鉄道カフェでぼくがおもいだすこと。 : スチームロコモティブ 有楽町店

この口コミは、ジュリアス・スージーさんが訪問した当時の主観的なご意見・ご感想です。

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¥1,000~¥1,9991人
  • 料理・味-
  • サービス-
  • 雰囲気-
  • CP-
  • 酒・ドリンク-

3.5

~¥9991人
  • 料理・味-
  • サービス3.5
  • 雰囲気4.0
  • CP3.5
  • 酒・ドリンク3.5
2013/11訪問1回目

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  • 料理・味-
  • サービス-
  • 雰囲気-
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  • 酒・ドリンク-
¥1,000~¥1,9991人

3.5

  • 料理・味-
  • サービス3.5
  • 雰囲気4.0
  • CP3.5
  • 酒・ドリンク3.5
~¥9991人

鉄道カフェでぼくがおもいだすこと。

新幹線を愛する男の話をしよう。
いや、ミルトンを信奉する小市民悪魔主義者の話と言うべきか。
最初かれは大学のごくふつうの(しょぼくれた)先生に見えたものだ。
かれの話す英文学の話題は懐かしく、
ぼくはかれにしたしみを感じていた時期があった。
ところがしばらくつきあっているなかで、
かれの内なる ささやかな怪物性 にぼくは気づいた。
たいていの人はこの世界をほどほどには愛するだろう、
家族、恋人、友達、仕事、会社、暮らしている街、
はたまた心にしみこんだ音楽、映画、文学作品、贔屓の飲食店・・・・。
ところがかれが愛するものは片手の指にも満たないごく限られた対象だけ。
それでいてかれはいつもポケットに稲穂をしのばせ、
ことあるごとに取り出しては肥えた顔の前でひらひらさせる。
(わたしは早稲田大学の准教授です、わたしを尊敬するように)
という要求である。
いつしかぼくはかれを本のように読んでゆくようになった。
本の主題は、虚栄心と人生、ちいさな嘘、道徳の欠如がもたらすもの、
そして・・・。


ダイニングの中央に箱庭の都市があり、
その先には緑の生い茂る郊外がしつらえてあって、
そのなかを模型の新幹線が走り抜けてゆきます。
ここは有楽町の駅のそば、STEAM LOCOMOTIVE CAFE & BARです。
コーヒーがおいしい。軽食もたのしい。
スパゲッティ・ジェノベーゼ。ピッツァ・マルゲリータ。
SLハンバーグプレート。ハッシュドビーフライス(ハヤシライス)。
島式ホームカレー。
ドクターイエロー型のケーキなどさまざまに揃っています。
ダイニングにはグッズコーナーが併設され、
鉄道模型用の「建売住宅」「状景小物 コンビナート」、
「建物コレクション 劇場」
各種鉄道DVD、鉄道本などを取り揃え販売しています。


鉄道マニアでもないぼくがこのカフェへ入ってみたのは、
ぼくが例の人妻と出会った夜をおもいだしたからだ。
それは恵比寿の割烹でおこなわれたすっぽん食事会の夜で、
ぼくはすっぽん鍋には関心はなかったものの、退屈しのぎに、
つい参加してみた。
幹事は当時四十歳を標榜していたけれど、
しかし脂ぎった皮膚のたるみはどう見ても五十歳を越えていた。
早稲田大学の「准教授」、英文学が専攻だそうな。


まず第一にかれは風貌がちぐはぐだ。
髪は横分けというのか。肥えた顔に銀縁眼鏡。
まぶたには脂肪がたっぷりのっている。細い目。
首は太く短く、ワイシャツに染みだらけのネクタイ。
アーガイル柄と呼ぶのもためらわれる
鼠色地にピンクのくたびれはてたVネックのセーター。
ホームレスから奪ってきたようなジャケット、
(左肩のところにはてのひらサイズの黒皮があててある。
いつも重いショルダーバッグを斜めにかけるため
ジャケットの左肩のあたりが痛みがちで、
それを防止するための措置だそうな。)
腹はでっぷり前方に突き出し、
サブリナパンツ丈の幅広ズボンを穿いている。
(丈が長いと裾がほつれてコスパが悪いからだそうな。)
鼠色のソックスはずり落ち、長芋のような脛が覗き、
優しい犬が川辺で見つけくわえてきてくれたような、
靴のようなものを履いている。


ぼくはかれを7、8年まえから知っていた。
かれは梅島だか西新井だかのマンションに、
(大学教授であるらしい)奥様もいる。13歳の息子もいる。
しかし家族がかれに口をきいてくれることはない。
かれはしたしい友人には奥様のことを鬼と呼び、
かれをまだよく知らない人たちには独身であるかのように匂わせた。
ことあるごとにかれは、亡くなった自分の父親は永田町勤務でした、
と、まるで官僚であったかのように言いもした。
カネ持ちアピールもぬかりない、
「わたしは年収1000万円はいってますけどね。
いえ、わたしなんて庶民ですよ。
だいたい日本社会がおかしいんですよ、
年収300万円の連中が三ツ星レストランへ行くなんて、
世界中で日本だけですよ。」
ぼくは言った、「センセ、自慢もけっこうですけど、
まともなスーツの一着も買いましょうよ、
年収1000万円が泣きますよ。」
みんな声をあげて笑った。


