『②「めでたい大観」が描いた「竹」の屏風・・・・竹林に迷い混む』コロコロさんの日記

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今回の内覧会の目的の一つは、
屏風をいろいろな方向から見てみることでした。

まず最初に目についたのが横山大観「竹」という作品。
隣りには、若冲の「群鶏図」が並べられ、壮観です。

 ・「竹」は、二曲一双の屏風。
 ・「郡鶏図」は、六曲一双


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ちなみに屏風の数え方についてちょっとお勉強
 〇屏風の数え方って?【京都便利堂】
 〇屏風を鑑賞するための基礎知識(1)
 〇屏風に「六曲一双(そう)」と「六曲一隻(せき)」の表示があるが、どこが違うのか。
 〇屏風の特殊な数え方 (山種美術館)

わかるような、わからないような・・・・
最後の山種美術館の図解が一番、簡潔でわかりやすいかな?


以下は、自分が理解するための覚書

 曲:屏風を折りたたんだ面の数
 隻:面ががつながったもの
 双:面が連なったもの(隻)が、2つ一組になったもの

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■【屏風に関する疑問】(その後の調べで分かったことは⇒で記載)2016.11.15
・屏風の数え方がわかったところで、では、
 二双の屏風というのはあるのでしょうか(4隻でひと組)

 舘山寺浜名湖美術博物館⇒六曲二双という屏風はない
 六曲二双を調べると ⇒或る屏風・六曲二双、障害者の絵、陶芸作品、近隣の花
            オーダ―という状況で存在するよう
 滋賀県立近代美術館⇒六曲二双はないわけではないがまれ
           春夏秋冬で二双というものも・・・


・屏風の山折、谷折りは決まっているのか。
        ↑
    こんな呼び方でいいのか?  
    正式名称は?  ⇒ 入りオゼ 出おぜ


   ⇒③琳派400年 細見美術館:第2章 花咲く琳派  光琳・乾山と上方の絵師 (2015/05/12)

   上記の、琳派展で見た「白梅小禽図屏風」
   見学後、図録を見てあれこれ考えていたのですが、
   屏風の折り方を逆にとらえて解釈をしていました。
   大きな勘違いに気づいたのですが、
   その後、なんとなく屏風は谷折りから始まると、理解しました。
   しかし、そのような決まり事があるのか、そんなの常識で、
   疑問に思うことが間違っているのか・・・・?
   まだ、確認できていない状況。

    ⇒屏風は両方に折れ曲がる
     屏風の機能は、風よけ、目隠し、間仕切りなどの機能面と、
     装飾的な要素を持つ。
     そのため、自由自在に動くパーテーションとしての役割と、
     鑑賞のための装飾品として役割がある。

     風神雷神など、光琳の裏に抱一が描いた場合
     裏の屏風の折り方が逆になってしまうと思っていたのですが、
     両方に折れ曲がるということで解決?


・一双屏風の場合、左右2つ(隻)の屏風を設置する間隔の決まりはあるのか?

    ⇒京都:③「風神雷神屏風図」えっ?これが? 屏風の大きさ・配置の謎 (2015/11/06)

   京都国立博物館の3者の「風神雷神図」
   宗達の屏風だけが、妙に間隔が離れていた不思議・・・

   ⇒建仁寺の風神雷神図屏風の間隔は、11㎝に決まっているようだという
    お寺の方の話あり。


■屏風の見方や見る方向など、鑑賞法に決まりはあるのか

・絵師は、見る人がどこから見ることを想定して描いているのか
 あるいは屏風の鑑賞法には、お点前のように流儀や、
 見るための所作などがあるのか・・・

  以前、上梓した人から、本を頂いた時に、
  それを見る閲覧のお作法のようなことを解説したサイトを見たことがありました。
  きっと屏風にもそういう流儀があるのでは?と思いました。

   ⇒絵巻ものと同じ考え方で、一般的には左から見ていくのが基本


・絵師は屏風を左右から見られることも意識して描いているのか
   ⇒もちろん意識している (優れた絵師は・・・)

