きのう西葛西のレカでランチをいただいていたら、
顔なじみのマダムがマダム仲間たちと近くのテーブルにいらした。
微笑みと会釈に続いて、彼女は言った、
「こちらの料理、おいしいですね、
最初はわたしもおっかなびっくり定食をいただいてみたけれど、
それからちょくちょく伺うようになって、
わたし、もう、メニューに載ってる料理はぜんぶ制覇しちゃって。
なんだかわたし、レカが大好きになって、
親戚の叔母様みたいな気持ちになっちゃって。」
ぼくは言った、「最初は、ぼくも、つぶれちゃうんじゃないかしら、って心配したものですよ、
いやね、ぼくはインド料理マニアですからレカ、大歓迎ですけれど、
でも、メニューにナンもタンドリーチキンもないでしょ、
たしかにレカは西インド家庭料理の店で、いずれも家庭料理じゃないですけど、
とはいえそれはお店の言い分で、客にとってはそんなこと知ったこっちゃないですものね、
じっさい東京にもメニューにナンもタンドリーチキンもない店が他にも何軒かはありますけれど、
人知れず苦労してるお店が多いですもん、
それをおもうと良かったですね、レカ、こんなにも現地な家庭料理を出していながら、
しかも店構えもヘボいのに、
けっこう評判もいいし、お客さんもけっこう入っていて。」
すると、もうひとりのマダムが言った、
「あら、タンドリーチキンって、家庭料理じゃなかったの!??
わたしね、家で、タンドリーチキン、焼くのよ、
鶏肉を、エバラ焼肉のタレとヨーグルトとカレー粉を混ぜたソースで炒めるの、フライパンで。
それ、家庭料理サイトでいちばん人気のメニューなの。」
ぼくは感心した、「あ、それ、超裏技の家庭料理版、
チキンソテーなんだけれど、ちょっとソース煮みたいなニュアンスもあって。
おっもしろいこと考える人いますね、たしかにセンスいいかも。
鶏肉をそのソースで3時間でもマリネしてから炒めると、いっそうおいしいでしょうね。
また、焼肉のタレの代わりに、豆板醤を使ってみるのもおもしろいかも。
カレー粉じゃなくて、クミンパウダー、コリアンダーパウダー、
チリペッパーパウダーを使ってみると、さらにいっそう。
もちろんオーヴンでローストすれば、いっそうそれっぽくなる。
いろいろ展開できそうですね。」
こうしてテーブルごしに、西葛西タンドリーチキン会議がはじまった。
あ店のタンドリーチキンは、なぜ赤いの?(色粉を使うから)。
お祭りのときのタンドリーチキンは緑だったわよ。
サンドウィッチ用のお肉みたいな、ぱさぱさのタンドリーチキン、多いわよね。
なるほど、インド料理好きは人それぞれ、
タンドリーチキンについて自分の意見があるもの。
もちろんぼくもまた。
ぼくはタンドリーチキンをちょっぴり気の毒におもう、
ニッポンのインド料理屋のタンドリーチキンのスタンダードは低い、
肉の等級は低く、あらかじめ焼いといて、注文が入ったらレンジでチンしてサーヴする、
これではインド料理好きであるにもかかわらず、
極上のタンドリーチキンに出会わないまま、一生を終えてしまう人が後をたたない。
最後にぼくが、想像しうる限り極上のタンドリーチキンについて論じた。
「理想的タンドリーチキンは、
鶏肉をヨーグルトベースにレッドペッパーやクミンパウダー、コリアンダーなどの
各種のスパイスを混ぜた真っ赤なマリネ液に数時間マリネして、
鉄串に刺して、炉に入れる、きっかけの温度は300度くらい、
ただし蓋の開け閉めで温度調節をする、
底には炭火が燃えていて、鉄串は炭火に当たっていて。
蓋を閉めれば、内部が炉になって、したがって肉は、
外側から炉の放射熱で、また内側の鉄心の熱からも加熱され、
焼きあがりがグラデーションになる。
しかも、最後の方でごく短時間、炉から出してアルミホイルで肉をくるむ。
仕上げに、ホイルを取って、ふたたび炉に入れ、エッジをちょっと焦がして、
メリハリをつける、欧米料理のグリルの要領で。
ですからタンドリーチキンは、たった5分で焼き上げるにもかかわらず、
3種の加熱法をもちいる実に高度な、名人芸、典型的なレストラン料理なんです。」
心優しいマダムたちは感心してくださる、ぼくのタンドリーチキン論に。
それにしても、男というものは、美女を前にすると、どうして物事を「論じて」しまうのだろう。
なんだかんだ言って、ぼくもまたつくづく男だよなぁ、とちょっぴり自分を恥じた。
ま、そんなことはともかく、ぼくはわかるような気がした、
西葛西レカが、インド料理マニアのみならず、マダムたちにも愛される理由が。
日本のマダムたちが、インドのマダムたるレカさんに、共感の気持ちが芽生えるのではないかしら。
少なくともぼくはそこに感じた、日印マダム同盟のようなささやかな友情を。