『鈴木其一 江戸琳派の旗手:《朝顔図屏風》.』コロコロさんの日記

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直島の途中ですが、サントリー美術館で開催されている「鈴木其一 江戸琳派の旗手」で、
「見どころトーク」が開催されたので、それに合わせて行ってきました。
最初の印象が鮮明なうちに、ちょっと記録しておこうと思います。


■琳派と其一
昨年が琳派400年。各地で開催された琳派展。
そこで知った琳派の私淑の系譜

そもそも私淑って何? から始まり、調べてみれば、
「そんなことは、アーティストは誰もがやってることでしょ・・・」
と思いながら、やっと時代背景とともに、その概要を理解しました。
その流れの後半に「酒井抱一」がいて、その弟子が「鈴木其一」
その程度の認識でした。

それ以前に、「琳派」を「淋派」だと思っていたので、
「淋病」の「淋」なんて、何でそんな名前、つけちゃったのかしら?
って思っていたわけです(笑)


そんなスタートの中で知った其一で、唯一、印象に残っていたのが、

「其一は、才能がありながらも、抱一の元では、おとなしくしていた
しかし亡きあとは、タガがはずれたように、自由奔放に自らの画業を全うさせた」

 「もうこの作品は琳派ではない。これはまさに西洋画の世界・・・・」
    ⇒ 《朴に尾長鳥図》(展示期間:10/5~10/30)

と細見美術館の館長さんが解説されたいくつかの作品を、
なるほど・・・・と思いながら眺めていたのが1年ほど前のことでした。

「抱一」「其一」・・・・ その名を初めて知り、
宗達ですらも、光琳ほど認識していませんでした。
そこから、スタートした琳派400年の一昨年。

1年前は、私の回りでも「琳派」なんて知っている人はいなかったのに・・・
この1年で、「抱一だ」「其一だ」なんて話題に上るようになり、
自らも語り出すという変化は、琳派400年効果のなせる技なのでしょう。


次第に解説の理解も深まっているのを感じます。
あまりにも知らな過ぎたため、何がわかっていないのかを
忘れないように記録しておこうと思って、
食べログ日記が、美術日記に変わったのも、琳派がきっかけでした。

1年たつと、言葉の背景にあることも、少しわかってきたので、
言葉どおりでない理解もできるようになっています。
昨年1年間、琳派を追いかけた成果は出ているようです(笑)


そして今年は サントリーに其一がやってくる!


それを知ったのは、年明けだったでしょうか?
サントリー美術館へは、ガレ展に3回、足を運びました。
その度に、いただいていた、鈴木其一展のフライヤーの朝顔の群れ。
他の美術館に行った時にも目にする朝顔のポスター。
すでに青い朝顔は、サブリミナル効果のように瞼に焼き付いていました。



■本物はいかに?
メトロポリタンからやってくるという《朝顔図屏風》を、
実物を見る前に何度も目にしています。
しかしこれは平面で、屏風を広げきった状態であること。

この絵が立体の屏風となった時にどんな姿を見せるのか?
そこに大きな期待を持っていました。

「見どころトーク」に参加する前に、まずはひと拝みしました。
というか、間違って3階から入ってしまい、いきなり朝顔とご対面してしまいました。

ガレの《蜻蛉盃》の時も同じ状態・・・・


真打、いきなり登場!


その迫力に圧倒されました。
やっぱり、平面が屏風になると、朝顔の空間構成は、こんなふうに変化するんだ・・・・

平面で見ていても、この朝顔の散らし方は、
緻密な計算によって配置されたようにも感じられました。
しかし、天賦の才能が、赴くままに描いたら
こういうものになってしまった・・・ そんなふうにも感じさせられ、
計算しつくして描いているのに、それをみじんも感じさせない・・・・
それが、其一の才能たるゆえんなのかなと。



■遠目で見てから近づくと
第三展示室に入ると、すぐ視界に《朝顔》をとらえました。
最初は、遠目のまま、しばし眺めていました。
そして次第に近づいていったのですが・・・・・
あるところをすぎると、朝顔のツルに、体が持って行かれる感覚になりました。
絵の中に引きずり込まれて、取り込まれてしまう感じがしたのです。

