『メアリーカサット展:上流階級の子育てについて』コロコロさんの日記

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メアリーカサット展を見て感じたこと。

カサットについては、公式HPには次のように評されていました。
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軽やかな筆づかいと明るい色彩で身近な女性たちの日常を描き、独自の画風を確立。
特に温かい眼差しで捉えた母子の姿は多くの共感を呼び、
「母子像の画家」と呼ばれるようになった・・・・と。
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しかし、温かい母子像とは、違う何かを感じさせられました。
それは何だったのか・・・・
一見、ほのぼのとした愛情あふれる母子像です。
その裏に何かが隠されている。そんな気がしてなりませんでした。


その何かが見えてきた気がします。
それは、当時のブルジョア階級の親子関係、子育てについてでした。
そこの部分について、どうも言及を避けている。
そんな印象を持ってしまったのでした。

カサットが描いたものは、親子愛だけではないはず・・・・・
そんな直観的なものがあったのですが、ちょっと調べると
その部分は、ポロポロと出てきました。


ブルジョア階級における子育ては、乳母が行っていた。
実際に乳母が育てるということは、その当時、どういうことだったのか。
それについて言及されたものを拾い上げてみます。

最初に目にしたのは、下記の論文でした。

メアリー・カサット作,母子像の解釈をめぐって
      人間科学専攻の学生たちとのある授業の記録として




そして、男性画家、ルノアールの母子像について の論文の中に、
上流階級と、下層階級の子育てについて次のように書かれています。

行ってきました!「ルノワールはなぜ母子像を描いたか」セミナー考察より

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《フランス近代の母子像》
当時のフランスでは子供がいる家庭では、乳母を住まわせるか、
田舎に子どもを出す事が多かったようです。
特に上流階級は乳母を住まわせ
下層階級は両親が共働きのため子どもは里子に出されていました。

乳母は召使いのなかでは地位が高く、若くて健康な女性は高給取り。
制服も有り、白色で背中に長いリボンがついているのが特徴です。

そういった時代背景があり、絵画作品中に「乳母」が描かれることが多くなりました。
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メアリーカサット 家族 アート名画館
メアリーカサット「家族」1891年


ベルトモリゾ「乳母」1879年
ベルトモリゾ「ジュリーと乳母」1880年

いずれの作品も、画家(母親)が作品に登場せず
乳母がメインで描かれているのは非常に珍しい。

一方でルノワールが描く母子像は男性画家が描く母子像は、女性画家と異なります。

ルノワール 授乳する母親 アート名画館
ルノワール「授乳する母親」

あたたかい母と子の絵。聖母子像を意識して描いたもの。
印象派的即興性ではなく、古典に回帰しようとしていた時期。
輪郭がはっきり描かれています。




なぜルノワールは母子像を描いたか?より
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それから約100年後、メアリ・カサットの 《母と幼い姉と息子》が現れました。普通の情景を描いたように見える絵の中に自分をアピールする要素を込めています。彼女はアメリカの裕福な家庭に育ち、若い頃からパリに定住し、印象派展に出品し、印象派の仲間とつきあいました。当時のフランスにおいて外国人であり女性であることはデメリットで、画家として活躍するために得意分野が必要でした。結婚せず子供もなく生涯を終えますが、「女性ならでは」といわれた優しい視点で家庭のシーンを描いています子供だけ裸なのは、子供の肌の美しさ、ふくよかさ、本当に触ってみたくなるような魅力がこの時代の絵のテーマ、対象として尊重されてきたことがわかります。メアリ・カサットの描く絵は、そうした子供を母が優しく育むという温かい雰囲気が最大のテーマになっています。
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カサットの母子像は、外国人としてそして女性としてのマイナスを
いかにして克服するか。
女性画家として生き残るための戦略として、子供はいなくても、
女性ということを最大限に生かし、子供の愛らしい特徴をとらえることが、
時代が求めることに答えることであることを本能的にキャッチして
描いていたととらえることができます。


