『キャメロン展 ブロガー特別鑑賞会:①見どころ ポイント』コロコロさんの日記

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日記詳細

三菱一号館美術館にて行われている
「ジュリア・マーガレット・キャメロン展」の特別鑑賞会が行われました。

先日訪れた「メアリー・カサット展」の女性画家同様、
これまでほとんど紹介されてこなかった女性アーティストに
スポットをあてた展覧会とのこと。

写真展というものを積極的に見たいとは思わなかったのですが、
知らないアーティストでも、こういうちょっとした接点があると、
意外なつながりが見えたりするもの。
抽選とのことだったので、ダメ元で申し込んでみました。



■見方のポイント
「展覧会のみどころ」については左記のリンク先、HPで紹介されています。
内覧会では、「見どころガイド」が配布されました。
その裏には「ジュニア向けガイド」も掲載されています。
せっかくの資料なのに、内覧会ではそれに気づかず、撮影に没頭。
ポイントを見逃してしました。

「キャメロンって聞いたことがない・・・」 

という人がおそらく多いはず。
それもそのはず、これまでほとんど紹介されてこなかった女性アーティストだと言います。
美術鑑賞の愛好家の方でも、あまりよく知られていないようです。
マイナー女性アーティストつながりというわけではないでしょうが、
横浜美術館とと三菱1号館美術館の両館では、
半券で割引されるタイアップ企画がされています。


私が鑑賞して感じた「見どころ」は、
知らないまま訪れた方が楽しい。予備知識を入れずにでかける。
そうすると、1粒で2度おいしい楽しみが待っている・・・・・はず(笑)

というわけで、これ以上は、解説を見ない、解説はしない方がいいわけですが(笑)
なにはともあれ、何も知らない状態で、一度は、見てみる。
その際に次に示したことを考えながら鑑賞することをおすすめします。


◆まずはこんなところに注目して鑑賞
Q これらの写真はいつ頃の写真なのか
Q どんなカメラで撮影したのか
Q キャメロンがカメラを手にしたきっかけは?  それは何歳の時?
Q 何年間ぐらい撮影をしたのか
Q キャメロンという写真家は、どんな家庭に生まれてどんな暮らしをしていたのか
Q どんな人たちと、交流を持っていたのか
Q モデルは、どんな人なのか?  一人の場合  複数の場合
Q 写真で何を撮影しようとしたのか   何を表現しようとしたのか
Q キャメロンの信仰は?
Q キャメロンの特徴的な撮影技術にはどんなものがあるか
                  などなど・・・・



■鑑賞のポイント
受付をすませ、内覧会が始まるまでは、自由に撮影、鑑賞タイムでした。
鑑賞会が始まると東京都写真美術館学芸員・三井圭司氏によるレクチャーがありました。

(最初に館長さん、学芸員さんのご挨拶などもあったようなのですが、
 始まりに遅れてしまい、聴き見逃してしまいました。)

上記に示した見どころポイント「Q」は、このレクチャーを聞いて
拾い上げたものです。
これらの解説を聞くと、キャメロンの背景が紐解かれます。

それを知ってから見るのと、
知らずに見るのとでは、まるっきり印象が変わるはずです。
この解説を知ることによって作品への理解は全く変わります。
これが、一粒で味わう2度目のおいしさです。


キャメロンの写真は、全く古さを感じさないというのも特徴の一つ。 
それはなぜなのでしょう・・・・ それを紐解くカギは・・・・



Q この写真はいつ頃の写真?

 予備知識なし一連の写真を見ていると、これらの写真が、
 そんなに古い時代のものだとは、感じません。 
 150年前の写真ビクトリア朝時代(*1)・・ということは、早晩、わかることなのですが、
 その時代性は、歴史に詳しい方は、理解できると思うのですが、
 疎いとピンとこないのです。
 150年前というのは、どんな時代なのか・・・・
 日本でいうと、幕末から明治にかけての頃です。


