『35年前のメアリーカサット展』コロコロさんの日記

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【2016.8.3記】

35年ぶりの大回顧展 と称して
横浜美術館にてメアリーカサット展が行われています。

35年前のメアリーカサット展は、どこで行われたのでしょうか?
1981年 新宿・伊勢丹美術館で行われたそうです。

これまで、ほとんど取り上げられることなかったというメアリーカサット。
そんな画家を35年も前に、大回顧展として取り上げたというのは、
主催者側にとても強い思い入れがあったと想像されます。

同じく先日、訪れた写真家のジュリア・マーガレット・キャメロン。
こちらもあまり知られていない写真家の展示が、三菱一号美術館で行われています。
三菱一号美術館の名物館長、高橋 明也氏が美術館をオープンする前から、
是非開催したいと思っていたという肝いりの展示だそうです。
そんなお話しを伺い、35年も前に行われた「メアリーカサット展」も、
同じような思い入れがあったのではと思いました。
どんな作品が作品が登場していて、どういう趣旨で、紹介されたのか・・・
とても気になったのでした。


幸いなことに、当時の図録が図書館に所蔵されていることがわかり、
手にすることができました。


【開催概要】
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■主催:朝日新聞
日本初めての開催。
浮世絵を通じて日本とのかかわりが深いカサットですが、
これまで紹介された機会がなく、あまり知られていない。
カサット研究の第一人者、アデリン・ブリースキン女史と、
アメリカ美術連盟の全面的な協力のもと、カサット展の開催。


■駐日アメリカ大使:マイケルJマンスフィールド
メアリーカサットの作品は、繊細さと落ち着きの点で、魅力的。
彼女の絵の多くは、母と子の優しさなど、家族の情景が主題。


■アメリカ美術館連盟事務局長:ウィールダー・グリーン
朝日新聞の依頼によりメアリーカサット展を構成。
同社主催で、1981年、伊勢丹美術館、奈良県立美術館で開催に至る。

19世紀の西欧の画家で彼女ほど日本の美術から多くを吸収した画家はいない。
日本の方に作品をつぶさに見ていただく機会ができうれしい。
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上記の中で、目に止まった絵の解説が・・・・

■カサットの手紙の一文
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○《母親に身体を吹いてもらうジュール》(1901年)(図録p103)
カサットは1898年から翌年、アメリカに帰国。
この頃から、彼女は赤ん坊よりも、やや年かさの子供をモデルを描くようになった。
友人のヴァイヤー夫人への手紙に次のように述べている。

「甘やかされて全然笑ってくれず、不機嫌な3歳以下の小さな子供に
 かかわりあって時間を無駄にするのは、無意味なことです」

彼女は、近くに住む4、5歳くらいの少女をモデルに20点以上、
作品を描いている。
この年の少女はお行儀がよく、割合長い時間、きちんとポーズしてくれるからだ
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やっぱり・・・・・このひとことで意を得たりでした。
最初にカサットの写真を見た時に受けた印象、そのものズバリ!
あの70歳のカサットの気位の高さ。

表情にその人の人生が現れると言いますが、私が感じたカサットの人生は、
この言葉そのものでした。

子供に惜しみない愛情を持って描いてきた人の表情じゃない・・・って(笑)
仕事として、子供と母親を、戦略的に描いていた人
その歩みが、顔に刻まれている・・・と。

はっきり言ってしまうと、あの、ほのぼのとした親子像を描く人が
持っているであろう「優しさ」や「温かさ」を
カサットの表情から、私は感じることできないという矛盾が始まりでした。
理想を貫く芯の強さ、自尊心、気位の高さ・・・・
そういう部分は伝わるけども、「温かさ」がない・・・・

上記で紹介された言葉は、評論家が
「メアリーカサットは、きっと、そう考えていたに違いない。」
ではないのです。
メアリーカサットが、手紙として残した言葉・・・・


その他にも、下記のようなような記載が古い本の中にあります。
■美術論集 桑原住雄  アメリカ編 1996年 沖積舎(p29)
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ルネッサンスの巨匠が描いた聖母子像はキリスト教信仰を背景にした聖なる光景
カサットは地上の日常の光景として、ほほえましい母子像を描いた。