かれは雑食であらゆるものを食べるものの、
心底大好きなのものは焼肉と駅弁、
そしてひよこのロースト、ヤモリのから揚げ、
トド刺、鳩刺、牛の睾丸の網焼きなど、
えたいの知れない数々の肉である。
しかし見栄を張るための食事はまた別で、
レストラン批評家の友里なにがしを師とあおぎ、
ミシュラン評価と照らし合わせ、
祇園の懐石や東京の三ツ星フレンチでも食べていた。


どの名店を選ぶかは、自慢のコスパ哲学(とやら)に鑑みてなされる。
それはコスト・パフォーマンス、
すなわち「費用・対・効果」のことながら、
かれにおいては、なるべく少ないカネでなるべく大きく見栄を張れること。
かれは文化芸術と風流の演出も欠かさない。
西洋古典音楽の演奏会。美術展。はたまた京都。
花鳥風月的なものの鑑賞。
春には桜や牡丹を見に行く。
夏にはたったひとりで花火大会を二十回もまわる。
秋はモミジを見に行き、冬はイルミネーションを見てまわる。
しかしかれには音楽を聴く耳も絵画を見る目もなく、
情緒的感受性があるわけでもない。
しゃぶしゃぶ用の牛ロースの「薔薇」盛りつけ以外の花に、
かれが関心など持つはずもない。
自分が好きでもないことを趣味にして、
こんなにも趣味を取り揃える男なんて聞いたことがない。
かれが前述の食以外で好きなものはアニメ『銀河鉄道999』、
そして新幹線だけなのである。


もっともぼくだって規格外の男ではある。
たいていは派手めの古着のジャケットにチノパン。
(スーツなんて冠婚葬祭用の黒の上下しかもってない。)腹も出ている。
部屋にあるのは鍋とフライパンと豆とコメとスパイス、本とギター。
これまでたくさんの本を読んできた、
後悔はないけれどそんな自分を恥じてもいる。
なぜなら知識よりも大事なことはいくらもある、
感じること、考えること、そしてユーモア。
上等の文学はかけがえのないものだけれど、
しかし心のなかに生きていればいいものだ。
再読しなかった本など読んだうちに入らない、
何度も読み返したくなる本は13冊もあれば十分だ。
そもそも言葉の外の世界がどれだけゆたかか、
言葉はそれを語ることができない。
でもこんなまじめっぽい言い方もほんとは好きじゃないんだ、
ときどきぼくはおもう、すべての言葉が冗談になればいいのに。


はじめて会ったときぼくはかれに言った、
「ぼくにとって英文学は青春のおもいでですよ。
春がくるたびぼくはおもいだす、April is the cruellest month
まったく残酷なことだ、廃墟となり果てた世界にまた春がおとずれる、
その虚無感。
・・・ぼくは懐かしさで狂いだしそうになる。」
かれは言った、「T.S. Eliot の The Waste Landですね。」
ぼくは続けた、「ぼくはあの詩を読んだとき、
映画のようなカットバックのかっこよさと、
スピード感に魅了されたもの。
しかしその後かれの文学論を読んで、
なんだとんだ白人至上主義者じゃないか、とげんなりして、
それからぼくは李白を愛するようになったものですよ。」
かれは言った、「ほんとですかスージーさん、李白まで!」
ぼくは言った、「嘘ですよ、そんなん言ったらかっこいいかなとおもって。
李白なんて白髪 三千丈しか知りませんよ、
“わたしの白髪は9キロメートル、憂いがそうさせしめたのだ” !??
そんな妖怪みたいなじいさん、いないだろ。」
かれは言った、「なーんだスージーさん、冗談ばっかり。」


あるときかれはポンペイ古代美術展を観に行った話をうれしそうに話した。
ぼくは言った、「すべての道はローマに通ず、の時代ですね。
ローマが燦然と輝く一大土建屋帝国だった時代、
三菱地所も三井不動産も叶わないほど。」
するとかれは「エースコックのこぶたのコックさん」みたいな顔で
きょとんとしている。
訊けばかれは、ローマ帝国がもっぱらイタリア半島にだけ存在していた、
と信じていた。
あるときかれは「マンハッタンは京都を範に格子状にデザインされました」
と珍説を述べた。
誰がそんな与太話を信じられるだろう、
格子状の都市は古代ローマがいたるところに作りもしたし、
そもそも放射状の都市と並んでいたるところにあるではないか。
かれは言った、「本に書いてあったんですよぉ。」
あるとき食事会にフランス人が混ざっていたときは、
みんなたのしく英語でしゃべっているなか、
かれだけがうつむいて熱心に
携帯にこびりついた垢を爪楊枝で掃除していた。
いつのまにか稲穂はポケットのなかに消えていた。