(*1)ビクトリア朝時代
調べてみたのですが、いまいちよくわかりませんでした。が、
三菱一号館美術館のブログに解説がありました。
  
   ⇒ジュリア・マーガレット・キャメロンの生きた時代


◆ダーウィンから想像されたキャメロン像
見学していたら、ダーウィンの肖像画に遭遇しました。
キャメロンは、ダーウィンとお知り合いだったの? 同じ時代を生きた人なの?
ダーウィンって、あの進化論の・・・ 奥さんはウェッジウッドの孫娘。
「種の起源」がいつ出版されたか、年号までは覚えていませんが、
なんとなくどんな時代かをここで、はっきり理解できた気がしました。
キャメロンは、あの時代の人だったんだ・・・

(2008年 国立科学博物館の ダーウィン展を見学していたことが、
 こんなところで役に立ちました)

今まで見てきた写真は、そんな古いものだったのか・・・・?!
展示を見て感じていた時代感覚が、そこからかなりタイムスリップして、
飛ばされた気がしました。

ちなみに、あとで調べるとダーウィンは1809 – 1882(文化6年~明治15年)
『種の起源』の出版は、1859年(安政6年) ダーウィン50歳で、
この肖像が撮影されたのが、1868年(明治元年)
(「種の起源」のほぼ10年後 ダーウィン59歳、キャメロンは、53歳)


「種の起源」の出版後から10年という時期の撮影。
科学と神の存在の狭間でゆれ、神へ冒涜だとか言われて叩かれていた頃かと思います。
当時はまだ、神が絶対の時代だったかと・・・
だからキャメロンは宗教画のような写真をたくさん撮影していたということなのか・・・
と撮影テーマとの関連が見えてきました。

かつては宗教画として絵で描かれていたテーマを、
写真で表現することを試みた人。
写真の世界に新しいテーマ、「宗教画」という世界を吹き込んだ人?
と思いながら見ていました。
モデルを使って宗教画を群像写真のように撮影するという、
キャメロンのオリジナルな世界を確立した人。


「写真」を「絵」のように捉え直して再認識させる
そんなことを試みた人・・・・と漠然と思っていました。
ところが、生きた時代が、写真から受けるイメージと全く違っていたのでした。

もしかしたらこの写真、その時代の信仰そのものだったのかも・・・・
さらにはキャメロン自身の信仰心の表れだったとか? 
でも、キャメロンはインド生まれ・・・・ インドと言えば仏教?
と思っていたら敬虔なクリスチャンだったことがわかりました。


ダーウィンというビックネームの一枚の肖像写真から、
ダーウィンについて知っていたことを通して
キャメロンという人物が少し浮かび上がってきました。

それにしても、ダーウィンと知り合いってことは、
キャメロンはビーグル号の話とか聞いていたのかしら?
ダーウィンは、どんなふうに話したんだろう・・・・
当時としては、斬新だった進化論の話、キャメロンは理解できたのかしら?

しかし、キャメロンがキリスト教徒だとしたら、
ダーウィンの研究について、どんな思いで聞いていたのでしょうか。
最も、撮影時は真剣勝負、そんな話はしないのかな・・・・とか(笑)

「ダーウィンと知り合い」ということから、
私の興味は、キャメロンではなく、「ダーウィン vs キャメロン」に移っていました。
関心があったダーウィンの方に興味は移り、
キャメロンとどういう関係だったのか・・・


そもそも、どうして、キャメロンは、ダーウィンとお知り合いになれたのでしょう。
キャメロンの写真家としての名声がとどろいて、ダーウィンから依頼を受けたのか。
(Wiki pedhiaのダーウィンの肖像写真、キャメロンによるものが掲載されていました)

キャメロンは他にも著名人を撮影しています。
その中で、私が知っていたのは、ダーウィンだけでした・・・・
その他に天文学者、詩人、美術評論家、学者などそうそうたる顔ぶれです。
それらの面々のプロフィールを知っていれば、
キャメロン像がもっと明確に深くなったはず。
ここにキャメロンの交流の広さ、そして
その時代のハイソサエティーと交流を持てる階級に属していたことを漂わせています。
 

