且つメロディックな音楽が、それらすべてを優しくも強引に中和してゆく ……
初めて注文した“焼き海苔”は、湿気っているのか元々こういうものなのか、よく分からなかった。
そしてまた、そば屋で焼き海苔をやると、どうしてももりそばとざるそばとの価格整合性をとらなければならぬ為(海苔がかかるだけで何故価格がそんなにUPしてしまうのか ? という疑念への説明付けが必要となる為)、海苔単品価格は割高となってしまうのか ……
お酒はとっくに二つ目に乗り移っており、そして私は今夜のクライマックス、その頂点に何を持ってくるのかと、そしてそれと三つ目のお酒とを同期させる為の調整作業に滞りなく入っている。
ルキーノ・ヴィスコンティが「ベニスに死す」の美少年タージォをヨーロッパ中の数カ国にも渡って探し求めたように、大林宣彦監督の仕事も概ね、日本列島に尋常じゃない美少女を追い求めることからはじまるのだろうか ?
また熱が高いほうから低いほうへしか伝わらないという常識に囚われるとしたならば、その少女たちを大人の女へと羽化させることに要する莫大なenergyを、彼女たちはいったいどんな上位から得るのであろう ?
神様がディザイン(設計)した少女という非常に儚く不安定なものにおっぱいを生えさせるenergyというもの、そしておっぱいの生えた女に何故か自動的に備わる比類なきスタビリティ(安定性)、即ち“図太さ”への変化(へんげ)という一連のmagicに対し、我々人類はあまりに無知であり、そして我々オトコという生き物は、あまりに無力 ……
“力王”
あったかい、海老天ぷらの一尾のった力そばである。
私がこちらで数度あったかいそばをやった限りにおいて、やはりつめたいおそばでベストな調子をみせるこちらのおそばを、そのままあったかいどんぶりでやってしまうと、どうしても、そばのか弱さが、もはや繊細ということでは済まされないほどに露呈してしまうと思う。
そのあたり東京の人間であれば、そば屋に入ったならばすべからくつめたいそばを注文するべき ! でいいかも知れないが、こと全国から若者たちの集う池袋という立地において、そのことがネガティヴに作用してしまっていなければよいのだけれど ……
とはいえ、またしても大満足で残ったつゆに微睡む私であった。
―― そばもねぇ、おつゆが美味いんですよ
「人は死んだ人のことを、少しずつ忘れていくものなの」
しっかり者で優等生の姉の背中にかくれんぼし続けてきた引っ込み思案の妹は、お化けになった姉の力を借りつつも、娘の死を受けいれられずに心が病んでしまった母親のめんどう、また左遷させられた僻地でまさか浮気してしまった父への赦し、それらを何とか、成し遂げていける目途がついたよう。
しかしそれは同時に、死んでからも自分を助け続けてくれていた姉との永遠の別れを意味していた。
棚田で育った稲穂が美しさと同時に強さを兼ね備えるように、尾道のこのダイナミック且つ緩急に溢れる坂道こそが、少女たちを強かな大人の女へと成長させるというのだろうか !
姿見を介して向き合い、今こそわかれめの妹と姉。
鏡の内と外で向かい合う、大人の象徴たるたしかで凛々しき眉。たしかに私は大人になったのだけれど、でもこの坂に育まれたわたしの足音を、いつまでも、遠くからでもいいから、きいていてほしい ……
スクリーンの中で大林宜彦監督の魔法が激しくスパークし続け、そして久石譲さんの荘厳なイントロダクションが、やおらクレッシェンドしてゆく
Fine
―― でも最後のおじさんの歌う美しい主題歌が、まさか大林宜彦監督と久石譲さんのデュエットだったとは、想像もできなかったわ ……
宮城野/こぶという名の ……
<R2.7.12/池袋 夜の部>
「宮城野」
初の長編(ホラー)映画で絶賛された監督の、二作目を観た。
ちょうど新型ウィルス騒動を挟んでしまった為に、新作の足踏みということもあってか超ロングランとなっていた最中におっかけ公開された“ディレクターズカット版”で、R18+指定と、過激さが強化されているのであろうか。
前作も観たので今回が同監督二本目となるが、それらの作品が何故鳴り物入りとなっているのか、ちょっと分からないんだよなぁ ……
才能が枯渇したあとの(こらっ !)M・ナイト・シャラマン程度の出来栄えにしか思えないんですけど、ぼくには
“つめたいおさけ”
映画鑑賞のあとの女子大生というこのうえなき楽園をロストし、身の振り方が定まらなくなってきた今日この頃。
最低限の補償として映画鑑賞のあとのchina-girlという方法が考えられるが、この時間、途切れた客足に店仕舞いモードに既に入っていることが目に見えている為、山手線半周の旅はやめにし、例の重い戸を引き、と思ったら“密”回避の為にちょっとだけ開け放たれたそれを潜り抜け、やっとのことこのつめたく透明な、小さな平和にたどり着くことが出来た。
水よりすこし粘度が高く、水よりはっきりと甘い揮発性のそれが喉をつたい堕ちるとき、このliquidは哀しみの男から少々の絶望と、少々の孤独と、そして少々の体温を奪い去ってゆく
“おつまみの三つ”
センターに揚げ出し豆腐を配置したシンメトリックの構図が、あくまでも静寂をキープしながら傷ついた男をなだめにかかる。
蒲鉾の純白は気高さを、山葵の緑は清らかさを、そして玉子のyellowは慈愛を、それぞれ象徴していた。
揚げ出し豆腐の黒々としたつゆの辛さ、もみじおろしの辛さ、それらの異なる辛さの拮抗をいみじくも中和する、この自らに味を持たないことを逆手にとって個性とする豆腐の狡猾
“超高級なかっぱえびせん”
やめられないとまらない。
I'm breaking free For your eyes only
でも尻尾は残す。何故ならば、私は神経質な人間なので
“On Golden Pond”
そばの上に散りばめられた様々なものたちの同居は、そこにともすれば父と娘の確執のような不和を生じさせかねないが、その隅に佇む昆布(こぶ)という名の名脇役が、まるで全盛期の大滝秀治のように(それは無論、「君よ憤怒の河を渉れ」のときの大滝秀治に他ならないはず)それら異個性を鮮やかに交通整理し、纏めあげ、ひとつのどんぶりへと完全に昇華させていた。
そんな極上のmagicに酔いしれながら、娘のように若いあなたに久しぶりにLINEしてみようかどうしようかと心で迷うんだけど、指は動かない。
その前に、俺が高倉健であなたが中野良子であったとしたならば、こんな俺たちを接着してくれる昆布のような存在、即ち大滝秀治の存在が不可欠なのではなかろうか !?
―― それだよ ! 今やっと気付いたわ !
宮城野/On Golden Pond
―― どっかで使ったような気がすんだよなぁ、このタイトル ……
テレビで「愛してるといってくれ」の再放送をやっていた。
テレビといっても、ブラウン管テレビがとうとうアナログ波を傍受出来なくなったのを最後に買い換えをしておらず、ワンセグ機能のついている前のスマホでのことだが。
だからそれはひどく小さくて粗い画像なのだが、それでも、若かりし日の常盤貴子さんのおっぱいの弾力には打ちのめされる ! その二つ生えた、そして彼女を無駄に走らせることに依って誇張しまくる2/2揺らぎがすごい !
―― ああ、やっぱり買おうかなテレビ ……
私も当時「愛してるといってくれ」の手話を覚え、適時使ったものだけれど(適時ってどんなときよ ?)、誰に教わったんだっけかなぁ。でももう忘れちゃったなぁ。使う相手がいなくなっちゃったからな ……
<R2.5.31 池袋>
「宮城野」
東急ハンズの前で食べグロ位置検索を“そば”でかけると、今まで盲点だったがサンシャインシティの中に2件ほどヒットし、交差点を渡って潜入を試みる。が、しかし !
駅前からサンシャイン通りを歩いてきたときには、まだまだ本調子には至っていないもののけっこうに賑わっていたと思ったが、通り一本渡っただけでまるで一月ほど前に戻ったかのように、「アイ・アム・レジェンド」状態ふたたび。
ダメ元でいちおそれぞれのお店の前までいってみるも、1件は閉店(なのかな ?)、そしてもう1件も憐れシャッターが下りていた。
そこで前以て営業を確認している“俺のそば屋”にまたしても縋ることに決め、サンシャイン通りをふたたび遡行していった
―― sunshine 愛の為に sunshine 生きてゆくの、を歌いながら
“文楽” @490
「燗つけますか ?」
「冷たいのありますか ?」
「はい、冷やで」
「冷やしたの ……」
「はいわかりました~ (厨房に)冷やで~ !」
―― 冷やって常温のことじゃないのかな ? 日本酒のことよく知らないけど ……
結果ちゃんと冷えたのがきた。よく分かんないけど、辛口といっても甘口といっても、私は日本酒にそれなりの甘みを感じてしまうのだが、このお酒は甘ったるくはなく、どこかきりりと引き締まっていて美味しい
“お好み3点盛り” 1,100
玉子焼き・揚げ出し豆腐・板わさ
醤油が(量的に)絞られたお小皿に、山葵を容赦なくといた。
今までもそんな思いはあったのだが、板わさとは、もしかしたら山葵を食べる料理なのではないかという予感が確信に変わってく。
続き私はこれまでの人生、揚げ出し豆腐をそれほど真剣に食べたことはなかったが、さすがにそば屋のそれだけあり、つゆへの出汁の利き具合が違う揚げ出し豆腐。しっかりとしていて、それでいて品の良い辛みを兼ね備えるつゆ。それが揚げ出し豆腐として正統かどうかは分からないけど。
そして玉子焼き、あくまでも甘く ……
“つくね焼き” @380
「このつくね焼きって、軟骨入ってますか ?」
(マスク越しながらすげ~神妙な面持ちで/笑)「軟骨わ~、入ってないですね ……」
「お願いします」
今日はいつものクレオパトラのようなホールの女性がいなく、代わりに男性が入っている。
私は今までクレオパトラに特別な恋愛感情は抱いたことはなかったが、失ってみてはじめて、惜しい人を亡くしたことに気が付いた(死んでないでしょ !)。
ホールの男の人は厨房に戻って「つくね、軟骨入ってないよね ?」って確認しつつそれを通してくれて、私は、それを聞こえなかったかのように振る舞う。
自家製なのかなんなのかは不明だが、たれもお塩もその存在を認めることが出来ないんだけど、素のままでもおいしい !