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◆19世紀フランス近代の母子像の特色
上流階級は家庭内に乳母が住み込み、忙しい両親の代わりに子供を育てる役割を果たしました。
中流階級は家庭内に乳母を住まわせるか、あるいは田舎に里子に出してある年齢まで預けました。
下層階級では両親が働くため、これも田舎に里子に出しました。

養育状況は経済力によってピンキリで、劣悪な環境もあったため、幼児死亡率が高かったと言われています。政府はそのことを問題にし、家庭での養育をいろいろな形で推奨その結果、専業主婦化が進む。19世紀のフランスの場合、専業主婦は限られた階層にしかなかったと言われています。
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当時の親子関係、子育ては、階級によって違っており、
メアリーカサットが描いたのは、上流階級における子育てで、
しかも、自分自信の生き残り戦略の一貫としての題材でもあったと考えられます。



次に紹介する論文は、カサットと同じ時代の女性画家、
モリゾを中心に、印象派の画家が描いた母子像についての論文です。
最後の結びの中で、モリゾに対してまとめられたことは、
カサットに対しても、同じことが言えるのではと思われます。

19世紀フランスにおける母子像の問題 : ベルト・モリゾ《ゆりかご》 (1872年) からより

19世紀のフランス女性画家、モリゾをテーマにジェンダーの問題をとらえた論文です。
19世紀フランスにおける母性愛偏重主義の文脈の中で、
モリゾの自己表象と母子像(自分と娘のジュリー)の持つ意味の捉えなおしています。

当時フランスは、普仏戦争の敗北などで、人口減少により子育てが奨励され、
母性がクローズアップされていました。すでに、先行研究として
、馬渕明子「作られた『母性』―19世紀末の母子画についての一考察3」があるようです。

印象派の画家たちは「ゆりかご」というより、乳母車をテーマに描いている場合が少なくない。母子像というよりは、乳母と赤ん坊を描く作品が多い。

クロード・モネ、エドガー・ドガが赤ん坊を描く時の描き方を分析。
そして、メアリカサットについては、次のように語っています。

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メアリー・カサットは多くの母子像を描いているが、レゾネを調査した結果、意外にも《ゆりかご》を主題とした作品は描いていなかった。カサットが母子を描く場合、聖母子の系譜を受け継ぎ子供を抱きしめ頬ずりしたり、キスをしたり直接的なスキンシップを伴った描写が多く見受けられた。
(略)
戸外で外気浴する赤ん坊と乳母の構図は、日常の風景として描かれることが多かったと考えられる。
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カサットがいかに、母と子の親密性を表現し、
聖母子としてとらえて描写しようとしたかが伺えます。



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◆19世紀末フランスにおける母子像の問題
マネは《庭にて》(1870年)エドマと長女ジャンヌを描いている。最初は別のモデルを予定していたが断られたため、エドマにモデルを引き受けてもらった作品。母子の距離感や描かれ方が全く異なり、母子像を主要なテーマとしていない。寝そべった男性が描かれており、もはやベビーカーの赤ん坊は添え物と化している。実際の母子がモデルとなって描かれているものの、母と子だけの親密な雰囲気とは全く異なり、“モダンなブルジョワの家族の情景” といった仕上がりとなっている。

以上のように
印象派において女性と赤ん坊を描く場合は、伝統的な母子像として描くというよりは、近代生活のワンシーンとしてリアルに描いているため、結果として乳母が描かれる場合が多くなっていると考えられる。

乳母は赤ん坊を世話する立場、つまり肉体労働者としての側面があるため、「乳母車」を押す役割、もしくは「授乳」する役割として登場。一方、実際の母親(モリゾの所属するブルジョワジー階級において)は赤ん坊を愛でる立場として登場する。

そこには「乳母=労働としての育児」「母親=愛情をそそぐ存在」という社会的・階級的な差異それに伴うイデオロギーが垣間見える。
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ひとことで、母子像と言っても、そこには時代背景、社会背景が存在し、
階級による子育ての違いも存在していました。
そのあたりの言及をあえて避けているような、そんな気がしてなりません。