メアリカサット展を見て、その時代のブルジョア階級の暮らしぶりについて、
ちょっと調べていたこともあり、どこかでその生活ぶりと重なります。

  ⇒メアリーカサット展:上流階級の子育てについて

いずれにしても、相当な教養を持った知的な人で、あらゆるジャンルの人たちと、
交わることができる生活をバックグランドに作品を作り出していたのだろう
ということが見えてきました。



◆最初に見た時代の印象
最初にキャメロン作品を見ていた時は、
カラー写真が登場する前の白黒フイルム時代の写真だと思っていました。

日本のカラー写真の普及は、
 1965年(昭和40年)10%前後、
 1970年(昭和45年)40%を超え、
 1970年代の半ば(昭和50年)80%  だそうです。

上記から想像すると、1960年頃の白黒写真全盛の時代の写真家なのかなぁ・・・
昭和の懐かしい時代カメラというものが、庶民にも広く浸透し始めた頃の写真・・・・・
よりも、もっとあとの時代のもの・・・・
とうすぼんやり捉えていたように思うのですが、
時代はさらにさかのぼった明治時代の写真だったのでした。

しかしそこまでの古さを感じさせない

ダーウィンの時代の写真家というところまでは、理解できたのですが、
その時代のカメラがどんなカメラだったかまでは、想像力を働かせることはできませんでした。
もし、そこに気づけていれば、キリスト教を想起させる群像写真の撮影が
どんなに大変な撮影だったかに、思いを至らせることができたわけです。


中盤にきてやっと時代の実感「150年前の写真」という意味を理解しました。
明治の幕開けの頃のもの・・・・
するとこれまで、見てきた感覚と、全く別の印象に襲われるという妙な感覚
このギャップ、意外性が一つの楽しみと言えます。


◆時代性を紐解く糸口
受け取る時代感覚の齟齬。
それに気づく糸口は、いろいろあるのだと思います。
キャメロンの交友関係は、演劇、詩人、学者など実にたくさんの知識人がいました。
その中に自分の知っている「あの人」を発見できると、
その人物の功績からキャメロンの生きた時代が見えてきて
知らなかったキャメロンという人物がみえてきました。



Q キャメロンはどんな家庭に生まれてどんな暮らしをしてたのか

1815-1879  日本では(文化12-明治12) 64歳で没
ナポレオンが失脚した年に誕生。イギリスではヴィクトリア朝時代、ラファエル前派の時代。
インド、カルカッタ生まれで、父は東インド会社のイギリス社員母はフランス貴族の娘
夫は英国の高級官吏姉妹はサロンを主宰ブルジョア一家

親、夫の財力に、妹の主宰するサロンを通して、さまざまなエリートとの交流が行われていました。
キャメロン夫妻には、ヴィクトリア朝初期のイギリスで最もクリエイティブといわれていた
多くの著名な友人がいました。

(ダーウィンとはこのサロンを通してお知り合いになったのだろうと想像されます。)



Q カメラを手にしたきっかけは?  それは何歳の時?
裕福な環境で暮らし、サロンで名士たちとの交流も多い生活を送っていたキャメロンは、
娘夫妻から誕生日プレゼントとしてカメラが贈られます。
1863年。48歳のことでした。

(ブルジョアジーの娘ともなれば、当然、同じ階級の生活。
 その母親へのプレゼントともなれば、最新技術のカメラが選ばれたということなんですね)



Q 何年間ぐらい撮影をしたのか
1863年~1879年 48歳から64歳の16年のこと

(遅咲きのキャメロン  48歳からのスタートということもあり、
 作品はたった16年間のものでした)



Q モデルは、どんな人なのか?  一人の場合  複数の場合
肖像画は、サロンに集う友人のポートレート。
聖書の聖女や天使・アーサー王物語の登場人物など、群像写真のモデルは、
友人や女中、その子どもたちがモデル。

(肖像画は、キャメロンの名声による依頼かなと思っていたのですが、
 サロンの交流を通して、撮影されていたような印象です。
 一方、群像写真。こんな大変そうな撮影を、何人も、モデルに依頼したのかしら? 
 と思ったら、 使用人、そしてその子供までも連れ出していた・・・・ 笑
 このあたりにも、階級制度によって成り立つ芸術の側面が見てとれます)