朝顔が浮かんでいる海、絵の中を泳ぐ・・・・ のではなく、
「泳がされている」感じです。

ほら、こっちこっち・・・  そして、次はこっちよ・・・と
揺れ動くツルに誘導されながら、自分の意志ではなく、
朝顔のツルに誘われて、絵の中を、縦横無尽に
水中浮遊しながら散歩させられている感じなのです。
あるいは宇宙遊泳させられているともいえるかも・・・・

自分が能動的に動いているわけではなく
どこをどう見るかは、朝顔のツルが導いてくれているような・・・・



■様々な表情の朝顔
こんな朝顔!?  へ~、こっちは、こんなふうに描いたんだ・・・
そしてこんなところに、隠してみたり・・・
実に様々な朝顔が、次々に顔を見せてくれます。

平面の印刷物の時には気づきませんでしたが、
立体構成の屏風の中に自分が入り込んで鑑賞すると、
その朝顔の表情、一つ一つが迫ってきます。
朝顔そのものも、大きいのです。
(15cmだそうです)

うつむき加減の朝顔もいれば、外に向かって、何か叫んでいるようなのもいるし、
同じように上をみていても、右に首をかしげていたり、左に傾いたり、
真横の側面を見せているのもいれば、花の裏側を見せているのも・・・

そして葉の陰に隠れているのもいますが、その隠れ方も違います。
頭隠して尻隠さず状態のもあれば、花びらの端をちょっとだけよ・・・って見せたり、
中心の白い部分を口を開けたように広げて見せていたり。
実は、私、こんなに大きいの・・・と、他の朝顔の大きさよりも、
かなり巨大であることをちょろ見せしてたり・・・・・

遠くから見ている時は、屏風の画面全体の散らし方の妙に、息をのみましたが、
近くで観ると今度は、朝顔が思い思いの自由奔放さで遊んでいる様子が、
実に楽し気です。

まるで幼稚園児が、自分の興味の赴くままに、自由きままに、
あっちこっちに、遊び回っているようです。
園児たちを奔放に好きなように遊ばせながらも、
先生はちゃんと、それぞれの行動は見ていて、園児の動きは手中に納め、
手綱を引いている・・・・そんなふうに見えるのでした。

自由に放っているのですが、蔓でつながっていて統率がとれている・・・・



■顔色の表情が豊か
そして、それぞれの顔色を見ると、これまた個性的
様々な青を使って、一人一人の個性を出しています。

この花色の青は何を使っているのでしょうか?  
朝顔の顔の表情も違いましたが、顔色までも、
いく種類かのパターンで描き分けられているのです。

妙に青ざめているのもいれば、透明感があって透き通るような青で、
どこか白っぽく光っていたり・・・・
青のトーンも、何種類かに描き分けられています。

いったいここにはいくつの朝顔があるのか・・・・
  (150だそうです)
そして、何種類の表情に分けて描かれているのでしょうか?
これらの朝顔の種類を何パターンかに分類してみたくなります。
分けられたパターンの朝顔どんなふうに配置されているのかを
確認してみたい衝動に駆られました。

さらには、朝顔の白い星のような部分(曜)も、違う表情を持っています。
花向きによって描き方の方向も違うのですが、白の使い方も違うのです。
もしかしたら、ここに描かれた朝顔、2つと同じものがなかったりして?!



■葉の葉脈は・・・・
葉には、金で葉脈が描かれています。
ちょっと待てよ・・・・これ、もしかしたら、描いたのではなく、
下地の金を生かして、塗り残しているとか?

と思ったのですが、そうではなかったようです。

一つ一つの葉脈を確認したのですが、
先端の細さ、そのぶれのなさを見たら、
さすがに描き残して、このラインを描くのは無理だと思いました。


抱一が隈取で描いた睡蓮の軸《白睡蓮》や、
山種美術館で、外隈の技法を使った描いた抱一の月を見ていたので、
ひょっとしてひょっとしたら・・・・という期待をしてしまいました。

葉脈を描き足すのではなく、描き残す・・・
そんな描き方でこの絵を仕上げたとしたら、
それは、気の遠くなるような作業。

しかし、其一ならそんな芸当さえもしてしまうかも・・・・という期待。
絵描き残しであってほしい・・・・という気持ちで見ていると、
葉脈が凹んでるように、見えてしまうから不思議です。