織り込まれた香草のようなものが巧く作用していると思った
“冷たい金色” @935
やはり今日も自分に抗うことは出来なかった。
“ざる”や“もり”はどこの店でもやれるが、このおそばはここでしかやれないので。
もう繰り返し語りつくしているので、このおそばについてはここでは何も言わない。
元々混み合うことの少ないお店だが、緊急事態宣言発令~解除後初めての来店となった今日、私一人ではなかったものの、とりわけお客の姿は疎ら。
お店の方々の表情に悲壮感が見られないことを救いに、いつまでもいつまでもこの黄金色の池に微睡んでいたかったが、向こうでやっていた女性のお会計に合わせ、覚悟を決めて両脚に力を籠めた
「黄昏」の野口五郎交差点
Golden Pondを求めてさすらう俺 ……
宮城野/サンシャイン通りの貴婦人について
<R2.3.20 映画鑑賞後の池袋>
「宮城野」
今日はほんとに飲まない。いや、飲めないのだと心に決めていた。
同時にダイエットのほうも、あと3日で4kgほど落とさなければならない。そうしておいて、且つその昔、別の診察のときに貰ってとっておいた血圧の薬を飲んで(人間ドックに)臨めば、ここ暫く続いている健康保険指導というやつを免れることが出来る、という綿密な銀河計画である
そこで必然的に、そばとなる。
何故ならば、そばはいくら食べても太らないのだと、死んだお婆ちゃんが言ってたから。お婆ちゃんは10円を笑う者は10円に泣くとも言っていた。だから私は10円を馬鹿にしない。またお婆ちゃんはお金のことを“おはし”と言っていたが、その言葉は子供ながらにお箸と間違えると困ると思い、使っていないけど。
そんなお婆ちゃんから、まだ小学校に上がらないくらいの子供の頃、床屋へ、すぐそこだから一人で行ってきなよとなったのであろうそのとき、ご夫婦で営っている床屋の「旦那のほうは下手だから奥さんにやってもらうんだよ !」と言い聞かされたそのまんま ……
ほんとにおじさんにやられそうになったとき、おじさんは下手だからおばちゃんにやってもらうんだと、お婆ちゃんにそう言われたからとそのまんま言ってしまったときのおじさんの、その何とも言えない哀しそうな悔しそうな顔が、今でも瞼の裏に焼き付いて離れない ……
―― ああ、今思い返してもイタリア映画観てるみたいだ …… 監督はデ・シーカに間違いない !
“金色” @935也。
あったかい金色をやったのは初めてだろうか。
夜ご飯はこれだけと決めたら、つめたいのよりもあったかいのが、つゆがお腹にたまるとでも思ったか自分でも分からないんだけど、あったかいのがいいかなと。
どんぶりのサーフェイスには、そばを完全にマスキングするほどの具がところ狭しと肩を寄せ合う。これではそばが酸欠になってしまうと慌てておあげをのみ込んだ。
まったくの私見ながら、こちらの手打ちにして細身のおそばは、敢えて言えばなんだけど、こうやってあったかいつゆに放ってしまうと、ちょっとその繊細さが弱さに変わるネガが出てしまうと思う ……
とは言え、どんな環境下にあっても品格を失うことなき、まるでドイツ軍に囚われたポーランド軍将校の妻の如く、このナロウながらも凛とした貴婦人に最大の敬意を払う為、卓上のとんがらしで飾ってやってそこはかとなく悦に入る俺 ……
宮城野/五叉路 gold
年明けからずっとハードに飲み続けているような気がする。
昨夜はほとほと疲れて、ほんとうに、ほどほどにしようと決めていたんだけど、なんだかんだお昼まで(午前0時)きっかりと。
若い女の子との一緒も勿論良いんだけど、しかしやはりどこかで孤独な時間を確保しなければ、男の野生は枯渇する
<R2.1.13>
「宮城野」
最初「ふらんす亭」さんの階段を下り、喧騒にあふれかえるこの街において目論見通りに席は空いていたのだが、お姉さんからカウンター席の最後の一つに無理矢理詰め込まれそうになった為、「また来ます」といってその場を逃げ出した。
階段を上るとき、傲慢な人間だと思われてはいないだろうかと一抹の不安に苛まれるのだが、世の中には完璧な人間など存在しないのだと自分に言い聞かせ、精神の動揺を最小限に食い止めようと試みる。
しかしながらもうこれ以上の精神的ショックには耐えられないとも思い(笑)、絶対にすぐに座れると確信しているいつものそば屋の階段を上がった。
重い戸を引いて、閉めるにもそれなりのトルクを必要とするそれと格闘しているまさにそのとき、この店の女の子たちはいつも私の背に向かって「こちらへどうぞ ♥」と先走るんだけど、ちょっと待ってよね !
背中に目~ついてないから、俺 ……
“金色” @935
“おそば大盛り” @330
〆て1,265円也。
寂しさに負けて世間にも負け、そして自分に負けて大盛りにしてしまった。
おつゆ多めにと我が儘言ってしまったが、こちらはそういうのをいつもふつうに通してくれることが嬉しい。品書きを見て少し葛藤したんだけど、もうこの店で自分には“金色(こんじき)”しかない気分になっている。
それはその昔初めてエロビデオを見たとき、ああ、俺はこれさえあれば生きていけるのだという確信を得たことに近い感覚だと思うのだが、でも人間というものはやはり“慣れ”というものから逃れる術はなく、その興奮はいつまでも同じボリウムでサスティーンし続けてはくれずに、必ず減衰し始めるものなんだけど ……
そんなこんな、こちらのけっこうに“大盛り”な“大盛り”の、質の良い手打ちそばでお腹をいっぱいにするというdreamに、いつまでも倖せいっぱい微睡まさせていただいた ……
宮城野/明治通りに猛て ……
満たされなかったお酒を酒でとり返そうという発想がそもそも大失敗の元となるということを、心にためらい傷のように幾重にも擦りつけて生きてきた私なんだけど、またしても、こないだの不完全燃焼のそば屋酒をとり返そうと思ったか、今までお酒をやったことのない、でもお気に入りの店で初体験 !
<R1.7.15/夜の部>
「宮城野」
生ハムサラダ(720円)の“ハム”という片仮名2文字に強烈に惹かれ、昨日もお店に出ていた山本美月ちゃんっぽい若い娘に告げれば、「それは2~3人前になりますが、大丈夫でしょうか ?」とのことであっさりと怖じ気づき ……
“文楽” @480
突き出しはそばを揚げたの
お好み三点盛り
“玉子焼き・磯辺巻き・板わさ” @1,080
ボリウム的には一人でもOKとのことであれば尚更の、このおつまみセットとして千円という価格をどう読みとったら良いのかに少々混乱させられるのだが(笑)、ものは試しと。そしたら価格にまったく見合ったものが舞い降りて、その美しさに暫し見惚れる。
まずは玉子焼きが甘くって超うめ~ ! ここでそれに出逢えるとは思ってもみなかった。と言うのは、おそば屋さんの出汁巻き玉子ってたいてい、品良く甘さの排除されたものとばかり思っていたので。
可愛らしい女の子連れの、明らかに私より若いお父さんお母さんがやってきて、ついその“家族”と自分“独り”の現状とを比較してしまうと、今の今さっき、私は香取慎吾さん主演のどうしようもないろくでなしなんだけど、どうしようもなく愛おしい男の映画を観終わったばかりということもあって、もう殊更に孤独が加速してしまうのだが、しかしそれが日本酒という名の無色透明でありながらも芳醇な流体の喉越しを妨げることはなにもない。
磯辺巻きというのがなんだろうと思っていたら、とろろを海苔で巻いたやつで、山葵醤油でやるようだがこれも非常に美味かった
図らずも手にした五連休も今日で終わり、明日から仕事。
その最終日に鑑賞した余計に孤独をスパークさせてくれるような映画に、いきつけの居酒屋は先週から月曜日定休をスタートさせ、だから今夜はバイトの女の子たちに縋る術もなく。
池袋の駅前で、明治通りを渡る長い歩道を踏み越えてくることにどれだけ葛藤したことか。暫し思い詰めて立ちすくんでいたら、ペットの為に募金を募っているという怪しげな若者に声掛けされて、それを手の動きと目線と、そして「いいよ !」という言葉で振り払ったのだが、その男の訴えかけてくるようでいてしかし完全に死んだ目が、未だに脳裏に焼き付いて離れない。
ただただそれを浄化してくれるものは、この甘い甘い玉子焼き ……♬
“天ぷら盛り合わせ” @1,518
またも「二人前くらいのボリュームがありますが」とのことだったが、今度はままよと注文。
瞬く間に出てきたそれには、私の生涯のエネミーである椎茸が(笑)。なのでまずはそれからやっつけにかかる。しかしそれは今年52となる私にとって、それほどの強敵ではなくなっていた。ということは、こちらのお店の適切な素材選定と調理に依るところが大きいと思うのだが。そして海老の影に、私は小さな希望を見つけてる。
それは価格からして最高のものは期待できぬとて、火の通ってちゃんとその身を白くする、海老の味のする海老が当たり前のようにね ♪
“金色” @918
俺の“ひやこん”。
徳利を抱えた今あらためてこの全景を堪能してみれば、この器を彩る数種のものをつまみに呑めるような気がするのだが、ゆっくりとその間を与えてくれるような“鈍い”そばではないことが嬉しくも悩ましい。
個性豊かな彩りに負けない強さを持ったそば。センシティヴながらも力強く、そして気高い、女優で言えば奈良岡朋子さんのような ……
この冷たく素晴らしいおそばを、ぜひ、こないだの阿佐ヶ谷のそば屋までカブで配達してあげたい気持ちでいっぱいになる。冷たいぶっかけをかつぶしで穢すなどという愚行を金輪際あきらめるように ……(笑)
【人類最高のエコカー集/其の№1】
―― HONDA/スーパーカブ ! 間違いない ! ――
【以下余談】
酔った勢いで某ノートe-POWERというのにもの申したいんだけど、ガソリンの燃焼エネルギーを内燃機関で運動エネルギーに変え、その運動エネルギーをジェネレータ(発電機)で電気エネルギーに変換し、その電気エネルギーを電動機(モータ)でふたたび運動エネルギーに変えることがもしも、燃焼エネルギーをそのまま運動エネルギーに変えて仕事させるふつうの内燃機関よりもエコになるというのなら、そんなエネルギー保存の法則に背くことが可能だというのなら、その前に前人未踏の“永久機関”作ってみてよ。逆にそれが出来なければ、それはエコじゃないはずなので。
―― 出力が入力を上回るってことを言ってるんでしょ ? それって。そんなバナナ !