■カメラの歴史
キャメロンの作品を見るにあたって、撮影された時代と、
その時代のカメラがどういうものだったか・・・・を知ることは、
作品理解に大きく影響します。

以下は、キャメロンが過ごしていた当時のカメラの歴史について、
お聞きしたことと、調べたことも交えて紹介します。


一番最初のカメラは、撮影に8時間もかかるシロモノでした。
それが、改良され、一般的にカメラとして使用に耐えられ発売されたのが、
カメラの発明の年とされ、1839年(天保10年)のことです。
それから、25年後の1863年(文久2年)に
キャメロンはカメラを初めて手にしました。

時代の感覚を今にあてはめると、
デジカメの登場が1990年 そして四半世紀たった今
という感覚と同じとのこと。(今の時代の進化の方が早いとは思いますが)

ということで、カメラの歴史についてざっくり


【カメラの歴史】
●1826年(文政9年) フランスのニエプスが8時間もかけて1枚の写真を撮影 
           これが写真の始まりだが、実際の使用に絶えられない。
●1839年(天保10年) 公の写真技術の発明の年
            フランスのダゲール ダゲレオタイプ(銀板写真)発売。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【日本の写真の歴史】
●1848年(嘉永元年)カメラが日本に伝わる。( カメラが発表されて約10年後)
〇1853年(嘉永6年) ペリー浦賀来航
●1857年(安政年) 鹿児島のお殿様・島津斉彬公の銀板写真が日本に現存する最古。
●1866年(慶応2年)有名な坂本竜馬像は、(日本に入って18年後)
〇1868年 (明治元年)明治維新
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●1851年(嘉永3年) 「湿板」発明
ガラスをネガにを使用。
ガラス板の上に「コロジオン」という液体と銀化合物塗ぬり感光材料にする方法が発明されました。
湿板写真は暗室でガラス板に感光材料を塗り、乾かないうちに撮影します。
そして乾かないうちに現像を終わらせるのです。

野外撮影するときには暗室も持って行かなくてはなりません。
しかしながら光を当てる時間が数秒から1~2分と非常短くなったため、広く普及しました。


そのため当時のカメラは非常に重く持ち運べないので固定式でした。
蛇腹のような箱で布をかぶるみたいな・・・

ネガとしてのガラスは、写真と同じ大きさのサイズが必要でした。
(ガラスは貴重でコストもかかります。再利用もされました。)
ということは、大きな写真を撮りたい時は、カメラもそのサイズが必要です。
準備、機材、撮影時間、モデルの待ち、現像設備などを考えると、
今のカメラの手軽さに慣れてしまっている私たちには、
想像ができないような手間がかかっているのでした。

キャメロンは小柄だったそうですが、がっしりとした体格だと言われています。
大がかりな機材を持って、撮影をしていたらなるべくしてなったのだろうと(笑)


●1868年 明治維新 



■カメラに対する認識
◆一枚にかかる時間
初期のカメラは、数時間、じっとしていないといけなかった
という話は、よく耳にすることです。
昔の写真撮影は時間がかかった・・・と。

しかし、キャメロンの時代は、発明から20年。
湿式の登場で、数分から数秒で撮影が可能になっていました。
しかし、キャメロンは、5分ほど時間をかけていたそうです。


◆錬金術としてのカメラ
錬金術とは、一般的には、鉄を金に変えるというような、
化学反応を使ったものを言い現わしていますが、広義では、
様々な物質や、人間の肉体や魂をも対象として、
それらをより完全な存在に錬成するものという意味もあります。

カメラもどこか、錬金術のようにとらえられていていたと言います。


この感覚、比較的最近まで名残があったように思います。
と言ってもある世代においての話ですが・・・・(笑)
よく写真を撮影すると、魂が抜かれると言われた時代がありました。
また、子供の頃、写真館の店頭に掲げられた写真を見て、
この人は、この中に入って張り付けられてしまったんだ・・・・と
子供心に思っていたことがありました。
そんな時代が少しさかのぼるとありました。
そこからさらに100年も遡った時代のお話しです。
写真というものがどこか、おどろおどろしいものという感覚が、
モデル側には、あったのでは? と想像されます。