次回、双眼鏡で拡大して、葉脈が膨らんでいるかどうかを確認してきます。



想像をはるかに超えてしまった《朝顔図屏風》に当てられて
呆然としながら見ていたら、「見どころトーク」の時間が近づきました。
会場にも、案内のアナウンスが入り6階のホールに移動しました。


つぼみもいくつも描かれています。
こちらもきっと、いろいろな描き分けをしていそうな気がするのですが、
その違いまで認識する時間がありませんでした。



■見どころトークにて《朝顔図屏風》について
花菖蒲や朝顔などの園芸ブームの影響で朝顔を題材にしたものと考えられるとのこと。
其一自身も、園芸が好きであったことが伺われ
書簡になでしこの根分けについてのことなどが記されていると言います。

朝顔の青は、膠を少なくしたため、粒子が乱反射し、
葉の緑は緑青で、葉の葉脈を金泥で描かれていることがわかりました。

光琳の燕子花は平板ですが、其一の青は濃淡が見られ
胡粉も使われている。
構図は風神雷神を思わせ、左右からせめぎ合っているとのこと。



朝顔はあの園芸ブームの影響があったということなんだ・・・
朝顔の青は、プルシアンブルーなのかしら?
と思っていたのですが、膠を少なくしたということは岩絵の具ということ?

青の表情がとても豊か・・・・とは思いましたが、
それは膠の量を調整することで、粒子を露わにして乱反射
おこさせていたとは・・・・・

モネ展では、油絵の具の重ね方で乱反射をおこし、
当てる光の方向で、見え方をコントロールしていることに気づきましたが、
  ⇒○モネ展:(4)2つの《睡蓮》 「赤く染まる深淵な池」&「画面に浮かぶ睡蓮」
                           (2015/12/12)

其一は、岩絵の具の粒子を浮かびあがらせることで、青の発色の違いをおこさせていたわけね。

光琳の燕子花は、べったりした感じがした記憶があります。
着物を染める時のように、同じパターンを用いて
繰り返しの連続表現をしていました。
でも、其一は、これだけの朝顔を一つ一つを描いたのだと思われます。
そして、一つ一つの青に表情がある・・・・初見でもそれはわかりました。


■光琳を超えた其一
其一、光琳、超えちゃったかも(笑)
光琳の《燕子花図屏風》昨年、根津美術館で見ましたが、その時、どんなこと感じていたのか、日記を振り返ってみても《紅白梅図屏風》のことしか触れていません。みんながすごいって言うから、確かにすごいのだろけど、正直イマイチ、よくわからないと思っていました。

光琳《燕子花図屏風》の影響が言われますが、「金」「青」「緑」の色だけを拝借してとりあえずオマージュしましたという私淑の形だけは整えた・・・でも最初から光琳、抱一を超えるつもりで描いた。

光琳さんを、確実に超えてます。師匠の抱一、そして光琳へのオマージュ―と言われているようですが、その上を行ってると思います。
(その後、猪子さんも、確実に光琳ごえを最初から狙っている・・・と言われているのを見ました。)


胡粉が使われていると解説がありました。
それはわかりませんでした。
もう一度、あとでよく見てみることに・・・・


構図は風神雷神を思わせ、左右からせめぎ合っているとのこと。
風神雷神の構図を彷彿とさせるという話は、
見る前に耳にしてしまったので、そのように見ようと思えば見えるかな?
という感じ・・・・


マティスの《ダンス》 に通じる構図だというお話もありました。
確かに踊っているようでもあります。

《朝顔図屏風》は、水中や宇宙を感じさせ、
そこに音楽や、舞の世界観も込められている壮大な屏風・・・・・


左右からせめぎ合っていると言われましたが、
右隻の先端は、外に向かって解放されていると感じていました。
そのため、せめぎあっているのかなぁ・・・・・と思いました。