宮城野/またしてもひやこん
ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンの豪華共演は凄いんだけど、些か社会派に過ぎる映画を何度も気を失いかけながらの鑑賞後、立て続けにアル・パチーノの熱演を堪能しておもてへでたら、まだ外は明るいくらい。
そこで久しぶりに池袋の夕景でも撮影しておこうと愛機FUJIFILMのストラップを利き腕に装着し、野口五郎交差点から南池袋方面へと舵をとる。道すがら、名画座で私の隣に偶然着いた若い女性二人組が、さらに偶然が重なって目の前で信号待ちをしており、運命的なものを予感させてきたのだが、無論それ以上の進展はなかった。
内一人は可愛い顔も然ることながら、非常にスタイルが良く、私の横に座っていたときには膝頭の位置の高さに驚かされたが、こうしてみるとその半分は厚底靴のかかとの高さだったことが分かり、なんだか無意味に(笑)、ちょっと一安心。その人の、パンツスタイルということもあってか膝を揃えずに肩幅程度に脚を広げて座る姿が、新聞を縛るときに脚をがに股に潔く広げてしゃがむ東北女性を連想させたので、勝手に青森美人と決めつけさせていただく。あの恥じらいもなくお相撲さんのように、脚を広げ、しかし背筋は伸ばしてしゃがみこむスタイルを、美人がやるぶんには非常に幻想的だが、そうじゃない人はそれなり
―― ほんと使えるなぁ、そうじゃない人は、それなりに。それにひきかえ今の流行語大賞とかいうやつの ……
<H31.4.28>
「宮城野」
GW2日目の夕方。
弧を描く階段を上って例の重い引き戸を引く。先ほど、お昼に来ようと思い立ったんだけど軌道修正してしまったが、その想い、未だ冷めやらなかった為。脚を踏み込んだ店内は、今日はいつもよりお客が入っているようだが、私一人が紛れ込むのにはまだまだ十分に余裕があった。
お飲み物は如何いたしましょうか ? の問いかけは、お酒をすすめる意味もあるんだろうけど、こちらのお店では寧ろ、そばにお茶を合わせることを嫌うお客への気遣いだと私は思っている。
私自身はそれほど気にしないんだけど、でもお茶という飲み物もとりわけ好きでもないので、冷たい水を所望させていただく。前にどこかのそば屋で年嵩のお父さんがそれを「こおり水」と言ったのを聞き、えらくカッコいいなと憧れてはいるんだけど、未だそれを使えるところまでとても自分は達していないなと思って、実践してはいない。
一方こんなとき、もしも沖雅也さんであれば紅茶をお願いするんであろうけど、それすら出来ない私である
「そば屋で紅茶だと !?」
by ゴリさん
“金色” @920也。
「ひやこんで~す !!」
(私に言ったのではなく、お姉さんが茹で場に通すときの掛け声である)
自分に嘘はつけなかった。
例え他人を騙して陥れたとしても、自分だけは騙さない。たとえそのほうが辛い生き様となろうことが分かっていたとしても。そのテンションのまんまつゆ徳利を鷲掴み、そばにぶちまけることだけが私の勇気であり、覚悟であり、なかんづく正義である。
若芽、昆布、揚げ、天かす、それらが支配する地域をディズニーランドのようにそれぞれ若芽タウン、昆布タウンと名付けることにし、うまくそばと絡めつつやり進む。
隣り合う、例えば若芽と昆布の境界線であれば、それらを上手く相乗させながら。そうするとこのおそばは本当に玉虫色のようにそのカラーを変えて見せてくれて、私はただただそれに微睡むばかり ……
今日のおそばは、こんなこといったら茹で場の職人さんに、そばは噛まないで喉越してくれって怒られるかも知れないけど、いつもよりちょっと歯応えのあるもの。
「上野薮」が接客共々その質(たち)を落としつつある中で、私にふだん使い出来るお蕎麦屋さんとして相対的にであれ、こちらは私の中で、その依存度を確実に増してきていると言えると思う。
おもむろに回りを見渡せば、池袋という繁華街にあっての若者ターゲットではなく日本蕎麦屋ということで、老若男女、ほんとうに幅の広い客層(家族連れが多いってこともあるけど)を従えて、でも一枚一枚丹念にこしらえたおそばを出し続けていただいて、ほんとうにいつも感心させられるばかりである
宮城野/俺のひやこん
【H31.1.5/某鉄板焼き屋にて】
私 「うめえ ! 明太子焼きうどん !」
Sちゃん 「おいしいね ♪」
私 「でもこれは明太子が美味しいんであって、ママの料理の腕がいいからじゃないからね」
目の前でまだなんか焼いてるママ 「……」(無言で怒り沸騰中/笑)
この正月連休、あと本日一日を残してはいるけど、気のおけない奴らとの野郎飲み2回、女子大生とのお食事会2回が織り込まれ、私としては、まあ充実した連休となったと思う。
我ながら、人恋しさの充足と孤独の謳歌をうまくヴァランスさせることができたかなと、そんなふうに一年に一度くらい自画自賛してやらなきゃ、人生やってけない ……
<H31.1.6>
「宮城野」
午前11時半ジャスト。
にして既に数組のお客さんが入っているので、こちらの昼の部は、というか通し営業だけど、午前11時からはじまるのではなかろうか。そして今回初めて喫煙席のほうに通されたが、これはお昼時間は全席禁煙ということだからであろう。
向こうにはお母さんと小さな女の子。
とんがらしの容器を興味津々いじくっている姿がなんとも可愛らしい。まずお母さんにせいろう、ということはつめたいおそばが届き、それを子供のおそばが来るまでじっと待つお母さんなんだけど、のびちゃうから早く手をつければいいのにって、見てるこっちが無駄にハラハラしてしまうのが、俺の悪いクセ(笑)
“金色” @918也。
「おねがいします ! ひやこんです !」
女の子が私の“ひやこん”を茹で場に通してくれる。
こないだ食べたばかりだったけど、自分に嘘はつけなかった。束の間でさえもその離ればなれを許容できない恋人同士のように、私たちはその再会を喜びあった。とくに昆布(なんども言うけど、こんぶじゃなくてこぶね !)とお揚げが、私との再会を待ち望んでくれていたようなので、そのあたりからそばとの口中調味をはかりつつ ……
余談なんだけど29日は王子の蕎麦屋、で、本日30日はこちら。
その辺りで一応、私の蕎麦はそれで年内食い納めかと思ったんだけど、はからずもこの翌日の大晦日にまた池袋に出て来てしまい、もうそうなったらほんとうの年越しそば食ってやろうかとまたまたこちらの階段を上ってみたんだけど、さすがに、待ち客がいて入れなかったわよ。当たり前だけど。
―― でもその日の他の多くのお蕎麦屋さんのように、もうなりふりかまわず店頭に買い物のそば並べて商売に走ることなく、その姿勢はほんとうに立派だと思いました
宮城野/満足から恍惚へ
池袋。野口五郎交差点付近(ほんとは東口五差路交差点だけど)。
この夥しい数の愚かな人間どもは、いったいどこから沸いてきたのであろうか。突き刺す空気は尖った冷たさを放っていたが、ウエアリングが完璧に近い為、身体に堪えてくるまでにはまったく至っていない。
時刻は午後4時を回っている。
年末年始休暇に入り、一瞬にして二日をダメにした(笑)。原因は言うまでもなく酒である。飲んでいるときには調子が良いんだけど、ともすると次の日一日をまるまるダメにしてしまうというが酒の恐ろしいところだが、その恐ろしさを学習し、ある程度のところで切り上げるという技術を習得するには、それには人生はあまりにも短く ……
<H30.12.30>
「宮城野」
「金色(こんじき)ください。おそば大盛りで」
「はい。つめたい方でよろしかったですか ?」
「はい」
「おそばでよろしかったですか ?」
「はい」
「それでは金色のつめたいほう、おそば大盛りでよろしかったですね ?」
―― アナザー・カッターガール登場だわ。その上かなりくどいし(笑)
“金色” @918
“おそば大盛り” @324
おそばが届いてから、ああ ! つゆを多めにもらうの忘れたと思い出すが、まあ、足りなかったら途中で追加してもらえばいいかと、そのまま食べはじめる。
実際甘辛く炊かれた昆布、油揚げを、へんな話そばと口中調味していけば(そばの食い方としてそれもどうかと思うけど/笑)、別段の味の不足は感じない。こちらはふだん、私としては完全に“酒前”としての利用だったので、おそばの大盛りを注文することは滅多になかったんだけど、今日は、まあこれから飲みはじめることに変わりは無いんだけど、お昼ご飯抜きだったのでそのくらいは赦されるだろうと思って。
いつも通りに美味しいおそば。
ただでさえこちらのそばの盛りはケチっていないが、さらに大盛りにしているので尋常じゃない満足感があり、それがもはや恍惚感へと昇華してゆく。
―― つめたいそばでよろし“かった”です。大盛りでよろし“かった”です ♪
食事を終えて帳場へと向かう。
その直前に年嵩のご夫婦が例の重い戸を出られて開けっ放し、目の前でお父さんがお母さんから、戸を閉めなさい ! と怒られた(笑)。俺がお釣を手渡されるまでもうちょっとであったので、お父さんはそれを見越して閉めずに去ろうとしたんだと思うと、ぜんぜん悪いことしてないのにちょっと後ろめたくなる。
で、俺の第二の故郷でもある西武池袋の二階ハンケチ売り場へ一直線に向かい、Eちゃんの誕生日プレゼントにと2枚、来年の干支である猪が刺繍されたやつを自分勝手なセンスで色違い(色気違いではない)調達し、ラッピングしてもらって準備万端 ! 国鉄赤羽線にて十条駅を下り、いつものカウンターへ。