なぜあれだけの母子像を描いたのか・・・

「女の人生には大切なことがひとつあります。
 それは母親のなることです」    ← カサットの言葉

この意味は深く
「母になること」に重点を置いている

子を産むことはできても母に成れない人
子が産めなくても、母に成れる女性もいる。 ← カサットの言葉

「母になること」の意味は、論理的な意味と宗教的な暗示が同時に含まれているように思う。

彼女は独身を貫き、母になることがなかった。
しかし母親像を描くことによって母になったと言ってもよいのではないか。


「母と子」は自らの存在の根源につながる主題であり、
「生と死」にかかわる主題。


「女性画家は根本的なものを犠牲にしなければなりません。」
と語る。

母になることを犠牲にして、画家であることを貫いた代償行為
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子を産むことはできても母に成れない人
子が産めなくても、母に成れる女性もいる

この言葉に当時の社会構造が反映されているように思いました。
乳母制度から、良妻賢母を求められるようになった時代の変化。

「乳母=労働としての育児」
「母親=愛情をそそぐ存在」

上記のような階級と、子育ての関係が存在していました。
ブルジョア階級の母は、表面的な愛情を注ぐことはできても、
実質の子育て(ここでは労働)はできないのがブルジョア世界の母親。
母であって母でない。そんな風刺的な世界を描こうとしたのでは・・・と。

  ⇒メアリーカサット展:上流階級の子育てについて


○《眠たい子供を沐浴させる母親》1880年
沐浴させるには、大きな子だな・・・って思ったのですが、
小さな子は、ぐずる。そんな影響もあってのことでしょうか?

そして、カサットが描く子供の表情がどうも、全体的ににこやかでない・・・
と思っていました。カサットが風刺的に描き替えているのでは?
思っていました。
実際に、モデルの幼い子が不機嫌だったのを描写していたのでしょうか?





ちなみに、上記の
■美術論集 桑原住雄  アメリカ編 1996年 沖積舎 の内容は、
1981年 伊勢丹で行われたメアリーカサット展図録の内容と同じだということが判明。


さらに、次のような記載もありました。


■カサット像
大柄で赤ら顔で、話し好きな女。
子供っぽいところがあって人を寄せ付けない。
男まさりな一徹な行動派
長柄付きの眼鏡、靴はロンドンの靴屋に特注品しかはかない。


■母子像をすすめたのは?
ドガ  ドガの求愛レトリックではないか?


■カサットとドガの関係
アメリカの美術評論家 フォーブズ・ワトソンにドガが語る
「私は彼女と結婚したかもしれない。
 しかし彼女と会いを語りあうことはできなかっただろう」

晩年、ドガとの恋愛関係があったか尋ねられたカサット
「なんですって あんなつまらない人と? なんていやらしいこと」


■ハヴマイヤー夫人が「コレクション回想録」でカサットの言葉として
「私のよろいに隙がみえないと、あの人はよく腹を立てました。
 それから何か月も合わないことがあるんです。
 けれども素晴らしい人です。
 そしてなんてひどい人だったのでしょう。
 あの人は理想のために生きたのです」


■ナンシー女史
二人の愛の結晶は、作品し
「ドガの知性と、香り高いカサットの芸術の融合」こそが二人の子供。




■カサットの印象
いろいろに描かれているのを目にします。
どうしてこうも語られ方が違うのか・・・・

わかったことは、同じ行動でも、人に与える印象が違うということ。。
それを好意的に受け止めるか、苦手と受け止めるかによって
カサットに対する印象は変わります

それは、カサットにかかわる周囲の人間もそうですし、
その中のだれのことばを元にして、カサットについて語るか、
語る人のとらえ方によっても変わります。


たとえば、大親友がカサットの思い出を語ると、
「父親ゆずりの背の高さは、彼女に威厳と美しさを与える。
 アーティストの中には、なげやりなポーズやだらしなくして、
 威厳をもたせたりする者もいるが、
 カサットはいつもピシッとしていて、精力的、ダイナミックに話し饒舌。
 聞いている方は、まくしたてられていると思った人も。
 そのため背が高いことしか覚えていない。」

それがカサットの魅力として映る人もいれば、
カサット嫌いには、身勝手で傲慢な、まくしたてる女になるようです。



画家もいろんな顔を持っている?
あるいは見る人によっても見方が変わる?

