『若冲展:④「池辺群虫図」 ここで何を描こうとしたのか』コロコロさんの日記

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NHK 若冲展関連で放送された「いのちのミステリー」にて、
写真家の今森光彦氏が、《池辺群虫図》の解説をされていました。


晩年 丹波の山奥に2年隠遁生活

そこで、若冲が目にしていたものは・・・・
里山の生き物たちの生き生きした表情  
ちいさな生き物たちが、そこにひしめき、瞬間瞬間に見せる表情。

その観察は、当然、目線が下がり、地べたを這ったり
そこから見上げたり様々な視線から、観察を楽しんでいた様子が、
伺えます。

土のにおいを感じ、水のせせらぎの音を聞き、
その中で繰り広げられる、一瞬、一瞬の生き物の姿こそが、生きていることの証。

生きるために食べる、そして食べられる。
それが、エンドレスにつながり
いきとしいけるものすべての結びつき。



昆虫写真を多く手掛けた今森氏。
その目線は、若冲が見た世界を追体験していたのだろうと想像されます。




■気持ち悪い絵?
ところが・・・
群れていっぱいいるオタマジャクシが、ある方向にうごめいている。
うごめくオタマジャクシは、濃淡で描かれ遠近感をだして、
群れは固まりとなり、それらは、ぞわぞわとしたきもち悪さ・・・・

いろいろな視点からとらえられた絵は、安定した構図がなく
足元が不確かでどこにいるかがわからない不安感
構図までもがゆらぎ、そこにひしめく生き物もうごめいて
絵からは妙なざわめきを発する。
それによって感じさせられる不安・・・・



■オタマジャクシが気もち悪いという感覚
う~ん、このオタマジャクシや虫たちを、気持ち悪いと
この写真家は感じてしまうのか・・・

動物写真を撮影しているのに・・・・・
昆虫を撮影しているのに・・・・

と思ってしまったのですが、これは、
「一般の人が、そう感じるだろう」という代弁ということなのかな・・・
と理解しなおしました。



■生き物が気持ち悪いという感覚がここにも
●『異能の画家 伊藤若冲』(新潮社)p94より 
森村泰昌氏がこちらでも《池辺群虫図》について次のように記されていました。

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「洗練された京都人の感覚で、普通の人なら気持ち悪いと思うような
 池の端っこのゴミゴミした虫けらやら、腐った葉っぱが好きというとこが
 また面白い」

「都会にいるけども、ぴかぴかのまっさらのものではなくて、
 その中の微妙な生命の営みに目線を集中させている。
 いわゆる世の中の価値観からは背を向けていて、だからこそ、
 若冲さんに見えるものがあった」
ーーーーーーーーー

やはり、ここでも、虫や枯葉を気持ち悪いものとして見られています。
世間一般がそのように見ているという解釈なのでしょうか。
そして、ご本人もそのような眼差しで見ているのでしょうか?



●『「美しい」ってなんだろう?』(美術のすすめ) 
  ⇒「『美しい』ってなんだろう?」(美術のすすめ)より
上記も同じ、森村泰昌氏の著作で、これについて次のように紹介されていました。

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世の中どこにも「美」があるという想いを「池辺群虫図」を紹介して最後の講義としている。ご存知、伊藤若冲が1760年代に描いたもので、一見「花鳥風月」といった風情と色使いの作品であるが、良く見ると題材はあまり一般的でない

「葉っぱをよく見てください。虫が喰って、穴が開いたりしています。端っこがいたんで茶色く変色している葉っぱもありますね。ほかの生き物もいろいろ描か れています。セミ、チョウ、カエルというような生き物のほかに、クモが巣を張っています。トカゲやイモリやヘビもいます。ケムシもいたるところにひそんで います。・・・」

このような池の周辺のけして、一つ一つをとると「おぞましい」と考えてしまう対象物に「美」を感じる若冲に森村は共感するという。

「『きれい』でなくても『美しい』、
 『ちっぽけ』でも『無限』の世界がある、
 みぢかなところに、すばらしい感動がある」

だから、普段の生活の中で、
身近な世界で「美しい」ものを見つけられる感性を大切に
というのが、本書で森村が言いたい一言なのだろう。
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>このような池の周辺のけして、一つ一つをとると「おぞましい」と考えてしまう対象物に「美」を感じる若冲に森村は共感するという。


森村氏は、やはりこれらの生き物を「おぞましい」ととらえているようです。
そんな「おぞましい」対象物に、「美」を感じる若冲に共感
していると読めます。

「おぞましい」と感じた、生きものへの視線は変化したのでしょうか



■おびただしいオタマジャクシ
私はこの絵のオタマジャクシを見た時、
この光景、見たことある! と重ね合わせていました。

写真の水鉢、そこにたたずむカエル。
これ、やっぱり気持ちわるいですか?・・・ (笑)

カエルが、ここに卵を生み、大量のオタマジャクシが、
この水鉢の中を泳ぎます。
まさに若冲の池辺群虫図とおなじ状況が、この中で繰り広げられます。

そして、これらのオタマジャクシは、足が生えて、やがて外に出ていきます。
これだけの量が、カエルになったら大変なことになります。
しかし、毎年、そんなことはおこらず、成長するのは1匹ぐらい。