かれはまた世間話の仕方を知らなかった。
たとえば誰かが大学院へ社会人入学した話をする。
するとかれは言った、「まんまと鴨になりましたね、
大学経営にとって、社会人学生がいちばんおいしいんですよ。」
はたまた誰かが外国へ引っ越すので至急マンションを売りたいと言う。
するとかれは話題にした、その土地の汚染度を。
誰かがどこかの名店で食事をした話をする。
するとかれは言った、「次回はわたしにごちしてください、
持てる者が持たざる者にごちするのは稲の倣い、
ごちになることこそまさにコスパサイコーですからね。」
かれはサーヴィス料金が総額に対してパーセンテージでかかる店をぼったくりと糾弾し、
デートでおごってもらいたがる女たちを乞食女と罵倒した。
かつてのかれが仲良く一緒に食べ歩きしていた美食友達をも笑いものにした、
「和食屋のご主人のご機嫌を取るために、
年末に3万円のおせちを2個も買うなんてバカですよ。」
かれはぼくのことも陰でいろいろ言っているらしかった、
「スージーなんて何十年間もカレー喰い続けて舌なんてボロボロですよ、
それでいっちょまえにフレンチ通まで気取ってるでしょ、
豚の生姜焼きにボンカレーでもかけて喰ってりゃいいんですよ。」
かれがこんなことを言いはじめたのは、
例のフランス人交じりの食事会以来のことだった。


あるときかれは文学好きのぼくへのサーヴィスのつもりもあったろう、
こんな話題を振った。
「『ハリーポッター』はヨーロッパ文学中世以来の探求のテーマを
上手に扱っていますね。」
ぼくは相槌を打った、「なんか笑っちゃいますね、
だってイギリス文学って、アーサー王の頃からえんえん
聖杯伝説ばっかでしょ。
田舎の殿様のメンタリティですよね。
ロンドンもローマ都市のひとつだったとはいえ、
イギリスは長きにわたってあまりに辺境ゆえ、
なんとかかたちだけでも統治の正統性の象徴が欲しいんでしょ。
それが”キリストが最後の晩餐で飲んだワイングラス”っていうんだから、
どんだけ古代ローマに洗脳されちゃってるんでしょうね。お気の毒。」
すると「准教授」はどういう脈絡か突然、神を呪い、わが身の不遇を嘆きはじめた。
ぼくは言った、「早稲田大学の准教授ならば不遇でもなんでもないでしょ。」
しかしかれは否定した、「いえね、た、たしかにわたしは准教授ですけど、
え、英文科じゃなく、た、他学部の、准教授、ですから、
ぐ、愚民どもが支配するあの薄汚れた、ぞ、象牙の塔で、わ、
わたしは肩身が、せ、狭いんですよ。」


あるときぼくは「准教授」に訊ねた、「なんなんですか、センセのコスパ哲学って。
ミシュランだの友里某だの怪しげ評価を拝みつつ、次から次に高額有名店をまわって。
そんなにコスパが大事なら
自分で弁当作って弁当持参で大学へ通えばいいでしょう。
次に、美食もまた価値をめぐるゲームです。
ほかでもない自分ならではの味覚の基準があるからこそおもしろい、
それなのにセンセはコスパが価値基準だなんて意味不明もいいところ。
また、センセには自分にとってすばらしい料理を提供する店への愛着とか、
料理人への敬愛とかってないんですか?
好きになった店ができたなら何度もリピートしてこそ、
店主の考えもわかってきたり、
自分好みの料理を出してくれるようになったり、
よりいっそうたのしめるでしょうに。」


するとかれはむっとして言った、「わたしは料理は作れません。
どこで食べようがわたしの自由、腐ってもミシュランですよ。
リピートしようがしまいがわたしの勝手。
いちげん客にもちゃんとベストの料理を出してこそ一流ですよ。
それなのに食通気取りどもといえば、
贔屓の店を作って料理人におべっか使っておもねるような奴ばかり、
自分が店にいいように使われていることに気づきもしない。
わたしはけっしてそんな愚民どもに組することはできません。
店の利益と客の利益は相反するもの。店が得すりゃ客は損。
理性ある客がコスパを問題にするのはあたりまえです。
なお、わたしはけっしてグルメについてだけコスパを重んじているわけではありません、
人が人生においてもっとも考えるべきこと、それがコスパです。
スージーさん、コスパが低いってどういうことかわかります? 
努力しても報われないことですよ。
コスパが高いのは、楽して報われること。
世の中にはたいした実力も実績もないのにちゃっかり評価され、
うまい汁をちゅうちゅう吸ってる人間どもがどれだけ多いことか。
わたしの信念コスパ哲学は、
そんなふとどきな連中を憎みながら、
呪いながら、
長い年月をかけてじっくり熟成されたものなんですよ。」


