『浮世絵 六大絵師の競演:②ブロガー内覧会 《阿波鳴門之風景》の遠近表現』コロコロさんの日記

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【2016.9.10記】
浮世絵 六大絵師の競演:ブロガー内覧会 プロローグ 藤澤紫先生 登場! の続きです。

内覧会の開始に先立って、受付をすませたら
館内では見学、ならびに写真撮影をすることができました。
ところが、非常事態(?)発生。
カメラの充電切れになりそうなのです。
それに備え、予備充電も持参していたのですが、
頼りの予備電源が、充電いっぱいになる前に切れてしまったのでした。

開催前の鑑賞で、人のいないところで気になる浮世絵の撮影したかったのですが、
ここは、解説を聞いて、ポイントを把握してからにしないと、
もっと大事な写真が撮影できなくなる可能性があります。

また、全体を通して見渡して自分でも、何かテーマを一つみつけた上で
撮影したいと思ったので、下見に徹することにしました。


  そして、今回のテーマ、決まりました
        「浮世絵の雨の表現」に迫る!   デス


そのあとの藤澤紫先生の解説でも、「雨」表現について解説がありました。
なかなかよい目のつけどころだったようでうです(笑)

レクチャーが終わり、さっそく雨の浮世絵を撮影しようと作品の前に行きました。
するとみなさんが集中していて、その作品の撮影をパシャ、パシャ・・・・

  う~ん・・・  レポートの内容、かぶりそう  (笑) 

と思いながら、ひととおり鑑賞してロビーに移動。
お菓子をいただきながら、藤澤先生によるスライドレクチャーを受けました。

その〆で「この一枚をみつけて下さい」とのお言葉がありました。
雨の表現については、いろいろな人がとりあげそう・・・・
他に何かないかなぁ・・・・と思いながら、再度、見直していました。



■新たなこの一枚は・・・
そこで、候補に挙がったのは「鳴門」でした。
鳴門の渦潮を描いた絵は、山種美術館所有の土牛の作品や、
院展でも見てきました。

  ⇒②奥村土牛展:《鳴門》「抽象的」に描かれた渦潮 写実的にも見える?(2016/04/05)


日本各地の絵画に描かれた名所を訪れる旅をしてみよう。
美術鑑賞をはじめてから、「描かれた場所を訪れてみる」
そんなことを、一つのライフワークにしていきたいな。
と思うようになりました。
鳴門はいつか行きたい! と思っていた場所です。

この夏の旅行の候補の一つに挙がっていた場所でもあったのですが、
今年は瀬戸内芸術祭になりました。
でも、そのうち・・・・という思いがあるので、
今回の浮世絵展の「この一枚」は「鳴門」に決定!


  歌川広重(初代) 「阿波鳴門之風景 (雪月花之内 花)


事前に見ていた時には気づかなかったのですが、
この絵は、左右方向に、透視遠近法が使われているという解説を目にしました。
これ、いただき! です。



■浮世絵の遠近法
江戸時代、浮世絵における遠近法の表現について、
数年前から、気になっていました。

日本の遠近法は、西洋を参考にして広がったのか
それとも、日本独自の技法として発達したものなのか

このような絵画の表現技法というのは、日本でも自然発生的に起こり、
どこが発端ということでなく、日本にも飛び火して生まれることも
あるのではないかと思っていました。
日本人が考え出した手法だったとしてもおかしくはないはず。

それは、絵画におけるオリジナル性の問題でもあって、
兼ねてから気になっていたことでした。


  【関連】⑤改めて、着眼点にこだわる理由 (2015/11/16)


日本の浮世絵が海外で、ゴッホやモネに模写されていました。
それを初めて知った時は、日本人としてのプライドをくすぐられました。

一方、日本の浮世絵も、西洋で広まっていた遠近法が取り入れられています。
それは、西洋の手法を何かで見て、参考にしたものなのか、
それとも、日本人が独自の発想で、その手法にたどりついた構図だったのか・・・

その時代に、西洋の遠近法という手法に触れる機会があったのか・・・・
そう考えると、日本人が独自に考えたということも、
ありえるのではないか・・・と思っていたのでした。
もし、それが確認できたら、日本人って、やっぱりすごいよね・・・
と、我々の祖先が持っている能力に賛辞を送り、
そして、今の私たちにもその血が流れているのだと自画自賛できます(笑)

そんな希望的観測を抱いていたので、実際のところはどうだったのか、
確認したいと思っていたのでした。



■葛飾北斎は遠近法を学んでいた
葛飾北斎の浮世絵にも、遠近法が用いられております。
そして、その遠近法は、司馬江漢の洋画から学んでいたらしいことは、
上野の森美術館で行われた「ボストン美術館浮世絵名品展 北斎」
確認することができました。

