『④ゆかいな若冲:「群鶏図」・・・左右の印象が違う? 踏ん張るニワトリ? 』コロコロさんの日記

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今回の山種美術館の企画「ゆかいな若冲 めでたい大観」では、
若冲作品11点のうち、山種美術館所蔵は1点「伏見人形図」のみです。
あとは、個人蔵のものを借りて出展しているとのことで、
初公開が5点というファンにとっては、大盤振る舞いの展示だそうです。

これまで何度も若冲展を見たり、若冲を知り尽くした人にとっては、
垂涎のラインナップだと思うのですが、
若冲の名前ぐらいしか聞いたこがない初心者にとっては
これ、知ってる! 見たことある! という絵の方がありがたかったり(笑)
初公開作品を見る前に、まずはこれぞ若冲!という基本の絵を見ないことには・・・(笑)


若冲らしい若冲を把握しなければ、何も始まりません(笑)


若冲といえば、言わずと知れた(?)あのカラフルなニワトリ。
若冲をよく知らなくても、印象的なモチーフです。
今回の企画で、やっとそのニワトリとご対面できると思っていたのですが・・・・・

パンフレットやHPに掲載されている鶏は墨絵でした。
あらら・・・・ あのカラフルなニワトリは、ここにはいないのね。
あの、緻密な着色を見たかったのにな・・・・
正直なところ、ちょっとがっかりモード(笑)


ところが!
会場でこの「群鶏図」を目にしたら、
そんなことは一気に払拭する勢いの、存在感を放っていました。

まずは「六曲一双」の屏風が、デ~ンと、
ガラスケースに鎮座するだけでもド迫力。
ただならない存在感を放っています。
12の面で構成される一つ一つの曲には、
1羽ずつ様々なポーズの鶏が並び、その姿は圧巻。

人が少なくなっておちついてから、全体を一望して見るのも壮観でしたが、

    ⇒【①】 全景

個人的には、斜め横から見る角度の方に心ひかれました。
しかも「右」と「左」で様相が全く違います。

    ⇒【②】 左から ・・・おすすめ
    ⇒【③】 右から 

私の好みでいうと「左」から見る角度が好きだなぁ・・・・



■左から見ると・・・ ⇒【②】
「左」のコーナー側から見ると、鶏は見事に同じ方向を向いて整列しており
秩序だっているように感じられました。
それは弧を描く尾の方向がすべて同じ向きで並んでいたこと。
そして尻尾の孤となるトップが、ほぼ一直線上に同じ高さで並んでいる
ことから生まれる統一感によるものではないかと思いました。

しかも規則正しさを感じさせながらも、リズミカルで躍動感があります。
それは、孤で描かれたトップから下ろされた尾の方向
動きの軽快さにあるような気がします。
鶏の頭も、体もいろいろな方向を向いています。
しかし、尾は「太く」「濃い」墨で力強く描かれているため目をひきます。
思い思いの軽妙な曲線は、整列した印象の中に、
自由にのびのびとした遊び心を加えていて、
ニワトリ1羽1羽の個性を表しているように感じられます。
このニワトリの中で、尾が果たす役割はとても大きいと感じました。


■右からみると ⇒【③】
実は最初に見たのは、「右」からのアングルでした。
こちらからの構図は、なぜか、一羽だけ尾の方向が逆に描かれていて、
そのことが妙にひっかかってしまいました。

鶏の世界も、気分屋がいて、1羽だけが隊列を乱しているみたいで(笑)
バランスを乱しているようでおちつきませんでした。
それもまた一つの個性なのでしょうが・・・・

しかしそれだけでなく、右からのアングルは、尻尾の孤の高さもバラバラ、
尾の大きさも大きく描いたり、小さく描いたり・・・・
いろいろな「要素」がいろいろな形で表現されており、
ニワトリだって人と同じで、「みんな一羽一羽違うんだよ」
と伝えているかなと思っていました。

あるいは、規則性をわざと崩しているような作者の意図があるのか。
はたまた、屏風をサイドから見るという構図は、
狙いを定めていなかったのかと思いながら・・・・

何か意味をみつけようとしていたのですが、
つかみどころのないもどかしさを感じていたのでした。



■左右からの構図は意識するのか
屏風というのは、基本は正面から見ることを想定して
描いていると思うのですが、
これだけ大型の屏風となると、中央を視点に据えにくそうなので、
きっと、両サイドから見られることを、きっと意識して描いているはず
と思っていました。
ところが、 から見た感じは、どうもおちつかなかったのです。