ぼくは言った、「なんて陰気な世界観! 
いくら努力したって事と次第によっては
結果が出せないこともあるのはあたりまえですよ、
なぜって、ものごとには向き不向きがありますからね。
自分に向いているジャンルを探すことこそが
まず最初に大事なことでしょう。」
かれは言った、「なーーに偽善的なこと言ってるんですかあ!」
そしておもむろにポケットから稲穂を取り出し、
肥えた顔の前でクルマのワイパーみたいに振りながら、こう言った、
「世の中がいかに不公平にできているか、
冷徹に見極めてきちんと憤るべきなんですよ。
人それぞれの努力がきちんと公平に評価される社会を望むことは当然のこと。
わたしはね、ミルトンの世界観をベースに、
わたしのコスパ哲学を育ててきたんですよ。」
ぼくは言った、「ダンテの『神曲』と並んで、
キリスト教文学の双璧、
『失楽園』のあのミルトンですか???」
かれは言った、「そうですよ、
ここで哺乳瓶の話なんかするわけないでしょ。
ミルトンは『失楽園』のなかで予定説 predestination を批判しています、
わたしたちはみんなアダムとイヴの末裔です、
サタンに誘惑され、罪を犯し、
エデンの園を追放され、
死を運命づけられています。
全人類はたったひとりの例外もなくみんなひとしく堕落しているんですよ。
では死後はどうですか?
予定説に立てば、神は、最後の審判において救済する者と、
地獄に突き落とす者とを、あらかじめ振り分けていることになる。
どう生きようが死後の定めはあらかじめ決まってるんですよ。
不公平にもほどがある。
もちろん人はみな生きてるあいだじゅうえんえん気に病む、
はたして自分は救済を予定されているのか、
それとも地獄へ突き落とされる人間なのか。壮絶な緊張ですよ。
ミルトンはピューリタンでありながら言いました、
“たとえ地獄に堕されようと、
わたしはこのような神を尊敬することはできない。”
もちろんわたしも神に屈従など絶対にしませんよ。」


ぼくは言った、「わはは、
なんでまたそんな時代錯誤なこと言ってるんですか、
しかもちゃっかりミルトンの尻馬に乗っちゃって。
予定説は主権の問題ですよ、
宗教が”主権在神”であるのはあたりまえでしょ。
福音書を読めば、神があらかじめ定めていることは、
キリストを子にすることをはじめ、いっぱいある。
誰が天国へ行くか、地獄へ堕とされるかも、神の御心。
厳密な意味で予定説を採るかどうかは諸派に分かれるとはいえ、
誰もそんなことを問題になんてしなかった。
とうぜん16世紀にジャン・カルヴァンが、
ジュネーヴで”信仰にもとづく政府”を作るときも、
”神の主権”を示す重要要綱として予定説を声を大にして強調した。
これは立法的な目的であって、いわば、
伊藤博文が明治憲法をこしらえるとき天皇主権を採用したのと同じことですよ。」


ぼくは続けた、「対照的に17世紀のミルトンは発想が近代的で、
いわばキリスト教を従来の主権在神を否定し、
主権在民に読み替えるべく闘った。
ミルトンは、キリスト教をいわば
戦後の日本国憲法みたいなイメージに改革したい、
そこで予定説こそ人間の自由意志の否定、
この世の無秩序の源泉であると批判した。
なぜか? 
それはもちろん、国王に乗っとられて腐敗しきった英国国教会から、
信仰の秩序を取り戻すためですよ。
センセもご存じでしょ、
ミルトンにとってはすでに一世紀まえ
あの血も凍るようなヘンリー8世が英国国教会をでっちあげて、
ローマ教皇と手を切っています。
ミルトンにとってほんらい世界の秩序であるべき信仰が、
王様による王国経営の自分勝手な手段になりさがってしまって、
これがミルトンにとっては許せない。
時まさに印刷出版文化の黎明期、教会の入口は本屋さながら。
ミルトンは宗教政治のパンフレットもたくさん書いた。
なぜなら、いかに大衆の支持をとりつけるか、
それが宗教政治の勝敗を分けるから。
ミルトンはピューリタン革命において、
王様殺しをやってのけたクロムウェルを支持した。
しかも革命成功後の数年はクロムウェルの秘書。
すなわちミルトンは信仰において自由意志を重んじる共和制主義者であり、
その一点においては近代主義者ですが、
同時に正しい信仰の回復を希求していた。
ここにミルトンの17世紀人としての両義性があって。
しかも『失楽園』の出版は、
十年続いた革命政権がクロムウェルの死とともに瓦解した年。
かれが命賭けで支持した共和制は終焉、かれはすでに盲目。
ミルトンの絶望は察するにあまりあります。
どうぞ小野功生著『ミルトンと17世紀イギリスの言説圏』(彩流社2009年)を読んでくださいな。」


「准教授」は吐き捨てるように言った、
「あぁ、あの死者の書ね。あの人も気の毒な人でしたよ。
いくらスージーさんが博覧強記だからって、
知ってる知識をなんでもかんでも口にすればいいってもんじゃありませんよ。
もしもスージーさんが研究者だったなら、
あっというまに教授に嫌われて、
宗谷岬の短大の国際情報コミュニケーション学科かなんかに飛ばされてますよ。
いいですか、わたしはここで辛気臭い論文発表をしてるわけじゃなくて、
もっとスケールの大きな話をしてるんですよ。
見よ、21世紀の日本を、堂々たる悪の王国、
この地もまたミルトンの『失楽園』ではないか。
一言で言えばそういうことですよ。」