そこに滞りなくSちゃんとEちゃんの顔を見つけて、いつも通りに何も言わずに目の前に突きだされた限界ギリギリとばっ口まで注がれたウィスキィグラスにあごを突き出して口を持っていき、日本酒飲みしつつ、やっと一息ついたところで ……
―― ああ、今日までは下の鉄板焼き屋も営ってることだし何とか間がもったけど、問題は明日からだな ……。なんて明日から始まるであろう極限の孤独の何日間かをそこはかとなく恐怖してみたりして ……
宮城野/その重さの向こうに
久々、二本立てをフルに堪能したあとにやる蕎麦はまた格別の味がするだろうと思って、西口散歩からわざわざ東口に還ってきた。
途中、まだ陽も明るいうちから、若いカップルの彼氏が咥え煙草で目の前を歩いてゆくが、何か正々堂々としたものが感じられない。当たり前だけど (笑)。
私は酒飲みなので、日常生活の大半を過ごす(笑)酒場に煙草の煙はつきものと思って生きてきたし、当然煙草の煙は不快なんだけど、でもそれが当たり前のものとして今までやってきた。しかし図らずも世の中がこんな風に勝手に快適になってきちゃったというのも、こういったマナーの悪い人たちのおかげにほかならず、これには皮肉でも何でもなくて、こういう頭の悪い人たちには素直に感謝するべきだと思う ……
「宮城野」
今日はこないだ出来なかった、温かくお餅ののってるやつでいこうと目論んできたんだけど、そして空調の効きもけっこう調子良いってことは直ぐ様分かったんだけど、でも品書きに目を通しはじめちゃうと、やっぱりこの季節、温かい蕎麦というのもちょっと …… となっちゃって。
それは“夏限定”というのの中から見つけた。
夏限定なので冷たいお蕎麦なのだろう、またこちらの得意技として、それは“ぶっかけ式”なのだろうと見当を付け、最奥に立つ女の子に挙手して注文を告げる。確認してやはりぶっかけだというので、つゆを多めにしてもらうことは、もはや常套手段。
またこの若いアルバイトと思しき女の子は、非常に良く気が付く。同じポジションに立っていてもお客に注意を向けているのと向けていないのでは、このように雲泥の差が出ると思う。入店時に、重い戸を閉める為に後ろ向きになっている私の背中に向かって「お一人様ですか ?」とやらずに、正面を向き直すまでちゃんと待っていてくれたことも、その時点で既にそれを証明してたけどね ♪
“明太子” @1,080也。
日本蕎麦に明太子 ! というのも、人生これが初めてだと思う。
大根おろしの上に明太子、茗荷と大葉がそれを補強していた (それは品書きで見えていたこと)。正直大根おろし、茗荷、大葉は、蕎麦をやるとき、どちらかと言えばそれをエネミー(敵)と私はとらえているのだが、そこへ“明太子”という異質が投入されたならば、そんな従来の認識などあっさりと捨て去るのが、科学者として当然の構えであろう。
今日の蕎麦は、いつもより若干太め。
別の職人さんが打ったものであろうか。あるいは蕎麦粉やその日の環境(湿度なり温度なり)によって打ち方を変えているのだとしたら凄いことだと思うが、正直それはないかな、とも思ってる(笑)。
最初は繊細にいこうと思い、ちょっとづつ大葉や茗荷をあわせてやっていったんだけど、そのうちに、結局ぜんぶぐちゃぐちゃにかんましてやった。
私だってたまには、美しいもの、清いものを穢すことによってのみ得られる背徳感というものに浸りたかったから ……
やはりお一人様のお母さんが立ち上がるのに気付き、私もそれに呼応して立ち上がる。
何故ならば、そのほうがレジに回った女の子に面倒をかけないだろうから。お母さんは私が後ろについていることに気付き、戸は開けたまま残して階段を下りてゆく。それで私も開ける手間が省ける。気のつく女の子が、私の手のひらを包み込むようなかたちで十円玉をふたつ返してくれた。
私にはおもてへ出て、ふたたびこの重い戸を閉めなければならないという儀式が残される。
―― いや、男の力で勢い叩きつけちゃうのは簡単なのよ。でもそれを静かに、ということに気をつかっちゃう。力を加えたらその分だけ、それを抑える力を裏に忍ばせてとかなきゃならない、ということがね ♪
宮城野/お餅は冷やしは出来ない、はず
布団を畳んだのが午後四時を過ぎていた。
こんな調子で夏休みの一週間をまた無駄にするのかと思うと、我ながら情けなさと後ろめたさに苛まれるが、このサイクルから脱出する術を未だ知らぬ私である。
一昨日、愛用のちびっ子ワープロの底に付いていた、細くて 20mm程度の滑り止めゴム三つのうちの一つを脱落させて無くしてしまった。
マイコンで調べると、ちゃんと製造メーカの通販サイトから正式に購入出来るようだが、いちいち面倒な気がして、東急ハンズに何か代替になるものはないかと、池袋まで出てきた次第
<H30.8.12>
「宮城野」
いつものように重い戸を滑らせて、舞い込む暖簾を巻き込まないようにふたたび閉じようと難儀しているところへおかっぱのお姉さんがいつものように、間髪を入れず「お一人様ですか ?」とやってきて、背を向けたまんま「はい !」とやるのも何とも抵抗があるし、もう応えるのをやめにした。
何故ならば、一人で入ってきて一所懸命戸を閉めてる時点で、ふつうに考えれば一人だろうと分かりそうなものだから。
午後六時十五分。
先客は見える範囲で二組、都合六名。天麩羅とお餅の入ってる何とかっていうのを冷やしで出来ますか ? と聞いたらそれは出来ないというので (確かに、よく考えたらお餅が固くなっちゃうからか)、お姉さんの提案に従い、お餅の入ってないやつにすることに
“中吉” @1,026也。
海老の天麩羅と大根おろしと山菜と、あと細くて甘辛く炊いた昆布がのってる。
冷たいのはぶっかけになるだろうと予測が付いていて、且つそのつゆは徳利で別に付いてきて、そしてそのつゆの量が私にとっては若干控えめということがわかっていたので、つゆを多めにして欲しい旨お姉さんにお願いしてあった。
とんがらしの器、またつゆ徳利の朱がライティングに魅力的に映えていることに、自分の不甲斐なさから今日をまる一日潰してしまったことも忘れ、満足に浸る。
つゆ徳利のつゆを、最初っから乱暴に、すべてどんぶりに注ぎきる。時代に生まれ、時代を生きた男として、それ以外の選択は有り得なかったから。
そしてどうやって食べようかとほんの一瞬だけ迷ったんだけど、ぜんぶごちゃ混ぜにかんました。足立に生まれ、足立を生きた男として ……
―― でも本籍北区になってんだよなぁ ……
今日はちょっと蕎麦の“冷やし”が甘いかなと思ったけど、いつもどおりに美味しいお蕎麦。
海老の見た目は、その色合い、風合いは浅草の燻し銀のところが出してくるのに比べたら、ちょっと垢抜けてない気もするけど、この値段にして、でも熱が入ってちゃんと身の白くなる海老が使われいた。
冷たいお茶のお替わりももらって、満足気に階段を下りる。
私はふだん食品サンプルに異常に固執するタイプではないが、そこに最初注文しようとした“お餅の入ってるヤツ”を見つけ、ああ、やっぱり美味そうに見える ! そして今日の席だったら、空調のドラフトももろに被る席だったんで、温かい蕎麦でも大丈夫だったろうなぁと、女々しく後ろ髪引かれながら東急ハンズを目指した
そして今日買うつもりも無い鞄売り場を先ずうろつきながら、鞄っていうのも、ちょっと大きくても小っちゃくても嫌なもので (これが私だけの特異な性格に拠るものかは知らないが)、でもなっかなかどんぴしゃのサイズがないんだよなぁ、なんて余計な事を悩みつつ、やっと“ゴム売り場”に (笑/なんかこう言うと避妊具売り場みたいだな)。
でいろいろ物色しつつ、シートサイズじゃ大きすぎるしなぁ~と悩んでいると、1mm厚の80*80くらいのが 130円くらいで売ってたんで、迷わずそれを掴んでレジへとまわった。
―― あとはくっついてくれるかだな、瞬間接着剤。なんて、俺はいつまでこんな中学生みたいなこと続けてるんだよ ! さっきだって田宮の工作シリーズみたいなキャタピラで走るやつ売ってんの見付けて、欲しくて欲しくて堪らなくなっちゃって。何かちっちゃなアームみたいなの付いてて、それにひどく心を揺さぶられたわ (笑)
宮城野/それだけが誇り
劇場内に明かりが灯り、私はちょっと、扇子の袋をどこへやったんだろう、なんて暫し立ち上がれずにいたところ、背はそれほどではないんだけどスキンヘッドに筋骨隆々、それを脇の大きくカットされたノースリーヴでこれ見よがしに覗かせる Gay のおじさんが、他の席ががら空きにも関わらず、それとなく私の隣に着いてきた (笑)。
―― 俺は人生こういうことばっかなんで、かなりの距離から、あのおじさんきっとこっち来るなって、もう予測出来てたけどね ♪ (笑)
とくに気にしていないのは、二本立て、入替え無しの劇場なんだけど私はこれで帰るので、次の回の時間をそのおじさんと共有することはないからなのだが、でもこういうの、真剣に映画観に来ようと思ってお金払って入場してきてる人に誰彼かまわずアタックかけられちゃったら、堪ったもんじゃないよなぁ ……。上映中の席替えっつ~のも、なんとも嫌なもんだろうし。よっぽど劇場の人にひと言注意喚起してあげようとも思ったんだけど、そういうのも苦手なんだよなぁ ……
―― でも俺も、「怒り」の綾野剛みたいなのがきたら黙ってち○こ触らせたんだろうけどね ♪ わざわざ一度観た映画もう一回観てでも (ないない !)