それが、「左」に回った瞬間、妙に安心させられたというか、
安定感があると感じました。
規則正しさに遭遇しつつも、それに相反する躍動感があり、
右側から見た構図で感じた、アンバランスさ(?)(←私の勝手な印象です)は、
あえて、「左」から見た時の安定感をより際立たせるためだったのでは?
     (↑ かなりこじつけ感がありますが・・・・笑)

この屏風の左右からの見え方は、ギャップを狙ってるのでは?
と私なりの理解をしたのでした。

 

■ストーリーがあるのでは?
日光の三猿にはストーリーがあります。
それと同様に、この鶏にも、右から見た話、左から見た時の
ストーリーがあるのではないかと思うのです。
あるいは、パラパラ漫画みたいに、片側だけを見ると、
何か鶏の動きを連写したような表現をしているのではないか・・・・とか


改めて写真を見ながら、物語を想像してみたのですが、
そういう物語を読み取ることはできませんでした。
(というより、何が描き加えられているのかよくわからなかったり・・・
 一部に、雄や雌の2羽が描かれたりしているらしいです。)

解明はできませんでしたが、
きっと、左右それぞれの見え方に、仕掛けがあるはず!と、
確信しています(笑)


■屏風の下からのライティング  ⇒【④】 底部の光
写真撮影をしている時には気づかなかったのですが、
となりの大観の「竹」の屏風を、撮影しながら、こちらに目をやると

なんだろう・・・・・
若冲の屏風の下部の金色縁が、ぼんやり光ってる・・・・
あの光り方は????? と思いながら見ていました。


途中、中締めでお話があり、この展示の照明を担当された尾崎文雄氏によれば、
光をあてていることを感じさせない照明の工夫として、
屏風の下の方向から、光をあてていると解説があり、
ぼんやりと輝く光の正体がわかりました。

どうやって光をあてているのでしょうか?
実は、このテクニック、知っていました。
ショーケースに光源を見せずに光を仕込む方法・・・

見ればわかるだろうと思っていたのですが、それを知っていても、
屏風の下部に仕込まれたライトを見つけることができませんでした。
降参状態で、尾形さんが解説されているところに加わらせていただきました。

やっとわかりました。
ほのかに光る仕組みがやっとわかったのでした。

写真でみると、はっきり光って見えますが、
肉眼では、もうすこしぼんやりとした光でした。



■目や足の細部表現
10年以上前になると思うのですが、日曜美術館で若冲が取り上げられ、
目や足の細部の描き込みと、鶏の観察について語っていました。

鶏を描くにあたり、とにかく観察をし、何枚もスケッチをしたとのこと。
しかもすぐに写生せず、生態観察を続けるために、
朝から晩まで見つめることを1年ほど続け、そのあと絵筆を持ったと聞きました。
そんな観察と写生により、あらゆる生き物が自在に描けるようになったそうです。

描く対象物を自分なりに理解できるまで描かないというのは、
1700年代の日本に、アンティミストの目があったということになります。
モネもアンティミストだということが書かれていたものも目にしました。

それまで若冲は模写を主体にしていたのですが、実物写生へ移行します。
それは、当時、本草学の流行で、実証主義的気運の高まり
影響もあったようです。

日曜美術館で見た鶏の色彩は、神々しささえも感じさせられました。
描く上での観察の重要性ということについては、
それまでも、いろいろな場面で耳にしていたことだったので重なりました。



■観察がスケッチ力を向上させる
たとえば幼稚園児が、園で飼うことになった犬を最初に描いた絵と、
1年、ともに過ごしたあとに描いた絵が全く違っているのを見たことがあります。
そこでは「いかに見ることが大事か 観察が大事か 一緒に生活することが大事か」
ということを解かれていました。

また、顕微鏡をのぞいてスケッチするという
ワークショップのようなものを受けた時も、同じようなことを
感じさせら得たことがあります。

それは、視野の中に見える対象物に顆粒があった場合、
多くの場合、点点点点点・・・と無造作にランダムに点を打って
描いてしまうものではないでしょうか?