ぼくは言った、「で、センセは言いたいんだ、
“さらば希望よ! 希望とともに恐怖よさらばだ!
さらば悔恨よ! すべての善はわたしには失われてしまった。
悪よ、おまえがわたしの善となるのだ!”
わはは、わはは、わはははは。
『失楽園』を『デビルマン』の水準で読んでどうするんですか?
学者でしょ? ふつうに17世紀の英国に即して読みゃいいじゃないですか。
そもそもセンセは早稲田の准教授なんでしょ、英文科でこそないにせよ? 
年収1000万円越えなんでしょ? 満足すりゃいいじゃないですか。
なんでそんなに世の中に怨みを溜め込んでるんですか? 
よく犯罪を犯しませんね。」
かれは言った、「は、犯罪はコ、コスパが悪いですからね。」
銀縁眼鏡の下の、分厚い脂肪ののったまぶたの下の、
細い目が不気味である。


ぼくは言った、「あ、そっか、
センセは神を呪って悪魔になったのだけれど、
しかし他方でセンセご自慢のコスパ哲学が
センセの悪の実行(=犯罪)を抑止する。
結果センセはけっして犯罪を犯さず、
もっぱら皮肉とあてこすりと冷笑で他人の価値観を毀損してまわる、
順法闘争型の悪魔になったんだ! 
超おもしろい! 
でも、センセのそのコスパ哲学って、
なるべくカネをかけずに名店でうまいもん喰ってみんなに自慢したい。
なるべくカネをかけずにいろんな女とやりたい。
みんなに羨望されたい。ふんぞりかえって威張りたい。
そして、自分の安全を確保しながら、
嫉妬の対象をおもうぞんぶん攻撃したい。
それだけのことでしょ?
なんでまたそんなあつかましく卑しい心根を、
まるでそれがジェレミ・ベンサム流の功利主義哲学であるかのように
得意げに売り込んでるんですか!??」


「准教授」は声を荒げた、「カネ持ちぶるんじゃないよ、この偽善者! 
わがコスパ哲学をバカにするな!
ろくでなしの神を信じることができない理性ある人間ならば、
当然の考えですよ。
もしも百人に尋ねれば百人全員がわたしの方が正しく正直者で、
スージーさんの方が欺瞞的だと答えるでしょう。
だいたいね、スージーさんはいつも自己の無謬性を疑わず、
独善的で、自分が好きな特定の人たち以外へのおもいやりに欠けるんですよ。
17世紀のピューリタンたちがまさにスージーさんみたいな存在でしたよ。
かれらは自分たちだけが正しい、国王も社会もまちがっている、
その信念をもって社会のすべてを糾弾しつづけながら
どんどん過激化していって、
結果みんなからうとまれ、社会の周縁においやられていった。
コスパをバカにする奴はみんな偽善者、全員愚民です。
賢者のわたしは愚民どもにはけっして評価されません。
しかしたとえ世界中の愚民どもが口をそろえて
わたしのコスパ哲学をあざ笑おうとも、
賢者たるわたしはけっしてこれを手放しません、
なぜならこの受難に耐えることこそわが栄光ですから。」


あんた、ついさっきまでピューリタンのミルトンを信奉してたじゃないか、
舌の根も乾かないうちに・・・。
と、おもったけれど、ぼくはもうなにも言わなかった。
ぼくは寝覚めが悪くならないように、
「准教授」をヨイショしておくことにした。
「なにはともあれすごいじゃないですか、准教授、
ミシュラン片手に次から次へと有名店で食べ歩く、
しかも東京はもちろんのこと京都まで、
センセが食べ歩いた有名店は、夜空に輝く星の数♪」
お世辞に弱い「准教授」はとたんに肥えた頬をぐんにょりほころばせた、
「やめてくださいよスージーさん、
いくら一流好みのわたしとてさすがに夜空の星の数には及びませんよ。」


でもほんとはぼくはわかっていた、
実は「准教授」の食べ歩きは、
見かけの豪華さに比してそれほど幸福なものではなかった。
それはそうだろう、
飲食店にとってはある日突然ボロい身なりの肥えた男が現れ、
ぐんにょり笑顔のその脇でまねき猫みたいに右手をひらひらさせる。
こんな客が(あの査定のうるさい)京都の懐石で歓迎されるはずがない。
またレストランフレンチのようにシェフごとにスタイルが違っている世界を
いちいち解読し鑑賞するなんていうややこしい芸当、
「准教授」にできるわけがない。
メニューに「本日の魚のポワレ」と書いてあれば、
「そのポワレはどこ産ですか?」とサーヴィスに尋ねるような男である。
かれにとってグルメ遊びもまたしょせん人まねだった。