<H30.6.30/映画鑑賞後>
「宮城野」
午後六時。
まだ早い時間なのに珍しく数組のお客が入っている。奥での宴会も宴たけなわのようだが、正直、これはちょっと五月蠅かった。で、いつものことながら飲み物メニュウは横に除け、おもむろにおそばの品書きに目を通しはじめる。
―― まあそれに目を通しはじめた時点で、もう自分自身覚悟は決めてるんだけどね。今日はふつうの“せいろう”じゃ済まないなって ……
で、お姉さんに注文を告げると、冷たいお茶と、温かいお茶と、そして冷たいお冷やとどれがよろしいですか ? と。
―― だんだん増えてきたなぁ~ (笑)
“(冷たい)納豆” @918也。
例によって、最初っから徳利のつゆはすべてまわしてしまう。
で、それでもやっぱ物足りないので、「つゆをもうちょっと」と、これはちゃっかりもらっちゃえばいい。蕎麦つゆ幾らになります ! なんて野暮な店じゃないんで。
細い昆布とワカメと納豆を、ただひたすらにかんました。その行為に別段誇りを持つこともないけど、とりたてて背徳感を覚えることもない。ただ必要な行程をたんたんとこなしてゆくだけだ。
無論、猪口のつゆで調整を図りながらやるということが冷たい蕎麦 (即ちふつうのせいろう) の醍醐味ではあるんだけど、それを了解の上、こうやって敢えて崩していくことも時には必要なことじゃないかなって思う今日この頃
で、どう扱ったら良いのか頭を悩ますのが、この木製の蓮華の使用法である。
柄と懐 (というのかは知らない) の角度は、蕎麦屋にありがちな角度のついたものではなくって、スプウンくらいの、ほぼ水平を保ったもの。私はこれを、蕎麦に絡んでこずに残りがちとなる納豆を救済する、すくって蕎麦と計量しつつやっていく為のアイテムと見当をつけたので、ふだんはこんなもの使わないんだけど、その理論を検証する為に、ふざけて (ふざけてかよ !) 実践してみる。
結果まあ、そんなもんだった (なんだそのやっつけ仕事 !)。
二つ目の汁徳利に残ったつゆを器に注いで残った納豆をきれいにしようとしたら、あたりまえのことなんだけどこの冷たいぶっかけ用のつゆだって、それなりに辛く。
―― 今日も汗だくんなったけど、これで塩分補給もばっちりだな。つくづく、人間の身体って良く出来てると思う。水分補給の必要が生じれば自動的に喉が渇くし、塩分補給の必要が生じれば、自動的に蕎麦が喰いたくなって、自動的につゆを飲み干す。その結果手にした血圧、その185という定量だけが俺の誇り ♪
宮城野/ちょっと角のとれて
いつもの二番館での映画鑑賞後、魅惑的な斜光の中でお散歩写真を楽しんで、時刻は未だ五時半。
いつもの居酒屋のアルバイトは、今日は Sちゃんただ一人。だから、ちょっと恥ずかしいけどケーキか何かを“一つだけ”、売り場のお姉さんに包んでもらってけばそれでいいんだけど、そうするにもまだ些か時間が早かった。というわけでもないんだけど ……
「宮城野」
階段をカーヴしながら上がっていって、いつも人気のカフェみたいなお店に対して左向け左。例の重い戸をスラスト方向にスライドさせて入店。
戸を戻す私の背中に容赦なくお姉さんからの声がかかり、ちょっと待ってよと心の中で訝りつつ、正面を向き直して人差し指を一本立てる。中途半端な時間なのでどこへでも着ける状態の中、壁際の二人掛けの席に滞りなく陣取った。
場所柄、私の目の前に陣取るイカツイ若者。
ホストとかパンクバンドメンとか (目の前の彼はまた違ったジャンルの方とお見受けするが) 、およそ世の中に背を向けるポーズを自らの“売り”にする類の人たちも、日本蕎麦屋の中では何故かとんがってみえなくなるというか、マイルドにみえてくるから不思議である (笑)
“金色”
どうせ酒の前に胃に何かを入れておくだけの行程なので、最も安価な“せいろう”でいこうとして、でも自分に嘘はつけずに注文してしまった。
こういったものを邪道と馬鹿にするのは簡単なんだけど、逆にこういったものが自然にやれるようになったとき、蕎麦というものを、ほんとうに呼吸するようにやれるようになるのかも知れないなと ……
いつもどおりに、味もみないで徳利のつゆをすべて注いだ。いつもどおりに、蕎麦はみるからに美味そう。山葵を蒲鉾に擦(なす)れば興奮はピークに達し、蕎麦を後回しに口へと放り込んだ。
蕎麦をデコレイトするは昆布、天かす、油揚げ。天かすの攻撃性を奪う為 (喉に突っかかって咽せるのをふせぐ為) 、お蕎麦を底からひっくりかえせば、そこに私のエネミーなど、もうどこにも存在しなくなった
さらに傾きを増し、マゼンタの強調された光線に包まれる野口五郎交差点。
報道ヴァラエティ番組で、お亡くなりになった西城秀樹さんの偉業を振り返る想い出の映像を見せつけられるにつけ、彼の偉大さにはあらためて感動させられるばかり。願わくばこの野口五郎交差点 (東口五差路交差点ともいうが) のそばに西城秀樹交差点をつくってあげられないかな、という気持ちでもういっぱいなる。
―― どうせならもうあの西武の真ん前、というか国鉄池袋駅東口の真ん前のあのでっかい交差点でもいいんじゃないかなぁ、とも ……
宮城野/その名はひやこん
昨晩国鉄上野駅にて、一緒に飲んでいた昔のバイク屋仲間チームの一人が殉職した。
こいつの殉職シーンを、俺たちはもう何度見せつけられたか分からない (笑)。十数年前くらいには、ひっくり返ってもそいつの名を叫べば、それに呼応して、まるで生まれたての子鹿のように四肢をピン ! と突っ張って四つ脚歩行くらいは出来たんだけど、今回ばかりはなかなか起き上がれないよう。
それはテキサス刑事とくらべたらあまりに無様な殉職シーン。
そのひっくり返っての妙なアクションを目の当たり、皆での、これはインスタ映えするよと挙って催され始めた撮影会を、ただただ爆笑しながら見守った。まあ、俺も一枚撮っちゃったけどね。こっちも泥酔状態だったんで、ピントも何も合わせられなかったけど ……
<H29.12.17 映画鑑賞後>
「宮城野」
BGMは極く抑制された音量での、JAZZピアノ。
隣に若きお父さんお母さんと、目のぱっちりとした可愛らしい女の子、またお母さんのご姉妹と思しき女の人、都合四名の家族パーティがやってくるのを横目に、いつもは“酒前”としてふつうの“もり”を一枚やるだけなのだが、今日は自分の中の貪欲に抗いきれず、ちょっとゴージャスなものを注文してしまった。
熱いお茶と冷たいお冷やを用意できますが、とのことで、冷たいお水を所望。
これはおそらく、日本蕎麦とお茶の相性を五月蠅く考えるお客とのトラブルを未然に防ぐ為のことなんだと思うんだけど、あんまりヒステリックに考えなくても、って気がしちゃう。
で、思いの丈を高らかに注文すれば、女の子はその私の注文を、「おねがいします ! “ひやこん”で」と茹で場に通してくれた
“金色/冷やし” @918也。
このお蕎麦を“きんいろ”ではなくて“こんじき”と読むことは既に学習していたので、滞りなく注文することが出来た。
つゆ徳利のつゆを、味も確かめないで全部注いでしまうのは蛮勇。それでも足りなくて、花番の女の子を摑まえてつゆをもうちょっとください、とやってのけることは知勇 (いやいやいや ……)。追加のおつゆをいちいち幾らとなります、とやらないことは、お店の正義。
天かすと油揚げの、ハーモニーともつかないハーモニー。そこへ割って入る、甘辛く煮付けられた昆布 etc.
