『⑤改めて、着眼点にこだわる理由』コロコロさんの日記

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これまで、「ヒト・モノ・コト」に触れた時、
気になっていたことは・・・・

この着想の原点はどこにあったのか・・・・
ということでした。
なぜ、こんなものを作り上げたののか。
こんなことを考えたのか・・・・

その着想の源はどこのあるのか・・・・


その人の生まれ、そして育った環境だったり、
成長とともに属していた組織の習慣やものの考え方が影響していたり。
あるいは、育った時代の環境であったり・・・・
そして思考の傾向というのもあって、○○系といわれるように、
ときとしてカテゴライズされていることも・・・
学んできたもの、見てきたもの・・・・

そうしたいろいろなことが、影響して、
その人が見聞きしてきた世界がもとになって、
様々な着想が生まれてくるのだと思いました。


それは、どんなにオリジナルだと思っていても、
必ず、いつかどかけで見たものが影響されているわけで、
直接ではないけども、シャッフルされ、できあがるもので、
ある日、突然のように飛び出してくるものではない・・・・

突然、飛び出したように見えても、
大なり小なり、いつかどこかで見たものであり、
どこかで誰かが考えていたものだったりする。
というのが、私がたどり着いたところだったのですが・・・・


その一方で
人は、とことん考えたあとにたどり着く着地点というのは、
同じになるのではないか。
というのもあるのです。

例えば、便利するとか、「○○の知恵」とか「○○のコツ」とかって、
突き詰めて考えると、誰が考えてもそこに集約されていくのでは・・・

そんなことを思ったりしていました。


アートはまた別なのかもしれませんが、
遠近法なども、西洋の手法が日本に入ってきて、
それを日本人が学んだということになっています。

「描く」ということをつきつめて、
平面に、奥行感を持たせて描こうということを考えた時、
西洋の絵を見ていなくても、日本でも同じような
遠近法の描き方にたどりつく人がいてもおかしくないのではないか。

あることを突き詰めたら、同時多発的に、
あるいは、同時期でなくても、同じ着地点にたどり着くことがある。
とも思ったのでした。


そのため、面白い着想に触れた時、
同じことを考える人はいても、
影響されずに、同じような着想に至った

そういう人を見つけ出したいとう気持ちを、
強く持っていました。
そのため、着想の原点が、どこにあったのか・・・
そんなあたりが気になってしまうのでした。


佐野さんのエンプレムも、見るからに酷似してしました。
しかし、削ぎ落として、削ぎ落とした先には、
同じデザインになってしまうということは
あってもおかしくない・・・・と思っていました。


その証明になるケースかもと思っていたのですが、
残念ながら、その後のいろいろなことが、
それを信じさせてもらえませんでした。


アート作品の着想。


それは、作者を知ることが第一歩でもあることがわかってきました。
生まれ、育ち、生活・・・・
それら全てが、凝縮されて出来上がるものだと。



オリジナルというものはない。  


   と思う一方で、


同時多発的な着想も存在する。




■真似しても個性 真似を公言するか
浮世絵を真似をしたと言って描いたのに、作者らしさが出てしまったゴッホ。
モネも日本の太鼓橋を元に描いたことを知りましたが、
当初は、そんなこと全くわかりませんでした。

参考にしたこと、インスパイアーされたものを明らかにする画家。

一方、ブルーノタウトは、桂離宮を参考にしていることは明白。
しかし、参考にしたことはないと言い張ってるらしい。
どんなに否定をしても、影響を受けていることは明らかに読み取れるケース。



模倣、リスペクト、オマージュ・・・・・
それを口にするか、しないか・・・・・


アーティストはどうはあるべきなのか・・・・



【参考サイト】
風神雷神図の想像力 より
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この「風神雷神図」という屏風絵を前にして、若い絵師は、腰を抜かすほど驚いてしまった。「何ということだ。この世にこんなすごい絵を描く人物がいるのか。なぜこんな絵が描けるのだろう」そう思うと、是非ともこの絵を描いた俵屋宗達という人物に会いたくなった。若い絵師はとにかく聞きたかった。

「どうしてこのような恐ろしい絵が描けるのですか」すると、宗達という大絵師は笑いながら、「そうじゃな、見たい見たいと思わないことかな」と答えた。「見たいと思わない、とは、いったいどういうことでしょう」「想像すること、頭の中で考えることじゃよ、さすれば、必ず描きたいものが、あちらから姿を見せてくれるものじゃ」

若い絵師は、はっとした。自分がこれまで、何かにつけて、見なければ描けないと、頭から考えていることに気づいたのである。

見たから描けるものではない。創造力とは、想像力のこと。自分で考え、思考すれば、アイデアはどこからか必ずやってくる。佐藤
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【関連】■オリジナリティー 
⑤改めて、着眼点にこだわる理由 (2015/11/16) ←ここ
④琳派における模写・・・・そして複製 ・・・コピー (2015/11/16)
③どこまでがコピーで、どこからがオリジナル? (2015/11/12)
②琳派におけるオリジナル そして「食」や「写真」 (2015/11/12)
①「オリジナリティー」「自分の視点」について(2015/11/12)



【2016.8 .31】
みんな何かを絶対に参考にしいる・・・・

先日、しくり先生で、漫画家が○○をパクったということを言っていました。
それって言わなければわからないこと?

クリエイターって、みんなそういう部分ってあると思うのです。


たとえば、食べログの評価、美術の感想、評価にしても、
人が書いたものを見ていて、ああ、そこの視点で見たら、私はこう思ったわ。
じゃあ、それを加えよう・・・・・と書いた場合、

これって、書いている内容は違っていても、
「着眼点」という部分では、パクリだと私は思うのです。

でも、それは、してはいけないことではなくて、そういう部分はあってもいいと・・・・
「着眼点」のヒントを得て、アウトプットされたものが、
違うものとなっていれば・・・・
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