確かに右隻の端から近づいていくと
どんどん中央へすいこまれるように引き込まれていった感じがあり、
せめぎあっているといると言えば、そのようにも感じられます。

というよりは、近くで見ると左隻とのせめぎ合いはわからず
中心に向かってひきづり込まれる感じ。
せめぎ合いは、遠景で見た時の印象なのだと思いました。


以上が、なんの先入観を持たずに《朝顔図屏風》を見た印象を、
レクチャーで伺った話と照らし合わせてみた感想です。




■レクチャーを受けたあと再度鑑賞

◆白く光る朝顔
胡粉が使われているというので、どこなのかと探してみました。
すると屏風の右隻、右端から3扇目の中央部の凸部のあたりが、
薄ぼんやりと光っています。

白く透き通るような青い朝顔があることは認識していたのですが、
スポットライトでも当てているのかしら
というような光り方で、それが一帯にかたまっているようだったので、
光源を確認しました。
しかしそこに集中して(強い)光をあてているようには見えませんでした。
(そう見えないように、あてている可能性もありますが)

全体を見ると、ところどころに、同様に
朝顔の白い部分が光を放っているように輝いて見える部分がありました。
それは、屏風の凸部のあたりの朝顔を、そのように描いているようです。
立体のでっぱり部分の朝顔の中央を白くして光を集め(あるいは強く反射して?)
屏風の立体感を利用しながら、奥行き感を加えているように見えました。

また、胡粉については、左隻の朝顔に認められ、
朝顔の中心の白い部分に使われているようでした。
胡粉の使われ方については、再度、よく確認してみようと思います。



◆外に向かうラッパ型の朝顔
そして横向きのラッパ型の朝顔は、朝顔のツルの端の方に配されおり、
外方向への広がりを感じさせれます。
この部分的に外むきの朝顔が、外側に配されていることに気づいていたため、
構図が左右から内側にせめぎあっていると言われても、
そうかなぁ・・・・ 外に向かってると思うけど・・・
と思ってしまったのでした。


◆ツルの先端と宇宙
改めてツルの動きを追っていくと、ツルの先端が薄い緑となって消失しています。

これ、若冲の《池辺群虫図》のヒョウタンのツルの描き方に似ていると思いました。

  ⇒○若冲展:③「池辺群虫図」 何が描かれている? (2016/05/03)

瓢箪のツルの先端がフェードアウトするのと同じように、
朝顔のツルも、先端がフェードアウトしていて、
そこに宇宙のようなものを感じさせられます
最初は、水の中を浮遊していた気がしていたけど、ここは宇宙空間? みたいな・・・

これまで鑑賞によって、宇宙を感じさせられる時というのは、
その前段階があって、「自然の摂理」「輪廻転生」があって
その先に「宇宙」の存在を感じるというステップを踏んでいました。

ところが、其一の朝顔は、最初から宇宙遊泳しているようで、
宇宙空間に放り込まれた感じがしました。
「輪廻転生」は感じられませんでした。
ただ、このツルの放たれ方は、「自然の摂理」によるものではないか
ということは感じました。



◆青い朝顔の正体
朝顔の園芸ブームの影響により、この朝顔の絵の関連を言われているようです。
しかし、私はこの朝顔を見てまず思い浮かべていたのは、
いわゆる鉢仕立ての朝顔ではなく、
ヘブンリーブルー(⇒写真)という品種名で、夏の終わりから秋、初冬にかけて咲くため、
「えっ?今頃、朝顔がどうして? これ何?」という話題になる西洋朝顔
一般的な朝顔と違い、ツル状に繁茂し、朝顔のようで朝顔ではない花があります。

其一は、この朝顔のような種類の花を描いたのでは? と思っていました。
非常に繁殖力が強い特徴を持ち、壁を覆う性質を持っています。
この植物が持つ勢い、生命力を生き物がうごめいているように描きながら
その繁殖力の中にある規則性、成長の法則を捉えて描いていたのではと。
しかし、この時代にこの西洋朝顔が存在していたのか。
あるいは、何か文献を通して見ることができたのか・・・・

江戸時代の園芸ブーム、朝顔ブームの時の朝顔はこんな感じです。

   ⇒朝顔三十六花撰


ヘブンリーブルーは、ヒルガオ科 イポメア属の植物で多花性のツル性植物
浜辺に咲いているツル状態のヒルガオと同じ仲間でしょうか?
いわゆるアサガオはIpomoea nil 西洋朝顔はIpomoea tricolor
朝顔のようでいて朝顔ではないと言われているものです。