  ○ボストン美術館浮世絵名品展 北斎(上野の森美術館) (2015/01/04)


そして、藤澤先生のレクチャーの中で、

「北斎の《神奈川沖浪裏》が、海外で人気があるのは、
 西洋的な遠近法が用いられているため、なじみやすいから」

というお話しがありました。

私は《神奈川沖浪裏》の遠近法は、西洋的なものでなく
日本的な遠近法ととらえていました。
手前に大きなものを置くことで、奥行き感を出す・・・・


レクチャーの最後に、藤澤先生は、
「私も、下におりますので、何かご質問などがありましたら、お声をかけて下さい」
と言われていました。
ギャラリートークなどに参加して感じていたのですが、
この一言が、加えられると、印象がグンとアップします。
説明をしていただけるのはありがたいのですが、
説明をしたら、さっさと学芸員さんが逃げるようにひっこんでしまうところや、
解説しただけ終わってしまうところもあり、消化不良になります。

展示室で館長とお話しになられている先生の元に、質問に行きました。

すると、「絵を見ながらお話しをしましょう・・・・」
とわざわざ場所を移動してくださり、解説をしていただきました。



■日本の遠近法と西洋の遠近法
「北斎の《神奈川沖浪裏》の遠近法は日本的な遠近表現なのかと思っていたのですが、
 西洋的なのですか?」という質問に対して、
中国から入ってきた「眼鏡橋」という表現について言及され、
調べればわかるとのことでしたので、調べてみたのですが、
「眼鏡橋」という方法はなく、「眼鏡絵」の聞き間違いだったみたいです。


眼鏡絵の視点についてという論文がみつかりました。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
のぞき眼鏡とは、西洋から伝わった遠近法を用いた絵を、
凸レンズをはめ込んだのぞき穴から見る装置である。
こののぞき眼鏡を使って絵を見ると、鑑賞者がまるで絵の中に入り込んだかのような錯覚に陥り、あたかも三次元の世界のような奥行き感が得られるらしい。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

つまり、《神奈川沖浪裏》のおそいかかるような波は、
のぞき穴から見る装置となって、見る者が絵の中に入り込んだ錯覚を
おこしているということなのだと理解しました。

中国に見られるとのことで、やはりなにがしかを参考にして
描かれていたことがわかりました。



■遠近法や黄金比も、江戸中期に
遠近法は、1700年代後半からすでに日本に入っていたとのこと。
さらには、ダヴィンチの空気遠近法、ならびに、
「黄金比」ということについても、
日本に入ってきていたことが、先生のお話しにより判明しました。

(パネルの解説に空気遠近法で描かれていたことを
 あとで写真を見て気づきました)

よく、北斎の《神奈川沖浪裏》の解釈で、いろいろなガイド線が
加えられた図を目にしていました。

  ⇒北斎の構図 (日本と西洋の絵画から 北斎とモネ より)

正直なところ、これらのガイド線はナンセンスだと思っていました。
あの時代に、こんなガイド線で構図を考えながら北斎は描いてないでしょ。
この時代に、コンパスなんてあったのだろうか・・・
それに、和紙の判型も統一されていなれば、これらの構図も成り立たなくなります。
浮世絵の和紙のサイズは、規格物だったのか・・・・
などと考えながら、これらの解析は、研究者の自己満足だと思っていたのでした(笑)

ただ、描いたものが結果として、そういう構図になっていたということは、
あるのではないかとは思ったのですが・・・・

(その後、和紙の判型については、厳密な規格あったこと、
 そして、和紙を漉いたあとのカット技術も、
 高度な技術があったことがわかりました。
 直角をだし、同じサイズの紙を切り出していく再現性。
 彫師、摺師だけでなく、和紙を作る職人の技術もあいまって、
 仕上げられていた技の総結集したものだったことが、
 アダチ版画のデモンストレーションの時にお話しを伺い確認ができました。
 多色刷りの裏に、紙の規格統一も必須だったのでした。)



■空気遠近法も知っていた!
レオナルドダ・ヴィンチの空気遠近法日本人は知っていた
近代の日本画でもこの手法を目にしましたが、
それが、西洋の技術だったのか、日本独自のものなのか。
西洋からだとしたら、いつ頃、入ってきて、
その原理的なことまで理解していたのかなんてことが、
気にかかっていたのですが、1700年代、浮世絵が
描かれていたころに入ってきていたことがここで判明しました。


山種美術館の土牛展で《吉野》[1977年(昭和52年)を見た時に、
空気遠近法だ!] と思ったのですが、
館長さんから、師匠の平山郁夫先生から、大学院時代(1980年代と思われます)に、
「遠くの山は青く描くのだよ・・・」と教えられたというお話しを伺っていました。