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5.結びにかえて
19世紀末、第三共和制下において、「家庭」それ自体が、フランス国家を脅かす「道徳的危機を阻止することを可能とする社会制度とみなされており、普仏戦争とパリ・コミューンにより減少した人口を回復するためにも、「家庭」はクローズアップされていった。

このような状況下において、母と子の絵画は第三共和政下においてもっともポピュラーなテーマの一つであり、母子の結びつきは推奨され、この時期のサロンにおいても母子画が増殖していた。
(略)
批評を見る限りでは《ゆりかご》に対するバッシングは少なかったといえる。ここには印象派のもつ負の意味としての「女性性」が評価されていることもあるが、モリゾの選んだテーマが母子像であったため、モダニティの孕む19世紀末フランスにおける母子像の問題「危険性」との衝突をうまく回避したとも考えられるのではないだろうか。
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ここではモリゾの《ゆりかご》について語られていますが、
これは、カサットにおいても共通していることで、
女性ということで取り上げるテーマによって、それぞれの独自性を保ちながら、
自分のポジションを確立していたことが伺えます。



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19世紀末フランスにおいて、女性芸術家はその活動範囲を広げようと、政治的・社会的運動を繰り広げ、展覧会へも盛んに出品を行っていた。しかし、印象派という枠で活躍し新たな母子像を提示したと言えるモリゾも、アカデミスムという枠で男性芸術家と並んで活躍し評価を得ていたブルトン夫人も、「女性芸術家」という枠から逃れることは不可能であり、女性に期待されるテーマから大きく離れることは難しかった。その困難やゆらぎは、母子像など特に女性芸術家にとってふさわしいとされていたテーマを分析することで、浮かび上がってくる。

本論では同時代的な枠組みの中で彼女達の描いた母子像を再検証することにより、社会的な評価と女性芸術家の表現がどのように密接に関連していたか、その理由の一端を明らかにした。モリゾの《ゆりかご》は、現在でも親密で優しい雰囲気に満ちた作品として評価されているが、女性芸術家に課されたジェンダー的役割や当時のモリゾの状況を考慮に入れると、複雑な側面を併せ持つ作品と言えるであろう。
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階級という時代背景とともに、画壇における「性」による格差を
間のあたりにしながら、模索した女性画家たち。

愛情あふれる親子像・・・・  の裏に隠されている葛藤。
そして、同じテーマを男性、女性の画家も扱い、
それぞれが自らの立場を確立するために、火花を散らす(?)

そんな状況があったことは、ちょっとググれば出てきてしまうわけです。
時代背景としての、フェミニズム、ジェンダー的な側面については、
触れられることなく、目をつぶられてしまった感があります。

ちょっと、きれいにまとめられてしまったなぁ・・・・と言う感じ。


ぶらぶら美術館の山田五郎さんあたりが、そのあたりに、
切り込んでいただけるのでは? と期待したのですが、触れられずじまい。

取材する美術館が提供するスタンスから逸脱することは
しにくいのかなぁ・・・と世の理を知る(笑)

学芸員さんの解説も、内覧会では触れられていなかったことも、
解説されていました。
えっ? そんな話、しなかったじゃない!
「乳母」のことについては、一切、触れていなかったのに・・・・

あっ、そうか・・・・ 
テレビ放映される前に、ネタを全部話しちゃったら、
内覧会レポされて、新ネタがなくなっうから? とか、
それでも、フェミニズム的なところは、避けちゃうんだ・・・とか。
テレビでは、新ネタ提供したいものね。
とここでも、メディア対応の理が見えたり?