■鑑賞における時代背景
芸術を鑑賞をする上で、その時代背景や当時の価値観に照らしてみる必要がある。
ということは理解してきましたが、
何も知らない、情報のないアーティストについては、
あえてその情報を全く持たずに鑑賞してみるというのも面白いと思いました。

何も知らないところからスタートして、それらの展示から
どれだけ、自分は背景をキャッチすることができるか・・・・
そんな鑑賞の方法も面白いなと・・・・


今回、たまたま、レクチャーの前に一通り見てから、
解説をしていただいたので、2つの感覚を味わうことができました。
もし、最初に解説を聞いて見学をしていたとしたら、
古い写真には見えない・・・・ という感覚を味わえなかったかもしれません。

以下は、見学して疑問に思ったことを尋ねてみました。




■写真の疑問
Q 当時のカメラのフォーカスは?

今のカメラと同じように、フォーカスはあるのか?
写真の中に、ピントがあっている部分があるのか?

  →カメラの原理は今と同じで、フォーカスはあるそう。
   (当たり前かぁ・・・)
   ただ、そのフォーカスをあえて合わせずに、
   「このあたりで」と意図的に止めていることもあり、
   全体がソフトフォーカスになっている作品も。


全体にぼんやりした写真でも、どこにピントを合わせているか
という焦点は絞られているようなので、その部分を見つけながら見る
というのも、一つの鑑賞ポイントかもしれません。



Q 子供は耐えられたのか

複数の子供が被写体になっている場合、
子供はじっとしていることができたのか。
ぶれている子もいるけども、ある程度、ピンとがあっている子もいる。
しかも、その子の表情は独特で、一瞬を切り抜いたように見えます。
この表情を子供が5分間、じっとしていることはできないと思うのですが、
どうやって撮影しているのか。

  →瞬間をとらえ、数秒で撮影していたのではないか。

キャメロンは、撮影に5分間ぐらいかけたと言われていますが、
その時の状況で、数秒で撮影することもあったようです。



Q モデルの理解は得られていたのか?

撮影のためのモデルは、かなり大変な作業だったと想像されます。
同じ女性アーティストでもあるメアリーカサットも、
ポーズへの要求が非常に厳しく、とても疲れる体勢を求められ、
モデル泣かせだったという話を聞きました。

それを考えると、ここで撮影された宗教画の群像画がどれほどのものかは、
容易に想像ができます。
しかも、その中に子供が複数名、入っています。
大人でさえじっとしているのが大変なのに、子供はどうしていたのか・・・・
絵ならまだしも、写真は動いてしまうと、ブレてしまいます。
そのため、子供は寝顔が多かったという解説もありました。


さらに、当時のカメラは錬金術と思われていたそうで、
得体の知れないカメラの被写体になることへの抵抗感が、
モデル側ににあったのでは? と思ったのですが・・・・

  →モデルは身内や知人、サロンのメンバー、使用人など身近な人たちでした。
   教養人はカメラの知識は持っていますし、
   使用人などには、カメラのことはきちんと説明をして、
   理解し納得をした上で撮影していたそうです。



Qどこで撮影するのか

超著名人の撮影などは、どこでしていたのか。
自ら出向くのか、来てもらうのか。
超有名人に足を運んでもらうというのは、失礼な気もしますが、
大がかりな機材、暗室設備を持ち歩くのは、難しかったと思われます。
どうしていたのでしょうか?

  →サロンの交流の中での撮影なので、そんなに堅苦しいものではなかった。
   また、美術館にスタジオを持っていたので、そこで撮影。


Q 写真発明から20年後というキャメロンが活躍した時代。
  その時代に、カメラを扱っていた人たちは
  どういう写真を撮影していたのか

お金をとって肖像写真を専門に撮影する、写真館のような仕事も登場しており、
カメラの撮影は、記録写真や風景画などバラエティーに富んでいた。




Q傷や指紋、剥がれなどを生かしたのは?