その異個性に絡んでゆく蕎麦なんだけど、意外と嫌々感もなくって、寧ろ居心地良さそうにそこに佇んでいるように見えるから不思議である。
繰り返しんなっちゃうんだけど、今日もここんちのお蕎麦は美味い ! ただその一言
隣の小さな女の子に“かけうどん”が届き、ただでさえくりくりだったその娘の瞳が、さらに輝きを増した。
なんでも、その娘は“素”のうどんが大好きらしい。私も、今日はちょっと捻(ひね)ってしまったが、その女の子の気持ちがすごくよく分かる。こういったものへの我々の要求って、やっぱり突き詰めればシンプル、もっと言って穢れなき純粋性であって、そしてこの嗜好って案外、幼くして誰にも備わっているものではないかと。
とりわけ女の子が、まだ幼くたって、成熟した大人の女の魔性というものを既に完全に近い形で備えているように ……
宮城野/蕎麦 Of Gold
【 またまた追記 】
一旦通り過ぎたのだが、やはり自分を騙すことが出来ずにUターンして階段を上がった。
例の戸を引くとすぐ帳場なのだが、おじさんが一人、お会計中。ちょっとお待ち下さいとなって待っていたら後ろでまた戸が引かれ、女性二人連れが入店。私は二人の為に少し脚を進め、スペースを確保してあげようとしたが、内一人がずんと私の前に出て来て、もう一人も倣って私の前へ。
そこへお店の、私にお待ちくださいと声を掛けた娘とはまた別の女の子がやってきて、お二人様ですか ? となったので、その女性二人組は案内されるがまんま、当然のように先に入店した私を置き去りにフロアに案内されて行った
―― こんなとき、どんな顔していいのかわからない ……
“海苔せいろ” @864
“お蕎麦大盛り” @324
続いて私も席に案内されたのだが、いみじくも私の先に案内されていった女性たちの隣のテーブルとなって、こんな時、勿論向こうはまったく意に介さずなのだが、逆に男独りのこちらのほうが、そこはかとなく後ろめたくなるそのメカニズムというのも、これはいったい何なのか。
―― こんなとき“も”、どんな顔していいのかわからない ……
蕎麦は三枚重ね。
機械切りの海苔は小皿で分解提供。せいろうを重ねるスタイルなのでこうしているのだろうと予測は出来るが、汁も“ざる”専用仕様ではなかったので、これは敢えてこちらでは“ざるそば”とやることもないな、と結論付けさせられた。
とは言え、お蕎麦の調子は今日も頗(すこぶ)る良好。
細打ちの肢体にもちっとしたところとざらっとしたところを高次元で拮抗させつつ、そしていつものように、あくまでも冷たく締められている。
やっつけた蒸籠を除けて、すぐまたそのクール・ビューティとの再会という極上の白日夢を、その蒸籠の枚数だけ重た。そして畳みかけるように女の子の持ってきてくれた熱々の湯で、そっとおとした小さじ一杯の孤独とともに、おもむろに汁を割る。
猪口の中で、汁の分子と湯の分子と、そして私の孤独の分子が激しく運動しあい、上手い具合に勝手に混ざりあってゆく様に完全に満足しつつ、それをやり終えて席を立った
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【 平成28年1月/またまた再訪録追記 】
朝起きたら、まい泉のミニバーガー、コロッケと黒豚メンチカツが一つずつ、テレビ台の上に置いてあった。テレビ台の上にテレビは無い。こないだまでどこからかアナログ電波をひろっていたのが、当たり前の話だがとうとう映らなくなって、即座に、アニミズムのかけらも持たない非情な私の親に捨てられてしまったのだ。
昨日もそうとうに飲んだ気がする。
ちょい気持ち悪かったが、そのパンを二つ纏めて電子レンジに放り込み、二十秒間温めて無理矢理胃に落とし込んだ。べつにお腹がすいていたわけではなかったが、今食べなきゃ捨てるようになるので勿体無くって。
ものには何でも、“命”があると思ってるから ……
<H28.1.11>
「宮城野」
大きく重い例の戸をスラスト方向に滑らせた。
午後十二時半。
卓は七割ほど埋まっている感じだが、問題無くすぐに席につくことが出来た。隣の若い女の子三人組がこの上なく質の良いエアフィルタとなっているようで、清涼感のある空気を私に供給してくれ、大変気分が良い。マイナスイオンが超溢れ出ている(この大馬鹿野郎 !!)。
で、お茶を啜りながら早速品書きを広げた。
まだ気持ち気持ちが悪かったし、出掛けにパンを二つ食べたので大盛りはやめておこうと思った。いや、元々こちらの蕎麦の盛りはちゃんとした蕎麦屋としては、気前が良かったはずである。となると私の標準ルーティンとしての後工程は、シンプルに“もり”か“ざる”を選定するのみだが、品書きに目を通して無情にも、ここで私の言う“ざる”、“のりせいろう”はやっていないようである。
こんなとき、素知らぬふりして「ざるそば !」、とやれば案外そのまま海苔かけのお蕎麦が出てくる可能性が低くはないということを私は知っているが、そんな確信犯的傲慢もちょっとなぁと思って、今日はちょっと捻ってみることにした
“田舎せいろ” @918也。
限定三十食とのこと。
今日の蕎麦は、ここ二年間台風の影響で収穫出来ず、三年ぶりに用意できたという、あの幻の福井県坂井市丸岡町産とのこと。これは非常に期待がもてる ! なんて、蕎麦の産地や銘柄なんか金輪際気にしたこと無いけど、俺の蕎麦人生。
果たして舞い降りたせいろうの上で躍動するは、蕎麦柄を織り込んでたっぷりと褐色にして、田舎蕎麦としては極端な太さでもないもの。まるで全盛期の高見知佳を彷彿とさせる健康的で元気の良いおそばで、私の興奮はピークに達した。高見知佳は、パッと見オリエンタル色だけのように見えるが、よくよく見ればその目鼻立ちに確かなヨーロピアンテイストをも兼ね備えるということを、これは分かる方なら分かっていただけると思う。
そんな奥深さを持った、太くて粒状感のあるそれを噛んでやるという、何とも言えぬ背徳感。蕎麦の香りよりも、大胆に冷たく締めることを優先させるという思い切り良い覚悟そのもの[注]が、ざらりと喉元をすべり落ちる快感に、暫し耽った
注) そのマインドの代表選手が「上野藪」だと思う
で、少し落ち着いたところで隣をみれば、女の子たちはアナゴ(それにしても行きつけの居酒屋の娘もそうだが、女の子ってアナゴが好きなもんだ)、そしてまた鴨 ? そんなものをそれぞれに楽しんでいた。私がそれらを苦手な為に、自動的に視線が逸れてしまっているだけかも知れないが、そういったものをよく品書きから読みとるなと、皮肉でもお世辞でもなく、心底感心してしまう。
花番の女の子と、ようやく目が合った。
お待たせいたしましたと非常に恐縮しつつ、且つ大変熱いですからと気遣って供された湯は、私のハートのように限りなく熱く、そして美しいまでに脆く儚く ……。ゆったりと二杯半、徳利に残った汁まできれいに使いきったところで湯もちょうど無くなった。
この間、フロアは落ち着き払った平和な時間に支配され続けていたのでまったく気が付かなかったが、立ち上がって帳場へ向うと待ち客が二組ほど。
俺としたことが ……
そして外の空気にあたって、やはり美味いものを食ったとき、人はこんなにも気分が良くなるもんなんだなと思った。
なんなんだ、この二日酔いまですっきりしちゃう爽快感は ……
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【 平成27年8月/再訪録追記 】
<H27.8.12>
ラブホテルの屋号“ナポリ”という看板を見て、“ナポリタン”をやっているレストランでは、と見紛うほどに意識が朦朧としていた。
仕方なく新規開拓はあきらめ、東口五差路(私にはどういうわけか、これがいつも野口五郎に見えてしまう)の一角の二階、いつもの蕎麦屋への階段を上っていったが、今まさに客が二組ほど入り口で、優柔不断にも入店するのかしないのかだらだらとやっている ……
―― ほんとにいやだ、こういうの ……
ただ迷っているのかお店が満員なのか判断がつかなかったが、さっさと踵を返し、ちょっと手前にあったスパゲッティ屋さんへの階段を下りてゆけば、今度は確実に数組の待ち客を抱えている。
なんだかなぁ、俺の人生 ……。でも人生ってこういうもんなんだろうな ……
「宮城野」
で、再び蕎麦屋の階段を上ったら、今度はスムースに席まで通ってしまった。
なんだったんださっきの店頭の交通渋滞は。まあ、それでもほぼいっぱいに卓は填まってるんだけど。背の高い焼き物のぐい飲みで供された、氷の入った冷たいお茶が嬉しかった。そして本日のお蕎麦は、北海道深川市多度志産とのこと。
そんなのがプラスティックの小さくて透明なディスプレイ台に挟まって立っていた