・さらに、美術館でライティングする人は、
 どこから見られることを想定してライティングをしているのか
 また、いろいろな角度から、人は見ると思うので、それを考えると
 どのように対処しているのか・・・・
 

そんなことを、追々、理解できたらいいな・・・・と思っていました。

追加の疑問(2016.11.15)
■六曲二隻 とは言わないのか
  たいていは対になって描かれることが多い  
  (春と夏   秋と冬 というように)
  そのため、ペアという意味で「双」が使われる

■三曲(一隻)の屏風はあるのか
  三曲の場合は、観音扉のように使われ、えらい人の後ろにおく
  屏風などがある。
  現存しているものでも、額装されて平面になっているものもある
  (前田青邨)・・・縦のラインなどで判断

■双と雙 漢字由来という説も
  〇◆ことばの話2485「屏風の数え方」
 


■正面から  左右から・・・・
まずは、全体を把握するべく引いた位置で全景を ⇒ 【写真

そして立ったまま近づいて、正面からパチリ ⇒【写真

そして左から ⇒【写真
   右から ⇒【写真

左右から見る時も、角度によって見え方が変わります。
折の裏側が完全に隠れると、別の景色が現れます。⇒【写真 





■写真の撮影ばかりに気をとられる
ここで、撮影をしながら感じたこと・・・・
鑑賞を全くしていないということでした。
写真を撮ることにばかり気をとられてしまっているのです。
屏風を見ていません。

よく子供の運動会で、撮影することにばかり集中している父兄の状態です(笑)
余計なものが映らないように・・・人がいない間隙をぬって・・・・
今がチャンス! とばかりに・・・・



■透明度の高い 映り込みのないガラス
作品をちゃんと見ていないな・・・と思いながらも、
撮影しながら、このガラス、とってもきれいだなと思っていました。
映り込みが全くないし、透明度が高いような気がしました。

これと同じ感覚を、どこかで体験したデジャブ感がありました。
それは根津美術館です。
鑑賞したあとに、根津美術館のガラスは設計の段階で、
考慮されていたらしいことを知りました。

山種美術館も、そうなのかしら?  と思いながらも、
失礼なことに「そんなことない・・・」と打ち消していて(笑)
たまたま、好条件で撮影できたのだと思っていました。


 そういえば、どこかのタワーでも、夜景撮影で映り込みがないよう
 ガラスを45度(だったかな?)に傾けて人気をはくしている
 という話を林先生の初耳学でOAしていました。

 映り込みは、ガラスの角度で調整。
 丁度、モネを見ていた時期と重なっており、
 これ、光の入射角と反射角をうまく利用しているんだろうな・・・なんて、
 思って見ていたら当たり~  モネの睡蓮と同じだって思いました。

  ちなみに林先生、この件は「初耳」だったそうで、
  「やった~  先生に勝ったぞ~」と思ったのですが(笑)、
  そのあと、おかしいなって・・・・
  ピストルのスタート音が、コースによって音が届く時間の差を
  見事に計算して解説されていた方です。

    世界陸上が開催!陸上競技で気になる豆知識を林先生の初耳学で紹介

  この問題の「夜景」「写真」というキーワードの流れからして、
  光の入射角、反射角に関する問題であることは容易に想像がされるはず。
  ひょっとしたら、この番組、台本で、初耳か、そうでないかは、
  コントロールされているのかも・・・・?
  たまには、簡単な問題でも、林先生も知らなかった・・・・
  という演出を織り込んで、そんなことも知らないのか・・・
  と視聴者に思わせて花を持たせようとしてるとか(笑)
  と穿った見方をしてしまいました。

横道にそれましたが、この時、
美術館もガラスの角度を変えるテクニックを応用すればいいのに・・・
と思いつつも、さすがにガラス面を傾けて設置することはできないか・・・と、
思っていたことを思い出していたのでした。