当時のことを考えると、費用も時間もかけ、大がかりなセットを組んで撮影していました。
ということから考えると、実は、もったいないから利用した・・・
という理由も一つではないかと思うのですが・・・・

  →確かに最初は、それもあったと思います。
   そうしているうちに、あえてそれを効果的に使う手法を確立した。


思うに男性社会に新技術のカメラが持ち込まれ、先鋭的な人たちがそれを
使いこなし、技術を競いあいながら、切磋琢磨していたと思われます。
いかに完璧なもの、リアルに再現したものを提供するかというところで、
凌ぎを削り、お互いのプライドの火花を散らしていたのではないでしょうか?

そこに、女性が写真を扱うことで、いい意味で(?)
肩の力を抜いたかかわり方ができたのかもしれません。

ちょっと、失敗してしまったけど、まっ、いいか・・・・
もったいないし・・・・・

と思ったかどうかはわかりませんが(笑)

お料理を作る時、男性は最初の頃は、材料もきちんとそろえ、
料理本のとおり完璧を目指すけど、
女性は、なければ代用品でなんとかし、くずれて失敗しても、
ソースかけてごまかすとか、わざとくずしたお料理にみせたり・・・・
という、女性ならではの柔軟性、あるいはこだわりのなさ(笑)

男性が追い求めがちな、完璧さとは違う感性がそこにあったのだはと思います。


実際に失敗の中には、単純な不注意によるミスもあったと言います。
それだって、そのまま生かして、オリジナリティーにしてしまうたくましさ。
そのため、批判も受けていたようです。

失敗を世に出すことなど許せない男のプライド。
男性社会の張り合いや価値観とは違うところで生きていたキャメロン。

「失敗も味のうち・・・」

4章の「失敗は成功だった」で数々の失敗作(?)が展示されています。
女性ならではのある種の図太さでもあり、しなやかさでもあり、
したたかさでもあったのかも・・・・

それらは子供の頃から、ブルジョアジーの中で当たり前のように育ってきた環境と、
男性とは違う、女性目線で、その世界を見続けてきた経験。
それが、いざ、創作活動に向かった時、男性とは違う捉え方ができたのかもしれません。
また、天性のおおらかさ、そして打たれ強さのようなものもあったのではないかな?と。

書家でも、書いたものはすべて作品とする方もいれば、
何枚も、何枚も書いて、そのうちの一枚を作品とする方もいらっしゃいます。
それと同じこと?(笑)
全て作品にしてしまう方に対しては、いろいろ批判(?)もあるみたいです。
ジャンルは違えど、今も昔も周囲の反応は同じってことなのでしょうか?

「言いたいヤツは言ってろ・・・・」ぐらいの秘めた強さも必要なのでしょう(笑)。




そして最後に・・・・
「私たちは、今回、内覧会で、説明を受けたので、
 キャメロンの時代やどんなカメラを使っていたかを、
 理解できる機会に恵まれました。
 しかし、多くの人は、時代背景を知らないまま鑑賞することに
 なると思うのですが、どこからそれを読み取ればいいでしょうか?」

という質問に対して

「難しい点ではありますが、同時代のアーティストや、
 同時代の写真が展示してありますので、
 そのあたりから、推察していくことでしょうか。
 背景を読み取るには少し、経験も必要かもしれません」


何も知らずに見る。
そこから何かを引き寄せる糸口をみつける。
そのための、着目点と思われることを
ブロガー内覧会のトークから、まとめてみました。

これまで見てきた美術展で得た情報が役だちました。
他にも読んだ本、見た観劇などによっては、キャメロンの交流から、
いろいろなきっかけの糸をそれぞれに見つけることができるのでしょう。

「修道士ロレンスとジュリエット」などは、
祈りを捧げる宗教画、あるいは何かを懇願する女性像と思っていたら、
シェークスピアのロミオとジュリエットの中に登場する、
仲介役の修道士とジュリエットだということのようです。

キャメロンは演劇からもテーマを得ていて、
そのワンシーンを写真のテーマにしていました。
その中にシェークスピアの有名な「ロミオとジュリエット」もある。
と知ってやっと、タイトルの「ジュリエット」は、
あの「ジュリエット」だったのだと理解しました。
ロレンスは知りませんでしたが、ストーリーの一部で、
ジュリエットがロミオと一緒になるにはどうしたらいいかを相談し
ロレンス修道士から仮死状態になる秘薬をもらうシーンらしいです。
そういうストーリが読み取れるようになると、より面白くなるのでしょう。