「朝顔三十六花撰」に見るような朝顔栽培のブームから、
このように繁茂する朝顔の姿まで想像して描けるものなのでしょうか・・・・
それが、其一の才能ということなのかもしれませんが・・・・



■ツルの規則性
若冲のツルを見た時にも触れているのですが、
生命の螺旋というのは、数学的な法則があると言われています。
植物の葉の付き方や、音楽自然界の音などにも存在し、
それらは数式で表せる
という話を、神津カンナさんだったか、神津善行さん主宰の音楽会で
聞いたことがあります。

それと同じようなものなのでしょうか?
自然界にフラクタル構造 (⇒イメ―ジ画像)と言われるものがあります。
図形の部分と全体が自己相似になっているものとされていますが・・・

wiki pedhiaより
近似的なフラクタルな図形は、自然界のあらゆる場面で出現されるとされ、
自然科学の新たなアプローチ手法となりました。
逆に、コンピュータグラフィックスにおける地形や植生などの
自然物形状の自動生成のアルゴリズムとして用いられることも多い。
また、自然界で多くみられる一見不規則な変動(カオス)
グラフにプロットするとそのグラフはフラクタルな性質を示すことが知られ、
カオスアトラクターと呼ばれます。

というように、其一は、なんらかの書物から、この西洋朝顔を知り、
そこに存在するフタクタル構造を見抜いて、屏風絵にした。
と考えられるのではないかというのが私の推察です。


朝顔の花、葉の付き方から、パターンを見抜
ツルの動きにも、自然の中の法則を見出し、
それらを幾何学的なリズムとして、画面に散らした?
朝顔は水中を舞うようでもあり、宇宙を遊泳をしているようでもあり、
見る側も同じように浮遊させられます。
そこかから奏でられている自然の法則による音楽、音を聞き、
踊り舞う朝顔の姿は、動物のような生き物のようにも見える・・・


草花の中に小宇宙が存在すると言われるように、
重力から解放された上下の感覚のない世界。
そんな空間に見るものも引きずり込んで、無重力状態を体感させられる。
そんな印象を受けていたのでした。



■撫子の根分け
「発巳(きし)西遊日記」の中に撫子の根分けの下りがあり、
現代語訳が併記されていました。
ーーーーーーーーー
パトロンに撫子の株分けの件として、後にてみつけることができましたがもはや間に合いませんでしたので、切ってさしあげます。ただ今は、根分けしづらいので、来春に芽が吹いたら根分けして差し上げます。撫子は節のところで切って水に挿せば根がよくつくそうですが、この節はいかがでしょうか?鉢の水が切れないように生けてお慰みまでにご覧下さい。根から生えたら鉢より地面い移してください。
ーーーーーーーー

植物を育てるプロは、繁殖の際にどの芽が、どの個体が
定着しやすいかを判断して選択しているのを見たことがあります。
この節はいかがでしょうか? という言葉の中に、
其一は、単なる愛好家ではない、プロの目線で植物を育て、
どの節が定着しやすいかを見極める目で見ていたことが伺えます。
また、株分けの適した時期や、挿し木をする場合、
どの部分をカットしたら、発根しやすいか、その後の管理方法など、
植物栽培の基本的なことを、会得していたこともうかがえます。
となると、ツル性の朝顔のフラクタル構造を見抜いていたとうことも、
充分ありえる気がしてきました。



■左右斜めから見る
この《朝顔図屏風》が平面でなく、屏風になった時、
どういう図柄が現れるのか・・・・・
さらに左右斜め45度ぐらいの位置から見ると、
そこにはどんな絵が描かれているのか・・・・


思ったとおり、お見事としかいいようがありませんでした。
右斜め45度から、次第に屏風に近寄り、最終的に

 左隻の 六扇、四扇、二扇
 右隻の 六扇、四扇、二扇

上記の扇だけが目に入る位置から見ます。
そこには新たな朝顔の絵が浮かびあがり
それはそれは見事な連なりが現れました。

そして、今度は逆の左斜め45度の角度から・・・・

若干、右隻の連なりに途切れが見られますが、完璧に近い構成。
右から見た構図の方が、より完璧です。
そんな構成からも、どれだけの緻密な画面構成が行われているかを、
伺い知ることができます。