しかし、一つ一つの顆粒の粒をしっかり見て
その一つ一つをスケッチブックに、描き移すように点を描く
というレクチャーを受けたことがありました。

聞いた時は、そんなめんどくさい描き方なんて、やってられない・・・
と思ったのですが、
そのような観察の眼を持って描いていると、
次第にスケッチの出来上がりがよくなってきたのです。

同じ「見る」という行為も、見方を変え、描き方も変える。
見る集中力が変わる描き出されるものが変わる・・・・
ということを、絵のヘタな自分でも目の当たりにしたことがありました。

観察したものをスケッチに落とし込む時にも、
ただ見て、ただ描くのではなく、
点のような顆粒も、一つ一つ観察眼を鍛え、リアルに描くといういうことを、
教えられたことがありました。

若冲の描き方を見た時、その時に教えられたことが、
思い出されたのでした。
そんなことを感じさせられていたので、いつか若冲の絵を見たいなと思いながら、
その機会がなく10年以上、過ぎてしまったのでした。
才能ある若冲が観察を重ねた末に描いた鶏を、
ぜひ見てみたいという思いをずっと持っていました。


■墨絵の鶏は・・・・
墨絵の「群鶏」の細部は、遠い記憶ですが、
テレビで見た色彩の繊細さとは違っていたと思います。

1761~65年 (45~49歳)極彩色豊かな群鶏図。
1795年    (79歳)  墨絵による群鶏図。

晩年、若冲は天明の大火(1788)(72歳)に遭って窮乏したと
伝えられているようです。
(出典:平凡社『日本美術史事典』1987 年より)

そんなこともあって、高価な絵の具から墨へ変わった? 
作風も、ギラギラとしてエネルギッシュだった40代後半とは違い、
墨の単色で描かれた鶏は、削ぎ落とされた結果なのかもしれません。


本音をいうと、墨絵のニワトリは絵の具より緻密さや、シャープさがないと思いました。
体部の細部の描き込みは、ぼんやりしていて、密ではなかった・・・・

  ⇒【⑥】
  ⇒【⑧】
  ⇒【⑨】

と思ったところで気づきました。それが墨の特徴なんですね。
そのため、にじみが少なく黒く太く描かれた尻尾が、
より印象的に目に飛び込んだのかもしれません。


若き日に、時間をかけて観察し続けた鶏、数え切れないほど描いたデッサン。
そこで鍛えられた動くものでも一瞬で形を読み取る力。

野球のバッターは、ボールが止まって見える。と言われます。
それと同様、若冲も鶏の動きはスローモーションのように見えていて、
いつでもどこでも好きなところで、ポーズボタンを押して、
好きな鶏のポーズを描くことができたのでしょう。

一瞬で形を読み取り、一瞬で描きあげる。
これってモネに共通している気が・・・(笑)
さらに描く道具の「墨」には、にじみという予測しにくい動きが加わります。
細部を描く、限界があったのかもしれません。
にじみは、偶然に任せたのか、それまでも計算をして描いたのか・・・・



■琳派と若冲
琳派展を見た時に、なぜか、伊藤若冲の書籍が並列で置かれていて、
若冲も琳派なの? と思っていました。
若冲も琳派・・・ということらしいのですが、誰に私淑したのかしら?

琳派の手法、たらしこみは偶然の産物。でもきっと意図はしているはず。
墨もそれと同じなのかなぁ・・・・・ 今一つ、琳派と若冲の関係よくわかりません。


そういえば、始めて見た高島屋の琳派展。
そこに「中村若冲」が出展されていました。
てっきり伊藤若冲のことだと思っていたら「若冲」でつながっていただけ。

でも「中村若冲」と「伊藤若冲」同一人物なのかな?
年代によって呼び名が変わるってことあるし・・・・
幼名とかあるし、老成すると変えたりするし・・・・
でも姓が変わるかなぁ・・・
名前ってコロコロ変わるから、わかりにくいのよね・・・なんて思いながら、
その後、違う人物らしいことはわかったのですが(笑)

伊藤若冲(1716‐1880年)
中村 芳中 ( ? -1819年) ← ここは芳中になってる
               (どこかからコピペしたのかな?)

本当に何もわからず、見てきただけで
そして、「中村」「伊藤」若冲問題は、そのまま放置された琳派元年
2015年5月のこと・・・・
山種美術館で今回、「中村若冲」作品が出品されることを、
事前キャッチしていたので、これは調べるいい機会になるかも・・・
と思ったのですが、もうキャパオーバーなので、またの機会に持ち越し・・(笑)

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【追記】大おまぬけが発覚  2016.1.21
「中村芳中」を「中村若冲」だとずっと思ってました。
全然、つながってないじゃないですか・・・・
穴があったら・・・(笑)

こういう歴史を経て、いろいろ理解していく・・・ということで
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■鶏は踏ん張る?  ⇒【⑦】 踏ん張ってます
ところで、【⑦】の「踏ん張った」ように見える鶏。
鶏を飼ったことがなく、観察もしたことがないのでよくわからないのですが、
鶏はあんなポーズをするでしょうか?