参考書籍を見ても、著者によって描かれ方が違いました。
どの捉え方を選択するか・・・・
結局、自分の感じた印象を優先させてしまうわけですが・・・・

ふと気づくと、自分が感じた方向と同じ情報ばかり
選択的に集めている状況に陥ってます。

何だか、私、カサットの荒さがししてる?(笑) みたいに・・・・



とはいえ、全ての始まりは、カサット70歳のあの写真・・・・
そこから受けたカサットに対するインスピレーション。
その裏付けになりそうな情報を探していたのでした。


カサットが送った手紙は、カサット自身、そのものだと感じたのでした。

(画家によっては、本根を紛らわすため、
 あるいは、のちのちの研究対象になることを考え、
 情報操作をすることも考えられるかもしれませんが・・・)


今回の横浜美術館の「メアリーカサット展」の図録は、
購入をしませんでした。
今回の図録の解説に、ちょっと興味が出てきました。


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【追記】(2016.8.18)
伊勢丹美術館ってどんなところ?
35年前メジャーでないメアリーカサット展を開催していた伊勢丹美術館。
一デパートの美術館ながら、何か強い思いやコンセプトを持った美術館
なのではないだろうか・・・・ と気になっていました。

それを目にしたのは、これまた偶然のことで、
「瀬戸内国際芸術祭2016」のガイドブックを見ていてのことでした。

背表紙の最終ページに、「瀬戸芸でぃれくた瓦版」というコーナーがあり、
そこに「三越伊勢丹」の文字。
何か伊勢丹美術館に関することが書かれているかも
と思ったら・・・

三越伊勢丹が、瀬戸内芸術祭とプロモーションパートナーとなるという
広がりがあったそう。
具体的には、瀬戸内のイベントを、東京の伊勢丹1階のショーウィンドーで
関連作家の展示をして、瀬戸芸色で塗り替えるというもの。

その時に、調べてわかったのが、
伊勢丹三越には「アートアドベンチャープログラム」というものがあるとのこと。
その内容は
「素晴らし作品を、みなさんこのよさがわかりますか?」と問うのでなく
観ている人にすべてをゆだね、アートを大衆に引き出す。
 アートが主張するのではなく、
 アートは歴史、環境、文化のよさを引き出し
 生活する人々や訪れた人々に、未来につながる記憶をよびおこす
 感動やある種の感情が生まれ、それらの相互作用で人々の心を動かす。
 単なる鑑賞ではなく、生き方を変えてしまうかもしれない体験になって欲しい。」

以上は、瀬戸内芸術祭の考えとほとんど同じだったそう。


自分にひっかかってくるものは、どこかでつながっている・・・・
夏休みは、瀬戸内芸術祭に行くべく、計画をたてていたら、
気になっていた伊勢丹美術館が・・・・・


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■メアリーカサット展:横浜美術館
メアリーカサット展:母と子の目は、どこを見てる? (2016/08/24) 
メアリーカサット展:美術情報センターで出会ったもう一つのカサット像(2016/08/23)


35年前のメアリーカサット展(2016/08/03)
メアリーカサット展:関連書籍『岩波 世界の巨匠 カサット』より (2016/07/08)
メアリーカサット展:母子像を読み解くための資料 (2016/07/08)
メアリーカサット展:上流階級の子育てについて(2016/07/08)


メアリー・カサット展 夜間特別鑑賞会 ③《桟敷席にて》(②から独立) (2016/07/07)
メアリー・カサット展 夜間特別鑑賞会:②母子像について 感じ方のいろいろ (2016/07/06) ②の続き
メアリー・カサット展 夜間特別鑑賞会 ②《バルコニーにて》《眠たい子供を沐浴させる母親》 (2016/07/07)
メアリー・カサット展 夜間特別鑑賞会 ①予習と見学前のイメージ (2016/07/05)
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