かれにしてみれば、きちんとカネを払っているのだから、
しかも肥えた顔の前で稲穂をふりふりして准教授アピールもしているのだから、
どんな名店であっても厚遇を受けてとうぜんだった。
しかし料亭のおかみからは陰で、あんなお人来ていらん、と言われ、
フレンチへ行けば柱の影の席へ通される。
それはそうだろう、名店にとっては、
みすぼらしい恰好でいくら「准教授」アピールをされても、
きちんとした身だしなみの上客のそばにはけっして案内できない。
ましてや美女客でもいようものなら、みすぼらしい風体の「准教授」の
ねっとり脂ぎった視線が彼女の体を舐めまわすのだ。
そもそも名店たるもの、
カネさえもらえばだれでも厚遇するというわけにはいかない。
客をちゃんと選ぶからこそ名店でありつづけられるのだ。
他方、いくら空気の読めない「准教授」とてさすがに気づく、
店のスタッフの接客態度もとおりいっぺん、
料理説明も心なしか(?)ぞんざいである。
かててくわえてかいま見える他の客への厚遇が
かれの怒りをめらめら燃えたたせる。
他の客にはちやほやできて、なぜわたしを歓待できぬ?
なにを理由にこのような不公平が平然と行使されるのか?
許せん! 断じて許せん!
「准教授」はその場ではなんとか屈辱に耐え、
しぶしぶ勘定を払いすごすご退散し、
帰宅後憤怒で目をらんらんと輝かせながらPCを開き、
食べログおよび早稲田関係者しか見ることのできないグルメサイトで、
その店に対して容赦なく筆誅を加える。
愚民の飲食店よ、敗北を知るが良い、地獄の業火に焼かれよ。
かれは自慢した、「もちろん食べログも効きます、
ブログと連動させればさらに。
しかし早稲田サイトに悪評書くことは、
卒業生を含め何十万人もの早稲田関係者への回状ですからね、
わたしが書いた悪評が
その店の存在そのものをまったき消滅にいたらしめたこともありましたよ。」


さて、「准教授」が(見栄でも虚栄心でもなく)
心底身を震わせるほど好きなもの、
新幹線について語ろう。
かれは全国の鉄道の駅名をすべて暗記し、
新幹線が鹿児島から青森まで開通したことをことのほかよろこんだ。
「いまや新幹線を使えば、鹿児島中央-新大阪間が4時間10分、
新大阪-東京間が2時間半、東京-新青森間が3時間、
なんと一日で鹿児島-青森間を走破できるんですよ。
スージーさんなんてE5系はやぶさなんて乗ったことないでしょ、
あのロングノーズの長い長い先頭、エメラルドグリーンに輝くボディ、
アルミニウム合金による中空トラス断面構造、
それでいてインテリアは穏やかで落ち着いたくつろぎの空間、
工学の最先端、世界の鉄道のなかのエリート中のエリート。
まさにわたしが乗るために生まれてきたような新幹線ですよ。」
そしてかれは新幹線でのひとり旅を肥えた顔をほころばせ話しはじめた。


ソファは快適、車内アナウンスも優雅で気品がある。
Welcome to the shinkansen.
その魔法の言葉を聞いた瞬間、
「准教授」はアニメ『銀河鉄道999』の鉄郎になる。
カネ持ちの機械化人どもは不死の身体を持ち、享楽に明け暮れ、
機械伯爵にいたっては機械馬に跨がり人間狩りを楽しみさえする。
新宿区戸塚町の「薄汚れた象牙の塔」そのものである。
(鉄郎の母は雪の降る夜、機械伯爵の餌食になって殺された。)
鉄郎は長い髪の美女メーテルから銀河鉄道パスをタダでもらって、
タダで機械の体がもらえる星をめざし、列車で旅をする。
どの星も格差に満ちているけれど、
しかし列車のなかはやすらぎにあふれている。
やがてアニメのなかの鉄郎は、機械化人を憎み否定しながらも、
自分もまた機械の身体(永遠の生命)を手に入れたい
とおもっているその矛盾に気づくのだけれど、
しかし鉄郎たる「准教授」にそんなやましさの意識などあるはずもない。
考えることはただ機械伯爵に復讐すること、それだけである。