この水鉢の中に、この量のオタマジャクシを食べてしまう外敵がいるとは考えられず
外に出たとしても、何に食べられているのかわからず、
どうして、あれだけの数が、次第に減るのかが不思議でした。

そしてある時、その理由がわかりました。
足が生えて外に飛び出す頃というのは、強い日差しがあたり
それによって干からびてしまうのでした。
葉の縁についていたり、水盤の縁で乾いているのを目にしてやっとわかったのでした。

食物連鎖ではない、自然淘汰だったのです。
生物のバランスは、自然環境によっても、維持されて均衡を保っている
ということを理解したのでした。

こんな小さな水鉢の中でも、そんな生態系が、繰り広げられています
それを目にした経験があるので、この絵を見た時に、
これまで自分が見てきたカエルの成長が、ここに押し込められているような気がして、
愛着すら感じて一番、気になる絵だったのでした。

「気持ち悪い」「おぞましい」と感じる感覚がわからなかったのです。




■「美しいって何だろう」 
森村氏が、掲げた「美しいとは」という命題。

美しさを感じる心のある人は、オタマジャクシの群れ、枯葉、小さな虫たち・・・

それらを、最初から気持ち悪いおぞましいものとしては、
決して扱わないのではないのではないか・・・・?
虫に対して、「虫けら」という言葉も、使わないと思うのです。

有名な、昭和天皇の言葉として伝えられている
「雑草という植物はありません・・・・」

転じて
「虫けらなんていう虫はいません・・・・」


個々の言葉の中に、自然をどうとらえてきたか、どうかかわってきたか
個々の自然観が、見え隠れするのを感じました。



■とは言っても、いやなものはイヤ!
絵の中のおびただしい数のオタマジャクシを見て気持ち悪いと思うか・・・
虫が嫌い蜘蛛がいや・・・それは、どうしようもないことです。

それまで育った環境過ごした生活親の育て方生活スタイルなど、
すべてがひっくるめて、その人の自然観というものが形成されて、
今に至っているわけです。


よく、露天風呂に落葉が落ちてる、虫が浮いてるとか、
宿に泊まったら、蜘蛛の巣がはってた・・・ 虫が出たと文句が出ます。
キャンプに来て、虫がいる!って、
自然豊かなところにきたのだから、それは当然のこと・・・・

あるいは、飲食店にGが出たとか言いますが、そりゃいるでしょ。
あなたの家にはいないの? って思ってしまいます。

「そんなことで何を騒いでる?」 と思ってしまうのです。
でも、嫌い、気持ち悪いという価値観で育ってしまったものは、
しょうがないのですよね。



■親の感覚が子供に
柳生博さんの息子さんが、他界されてしまいましたが、
柳生さんが、息子さんたちのために、八ヶ岳に住まいを変える時に、
女優だった奥さんに言ったそうです。

「君が虫や蜘蛛が嫌いなのはしょうがない。
 でも、それを見て、決してキャーと声は上げないで欲しい
 子供たちが、それを怖いものだと思ってしまうから・・・・
 だから、我慢をしてくれ」と


気持ち悪いと思っていた、虫たち。
でも、奥様は慣れていったようです。

最初は、嫌い、気持ち悪い、怖いでも、
そうじゃない・・・と思えるようにもなる。



■多様性を認めあうこと
「美しい」を語る美術家が、
これらの生き物を「気持ち悪い」「おぞましい」と感じてしまう感性で、
それを語っていいのか・・・・
そして、その同列の感覚で、若冲を語ることに、
私はちょっとした抵抗感を抱いてしまったのでした。


しかし、若冲が伝えたいことは、生物の多様性
「生き物っていうのは、いろんなとらえ方をしたり、感じ方をするものなんだよ。
 それを受け入れ合おうね・・・・」と。

同じ生き物を見て、「気持ち悪い」「おぞましい」と、
感じてしまうも一つの感性。
そう感じてしまう人もいる・・・・ということを受け入れよう・・・と。



■イルカだって同じこと言ってます

♪ 小さなオリに閉じ込めて バカにしたり きたながったり♪

♪ 人間以外のものたちにも もっとやさしくして下さい ♪


私たちと同じ、同じ時を生きている。
同じように朝を迎え、夜を迎える
生まれて、そして死んでいく・・・・



同じ命に変わりはない・・・・・


そんなふうに、捉え直してもらうことを、
若冲は伝えたかったのだと・・・・



いつの時代でも、表現者は、
同じところに着地がある・・・・


生きてる―伊藤若冲「池辺群虫図」
太田 彩(宮内庁三の丸尚蔵館学芸室主任研究官)著



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◆若冲展:池辺群虫図
若冲展:⑦「池辺群虫図」 なぜそう感じるのか 直観の理由を考える (2016/05/06)
若冲展:⑥「池辺群虫図」 若冲が込めたメッセージは人間社会への示唆? (2016/05/05)
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若冲展:④「池辺群虫図」 ここで何を描こうとしたのか (2016/05/04) ←ここ
若冲展:③「池辺群虫図」 何が描かれている? (2016/05/03)
若冲展:②「池辺群虫図」~若冲 いのちのミステリー~ より (2016/05/02)
若冲展:①「池辺群虫図」~若冲 ミラクルワールド~ より (2016/05/01)
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