“納豆 (冷やし)” @918
“おそば大盛り” @324
締めて \1,242也。
昆布が甘く炊かれていて、それをちょっとづつ、それと若芽もちょっとづつ、蕎麦に供えながらやった。そういう“口中調味”という高度な感覚を具(そな)えた日本人という民族に生まれたことを、私は常に天に感謝している。
喉越すそれが醸し出す、鼻腔に抜ける上質な香りは、紛れもなく北海道深川市多度志の新鮮な空気を纏っていた。
―― すみません、嘘つきました。北海道なんて行ったこともありません、ボク
こちらのお蕎麦は細身にして力強く、真っ当に美味いと思うが、接客含め、中には低い評価がところどころ見受けられるのは何故だろう。
今回のきれいなお蕎麦も、納豆と蕎麦との高次元の拮抗としか言いようのないものであった。もうどんな酷暑にでも耐えられそうな勇気が沸いてくるほどの。
そんなこんな独り夢見心地でいると、私の隣の卓の前で、何やらユーロテイストとラテンテイストを高次元で入り混じらせるチャーミングな女性が、花番の女の子に立ったままで品書きの説明を求めはじめた。
暫しのやりとりの上、その女性は、花番さんの説明に納得がいったのであろうか、ようやく安心したように席に着き、おもむろにそのすらりと美しく伸びた脚を天板の下にクロスさせてみせたのである
蕎麦、納豆、そして脚が私の脳内で拮抗しはじめた瞬間だった。
そしてそれは直ぐ様何らかのものを形成し始めたが、その物体が完成してしまうと途轍もなく恐ろしいことが起きそうな気がして、強靭な意志力を以て、後ろ髪引かれる思いで席を立った
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<H26.12.13 池袋>
冷たい風に、刺さされて往った。
サンシャイン通りの入り口のところに、いっつも混雑しているガラス張りのカフェのようなところがあって、大昔から、まさかこの一角だけは永遠に私には無縁の世界だなと思っていたが、二階への階段の麓に手打蕎麦屋の看板があるではないか。今日初めて気がついた。
なので映画の切符を入手してから一直線に戻ってきて、弧を描きながら上昇してゆく階段を、迷わず一歩一歩上っていった
「手打そば 宮城野」
木製に見える大きな戸の取っ手を、それなりの力で滑らせた。おでこを撫でる暖簾。くぐって、やけにがらがらの店内。席に着いて耳を澄ませたら、遠くで仄かにピアノが鳴っていた。
品書きを広げて、ここ日本屈指の繁華街の昼時にあって何故混み合っていないのかが、朧気に垣間見えたような気がした。最初、この蕎麦屋として正統派に過ぎるシンプルな構成では、池袋の若者の胃袋を掴むには、些か刺激に欠けているのではと思ったのだ。且つ、ある程度以上のクラスの蕎麦屋特有の、なんでもないもりそば、かけそばにふられた値段からして、もう、これは一見して割高かなあ? と思われちゃうんじゃないかな、とも。
中学生時代の私の蕎麦屋での常套の振る舞い方、すまし顔でもりそばとたぬきそばを二ついっぺんに注文ということを、もしも今やったとしたなら ……
―― その時には親のお金と思って気楽にやっていたことを、今、それらがそれぞれ七百円超の店で同じことをやった時、お昼ご飯一回ぽっきり千五百円以上になってしまうことに心底びびっている私だが、それが果たして情けない男独りの戯言(たわごと)と済まされてよいものか ……
しかし午後一時を過ぎた今、何故か次々と戸が引かれたことには、客としても幾ばくかの安堵を感じたが
“金色 (油揚げ・揚げ玉)” 九百幾らか
“おそば大盛り”三百幾らか
締めて \1,242
「これください。金色(きんいろ)って読むんですか、これ?」
「金色(こんじき)です」
とのこと。
分からないことは周りの大人に聞いてみなさいと、いつも母は言っていた。もうやぶれかぶれで、目にしたことのないものを注文することにしたのだ。温かいのと冷たいのと出来るらしく、冷たいのを。
で、無事お蕎麦のどんぶりが届いた。割り箸の袋の中、屋号の隣でうさぎさんのシルエットが楽しそうに踊っていた。立地も含め、そんなこんなほとんど期待を喪失していたが、それは一見して誠実なものと分かる蕎麦、太さは東京基準で言っても細打ちといえる凛とした佇まいを持っていて、正直、ぶっかけ様式のものを注文してしまったことを後悔させるほどだった。
しかし、本来質(たち)の良い同等の蕎麦であればぶっかけよりも猪口の汁でのおそばと、くだらない固定概念の固着した私は、刺身のつまのような海草(おいおい、ちゃんと調べて言えよ)、卵焼き、蒲鉾、ほんとうに適切に味の滲みたお揚げ、そして天かす、かすって言ったら悪いから揚げ玉と言い換えますが、そんな脇役たちに彩られ、しかも気前良く豪勢に盛られた蕎麦の前に、正直、ひれ伏すこととなった
お茶のおかわりが欲しくって、ちょっと向こうに立っていた花番の女の子の視界の片隅に、いちかばちかだったが湯呑みを翳した。これを十条の一杯飲み屋のサボタージュ傾向のある女の子に向けてやったら、間違いなく確信犯的にそっぽを向かれるであろう距離感の中。
そしたらちゃんと私の意志が女の子に通じ、そんなのふつうのことだが、ふつうのことがふつうでなくなっている飲食業界の現状の中、殊更嬉しくなった。
―― 今度、ふつうのせいろう試してみよ(みよう) !!
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「みんなで作るグルメサイト」という性質上、店舗情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。 詳しくはこちら
店名 |
宮城野(みやぎの)
|
---|---|
ジャンル | そば、うどん |
予約・ お問い合わせ |
03-3985-7195 |
予約可否 |
予約可 |
住所 | |
交通手段 |
JR山手線、東京メトロ丸ノ内線・有楽町線、西武池袋線 池袋駅 徒歩2分 池袋駅から311m |
営業時間 |
営業時間・定休日は変更となる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください。 |
予算 |
¥1,000~¥1,999 ~¥999 |
予算(口コミ集計) |
¥1,000~¥1,999
¥1,000~¥1,999
|
支払い方法 |
カード不可 電子マネー不可 QRコード決済不可 |
席数 |
48席 |
---|---|
個室 |
有 |
貸切 |
不可 |
禁煙・喫煙 |
分煙 2020年4月1日より受動喫煙対策に関する法律(改正健康増進法)が施行されており、最新の情報と異なる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください。 |
駐車場 |
無 徒歩2分以内に有料駐車場あり |
ドリンク | 日本酒あり、焼酎あり |
---|
利用シーン |
こんな時によく使われます。 |
---|---|
お子様連れ |
子供可 |
お店のPR |
池袋駅東口1分。お店の石臼で挽く自家製粉の蕎麦が好評です。コース「3150円〜」
そば職人が打つ、本格手打ちそば・うどんのお店。こだわりのそば粉は、石臼自家製粉で全国各地の玄蕎麦を使用。水は日本名水百選の1つ、阿蘇白川水源の天然水を使い、化学調味料は一切使用しないという徹底したこだわり。豊かな香りと蕎麦本来のこし・喉ごしの良さ、そのしなやかさが人気の秘密です。またそば・うどんだけではなく、逸品メニューも豊富にあり。コース料理で一番人気の「天ぷらコース」には季節の変わり蕎麦... |
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「たとえば悪魔にとり憑かれたとき、祓う方法は ?」
「まず16世紀に帰ることです」
「なぜ ?」
「(現代には)もう悪魔はいない」
コロナ過以降、飲食業界の夜の仕舞いが随分と早くなったような気がしてる。
それと連動してのことか通い始めて日の浅い私は知らないのだけれど、いきつけのスナックもご多分に漏れずお昼(午前12時)ぴったりで終わる為、最近極端な深酒もないはず。ながら、それでもチビチビと舐め続けたアルコールが体内に残っているのか、休日は7:00にセットしているアラームが鳴ったって、どうにも布団を這い出す元気、及び勇気が湧いてこず ……
ただとりあえず起きて顔を洗い、歯磨きしてみれば意外と気分がしっかりしてきて、昨日も同じ状態であきらめた、今一部の封切り映画館で午前中のみ1回ぽっきり掛かっている「エクソシスト」を観に行くやる気が、にわかに湧いてきた !