新幹線はまちがっても、あんなお人、来ていらん、
なんて失礼なことは言わない、
あくまでもかれをジェントルマンとして遇してくれる。
その上その土地土地の選び抜かれた駅弁さえ運んできてくれるのだ。
「准教授」はぐんにょり笑顔のその横で
まねき猫みたいに右手をひらひらさせて、
キャスターを押す車内販売の女性から弁当を買い込む。
割り箸を歯で挟み右手を動かしパチンと割って、
口にくわえた一本を右手で取って、
左手のもう一本とこすり合わせささくれを落とす。
まずは「日光杉並木弁当」。円形の弁当箱の上段は、湯葉、
かんぴょうに小エビの唐揚げ、
下段は、シイタケと鶏の照り焼きを乗せた五目飯。
「准教授」は左手で下段の弁当箱を口もとまでもってゆき、
40度ほどの傾斜をつけ、
機関士が釜に石炭を放り込むように、
箸で五目飯をどかどか口に放り込む。
「准教授」の頬はぱんぱんにふくれあがり、
咀嚼運動とともに肥えた頬の上の銀縁眼鏡が上下する。
お次は福島駅、「祭弁当萬笑桃源、壱香味」。
伊達鶏ゆず味噌焼き、鶏そぼろ、錦糸卵をどかどか口に放り込む。
「准教授」はげっぷを漏らし、
持参のお茶をペットボトルからそのまま飲んでいるうちに、もう仙台駅。
ぐんにょり笑顔でズボンのベルトをゆるめ、
逸品「牡蠣づくしの、女将のおもてなし弁当」にとりかかる。
牡蠣飯と牡蠣とほうれん草の柚子味噌田楽と牡蠣のマリネで
頬はぱんぱんにふくれあがり、
咀嚼のリズムに合わせ銀縁眼鏡が上下し鼻歌がもれる、
もちろん『銀河鉄道999』の主題歌である。
この時間が永遠に続いてくれないものか、
しかし至福の時間は短い、新青森までたったの3時間である。
新青森へ到着すれば思案するのは帰りにどの駅弁からはじめるべきか、
「八戸小唄寿司」か「金魚ねぶた弁当」か「津軽の宿 女将弁当」か、
はたまた、美人すぎる八戸市議会議員・藤川優里女史監修の、
海鮮弁当「いちご煮日記」か。
「准教授」はちらりとも考えない、いまだに三陸の山田線、
大船渡線、気仙沼線の復興が、
まったく進んでいないことなどについては。


さて、ぼくと人妻が出会ったすっぽん食事会の夜の話をしよう。
それはまさに夜のはからいだった。
むかしから昼は理性に喩えられる、
すべての事物を明解にしそれぞれの事物を切り分けるから。
対照的に、夜は暗くせいぜい
月明かりが薄っすらと事物の形をほんのり照らすくらいで、
ましてや雲が月を隠したときや月のない夜などは、
事物の輪郭は闇のなかに溶け、
夜はなにもかもを通じあわせてしまう。
夜は、昼にはけっして出会わないようなおもいがけない者たち
が闇のなかで出会い、
だからこそ泥棒、恋人たち、詩人、芸術家は夜を愛し、
暗がりのなかで盗みも恋愛も作品も生まれ、
男と女は愛しあい、ときに女は体のなかに小さな命を宿しもする。
じっさい集まったのはなんともふしぎなとりあわせのメンバーだった。
喩えて言えば、「大木の根っこを龍に見立て、ニスを塗って、
プラスネジで龍の目をこしらえたもの」、
「中高年のいきいきウォーキング」、
「薔薇色の水晶でできた象のブローチ」、
「ハンドブック 地球温暖化問題の嘘を斬る」、
「ガーターベルトをつけた、酒癖の悪い観音様」が集まっていた。
公平のために言えばぼくは「浅草の洋食屋のウィンドウに飾られた、
インド国旗とフランス国旗が刺さった欧風カレーの蝋細工」。
ホストは両肩に巨大なコウモリの翼をつけた
「エースコックのこぶたのコックさん」、
すなわち「准教授」だった。
幹事こそわけのわからない存在とはいえ、
参加メンバーのひとりひとりは有用だったり魅力的でもあろう存在たちが、
しかし一堂に会したとたんに不可解な小宇宙を構成し、
みんなですっぽんを食べた。
お察しのとおりその後ぼくを翻弄することになる人妻は、
「ガーターベルトをつけた、酒癖の悪い観音様」であり、
すっぽん食事会の後ぼくと彼女は恋に落ちたのだった。


なお、ぼくと彼女が出会った後
「准教授」はあるあつかましい要求をとある飲食店に行い、
店のスタッフに笑って拒否されるやいなや、
激烈な自尊感情を暴走させ攻撃に出た。
これをきっかけにかれが(mixi、食べログ、ブログ、
そしてすべての飲食店で)
長年名乗りつづけている名前が偽名だったことが露見し、
かれが徹底的に隠し通してきた本名もみんなの知るところになった。
その肩書「早稲田大学准教授」も詐称だった。
せめてもの救いは、かれがことあるごとに繰り返す
「稲穂ひらひら」に(それなりには)根拠があったこと、
実はかれは早稲田大学社会科学部の非常勤講師で、
その他2つのFラン大学を含む4つの大学でも非常勤として
一般教養の英語を教えてきた。
「准教授」の学歴は早稲田の教育学部を出て、
英文学科・修士課程を2年のところを3年かけ、
中央大学英文科の博士課程に転じ、博士課程単位取得満期退学、
博士号は持ってない。
かれの亡くなった父親は生涯船舶関係の団体勤務だった。
噂では奥様はどこかの大学の教授で、
かれは給料のすべてを飲み喰いに使っているらしいものの、
ただし非常勤講師の薄給で贅沢三昧を気取るのだもの、
鬼気迫るものがあって当然だった。


ぼくは長年の謎が解け納得もしたが呆れもした、
「あんた、偽名使って肩書詐称してたのか。」
かれは必死に抗弁した。「こ、この名前でもちゃんと、ゆ、
郵便は、と、届きますよ。」
ぼくは言った、「要りませんよ、そんなボケ!
聞きましたよ、あんた、早稲田の学内で食事会の知り合いに、
おおはらセンセーって声かけられて、
街なかで源氏名で呼ばれた風俗嬢みたいに、
あわててすたこら逃げたそうじゃないか。」
ぼくも「ガーターベルトをつけた観音様」も呆れたもの、
「どうせそんなことだろうとおもっていたよ。」