■座位で撮影
一通り、撮影し終えたところで、今度は座った高さで撮影することに・・・・
撮影する前に、一呼吸置いて、座った目線で屏風を眺めてみました。

    ⇒【写真 正面:座位】

視線を降ろした瞬間、ビックリしました。
これまで見えていた視界と全く変わったのです。


左隻と右隻の屏風にまたがって描かれた薄墨の竹
この部分が、ぐっと奥深く奥行き感を出して広がりました

そして左右に密に描かれている、濃い部分の竹の葉が前に飛び出し、
奥に描かれた薄い笹が奥行きをさらに広げています。
蛇腹状になった折が、遠近の効果をさらに高め、
屏風全体が、大きな広がりを持った竹林と化したのです。

竹林の中にポツンと一人、放り込まれたようで、
さまよってしまいそうな錯覚に陥りました。

その放り込まれる場所として、
この屏風の中央をぽっかり空けているのでは?
見る人のポジションを示しているように思いました。


立って見る目線【写真】と、座って見る目線【写真
写真からはわかりにくいですが、実物で見ると、
こんなにも違うものなのかとびっくりさせられます。

墨の濃淡で奥行きや広がりを表現するという手法【写真】は、
これまでも目にしてきました。
書道家の武田双雲さんも、墨の濃淡で二次元の書を
三次元で表そうと試みているという話を聞きました。

墨絵においては、単色の「墨の濃淡」が、いろいろな表現手段となり、
広がりを見せるということも知ってはいました。

立って見ていた時は、単なる「墨の濃淡」としか感じられなかったのですが、
視線を落として、竹の葉を見上げる目線で見ることによって、
その濃淡は、画面の奥方向へ向かう直線的な奥行となって、
無限の広がりを感じさせられたのです。



■ライティングの話
今回、ライティングを担当された、Studio REGALOの尾崎文雄さんが
会場にいらしており、ご挨拶とライティングの解説がありました。
中締めのお話で、今回の照明について「光の存在感を消してある」
といったお話がありました。
ガラスケースの底面からの光を、いかにして隠しているか
という説明がありました。

お話のあと、実際に展示ケース内の底部の照明を確認してみたのですが、
光を隠しているとはいえ、なにがしか痕跡はあるものです。
しかし、全くわかりません。
どうやって隠しているのかしら? 

会場でお見かけしたら伺ってみようと思っていたら、ちょうど、
この屏風のあたりで、底部に仕込まれたライトの説明をされていたところでした。

なるほど・・・・ そういうことだったのね。
これはわからないわ・・・・
この構造を、写真に納めてみたのですが、うまく映っていませんでした。
ご興味がありましたら、ぜひ美術館にでかけて、
その仕組みを探ってみるのも一つの楽しみではないでしょうか?


そして、上部のライトはこんな感じになっていました。  ⇒【写真




■屏風を見る方向と、光の当て方
兼ねてから疑問に思っていた、
「屏風はどこから見ることを想定しているのか」そして、
「照明は、どこから見られることを想定して、ライティングするのか」

という質問をした時に、池上章さんよろしく、
「それはいい質問です」とおっしゃっていただきました。

すると、その場に一緒にいらした参加者の方が、
「ある人から聞いてなるほどと思った話なのですが、
 屏風というのは本来は座って見るもので・・・
 障子からの光を畳に反射させて・・・・」と
カクカクシカジカとご説明をされました。

(今だから言ってしまいますが、内心、ちょっとちょっと・・・と思っていました。
 私は、照明の専門家のお話をお聞きしたくて質問しました。
 ご本人がお話されようとしているところをさえぎって、話に割り込んでこられ、
 心の中で、あなたの話を聞きたいわけではありません。横入りしてこないで!
 と言いたいところをおさえていました(笑)  
 そんな話、私だって知ってるし・・・
 でも、それを照明の専門家の方の立場から、専門家の言葉として
 お聞きしたかったのに・・・)

初めての内覧会参加だったので、このような場は、こういう人が多いのかな・・・・
と思いながら、ひとしきりその方の演説(←のように私には見えました)が終わり、
再度、仕切り直しをしてライティングの尾崎さんにお話を伺ったのですが、
話の腰を折られてしまった感じで、せっかくの解説を逸した感が・・・・(笑)