<R5.9.10>
「宮城野」
池袋にもジャッキー・チェンに似た名前の居酒屋があり、一人使いするにはそこが一番カウンターが広くて気に入っているのだけれど、チェーン店で基本メニュウが変わらぬ為、毎日通っているとさすがに飽きてくる(笑)のと、疲れた胃を引き摺ったまま酒主体で走るのはヤだなと思って、今夜はおそば屋ご飯酒にすることに。
例の重い戸を引き足を踏み入れた店内は、いつも空いているこちらにしては比較的賑わっていて、そこへさらにお客が続くものだから、油断してホール1人態勢の彼が過負荷に喘ぐ様も、お店の自業自得とはいえ(こらっ !)、なんだか気の毒。
お散歩写真をやってきて汗だくのボクも、だから悪いと思ったが、お酒といっしょに頼んでやって来ないお水を、早足の続く彼を掴まえ督促してしまった
こちらの直射照明はよく言えばdramaticだが、些かきつく、こういったことは意外にお客さんの居心地の良し悪しに直結するので、もっとディフューズされた電球はないものかと、いつも心配させられてる。
しかしそんなlightingに浮かびあがるblueの徳利は文句なく美しく、おとうしのそばせんべいとともに、大衆居酒屋とはちょっと違った、気持ち優雅な時間に、厳かに微睡みはじめた
やおらおつまみ3点盛りがやってくる。
山芋の擦ったのを海苔で巻いたのがやけに美味しいと、大人になってからこちらで初めて気づかされたが、今日は気付かずにオーソドックスなものを並べてしまって、しかし私にはこれで十分に上等 ! ほんとうは揚げ出し豆腐をセンターとした美しい盛付けが今までのこちらのやり方だと思ったが、今夜些かそれが雑となっていることが、何か深刻な事態の前兆でなければ良いのだけれど ……
と訝りつつ蒲鉾を整列させ直して撮影したうえでやり始め、それらが終わり切る手前で計画通り、お酒をもう一つと、〆のおそばを注文させていただいた
このステップで、私は自分の中の悪魔を追い出す為に津軽のとんがらしを使いたく、ならばそれに最も相応しいと考え、ふだんはあまりやらない“田舎”を注文してみた。
その田舎は、前は数量限定だった気もするのだが、気のせいだろうか、今夜品書きにその制限は見えなく、注文も滞りなく通って舞い降りたそれは願ってもない2段重ね !
その“田舎”を謳いながら、余所のそれと比較すれば若干太さとしてのパワフルにかけるがしかし、荒々しく褐色の面持ちを持つ肌に、津軽の朱き雪を最初っから躊躇なくふらせていけるのは、蒸籠2枚重ねということで、最初の1枚を失敗しても、次のでリカバリーできると思ったからに他ならなく、だから“願ってもない”、ということになる
しかしそんな心配をよそに、これは見た目通りとも言えるが、褐色の粗挽きと津軽の朱のマッチングはすこぶる良し !
依ってバチカンの力を借りずのこの無謀な自作自演悪魔祓いもなんとなく成功した気がし、そういえば首も180°回転しなくなったし、気に入らない人間をすぐにエコエコアザラクしちゃう、自分の中に巣食っていた誰だか知らないヤツの気配もなくなり、幾分体も軽くなった気がする !
となったら陶磁器の湯桶を火傷しそうなほどに限りなく熱す、燃えるような湯でつゆを割って、その聖水が喉をつたっても身体が何ら拒絶反応を起こさなかったということを以て、この悪魔祓いの完了を、テレパシィでバチカンに報告するボク ……
【本日の献立】
・“文楽” @540 *2
・“お好み三点盛り” @1,150
(揚げ出し豆腐・板わさ・玉子焼き)
・“田舎せいろ” @980
〆て3,210也。
【以下映画の話】
監督:ウィリアム・フリードキン
出演:エレン・バースティン リンダ・ブレア ジェイソン・ミラー マックス・フォン・シドー
2000年 132分 アメリカ合衆国
「エクソシスト/ディレクターズ・カット版」
「悪魔」よりも「ゾンビ」派のボクだけど、同監督の1977年「恐怖の報酬」という作品に触れて度肝を抜かれ ! その前の1973年作品である「エクソシスト」がどうしても“ちゃんと”観たく、今回そのディレクターズ・カット版のリヴァイバル公開を知り、午前中上映というのがちょっときつかったけど、寝ぼけた身体を引き摺ってやって来た次第。
池袋の集合映画館の中の、どちらかというと小さなスクリーンでの上映。
依って総人数は大したことないと思うのだが、それでも私が席をとろうとした時点でそれなりに賑わっており、左右に人がいないところを目掛けてとった一番真ん前の席に満を持して陣取ったところで早くも、何か途方もなく困難な仕事を成し遂げたかのような気分にひたれるのは、いったいどのような精神メカニズムに依るものであろうか ……
「ベッドが私を乗せたまま凄い勢いで揺れていました !」
「だが問題なのは、お嬢さんの脳なのです」
果たして本作を真正面から通して鑑賞した第一印象は、オカルト映画の金字塔として名高くありながらも、これは意外であったが悪魔vs神(信仰)一辺倒ではなく、寧ろその対決に至るまでの重厚なドラマで魅せることに主眼を置いた作風となっていた、ということ。
坂に面した立派な屋敷に召使いを揃え、メルセデスSLを駆り、女優と子育てを両立させる凛々しいシングルマザー。だがとつとして、その12才の純真無垢な娘が壊れていく ……
【登場人物紹介】
● クリス・マクニール (エレン・バースティン):女優業の傍ら、娘との時間を作ることにも余念のない聡明なシングル・マザー。屋根裏からの異音に不信を抱いていたところ、同時に娘が奇行を繰り返すようになり、最初は神経系の疾患ではないかと科学的医療を頼るのだが、ついに超常現象を目の当たりにしてしまい、藁にも縋る思いで、近所で見かける、その度に何故かいつも険しい表情の神父に頼ってみることにする
● リーガン (リンダ・ブレア):12才になるクリスの娘。地下室でこっくりさんに勤しむ程度の極くふつうの少女であったが、突如として攻撃的になり、卑猥な言葉を連発するようになる
● デミアン・カラス神父 (ジェイソン・ミラー):精神科の医師でもある神父。高齢の母をおもんぱかる日々も、その母の呆けから死に依って終止符が打たれ、同時に神への信仰心も失せたが、原因不明且つ深刻な症状の少女と向き合うことに依り、神父としての使命感をふたたびとり戻していく
● ランカスター・メリン神父 (マックス・フォン・シドー):経験豊富な老エクソシスト。遺跡の発掘が趣味で、イラン北部の遺跡から奇妙で悪魔的なイコンを掘り当てるも、それが原因か、歳のせいか、砂漠の熱しゃにどうしようもない徒労を覚えて打ちひしがれるというシーンが、本作の冒頭である
70年代当時の最新医療器械は無骨だが、故に信頼に足るものということを暗示させ、何種類ものそんな無骨に繰り返しかけられる幼気な少女を目の当たり、まるで母と同じように、とても見ていられぬような痛々しさを覚えている自分に、ふと気付かされる。
しかしそんな苦痛に繰り返し耐えても、それらの精密機械が弾き出す答えはことごとく、少女はどこまでも正常ということ。
原因不明のままに疲弊していく母娘に、医者は科学的観点から、少女が自らの納得を図ることで症状の緩和が得られる可能性があると“悪魔祓い”を仄めかすが、それは事実上の“見限り”であったのかも知れない
このように科学者である医者を介し、また精神科医でもあるが故悪魔の存在を否定する信仰を失った神父を介し、現代に悪魔などいないという前提の中で調えられた予定調和の儀式の舞台上、まさかほんとうに強力で狡猾な悪魔が満を持し、無垢な少女のbodyを媒介に、ついにその姿を惜しみなく白日の下に晒す !
そして歪(いびつ)な邪悪をもう隠すことなく派手にsparkさせ始めたなら、悪魔との死闘に散々おあずけを食っていた我々観客は、その極上のスリルに、もうただただひれ伏すばかりとなるのだ
「絶対に悪霊と対話してはならぬ !」
教会から派遣された老神父が、母親の死を受け入れられずに苦悩する、故に“信仰を失った”神父にそう諭す。
この悪魔と会話してはならない、は、例えば保守とリベラル(左翼)の議論が常に実りあるものにはならなく、結局保守側が疲弊するだけ、ということに案外近いのではないかと私はつい想像してしまうのだが、違うだろうか。
言い換えれば正直者と嘘つきとの対話は、常に嘘つきの圧倒的有利を覆せない、ということと
「リーガンに憑いた悪霊を説明します。私の観察では三つです、」
「一つだ !」
年齢に依る健康状態を心配されつつ派遣された老エクソシスト、メリン神父は、しかし頼もしく、悪魔の狡猾が、若く体力もあるカラス神父の、母の死に依って生じた心の迷いを容赦なく突いて来るが、それを庇いつつ儀式をリードする。
このスタローンやハリソン・フォードなどに代表される、“なかなかやる老人”を引き立たせて魅せる構図は、高齢化社会の現代こそのトレンドだと思っていたが、どうやらそうでもなかったらしい。
しかしそれも長丁場化する悪魔との死闘の果てに、一旦リーガンの部屋を出て、ふたりして屋敷の階段にへとへとになって座り込むシーンには、彼らがふたたび立ち上がるからこそ ! 今度は「タワーリング・インフェルノ」の不撓不屈の消防隊長に、その姿が重なるのだ
「何故あんないい娘が選ばれた ……」
「我々を絶望させる為だ」
穢すものは清ければ清いほどいい。
そしてそれを見せつければ、愚かな人間どもは希望を失う。
もしもそれが悪魔のセンスだとしたならば、人間こそが悪魔だとも言えはしないだろうか
「娘は死ぬの ?」
「No !」
神父二人がかりでも敵わない悪魔。
打ち拉がれ、しゃがみこんでいる神父を見て、とうとう母は娘の死を予感するが、神父はその言葉を強く否定してふたたび立ち上がり、老エクソシストの屍を乗り越えて、たった一人でいったいどうしようというのか
人間は自分の為に出来ることには限界があるが、他者の為に無償の自己犠牲を払うとき、その崇高が限界をbreakthroughするのだろう。
スーサイドアタックに常に賛否つき纏おうとも、神をとり戻した神父の悪魔もろとものjumpは、悲惨だが、しかし美しい
―― それが美しく見える自分で、今はありたい
Fine