そして、やはり歴史の知識は必要だな・・・・ということを実感。
せめて、年代を見て日本では何時代か、海外ではどういう時代かぐらいわかると、
入り口の理解の幅が広がるのだろうなと。

0ベースでキャメロンを理解することは、難しい部分もありますが、
今回、キャメロン展で見たことが、またいつか、何かの展示を見た時に
役立つことがあるだろうと期待しつつ・・・・


*写真の撮影は許可済みです。


(続)⇒○キャメロン展 ブロガー特別鑑賞会:②キャメロンは何を描き、何をめざしたのか? (2016/08/05)



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【付記】■キャメロン関連とプロフィール

◎同時代を生きた人たち
1809‐1882  ダーウィン (73)【54歳~70歳】

1815-1879  キャメロン (64
 1863-1879         【48歳~64歳】(16年間)が活動期

1834-1917  ドガ  (83) 【29歳~45歳】
1840-1926  モネ  (86) 【23歳~39歳】
1841-1895  モリゾ (54) 【22歳~38歳】
1844-1925  カサット(81) 【19歳~35歳】

遅咲きのキャメロンが活動した同時期の印象派の画家
( )は没年   【 】はキャメロンの活躍した同時期の年齢。
著名な印象派の画家が20代から30代の時期に、
キャメロンはカメラを使って表現していました。



◎印象派とカメラ(wiki pedhiaより)
写真が広がり始めカメラが携帯可能になった。
写真は気取りのない率直な態度で,ありのままの現実をとらえるようになった。
写真に影響されて、印象派の画家たちは風景の光の中だけでなく
人々の日常生活の瞬間の動きを表現するようになった。

写真は現実を写し取るための画家のスキルの価値を低下させた。
印象派の発展は、写真が突きつけた難題に対する画家たちのリアクションとも考えられる。
「本物そっくりのイメージを効率的かつ忠実に生み出す」という点では、
肖像画と風景画は不十分だし真実性にも欠けると思われた。
それにもかかわらず、写真のおかげで画家たちは他の芸術的表現手段を追求し始めた。
現実を模写することを写真と張り合うのでなく、画家たちは
「画像を構想した主観性そのもの、写真に模写した主観性そのものを
 アートの様式に取り込むよって、彼らが写真よりうまくできる1つのこと」に
フォーカスしたのである。
印象派は、正確な再現を生み出すのではなく
彼らにそう見える自然を表現することを追及した。
これにより画家は「自分の嗜好と良心とに課される暗黙の責務」を担って、
彼らの目に移るモノを主観的に描くことが可能になった。




◎年譜
1815年(0歳) 誕生
1826年(11歳)(フランスで写真らしきものが8時間かけて1枚撮影 写真の始まり)
1839年(24歳)(カメラを公的に認められた発明)

1963年(48歳) カメラを送られ写真始める(明治維新の5年前)
1965年(50歳) 初めて1年半後にサウス・ケンジントン博物館へ114点買い上げ
         生涯のテーマ「肖像」「聖母群」「幻想主題」をみつける
1865年(50歳) 2台目カメラ 大型のガラスに対応する機種
1868年(53歳) (日本 明治維新) 
1870年(55歳) 頭を切るクローズアップ手法
         著名人の撮影  

     ピンボケをソフトフォーカスに  指紋 ひっかき傷  
     2枚の原盤から作成
     アマチュアの未熟さの証と揶揄されたが、芸術のレベルへ


1990年(没後111年)デジカメ登場   20年
2016年(没後137年)写真を初めてから153年後)       
    


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【関連】キャメロン展
キャメロン展 ブロガー特別鑑賞会:③内覧会に参加して (2016/08/06)
キャメロン展 ブロガー特別鑑賞会:②キャメロンは何を描き、何をめざしたのか? (2016/08/05)
キャメロン展 ブロガー特別鑑賞会:①見どころ ポイント (2016/07/30) ←ここ


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