・屏風というのは、本来、どういう場所に飾られるものなのか。
・部屋の中では、どういう位置に、置かれているのか。
・「床の間」との位置関係。そしてその部屋の、光はどこから、入ってくるのか。
・光に対してはどういう向きで設置されるのか。
・また、時代によっては、自然光しかない時の照明はどうするのか・・・・

などなどをお話をしながら、
屏風のわかりやすい設置場所としては、「玄関に入ったすぐの場所」に置く
という置き方を例に挙げられました。
古い時代の屏風は、見ている人の背後から自然光があたる状態となる。
しかし、美術館では、そのようなライティングができないので、
それに近い状態を作る(?)らしいです。

まだ、屏風の飾り方、見方の基本を知らないため、
どういう場所に置かれているかもわからなかったのですが、
玄関を入ってすぐの場所に置くという話には、ピンとくるものがありました。

   ⇒風神雷神図屏風を撮影!建仁寺は紅葉も楽しめる京都最古の禅寺でした
            ↑ 
こちらを見ていて、玄関を入るなり、いきなり、宗達の風神雷神のお出迎え。
こういう感じなんだろうな・・・・と想像されました。



■左右からの方向は?
「絵師は、左右から見た状態も意識して描いているのか」
という質問に対しても、「いい質問ですね」とおっしゃっていただき、
「優れた画家ほど、それを意識していると思う」と言われていました。


「竹」は、大正7年(1918年)作 
横山大観 50歳の時の作品で、今回出展された作品の中では、
一番、若い時の作品です。

このあたりの前後関係は、しっかり予習してきたのに、すっぽり抜けていました。
この屏風を見ながら、なぜか江戸時代を感じていて、
照明のない頃の作品だと思っていました。
自然光、もしくはロウソクの光の中で見る屏風ととらえ
そのライティングは、どのように演出しているのかな・・・・
と思いながら・・・・


【参考】
エジソン電球の発明 1879年(明治12年) 明治は44年まで
大観 「竹」    1918年(大正7年) 
大観の住まい    茨城 五浦(かな?)
電気事情      1912年には東京市内ではほぼ全域で電灯の使用が可能
          大正時代、農村部でも電気は普及していたらしい



■墨の濃淡による奥深い竹林が広がる
そして、墨の濃淡による遠近感を感じさせられたのですが、
いわゆる、遠近感と違って、モネが睡蓮を描く時に、
水深方向に遠近を出したのと同じ感覚を持ちました。

その絵がこちら
 モネ 1907年 67歳 (明治40年)⇒クロード・モネ《睡蓮》1907年 / Newmoon is hoped for より
 大観 1918年 50歳 (大正7年) 

上記のモネの写真では、水深が深いという感覚がわかりにくかもしれませんが
画面を突き抜けていく方向の遠近感を感じさせられました。

大観の「竹」も、手前側から、
奥へ突き抜ける方向の広がりを感じさせられたのでした。

それは、屏風という谷折り、山折という構造も絶妙に生かされて、
描かれていることが、見てとれました。


そしてこの作品は、絹の裏側から金箔を貼る伝統的な技法で、
裏箔という技法が使われているそうです。
その技法を使うと、絹目から金色が透けて見えるとのことで、
竹の葉の間から微かに輝くという解説が館長さんからあり、
図録にもその記載がありました。

写真に絹目から光る金色の光を納めようズームで撮影してみたのですが、⇒【写真
映し出されませんでした。



【写真 】は、構図として私がちょっと面白いと思った角度です。
写真をクリックして拡大しないとわからないのですが。
手前が、バランスの悪さを感じさせられるくらいスカスカな感じの「竹」
しかし、その奥には密に描かれた竹の葉の塊があって、
葉の濃淡が、「粗」と「密」の対比をより、際立たせる相乗効果を産んでいるようで、
この屏風をまた、別の角度から、奥深いものにしている気がしました。



【写真】の竹の葉の背面に描かれている直線が謎・・・




■ちょっとしたトリビア
この屏風のことについて、書かれている方がいないかな・・・と、
画像検索をしたところ、過去に山種美術館でも展示がされていて、
内覧会も行われていました。

「輝ける金と銀ー琳派から加山又造までー」

この時に、展示されていたのは、なんと左側の屏風だけだったのです!
片方だけの屏風では「クリープを入れないコーヒーのような・・・・」(笑)

左右そろってこそ、この屏風の真の意味を感じられると思いました。
今回、「ゆかいな若冲 めでたい大観」で見ることができた方は、HAPPYです!