フライヤーを折り曲げて屏風状態にすると
その雰囲気をつかむことができます。


そして葉についても、一つ一つを確認して見ると・・・・
輪郭の描き方、翻った葉・・・・
蕾は・・・・・  蕾はあまりパターンがないようでした。

最後に、音声ガイドを聞きてみました。



◆音声ガイドより
金地にめまいのしそうほどのおびただしい数の朝顔。
生き物がのたうつように左右の屏風で描写が対峙する迫力。

色は「金地」と「青」と「緑」だけ
尾形光琳の燕子花図屏風を彷彿とさせます。

光琳の《燕子花図屏風》は、伊勢物語の八橋の文学的イメージを土台。
其一の《朝顔図屏風》は、園芸趣味、朝顔の栽培ブームを背景としていると考えられる

花は正面だけでなく、裏やつぼみ、ふくらみかけた種が見られる。
実際に朝顔を栽培していたのか熟知していたことが伺われます。

朝顔は竿や垣根に蔓をからませるが、支えるもの一切ありません。
朝顔が空中を浮遊しているように見え、
外から内にツルが伸びるような方向性は、
《風神雷神図屏風》の構図を思い起こさせる。

光琳の燕子花図屏風になぞらえながらがら、
当世風のモチーフと鋭敏な造形感覚、色彩感覚によって他に類を見ない朝顔図。
大画面屏風は異才を放つ美を極めた傑作。



結構、細かく見たつもりでいましたが、
「膨らみかけた種」には気づきませんでした。
次回のお楽しみです。



【関連情報】
■江戸時代の朝顔ブーム
1804~1860年
  江戸に朝顔栽培のブーム。
  変化朝顔と言われる品種改良された、八重咲きや大輪の花に夢中に。

1844~1845年頃 『朝顔図屏風』 (其一 40代後半頃)

1854年  『朝顔三十六花撰』出版。 
1856年   メンデルの法則発表

当時の変化朝顔の品種改良は、経験則によって
メンデルの法則に基づき行われていました。
日本人は世界的発見ともいえるメンデルの法則が発表される前に、
すでにそれを知っており、取り入れていたのでした。
江戸時代の日本人が、西洋に学ぶ一方で、自らの知恵で
西洋に劣らない「知」を導き出していました。

イギリスの植物学者ロバート・フォーチュンの言葉が印象的です。
「江戸時代には、大名から町民まで幅広い階層の人びとが身分の垣根を越え、草花の栽培に喜びを見いだしていたという。鉢植えの草花を持ち寄り、その美しさや珍しさを競った園芸文化も開花しており、「日本人のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ」

(これによって、万博で人間動物園の展示対象と考えられていた日本人が、
 これだけ花を愛する日本人は知的であると判断され免れたという話があるほど)

ちなみに、浮世絵に見る朝顔市(⇒参考)や、
天秤棒にかついで売られていた朝顔売りの様子です。(⇒ここ
江戸時代の朝顔は、このようなかたちで生活と結びついていました。
そこから、あの《朝顔図屏風》に発展させることができるものなのか・・・
それが、其一のイマジネーションのすばらしさなのか頭の中を見てみたいです。

江戸時代の朝顔栽培、あの繊細な朝顔が
大胆な構図の屏風となりうるものなのか・・・
何らかの資料に触れて西洋朝顔を知り、
そこから植物の性質を読みとり、あのデザインになったのでは?
はたまた、その時代にプラントハンターと言われる人たちが
日本にやってきていたので、西洋の朝顔が持ち込まれていたとか?