鶏の足の構造、足のつき方からして、このようなポーズは
できないような気がするのです。ちょっとした疑問です。

若冲の往年時代は、草本学が台頭し、実証主義の機運にのって観察を重視
リアリティーのある絵を描いていたという若冲。



琳派の宗達が描いた鶴下絵三十六撰の時にも、似たようなことを感じていました。

  ⇒○『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』・・・「人」を書き損ねたという間違いは本当? (2015/11/17)

上記の後半に、もう一つの疑問として、
上空から鶴を見下ろした状態を宗達は描いたと言われたのですが、
描かれた鶴の絵はリアリティーある? と感じていたのと同じ感覚でした。


モネが実証主義だというと、え? となりそうですが、
緻密な観察により本質に迫るという部分では、
若冲と共通しているように思います。

それぞれの観察眼のもとに導きだされた集大成を晩年は描き出した。
それは、決して見えたものそのままではなかった。
若冲も徹底した実証主義を貫きながら、最後は、
そこから導き出した新たな若冲の世界の鶏を表現したということなのでしょうか?

晩年の墨絵の鶏は、削ぎ落とされた感じがあって、
ちょっと抜け感もあるように思いました。
鶏のユーモラスな動き、愛らしさを、デフォルメして
引き出して描いたような・・・・
(とは言っても、若冲がノリノリ時代の群鶏図を見ていないので・・・・笑)

  【追記】ニワトリの関節(2016.1.21)
     ⇒「ニワトリ」の画像検索結果

     ニワトリの関節は、人とは違うんですね。
     逆向きになるみたいでした。
  



4月から東京都美術館で「生誕300年記念 若冲展」が開催。
モネ展で知りましたが、あちこち手をだしすぎて、
中途半端になりつつあるので、ここは見送ろうと思っていたのですが、
やはり、若冲の真骨頂、あの鶏は、見ておかないと・・・思っているのが(笑)

作品は
伊藤若冲 《群鶏図》 1795年(寛政7) 
撮影掲載は許可済み



【追記】屏風のような建物・・・山種美術館
今回のブロガー内覧会を主催されたTakさんのブログで、
山種美術館について書かれていました。

  →新「山種美術館」館内見学会

ざっと写真だけ見ていただけだったので、
建物の「表」と「裏」外壁が違うのね・・・・と思っていました。

南の「恵比寿」側から見るビルの表情と
北の「渋谷」側から見るビルの表情が違っていたのです。

これって、屏風を「左右」から見て、違って見えるのと同じ?



■ブロガー内覧会 「ゆかいな若冲・めでたい大観」レポート 
若冲生誕300年記念:「ゆかいな若冲・めでたい大観」山種美術館 (2016/01/12) 
「めでたい大観」が描いた「竹」の屏風・・・・竹林に迷い混む (2016/01/14) 
めでたい大観:「竹」 屏風という特徴が生かされた構図の妙 (2016/01/15) → 前の記事
ゆかいな若冲:「群鶏図」・・・左右の印象が違う? 踏ん張るニワトリ?   (2016/01/16)  → ここ
山種美術館:照明の秘密 (2016/01/17)
山種美術館:照明の秘密 からのつながり (2016/01/19)
山種美術館:ブロガー内覧会で学んだ美術館見学のポイント (2016/01/20) 







【参考】若冲の年齢について
若冲は還暦以降、改元の度に一歳加算したという説が近年支持されている。
   →競い合う鶏鳴  細見美術館より

自作の若冲年譜に、隠居した年、1755年 40歳を記入しようとしたら、
自作の一覧表では39歳。あれ? 表作り、どこかでずれたかな?
と思っていたのですが・・・・
1歳加算したということで一度は納得しましたが、
還暦以降のことらしい・・・  まっ、いいか・・・


細見美術館の動画  
上記リンクにアップされている「鶏図押絵貼屏風」の動画を見て・・・
画像の質、撮影テクが明らかに違います。
高精細カメラで撮影された画像とのことで、
普段美術館では見る事の出来­ない若冲作品の細部まで捉えたそう。

やはり美術作品の動画は、しかるべき人がしかるべき状態で、
撮影したものがいいな・・・と。
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