前回の企画「輝ける金と銀ー琳派から加山又造までー」で、
片割れだけをご覧になった方は、
1双の屏風となった醍醐味をぜひ、ご覧になるべきだと思いました。

片方だけの屏風も見ていて、2隻つなげた状態でも見た。
両方を比較できるというのは、よりHAPPY感を味わえると思いました。

いずれにしても左右両方の屏風がそろって鑑賞ができ、
その深淵なる奥行を体感できるのは、今回の企画のメリットかもしれません。


■ブロガー内覧会 「ゆかいな若冲・めでたい大観」レポート 
若冲生誕300年記念:「ゆかいな若冲・めでたい大観」山種美術館 (2016/01/12) →前の記事
「めでたい大観」が描いた「竹」の屏風・・・・竹林に迷い混む (2016/01/14) →ここ
めでたい大観:「竹」 屏風という特徴が生かされた構図の妙 (2016/01/15) →次
ゆかいな若冲:「群鶏図」・・・左右の印象が違う? 踏ん張るニワトリ?   (2016/01/16) 
山種美術館:照明の秘密 (2016/01/17)
山種美術館:照明の秘密 からのつながり (2016/01/19)
山種美術館:ブロガー内覧会で学んだ美術館見学のポイント (2016/01/20) 


以上の写真は
○横山大観 《竹》 1918年(大正7年) 山種美術館蔵
写真撮影掲載については、許可済み 


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【参考】2016.11.15
上記の展示「輝ける金と銀ー琳派から加山又造までー」を
照明の専門家の方が御覧になって、白熱球の発明を境界に、
作品への光をどう見るか・・・・ということが描かれていました。

vol.144 金銀砂子が空間に放つ光

<輝ける金と銀-琳派から加山又造まで->
  展覧会の趣旨:時代、作家により異なる金銀の表現、技法の違いを一同に鑑賞。

明治前と以降では白熱電球の出現により、
作品の制作完成作品の使用、展示鑑賞する際に照射する光の性質と状態に
大きな違いがある。

白熱電球の出現以前 → 蝋燭や行灯による『火』の光の時代。
       以降 → 『電気』の光。

琳派までの作品と明治以降の作品では、
「金銀砂子の使い方や表現」の仕方に違いがあるのではないかと思うのです。
『火』の光の時代の作品と、『電気』の光の時代の作品。
同じ空間に展示される時、それぞれどのような印象なのか。


vol.179 金銀砂子の表現-あの光源を使ってみては如何でしょうより

時代による金銀表現の変化
〇平安時代
 ・書画→金泥で絵を描いたり金箔を散らす料紙装飾
 ・物語図→雲や霞が砂子で描かれ、華やかさが添えられる。

〇江戸時代の琳派作品
  →画面が金地や銀地となり金銀のボリュームが格段に増す。
    絢爛豪華であるだけでなく、描かれた空間に漂う光や描かれた物の
    表面に纏う光を積極的に表現しようという意図が感じられる。

〇明治以降→複雑な技工の出現
  ・横山大観の『喜撰山』・・・・ 1919年(大正 8年)
    (大観   「竹」      1918年(大正7年) 同時期
    →金箔を裏面に用いた特殊な和紙を用いる。
    「柔和な光の表現をするため」なのだそうです。

  ・速水御舟の『名樹散椿』撒きつぶしという手法。
     膠を塗った上にごく細かい金粉を均一に敷き詰める技法
    その画面は、もったりと高密度に金が塗り込められているように見える。
   高密度な為か輝きがやや重く、金なのに椿の樹を引き立てる背景として機能。

  ・横山操『マンハッタン』→銀地にニューヨークの高層ビル群
     ダスティな空気の中にそびえ立つコンクリートの建物が、
     光を受けて鈍く光っている様子が伝わる。
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