この表現は、師匠から弟子に伝えられる日本独自のものとして引き継がれたものなのか、
西洋の空気遠近法をもとに日本画にもたらしたものだったのかと、
考えていました。

また歌舞伎の背景画でも、空気遠近法で描かれているのを見たことがあります。
その時も、歌舞伎の時代に、この技法がすでに入ってきていたのか・・・
なんてことを思っていました。

ダ・ヴィンチが生きた時代が1452年~ 1519年
歌舞伎の舞台が発展しはじめたのが享保年間1718年~

今回の展示と、藤澤紫先生のお話しによって、
1700年代に、空気遠近法が入ってきていたことが、
やっとはっきりしました。

日本人は、西洋の文化を貪欲に取り入れていたことが伺えます。


  ⇒○③奥村土牛展:美術館内で、「醍醐寺」の桜と「吉野」の桜の饗宴 (2016/04/07)



遠近法は、日本独自で発達した技法ではありませんでした。
しかし、江戸中期、鎖国で情報が閉ざされたいた時代です。
そんな中で、絵師たちは海外の情報を入手して学び、
積極的に取り込み、自分たちの画風と融合させて
確立させていたのだということがわかりました。


遠近法ではありませんが、美人画の鈴木春信の絵は6頭身でした(1767年)
その後、鳥居清長は美人画を8頭身に描きました。
その間、たった10年だったと言います。

これもまた、洋画等の影響があったといい、
絵師が西洋の情報を常に取り込んでいたことが伺えます。
それによって江戸の町民の美意識も変わり、
変化に対して柔軟に受け入れていたことは興味深いです。


日本人が海外のものを上手に取り込みアレンジしていく
という文化は、こういうところでも伺い知ることができます。


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【追記】2016.9.12
そうやって改めてこの浮世を見直すと、
海峡の向こうの遠景の淡路島の2点の消失点の右側。

この点に向けて、画面左下方向から、波の動きと島の配置の並びによって、
右の消失点に向かって結ばれているように見えます。
そして、この斜線の右側の波は、水平方向で描かれています。
しかしながら、沖に見える淡路島の手前のトップの点から、
右斜めやや下方向に向かう放射状に広がり、波を描かな海で構成されています。

西洋の遠近法に独自のアレンジを加え、より複雑な遠近感を
作り出しているように感じられてきました。

また、沖の淡路島の空気遠近法の描き方について、
ちょっとずれて理解していました。

アダチ版画の《阿波鳴門之風景》の浮世絵によって、
横長の菱型になった島の手前部分と、その奥に広がる面のグラデーションであることが
より明確に理解ができました。
菱型の手前部分のトップと、右に広がる空間で、空気遠近感を出しているのかと
当初は理解していました。


【付記】「雪月花之内」シリーズ
広重は雪月花をシリーズで描きました。
「雪」「月」「花」

ところが、この鳴門は、「花」とされているのですが、「花」は描かれていません。
鳴門の渦潮を花に見立てたとのこと。

◆波の花
1 塩。もと、女房詞。
2 波の白くあわだつのを花にたとえていう語
 「―沖から咲きて散り来めり」〈古今・物名〉

浪の花の俳句 より
[季節] 仲冬を主に三冬(12月を主に11月から1月)天文季題
[季題] 浪の花(なみのはな)
[副題] 波の花(なみのはな)

冬の越前海岸など岩場に砕けた浪の白い泡の塊の飛び去るさまをいう。
この泡の塊が強い季節風をうけて飛び散るさまを花と見たてたもの。
磯一帯に舞い飛ぶ浪の花は美しく壮観である。



■写真について
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作品名  :《阿波鳴門之風景》  
作者名  :歌川広重
生没年  :1797-1858
作成年  :1857年 安政4年
判型・技法:大判錦絵
所蔵   :山種美術館
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写真については、撮影、掲載許可済みです



(続) 雨の細やかな表現は、2つの版を重ねていたそうです。
    この版を彫る時の位置合わせは、どうしていたのでしょうか?
    アダチ版画のデモンストレーションで、解明できたので、
    次にご紹介する予定・・・・


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【関連】山種美術館 ブロガー内覧会 レポート
浮世絵 六大絵師の競演:④ブロガー内覧会 浮世絵とは? 浮世絵の源流岩佐又兵衛との関係(2016/08/31)
浮世絵 六大絵師の競演:③ブロガー内覧会 《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》の雨表現 (2016/08/31) ←次
浮世絵 六大絵師の競演:②ブロガー内覧会 《阿波鳴門之風景》の遠近表現 (2016/08/31) ←ここ
浮世絵 六大絵師の競演:①ブロガー内覧会 プロローグ 藤澤紫先生 登場! (2016/08/30)

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