この写真(⇒ヘブンリーブルー)の爆発的、破壊的な繁殖力を見た時に、
ひょっとしたら、当時の日本のどこかにも、
根付いていたのではないかと想像がされました。

ヘブンリーブルーは園芸品種のようなので、いつ頃、登録されたのか。
(タキイで登録されているようで、最近のようです)
原種はいつ頃、発見され、その後、どのように広がった植物なのか。
そんなことがわかれば、もしかしたら江戸時代の日本にも
存在していたということもありうるかも・・・・

ところが、西洋朝顔の葉は、サトイモのようなハート型であることが
大きな違いだということがわかりました。

其一の屏風の朝顔は、西洋朝顔に違いないと、個人的に確信をしていたのですが、
描かれた葉の形は、サトイモ型の葉ではありませんでした。
やっぱり、西洋朝顔ではないのでしょうか・・・・

しかし旅に出てスケッチ旅行を西遊記を残した其一です。
どこかで西洋朝顔が繁茂しているの目にしていた可能性も捨てきれません。
一年草扱いですが、西日本では宿根化するとありました。
(江戸時代と今の気候は、違いますが・・・)
其一は、西日本を(江戸から京阪、姫路を経由して九州)旅していました。

あの繁殖力ですから、西日本のどこかでそれを見ていたからこその、
あの屏風の生命力であり、力強さではないかと思うのです。
実際にみた驚愕が、朝顔屏風に乗り移っている気がするのです。

私が初めてヘブンリーブルーを見た時の驚き。
そして、今、改めて画像検索で見る繁殖力の強さの驚愕。
それと同じような驚きが、あの屏風からは感じられるのでした。

朝顔というのは、もしかしたら桜と同じくらい
日本人の心のDNAに組み込まれた植物なのかもしれません。
小学校に入学した最初に、育てて観察する植物が朝顔です。
そういえば、私の中学1年の自由研究も朝顔だったのでした(笑)

(ちなみにこの自由研究、校内で金賞受賞したことがちょっとした自慢(笑) 
 しかし、数十年時を経て、変化朝顔の第一人者と言われている
 九州大学の仁田坂先生の小学生時代の朝顔研究ノートを見る機会がありました。
 小学生にして変化朝顔を栽培し、遺伝についての知識を持ち、
 新たな品種を作りだそうとしているスーパー小学生。
 そんな記録を見たら、校内の金賞なんていかに井の中の蛙であるかを知りました・・・・(笑)

 何が言いたいかというと、こうしたスーパー観察眼を持つ人というのは、
 幼少のころから才能を発揮しているもので、
 世の中になにがしかの実績を残していくもの。
 其一も、早くから抱一に学び、様々なものを見て、見聞を広げてきた人。
 だからこういう作品が描けて、時代を超え、国境超えて、
 人々の心に訴えかけるのだと・・・・ )



■1796-1858 鈴木其一
1796年 「紺屋(紫染め)の息子として生まれる。
     瑠璃色の朝顔は、出自と関係していたと考えられる。
1814年  18才  サムライ絵師・酒井抱一に弟子入り 
     その後、抱一の家臣となる。
     初めは師・抱一の画風に忠実であったが・・・
1828年 抱一没
1833年 江戸をあとにし古い社寺を訪れ書画。
    30代半ば 強烈な個性を発揮。
    絵画修行の旅が転機 (江戸から京阪、姫路を経て九州へ10ヶ月)



■《朝顔図屏風》の色について
鈴木其一の「朝顔図屏風」

じじぃの「人より

朝顔の青からは銅が検出。
鉱物を砕いて作った『岩絵の具』が使われている。

石などを細かく砕いた粉末の顔料(群青)。
数ある色の中でも青は特に高価。
江戸時代、たった60gで米一俵が買えたといわれる。

絵の具の使い方にも特別な工夫があるのではと推測。
特殊な顕微鏡で絵の表面を170倍に拡大。
砂利道のような粗い粒子で表面が覆われている。
塗られている絵の具は硬い鉱物なのに、布地のように柔らかく見える。
絵の具の粒子を金箔の地に定着させる膠(ニカワ)の量を少なくしている。

光は表面のニカワに反射、其一の朝顔の青い絵の具にはニカワの量が少なく
そのため直接粒子に光が当たって乱反射し、ベルベットのようにマットに見える。

  ⇒○鈴木其一 江戸琳派の旗手:《朝顔図屏風》を読み解くための関連資料

  ⇒○鈴木其一 江戸琳派の旗手:《朝顔図屏風》2回目の感想
  
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