隠しメモ 2016/07/08
美術展における報道向けの内覧会
そこで配られる解説資料

メディアはそれを元に記事を書く。
あちこちでその情報が、しかるべきメディア提供情報として拡散。
それらの解釈を見て、世の中全体がその解釈で納得していく。

主催者が、リリースする見方だけが、まん延し拡散されていく・・・・・
ということを感じさせられました。
もっと自由に、もっと、違う見方がないのか・・・・って考えながら見てもいいのではと思った・・・ということをここにメモ

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【追記】2016.8.8
美術鑑賞をしたあと、他の方たちがどんな感想を持ったのかを
スクリーニング的に見てまわっていました。

メディア情報もチェックしていましたが、正直、どこも代り映えのしない
同じ情報ばかりが羅列されているのが現状。
執筆担当記者、独自の視点で語られているところはないのかなぁ・・・・
と思って見ていたのですが、まず独自情報はありません。

今回、報道関係資料をいただけたことで、その理由がやっとわかりました。
記者はこういう配布資料をもとに、書いてるということなのでした。
たま~に、記者目線の一言、二言を見かけたこともあったのですが、
それは、ごくまれ。過去に1回か2回だけだったかと・・・・

記事、記者の役割というものをここでやっと知りました。
考えてみたらメディア情報は、客観情報を伝えることが第一目的だったのでした。
記者の主観情報は、開催情報に、逆に盛り込んではいけない(?)
ということだったのかも・・・・
ここでも、世の理を知りました(笑)

ということで、メディア情報は、流す程度でよい・・・と学習しました。
独自視点の情報を探すには、独自な視点のキーワードをみつけて、
それをたたくことだったのでした。
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興業的に考えたら、愛情あふれる母子像、親子愛・・・・
それで推した方が、女性受けするから、人も入る・・・・
なんてことを考えたりするのかな? と穿った見方までしてしまうのでした。

メアリーカサットの時代のフェミニズム的視点というのは、
一部の特殊なものなのかなとも思ったのですが、
そうでもなさそうだし・・・・

母子の愛情アピール押しだと、なんだか、真実を隠されてしまっているような
印象を受けてしまったのでした。

35年ぶりの回顧展。
35年前は、伊勢丹で行われたそうです。
その時は、カサットをどんなとらえ方をしていたのでしょうか?
ともて気になってきました。


   ⇒35年前のメアリーカサット展 (2016/08/03)


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【追記】2016.8.14
「メアリー・カサット展」関連資料コーナー、スタート! (2016.8.11)美術情報センターにて

   「メアリー・カサット展」に合わせ、関連資料コーナーを設置。
    35年前のカサット展の展覧会カタログが閲覧できるように
    なったようです。
     (なぜ今頃? 開催と同時に準備ができなかったのかなぁ・・・)

    また、アメリカの主要美術館コレクションに着目、
    それらの美術館から印象派作品が日本に紹介された
    展覧会カタログ16冊が紹介されています。


「メアリー・カサット展」放送・掲載アーカイブスより

気になった記事
   ⇒7月 米国の女性画家メアリー・カサット みずみずしい母子像を描く=高階秀爾
   ⇒メアリー・カサット展 「母子像の画家」女性芸術家の先達(産経ニュース)


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【追記】2016.9.23
『印象派で「近代」を読む』中野京子より 

◆第5章 都市が抱えた闇(p104)
19世紀末、産業革命の恩恵と普仏戦争で獲得した植民地からの収益により、
新興ブルジョアジーの台頭により、持たざるものへの差別は、
ブルジョア地区と労働者地区に住み分けがおきる。  

印象派の題材は、底辺であえぐ男達は描かない。
一方で肉体労働をする女性は軽蔑されていたが、面白さとして描かれた。
貧しさが軽蔑の源となり、煙草売り、花売り、乳母、踊り子、モデル、お針子
などの仕事につき、お針子は、娼婦予備軍と言われていた。

とは言っても、パリで働く女性の生活は格段に向上。
上下水道の普及は、雇われるものの薄汚れていた状況を解消し、
意志さえあれば、化粧、ファッションセンスを磨き、這い上がるチャンスを得る。
ブルジョアジーの愛人となって、半社交界への道もあった。