そうか、かれは職業選択を誤った気の毒な男で、かつまた
大学という差別的システムによって抑圧され続けてきた男だったのか。
胸いっぱいの怒りと憎しみとともに、かれは運命への反逆に打って出た、
それが「早稲田大学准教授」という虚構を演じることだった。
それはかれにとって精一杯の「自由のための闘争」だった。
しかしみすぼらしい恰好と店への身勝手な要求が災いして、
いつしか楽しいはずの食べ歩きも、
店との血みどろの死闘になり果てている。
おまけにいまや友人たちのなかでかれは、
「自称早稲田大学准教授」と呼ばれからかわれるようにさえなった。
そう呼ばれるたびかれは、しつこいなぁ、と不機嫌になる。
もっとも、もしもかれがコスパ哲学(とやら)を信奉していなかったならば、
ミルトンの悪魔主義はむきだしになって、
結果、早稲田大学英文科教授会で
大量無差別殺人事件が起こっていたとしても、
なんのふしぎもなかったろう。


なんてわかりにくい男だろう、
魂と恰好ともの言いがあまりにも不釣り合いなのだ。
かれの魂の隠し切れない幼稚さじたいは
ぼくはけっして嫌いになれないけれど、
しかしこんなにも反社会的なのだもの、
恰好もまた黒眼鏡をかけ、全身黒づくめの服を着て、
『赤旗』を愛読し、趣味はホラー映画鑑賞、
好きな音楽家はマリリン・マンソン・・・というようにして、
なにを言うときも「糞ですよ」とか、
「FUCK!」とか言うようにすれば、
まわりの人たちも、かれの反社会的な魂をたやすく理解できるし、
かれもまた生きやすいだろうに。


人生ってなんだろう?
もしも機械伯爵を倒し母の仇を討った後の鉄郎ならばこう答えるだろう、
〈命は限りがあるからこそ意味がある、
その限られた時間をどう使うかで、人間の価値が決まる。〉
しかし「准教授」の場合は、
かれの幼稚なミルトン理解が真理の声をかき消すだろう。
現代においては悪魔の下っぱの弟子も食べログにレヴューを書く
平凡でときにいささかはた迷惑なただの小市民だ。
むろんここにこうしてそんな男の寓話を書いたぼく自身もまた、
文学の魔に毒された似た者同士ということにはなるだろう。
せめてどうか文字通り受け取って欲しい、
ぼくが書いたのは喜劇なんだ、けっして悲劇ではなく。
模型の新幹線は模型の都市と郊外をぐるぐる回りつづけている、
喜色満面の自称早稲田大学准教授を乗せて。


この話は『カウンターの隅の、1979 MICHELIN FRANCE。』
http://tabelog.com/tokyo/A1313/A131305/13047581/dtlrvwlst/3443683/
からはじまっていて、そして『春雨スープ、そしてブンカーとチャンの夢。』へ続きます。
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002524/dtlrvwlst/3535271/


ぼくと女友達とインド料理、ときどきフランス料理。
http://tabelog.com/rvwr/000436613//

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ジュリアス・スージー

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店舗情報(詳細)

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店舗基本情報

店名
閉店 スチームロコモティブ 有楽町店(Cafe&Bar STEAM LOCOMOTIVE)

このお店は現在閉店しております。店舗の掲載情報に関して

ジャンル カフェ、ダイニングバー
住所

東京都千代田区有楽町1-12-1 新有楽町ビル1F

交通手段

JR有楽町駅 徒歩1分 
東京メトロ有楽町線有楽町駅 徒歩1分

有楽町駅から139m

営業時間
  • ■営業時間
    [月~金]
    11:00~23:00(L.O.22:00) 
    [土]
    11:00~22:00(L.O.21:00)
    [日]
    11:00~20:00(L.O.19:00)

    ■定休日
    不定休

営業時間・定休日は変更となる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください。

予算(口コミ集計)
~¥999 ~¥999

利用金額分布を見る

支払い方法

カード可

(VISA、Master、JCB、AMEX、Diners)

席・設備

席数

40席

個室

貸切

(20人~50人可)

禁煙・喫煙

全席禁煙

駐車場

地下にビルの駐車場があります。

メニュー

ドリンク

日本酒あり、焼酎あり、ワインあり、カクテルにこだわる

特徴・関連情報

利用シーン

家族・子供と

こんな時によく使われます。

お子様連れ

子供可

オープン日

2011年7月15日

備考

全長20mの大型ジオラマを設置。
鉄道模型(Nゲージ)が繰り広げるミニチュアの世界を眺めながら食事ができる。
夜は照明を落として夜景モードに。
鉄道書籍の閲覧も自由。

※「スチームロコモティブ イオンモール幕張新都心店」のみ営業中
http://tabelog.com/chiba/A1201/A120102/12033279/

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