そんな背景の中、「主婦」であることが、ブルジョアの証となる。
新興ブルジョア―ジーは、王侯貴族のような血統書がないため、
労働者階級との違いを見せつける必要にかられた。
贅をつくした内装、大勢の使用人、別荘、馬車、旅行・・・・

しかし、愛人となったいかがわしい女性たちと社交の場、
オペラ座などをともにする。
パトロンからの援助で、高価な宝飾品を身に着ける彼女らをにがにがしく思っていた。
そこで、差別化を図るために化粧を薄くし、衣装の上品さ、身のこなしで
差をつけた。


◆第6章 ブルジョアの生き方(p126)
そして、ブルジョアの証は、「主婦」良妻賢母であること。
これは男性が望む女性像というフェミニズム的な視点で語られるが、
実は女性もそれを受け入れていた。
そんな時代の社会状況が、母性礼賛を生む。

そして印象派の画家たちは「母子像」を多く描く。
メアリーカサットの《家族》などのように聖母マリアを彷彿とされるような
無償の母の愛を・・

しかし、ブルジョアの母は授乳などはしない
そんな「滑稽で不愉快」な肉体労働は、下層階級の領域と思っていた。
母は愛を持ってみつめるだけ。それが「母の仕事」
抱くのは母ではない・・・乳母の仕事。

かつての貴族と同様、子育ては乳母に。
住み込みの乳母や家庭教師を雇う、それがステータスシンボル。

この生活は、上を目指す市民階級、そして下の階級にまで及ぶ。

しかし乳母をやとっていればいいという風潮が崩れる。
乳母による子育てで幼児の死亡率があがり、
政策として、母による授乳の推奨されるようになった。


  ⇒この絵を鑑賞した時に、乳母によって子供は育てられていた
   という事実を知り、母は子供と、どう接していたのか・・・

   時間割のよう、子供を抱いてあやす、愛情を注ぐという
   子育てしますアピールをする、形を整えるということが
   行われていたのではないか? という推測をしていたのですが、
   実際の子育てについて触れたものをなかなかみつけることができませんでした。

   やっと、中野京子さんのご著書の中に見付けました。

   授乳という行為は、滑稽で不愉快な肉体労働・・・・
   ブルジョアジーには、このような意識があったことを確認できました。

   《母の愛撫》を見た時、この母親は
    子供に対して、よだれをたらしたりして、乳臭くて
    小汚いモノと思っていて思わず、手を握りしめそれ以上、
    近づけないようにバリケードを張った。
    そんな情景が、ふとよぎっていたのでした。
    
   「授乳が、滑稽で不愉快な肉体労働」 という当時の
    ブルジョアジーの言葉の中に、子供と戯れることに、
    何か抵抗を持っていた時代であったことを確信したのでした。

    一方、日本の浮世絵の母の愛情あふれる沐浴を見て、
    親子はこうでないといけないと思ったカサットは、
    風刺的な意味もこめ、同じような構図を用いて、
    その違いを表現しようとしたのではないかと思ったのでした。


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■メアリーカサット展:横浜美術館
メアリーカサット展:母と子の目は、どこを見てる? (2016/08/24) 
メアリーカサット展:美術情報センターで出会ったもう一つのカサット像(2016/08/23)

35年前のメアリーカサット展(2016/08/03)
メアリーカサット展:関連書籍『岩波 世界の巨匠 カサット』より (2016/07/08)
メアリーカサット展:母子像を読み解くための資料 (2016/07/08) ← 次
メアリーカサット展:上流階級の子育てについて(2016/07/08) ← ここ



【ブロガー内覧会】
メアリー・カサット展 夜間特別鑑賞会 ③《桟敷席にて》(②から独立) (2016/07/07)
メアリー・カサット展 夜間特別鑑賞会:②母子像について 感じ方のいろいろ (2016/07/06) ②の続き
メアリー・カサット展 夜間特別鑑賞会 ②《バルコニーにて》《眠たい子供を沐浴させる母親》 (2016/07/07)
メアリー・カサット展 夜間特別鑑賞会 ①予習と見学前のイメージ (2016/07/05)

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